著者
川田 賢介 河原 正和 秋森 俊行 山口 朋子 岡本 喜之 石川 好美
出版者
Japanese Society of Oral and Maxillofacial Surgeons
雑誌
日本口腔外科学会雑誌 (ISSN:00215163)
巻号頁・発行日
vol.54, no.7, pp.423-426, 2008-07-20 (Released:2011-04-22)
参考文献数
23
被引用文献数
2 2

Oral mucosal lesions associated with foreign body injuries can have various origins, but traumatic lesions of the oral mucosa caused by other organisms are rare. Such cases thus require special knowledge for diagnosis. We report a case of oral stings from spermatophores of Todarodes pacificus, the Pacific squid. The patient was a 31-year-old woman who cooked the internal organs of a raw T. pacificus for lunch. She experienced a sharp pain on the tongue and buccal mucosa when eating the organs. On checking the oral cavity, she identified multiple white objects with a worm-like appearance sticking into the tongue and oral mucosa. Attempts to remove these objects herself were unsuccessful. She then visited the emergency department of our hospital. We examined the oral cavity and found multiple white objects appearing to be parasitic worms sticking into the tongue and oral mucosa. Attempts to remove the objects with forceps were unsuccessful because of tight attachment to the mucosa. Removal was thus achieved by making slight incisions under local anesthesia. The specimens showed a white spinate shape and were about 4mm long. Endoscopic examination of the upper digestive tract after treatment of the oral cavity revealed no additional foreign bodies. The final pathological diagnosis was spermatophores of T. pacificus.
著者
浅原 正和
出版者
日本哺乳類学会
雑誌
哺乳類科学 (ISSN:0385437X)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.387-390, 2017 (Released:2018-02-01)
参考文献数
6

日本遺伝学会用語編集委員会が新たに遺伝学用語の和訳を策定し,2017年9月に用語集を発刊した.日本遺伝学会はこれに基づいて文科省に教科書の用語変更を求めていく方針だという.今回改訂された用語には,遺伝学以外の分野で用いられる用語も含まれる.中でも,進化学や生物多様性分野における最重要用語の一つである「variation」はこれまで「変異」と訳されてきたが,これを「(1)多様性,(2)変動」と訳すように変更し,「変異」は「mutation」の訳語として用いるように変更するという.しかし,歴史を紐解けば,variationの訳語としての「変異」は遺伝学そのものが誕生する以前から使われてきた.また,「変異」という用語は多くの派生語があり,現在も哺乳類学を含む,遺伝学以外の様々な自然史分野で広く使われている.このように広い分野で継続して使われてきた「変異」という日本語の意味する対象が突然variationからmutationに変更されてしまうと,これまで蓄積されてきた日本語文献について誤読が生じかねない.以上のように,variationの訳語変更は歴史的な正当性を欠き,学術的にも混乱を招きかねず,日本語という言語の価値を保つ上で問題がある.そのため,今後もvariationの訳語として,伝統的に用いられ,現在も広く使われている「変異」という訳語を残すことが望ましいと考えられる.
著者
川田 賢介 河原 正和 秋森 俊行 山口 朋子 岡本 喜之 石川 好美
出版者
社団法人 日本口腔外科学会
雑誌
日本口腔外科学会雑誌 (ISSN:00215163)
巻号頁・発行日
vol.54, no.7, pp.423-426, 2008-07-20
参考文献数
23
被引用文献数
2 2

