九尾狐 (@draco_equus33)

投稿一覧(最新100件)

RT @n_Fushimi_243: @draco_equus33 そういえば、吉祥の方はあまり聞きませんねえ。九尾男性ver.も聞かないかも。 https://t.co/0DCCEHOAll しっぽ9本はモフモフパラダイスよね~

2 0 0 0 OA 百扇帖

『百扇帖』は国デジで読むことができます。 https://t.co/r0gOqe75oC こちらは日仏会館のHPより、ポール・クローデル駐日フランス大使着任100周年記念ビデオです。この動画で紹介されている皇居のお堀を歌った詩は私のお気に入り。彼の詩をもっと読みたいな…

2391 0 0 0 OA 雪華図説

いろんな雪の結晶が載っている『雪華図説』は、国デジで読むことができます。 https://t.co/MnZBditdQx
@draco_equus33 国立国会図書館デジタルコレクションの『いはゆる天誅組の大和義挙の研究』です。 https://t.co/FLEv8JuKdZ
@draco_equus33 5月22日、鎌倉幕府(北条氏)滅亡。 北条高時は菩提寺の東勝寺にて、北条一族や家臣らと共に自刃。 国立国会図書館デジタルコレクションから
@draco_equus33 5月18日、新田義貞軍、鎌倉稲村ヶ崎に至る

4 0 0 0 OA 神人と魔人

RT @nagisanoyuki: 随分と前に春嶽公の名前で検索してひっかかった本。昨晩副島さん付近をウロウロしていたら再び行き当たったので、改めて目次を確認したらなんだか面白そうな人選でした。時間あるときに通読してみようかな。 https://t.co/HNiGD1DSpt…
RT @kyubunken: 長野 栄俊氏「予言獣アマビコ考--「海彦」をてがかりに」(若越郷土研究 49(2), 1-30, 2005-01) https://t.co/vilBwXBx1k わかりやすく整理されてたのはこちらです(*´∇`*) #お家で歴史充
RT @happymnt: 「桂川甫賢筆長崎屋宴会図について」神田外語大学学術情報レポジトリasKUISに掲載された。https://t.co/oVTVEpXHzc
RT @machi82175302: 拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 」(日本研究所主催講演会 要旨)は以下でダウンロード可能です

11 0 0 0 OA 〔江戸切絵図〕

嘉永2年らしき地図だと、築地本願寺寄りの敷地(築地テラスあたり)に水野の字が読めるんだけど…

お気に入り一覧(最新100件)

宮間純一さんから『明治太政官文書を対象とした分散所在史料群の復元的考察に基づく幕末維新史料学の構築』(東京大学史料編纂所研究成果報告、JSPS科研費研究成果報告書)をご恵贈いただきました。ありがとうございました。貴重な成果報告、じっくり勉強させていただきます。 https://t.co/iHwourvDKY
佐藤大介・青葉山古文書の会編「丸吉皆川家日誌 幕末維新編」を刊行いたしました。全文のPDFファイルを、東北大学機関リポジトリで公開しています。多くのかたにご活用いただければ幸いです。 #仙台藩 #古文書 https://t.co/CjLA7GqKaf https://t.co/QYbeAMUFOV
拙稿「慶応期後半の中央政局と薩摩藩―幕薩・薩長融和と薩英戦争を中心に」(『神田外語大学日本研究所紀要』15号)は「KUIS学術情報リポジトリ」で公開されました。 https://t.co/AMFvBExx7b
知野文哉氏の博士論文「土佐明治維新史とその歴史意識の形成-坂本龍馬を中心に-」。読み応えがある。 なお知野氏には、著書『「坂本龍馬」の誕生』(人文書院)や、論文「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)、「瑞山会考」(『土佐史談』274)などがある。 https://t.co/zfid4b1L5f
『山海経』に始まり『准南子』に至るまでの春秋戦国期から漢代初期の中国の諸文献に散見する西王母とセ ミラミス伝説を対応させ、後者が前者に与えた影響を 論じてきた~ オリエント/31 巻 (1988) 1 号 森雅子 日本オリエント学会 J-STAGE Articles - セミラミスと西王母 https://t.co/oUsBPSpo7r
@draco_equus33 そういえば、吉祥の方はあまり聞きませんねえ。九尾男性ver.も聞かないかも。 https://t.co/0DCCEHOAll しっぽ9本はモフモフパラダイスよね~
#川崎浮世絵ギャラリー 「楊洲周延展」にちなみ、周延が戊辰戦争に参戦した時の関連資料を紹介。PDFダウンロード可。 主題:楊洲周延と神木隊について 副題:手記『夢もの語』に記された箱館戦争での記録 著者:鈴木浩平(美術史家) https://t.co/GfbCV6oDSb

