著者
熊谷 直喜 山野 博哉 サンゴマップ実行委員会
出版者
一般社団法人 日本リモートセンシング学会
雑誌
日本リモートセンシング学会誌 (ISSN:02897911)
巻号頁・発行日
vol.38, no.2, pp.95-98, 2018-04-20 (Released:2018-10-28)
参考文献数
21

Coral reefs are threatened ecosystems, with global and local stressors such as excessive sea-surface temperature contributing to their decline. We review what kind of stressors can have an impact on coral bleaching and how open data can be utilized in predicting model of coral bleaching for local and regional reef management.
著者
桐原 隆弘 今井 敦 中島 邦雄 小長谷 大介 福山 美和子 熊谷 エミ子 増田 靖彦 西尾 宇広 稲葉 瑛司
出版者
下関市立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究はF・G・ユンガー『技術の完成』(1939年執筆、戦後に公刊)における技術論を哲学、ドイツ文学、エコロジー思想、科学技術史の各観点から総合的に検討することを目指した。同書の論点として、①機械論的自然観と有機的生命観/人間観/社会観との絡み合い、②技術による富/余暇の逆説的な減少過程、ならびに大衆のイデオロギーへの感染性および技術時代の戦争の全面戦争への展開、③富(存在および所有)と時間(生産および余暇)の理論を軸とするエコロジー思想の萌芽を読み取った。ユンガー自身が有するこれら複数の論点を照らし合わせる作業から、科学技術の公共哲学的意義をめぐる議論に新たな一石を投じることができよう。
著者
渡 正
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.22, no.2, pp.53-65, 2014

本稿の目的は、スポーツ社会学が質的研究を行う上で重要だと考えられる論点を提示することにある。それは端的に言ってそのスポーツ実践がもつ固有の論理を描くべきだという点に尽きるだろう。スポーツ実践固有の論理を見つめることによって、スポーツ実践の中に研究対象の「社会的なるもの」を描くことが質的研究のダイナミクスである。だが、これまでのスポーツ社会学は、こうした「スポーツ実践固有の論理」を描くことにどこまで自覚的だったろうか。<br> かつての機能主義的なスポーツ社会学においては、「スポーツを社会に従属するもの」と想定し、全体社会の変化や特徴がスポーツにそのまま反映されるという立場をとった。ここで採用されたスポーツと社会の関係性のありようは、今なお質的研究を行おうとする際に陥りやすいものでもある。そこで、スポーツ実践固有の論理を描いた最近の研究としてフィリピンのローカルボクサーと車椅子バスケットボール実践のエスノグラフィを取り上げた。<br> 前者は、スポーツ実践とそれが存立する社会的機制を問題化し、その交差点にボクサーの日常、つまりスポーツの経験があるとする。後者は、スポーツ実践のさなかに様々な「社会なるもの(the social)」が現出するとする。つまり、スポーツの経験とは、その実践の文脈における相互行為とし て達成されるものと捉える。いずれにせよ、この二つのスポーツ実践の質的研究は、当事者たちの実践が行われるその「固有の論理」に照準し、質的な調査や分析はその把握のために用いられている。 「固有の実践の論理」を描くことを重視する立場は、スポーツをとりまく社会的事実(社会構造や規範)を外挿することでスポーツ実践を説明しないという態度でもある。徹底して相互行為の中で/中からスポーツ実践を捉え、その実践の固有の論理を描くことが、スポーツの経験を社会学することなのだろう。
著者
杉山 正夫
出版者
JAPAN TECHNICAL ASSOCIATION OF THE PULP AND PAPER INDUSTRY
雑誌
紙パ技協誌 (ISSN:0022815X)
巻号頁・発行日
vol.52, no.1, pp.88-93,018, 1998
被引用文献数
1

従来, コート紙, 上質紙等の不良部分は人手をかけて選別しているが, 昨今平判の自動選別装置が開発されている。<BR>既製の装置については価格, 内容等で採用しにくい点もあり, 南千住製作所と共同でストリーク, スポットを主対象とする装置を開発した。主な特徴は,<BR>(1) 給紙部には, 紙折り機のノンストップ高速フィーダー採用。<BR>(2) 検出部は透過型1基 (スポット, 汚れ), 反射型2基 (ストリーク, シワ他-表・裏) の全幅CCDカメラ使用。<BR>(3) 検出ソフトは独自に開発, 集積度を高め検出力アップ。<BR>(4) 搬送部はSラップ方式, ベルトガイド採用。平坦面で検出可能。<BR>(5) オーバーラップ部には, スタートアンドトップ装置取付。<BR>稼動開始以降, 紙の安定走向と検出精度をアップさせ, 現在では64-157g/m<SUP>2</SUP>四六判が, 常用10.000枚/Hの高速で選別が可能となり問題なく稼動している。<BR>計画された数量を達成, 選別要員の削減効果もあげている。
著者
Nobutoyo Masunaga Mitsuru Abe Hisashi Ogawa Yuya Aono Syuhei Ikeda Kosuke Doi Yoshimori An Mitsuru Ishii Moritake Iguchi Masahiro Esato Hikari Tsuji Hiromichi Wada Koji Hasegawa Gregory Y.H. Lip Masaharu Akao on behalf of the Fushimi AF Registry Investigators
出版者
The Japanese Circulation Society
雑誌
Circulation Journal (ISSN:13469843)
巻号頁・発行日
pp.CJ-18-0872, (Released:2018-10-31)
参考文献数
28
被引用文献数
16

