著者
倉田 容子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.127-142, 2014

本稿は、三枝和子のフェミニズム理論の今日的意義を明らかにすることを目的とする。従来、三枝のフェミニズムは「女性原理派」と目され、正当な評価を得てこなかった。本稿ではまずギリシア悲劇に関する三枝の評論を検討し、その論理展開における脱構築の手続きと「女性原理」の内実を明らかにし、従来の評価に修正を試みた。その上で、『鬼どもの夜は深い』における妊娠・出産の意味づけと共同体滅亡のプロットについて検討し、欠落としてのみ表象される亡霊的な「女性原理」の戦略性を明らかにした。さらに、こうした「女性原理」の概念を同時代の文脈において捉え直し、八〇年代に萌した身体の(再)規範化をめぐるフェミニズムの二つの潮流に対する三枝の位相を検証した。
著者
石田 智恵
出版者
京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野
雑誌
コンタクト・ゾーン = Contact zone (ISSN:21885974)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2014, pp.56-82, 2015-03-31

本論文は、1970年代後半アルゼンチンの軍事政権下で反体制派弾圧の方法として生み出された「失踪者」の大量創出という文脈において、日本人移民とその子孫、およびかれらのコミュニティがどのような位置を占めていたか、また「失踪」にいたった日系人たちの政治参加において出自やネイションはいかなる意味を持っていたのかについて、軍政下の国民社会をコンタクト・ゾーンとして捉えることで考察する。軍部は「反乱分子」とみなした人々を次々と拉致・拘留・拷問しながら、被害者を「失踪者」と呼んで行為を否認することで、社会全体を恐怖によって沈黙させた。この体制はコンタクト・ゾーンそのものを消失させようとするものである。日系コミュニティは、アルゼンチン社会における「日本人」に対する肯定的イメージの保守を内部規範とし、個人の政治への参加をタブーとすることで、軍政に翼賛的なモデル・マイノリティを生み出す装置として機能していた。70年代の若者たち「二世」の多くは「日本人」の規範を抑圧と感じ、そこからの離脱に向かった。重複する国家とコミュニティの規範を破り、別様の社会を求めて政治に参加することは「失踪」の対象となった。「日系失踪者」たちの思想や行動についての周囲の人々の語りから、かれらが身を投じた政治とは、個人の社会性・政治性の否定の上に成り立つ国民の安全保障を拒否し、コミュニティを媒介したネイションへの同一化ではなく、個人の位置を自ら社会につくりだすことで社会を変えるための方法であったと理解できる。
著者
石田 智恵
出版者
日本文化人類学会
雑誌
日本文化人類学会研究大会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2016, 2016

本報告は、アルゼンチン最後の軍事政権(1976-83)の弾圧によって生み出された「失踪者(行方不明者)」という存在の特殊性を論じる。生と死の間に突如挿入され延長される「失踪」という個人の欠如、その不確定性は、親族にとってどのような現実なのか、またその「失踪者」の「死」が確定されることは、家族にどのような変化をもたらすのかといった問いについて、失踪者家族会のメンバーへの聞き取りを基に考察する。
著者
垣内 理希
出版者
日本社会心理学会
雑誌
社会心理学研究 (ISSN:09161503)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.54-63, 1996

For nearly three decades, the existence of the physical attractiveness stereotype or the stereotype that physically attractive people have a more socially desirable personality almost has been taken for granted in social psychology. However, the existence of this stereotype is not so evident as is often assumed to be. Results of an experiment reported in this paper demonstrate that the effect of perceived "beauty" of a stimulus person (photographed female) on the subject's evaluation of that person's personality is drastically reduced or even reserved when the degree of subjects' liking of that person is controlled. On one personality dimension, even the reverse stereotype that physically attractive people have a malignant personality was found to exist when subject's liking of the stimulus person is controlled. These and related findings suggest that people assume that physically attractive person has a nice personality not because they have an implicit personality theory connecting physical and mental attractiveness but rather because people simply like an attractive person.
著者
飯島 章
出版者
交通史学会
雑誌
交通史研究 (ISSN:09137300)
巻号頁・発行日
no.42, pp.49-64, 1999-03-01
著者
安井 寿枝
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.29-44, 2008-04-01

谷崎潤一郎『細雪』の中心人物である蒔岡家四姉妹の使用する、尊敬語について以下のことを論述する。四姉妹が使用する尊敬語には、関西方言であるものと、標準語であるものが存在する。中でも姉妹が最も使用している尊敬語は、はる敬語であり、姉妹によって接続に差があるものが見られた。五段動詞に注目すると、次女の幸子は、aはる型を多く使用し、末の妹である妙子は、やはる型の拗音を多く使用している。また、一段動詞では、姉妹に共通して「出る」「見る」のような語幹部分が一音節のものは、やはる型を使用し、「できる」「見せる」のような語幹部分が二音節のものは、i/eはる型を使用するという使い分けが見られた。その他、関西方言の尊敬語では、船場言葉としての「なさる」が存在している。その使用は船場言葉としては動詞+なさる型であり、標準語としては本動詞「する」の敬意型であった。標準語の尊敬語では、れる/られる型・お〜になる型・御〜型・いらっしゃる型・特定単語型が存在する。特に、れる/られる型では、不特定の人物に対する使用が確認された。このような使用は従来、はる敬語に限って見られる特徴とされている。
著者
吉田 永弘
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.9, no.4, pp.18-32, 2013

