3 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1899年03月15日, 1899-03-15
著者
山口 仁
出版者
慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所
雑誌
メディア・コミュニケーション : 慶応義塾大学メディア・コミュニケーション研究所紀要 (ISSN:13441094)
巻号頁・発行日
no.67, pp.29-36, 2017-03

特集 : メディア・コミュニケーション研究における「マス」概念の再検討1 はじめに : 「ジャーナリズム」の認識論的な位相2 マス・コミュニケーションに対するジャーナリズム論的な視点3 能動性を持った「大衆(マス)」とマス・メディア, ジャーナリズム4 「支配的な」大衆(マス)は依然として存在しているのか?
著者
寺澤 捷年
出版者
一般社団法人 日本東洋医学会
雑誌
日本東洋医学雑誌 (ISSN:02874857)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.89-97, 2012 (Released:2012-10-04)
参考文献数
15

漢方は1875年に明治維新政府によって捨て去られるまで,我が国の医療の主流であった。1910年,和田啓十郎は『医界之鉄椎』を公刊し,西洋医学との協調の下に漢方を正当に評価すべきことを提唱した。今から丁度100年前,明治43(1910)年のことである。この著作に啓発され,漢方復興運動に取り組んだのが湯本求真であり,そして湯本求真の精神に共鳴したのが大塚敬節である。このように見ると,この『医界之鉄椎』が漢方の復興に果たした歴史的意義は甚大である。本稿では『医界之鉄椎』が発刊された当時の時代背景と,それから一世紀,我々の先輩は何を成し遂げたかを明らかにした。

3 0 0 0 秋田市史

著者
秋田市編
出版者
秋田市
巻号頁・発行日
1996
著者
若井 暁
出版者
公益社団法人 日本農芸化学会
雑誌
化学と生物 (ISSN:0453073X)
巻号頁・発行日
vol.53, no.8, pp.515-520, 2015-07-20 (Released:2016-07-20)
参考文献数
26
被引用文献数
1 1

微生物が金属材料を腐食する現象は,古くから微生物腐食として知られている.微生物腐食は,正に金属が患う微生物感染症と言える.1934年に微生物腐食に関する仮説が提唱されて以来,多くの研究者がこの問題に取り組んできた.しかし理論だけが先行し,疾患の原因とも言える腐食原因菌はなかなか同定されず,そのメカニズムも解明されていなかった.そのようななか,2004年Nature誌に新規腐食原因菌が報告されたことを端緒に,この10年間で次々と新規腐食原因菌が見つかり,研究が飛躍的に進んでいる.本稿では,微生物による金属腐食現象を微生物が引き起こす金属の感染症として捉え直し,今何が不足し,今後何を明らかにしていかなければならないのか解説する.
著者
恩田 雅和
雑誌
大衆文化 = Popular culture
巻号頁・発行日
vol.1, pp.75-81, 2009-03-25
著者
薬袋 秀樹 Hideki MINAI
巻号頁・発行日
2019-12

本研究の目的は、初めて公示された「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」(2001)における定量的規定の削除の背景となった内閣と文部省の方針はどのようなものであったかを明らかにすることである。関連資料を収集・分析した結果、生涯審答申(1998)と地方分権改革推進会議意見(2002)で基準の大綱化が提言されていること、後者は、ローカル・オプティマム実現の必要性を基に、生涯学習、社会教育に対する国の関与の見直しを提言していること、図書館関係者は、生涯学習、社会教育を振興するには意見の内容を十分検討し、対応する必要があることが明らかになった。
著者
北澤 直宏
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.47-61, 2017-06-03 (Released:2019-05-31)
参考文献数
23

本稿は、ベトナムの新宗教カオダイ教による社会活動を半世紀にわたり分析することで、教団が維持・拡大してきた要因を明らかにするものである。1920年代、フランス植民地下のベトナム南部で誕生したカオダイ教は、設立直後から善行を重視し、組織的な社会活動を展開してきた。しかし、教団発行の活動報告書を基に1940年代以降の活動内容及び費用の変遷を追っていくと、国家制度や社会の変化に伴い教団の社会活動が拡大してきた点は事実とは言え、実際に多くの資金・労力が投じられてきたのは、教団内の福利厚生の充実や関連施設の整備であった点が判明する。その理由として、①不安定な時期に教団存続を図る上では、富と力の誇示が不可欠であった点、②明確な布教手段を持たない教団が新たな人員を獲得するためには、政府をはじめとする教団内外に自らの権威を示す必要があった点を挙げることができる。