著者
西村 陽一
出版者
崇城大学
雑誌
崇城大学紀要 (ISSN:21857903)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.153-162, 2015

国立教育政策研究所生徒指導・進路指導研究センター(以下、国研)が、キャリア教育の取組の実態を浮き彫りにすることを主眼とした調査を平成24年に実施し、平成25年に「キャリア教育・進路指導に関する総合的実態調査」第一次報告書・第二次報告書を公表した。今回それぞれの報告書をもとに現在の高等学校におけるキャリア教育の現状と課題を認識するためにその概要をまとめ、今後のキャリア教育・進路指導への取組について考察してみた。キャリア教育計画の充実度が高いほど学習全般に対する生徒の意欲が向上しているという割合が小・中・高とも高かった。一方、就職後の離職や失業など将来起こりうる諸リスクへの対応についての指導を生徒だけでなく多くの保護者も望んでいることも示された。また、学科により組織体制や就業体験などの体験活動への取組状況に大きな違いがあることも分かった。とりわけ普通科における体制整備や取組の充実が課題と考えられる。キャリア教育の効果を実感している学校も多いが課題も多いことが今回の調査で明らかになった。今後、卒業後の進路だけでなく、近い将来に加えて遠い将来のことも意識しながらキャリア教育を推進することが期待されている。
著者
高橋 浩 西村 陽一
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
日本化學雜誌 (ISSN:03695387)
巻号頁・発行日
vol.90, no.2, pp.138-142, 1969-02-10 (Released:2011-05-30)
参考文献数
8
被引用文献数
2

結晶度の低いハロイサイトから合成したA型ゼオライトの吸着特性を容量法およびスプリングパランス法によって調べた。ハロイサイトから合成したA型ゼオライト(ゼオライトA')の吸着特性はモレキュラーシープA(M.S.A)の吸着特性と異なる。すなわち,ナトリウム型において,モレキュラーシーブAはn-パラフィン(>C3)を吸着しないのに対して,ナトリウムーゼオライトA'はかなりの量のn-パラフィンを吸着する。またカルシウム型において,モレキュラーシープAはイソパラフィンを吸着しないことが知られているが,カルシウムーゼオライトA'はイソブタンを吸着する。これらの実験結果はゼオライトA'の平均細孔が対応するモレキュラrシープAの細孔より大きいことを示している。化学分析その他の結果から,原料ハロイサイト中に不純物として含まれていた鉄がゼオライト構造中に残っており,ゼオライトA'とモレキュラ-シ-ブAの吸着特性の相違はアルミノケイ酸塩骨格中の鉄の置換によるものと考えられる.
著者
小林 伸二 雲居 秀城 宮下 修 赤尾 幸治 黒澤 つかさ 熊谷 修平 雨宮 雷太 西村 陽介
出版者
公益社団法人 日本理学療法士協会
雑誌
理学療法学Supplement
巻号頁・発行日
vol.2006, pp.C0323, 2007

