- 著者
-
満薗 勇
- 出版者
- 国立歴史民俗博物館
- 雑誌
- 国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
- 巻号頁・発行日
- vol.197, pp.193-219, 2016-02-29
本稿は,長野県須坂に位置する田中本家の消費生活について,通信販売の利用という面に着目しながら分析したものである。田中本家は,明治期から昭和初期にかけて,三越をはじめとする東京の百貨店から,通信販売を利用して多くの買い物を行っていたことで知られるが,今回の共同研究において,本格的な資料調査が行われ,これまで未整理かつ未利用であった書簡資料にアクセスできたことから,通信販売の利用実態について,詳細な分析を行う準備が整えられた。検討の結果は以下の通りである。大正期における田中本家は,通信販売を積極的に利用し,実にさまざまな商品を購入していた。最も頻繁に利用していたのが三越で,次いで長野市のいくつかの業者と,三越以外の東京所在業者を多く利用していたことが確認された。東京との関係だけではなく,近傍の地方都市との関係が密接であったことは,地方資産家による通販利用の実態を考える上で,一つの重要な発見といえる。呉服類の単価を比較すると,最高級品は三越で,それに次ぐランクの商品は長野市の業者から買い求め,地元須坂では最も廉価な商品を購入していた。こうした棲み分けは,三越による流行の影響が及んでいたことを示唆するが,取引の実態に立ち入ってみれば,通信販売を通じた流行の伝播には大きな限界があった。田中本家に残る書簡から判断する限り,品切れによるキャンセルや代品送付が多く,注文した商品を入手できるかどうかは不透明であった。ここに長野市所在の商店が入り込む余地が生まれ,地理的な近接性を活かした機敏な対応と顔の見える関係によって,同家のさまざまな需要に応じていた。逆にいえば,それでも同家が三越との取引を止めることなく,繰り返し注文を行っていたことが注目される。その背景には,流行の影響力があったと考えざるを得ないが,それは多分に三越のストア・イメージというレベルの問題であったと想定される。