著者
日野 正輝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100046, 2017 (Released:2017-05-03)

用語「広域中心都市」、「地方中枢都市」、「札仙広福」の登場と定着 日野正輝(中国学園大学)1.はじめに 戦後の札幌、仙台、広島、福岡の4都市の広域中心性の確立と急成長は、人口・経済力の東京一極集中とともに、20世紀後半の日本の都市化および都市システムの構造的変化を特徴づける特筆すべき現象であった。しかし、上記4都市を特定した統一した用語は存在しない。広域中心都市、地方中枢都市、札仙広福の3用語が比較的広く使用される用語としてある。 本報告は、上記した3つの用語がいつ頃誰によって、あるいはどの機関によって使われはじめ、それがどのように広まったのかを調査したものである。2. 広域中心都市   用語「広域中心都市」は、北川(1962)によって六大都市の下に位置するものの、他の県庁所在都市とは区別される新しい上位都市階層として提唱された用語である(吉田、1973)。北川は、ドイツの地理学者シェラーおよび恩師であった米倉二郎らの示唆を得て、ドイツの都市の階層体系にあるLandstadtに相当するものとして、広域中心都市の用語を使用したと言う。また、服部(1967)および二神(1970)も、1960年代後半にすでに上記4都市を指す用語として地方中核都市などの呼称が見られたが、国家中心都市に次ぐ都市階層として広域中心都市の表現を使用した。さらに、1969年日本地理学会秋季学術大会でシンポジウム「広域中心都市」が開催され、その成果が木内信蔵・田辺健一編『広域中心都市』(1971)として刊行された。こうした経緯によって地理学の分野においては、用語「広域中心都市」を定着したとみてよい。  しかし、「広域中心都市」は早くに登場したが、地理学以外の分野に普及することはなかった。全国総合開発計画では、広域中心都市に相当する都市階層の認識があったが、その表現は見られなかった。また、時期は1985年以降に限られるが、広島市市議会の議事録から、「広域中心都市」の出現回数を見ると、わずか1件のみであった。「地方中枢都市」の出現回数が116件であったことから、広域中心都市広島おいてさえ、当該用語はほとんど用いられることがなかったと判断される。3. 地方中枢都市   地方中枢都市は、中枢と言う表現からすると、大都市の成長は中枢管理機能の集積にあるとした中枢管理機能説との関連が認められるが、中枢管理機能をクロースアップした新全国総合開発計画において使用されていない。同計画では、7大中核都市、地方中核都市と言った表現が使用されていた。1977年閣議決定を見た第三次全国総合開発計画においてさえ、地方ブロックの中心都市と言いた表現が用いられ、地方中枢都市の用語は見られなかった。一方、国土庁に設けられた地方都市問題懇談会の地方都市の整備に関する中間報告(1976)において、地方中枢都市、地方中核都市、地域中心都市、地方中小都市の階層区分がなされた。この中間報告によって、都市の一般的な階層区分と各階層の名称が受容されることになったと推察される。その結果、第四次全国総合開発計画においては地方中枢都市の用語が使用されている。なお、地方中枢都市の用語は、1981年発行の中学社会科地理分野の教科書にも登場した。4. 札仙広福札   札仙広福は上記2用語に比べると後になって登場した表現である。上記した広島市議会の議事録において出現する時期は第五次全国総合開発計画策定の1980年代末から1990年代前半に集中している。これには、上記計画に札仙広福の4都市が自らの意向を反映させるために連携して運動した時期にあたる。ただ、どの機関が最初に当該用語を使用したのかは目下のところ不明である。1990年代はじめに札仙広福を冠したシンポジウムを重ねて開催し、当該用語の普及に貢献した櫟本(1991)によると、広島市では4都市の比較をしばしば行っていたが、そのなかで自然と出てきた表現ではなかったかと言う。付記今回の調査において下記の方々から貴重なご教示とご便宜を図って頂いた。ここに記して感謝に意を表します。北川建次、今野修平、櫟本功、松田智仁、宮本茂、小笠原憲一、渡辺修、寺田智哉(敬称略)。
著者
日野 正輝
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<br><br><br><br><b>広域中心都市・仙台</b><b></b><br>&nbsp;<br><br><b>日野正輝(東北大)</b><b></b><br><br>&nbsp;<br><b>1</b><b>.検討課題</b><br><br> 筆者はかつて東北の人口減少時代の到来を確認した上で、仙台の近年の変化として、①郊外での戸建住宅供給の減少と都心部での分譲マンション供給の増加、②支店集積の縮小、③市民組織などによる集客活動の増大を紹介した(日野、2006)。これらの傾向は現在も変わっていない。本報告では、主に仙台の産業構造および都市の活性化の動きを近年の統計を参照しながら再検討したい。<br><br>&nbsp;<br><br><b>2.</b><b> 1990年代以降の人口動向と基盤産業の推移</b><br><br><b> </b>仙台市および仙台都市圏(30km圏)の人口は2010年現在も増加を維持している。しかし、2000年代の増加率は1990年代にくらべると大きく低下した。人口増加率は2010年代には再び増大すると予想されているが、2020年代には再び低下し、2025年以降は人口減少に至ると予想されている。同時に、高齢化と世帯規模の縮小が一層進展する。仙台の経済基盤について、経済基盤説における基盤産業に着目し、主要基盤産業の動向をみると(産業小分類に基づき立地係数1以上の産業で、基盤部分の従業者数が多い産業)、1991年には卸売業が全基盤産業従業者数の35%を占めたが、2012年には当該比率を21%と大きく低下させ、代わってサービス産業の比率が増大するなど、仙台の経済基盤が多様化している。<br><br><b>&nbsp;</b><br><br><b>3.</b><b> 支店集積の縮小</b><br><br><b> </b>広域中心都市は周知のとおり高度経済成長期以降「支店経済のまち」と呼ばれ、支店集積が都市の発展をけん引するところが大きかった。しかし、支店の集積量が1990年代後半以降縮小に転じ、それに対応するかのように都心部のオフィスビルの空室率が大きく増大した。この傾向は2000年代においても継続している。2012年経済センサス(活動調査)による支店従業者数は113,522人であり、2001年121,699に比べて減少している。都心部オフィスビルの空室率は2001年11.6%、2011年13.2%と推移し、依然として10%以上の水準にある。1990年代前半の当該比率は5%前後であったことからすれば、高止まりの状態にあると言える。しかも、その間にオフィスから店舗などへの利用転換も少なくなかったことからすれば、実質的には空室率は増大してきたと推察される。その理由は、支店集積の増大が見込めないなかで大型ビルの建設が2000年代にも続いたことを指摘できる。<b></b><br><br><b>&nbsp;</b><br><br><b>4.</b><b> 市民活動と集客産業の動向</b><br><br><b> </b>東北地方の主要都市の中にあって中心商店街が賑わいを維持しているのが仙台のみと言ってよい状況にある。高橋(2009)は、仙台の中心商店街の賑わいについて、そこは単なる買い物の場所ではなく、来訪者がそこで時間を消費する「消費・集客装置」と見立て、仙台の磁力は多様化するとともに強まっていると見ている。同時に東京資本の影響が大きいと指摘している。他方、仙台の集客力に関連して、市民に支えられたイベントの増加と定着も注目される。青葉祭り、定禅寺ストリートジャスフェスティバル、みちのくYOSAKOI祭り、光のページェントなどは七夕祭りとともに、仙台の風物詩と位置づけられまでに育っている。さらに、楽天イーグルス、ベガルタ仙台などのプロスポーツクラブの設立および各種会議の開催が仙台の集客力を高める働きをしている。また、都市の持続的な活性化との関連では、NPOなどの各種の市民組織の活動が注目される。<br><br>&nbsp;<br><br><b>5.</b><b> 社会・文化的活動と都市の活性化</b><br><br> 上記した仙台の状況は、仙台駅周辺に開発された1990年代後半以降の高層ビル群から受ける仙台の印象(順調に発展する都市)とは違っている。前者の状況認識から、今後の仙台の在り方を考えるとき、支店経済の部分を含めた都市基盤の保持に努めることに加えて、市民活動の高まりなどに見られる社会・文化的活動のための環境整備および市民生活の質を高めることで、都市の活性化を促すことが期待される。都市の社会・文化的活動が都市の集客力や人口の社会増加に与える影響は小さくないと考えられる。<br><br>&nbsp;<br><br> <b>参考文献</b><br><br>高橋英博(2009):『せんだい遊歩―街角から見る社会・学―』北燈社、124頁。<br><br>日野正輝(2006):転換期を迎えた仙台の構造的変容。地理、第51巻、第12号、83-91頁。<br><br><br><br>
著者
由井 義通 日野 正輝 シャルマ ヴィシュワ ラージ
出版者
地理科学学会
雑誌
地理科学 (ISSN:02864886)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.1-17, 2021