Oral mucosal lesions associated with foreign body injuries can have various origins, but traumatic lesions of the oral mucosa caused by other organisms are rare. Such cases thus require special knowledge for diagnosis. We report a case of oral stings from spermatophores of <I>Todarodes pacificus</I>, the Pacific squid. The patient was a 31-year-old woman who cooked the internal organs of a raw <I>T. pacificus</I> for lunch. She experienced a sharp pain on the tongue and buccal mucosa when eating the organs. On checking the oral cavity, she identified multiple white objects with a worm-like appearance sticking into the tongue and oral mucosa. Attempts to remove these objects herself were unsuccessful. She then visited the emergency department of our hospital. We examined the oral cavity and found multiple white objects appearing to be parasitic worms sticking into the tongue and oral mucosa. Attempts to remove the objects with forceps were unsuccessful because of tight attachment to the mucosa. Removal was thus achieved by making slight incisions under local anesthesia. The specimens showed a white spinate shape and were about 4mm long. Endoscopic examination of the upper digestive tract after treatment of the oral cavity revealed no additional foreign bodies. The final pathological diagnosis was spermatophores of <I>T. pacificus</I>.
著者
浅原 正和 ASAHARA Masakazu
出版者
三重大学教養教育機構
雑誌
三重大学教養教育機構研究紀要 = BULLETIN OF THE COLLEGE OF LIBERAL ARTS AND SCIENCES MIE UNIVERSITY
巻号頁・発行日
no.2, pp.1-18, 2017-03-31

国家間における動物の贈与は、歴史的に外交の一手段として用いられてきた。先行研究において、オーストラリアが歴史的に“ カモノハシ外交” とも呼べるカモノハシの国外移送をイギリス、アメリカに対して行ってきたことが論じられている。それに加え1990 年代、カモノハシを移送する試みが日本に対しても進んでいた。これら3 か国への移送計画は、それぞれ異なる組織が異なる目的のため進めたものだった。1943 年のイギリスへの移送は英首相ウィンストン・チャーチルのリクエストであったが、一方で戦時下におけるオーストラリア政府の外交政策の一環でもあった。これまでこの移送は戦時中、機密事項であったとされていたが、顛末を報道する新聞記事も戦時中に発行されていた。なお、生体の移送に先立って送られた剥製は、ボーア戦争でチャーチルを助けた隊に所属していたエディー氏の飼育個体であった。1916~58 年にかけて試みられたアメリカへの移送は、動物商や動物園といった民間が主導して進めた。1947 年の移送も動物園間の交渉で始まるが、オーストラリア政府が輸出許可を出さなかった関係で政治家が動いた。最終的に、カモノハシを戦時中の返礼とみなすということで許可が下りる。日本の東京で1996 年に開催が予定されていた博覧会でカモノハシが出展される計画は、ニュー・サウス・ウェールズ州フェイ首相と、東京都鈴木知事との間で自治体外交として進められた。しかし、1995 年に両者の首長が交代することで、計画は中止に追い込まれる。これら時代ごとに計画があったカモノハシの移送先は、オーストラリアの経験してきた国際情勢の変遷と関連している。まず、第二次世界大戦前後で、国防の依存先がイギリスからアメリカへ替わったことは、戦中・戦後のカモノハシの送り先に象徴されている。そして、20 世紀終盤に最大の貿易相手国となった日本との間で自治体外交が活発化し、そのことが日本へのカモノハシ移送計画を生み出した。
著者
大宮 卓 小野 智子 菅原 正和 OMIYA Takushi ONO Chieko SUGAWARA Masakazu
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.99-109, 2012-03-31

茶道の歴史は長く、古くは奈良時代にまでさかのぼる。茶ははじめ、薬用として用いられたが、時代が変わると、茶を飲用だけに使うのではなく、作法と茶の精神を合わせた「茶の湯」となった。これが現代で言う茶道である。茶道の精神は「和敬清寂」にあらわされ、和して敬い合い、清らかな心を持ち、不動の精神と心を持つことによって、何事にも動じない、どんなことにもゆとりを持つだけの心の広さが生じることを指向する。そして、日常の喧騒と雑事から一時離れ、ささやかな、いっぷくのお茶をとおして"well-being"たらんとする。本研究の目的は長年茶道をたしなんできた人々(SV)と、茶道部学生(GS)、一般学生(CS)のSWB 並びにその下位6因子の相違を探求することにより、茶道が有するSWB(Subjective Wellbeing)への影響を明らかにしようとすることであった。分析の結果、SWB に影響を与える要因は加齢と茶道歴の双方であり、加齢と茶道歴のどちらか片方のみでは、SWB に影響を与えることがないことが明らかとなった。
著者
西原 正和
出版者
日本薬史学会
雑誌
薬史学雑誌 (ISSN:02852314)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.10-17, 2023 (Released:2023-08-10)

