著者
谷 謙二
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.77, no.3, pp.121-131, 2022-10-28 (Released:2022-10-21)
参考文献数
10

本稿は,新旧の地形図を並べて表示する「今昔マップ」について,システムの開発の経緯と利用について報告するものである。今昔マップは2005年にWindows版「時系列地形図閲覧ソフト 今昔マップ(首都圏編)」を開発したことに始まる。当初はDVDで配布していたが,2008年にインターネットからダウンロードできる「今昔マップ2」を公開した。2013年に地図タイル形式を採用したWeb版「今昔マップ on the web」,2015年にWindows版「今昔マップ3」を公開した。2019年には「地理総合」での利用を見越して全都道府県庁所在地を収録し,2021年12月末現在,52地域4,644図幅分の旧版地形図を収録している。今昔マップの利用例としては,旧街道のまち歩きや廃線探索など趣味的なものから,学術,教育,地歴調査,不動産関連の業務など広範にわたる。「地理総合」など地理教育で使う場合は,地図・GIS,防災,地域調査などでの利用が想定される。利用する際は,地図記号の変化や戦時改描に留意し,また,災害危険性の伝え方に工夫が必要である。今昔マップの収録範囲は一部に限られる。多様な需要に応えるため,国土地理院によるインターネットでの旧版地形図の詳細な画像の公開が求められる。
著者
谷 謙二
出版者
一般社団法人 地理情報システム学会
雑誌
GIS-理論と応用 (ISSN:13405381)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.135-144, 2009-12-31 (Released:2019-04-11)
参考文献数
7

This paper reports the development of a time-series topographic map viewer "Konjyaku Map 2": Capital, Chukyo and Keihanshin Area Edition, working on Windows 2000/XP/VISTA . Although there are considerable needs for acquiring knowledge of the past status of local areas, it takes a lot of time and effort to satisfy such needs. The software shows old topographic maps on a scale of 1 to 25,000 since the early 1900s and is downloadable from the internet. The software was developed for viewing maps with these fairly simple functions and can thus be easily operated.
著者
谷 謙二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2019年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.20, 2019 (Released:2019-09-24)

1.はじめに 旧版地形図をWebサイト上で配信・閲覧する「今昔マップ旧版地形図配信・閲覧サービス」は,2005年にWindowsソフトとして開発を開始し,2009年にインターネットダウンロード,2013年にWebサイトとして開発を継続している(谷 2005,2009,2017)。2022年から実施の高校の必履修科目「地理総合」においては,防災などの単元で新旧地形図の読み取りが地理的技能として位置づけられており,これまで以上に旧版地形図が活用されることが想定される。そこで,今昔マップでは,従来の大都市地域だけでなく,収録範囲を47都道府県の県庁所在地まで広げるとともに,機能面でも改良を行っている。2.データセットの追加と利用状況 今昔マップは当初は首都圏のみだったが,3大都市圏,政令指定都市と範囲を拡大し,2019年6月の津と山口の公開により,全県庁所在地を網羅し,現在37地域の地形図3,759枚が収録されている。収録範囲の拡大にともない,2014年には1000件/日程度だった「今昔マップ on the web」のアクセス数は,2018年以降は6000件/日を超えるようになっている。3.システム面での改良 「今昔マップ 旧版地形図配信・閲覧システム」は,地図タイルを配信するタイルマップサービス,WindowsPCにインストールして使用するデスクトップソフト「今昔マップ3」,Web上で閲覧する「今昔マップ on the web」から構成される。このうち「今昔マップ3」は大きく変化していない。 タイルマップサービスについては,限られたサーバ容量の中でデータセットを追加するため,ファイル容量の削減に努めた。まず,従来256色(8ビット)で保存していたカラー地形図画像を,16色(4ビット)に減色した。これにより,カラー画像の場合はファイルサイズが半分近くまで減少した。また,海域が広い図面は,細かな青色ドットのためファイルサイズが大きくなっていたため,海部を白抜きにして加工し,ファイルサイズを縮小した。さらに,当初は独自に色別標高地図タイル画像を作成しており,重ねられるようになっていたが,地理院地図の色別標高図を使用することにして独自の標高タイル画像は削除した。サーバのデータ容量の削減により,データセットの追加が可能となった。 「今昔マップ on the web」については,状況の変化に伴いシステムを大きく変更した。まず2016年には,スマートフォン等で位置情報を使用するためSSLで呼び出せるようにした。さらに,公開開始時にはGoogle Maps APIを利用したシステムだったが,2018年に無償使用の範囲が縮小したため,オープンソースWeb地図ライブラリ「Leaflet」を使用することにし,JavaScriptのプログラムを全面的に書き換えた。それまではデフォルトでGoogleマップが右側に並べて表示されていたが,Leafletになってからは地理院地図がデフォルトとなった。しかし,Googleマップで利用できるストリートビューは古い街道の現状を見る際などで有用なため,右クリックで当該地点のGoogleマップにリンクするメニューを作成した。Googleマップだけでなく,YAHOO!地図やMapion等の地図サービスにもリンクしている。また,Leafletに変更した際に,それまでの1画面または2画面表示に加え,4画面に分割して表示できるようにした。 昭和戦前期の一部地形図では,軍関係施設などが消されるなどのいわゆる戦時改描が行われている。戦時改描図は,図郭外の定価欄が( )で括られているとされており,今昔マップ収録地図においてもそうした図面が51枚含まれる。戦時改描図は,知らない人が見ると改描を信じてしまう可能性がある。そこで今昔マップでは,定価欄が( )で括られている図面の上にカーソルがある場合は,図幅情報として地図上に注記することとした。具体的に地図上で改描されている箇所はわからないものの,改描の可能性を注意喚起することはできめるだろう。 文 献谷 謙二 2005. 時系列地形図閲覧ソフト『今昔マップ』(首都圏編)の開発.埼玉大学教育学部地理学研究報:25,31-43.谷 謙二 2009.時系列地形図閲覧ソフト『今昔マップ2』(首都圏編・中京圏編・京阪神圏編)の開発 .GIS-理論と応用:17(2),1-10.谷 謙二 2017.「今昔マップ旧版地形図タイル画像配信・閲覧サービス」の開発.GIS-理論と応用:25(1),1-10.
著者
谷 謙二
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.70, no.5, pp.263-286, 1997-05
参考文献数
31
被引用文献数
13