<p>1991年の経済自由化以降,インドの経済は急速な発展をとげ,メガ・リージョンの核となる大都市圏の郊外では,工業団地やオフィスビルディングの開発,および新中間層や富裕層向けの住宅開発と商業開発が進められている。本研究の目的は,グルグラムから外延的都市開発が進むマネサールを事例として,デリー大都市圏のアーバンフリンジにおける住宅開発の実態と課題を明らかにすることである。</p><p>研究対象のマネサールはインディラ・ガンジー国際空港からナショナルハイウェイ8号線で南へ 32 kmに位置し,デリーの郊外都市として急速に発展しているグルグラムの南に隣接し,行政上は村委員会が管理している村であるが,人口規模および社会経済的特性が都市の条件を備えているセンサス・タウンである。マネサールはグルグラムの「マスタープラン2021」においてグルグラムと一体化した都市計画区域となり,都市開発が進められている。</p><p>マネサールのセクター1の開発状況について,2016年2月および2017年2月に現地調査を行った。その結果,536区画中,入居中の戸建て住宅は269戸,自宅建物に借家を組み込んだ小規模な集合住宅が19棟,戸建て住宅区画に建設されたPGが63棟,グループハウジングは55区画中19区画が開発済みであった。また戸建て住宅区画のうち,空き地と空き家が多く,約30%は未利用の状態であった。空き地の土地所有者は,居住意思はなく,投機目的での土地取得といえる。</p><p>グループハウジングは,コーポラティブハウジングが多く,グルグラムのような大手不動産ディベロッパーによる開発はない。また,大部分のグループハウジングでは賃貸住宅が多かった。</p><p>このように,マネサールでは大量の空き地と空き家が発生していた。また,入居のある住宅についてみると,戸建て住宅とグループハウジングのいずれにおいても賃貸住宅として貸し出されている住宅が多い。これらはマネサールがアーバンフリンジにあり,地価や住宅価格が安いことやメトロの延伸計画などで将来的な発展を見込んだ投機的な住宅開発が行われたことによると思われる。さらに,単身者向けのPGが多いのは,食堂などの生活利便施設のないアーバンフリンジで工業団地が開発されたためといえる。</p><p>インドにおける都市開発の問題は,農村からの土地の収奪問題発生や,伝統的農村が計画的都市内に無秩序に分散しているような第三世界的な過剰都市化が課題となっている。</p>
著者
林 上 日野 正輝
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.120-140, 1988-05-31 (Released:2008-12-25)
参考文献数
83
被引用文献数
4 5