目的:ホソバオケラは,生薬蒼朮の基原植物で,日本には江戸時代に渡来し,佐渡においても栽培されており,サドオケラという名前が残っている.しかし現在,佐渡において,植物としての「サドオケラ」だけでなく,その言葉自体を聞いたことがないという者がほとんどで,庭先で先祖が植えたとされる株がそのままの状態で残っており,その植物がホソバオケラということを初めて知るような状況である.そのため,なぜこのような状況に至ったのか,さらに詳細な調査を行うこととした. 方法:過去のホソバオケラに関する書物,文献,報告を再調査するとともに,佐渡の地域史,歴史書物等を調査した.また,これらの調査の中で得られた,佐渡においてホソバオケラを知っていると思われる関係者や現地の漢方生薬取扱薬局への聞き取り調査を,2019 年から 2022 年に行った. 結果:昭和期以降,佐渡におけるホソバオケラは,太平洋戦争中に供出されたことや,その後,増産を行うがホソバオケラの表面に析出したヒネソールやβ-オイデスモールなどの成分の結晶をカビと誤認されて廃棄され失敗に終わったこと,原種圃場の取り組みがうまくいかなかったことなどにより,現在は大規模な栽培が行われていないことを確認した. 結論:佐渡のホソバオケラは,昭和期にも栽培,出荷されていたが,その後の取り組みがうまくいかなかったことから,佐渡内ではその存在を知る者がほとんどおらず,このままでは佐渡内に現存するホソバオケラは消滅する可能性があることが明らかとなった.
著者
福村 直毅 山本 ひとみ 北原 正和 鎌倉 嘉一郎 植木 昭彦 牛山 雅夫
出版者
公益社団法人 日本リハビリテーション医学会
雑誌
The Japanese Journal of Rehabilitation Medicine (ISSN:18813526)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.303-314, 2017-04-18 (Released:2017-06-16)
参考文献数
34
被引用文献数
5 3

【目的】機能的自立度評価表(FIM)による分類が重症(FIM総得点≦40点)患者の日常生活動作(ADL)や栄養・免疫状態低下に対する補中益気湯の有効性および安全性について検討した.【方法】片麻痺を伴う脳血管障害後遺症でリハビリテーション施行患者31例を対象に補中益気湯(TJ-41)投与群と非投与群に無作為に割付し,24週間観察した.評価はADL,炎症性合併症発症率などである.【結果】FIM総得点は両群ともに治療前後で有意に改善したが,FIM利得に群間差はなかった.炎症性合併症発症率はTJ-41投与群で有意に低かった(p=0.049).FIM運動得点が20点以下の症例において,治療前後の総リンパ球数変化比はTJ-41投与群で増加傾向が認められた.本研究において副作用はなかった.【結論】補中益気湯は脳血管疾患などのリハビリテーションにおいて炎症性合併症対策に有用である可能性が示唆された.
著者
浅原 正和 ASAHARA Masakazu
出版者
三重大学教養教育機構
雑誌
三重大学教養教育機構研究紀要 = BULLETIN OF THE COLLEGE OF LIBERAL ARTS AND SCIENCES MIE UNIVERSITY
巻号頁・発行日
no.2, pp.1-18, 2017-03-31