【はじめに】<BR>人間は重力下で姿勢を維持し、安定した動作を遂行するために身体各分節を力学的、機能解剖学的に制御している。これらのバランスが崩れ、ある局所に歪みが生じた場合、病態が発生するといわれる。整形外科疾患理学療法の臨床においては、局所の評価や治療のみではなく、姿勢や動作にアウトカムを設定し、それらを調節することで症状が軽減する症例を経験できることがある。<BR>【目的】<BR>重力下で姿勢を安定させることは、身体各固有受容器からの探索情報を処理、統合した結果である。間違った情報入力の有無を確認し補正するために、臨床において立位や坐位姿勢を観察、評価する場面は多い。しかし、その情報を単なる逃避や関節可動域制限、筋力低下として単純に捉えてしまうことが往々にして行われている。今回われわれは、立位と坐位の重心位置が、既往歴や、日常生活時の特徴的な姿勢(以下日常姿勢)にどのような関係があるか、また左右差についてはどうか、を調査し、これらが姿勢制御に及ぼす影響について検討を行なった。<BR>【対象および方法】<BR>対象は、関節の変形や拘縮が認められず、重心に変化を及ぼすような疾患をもたない当院外来患者、入院患者および職員、31例(男性16例、女性15例)平均年齢47.4歳であった。重心位置の測定は、重心動揺計(MEDICAPTEURS社製 Win-pod)を用い、前方注視で30秒間の静止端坐位と静止立位にて行い、同時に後方からデジタルカメラで撮影を行った。これを、個人の既往歴、日常姿勢と比較検討した。<BR>【結果】<BR>既往歴については、症例ごとに関連がある傾向はあったが、局所の評価や三次元的な姿勢、動作分析を必要とし、全体として明らかな関連性を見ることはできなかった。坐位では、日常姿勢と坐位重心で明らかに同一方向にあったものが20名(64.5%)であり、左右での同一性が認められ、立位では8名(25.8%)であった。重心位置の左右差は左に優位であり、立位23名(74.2%)、坐位23名(74.2%)であった。また、坐位重心での左右の偏りが、体重換算し10%以上のものは15例であり、そのうち立位では重心位置が10%以内に入ったものは13例(86.7%)であった。<BR>【考察】<BR>理学療法によって日常の姿勢をより良い方向へ変化させ、疼痛の除去や予防が可能となる。これには日常生活における習慣が大きく関与しており、特に坐位では重心位置との関係に強い傾向が認められた。重心位置は坐位、立位ともに左側が優位であった。また、坐位で偏りが強いものも立位では補正されている傾向が強く、足、膝、股関節における姿勢制御の重要性が示唆された。今後、前後や回旋との関連性、身体各部位との影響、また疾患や症状別の違いなどもより詳しく調査、検討していきたい。<BR>
著者
北本 朝展 西村 陽子
出版者
国立情報学研究所
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2014-04-01

本研究は新しい史料批判の方法論であるデータ史料批判(デジタル史料批判)を提案し、これを主に非文字史料に適用するための情報プラットフォームDCPを構築した。写真や地図を照合するための各種ツールをDCPに統合することで、照合というエビデンスを結合したエビデンスネットワークを構築することができた。さらにエビデンスネットワークをSPARQL言語を用いて意味的に検索し、各種史料に出現するシルクロード遺跡の関係を信頼度に基づき結合する新しい方法を提案した。ついで、データ史料批判の方法を実際のシルクロード遺跡の探索に適用することで、シルクロード遺跡の全体像を把握する見通しを得ることができた。
著者
西村 陽子 北本 朝展
出版者
情報処理学会
雑誌
研究報告人文科学とコンピュータ(CH) (ISSN:09196072)
巻号頁・発行日
vol.2009, no.9, pp.1-8, 2009-07-18
参考文献数
12

本論文は、北京という都市を対象として古地図と古写真を統合した Historical GIS を構築する試みを紹介する。約 250 年前の古地図『乾隆京城全図』と約 100 年前の古写真を「空間画像史料」として統合的に扱うためには、古写真の場所を同定する問題が本質的に重要である。そこで本論文では古地図等の複数の情報源を利用しながら古写真をマッピングする問題に取り組み、簡単な事例から困難な事例までに適用可能な一連のマッピング方法を提案する。また Historical GIS を実現するために Google Earth というツールを活用することの利点を示し、古写真を地理的な文脈で閲覧し解釈できるような環境を実現することが北京の都市景観の再現には必要であることを論じる。This paper introduces the construction of a historical GIS on the city of Beijing by integrating old maps and old photographs. We use the old map, Complete Map of Peking, Qianlong Period, made about 250 years ago, and old photographs, taken about 100 years ago, and defined them as "spatial visual sources." We claim that the mapping of old photographs is an essential step toward dealing with old maps and old photographs as spatial visual sources in an integrated manner. We therefore focus on the problem of mapping old photographs using information and hints from various sources, and propose a set of mapping methods that are applicable from simple cases to difficult ones. We also show that Google Earth is a useful tool for realizing a historical GIS, and discuss that, for reconstructing the historical space of Beijing, we need to realize an environment in which old photographs can be browsed and interpreted under geographical context.
著者
西村 陽子
出版者
東洋史研究会
雑誌
東洋史研究 (ISSN:03869059)
巻号頁・発行日
vol.74, no.4, pp.678-715, 2016-03