日本における卸売業システムの空間的パターンは,これまでずっと東京と大阪を中核都市とする二極構造によって特徴づけられてきた。しかしながら1960年代以降は,産業構造の変化と大企業本社の集中に対応しながら,卸売業取引は東京に集中するようになった。その結果,卸売業の空間的システムは単一システム構造へと変化していった。同時に,札幌,仙台,広島,福岡などの広域中心地が,それらの地域における重要な卸売業中心地になった。 戦後の経済成長にともなって輸送貨物量は驚くほど増大し,輸送手段にも格段の発達がみられた。トラック輸送の発展にともない,倉庫や食料品卸売市場などの施設のなかには都市中心部から大都市の郊外に移動するものが現われた。主要な都市の郊外に建設されたトラック・ターミナルや卸売商業団地は,卸売業施設の都心部から周辺部への移転を促進する役割を果たした。 日本の小売業システムにおける最も顕著な変化は, 1960年代の初頭以降に,スーパーマーケットやスーパーストアが全国的規模や地域的規模で急速に発展したことである。こうした店舗は,都市の階層システムを通して普及していったセルフ・サービス・システムと多店舗システムによって特徴づけられる。小売業は郊外地域で発展したため,大都市の内部では商業地域に関して対照的なパターン(郊外対都心)が生ずるようになった。 モータリゼーションは,都市階層のあらゆる段階で購買地域の構造に再編成をもたらしたもう一つの要素である。新たに発展した商業地域が自動車でやって来る消費者を吸引する一方で,既存の小規模な商業地域は厳しい競争を強いられるようになった。以前は中心地システムに対応していた購買中心地の空間的パターンは,こうした影響の下でその階層的特徴を徐々に失っていった。
著者
日野 正輝
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2008

タイ北部の中心都市チェンマイ周辺に立地する中高等教育機関の新規学卒者の進路先調査を実施した。その結果、次の点が明らかになった。(1)高校卒業者の大学・職業専門学校等への進学率は先進国並みの水準にある。(2)地元高校の卒業生の地元大学に進学する傾向は強い。(3)大学卒業者の多くはチェンマイを中心にした北部に就職している。(4)次いで、バンコク都市圏に就職する者が多い。その点では、高等教育機関が北部からバンコク都市圏に若年の高学歴の労働力を送り出す働きをしていると言える。
著者
日野 正輝 丹羽 孝仁
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.47, 2010