国家間における動物の贈与は、歴史的に外交の一手段として用いられてきた。先行研究において、オーストラリアが歴史的に" カモノハシ外交" とも呼べるカモノハシの国外移送をイギリス、アメリカに対して行ってきたことが論じられている。それに加え1990 年代、カモノハシを移送する試みが日本に対しても進んでいた。これら3 か国への移送計画は、それぞれ異なる組織が異なる目的のため進めたものだった。1943 年のイギリスへの移送は英首相ウィンストン・チャーチルのリクエストであったが、一方で戦時下におけるオーストラリア政府の外交政策の一環でもあった。これまでこの移送は戦時中、機密事項であったとされていたが、顛末を報道する新聞記事も戦時中に発行されていた。なお、生体の移送に先立って送られた剥製は、ボーア戦争でチャーチルを助けた隊に所属していたエディー氏の飼育個体であった。1916~58 年にかけて試みられたアメリカへの移送は、動物商や動物園といった民間が主導して進めた。1947 年の移送も動物園間の交渉で始まるが、オーストラリア政府が輸出許可を出さなかった関係で政治家が動いた。最終的に、カモノハシを戦時中の返礼とみなすということで許可が下りる。日本の東京で1996 年に開催が予定されていた博覧会でカモノハシが出展される計画は、ニュー・サウス・ウェールズ州フェイ首相と、東京都鈴木知事との間で自治体外交として進められた。しかし、1995 年に両者の首長が交代することで、計画は中止に追い込まれる。これら時代ごとに計画があったカモノハシの移送先は、オーストラリアの経験してきた国際情勢の変遷と関連している。まず、第二次世界大戦前後で、国防の依存先がイギリスからアメリカへ替わったことは、戦中・戦後のカモノハシの送り先に象徴されている。そして、20 世紀終盤に最大の貿易相手国となった日本との間で自治体外交が活発化し、そのことが日本へのカモノハシ移送計画を生み出した。Historically, animals have been used as gifts among nations for diplomatic purposes. Previous studies have reported that Australia sent platypuses to the U.K. and the U.S.A., terming it "platypus diplomacy." Additionally, a plan was attempted to send platypuses to Japan in the 1990s. These three plans were executed by different organizations for different purposes. A platypus was sent to the U.K. in 1943 on Winston Churchill's request, but it was a part of the Australian government's foreign policy during wartime. Until now, this fact was said to have been confi dential during wartime, but a newspaper article reporting this during wartime have been found. Before the living specimen, Australian government sent Churchill a stuffed platypus specimen which had been bred by Robert Eadie, who had belonged to the troops that helped Churchill during the Second Boer War. From 1916 to 1958, attempts to send platypuses to the U.S. were led by the private sector, including an animal dealer and zoos. Hence, a zoo led the sending of a platypus to the U.S. in 1947, but the Australian government considered that platypus to be a gift from the Australian prime minister to the U.S. president, recognizing their wartime services. Premier John Fahey of New South Wales and Governor Shunichi Suzuki of Tokyo led the plan to exhibit platypuses in an exposition held in Tokyo in 1996 as municipal diplomacy; however, the plan was withdrawn after the premier and governor changed in 1995. The various destinations of platypuses were related to the transition of Australia's international situation. Before and after World War II, Australia shifted from depending on the U.K. to the U.S.A. for national defense. In the late 20th century, active municipal diplomacy with Japan, which became their largest trading partner, led to the plan to send platypuses to Japan.
著者
柏原 正和
出版者
日本医科大学医学会
雑誌
日本医科大学雑誌 (ISSN:00480444)
巻号頁・発行日
vol.22, no.12, pp.1113-1114, 1955-12-15 (Released:2010-10-14)
参考文献数
11
著者
大鷹 円美 菅原 正和 熊谷 賢 Ohtaka Marumi Sugawara Masakazu Kumagai Satoshi
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.8, pp.119-129, 2009