本稿は,戦後の大都市圏の形成とその後の郊外化を経験した世代に着目し,その居住経歴を詳細に明らかにしたものである.方法論的枠組みとしてライフコース・アプローチを採用し,名古屋大都市圏郊外の高蔵寺ニュータウン戸建住宅居住者 (1935~1955年出生)を対象として縦断分析を行った.その結果,移動性が最も高まる時期は離家から結婚までの間であり,さらに離家を経験した者の多くが非大都市圏出生者であった.大部分の夫は結婚に際しては大都市圏内での移動にとどまるのに対し,妻は長距離移動者も多く,中心市を経由せずに直接郊外に流入するなど,大都市圏への集中プロセスは男女間で相違が見られた.結婚後の名古屋大都市圏への流入は転勤によるものであり,その際は春日井市に直接流入することが多い.それは妻子を伴っての流入であるために,新しい職場が名古屋市であるにもかかわらず,居住環境の問題などから郊外の春日井市を選択するためである.
著者
谷 謙二
出版者
埼玉大学教育学部地理学研究室
雑誌
埼玉大学教育学部地理学研究報告 = Occasional paper of Department of Geography, Saitama University (ISSN:09132724)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.1-21, 2002

Although the number of commuting worker to the central Tokyo had increased since the rapid economic growth period (1960s), according to the latest 2000 population census, it decreased in the late 1990s. The purpose of this study is to explain the factors affecting this decrease using commuting data by age in the census. The results of the analysis is summarized as follows...
著者
谷 謙二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.324-341, 2012
被引用文献数
1

本研究では,これまで十分な検討がなされてこなかった1940年代の国内人口移動の動向に関して,当時行われた人口調査と臨時国勢調査を使用してその動向を明らかにした.これらの調査は調査日が異なるものの,年齢が各歳の数え年で表章されており,コーホート分析が可能である.まず1944年時点では,兵役の影響で男子青壮年人口が極端に少ない特異な年齢構成を示す.都市部では若年男子人口が集積したが,その傾向は軍需産業の立地動向に影響を受けていた.終戦をはさむ1944~1945年にかけては,男子の兵役に関わる年齢層を除き,全年齢層にわたって都市部からの大規模な人口分散が起こった.大部分の人員疎開は縁故疎開であり,疎開先は戦前の人口移動の影響を受けた還流移動のかたちをとった.1945~1947年にかけての東京都と大阪府での人口回復は限定的で,疎開先にとどまった者が多い.その結果,東京都と大阪府では終戦をはさんで居住者がかなりの程度入れ替わった.
著者
谷 謙二
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2004, pp.44-44, 2004

戦後長らく郊外から東京都区部への通勤者は増加を続けてきたが,1990年代後半にはその減少が観察された。その要因として,1)高度経済成長期に就職し,東京に通勤していた世代が退職する年齢層に到達し始めた,2)新卒者の地元就業率の上昇,3)大都市圏外からの人口流入の減少および都心周辺部での分譲マンションの供給の増加により,郊外への住み替えが減少,4)中高年層のリストラ,などがあげられる(谷,2002)。本研究では特に2)に着目し,郊外に居住する男性若年者の就業先がどのように選択されているかをアンケート調査の結果をもとに検討する。 東京大都市圏の30km圏以遠においては,中高年層では東京へ通勤する者が多いが,若年層では地元や郊外核での就業者が多いという地域が広がっている。本研究では埼玉県上尾市を事例地域として選定し,アンケート調査を行った。上尾市は人口約22万人で,さいたま市の北側に隣接し,JR上尾駅から東京駅まではJR高崎線・山手線で約50分の位置にある。上尾市では,第1図に見られるように,中高年層では県外に通勤する男性が多いが,20~30歳代では県内で就業する者が多いという特徴が見られる。 アンケート調査に際しては,上尾市内から無作為に16町丁を選択し,その町丁に居住する1970年代生まれの男性1942人を対象とした。住民基本台帳の住所をもとに2003年10月に調査票を郵送し,230人から有効回答が得られた(有効回収率11.8%)。調査項目は,生年・学歴・婚姻状態・勤務先・情報入手手段・居住歴等である。 発表では、この調査結果を基に就職に際しての情報入手経路等を検討する。
著者
谷 謙二
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2012, 2012

