著者
佐々木 陽 久保田 史 高橋 亨 梅津 芳雄 成田 榮一 森 邦夫
出版者
公益社団法人 高分子学会
雑誌
高分子論文集 (ISSN:03862186)
巻号頁・発行日
vol.54, no.5, pp.316-324, 1997-05-25 (Released:2010-03-15)
参考文献数
8
被引用文献数
1 1

硫化水素型合成温泉水 (湯花の抽出溶液) を用い木材を長時間煮沸処理すると, 蒸留水で処理した場合よりも, 重量の減少が大きく, 空隙率の高い木材が得られた. その時の抽出溶液を液体クロマトグラフで分析した結果, 針葉樹ではアラビノース, キシロースが, 広葉樹ではキシロースが確認され, いずれも合成温泉水処理した溶液で顕著に認められた. 抽出された糖類は木材の非晶部分であるヘミセルロースが加水分解されたもので, 合成温泉水処理によりさらに分解が進んだ結果と考えられる. スギの100時間煮沸処理では, ホロセルロースが蒸留水の場合約18%, 温泉水の場合22%減少し, また, リグニンはこれらの処理において, 見かけ上前者で18%, 後者で20%増加していることから, 熱水処理によるリグニンの分解溶出は認められなかった. 合成温泉水処理により, 水溶性の非晶部分が加水分解されるため, 水に対する木材の膨潤性が改善され, 寸法安定に優れた木材が得られることが分かった.
著者
南雲 清二 佐々木 陽平
出版者
日本薬史学会
雑誌
薬史学雑誌 (ISSN:02852314)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.11-20, 2012 (Released:2021-07-02)

We are studying how cinchona, one of the most important medicinal plants, was introduced and cultivated in Japan. As part of this research, here we report on cinchona cultivation at the Koshun nettai syokubutu syokuikujo (Hengchun Tropical Plant Cultivation Farm; now the Hengchun Branch of the Taiwan Forestry Research Institute) in Taiwan, which was under Japanese colonial rule from 1895. The Koshun-nettaisyokubutusyokuikujo was established in 1901 by the Governor-General of Taiwan at Hengchun in southern Taiwan, as a cultivation facility for useful plants. The person who directly conducted the construction and operation of the facility was Yasusada Tashiro. For approximately ten years (1901-1910), he strived to construct the cultivation farm and grow plants of economic value. Among many plants of which cultivation attempts were made was cinchona. Tashiro was also the first person in Japan who attempted to cultivate cinchona (in 1882) and thus, his attempt to cultivate cinchona in Hengchun, Taiwan, was the second chalenge for him. With the cooperation of Motoo Higuchi, a staff with outstanding skills in cultivation, Tashiro began to see the prospects for cinchona domestication. However, Higuchi was suddenly fired from his job at the cultivation farm. In the aftermath, cinchona seedlings that they had cultivated up to that time gradually started to wither and subsequently, cinchona cultivation at the cultivation farm ended in failure. Tashiro was disappointed; nevertheless, the technical experience gained from cinchona cultivation at the cultivation farm was very valuable and proved to be greatly useful later in life.
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Yoko Sasaki
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.1-14, 2013-07

本稿は、義親の介護を担う「介護嫁」の孕む問題を、以下の二点に焦点をあて論じる。一つは、厚生労働省などの公的データーに依拠し、「誰に介護を希望するか」の期待値と「誰が実際には介護を担っているか」の現実値のギャップが「嫁」についてはいかに大きいかを捉え、それを介護労働の無償性との関連で考察する。いま一つは、相対的に高齢な「介護嫁」は夫に代わって義親を介護する事を自明視する心性を内面化しながらも、親身にまた長きにわたり介護者となっても、法定相続人にはなれないとの法の孕む問題を考える。法律レベルでは、「嫁」の介護労働の無償性に対し、いくつかの救済の道が用意されている。例えば、遺言や生前贈与あるいは養子縁組をし法定相続人になることで、嫁の介護に対する財産的保障を担保したり、また「嫁」に介護を丸投げしてきた義理の兄弟姉妹に遺産相続がなされる場合、彼らに不当利得返還請求を行う事などがあげられる。だが、法律が想定する人間類型は、明確な権利主体として自己決定しうる自立した人間を前提としている。権利を行使しないのは、その人間の自立心のなさゆえであるとの見方を「介護嫁」にあてはめることの過酷さを考えたい。
著者
佐々木 陽 鈴木 隆一郎 堀内 成人 松宮 和人 荒尾 雅代
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.20, no.5, pp.610-616, 1977-09-30 (Released:2011-08-10)
参考文献数
17