2 0 0 0 OA 太陽暦起原解

太陽暦起原解 - 国立国会図書館デジタルコレクション 月食、暦つながりで。、 著者の杉浦為充は実は京都一力亭主人の杉浦治郎右衛門。平田国学の立場で太陽暦普及を促した啓蒙書です。 https://t.co/crMRhVGout
後醍醐天皇から賀名生堀家に下賜されたと伝わる駅鈴の紹介 #南朝 #こんな論文が出ていたようです 伊藤純「賀名生に伝わる鬼面駅鈴」(『奈良学研究』24、2022年2月) https://t.co/wNnZF8ms6C

3 0 0 0 OA 東京市史稿

運上所が新政府から東京府ヘ移管されるにあたり、修繕やらの入用明細が『東京市史稿. 市街編50』に載っています。 築地居留地の警衛に動員されていた別手組や新田官軍もちらほら登場

11 0 0 0 OA 水府名家手簡

いっそこれくらい振っ切れてると、読めなくても楽しいんですけどねえ

3 0 0 0 OA 官武通紀

>RT 玉虫左太夫は『官武通記』の編者ですね。 黒駒勝蔵による甲府城襲撃計画(風聞)は、ここに収録されています。 メモ魔な玉虫に感謝
図録『こくぶんけん〈推し〉の一冊』 『武鑑』推しはやはり藤實久美子先生ですね
調べ物の途中、小沢詠美子「三井越後屋と為替方~天明期の贈答をめぐって」を読む。 為替方役人の“おねだり”や、三井が砂糖ビジネスに意欲を示していたことなどが興味深かった。今更ながら、「荒物」「小間物」の具体例が分かったのが大きな収穫でした
大正2年2月17日、坂崎紫瀾(坂崎斌)が死去。坂本龍馬を主役に据えた小説『汗血千里の駒』の作者で、瑞山会の『維新土佐勤王史』の執筆も担当した。知野文哉「坂崎紫瀾と土佐明治維新史の形成」(『鷹陵史学』46)は、土佐の維新史を語る上での坂崎の重要性について考察。 https://t.co/llVIzrnJpP
「恋愛は十二世紀の発明」は歴史家シャルル・セニョボスの言葉として広く認知されていますが、専門家の間では出典がよく分からない言葉として知られています。この問題は(日本語で読めるものだと)片山先生の論文で取り扱われています。 https://t.co/a5phZq2UnD

1 0 0 0 OA 亡友帖

長谷川鉄之進の話題になったので調べたところ、 「亡友帖」(国デジ:石田英吉関係文書1-19) https://t.co/TqeZt0IELq 慶応4.5.23建白〔王師討賊の事〕(北の丸:建00001100) https://t.co/ffx1azHG17 などを発見。「亡友帖」は時期が慶応3年冬の上京途中なのが興味深い。

4 0 0 0 OA 春岳遺稿

@draco_equus33 九尾狐さんも訪れてらしたんですね!ありがとうございますー☺️新緑の季節もきっと見事なはず。見てみたいです
拙論「聖トマス・ベケットの約束と巡礼地の誕生―ポンティニーの聖エドマンド崇敬をめぐる論争―」がリポジトリで公開されていました。ご関心のある方はどうぞ。https://t.co/8a5f1hTvr6
田中美穂「島のケルト」再考 https://t.co/rt3c18BHxB この論文にその辺りの事が載ってましたね。 https://t.co/IiCj5b2NHU

