著者
橘川 武郎 長谷川 信 平沢 照雄 松村 敏弘 橋野 知子 高岡 美佳 平本 厚 中村 尚史
出版者
一橋大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2005

課題番号17330077基盤研究(B)「規制の経済史的研究-産業発展をめぐる企業と政府-」(平成17〜19年度)の研究成果は、2008(平成20)年3月に刊行した研究成果報告書(xii+270頁、総論+全12章)に集約されている。この研究成果報告書の各章は、19世紀後半の生糸貿易(1章、中林真幸執筆、以下同様)、明治期の鉄道業(2章、中村尚史)、第1次世界大戦期の染料工業(3章、橋野知子)、1920〜30年代のラジオ受信機工業(4章、平本厚)、戦前から戦後にかけての港湾運送業(5章、大島久幸)、1950〜60年代のクリスマス電球工業(6章、平沢照雄)、1960年前後の損害保険業(7章、齋藤直)、1960〜70年代の自動車排ガス規制(8章、板垣暁)、戦後復興期〜1980年代の重電機工業(9章、長谷川信)、1950年代後半から今日にかけての原子力発電(10章、橘川武郎)、1980年代後半から今日にかけてのネットワーク型公益事業をめぐる規制改革(11章、松村敏弘)、経済規制に関する理論研究の動向(12章、佐々木弾)を、検討対象としている。本研究は、(1)検討対象期間を長期(明治期から今日まで)にわたって設定する、(2)第2次産業および第3次産業に展開する幅広い業種を取り上げる、(3)大企業と政府との関係だけでなく、中小企業と政府との関係も視野に入れる、(4)歴史分析にもとづく実証研究と経済学に基盤をおく理論研究を結合する、という四つの特徴をもっているが、この点は、上記の報告書にも色濃く反映されている。(1)(2)の点は、1章〜11章の構成から明らかである。(3)に関しては、4〜6章が、中小企業と政府との関係を掘り下げている。(4)に関しては、1、11、12章が理論研究の成果を積極的にとり入れている。
著者
張 楓 北浦 貴士 柳沢 遊 平山 勉 松村 敏 高柳 友彦 満薗 勇
出版者
福山大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2016-04-01

最終年度に実施した研究成果は、つぎの通りである。1.2018年10月20日・21日に一橋大学で開催された2018年度政治経済学・経済史学会秋季学術大会にて「戦後日本における地域産業化の歴史的ダイナミズム-備後福山地区を中心に-」と題するパネル・ディスカッションを行った。科研メンバーのうち、代表者を含む4名が報告を行った。報告内容はいずれも本科研費にもとづく成果の一部となっている。具体的に「備後地域機械工業集積の形成・発展」(張楓)、「日本鋼管における福山製鉄所と福山市」(北浦貴士)、「福山中心市街地商店街の形成と展開」(柳沢遊)、「地域企業としての日東製網」(研究協力者:植田展大)であった。2.3月26日に慶応義塾大学三田キャンパスにて科研メンバー全員参加による研究会を開催した。そこで出版社の編集担当をまじえながら、本科研費にもとづく研究成果の2019年度中刊行にむけての1次原稿に関する意見交換と2次原稿などに関する打ち合わせを行った。本科研の課題は、戦後における地方工業地帯・地方都市の歴史的展開について、広島県東部に位置する備後福山地区に着目して多岐にわたる製造業(機械工業、鉄鋼業、製網業、造船業)と商業・サービス業(小売業、観光業、デザイン産業)を事例に、地域と産業・企業との「相互作用関係」を重視する視点から実証的かつ総合的に検討することにある。3年間にわたって行われてきた研究成果は、当初目指していた研究目的と実施計画にそった形で期待以上のものであったと認識している。
著者
松村 敏
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.207-227, 2002-03