近年,我が国においては少子化と核家族化が進み,急激に人間関係は希薄化している。物が溢れている反面,子どもたちの対人関係能力やソーシャルスキルを育むことが困難になっている。不登校,ひきこもり,いじめ等の増加に歯止めがかからず家庭の中でさえ個室化し,地域社会ではお互いを知らず孤独である。親の養育力の低下に伴い,養育態度は二極化して,放任又は過保護・過干渉といった養育態度が問題となっている。一般的に,子どもが生まれて初めてこの世で出会い強い杵を形成する相手は母親およびその家族であり,家族は子どもの社会化の最初の大切な担い手となる。子どもはそのプロセスの中でソーシャルスキルを獲得していくが,特に母親がどのような養育態度で育てるかは,スキル獲得に強い影響を及ぼす。 戸ケ崎ら(1997)は,母親の拒否的な養育態度は,子どものソーシャルスキルの獲得を低くすることを報告し,Hoffman(1963)は,罪や脅しを用いて社会的行動をとらせようとする養育態度は子どもに恐怖心や怒りを引き起こし,向社会的行動を育てないと報告している。生まれてまもない乳児の行動にも様々な特徴的個人差が見られ,またそれらは乳幼児期以降も一貫性を持つことが明らかにされている(三宅,1983;Rutter,1987こうした乳幼児期の個人的特性を,HtemperamentHという概念で捉え直し,子どもの環境-の適応や対人行動の発達,愛着形成,人格形成等との相互作用を追求する研究が盛んになってきている。Temperamentに関する研究において,Thomasとchessらは9年間にわたる縦断研究HNewYorkLongitudinalStudyHにより,多くの子どもたちが元来持っていた気質的特長は何年も変わらずに残っていると結論づけた。彼らは環境要因だけでは子どもの行動障害の発生を説明しきれないとして,個人差要因の可能性を示唆し9つの気質カテゴリーを見出した(Thomas&Chess,1986)。Cloninnger(1993)らは,1988年,自ら開発した自己記入式質問紙TridimensionalPersonalityQuestionnaire(TPQ)(Cloninger,1987)を更に発展させ,TemperamentandCharacter\Inventory・(TCI)を開発した。cloninrerの気質と性格の7次元モデルにおける気質とは遺伝性であり,主として幼児期に顕われ,認知記憶や習慣形成の際に本人の意思とは無関係に行動に影響を与えるとされている。母子関係においても母からの一方的な働きかけだけではなく子どもからの積極的働きかけが関係しており,母子の相互交流が形成されることが明らかになった。村井(2002)は,子どもの問題行動が(母親の現実的育児態度ではなく)「子どもからみた親の態度」と関係していることを指摘している。子どもの気質が母親の行動特性の変化と養育態度に及ぼす影響について森下(2006)は,男児と女児では母親に及ぼす影響が異なり,男児より女児の方が影響力が強いことを報告している。次に親の養育態度研究において看過できない要因の中に,ⅠnternalWorkingModel(以下IWM)がある。Bowlby(1969,1973,1980)によると,ⅠWは,乳幼児期,児童期および思春期という重要な発達過程において徐々に形成され,少なくとも15歳までは可塑性は継続し,その後生涯を通して比較的変化は少なく持続する傾向があると考えられている。数井・遠藤(2000)は,日本人母子を研究対象として,親の愛着が子の愛着にどのように影響を及ぼすかという注目すべき愛着の世代伝達を調べた。その結果,自立・安定型の母親の子どもは,不安定型の母親の子どもよりも愛着安定性が高いことと,相互作用や情動制御においてポジティブな傾向が高くなるという世代間伝達傾向の存在を報告している。金政(2007)は,青年期をむかえた子どもと母親双方の愛着スタイルを検討した結果,母親の愛着スタイル-母親の養育態度の認知-子どもによる母親の養育態度の認知-千どもの愛着スタイルというプロセスを辿って愛着の世代間伝達が起こり得るとしている。養育の送り手と受け手が変わったとしても,愛着スタイルと養育態度との関連性が変化することなく,つまり養育の受け手である子どもが,親となった際に,自身が親から受けた養育態度の認知によって形成された愛着スタイルが自身の子どもに対する養育態度に同様の形での愛着の伝達が継承されていくと報告している。 IWM のタイプについてはAinsworthら(1978,1991)により,乳幼児期の愛着パターンを安定型(secure),アンビバレント型(ambivalent),回避壁(avoidant)の3タイプに分類され,その後の対人関係のスタイルやパーソナリティの形成に影響していくと考えられている。Hazan,C.とshaver,p.(1987)は,現在の自己にあてはまる愛着の分類と想起した過去の愛着の質との関わりは,現在の対人関係スタイルや社会的適応性との関連性があることを指摘している。IWM とソーシャルスキルの研究において,相谷ら(2000)はsecure得点が高いものはソーシャルスキルが高くなり,ambivalent且つavoidant得点の高いものはソーシャルスキルが低くなると報告している。三浦(2003)は子どものIWM の安定性が学校適応に影響を及ぼし,また養育者からの暖かい指示(情緒的指示)を高く認知する子どもは社会的ルールを受け入れやすくなることから,IWM は学校適応にも影響を及ぼすとしている。ソーシャルスキルに影響を及ぼしていると思われる要因に養育態度がある。戸ケ崎(1997)の研究では,母親の養育態度一家庭におけるソーシャルスキル-学校における社会的ソーシャルスキル-クラス内地位というモデルが探索的に支持された。 かくして,気質・養育態度・IWM ・ソーシャルスキル等に関する研究は個々になされているが,気質・養育態度・IWM ・ソーシャルスキルの因果関係を総体的に明らかにした研究は皆無に等しい。そこで本研究は,中学生・大学生を調査対象に社会化の最小単位と考えられる母子関係に注目して,生得的であるといわれる気質に焦点をあて,「損害回避」と「中学生・大学生から見た二極化した極端な養育態度」「IWM」の構造を明らかにし,如何なる要因が「ソーシャルスキル」の低下に影響を与えるかを共分散構造分析のモデリングによって解明しようとする。
著者
金田 達也 大谷 誠司 高根 浩 椎木 芳和 林原 正和 大坪 健司
出版者
一般社団法人日本医療薬学会
雑誌
医療薬学 (ISSN:1346342X)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.187-193, 2011 (Released:2012-04-25)
参考文献数
9
被引用文献数
2 2