22 0 0 0 OA 斃休録

彰義隊は成一郎と天野八郎のあいだで内部対立があって、成一郎たちは彰義隊と袂を分かつ。天野の史料については以下のものがある。 https://t.co/fhAd4Sc4RQ

43 0 0 0 OA 猪飼勝三郎届書

国会図書館憲政資料室所蔵「川村正平(恵十郎)関係文書」の「猪飼勝三郎届書」。 平岡円四郎が刺客に襲われたことを知らせる史料。 渡辺甲斐守の旅籠よりの帰路に襲われ、深手を負ったとある。 https://t.co/jPxUBSIutI #青天を衝け

12 0 0 0 OA 続再夢紀事

容堂公が老中部屋に出入りしていたならそこで会うことはありそう。春嶽公は政事総裁職のとき別に控え室貰ってたみたいなので、そこで面会していたのか、又は城内に大名同士向けの面会スペースがあった?例えば梅屋敷事件の後周布さんの赦免を説得した場所はどこだったのかな。 https://t.co/jBt1lTBhUz https://t.co/Z6gBT8t93d https://t.co/vAgBuctbdQ
川村正平関係文書56-42「私党人名書上げ」より 円四郎殿(平岡) 嘉兵衛殿(黒川) 作十郎殿(長谷川?) 勝三郎殿(猪飼) 亨造殿(榎本) 恵十郎(川村) このあたりが神メンという認識でよろしいでしょうか。 https://t.co/VsdTXrKtRd https://t.co/FOrciJvicS

1 0 0 0 OA 口上覚

皆さん呟かれていた国図の川村正平関係文書、落合直亮の上書もありました。小仏関所の武器類が古く破損しているから修繕して!というもの。弓矢・鉄砲・六尺棒・捕縄などがその対象ですが、なかなか古典的

11 0 0 0 OA 御届

平岡さん暗殺の件を記した川村さんの報告書。ここにも柏原学而の名前が出てくる。川村さんの字はあまり崩れてなくて私でもそこそこ読めるので、書かれている内容が分かってしまって尚更ツラい…
昭和54年(1979年)5月17日、平尾道雄が死去。幕末維新の土佐藩や坂本龍馬などの研究で知られ、その一連の研究は良くも悪くも、「今日まで土佐藩研究の礎と評される」(笹部昌利「幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化」『京都産業大学日本文化研究所紀要』26、2021年)。 https://t.co/WvTSa3GYHr
今からちょうど156年前、慶應1年4月25日、「浪士坂本龍馬「直柔・元高知藩士」大坂を発し、鹿児島に向ふ。五月朔日鹿児島に著す」。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)で詳述。 https://t.co/nAmxbsCper
この間の事情にご関心がある方は、拙稿「安政東海地震とプチャーチン : ディアナ号の遭難と日露友好 (日本研究所主催講演会 要旨)」をご参照ください。#青天を衝け https://t.co/4aFWiVFAYN
CiNii 論文 -  渋沢栄一の運命を変えた平岡円四郎 https://t.co/oncxXfXltD #CiNii
「武家年中行事」によると今日は「七種之御祝儀」ということで、大名たちは熨斗目麻裃をつけて登城したそうです。春嶽公が福井藩主として初めて「七種之御祝儀」で登城したのは、天保11年の正月7日、数え13歳のときでした。 武家年中行事 https://t.co/cRHkOwBqsb 家譜慶永 https://t.co/4Kr1ahqJA8 https://t.co/ko4j0dJxEk
探しものをしていたら、全然違うところで春嶽公の逸話を発見。容保公は牛乳嫌いだったそうですが、春嶽公は愛飲してたっぽい。團野の牛乳屋って福井だけじゃなくて東京にもあったの? 文部大臣を中心として評論せる日本教育の変遷 https://t.co/D86WT5OeAj https://t.co/PGZivHyISa