1.はじめに<br> 筆者は90年代から地理学関連のソフトウェア等の開発を継続している。当初はソフトを開発してもその配布が困難だったが,90年代末からのインターネットの普及により,公開・配布が飛躍的に容易となり,現在では様々な領域で利用されている.ここでは,ソフトウェア等の開発から公開,ユーザー対応まで,筆者の経験を述べる.&nbsp; <br><br>&nbsp;2.ソフトウェアの開発 筆者の開発しているソフトウェア類をその利用の専門性と機能を軸として示したものが図1である.一般に,多機能なソフトほど開発に時間がかかり,そのプログラム・コードも大きくなる.ソフトを開発する際には、既存のソフトでは実現できない機能を実現することが重要で,そうでなければ単なる模倣に終わってしまう.ただし、時間をかけてソフトウェアの開発を行い,継続的にメンテナンスを行っても,論文にはなりにくいという問題がある. &nbsp; <br><br>3.ソフトウェアの利用状況と利用促進<br> 筆者Webサイト(http://ktgis.net)からの2011年3月~12月末までのダウンロード状況を見ると,MANDARAは約2万2千回,今昔マップ2は1万回で,VECTOR,窓の杜等の外部サイトからのダウンロードを含めるとさらに多くなる.一方で,専門性の高い「OD行列集計プログラム」は60回に過ぎない. 多くの人が利用できる多機能なソフトを開発しても,存在が知られていなければ利用されない.認知度を高めるには,VECTOR,窓の杜といったライブラリに登録することが重要である.一方,Webサービスではこのようなライブラリが存在しないので,検索エンジンにおいてより上位に表示されるための,SEO対策が重要となる.一方,専門家に活用されるようになるには,専門家間の対面接触による口コミも役立っていると推測している.<br><br>&nbsp; 4.ユーザー対応<br> ある程度の専門性があり,かつ多機能なソフトの場合は,操作方法に関するユーザーからの質問が発生する.MANDARAの場合は基本的にWeb上の掲示板で質問に対応しており,最近3年間では約260の質問に対応した.基本的に質問の出された翌日までには返信を行っており,これは確実に対応する姿勢を示すためである.掲示板での質問の中には,時々バグ情報も含まれており,ソフトへのフィードバックとして重要な役割を果たしている.<br>
著者
谷 謙二
出版者
日本都市社会学会
雑誌
日本都市社会学会年報 (ISSN:13414585)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.25, pp.23-36, 2007-09-20 (Released:2011-02-07)
参考文献数
16
被引用文献数
1

This paper shows the changes in the migration and commuting flows in the three major metropolitan areas in Japan, Tokyo Osaka and Nagoya since Taisho Era (1910s). Although process of suburbanization began at Taisho Era, the rapid expansion of the commuting zone happened between 1930 and 1955.The main causes of this phenomenon were the evacuation of the metropolitan area to avoid loss of life from air raids in the wartime.However, institutional factors such as changes in the housing market, restrictions on population movement and the increasing availability of commuting allowances paid by employers all contributed to the significant expansion of the commuting zone.The most intense population growth in the suburbs was caused in 1960s and 70s by the residential careers of cohorts born in 1930s and 40s.They flowed into metropolitan centers from non-metropolitan area and after that they moved to metropolitan suburb due to their marriage or childbirth.After mid-1970s women who had flowed into metropolitan suburb before completed their child-rearing got employment again near their home. Therefore the numbers of the intra suburban commuters increased rapidly.It is a turning point of these three metropolises in 1990s.Since the outflow of population from metropolitan center decreased, migration between metropolitan center and the suburbs have been in equilibrium and the number of population of central city has increased.And the number of suburb-to-central city commuters has decreased.
著者
谷 謙二
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2009年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.3, 2009 (Released:2009-12-16)

1990年代後半以降の日本の大都市圏においては,戦 後の長期的なトレンドが反転し,人口の都心回帰,中 心都市への通勤率の低下などが顕著になった。この変 化を考える際には,90年代初めまでの大都市圏のシス テムが,いつ,どのように形成されたかを検討する必 要がある。筆者は,戦前の大都市(圏)と高度成長期 以降の大都市圏とではかなりの違いがあり,その違い は戦時期から復興期にかけての経済統制や占領政策に よって形成された部分が大きいと考える。これはいわ ゆる「総力戦体制論」につながるものであるが,当時 の大都市圏の変動はあまりにも激しく,変化の全貌は 十分に明らかとなっていない。本発表では,制度面と して土地所有,通勤手当,都市計画,労務動員,実態 面としては通勤流動,人口分布変動に注目して,当時 の大都市圏の変化とその含意を検討する。