This paper clarifies the activities of groups of Turkish 鐵勒 troops in the central government and military cliques in Northern China during the latter half of the Tang era through an examination of the Rebellion of Zhu Ci 朱泚 that occurred during the Jianzhong era (AD. 780-783). These Turkish groups occupied important positions in the central government and military cliques in Northern China during the latter half of the Tang era as they gradually moved their power bases to the Daibei 代北 and Hedong 河東 districts. This paper argues that these corps of Turkish warriors, while maintaining strong influence over a large area extending over the Daibei, Hedong districts and as far as the Ordos, merged with the Shatuo 沙陀 Turks, and that this was the background of the establishment of the Shatuo (Five) Dynasties. In the first section, the author takes up the Zhu Ci rebellion as an example of the spread of the nomadic tribes in military cliques in North China after the Anshi Rebellion, and points out these nomads occupied high positions not only in the central government but also in the military cliques and that they included many Turks and Soghdians. In the second section, the author points out that Hun Jian 渾瑊, who was a famous premier and general during the reign of Emperor Dezong, was a chief of the Hun 渾 Turks, doubled as commander of Gaolanzhou, which was a Jimizhou 羈縻州 established for the Turks, and was a relative by marriage to Qibi 契苾 Turks, who composed one of the Daibei Five tribes 代北五部. The movements of the Hun and Qibi Turks resembled one another, both migrating from Lingwu 靈武 to Daibei, where they held great power. A hidden factor behind the energetic activity of Hun Jian was the large migration of Turks, who had built up power in this area and merged with the Shatuo Turks. At this time, there was a movement of Turkish, Soghdian, and Tangut 党項 peoples to migrate to Daibei and Hedong, and at the end of the Tang dynasty many of these groups joined the Shatuo Turks. Therefore, behind the establishment of the political power of the Shatuo Turks, we can see the coalescing of these nomadic tribes.

1 0 0 0 OA 街路樹 : 歌集

著者
西村陽吉 著
出版者
東雲堂
巻号頁・発行日
1919
著者
貴志 俊彦 陳 來幸 石川 禎浩 武田 雅哉 川島 真 柴山 守 松本 ますみ 孫 安石 大澤 肇 小林 聡明 谷川 竜一 菊地 暁 富澤 芳亜 泉水 英計 西村 陽子 李 梁
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本共同研究では、近100 年間に東アジア域内で起こった歴史的事件、あるいは時代の画期となるトピックをとりあげ、それぞれの局面で登場した非文字史料がはたした役割とその受容者の解釈を検討した。国内外における広範な調査と成果発表にあたっては、複数の地域で製作された非文字史料を比較対照するとともに、(a)図像解釈学的分析、(b)語彙分析による情報処理、(c)コミュニケーション・パターン分析等を導入して、紛争・協調の時代イメージと非文字史料との因果関係を明らかにした。
著者
竹内 正明 尾辻 豊 春木 伸彦 西村 陽介
出版者
産業医科大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011

老人性大動脈弁狭窄(AS)では僧帽弁狭窄(MS)がしばしば観察される。本研究では、3次元経食道心エコー法により僧帽弁複合体を評価し、弁輪弁尖の石灰化と僧帽弁口面積(MVA)の関連を検討し、大動脈弁置換術後このMSが心血行動態に及ぼす影響を負荷心エコー法により検討した。MVAはAS群で小さく、約1/4の症例は中等度以上のMSを呈し、MVAは、内側弁輪面積、僧帽後尖と弁輪のなす角度に規定されていた。負荷時さらにMSが増悪することはなく、負荷前に比べ負荷後MVAは増大した。負荷時のMVAの増大は血流量増加と比例した。ASに合併するMSは偽性のことが多く、高度でない限りは治療の対象とはならない。