明治期に賃織業者を主要な生産主体として発展した桐生絹織物業の抱えていた深刻な問題は、賃織業者による原料糸詐取問題であった。すなわち、織元(問屋)が前貸しした原料生糸の一部を窃取して生糸商人に売り渡すことが恒常化していたのである。これは、発注主である織元が賃織業者の生産活動を常時監視しえない問屋制固有の重大問題であり、この問題はまた日本に限らずヨーロッパ経済史研究においても注目され、工業の主要な生産形態が問屋制から工場制に移行していった一要因とみなす研究者さえいるほどである。この問題に関する最近の研究として、近世期に織元がこの不正に対処した方法として株仲間による多角的懲罰戦略(不正を働いた賃織業者に関する情報を織元仲間に周知させ、以後仲間全員がその賃織業者との取引を拒絶するという私的な規約・制度によりこの不正を防止せんとする戦略)を高く評価する見解が現れている。近代(明治期以降)のように公権力による契約履行と所有権の保証が十分でない近世期においては、商人たちが私的に契約履行と所有権を保証する必要があったというわけである。ところが、この多角的懲罰戦略が実際に有効に機能したかという検証はないし、じつは国家権力が法と裁判によってこれらを完全に保証するという建前になった明治期以降においても、桐生の織元たちは繰り返し近世以来の多角的懲罰戦略を試みていたのである。すなわち裁判に訴えるコストなどから近代においても国家権力(近代法)による所有権と契約履行の直接的な保証は、賃織業者のわずかな不正を抑止させるまでには貫徹しない。そこで織元たちは、依然同業組合による多角的懲罰戦略を試行した。しかしそれが手直しされつつ繰り返されることからもわかるように、これもまた有効ではなかったのである。本稿ではその過程を追いつつ、多角的懲罰戦略が有効に機能しなかった要因とその意味を考察した。During the Meiji era, the silk textile industry in Kiryu, which had developed with subcontracting weavers as a major production unit, suffered from the problem of the pick and steal of material yarn by the weavers. That is, they stole part of the material raw silk advanced by the putter-out and sold them to the raw silk merchants, and that was an everyday affair in those days. It was a serious problem peculiar to the putting-out system, in which the putter-out that gave an order was unable to always monitor the production activity of the subcontractors. This problem attracted the attention of researchers not only in the study of Japanese economic history but also in that of European one, and some even regard it as one of the factors for transition in the production form from the putting-out system to the factory system.For the recent study on this issue, in the early modern times, there was a view that highly appreciated the multiple punishment strategy by principals (the strategy to prevent the swindle by private rules and system prescribing that the information about the agent that committed a swindle be known to the guild of principal and that all principals refuse to trade with the agent), as a measure that principal took against such swindle. In the early modern times (before Meiji), when fulfillment of contracts and proprietorship were not sufficiently ensured by the official power, merchants had to ensure them privately. However, there is no evidence that such a multiple punishment strategy actually worked efficiently. In fact, even after the Meiji Restoration, when it was the principle that the state power should completely ensure fulfillment of contracts and proprietorship by law and trial, the textile manufacturers in Kiryu repeatedly tried such multiple punishment strategy. In other words, even in the modern times, due to the trial cost, etc., the direct assurance of proprietorship and fulfillment of contracts by the state power (modern law) did not thoroughly prevent small injustices of subcontracting weavers. So the manufacturers still continued trying the multiple punishment strategy by the trade association. However, as we have seen from the fact that it was repeated while being revised, the measure was not effective, either. This paper, following the process, considers the reason why the multiple punishment strategy did not work effectively and what it implied.
著者
渡辺 浩一 來山 政明 太田 一 松村 敏博 徳永 将人 新 直也 川岡 耕平 松村 さとみ 吉田 弘司 谷川 宮次
出版者
比治山大学
雑誌
比治山大学紀要
巻号頁・発行日
no.24, pp.173-179, 2018

The Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology has urged each universityto promote efforts of cooperative work between academic staff and non-academic staff. The IR(Institutional Research) committee of our university is an organization with the cooperative work,and each member carries out activities and cooperative work making full use of their expertise. At the end of FY2016, we conducted mutual evaluation on IR with a university in the Tohoku region and made evaluations including staff expertise. In addition, as for the activity in FY2017, each staff is carrying out analyses and other activities making full use of the expertise of their department, as well as the previous year, and we are promoting further approach including the policy proposals.
著者
大木 新造 松村 敏
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1987

