著者
山岸 久雄
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.1-67, 2006-03

第45次南極地域観測隊越冬隊(45次越冬隊)は,隊員及び同行者42名が昭和基地で越冬し,第期5ヵ年計画の3年次にあたる定常観測,モニタリング研究観測を継続して行うと共に,宙空系,気水圏系,地学系,生物・医学系のプロジェクト研究観測を昭和基地とドームふじ観測拠点において実施した.また,設営関係では基地の運営を2004年2月1日から2005年1月31日まで担当し,電力, 上下水道,燃料,通信,食料,医療といった生活基盤の維持管理に加え,車両整備, 機械設備工事,航空機の運用ならびに滑走路のメンテナンス,LANの運用,野外観測支援など多くの作業を行った.またインテルサット衛星通信設備を建設し,本格的なデータ通信,インターネット,テレビ会議など多様な情報サービスの初年度の運用を行ったことは特記すべきである.昭和基地,及びオングル海峡の海氷が安定しなかったため,野外行動の本格的開始は極夜が明けた7月となった.8月以降,生物学,地球物理,大気観測に関する多くのリュツォ・ホルム湾沿岸調査旅行や航空機観測を実施した.45次越冬隊では朝日新聞記者2名が観測隊同行者として越冬し,南極の自然や隊の活動の報道を国内に送った.
著者
高橋 永治
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.65-72, 1969-12

1968年12月1日から1969年4月22日まで「ふじ」の航路に沿って,太平洋西部・インド洋・南極海の162地点の表面水中のクロロフィル-a量の定量を行なった クロロフィル-a量は,南極海が最も多く,インド洋の南緯32度以南,太平洋西部,南支那海の順に少なくなり,インド洋の南緯32度以北は最も少なかった クロロフィル-a量の変動の様子は,これまでの結果と似ているが,細部については必ずしも一致せず,論議のためには更に多くの観測結果が必要である.
著者
神山 孝吉 紀本 岳志 江角 周一 中山 英一郎 渡辺 興亜
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.30-40, 1994-03
被引用文献数
2

雪氷試料の化学的解析方法を, 現場運用環境を考慮しつつ検討した。現地で雪氷試料の化学的情報に接することができれば, 現場環境に応じてサンプリング間隔などを調整でき, 現場での研究活動に大いに貢献する。イオン交換性濾紙の利用は, 現場での雪氷試料の全ベータ放射能強度測定のための前処理方法の省力化・持ち帰り試料量の削減などに有効である。またイオンクロマトグラフィーを利用し, 微少量の試料で多種イオン(F^-, (CH_3COO)^-, (HCOO)^-, (CH_3SO_3)^-, (SO_4)^<2->, (C_2O_4)^<2->, (NO_3)^-)を分析する小型イオン分析システムを検討し, その機器構成と分析条件について議論した。さらに硝酸イオンの簡易測定システムについて問題点と有効性を考察した。このような方法を随時改良して行くことによって現場と同期した迅速な解析体制が確立可能である。
著者
福島 勲 久保 閲男
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.513-536, 1997-07

日本南極観測隊の通信部門では, 内陸調査旅行の際にブリザードなどの影響により深刻な雪雑音通信障害に遭遇してきた。その主たる原因は, バーチカルホイップアンテナの尖端で生じるコロナ放電と考えられてきた。本論では, 従前の各観測隊が経験した南極における雪雑音による通信障害の実例を調べ, その雑音発生のメカニズムと雪雑音障害の軽減方法について検討し, 雪雑音の影響が少ない調査旅行隊用のアンテナとして, 雪上車に取り付け可能な小型・高効率のトランスミッションラインアンテナの開発結果を述べる。
著者
阿部 豊雄 岩本 美代喜 祐川 淑孝 稲吉 浩 青野 正道
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.38, no.3, pp.268-321, 1994-11
被引用文献数
1