To ensure the proper use of drugs,pharmacists must pay attention to drug incompatibility information.However,drug incompatibilityinformation relating to tablets or capsules in one-dose packages (DII) is not well understood.Therefore,weactively collected DII and shared it with Tottori West District pharmacists and investigated how they currently dispensedone-dose packages as well as their degree of understanding of DII.For sharing,we selected 3 combinations of one-dosepackage including the olmesartan medoxomil(OM)-metformin hydrochloride (MET) combination for which incompatibilityhad actually been reported in our area.Before sharing DII,hardly any of the pharmacists knew about such information inthe package inserts,suggesting that it was not widely available to them.Our sharing of DII enhanced understanding of itfor all combinations.Also,the dispensing of one-dose packages was improved in many hospitals and community pharmacies.This suggestedthat the active collection of DII and its sharing by pharmacists helped ensure proper drug use.However,we should shareDII continuously to achieve a thorough understanding of it and additional methods may be required (for example,makingpresentations at meetings) for this purpose.We should also actively collect DII because the DII in package inserts is insufficientto ensure proper drug use.
著者
三原 正和 片山 善章 伊藤 敬一 中島 伸之
出版者
一般社団法人 日本輸血・細胞治療学会
雑誌
日本輸血学会雑誌 (ISSN:05461448)
巻号頁・発行日
vol.30, no.5, pp.334-339, 1984 (Released:2010-03-12)
参考文献数
16
被引用文献数
5 5

Total of 102 patients who received blood transfusion for their cardiovascular surgery were the materials of this investigation.The incidence of post-transfusion hepatitis in correlation to guanase (guanine deaminase) activity was studied.Diagnosis of post-transfusion hepatitis was made when a patient showed elevation of s-GPT over 100 units in three weeks after surgery. The follow up periods were ranging from three to six months.13 patients were developed post-transfusion hepatitis which accounted 12.7% of incidence. Patients were divided into two groups according to the level of guanase activity. Significantry high incidence was observed in the groups of patients who received transfusion with guanase activity over 2.6IU/L (12.7% VS 64.3%, χ20=18.06>χ20 (1, 0.001)=10.83)The guanase activity in transfusion blood may be feasible as a parameter for the prevention of posttransfusion non-A, non-B type hepatitis.