Prediabetesへのアプローチの一方法として, 3歳3ヵ月で発病した小児糖尿病の血縁者で, 祖父母の同胞およびその子孫までに至る61名中55名の検査を行い, その糖代謝およびIRI反応について検討した.1) 糖代謝異常は55名中14名 (25.5%) にみられ著しく高率であった.これを患児の4親等以内の血縁者 (Group I) と5親等以上のもの (Group II) の別にみると, Group Iにやや頻度が高く, とくに0~19歳の若年層で7名中2名に糖代謝異常がみられた.平均血糖値は0~19歳の年齢層を除いて, 両Group間にとくに差はみられなかった.2) 糖代謝の正常な35名についてIRI反応を両Groupで比較すると, 患児と血縁関係の近いGroup Iでは血縁関係の遠いGroup IIに比しIRI反応が低く, またすでに報告したインスリン分泌の指標, IRI面積/血糖面積比も低下する傾向のあることが認められた.以上の結果, 糖尿病患児の糖代謝正常な近親者でもIRI反応が低下しており, prediabetesにおけるインスリン分泌の減退が示唆された.
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Yoko Sasaki
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.1-14, 2016-07-01

日本とメキシコとは14時間もの時差があり遠く離れている。しかし、死者に飲食物を供える習俗を共有している。西欧の献花台にあるのは、ろうそくと花のみで、西欧の合理主義的見地からは「死者は食べない」と言われる。日本では、死してものどが渇き飢える死者・像が受容される。日本のお盆では今もって一部の地域では墓前飲食が行われている。メキシコの11月1日・2日の「死者の日」は、お盆同様に死霊を墓で歓待し飲食物で迎える。日本では迎え火をたいて霊魂が迷わないようにと、メキシコではオレンジ色のマリーゴールドの花びらを墓から家路までまいて死霊が迷わずに到着できるように配慮され、死者は家人に招き入れられる。日本との類似性を見出しつつも、メキシコではガイコツのお菓子・おもちゃが充満し、「死を笑う心性」「死しての平等」の譜誰と歪んだ平等性は、メキシコの歴史と深い死生観に根差していることを考えさせられる。
著者
南雲 清二 佐々木 陽平 竹下 一夫
出版者
日本薬史学会
雑誌
薬史学雑誌 (ISSN:02852314)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.21-30, 2012 (Released:2021-07-02)

We are studying how cinchona, one of the most important medicinal plants, was introduced and cultivated in Japan. We already mentioned that in the process, two cultivation attempts were made: the first in Japan in 1882, and the second in the Taiwanese town of Hengchun in approximately 1900, when Taiwan was under Japanese colonial rule. Yasusada Tashiro was behind those two cinchona cultivation attempts; however, they both ended in failure. Later, Tashiro became an employee of Hoshi Pharmaceutical Co., Ltd. and in 1922, succeeded for the first time in cultivating cinchona at the company-owned cinchona field in Taiwan. This third challenge for him finally led to success. Hoshi Pharmaceutical went on further to produce cinchona bark from the cultivated tree for the first time in 1934, and also succeeded in extracting quinine from the bark. This was a historic feat in the Japanese pharmaceutical industry, completing an entire process from cinchona cultivation to quinine manufacture all within the confines of the country. In this report, we describe the historical background and involvement of Yasusada Tashiro, who was instrumental to the success of cinchona cultivation in the company. Furthermore, we reveal that a log of unknown origin, which had been left untouched for years at Hoshi University, was the cinchona log from the time when Hoshi Pharmaceutical succeeded in the cultivation.
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Yoko Sasaki
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.1-15, 2015-10-01