この報告は第32次南極地域観測隊気象部門が, 1991年2月1日から1992年1月31日まで昭和基地において行った気象観測の結果, 1990年12月26日から1991年12月1日までのあすか観測拠点における気象観測の結果ならびに, 1990年11月から12月に行った「しらせ」船上でのオゾン観測結果をまとめたものである。観測方法, 設備, 結果の取扱い等は, 昭和基地及びあすか観測拠点とも第31次観測隊とほぼ同じである。なお, 昭和基地では, 紫外線B領域の観測を始めるなど地上放射観測の充実を図った。あすか観測拠点では, 南極気候変動研究計画の一環として気水圏研究部門が計画した, オメガゾンデによる高層気象観測を16回実施した。越冬期間中特記される気象現象としては, 次のものがあげられる。1) 昭和基地ではブリザードの襲来が34回あり, あすか観測拠点におけるブリザード日数は82日間あった。2) 昭和基地における年間の日照時間の合計値は観測開始以来最も少ない1684.9時間であった。3) 3年連続でオゾンホールを観測し, 日別値では9月30日のオゾン全量が159m atm-cmと観測開始以来2番目に低い値を記録した。4) 5月23日, 昭和基地付近でハイドローリックジャンプによる雪煙の渦塔が観測された。
著者
星野 孝治
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.29-38, 1974-12

1973年11月27日から1974年4月18日まで,第15次南極観測行動中の「ふじ」の航路に沿って.192地点で表面海水中のクロロフィルa量を測定した.クロロフィルa量は南極海で一番多く,次いで南東大西洋,セレベス海,マカッサル海峡が多く,インド洋,西太平洋,南シナ海では少なかった.また,マラジョージナヤソ連基地沖のクロロフィルa量は,南極海の中でもずばぬけて多かった.クロロフィルa量の水平分布は細部では異なる点もあるが,過去4回の観測結果とだいたい一致している.
著者
松田 達郎
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.84, 1985-03

みずほ基地(昭和基地より270km南東氷床上)の維持のために, 燃料や食糧などの物資を積んだそりを2-4台けん引した雪上車隊が, 年に2回以上往復旅行をする。往復旅行を春夏季, 秋冬季に分けて実際にかかった日数を算出し, 第11次観測隊(1970)から第23次観測隊(1982)までを比較した。冬は気温が低く, ブリザードなど悪天候が多く人間生存の限界と思われる環境になる。したがって夏季より冬季の所要日数が多くなってくる。次に, 各隊の平均往復日数を比較すると, 全体的にみて, 近年になるにしたがい早くなっている。それは道路標識の確立, ルートについて詳細な伝承がなされていることが一つの要因である。しかし, 第13次から第19次観測隊頃まではその速度はかえって遅くなっているが, その後急に早くなっている。それは雪上車の型式を新しいものにするまで, 旧型のしかも中古車を修理しつつ使用しなければならなかったことに原因がある。第21次観測隊からはレーダーも使用されるようになり, ますます早くなっている。以上, 雪上車旅行行動を分析し, 人々の伝承, 天候, 使用する道具によって往復の速度が変動していることを示した。
著者
石沢 賢二 水野 誠
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.130-147, 2010-03-30

第50次南極地域観測隊が,2008年-2009年夏期シーズンに行った「オーロラ・オーストラリス(A.A.)」による昭和基地への人員・物資輸送について報告する.南極観測船「しらせ」の運航は,第49次隊行動で終了し,2009年4月で退役した.そのため,第50次隊の人員・物資輸送を行う代替船として,オーストラリアが南極輸送に使用している砕氷船をチャーターした.同船の行動としては,2008GGGDGLNS02・2F5F2009年シーズンの第3次航海にあたる.同船は,2008年12月30日に西オーストラリアのフリーマントルを出港し,翌2009年1月12日に昭和基地北方の流氷縁に到着した.ここから第50次越冬隊員28名および建設作業などに従事する第50次夏隊員を3機の小型ヘリコプターで昭和基地に輸送した.さらに同船は,昭和基地から約40マイルの定着氷まで進出し,第50次越冬隊成立に必要な物資と夏期作業用物資約91.8トンの輸送を実施した.その後,2009年2月2日,29名の第49次越冬隊員と第50次夏隊員および隊持ち帰り物資を同船に収容した.同船は,同日ただちに北に向け航海を開始,2月20日にホバート港に到着し,チャーター船による輸送が終了した.総航海日数は53日,氷海域行動日数は23日であった.その後,持ち帰り物資を収容したコンテナは,日本まで洋上輸送された.
著者
国分 征
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.75-92, 1978-03

