著者
甲斐村 美智子
出版者
一般社団法人 日本女性心身医学会
雑誌
女性心身医学
巻号頁・発行日
vol.14, no.3, pp.277-284, 2010
被引用文献数
1

本研究では,わが国の文化を考慮し新たに作成された自己肯定感尺度を用い,女子学生の初経教育時からの月経の経験と自己肯定感の関連について検討した.その結果,初経時に家族が祝福する態度を示す,肯定的月経観・積極的対処行動の促進,随伴症状の軽減により,自己肯定感が向上することが示唆された.これらのことから,初経は一つ上の発達段階に到達した重要な節目という意識をもち,祝福することの重要性が再確認された.さらに,月経問題を主体的に捉え積極的に対処するスキルが獲得できるよう,初経教育のみならず発達段階や月経の成熟に応じた月経教育を家庭・学校・地域が連携して行っていく必要性がある.
著者
赤林 隆仁 Takahito AKABAYASHI
出版者
埼玉学園大学
雑誌
埼玉学園大学紀要. 経済経営学部篇 = Bulletin of Saitama Gakuen University (ISSN:21884803)
巻号頁・発行日
no.14, pp.33-44, 2014-12

東日本大震災で住基・戸籍の両重要データが同時に失われた自治体におけるディザスタ・リカバリの実際について検証し、今後必要となる措置・対策に関する考察を行った。震災の経験に基づいて戸籍については国全体でバックアップデータを保持する仕組みが構築された。住基については自治体の状況によって媒体二重保管、レプリケーション、クラウドという対処方法があるが、広域同時災害に対処するにはその上で国または都道府県レベルでの集中バックアップ体制の構築が効果的であると考えられた。
著者
山本 百合子
出版者
福山市立大学
雑誌
福山市立女子短期大学研究教育公開センター年報 (ISSN:13485113)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.75-84, 2005

福山市の高齢者の実態調査を実施し,本報では生き甲斐と衣生活について検討した。[生き甲斐]1,男性は「労働」や「散歩」に,女性は「知識」や「楽しみの」領域の他,「労働」などの多くに生き甲斐を感じていた。2,前期高齢者は多くの生き甲斐をもっていた。後期高齢者は「信仰」に生き甲斐を感じていた。3,健康な人は多くの生き甲斐をもっていた。一人では外出できない人は男女とも「孫の成長」を楽しみにしていた。この他,女性は「一家団欒」や「おいしいものの飲食」を楽しみにしていた。[衣生活]1,「冠婚葬祭などは,儀式の場にふさわしい服装をする」や「下着は綿製品のものを買うようにしている」は男女とも意識が高かった。この他,男性は「ゆったりとした楽な服が好きである」,女性は「ボタン付け,すそあげなどは自分でする」,「自分の服は自分で買う」なども高意識であった。2,前期高齢者は「着る楽しみ」や「買う楽しみ」の領域の多くを意識していた。「前あきの服」や「楽な服」は後期高齢者の意識が高かった。[生き甲斐と衣生活]1,男性は生き甲斐の「労働」や「楽しみ」の領域と衣生活の4領域「買う楽しみ」,「着る楽しみ」,「手を動かす楽しみ」,「着心地」と相関が見られたが,女性はほとんど相関が見られなかった。
著者
藤井 義博
出版者
藤女子大学
雑誌
藤女子大学QOL研究所紀要 (ISSN:18816274)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.17-24, 2011-03

宣長の自らの墓地定めは、平田篤胤や本居大平の言動が示唆するように学者としての一貫性を危うくするかもしれない思想信念における齟齬なのか、それとも弟子たちでさえ容易に把握することができなかったその一貫性故の帰結なのか、本論はこの研究的疑問を追究する試みであった。宣長は、古事記伝のなかで、持ち去る火が遠ざかりつつ本の跡に及ぼす光の喩えでもって、死者の魂はこの世から穢い黄泉国に去り往かねばならない悲しい定めにあるものの、去りながらなおこの世に留まり得ることを述べたが、研究的疑問は死者の魂についての2つの解釈の違いに由来することが示唆された。すなわちアイデンティティーを有するもの(死者の魂は黄泉国に去るかさもなければこの世に留まる)と把握するか、あるいは死者の魂は、後に遺された親愛なる者や後世の人の生活事象において活発な社会的存在と影響を持ち続ける作因(agency)であると解釈するかである。そして後者の解釈を採用するときにのみ、宣長の言動における一貫性が確認されるように思われる。倭建命(やまとたけるのみこと)の魂が草那芸剣(くさなぎのつるぎ)にとこしえに留まっているように、宣長は造った奥つきに魂が永く留まることを希ったが、そのとき宣長は自らの魂が後世の人に及ぼす影響力を考えていた。いわば後世の人々に向かってまっすぐに伸びてゆく玉の緒のような志を宣長は抱いていた。そしてその象徴が、山室山のすばらしい風景のなかに造った奥つきであった。塚には山桜の随分花のよい木を吟味して植えてもし枯れたときは植え替えるなど、宣長の奥つき造りはすべて人として行なうべき限りを行なうという信念に基づいての行為であった。しかし自身の死後に、奥つきが永きにわたって世の人に作用力を保持するか否かは「神の御はからひ」によることから、奥つきの名が永く言い伝えられてこそ、自らのいのちは永続するであろうと宣長は推し量った。このように宣長は、自ら造った奥つきが、後世の人において新たな感覚と行動を生み出す味を保持し続けることを視野に入れていた。
著者
佐藤 睦浩 芥川 敦 星 一以
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育学会年会物理教育研究大会予稿集
巻号頁・発行日
no.22, pp.90-93, 2005-08-06

日本大学工学部のサイバーキャンパス整備事業の一環として、付属高校である日本大学東北高校の教員と生徒が物理に関するコンテンツ作成に協力してきた。その教材作成のまとめとして、北極付近から赤道付近までの地磁気の伏角測定及び極でのオーロラ撮影に、高校の教員2名が同行する機会を得た。その際に、緯度のちがいにより生じる特徴的な現象(地磁気の伏角、オーロラ、標準分銅の重さ、フーコー振子)を観測及び測定してきたので報告する。
著者
井口 篤
出版者
放送大学
雑誌
放送大学研究年報 (ISSN:09114505)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.63-68, 2011

本稿の目的は水村美苗の小説『私小説 from Left to Right』を言語とアイデンティティの観点から論じることである。『私小説 from Left to Right』は日本語と英語の二言語で書かれており、二言語のどちらにも共感できない水村の深い疎外感が作品には色濃く現れている。水村は多くの日本人読者を失う代償を払って小説に英語を織り交ぜるのだが、それは日本語と英語の二言語を受け入れつつも距離を取らざるを得ない水村の作家としての苦境を表現しようとしたものである。