「老い」から「死」への連なりは、我々の多くが辿ることになる道程である。だが、特殊な場合を除き、若さとは「老い」も「一人称の死」も忘却して生きることのできる特権的時代であり、若者の時間は未来にある。それに対し、老人の時間は過去にある。近年、ボーヴオワールの『老い』の翻訳本が、40年ぶりに新装版として再出版された。本書は、「老い」をめぐる通時的・共時的な先行研究の宝庫であり、民族学、文学、社会学、文化人類学などの知見を用いて「老い」を鳥撤的に描き出す。老いに付きまとう孤独感や不安は、人間存在の実存的な問いを投げかけつつも、階級などの変数によって「老い」のあり様の差異をも告発する。現代社会における若さの賛美は、裏を返せば「老い」の隠蔽であり、さらには、「一人称の死」の不可視化にも連なる。だからこそ、今「老い」を改めて問い返すことに意味があると考える。本稿の「老い」の考察を通じて、その後、棄老物語分析へと繋げていきたい。
著者
佐々木 陽子
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.13-26, 2016-10-01

「棄老研究」の4種のアプローチ(民俗学・法理学・文学・映像作品)のうち、本稿は文学的アプローチに光をあてる。民俗学は棄老習俗が実在しなかったとしているが、文学的想像力は「老いと死」の深淵を問いかけるテーマとして、棄老を繰り返し登場させている。本稿では戦後の棄老文学の代表作ともいえる、深沢七郎の『楢山節考」、村田喜代子の「蕨野行』、佐藤友哉の『デンデラ」の3作品を扱う。労働力として役立たずの老人を棄てることで、赤貧の村は生き延びる。この棄老の掟は主人公の老婆たちに受容され、棄老地での死は宿命として甘受される。3作品が描き出す絵柄は異なるが、主人公の老婆たちの棄てられることに対するものわかりの良さ、浄土への憧慢と共振することで死を厭わない心性が生み出されることなどが共有されている。本稿では、舞台の空間構成、主人公の死生観、「棄老」のしくみなどを変数に、3作品を比較考察する。
著者
佐々木 陽子
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.1-14, 2016-07-01

日本とメキシコとは14時間もの時差があり遠く離れている。しかし、死者に飲食物を供える習俗を共有している。西欧の献花台にあるのは、ろうそくと花のみで、西欧の合理主義的見地からは「死者は食べない」と言われる。日本では、死してものどが渇き飢える死者・像が受容される。日本のお盆では今もって一部の地域では墓前飲食が行われている。メキシコの11月1日・2日の「死者の日」は、お盆同様に死霊を墓で歓待し飲食物で迎える。日本では迎え火をたいて霊魂が迷わないようにと、メキシコではオレンジ色のマリーゴールドの花びらを墓から家路までまいて死霊が迷わずに到着できるように配慮され、死者は家人に招き入れられる。日本との類似性を見出しつつも、メキシコではガイコツのお菓子・おもちゃが充満し、「死を笑う心性」「死しての平等」の譜誰と歪んだ平等性は、メキシコの歴史と深い死生観に根差していることを考えさせられる。
著者
佐々木 陽子
出版者
地域総合研究所
雑誌
地域総合研究 (ISSN:09142355)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.39-53, 2013-02-28

This paper uses a case study of Makurazaki City and clues obtained from local surveys ofpublic cemeteries conducted in the surrounding area to consider the meanings contained in the"public" of public cemeteries and the kinds of mentalities inherent in hakamairi (visiting the family grave). Having alluded to the relationship among kagezen (a tray of food for temporarily absent people), osonae (an offering to the dead—people who will never return), and hakamairi, all ofwhich are customs that conceal gender, this paper further examines how, in its capacity as anaction that is highly visible among others in the public sphere, hakamairi relates to changes inthe significance of the "public" in public cemeteries, as well as the kinds of mentalities peoplehave when praying for the dead. Furthermore, it presents the possibility that hakamairi helps todevelop among people a shared mentality of public cemeteries being shared resting places forboth the deceased with whom one was close with during their lifetime and those with whom onewas not, and as places where one also prays for a diverse range of people.
著者
佐々木 陽子 SASAKI Yoko
出版者
現代民俗学会
雑誌
現代民俗学研究 = Journal of Living Folklore (ISSN:18839134)
巻号頁・発行日
no.4, pp.25-38, 2012-05