第18次南極地域観測隊の観測計画および夏期行動の概要を述べる.楠隊長以下隊員40名,4名のオブザーバー(船舶技術者2名,カメラマン1名,ベルギーからの交換科学者1名),および約500 tの物資を積載した「ふじ」は,1976年11月25日東京港を出港,147日間の全行程を終え,1977年4月20日東京港に帰った.「ふじ」は12月31目定着氷縁に着き,1月25日までに全越冬用物資を昭和基地に運んだ.基地においては電離層棟の建設や大型雪上車の組立などの設営作業が行われたほか,2月10日にはS-310 JA-2ロケットの打ち上げに成功した.一方基地周辺では,リュツォ・ホルム湾点在露岩地域での地質学・地球化学調査,基準測量が行われたほか,航空機による氷河域写真撮影,気象観測も行われた.また,みずほ観測拠点での通年観測のための要員の送り込み,および無人観測所(69°47'S, 41°34'E)の建設のための内陸旅行がなされた.船上における海洋観測などの定常観測も全行程を通じて行われた.
著者
加藤 好孝
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.565-578, 2002-11

第42次南極地域観測隊夏隊20名は、越冬隊40名、同行者5名(環境庁1名、報道1名、大学院生1名、中国およびスロバキアからの交換科学者2名)とともに合計65名で2000年11月14日南極観測船「しらせ」にて東京港を出港し、船上および南極地域において各種観測・設営活動を行い、翌2002年3月28日に成田空港に帰国した。 往路においては海洋観測に加え、アムンゼン湾リーセル・ラルセン山での地学調査隊の送り込みとその支援活動を行った後、12月30日に「しらせ」は昭和基地に接岸した。それに先立ちヘリコプターにより第1便を昭和基地へ、また内陸旅行隊の人員物資をS16へ空輸した。昭和基地接岸後は、物資輸送、持ち帰り物資の積み込み、建設作業、沿岸野外調査などを実施した。昭和基地への輸送物資量は1049トンに達した。基地における建設作業として、光学観測棟、焼却炉棟、廃棄物集積場、西部地区分電盤小屋、送油ポンプ小屋、配管メンテナンス抗等の新築作業に加え、燃料タンクの新設・移設、太陽熱温水器の設置、防油堤の設置、旧食堂棟の撤去、倉庫棟および防火区画Aの屋根補修、大型アンテナレドームの補修など大小合わせて25項目、53日間にわたる延べ2440人日の作業を実施した。また夏期観測として、生物、海洋、地学、海洋、宙空、気象などの沿岸調査をリュツオ・ホルム湾露岩域を中心に実施した。夏隊・同行者合計20名は2001年2月15日までに「しらせ」に戻った。帰路においては、リーセル・ラルセン山の地学パーティーを収容するとともに、同地域およびトナー島に残置されていた建物・設備をすべて撤収し、海洋観測を実施しつつ「しらせ」は3月21日にシドニー港に入港、観測隊は3月28日に空路帰国した。
著者
大山 佳邦
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.82, pp.30-45, 1984-08

第24次観測隊は前 晋爾隊長以下45名(うち夏隊は大山佳邦副隊長以下10名)で構成され, そのほか南極条約に基づく米国人交換科学3名およびオブザーバー2名が同行した。1982年11月25日「ふじ」で東京港を出港した観測隊は, 途中オーストラリアのフリマントル港に寄ったのち, 12月末昭和基地沖の氷海に達した。12月31日昭和基地への第1便を送ったのち, 基地の北西約43km地点に達し, 空輸拠点とした。1983年1月2日から輸送を開始し, 以後好天に恵まれ, 輸送, 基地建設, 野外調査などすべて順調に進み, 1月22日昭和基地への輸送完了, 2月1日予定通り第23次越冬隊と越冬交代を行った。その後, 昭和基地西方約600kmのブライド湾に寄り, 海氷状況, セールロンダーネ山地への接近ルートなどの調査を行ったのち, 海洋観測を実施しながら帰路についた。3月11日ボートルイスに入港し, 第23次越冬隊は下船した。3月17日ポートルイスを出港し, シンガポール経由, 4月20日東京港に帰着した。
著者
三好登和子 今橋正征 鳥居 鉄也
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.32, no.2, pp.113-128, 1988-07

