著者
社本 時子
出版者
松蔭短期大学
雑誌
研究紀要 = Shoin review (ISSN:02886111)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.23-32, 1961-02-01
著者
水口 洋
出版者
国際基督教大学
雑誌
国際基督教大学学報. I-A 教育研究 = Educational Studies (ISSN:04523318)
巻号頁・発行日
no.55, pp.43-53, 2013-09-01

学校教育を構成する特別活動の中で,学校行事は生徒の帰属意識を培うために有効な手段となっている。それぞれの学校の特色は行事の中に見られる。しかし,学校行事の一部に位置づけられる儀式的行事は,多くの生徒・卒業生にとって印象の薄いものとなってしまっている。それは式典の意味がきちんと伝えられていないからであろう。歴史的に見ても,式典の形式や内容については,様々な議論が展開されてきた。とりわけ,式典における国旗・国歌の用い方を巡って政治的・社会的問題が繰り返されてきたが,肝心の生徒に対する式典の意義は議論されずに,例年通りに踏襲されているに過ぎないことが多い。本稿は学習指導要領に見られる特別活動の意味を視野に入れつつ,式典等の儀式的行事の持っている教育的意味について考えてみたい。児童・生徒にとっての,「節目体験」になる区切りの行事の大切さについて考察してみたい。School events are an effective means of giving students a sense of belonging. The characteristics of the school are also evident in various school events. Unfortunately “ceremonial” events have, over time, lost significant meaning for students. Historically, the form and content of ceremonies have created various problems. Problems concerning the national flag and the use of the national anthem in the school ceremony have repeatedly created political and social dispute, although there has been no debate in the educational sphere on its meaning. I will consider the meaning of school ceremonies in this paper and consider the meaning of the events that are important in students’ social development.
著者
小林 健二
出版者
国文学研究資料館
雑誌
国文学研究資料館紀要 = National Institure of Japanese Literature (ISSN:18802230)
巻号頁・発行日
no.37, pp.59-92, 2011-03-18

能《源氏供養》は『源氏供養草子』を典拠としていることが指摘されていたが、《源氏供養》は石山寺を供養の舞台とし、また供養の依頼者である紫式部が実は石山の観音であったという大きな相違を有する。本稿では、石山寺という紫式部伝承の磁場に注目し、紫式部が観音の化身であったとする言説や、源氏の間という特殊な宗教空間、崇拝の対象となったであろう紫式部画像、そして歌人達の紫式部を尊崇する文芸行為を通して、石山寺において源氏供養がなされていた可能性を追究し、《源氏供養》が制作された背景の一斑について考察した。Though it has been regarded that the Noh “Genji-kuyo” has its narrative source in “Genji-kuyo-soshi”, it also should be noted that the Noh differs from “Genji-kuyo-soshi” in two significant ways; one is that the site of Genji kuyo service is set at the Ishiyama-dera temple,and the second is that Murasaki Shikibu who requests the service is eventually found out to be Bodhisattva of Ishiyama. Focusing on Ishiyama-dera temple functioned as a sacred site of Murasaki Shikibu legend, this paper will point out, as a background of the Noh “Genji-kuyo production, the possibility that the Genji-kuyo service had actually been performed at Ishiyama-dera temple. I will examine the possibility by taking up the following points: the discourse which recognizes Murasaki Shikibu as an incarnation of Bodhisattva, the existence of Room of Genji in Ishiyama-dera temple as a particular ritual space, the pictorial imagery of Murasaki Shikibu which would have functioned as an object of worship, and the literary practices done by poetsthose who honor Murasaki Shikibu.
著者
中原 淳
出版者
南山大学人間関係研究センター
雑誌
人間関係研究 = Human Relations (ISSN:13464620)
巻号頁・発行日
no.16, pp.211-273, 2017-03-31

南山大学人間関係研究センター公開講演会日時:2017年1月7日(土)13:30~17:00場所:南山大学名古屋キャンパス D棟DB1教室講演者:中原淳(東京大学大学総合教育研究センター)対談者:中村和彦(南山大学人間関係研究センター)
著者
渡邊 太
出版者
鳥取看護大学・鳥取短期大学
雑誌
鳥取看護大学・鳥取短期大学研究紀要 = MEMOIRS OF TOTTORI COLLEGE OF NURSING AND TOTTORI COLLEGE (ISSN:21898332)
巻号頁・発行日
no.85, pp.15-27, 2022-07-01

本稿では,近代民主主義における直接行動の意義を確認する.近代の代議制民主主義では「民主主義イコール選挙」のイメージが強いが,デモや集会などの直接行動は議会に対する圧力として重要である.2010 年代日本の直接行動では「普通の人たち」の参加が強調されたが,1960 年代の直接行動を見ると大衆のラディカリズムが強烈だった.既存の秩序を打破するラディカリズムが宿る直接行動には,代議制民主主義に緊張感を与える役割が期待される.
著者
中山 泰一 Yasuichi NAKAYAMA
出版者
情報処理学会
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.73, 2023-01-15

2018年に高等学校の新学習指導要領が告示され,情報科は情報の科学的な理解に重点を置き,「情報I」と「情報II」が開講されることとなった.同じく2018年に,2025年からの大学入学共通テストで「情報I」が出題される方向性が示されたことから,都道府県市の教育委員会での情報科教員の採用が促進されることとなった.しかしながら,情報科のみを担当する教員(情報科専任教員)が少ない問題がある.情報科専任教員は発展的内容を教える「情報Ⅱ」を開講するためにも必要である.大学における情報科教員の養成はされている.都道府県市の教育委員会には,積極的に教員採用をして,情報科専任教員を増やしていただきたい.
著者
八藤後 忠夫 斉藤 修平 佐藤 和平 岡本 紋弥
出版者
文教大学
雑誌
生活科学研究 = Bulletin of Living Science (ISSN:02852454)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.239-249, 2017-03-30

すでに廃止された学校宿直業務の体験者を対象とする聞き書きをもとに,現在の学校教育にかかわる示唆的部分を抽出し検討した.以下のような結果が得られた.1)宿直が副業的な業務でありながらも付加価値的に教員間や地域との豊かな交流を保障していたこと.2)宿直廃止後には地域性の変貌とともに教育改革や課外活動の業務が肥大し,教員の負担度や疲弊性を増しつつあること.その傾向は教員の疲弊性に加えメンタルヘルスの危機的情況にも繋がっていると推察されること.3)宿直業務当時における教員の“地域や学校全体を含む交流と憩いの場”の再構築が望まれるが,この課題克服に関しては教育労働の本質的検討と行政による学校教育実践上のシステム転換の検討が不可欠であると推察されること.