The objective of this paper is to explore the meaning contained in the apparently irrational act of preparing food that will never be consumed by the persons for which it is intended, based on a survey of the views of 75 persons with regard to the acts of kagezen (a tray of food for temporarily absent people) and o-sonae (an offering to the dead—people who will never return). The study revealed that kagezen, which is thought to have been a custom related to war, is still practiced, and that o-sonae functions as a mechanism for sharing food with closely related deceased and conversing with them. O-sonae appears to be used by the living as a means of expressing the thought that they will not forget closely related deceased. The institutionalization of o-sonae also appears to help the living to avoid nihilistic thoughts by furnishing a peaceful image of the deceased and encouraging them to believe in the happiness of the deceased in the next world.
著者
石原 里美 有泉 裕嗣 矢持 淑子 塩沢 英輔 佐々木 陽介 瀧本 雅文 太田 秀一
出版者
昭和大学学士会
雑誌
昭和医学会雑誌 (ISSN:00374342)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.71-78, 2011-02-28 (Released:2011-09-01)
参考文献数
28

成人T細胞性白血病/リンパ腫(adult T-cell leukemia/lymphoma; ATLL)は, 臨床的にヒトT細胞好性ウイルス(human T-cell lymphotropic virus type-1; HTLV-1)感染細胞のモノクローナルな増殖を証明しない限り,組織形態学的には末梢性T細胞リンパ腫–非特定型(PTCL-NOS)との鑑別は困難である.しかし免疫組織学的にATLLとPTCL-NOSの発現に違いがあれば,HTLV-1の感染情報がない場合でも,両者の鑑別が可能と考えられる.1983年11月~2009年9月末までに昭和大学病院でWHO造血器・リンパ系腫瘍分類第4版に基づきATLL又はPTCL-NOSと診断された37例のホルマリン固定パラフィン包埋組織切片を免疫組織化学的に以下の抗体を用いて発現の違いを検討した.CD7,CD25,CD56,CCR4,TIA-1においてATLLとPTCL-NOS間で有意差が認められた.ATLL症例は全例でCD7の減弱が見られた.CD25はATLL症例の72%で陽性で,PTCL-NOSより有意に多かった(P=0.005).CCR4はATLL症例の72%で陽性で,PTCL-NOSより有意に多かった(P<0.001).PTCL-NOS症例はATLL症例に比べてCD56,TIA-1陽性例が有意に多かった(CD56,P=0.01; TIA-1,P=0.03).以上より,ATLLとPTCL-NOSを鑑別する上でCD7,CD25,CD56,CCR4,TIA-1の免疫組織化学検索が有用と考えられた.またATLLのCD25およびCCR4発現率は高く,ATLLの治療法として抗CD25抗体,抗CCR4抗体の有効性が期待された.
著者
佐々木 陽子 ササキ ヨウコ Sasaki Yoko
出版者
鹿児島国際大学福祉社会学部
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.13-26, 2016-10-01

「棄老研究」の4種のアプローチ(民俗学・法理学・文学・映像作品)のうち、本稿は文学的アプローチに光をあてる。民俗学は棄老習俗が実在しなかったとしているが、文学的想像力は「老いと死」の深淵を問いかけるテーマとして、棄老を繰り返し登場させている。本稿では戦後の棄老文学の代表作ともいえる、深沢七郎の『楢山節考」、村田喜代子の「蕨野行』、佐藤友哉の『デンデラ」の3作品を扱う。労働力として役立たずの老人を棄てることで、赤貧の村は生き延びる。この棄老の掟は主人公の老婆たちに受容され、棄老地での死は宿命として甘受される。3作品が描き出す絵柄は異なるが、主人公の老婆たちの棄てられることに対するものわかりの良さ、浄土への憧慢と共振することで死を厭わない心性が生み出されることなどが共有されている。本稿では、舞台の空間構成、主人公の死生観、「棄老」のしくみなどを変数に、3作品を比較考察する。This paper adopts a literary approach. Folklorists hold that the practice of kirō (the practice of casting the elderly off intothe wilderness) never actually existed, but in literary imagination, it often appears as a way to explore old age and death.The paper focuses on three stories that can be seen as representative examples of post-war kirō literature: Shichirō Fukazawa's Narayama Bushikō, Kiyoko Murata's Warabinokō, and Yuya Sato's Dendera. By casting out elderly residentswho are unable to work, impoverished villages are able to continue with their daily lives. The elderly women who are themain characters of these stories submit to this practice, accepting it as their fate. Though the details of the three storiesvary, their characters share an attitude of understanding of their own abandonment, avoiding resentment of or resistance totheir deaths and instead filling themselves with longing for the Pure Land. I compare the three stories in terms of theirspatial construction of scenes, the characters' views on death, and their uses of kirō in their plots.
著者
佐々木 陽一郎
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学経済研究 (ISSN:09127216)
巻号頁・発行日
vol.13, no.3, pp.333-352, 1998-12-02