南Victoria LandのDry Valley地域には多くの塩湖が点在する。それら塩湖水中のストロンチウム濃度を測定したところ, 0.0-1630mg/lであった。そこでそれらのSr/Ca比を求めたところ, 0.0-4.56×(10)^<-2>の範囲で, 内陸の塩湖水のSr/Ca比はRoss海に近い塩湖水の比よりも低いことが明らかになった。Dry Valley地域の塩湖の塩起源をSr/Ca比をもとに, 次のように要約した。1)Fryxell湖の塩類は海水に起因する。すなわち, 湖水のSr/Ca比, 約3-4×(10)^<-2>, はhaliteが蒸発析出した海水の比に似た値である。現在の塩水は, 塩分が1/5ほどであるので, 蒸発した海水と氷河融水との混合により形成したと思われる。Bonney湖の塩類もまたFryxell湖と同じような変化を経て生成したと考えられる。2)Vanda湖は, 岩石風化で生じた塩類や海水起源の塩類析出物を含んでいる氷河融水と, Onyx河川水で形成された。谷中に分布するcalciteやgypsumのような塩類析出物は, T. G. THOMPSONとK. H. NELSON (Am. J. Sci., 254,227,1956)により行われた低温下での凍結濃縮で海水から生成されたと思われる。3)Wright谷上流域のLabyrinth地帯の湖沼水は, 氷河融水や降雪による風送塩の溶解や, 玄武岩といくぶん反応した水から生じたと考えられる。
著者
神沼 克伊 石田 瑞穂
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.53-60, 1971-12

世界の地震観測網が整備され,地球上に起こるマグニチュード5以上の地震は,ほとんど観測されるようになった今日でも,南極大陸およびその周辺に震源の決まった地震はない.しかし,南極各基地の地震観測の報告をみると,南極の基地だけにしか観測されないような,小さな地震が起こっているらしい.そこで,USCGSから発行されている"The Antarctic Seismological Bulletin"の資料に基づいて,震源の決定を試みた.少なくとも4点以上の基地で観測されているものにつき,その深さを33kmと仮定し,震央と発震時を求めた.震源決定を試みた地震72個のうち,24個の震央のみを,誤差±100km,O-C residual3秒以内で決めることができた.24個の地震のほとんどの震央は,大陸周辺に存在する地震帯の上に決まった.しかし,1個だけではあるが,南極大陸内に震源が決まった地震がある.この震源精度を確かめるために,多くの震源を仮定し,O-C residualの自乗平均値を調べた.その結果,この地震は大陸内20°W, 80°S,深さ1kmに起こり,マグニチュード4.3であることが分かった.現在の地震観測網では,震源を決められない小さな地震が,南極大陸に起こっていることは確実である.
著者
小達 恒夫 野元掘 隆 宮岡 宏
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.251-290, 2008-07-30

第48次南極地域観測隊夏期行動の概要を報告する.第48次隊は総勢62名で構成され,このうち越冬隊は35名,夏隊は27名であった.他に同行者として,南極観測船「しらせ」で行動した4名,ドームふじ基地において行動した2名,日独共同航空機観測を行った11名,及び航空機により昭和基地へ入り湖沼生態調査を行った3名が参加した.「しらせ」は2006年11月14日に晴海を出港し,また,観測隊本隊は11月28日に航空機で出発し,西オーストラリアのフリーマントルで「しらせ」に乗船した.「しらせ」は12月3日に同地を出港し,海洋観測を実施しつつ12月16日に氷縁に到着した.12月19日に昭和基地第1便が飛び,2007年2月16日の最終便までの間に,第48次越冬隊成立に必要な物資約1000 tの輸送と越冬隊員の交代を滞りなく完遂した.沿岸露岩の湖沼域の生態学的調査,氷河地形調査,地震観測,氷・水・土壌・生物等の試料採集,内陸での気象,電波,GPS等の無人観測などの夏期観測調査はほぼ予定通り実施できた.設営系では,昭和基地夏作業として予定された基地建物,施設の新設や改修工事はすべて実施した.特に,昭和基地クリーンアップ4カ年計画の3年目として,主に第47次隊が用意した200 tを上回る廃棄物を持ち帰り,また島内一斉清掃によって飛散していた廃棄物の回収に努めた.往復の航路上では,海洋観測を実施し,シドニーに3月21日に到着,観測隊は航空機で3月28日に帰国した.一方,ドームふじ基地支隊は11月5日に成田を出発し,ケープタウンからDROMLANチャーター機により,ノボラザレフスカヤを経由して12月3日に「ARP2」地点で第47次隊と合流した.その後,雪上車でドームふじ基地に12月12日に到着した.ここで,第47次越冬隊と協力して,1月26日までに3025.22 mの掘削に成功したのち,航空機により2月20日に帰国した.また,日独共同航空機観測に参加した夏隊1名は,12月3日に成田空港から出国した.ケープタウンからDROMLANチャーター機により,ノボラザレフスカヤを経由して12月8日にノイマイヤ基地へ到着した.同基地付近での航空機観測を実施した後,1月6日にはS17航空拠点へ移動し,昭和基地付近での航空機観測を実施した.1月27日にS17を離れ,2月8日帰国した.
著者
金森 悟 金森 暢子 渡辺 興亜 西川 雅高 神山 孝吉 本山 秀明
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.41, no.1, pp.291-309, 1997-03
被引用文献数
1