4 0 0 0 OA 神人と魔人

随分と前に春嶽公の名前で検索してひっかかった本。昨晩副島さん付近をウロウロしていたら再び行き当たったので、改めて目次を確認したらなんだか面白そうな人選でした。時間あるときに通読してみようかな。 https://t.co/HNiGD1DSpt https://t.co/rtMcN1pSo5
数年前に読もうと思ったまますっかり失念していた論文の存在を思い出したので、今週中に読もう。 明治三年二月の「大學規則」における「教科」について : ドクトル・ベルリンの学校改革案とのかかわりをめぐって https://t.co/PN2IRMJc4V

5 0 0 0 OA 維新史談

「維新史談」によると、容堂公は口を漱ぐのにポン酢を用い、蚊を燻すときには蒼朮を焚いていたようですが、容堂公を気に入らない人は「公は口を漱ぐのに味醂を使い、蚊を燻すのに沈香を使う」と言ったとか。それを聞いた容堂公の言葉が、いかにも酒好きのら容堂公らしい。 https://t.co/EnZJxi54gT https://t.co/1iU04riLMf
@draco_equus33 @ambujam10 @osho184064 https://t.co/GmPnLRKw8f よろしければこちらもどうぞ
明治32年5月8日、村田氏寿が死去。幕末の越前福井藩士で、『続再夢紀事』の編纂者。勝海舟が神戸に私塾を開く資金の援助を松平春嶽に求める際、門弟の坂本龍馬に託したのが、村田宛の書簡だった。吉田健「文久三年の龍馬と福井藩」(『福井県文書館研究紀要』8)参照。 https://t.co/UOawCo1JaQ
今からちょうど155年前、慶應1年4月25日、「浪士坂本龍馬「直柔・元高知藩士」大坂を発し、鹿児島に向ふ。五月朔日鹿児島に著す」。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)で詳述。https://t.co/nAmxbsCper
土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西友輔らの関連史料も紹介。 https://t.co/xCZeOthyRO
明治20年3月7日、黒田長溥が死去。薩摩藩主・島津重豪の子で、幕末の筑前福岡藩主。蘭癖と呼ばれた大名の1人。慶応元年に加藤司書や月形洗蔵らを弾圧した「乙丑の獄」について、西尾陽太郎「黒田長溥と筑前勤王派」(『史淵』98、1967年)をネット上で読むことができる。 https://t.co/fYc8wN3o4w
国際忍者学会会誌『忍者研究』第1号に掲載された拙稿が、今日からJ-STAGEで公開開始です。 J-STAGE Articles - 福井藩の忍者に関する基礎的研究 https://t.co/HMlddBam4K 藤田達生先生の「伊賀者・甲賀者考」ほか、同号掲載の記事も読めます。
長谷川栄子「岩倉使節団成立過程の再検討-『岩倉具視関係史料』所収の新出書簡を用いて-」(熊本学園大学論集『総合科学』19巻2号 2013年) https://t.co/Fp7Dw3y0TB 2013年に刊行された『岩倉具視関係史料』所収の岩倉使節団編成に関わる数点の新出書簡を分析し使節団成立過程の問題を検討した論稿。
1894年1月22日、モンブラン(ベルギー貴族)が死去。五代友厚と頻繁に交流するなど薩摩藩と関係が深く、パリ万博への薩摩藩の参加に協力。一時期、明治政府からパリ総領事に任命された。文献に、宮永孝「ベルギー貴族モンブラン伯と日本人」(『社会志林』47-2)など。 https://t.co/WoNCjRFMVx

236 0 0 0 OA 維新史料綱要

@darbyz80 @letrainblue811 慶応三年二月二十一日の「幕府、征夷大将軍徳川慶喜の音称『よしひさ』を布告す」 https://t.co/tIkthFsCtB これ「布告す」であって「改む」ではないところが味噌で、外国との書面取り交わしではローマ字表記も必要なので確認のため「布告」してるんじゃないかな。
五代くんと渡辺昇の接点ぐぐってたらこのようなものに行き当たった。五代くんが持ちかけた商社計画に関して、木戸さんが昇をパシッている/CiNii 論文-薩長商社計画と坂本龍馬:坂崎紫瀾の叙述をめぐって(<小特集>江戸・幕末、近代の日本) https://t.co/YwOaOalKLK

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