Background: The combination of oral anticoagulant (OAC) and antiplatelet drug (APD) increases the bleeding risk in atrial fibrillation (AF). Non-vitamin K antagonist OAC (NOAC) have been increasingly used since 2011. We investigated current status, time trends and outcomes of AF patients using combination therapy in 2011–2017. Methods and Results: The Fushimi AF Registry is a community-based prospective survey of AF patients in Fushimi-ku, Kyoto, Japan. Of 2,378 patients with OAC at enrollment, 521 (22%) received combination therapy, while 1,857 (78%) received OAC alone. When compared with OAC alone, combination therapy patients had more comorbidities, but approximately 30% had no atherosclerotic disease. From 2011 to 2017, the prevalence of combination therapy decreased from 26% to 14%. The prevalence of NOAC increased in those on combination therapy. Off-label under-dosing of NOAC increased year by year, especially in combination therapy. During follow-up, the incidence of major bleeding (hazard ratio [HR], 1.42; 95% CI: 1.03–1.95) and stroke/systemic embolism (HR, 1.48; 95% CI: 1.09–2.00) was higher in the combination therapy than in the OAC alone group. Conclusions: In Japanese AF patients receiving OAC, the prevalence of combination therapy decreased, with the proportion of NOAC use increasing in 2011–2017. Many patients, however, received off-label NOAC under-dosing, especially in the combination therapy group. Patients with combination therapy had higher incidences of major bleeding as well as stroke/systemic embolism, compared with OAC monotherapy.
著者
兼田 麗子
出版者
[出版者不明]
巻号頁・発行日
2006-10

制度:新 ; 文部省報告番号:甲2288号 ; 学位の種類:博士(学術) ; 授与年月日:2006/10/12 ; 早大学位記番号:新4336

2 0 0 0 主権原論

巻号頁・発行日
1885

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1901年03月01日, 1901-03-01

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1919年07月26日, 1919-07-26

2 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1898年07月25日, 1898-07-25
著者
堀内 一穂 柴田 康行 米田 穣 大山 幹成 松崎 浩之 箕浦 幸治
出版者
弘前大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

年縞堆積物中のベリリウム10を分析し, 同一の堆積物から得られた既存の炭素14記録や, 本研究にて新たに分析されたアイスコアのベリリウム10記録と比較することで, 最終退氷期の太陽活動変動曲線を抽出することに成功した.その結果, 太陽活動は退氷期の古気候変動を支配するものではないが, 気候変動イベントのトリガーには成り得ることが分かった.また, 古木から単年分解能で効率的に炭素14 を分析する手法や, 年縞堆積物から単年分解能でベリリウム10を分析する手法が確立された
著者
田中 福代 岡崎 圭毅 樫村 友子 大脇 良成 立木 美保 澤田 歩 伊藤 伝 宮澤 利男
出版者
社団法人 日本食品科学工学会
雑誌
日本食品科学工学会誌 (ISSN:1341027X)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.101-116, 2016
被引用文献数
12

リンゴみつ入り果と非みつ果の香味特性および香味成分のプロファイリングを実施し,嗜好性と香味成分との関連を検討した.みつ入り果の揮発性成分はメチルエステル類,エチルエステル類が特徴的に増加した一方,酢酸エステル類や炭素数3以上のアルコール由来のエステル類は減少した.可溶性成分ではソルビトール,スクロース,L-アラニン,ピログルタミン酸,デヒドロアスコルビン酸が増加し,グルコースが低下した.試算した甘味度積算値はみつ入り果がわずかに大きかった.官能評価の結果,'ふじ' のみつ入り果は全体的な香り,フルーティ,フローラル,スィートが顕著に強く,嗜好性も高かった.みつ入り果で特徴的に検出されたエチルエステル類等(特に2-メチル酪酸エチル,ヘキサン酸エチル,チグリン酸エチル,2-メチル酪酸メチル)は嗅覚による閾値が小さく,スィート·フローラルな,リンゴ·パイナップル様の香調を呈する.以上から,みつ入り果の嗜好性の高さは糖類よりもメチル·エチルエステル類を中心とした香気成分が強く寄与したものと示唆された.また,これらの成分はみつ部分における低酸素·高炭酸条件下の代謝により集積したものと推定した.
著者
呂 怡屏 Yiping LU ル イーピン
出版者
総合研究大学院大学文化科学研究科
雑誌
総研大文化科学研究 = Sokendai review of cultural and social studies (ISSN:1883096X)
巻号頁・発行日
no.13, pp.239-255, 2017-03