南極昭和基地の大気エーロゾルを1988,1989,1990年の3年間にわたり連続観測した。エーロゾル粒子に含まれる化学成分の内, exSO_4^<2->, MSA, NH_4^+等の成分が夏に高く冬に低い季節変化をする事を明らかにした。またガス状のHCl, SO_2,HNO_2,HNO_3の季節変化を明らかにし, 非常に高濃度のHClガスが夏期に出現し, 他の成分もエーロゾルに近い濃度になる事を示した。みずほ高原内陸および海上の大気エーロゾルの粒径分布を明らかにした。exSO_4^<2->とMSAは共に0.35μmに極大粒径を持ち, ガス体から生じた2次粒子であると思われる。ほとんどの大気エーロゾルは海塩に比較して負のexCl^-を示し, Cl^-がNa^+に対して欠損していることが認められた。みずほ高原内の5点における積雪ピットの観測から, 化学成分の季節変化は内陸の観測点でδ^<18>O, Cl^-およびNa^+につき見いだされた。飛雪では, Cl^-, Na^+, exSO_4^<2->, NO_3^-, MSA等の成分が海側で高く, 内陸に向かって減少し, 更に内陸で反転上昇し, 内陸に別の供給源があることを示唆した。ほとんどの雪は正のexCl^-を示した。みずほ高原の大気エーロゾルと対応する雪の間には, 化学成分濃度の比例関係がほぼ認められ, 積雪は大気エーロゾル中の濃度を大まかに反映している。しかしexCl^-, Ca^<2+>, K^+などはこの関係を満足しない場合が多いので, 地表の大気エーロゾル以外に高層大気からの寄与も考慮する必要がある。
著者
神山 孝吉 渡辺 興亜
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.38, no.3, pp.232-242, 1994-11
被引用文献数
3

さまざまな物質が南極内陸部上空に運ばれ, 雪面上に蓄積している。内陸部の降雪・積雪の化学組成は, 大気中の内陸部への物質輸送過程と内陸部大気中の物質の存在量を反映している。いくつかの物質濃度は内陸部の降雪で増加傾向にあり, 南極内陸部は特異な堆積環境の下にあることを示唆している。なぜなら広大な雪面の続く内陸は, 物質の供給源から隔たっており, 降雪中の一部物質濃度の増加は単純には説明できないからである。本報告では, 南極氷床内陸部に堆積する降雪・積雪の化学組成についての研究を概観し, 内陸積雪の化学的性質の特異性を指摘する。すなわち積雪中のトリチウムなどに代表されるようにいくつかの物質濃度が内陸内部で増加している。南極内陸部では大気が著しい低温を示すという地域的な要因に, 成層圏を通して遠隔地域からの物質輸送過程が存在し地球規模での物質循環過程を反映するという要因が加わって, 内陸部の特異性を生みだしていると考えられる。南極内陸部の積雪の化学的特異性を考慮することによって, 雪氷コアを通して地球環境を探る研究はさらに有効になると思われる。
著者
長田 和雄 西尾 文彦 樋口 敬二
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.32, no.1, pp.17-24, 1988-03