Economic historians must always pay much attention to the first-hand materials or primary sources. These are basically documents of the contemporary people : diaries, account books of merchants, and notes of rent collections by landlords. As an economic demographer of Tokugawa period, I have been heavily involved in reading the Shumon-ninbetsu-cho, or the ledgers of religious denominations of villagers of each village. These ledgers had been compiled by lower bureaucracies annually and kept well. By comparing the data of a certain year's document with another year's, you can surmise and finally determine the local transformations of population. According to my investigation of Takayama district of Hida prefecture, I concluded that the poor people there did not belong to those who had more children than richer ones.佐々木陽一郎先生退官記念号Collected Papers on the Occasion of the Retirement of Professor Yoichiro Sasaki
著者
佐々木 陽一 LAMPRECHT G. SYKES A.G. 馬越 啓介 市村 彰男 永澤 明 SYKES A.Geoffrey SAYSELL Dabi 阿部 正明 今村 平 LAMPRECHT Ge MCFARLANE Wi A.GEOFFREY S
出版者
北海道大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1996

本研究の目的は,レニウム錯体について,酸化状態の違いと配位子置換反応性の関連および金属間の相互作用と酸化還元反応性の関連を明らかにすることである。レニウムは周期表の中でも最も多くの酸化状態をとる元素であり,これらの反応性を調べるのに適している。本研究は,日本側で研究に適した新レニウム錯体の合成,英国のSykes教授の研究室でそれらの反応性の速度論的研究という大まかな役割分担で行なった。また,2年間に英国よりSaysell博士,南アフリカよりBotha博士がそれぞれ3ケ月間北海道大学を訪問,精力的に研究を行ない理想的な共同研究成果をあげた。Re(V)錯体のキレート環形成過程を,N,N,N,O型の4座キレート配位子およびN,N,O型の3座キレート配位子を用いて調べた。Re中心へのキレート環形成過程を,中間過程の化学種を単離,構造決定することにより明かに出来た。これにより高酸化数に伴うオキソ基の配位が多座配位子のキレート環形成過程に及ぼす効果を視覚的に明かに出来た。これは,置換活性な金属イオンでは不可能な成果であり,レニウム錯体以外にも広く適用できる重要な知見である。レニウム(III)六核錯体の特異な反応性が明かとなった。硫黄架橋レニウム(III)六核骨格,Re_6S_8は最近機能性物質や,生体内鉄硫黄クラスター骨格の基礎的な構造モデルとして,注目されつつあるものであるが,その基礎的な反応性はほとんど調べられていなかった。主にRe-Re間に多重結合をもつ複核錯体を新たに合成し,その構造や酸化還元反応性を明らかにした。本研究では,この化合物を,レニウム金属間結合を持つ典型的な化合物と捉え,配位子置換反応性と酸化還元反応性を調べた。その結果,異常に置換不活性であることと,これまでの見解に反し,酸化還元活性であることとが明かとなった。Re複核錯体ではその酸化数が,(III,IV)および(IV,IV)の二つの状態の錯体の構造解析により,両者のRe-Re距離の比較から,金属間結合に関わる結合軌道の性質を初めて明かにした。