1.研究の背景と目的<br> 東南アジアの都市化の様相は1980年代後半に大きく変化した(田坂,1998).小長谷(1997)は,その変化を過剰都市化から「FDI型新中間層都市」への移行と概念化した.McGee & Robinson(1995)は急速に膨張した首都圏域を指してMega Urban Regionと呼んだ.また,労働力移動に関しても,新規学卒者などのフォーマルセクターへの就業を内容とする人口流入が人口移動モデルのなかで大きく描かれてきた(松薗,1998).この傾向は,急増した外資系企業を含めた大都市のフォーマルセクターが求める人材は中等教育以上の学歴を持った若年層であって,農村部の既就業者でないことを示唆するものであった.<br>本研究は,タイの都市化の構造変化に関する上記した状況認識から,タイ北部の中心都市チェンマイ周辺に立地する中高等教育機関を対象に新規学卒者の進路先調査を実施したものである.<br><br>2.調査地域および調査対象の概要<br>調査地域:チェンマイはタイ北部の中心都市である.2000年現在のチェンマイ郡の人口は238千人(2009年)である.同地域では卓越した規模を誇る.チェンマイの主要な都市機能は行政・教育,商業,観光業である.製造業の集積は小さい(遠藤,1991).調査方法:チェンマイ周辺に立地する中高等教育機関として,中学・高校一体の中等教育機関3校,職業専門学校3校,大学5校を選び,訪問調査により入学者および新規卒業者の就職先等について聞取り調査を実施した.<br> 調査対象:中高校3校,職業教育学校3校(国立2校,私立1校),大学5校(国立4校,私立1校)<br><br>3.調査結果<br>_丸1_高校卒業生の大半が大学および職業専門学校への進学者であった.進学先は地元大学を強く指向している. <br>_丸2_タイでは,普通教育とともに職業教育ははやくから実施され,現在も中卒段階で5年制の職業専門学校に進学する生徒が多い.専門学校への入学者は一部に全国から生徒を集める私立学校があるが,国立の専門学校の場合は自県内からの進学者がほとんどである.専門学校の後期課程修了者の半数が主に地元の大学に編入学している._丸3_大学入試は基本的にはクォーター入試と一般入試からなる.前者は受験生を北部地域に限定して行われる.全入学者に占めるクォーター入試合格者の比率は大学によって異なる.卒業後の就業先地も,チェンマイ地域に就業する者が卓越する.ただし,大学評価の相対的に高いチェンマイ大学やメーチョ大学ではバンコク都市圏に就職する卒業生は相対的に多く,その点では部分的ではあるが卒業生をバンコク都市圏に送り出す働きをしていると言ってよい.外資系企業が立地する東部臨海地域にあるチョンブリ,ラヨン県にも就職している.<br><br>4. 調査結果の含意<br> バンコク大都市圏への人口集中に関連して,地方都市から進学目的による流入者が描かれてきたが,北タイの場合には,大学進学者の多くは地元の大学に進学し,バンコク都市圏に転出する比率は低い.大卒者の場合も,地元に留まる者が多かった点は,タイの若年人口の地域間移動を理解する上で留意しておく必要がある.加えて,現在タイは「産業構造の高度化に先行する高学歴社会の到来」の状況にあると言ってよい.そのためタイ社会にとっては今後高学歴者の雇用創出が課題になると同時に,低賃金労働部門での外国人労働力への依存が高まることが予想される.他方,日系企業を含めた外資企業においては,安価な若年労働力を大量に確保することは大都市圏のみならず地方においても困難になると予想される.<br><br>参考文献<br>遠藤 元(1991):北タイ,チェンマイ市の人口成長とその要因.経済地理学年報,37,201-224頁.<br>小長谷一之(1997):アジア都市経済と都市構造.季刊経済研究,20,61-89頁.<br>田坂敏雄編(1998):『アジアの大都市 1:バンコク』日本評論社,335頁.<br>松薗祐子(1998):就業構造と住民生活.田坂敏雄編『アジアの大都市 1:バンコク』日本評論社,191-209頁.<br>McGee, T. G. & Robinson, I. M. eds. (1995): The Mega Urban Regions of Southeast Asia, UBC Press.
著者
日野 正輝 柳井 雅也 末吉 健治 石川 錬治郎
出版者
経済地理学会
雑誌
経済地理学年報 (ISSN:00045683)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, 2001-03-31