昭和基地周辺での海氷の状態と海塩輸送の関係を知る目的で, 降雪, 飛雪および海氷上の積雪を採取した。得た試料の融水の電気伝導度の測定結果から, 海塩の輸送機構を推論した。試料の電気伝導度は, 降雪で2.5-18μS/cm, ブリザード時の飛雪および海氷上の積雪で20-(10)^3μS/cm(一部は(10)^4μS/cm以上)で(10)^2μS/cm程度の場合が多かった。海氷上の積雪の存在状況と電気伝導度の関係は, 海氷の露出した地域の存在により, 海氷上の積雪の電気伝導度が高い値を示した。ブリザード時には, 降雪に起因する飛雪と, 塩分の高い積雪層の削剥に起因する飛雪とが混在して輸送されると考えられる。また, 塩分の高い積雪層の削剥起因する飛雪の水分を蒸発させる諸条件が整えば, 海塩粒子の生成する可能性を示した。
著者
平沢 尚彦 藤田 耕史
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.159-169, 2008-06-30

第44次南極地域観測隊のドームふじ基地におけるシーロメータ観測の結果から,雲及び降雪粒子の鉛直プロファイルの季節変化の概要をまとめ,特徴的な鉛直プロファイルを示した.夏季の2003年2月,12月,及び2004年1月には高度1000m以下に明瞭な雲底が検出される場合が比較的多かった.4月から10月には高度3000mから5000m(標高約7000-9000m)層で夏季より高頻度に雲が観測された.極夜期には高度1500m以下の層でストリーク状の降雪が観測され,これまでの研究と比較し議論した.このストリーク状の降雪は地上に近いほど後方散乱係数が大きくなる特徴を示した.
著者
林 正久
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.60, pp.28-37, 1977-11

第16次南極観測隊員として,1975年12月12日から1976年2月15日まで,昭和基地南東部の一流域を選び,雪渓の融水流の測定を行った.この流域は,雪渓の融水によって涵養されている.調査期間中に,4.8×10^3 tonの雪が消失し,そのうち3.1×10^3 tonが融水流として観測された.このことは,極地露岩地域の雪渓の消耗は,主として融水流の形をとるということができる.気候要素との関係をみてみると,気温が氷点以上になることが多かった1月上・中旬は,雪渓の消耗量は気温に影響され,氷点を越えることの少ない1月下旬以降は,日射量の変化が流出量を左右しているといえる.
著者
白石 和行
出版者
国立極地研究所
雑誌
南極資料 (ISSN:00857289)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.95-127, 2007-03-28

第47次南極地域観測隊夏期行動の概要を報告する.第47次隊は総勢60名で構成され,このうち越冬隊は37名,夏隊は23名であった.越冬隊は1名が病気のために帰国し,越冬開始時には36名となった.他に,夏隊に同行者として6名が参加した.観測船しらせは2005年11月14日に晴海を出港し,また,観測隊本隊は11月28日に航空機で出発し,西オーストラリアのフリーマントルで観測船しらせに乗船した.しらせは12月3日に同地を出港し,海洋観測を実施しつつ12月15日に氷縁に到着した.12月17日に昭和基地第1便が飛び,2006年2月12日の最終便までの間に,第47次越冬隊成立に必要な物資約1000tの輸送と越冬隊員の交代を滞りなく完遂した.また,日独共同航空機観測は,飛行時間111.5時間で,昭和基地周辺のほぼ900×400kmの範囲の地磁気,重力,氷厚などの測量を実施でき,良好なデータを得た.沿岸露岩の湖沼域の生態学的調査,氷河地形調査,地震観測,氷・水・土壌・生物等の試料採集,内陸での気象,電波,GPS等の無人観測などの夏期観測調査はほぼ予定通り実施できた.設営系では,昭和基地夏作業として予定された基地建物・施設の新設や改修工事はすべて実施した.特に,昭和基地クリーンアップ4カ年計画の2年目として,主に第46次隊が用意した200tを上回る廃棄物を持ち帰り,また島内一斉清掃によって飛散していた廃棄物の回収に努めた.往復の航路上では,海洋観測を実施し,シドニーに3月21日に到着,観測隊は航空機で3月28日に帰国した.一方,ドームふじ基地支隊は10月30日に成田を出発し,ケープタウンからDROMLANチャーター機により,ノボラザレフスカヤを経由して11月3日に「ARP2」地点で第46次隊と合流した.その後,雪上車でドームふじ基地に11月17日に到着した.ここで,氷床深層掘削の最終年度として,第46次越冬隊と協力して,1月23日までに3028.52mの掘削に成功したのち,航空機により2月9日に帰国した.