近年ようやく国内における近代都市比較研究が行なわれるようになったが, その成果はとぼしい. よって本研究は, 近代都市比較研究の基盤整備を目的として, 東京・大阪・京都の三都比較に関する文献の収集と検討を行なった. 本年度研究の実施計画:近代都市研究及び都市に関する新聞記事・雑誌記事を中心に渉猟し, 三都に関するものを収集し, その内容にしたがって分類した.本年度研究の内容:収集した文献は, 東京・大阪・京都の三都を比較したものを中心に, 東京・大阪・京都, 京都・東京の二都を比較したものにおよび, 全部で約350件に及んだ. これらについて分類し, 内容の分析を行なった. それによれば, 近代に入ってからの三都比較は, 大正期前・中半にピークを迎え, 以後, 京都が比較の対象となることは少なくなり, もっぱら東京・大阪の二都比較が行なわれることとなる. 近世においては, 江戸・京都の二都比較が中心で, それも京都に対する江戸からの批判がもっぱらであったが, 近代, それも大正期をすぎたあたりから, 大阪から東京への批判が多くなる. 戦後は, 東京に対する批判は次第に高まる傾向をみせ, 高度成長期をすぎたころには, 東京を「敵視」するものまで登場するようになっている. この背景には, 近世, 近代, 現代(戦後)へと三都の, 国内での位置・関係の変化があったことを指摘できる. つまり, 近世における江戸の成長, 戦後における東京の突出という現象が, それを端的に示していよう.また, 三都の比較は, 政治, 経済, 風俗, 生活等の各分野におよび, 日本分化・社会の多様性を示すものとなっている.本年度の研究は新聞・雑誌・週刊誌の記事までも視野に入れ, 厳密な意味で比較とは言えないものまで広く収集した.
著者
吉野 一 加賀山 茂 河村 寛治 太田 勝造 新田 克己 櫻井 成一朗 松村 敏弘
出版者
明治学院大学
雑誌
特別推進研究
巻号頁・発行日
2002

本研究は、創造的な法的思考力を養成するための教育方法を、次のように、四つの研究課題に分けて分担研究し、各研究成果を諸共通事例を素材に全体として融合して、開発した。1.法創造基礎の理論的解明具体的化と体系化の法命題の創設および仮説法命題の反証としての法創造推論の構造を、共通の具体的事例問題の解決過程において、詳細に解明した。妥当性評価の基準を国民の価値意識のアンケート調査と法と経済学の観点とから同定した。認知科学の観点から授業評価方法を考案した。2.実務と教育における法創造の実際の解明米国のロースクールと我が国を含めて大陸法系の法学教育の実践を分析し、その法創造的要素を解明した。そしてその成果を法創造教育方法の開発に立てた。また開発された法創造教育方法の教育実践の分析を行い、有効性を確認した。それを法科大学院の教育で本格的に実践するためのさらなる研究課題を明らかにした。3.法創造教育方法の開発開発された教育方法の中心的部分は、リアルな事例問題に基づく、法的知識と推論の構造に即した、論争を通じて行う、法創造的法的思考の育成方法である。これを効果的に実現するために、法律知識ベースシステム、論争支援システムおよびソクラティックメソッド支援システムを活用する方法を同時に開発した。4.法創造教育支援システムの開発メタ推論機能を持つ「法律知識ベースシステムLES-8」を開発した。ソクラティックメソッド支援システムの問答集の改訂を行った。仮説の生成検証のための推論機構を実装し、オンライン論争支援システムを完成した。開発した諸システムを教育実践に活用してその意義と今後の研究課題を同定した。以上により法科大学院においても実践的に有効な法創造教育方法が開発された。一年次から最終年次までの一貫したスパイラルな法創造教育を実現すること、そのための研究と実践が課題である。