2000年の地域大会として11月25〜26日に上記シンポジウムを開催した.25日の午後はNEC秋田の液晶工場を見学し,26日の午前中には秋田市千秋公園内にある秋田県生涯学習センター分館・ジョイナスにおいてパネルディスカッションを行った.はじめに大内秀明北東支部長からの挨拶があり,山川充夫準備委員長より趣旨説明が行われ,引き続き日野正輝氏の基調報告と3名のパネル報告の後,討論が行われた.討論の後,矢田俊文会長よりシンポジウムの感想と御礼の挨拶がなされた.なお,巡検への参加者は32名,パネルディスカッションへの参加者は54名であった.パネルディスカッションの座長は冨樫幸一(岐阜大学)が務めた.以下には各報告の要旨,討論と巡検の記録を掲げる.
著者
日野 正輝 富田 和暁 伊東 理 西原 純 村山 祐司 津川 康雄 山崎 健 伊藤 悟 藤井 正 松田 隆典 根田 克彦 千葉 昭彦 寺谷 亮司 山下 宗利 由井 義通 石丸 哲史 香川 貴志 大塚 俊幸 古賀 慎二 豊田 哲也 橋本 雄一 松井 圭介 山田 浩久 山下 博樹 藤塚 吉浩 山下 潤 芳賀 博文 杜 国慶 須田 昌弥 朴 チョン玄 堤 純 伊藤 健司 宮澤 仁 兼子 純 土屋 純 磯田 弦 山神 達也 稲垣 稜 小原 直人 矢部 直人 久保 倫子 小泉 諒 阿部 隆 阿部 和俊 谷 謙二
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2012-04-01

1990年代後半が日本の都市化において時代を画する時期と位置づけられる。これを「ポスト成長都市」の到来と捉えて、持続可能な都市空間の形成に向けた都市地理学の課題を検討した。その結果、 大都市圏における人口の都心回帰、通勤圏の縮小、ライフサイクルからライフスタイルに対応した居住地移動へのシフト、空き家の増大と都心周辺部でのジェントリフィケーションの併進、中心市街地における住環境整備の在り方、市町村合併と地域自治の在り方、今後の都市研究の方向性などが取組むべき課題として特定された。
著者
佐々木 公明 日野 正輝 長谷部 正 山本 啓 小林 一穂 照井 伸彦 赤松 隆 徳永 幸之 林山 泰久 福山 敬 徳川 直人 平野 勝也 伊藤 房雄 村山 良之 横井 渉央 張 陽
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

日本の集計データに基づいた幸福関数の統計的分析は「他者との比較」を表す生活水準が住民の幸福度に影響を与えることを示す。一方、物質の豊かさの価値よりも心の豊かさに価値を置く方が幸福度を増加させる。幸福度は所得満足度と共に単調に増加するが、所得満足度は生得水準の単調増加ではなく、「快楽の踏み車」仮説があてはまる。社会環境を表す所得分配の不平等と失業率はいずれも個人の幸福度に負の影響を与えるが、不平等よりも失業が住民の幸福により大きな影響を与える。
著者
日野 正輝
出版者
東北大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2000

札幌,仙台,広島,福岡の4広域中心都市はこれまで中心性および成長力の点で類似した都市として認識されてきた.しかし,1980年代後半以降,4都市間の成長の差が顕在化してきた.本研究はこの点を主に4都市の雇用者数の動向に焦点を当てて検証した.その結果,下記の諸点が明らかになった.(1)広島の人口および従業者の増加率は1980年代後半以降他の3都市に比べて継続して低位にある.この広島の成長率の低位は主に流通産業の成長の鈍化に求められる.広島の支店集積量は福岡の1/2程度の規模しかない.また,1980年代以降の成長産業である情報サービス業の集積においても,広島は4都市のなかで最も低位にある.(2)福岡と仙台の成長は最も良好であった.しかし,仙台の成長は1990年代においても域外企業の事業所の集積に依存し,地元企業の成長による従業者の増加は相対的に小さい状態にある.それに対して,福岡の従業者の増加は,域外企業の進出に依存すると同時に,地元企業の成長による部分が仙台に比べると絶対的にも,また相対的にも大きい.(3)札幌は,東京企業などの支店集積量では仙台と同規模にあって,福岡に比べると小さい.そのため,支店集積による従業者の増加も相対的に少ない.しかし,札幌では地元企業の従業者の増加数が大きい.この点は,情報サービス業においても同様の傾向にある.