可能の「る・らる」は,中古では否定可能を表す用法しか持たず,中世になって肯定可能を表す用法が現れたと言われている。本稿では,通説の検証を行いながら,肯定可能の「る・らる」の展開を描く。まず,実現の有無という観点から肯定可能を<既実現可能><未実現可能>の2類に分け,事態の性質によって,I既実現の個別的事態,II恒常的事態,III一般論,IV未実現の個別的事態の4種に分ける。その上で,中世以前はI〜IIIの<既実現可能>に留まり,IVの<未実現可能>は近世に現れることを示す。また,<未実現可能>が出現した要因を,未実現の事態の表現方法の変化のなかに求める。
著者
櫻井 豪人
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.9, no.3, pp.17-32, 2013

『英和対訳袖珍辞書』初版(文久二1862年刊)の訳語は約6〜7割が『和蘭字彙』の訳語と一致すると言われてきたが、具体的にどの語が『和蘭字彙』から取られた訳語であるかを特定することがこれまで困難であった。本研究では、『和蘭字彙』の日本語部分の全てを電子テキスト化することで『和蘭字彙』の訳語を直接検索可能にし、それにより、『和蘭字彙』に見られない『袖珍』初版の訳語の例を明確に示すとともに、それらから窺われる『袖珍』初版の訳語の特色と編纂態度の一端を描き出した。
著者
栗田 廣美
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.34, no.7, pp.52-60, 1985-07-10

明治四十三年に書かれた『叛逆者』は、クロポトキンの『相互扶助論』(MutualAid)を密かになぞりつつ、国家主義的<現代文明>への痛烈な批判を内在させた、有島の大逆事件への回答だと言える。それは、作家的出発に際しての<芸術宣言>でもあるが、その論理は、少年時代以来、有島の内部に育ちつづけた歴史意識-<中世への共感>に支えられていた。有島にとっての<歴史>の意味は、彼の芸術の生成を考える上で、重要なものである。
著者
柏原 勤
出版者
三田哲學會
雑誌
哲学 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.128, pp.207-234, 2012-03

特集 : 社会学 社会心理学 文化人類学投稿論文The purpose of this investigation is to regard "2 -channel thread editing blog" as a new form of news communication, to identify the characteristics and processes of the news communication, and to present the possibility that these blogs can be examined from the perspective of several mass communication theories. "2-channel thread editing blog" is a famous blog genre for many Japanese Internet users. It contains articles whose recourses are selected from threads on "2-channel", the most popular anonymous bulletin board in Japan.This study classifies these blogs and its articles into two groups, "news" and "non-news", and considers the former a new form of news communication. This type of blogs functions as a news media by mediating news articles reported by traditional media, or reporting social events particularly occurring on the Internet.As a novel type of news media, "2-channel thread editing blog" presents some potentialities to be studied from the point of and by methods of mass communication theories or news communication researches, such as double geetkeeping, media effect theories, and so on.
著者
山本 弘
出版者
九州大学
雑誌
九大法学 (ISSN:04530209)
巻号頁・発行日
vol.85, pp.115-160, 2003-02
著者
竹村 明日香
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.16-32, 2013-04-01

キリシタン資料によると,中世末期のエ段音節ではエ・セ・ゼの3音節のみが硬口蓋化していたと考えられる。しかし中世期資料によっては他の工段音節でも硬口蓋化していたことを窺わせる例もあり,果たしてどの音節が硬口蓋化していたのかが問題となってきた。本稿ではこの問題を解決する一助とするため,近世〜現代九州方言のエ段音節を通時的・共時的に観察した。結果,エ段音節では,子音の調音点の差によって硬口蓋化が異なって現れていることが判明した。即ち,歯茎音の音節では子音の主要調音点を変える硬口蓋化が生じているのに対し,軟口蓋音や唇音の音節ではそのような例が認められない。このような硬口蓋化の分布は,通言語的な傾向と一致している上に,キリシタン資料のオ段拗長音表記とも平行的であることから,中世エ段音節の硬口蓋化の分布としても十分想定し得るものであると考えられる。
著者
簡 月真
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.61-76, 2006

本稿では,台湾でリンガフランカとして用いられている日本語を対象に,一人称代名詞の運用の実態およびその変容のメカニズムの究明を試みる。台湾高年層による日本語自然談話に日本語一人称代名詞のほかに閩南(びんなん)語一人称代名詞の使用が観察された。これは,日本語一人称代名詞の形式面と運用面の複雑さを回避するために,形式と運用規則が単純でかつ優勢言語である閩南語一人称代名詞が採用された,いわゆる単純化の結果である。ドメイン間の切換えから,閩南語一人称代名詞は台湾高年層のin-group形式の役割を果たしていることがわかる。ただし,日本語能力の低いインフォーマントの場合,日本語一人称代名詞への切換えはない。ドメインおよびインフォーマントの日本語能力に応じた使用の連続体から,閩南語の一人称代名詞は連体修飾語の場合に現れやすい傾向があること,言語構造面の単純化と連動して言語行動面においても単純化が漸次的に進行しつつあることが指摘できる。独自の体系を持つ台湾日本語は,日本語の変容のあり方を探るための貴重な例となっている。
著者
毛利 正守
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.1, pp.1-15, 2011-01-01

筆者は,これまでに字余りをいくつかの視点から眺めてきたが,本稿では,脱落現象という観点を導入して字余りを生じる萬葉集のA群とB群の違いを追究した。その際,唱詠の問題が関わるかも知れない和歌の脱落現象は除外し,あくまで散文等の脱落現象をとり挙げ,それと字余りとを比較するといった立場をとっている。A群もB群も唱詠されたものとみられるが,B群は,散文の脱落現象と同じ形態または近似した形態のみが字余りとなっており,A群は,基本的に脱落現象とは拘わらずいかなる形態も字余りをきたしている。散文における脱落現象というものは,日常言語に基づいた音韻現象の一つである。これらを総合的にとらえて,B群の字余りは,音韻現象の一つであると把握し,A群の字余りは,日常言語のあり方とは離れた一つの型として存する唱詠法によって生まれた現象であると位置づけた。