本稿の目的は、台湾において1999年に生じた大規模な地震である「九二一大地震」の後に作られた「九二一地震教育園区」と、2009年の台風に伴う土砂災害である「八八水害」の後に作られた博物館展示の内容を比較検討することである。前者が自然災害をもたらした環境と文化財への影響に対する意識を高め、後者がさらに台湾における原住民族の課題と深く関わってきたことを明らかにする。これにより、災害に関連して建設された博物館やその展示が、災害という課題だけでなく、地域の住民や民族集団のアイデンティティに影響を与えていく作用を有することを論じる。台湾では、1980年代に社会全体で民主化が進行した。人口の大多数を占める漢族系の住民に対して少数派であったオーストロネシア系の先住民である原住民族の間にも、「人権」、「土地権」、「自治権」、「言語・文化権」などへの意識が高まり、それらの権利回復を目的とする「原住民族運動」が社会運動として生じた。1994年の憲法改正により、原住民族の権利や文化を尊重することが求められるようになり、台湾各地で当地の民族の文化や歴史を展示するための地域原住民族博物館の建設が活発に進められた。1999年9月21日の九二一大地震以後、台湾の博物館は真剣に災害とその影響をテーマとして取り扱うようになった。このような中で、2009年、八八水害による自然的・文化的な被害が生じたことで、九二一大地震が起こった十年後、もう一度災害と人間の関係、そして被災地における文化と生活の再建への関心を人々の間に呼び起した。特に甚大な被害を受けた平埔原住民のシラヤ系タイヴォアン人の文化を再興するため、台湾の公立の博物館は、社会教育および文化保存・伝承を担う機関として、災害救援と文化復興に協力した。その中で、被災した小林村と同じ自治体にある高雄市立歴史博物館は、小林平埔族群文物館が完成するまでの準備と企画に取り組んだ。小林平埔族群文物館の常設展示の企画チームは被災者の意見を取り入れ、村の歴史を踏まえたうえで、昔の小林村の生活を再現することにした。展示の企画立案の過程と、実際に完成した展示は、現地住民の民族的アイデンティティを呼び起こすことに影響を与えたと考えられる。筆者は本論を契機として、開館後の文物館と村民とのコミュニケーション、および展示の中に盛り込まれなかった災害をめぐる経験と記憶の継承のありかたを研究課題として注目し続け、さらなる検証を重ねていきたい。This study focuses on the establishment of museums after natural disasters and the exhibitions held there. Using the exhibitions in Earthquake Museum of Taiwan and Shiaolin Pingpu Cultural Museum as case studies, this paper examines the process of planning exhibitions after natural disasters, while also investigating the construction of ethnic identity among the Pingpu indigenous people.After 1980s, along with the democratization of Taiwan society, indigenous people started to assert their rights, such as human rights, land rights, cultural and linguistic rights, and the right to autonomy. Through these movements, the Taiwanese population became well aware of the issues concerning the rights of indigenous people. In 1994, the rights of the indigenous people were included in Article 10 of Additional Articles of the Constitution of The Republic of China. Following this trend, in the late 1990s, the Council of Indigenous people founded 30 museums exhibiting the culture of the regional indigenous people in order to give a presentation of indigenous culture and history within those local societies.After the 1999 Jiji earthquake, museums in Taiwan started touching upon issues of natural disasters and their impacts. In this period, museums focused on rescuing items of cultural heritage and repairing historical architecture, but did not pay much attention to the relationship between natural disasters and indigenous people. But ten years later, Typhoon Morakot destroyed many towns and took many lives, especially those of the indigenous peoples. It forced the museums to reconsider what the role of the museum was in this case, as an institution of social education. After the typhoon, public museums both near and far from the stricken area have devoted themselves to rescuing items of cultural heritage, and also to helping victims to weather the hard time after the disaster. Furthermore, the government announced its decision to create the Shiaolin Pingpu indigenous museum, to commemorate this disaster and revive the Pingpu culture of Shiaolin village.In creating its permanent exhibition, the Shiaolin Pingpu Cultural Museum listened to and adopted the villagers' suggestions, as well as using regional history to offer a representation of the lifestyle in Shiaolin Village in the past. Through this process, we are able to observe the gradual formation of ethnic identity of the Pingpu people in Shiaolin Village. The next challenge for the Shiaolin Pingpu Cultural Museum is to interact more with the local residents, and to record narratives about the disaster which are not included in the permanent exhibition.