著者
加藤 忠史
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.152-161, 2007-06
被引用文献数
2

昨今、「脳を鍛える」がブームになっている。これは、音読・計算が脳を「活性化」させるとのデータに基づいている。しかし、「活性化」という言葉の実態は、単に血流増加を示し、ストレスや痛みでも脳は「活性化」するのであるから、「活性化」=プラス効果、という判断は問題がある。グルタミン酸による神経の「興奮」という生理学用語に価値判断を持ち込み、ご飯にグルタミン酸をふりかけることが流行ったという過去に学ぶべきであろう。計算中の脳血流増加には、計算そのものの他に、注意、情動、ストレスなどの多様な要因が関与する点も注意を要する。また、どのようなゲームでも練習すると上手になるが、その成績改善が認知機能全般の向上につながるかどうかは慎重に検討する必要がある。今後、脳科学からの問いかけに対し、教育界が沈黙することなく、議論を進めていくことに期待したい。
著者
内田 良 長谷川 哲也 上地 香杜
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.422-434, 2023 (Released:2023-12-13)
参考文献数
30

本研究の目的は、公共図書館をだれが利用しているのか、またそれはだれに利用されるべきと考えられているのかについて、平等利用の観点から大規模ウェブ調査の分析をもとに検証することである。分析の知見は次のとおりである。第一に、図書館利用には学歴がもっとも強い影響力をもっていた。第二に、非大卒者よりも大卒者のほうが、また滞在型の新しいサービスへの期待度が高い者のほうが、利他的に公共図書館の存在意義を重視していた。
著者
平田 諭治
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.83, no.3, pp.302-314, 2016-09-30 (Released:2016-12-14)

本稿は、グローバル化に対応した今日の英語教育改革の原理的な問題点を念頭に置きながら、その英語教育の制度化を歴史的に主導した岡倉由三郎の晩年の思想と行動を探究した。具体的には1930年代初め、簡易化された英語体系としてチャールズ・オグデンが創案したベーシック・イングリッシュの受容のあり方を検討・考察し、「外国語としての英語」と「国際語としての英語」のねじれた関係を歴史的視野から批判的に問い直すことを試みた。
著者
濱中 淳子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.87, no.2, pp.190-202, 2020 (Released:2020-09-30)
参考文献数
26

今般の大学入試改革は、新体制に切り替わる直前に「英語民間試験導入」と「国語・数学の記述式問題導入」が見送られるなど、迷走状態にある。なぜ、このような状態に陥ったのか。今回の改革の特徴は、教育測定や教育社会学、英文学者や言語学者等の研究者が危うさを訴えているなかで進められた点に求められるが、本稿では、推進派の問題とともに、研究者が何を主張してきたのかについても踏み込みながら、迷走の背景を描写した。
著者
佐久間 亜紀 島﨑 直人
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.88, no.4, pp.558-572, 2021 (Released:2022-06-17)
参考文献数
22

教員不足とはいったいどのような状態のことか。不足の規模はどれくらいで、なぜ不足するようになったのか。本稿では、公立学校における教員の配置・未配置の実態およびその要因を、事例研究を通して実証的に明らかにする。また配置される教員や学校側の視座から、未配置が教員の職務や力量形成に及ぼす影響にも迫る。X県では、2021年5月1日時点で1971人の正規教員が配置されず、非正規雇用教員を1856人配置してもなお、115人が未配置となっていた。
著者
吉田 文
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.2, pp.164-175, 2014 (Released:2015-06-18)
参考文献数
19
被引用文献数
3

本論文は、「グローバル人材の育成」をめぐる諸アクターの行動を分析し、グローバル人材を論じつつも、それがローカルな視点に立脚するものであるかを明らかにする。 分析の結果、1.2000年代に入り産業界は海外勤務従業員の育成を課題としてグローバル人材を論じはじめ、2.2000年代後半には、それが大学の課題となり、3.文科省は競争的資金で大学を誘導し、4.大学は海外留学と実践的な英語教育に力を入れ、5.小規模大学もグローバルを鍵とした学部・学科の改編を実施していることが明らかになり、これらが時間的にも空間的にもローカルな閉じた議論であることを指摘した。
著者
渡邉 雅子
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.180-191, 2017-06-30 (Released:2018-04-27)
参考文献数
23
被引用文献数
1

本稿は日本の政治教育でも習得が求められている政治的教養とその育成を、フランスを例にひとつのモデルとして提示する。政治的知識は「合意された手段」を使って権利を行使するための知識と技術を指すが、政治的教養はそれらの知識・技術を使って判断したり実際の政治行動に結びつけたりする「価値」をも視野にいれたものと定義する。フランスでは合意を得る手段として、歴史を根拠にことばの定義を行い、異なる視点を突き合わせてその矛盾を解決する〈弁証法〉が書いたり討論したりする方法として用いられており、初等教育からこの様式習得のための教育が行われている。この思考と表現の型―思考表現スタイル―に歴史教育が根拠となる「材料」を提供し、市民性教育が「概念」を与え、フランス語教育が「感情」を育み、それらが統合されて政治的教養が習得される過程をフランスの学校調査から明らかにする。結論では政治教育における3つの課題―①主体性の育成と教育の価値中立性、②生徒の政治行動への準備、③多元的な社会における政治教育―にフランスのモデルがいかに応えているかを示す。
著者
藤井 穂高
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.81, no.4, pp.484-495, 2014 (Released:2015-06-25)
参考文献数
51

本論では、イギリスにおける近年の改革動向とそれをめぐる議論を素材として、就学前施設と小学校を含む教育期間の区切り方の可能性、その根拠と課題を検討することを目的とした。検討の結果、5歳児就学を支持する説得的な理論的根拠はなく、イギリス(イングランド)の上から下への改革と、ウェールズの下から上への改革は、ベクトルは反対ではあるが、同じ課題、すなわち、「小学校」という枠の中で、いかに幼児教育の原則を実現するか、という課題を内包していることを明らかにした。
著者
末冨 芳
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.79, no.2, pp.156-169, 2012

義務教育の基盤としての教育財政制度改革に求められる条件は、(1)公立学校については「面の平等」の不足を補いつつ、「個の平等」に対応していくための学校分権やナショナル・スタンダードの導入、(2)公立学校の枠組みでは保障してない教育ニーズへの対応である。また効率を重視する財政削減路線の中で、学校や教育行政のアカウンタビリティの遂行が義務教育財政の充実のために必要とされる。
著者
丸山 恭司
出版者
一般社団法人日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.111-119, 2000-03

<他者>あるいは他者性は現代思想のみならず、教育研究においても重要な概念である。この概念に着目することによって、抑圧された人々を不当に扱うことを避けることができる。研究者は<他者>承認の可能性を問うてきた。しかしながら、教える者と学習者の教育的関係は他の人間関係とは異なっているため、<他者>の一般概念を教育の文脈に応用するとき、誤謬が生じることになる。しかし、一方で、教育的関係において<他者>が何を意味するかは決して明確ではない。よって、本論の目的は、教育的関係に現れる<他者>の特性を明らかにし、学習者の他者性を問うことの意味を探ることである。第1節では、まず「他者」概念と他者問題の歴史を概観したうえで、現代思想において問われる<他者>と教育関係における<他者>の相違が考察される。<他者>をめぐる現代の思想家の関心は哲学的であると同時に論理的-政治的なものである。それは、抑圧された人々の解放である。一方、教育的関係において<他者>は必ずしも抑圧されているわけではない。抑圧と解放の図式に囚われてしまうと、教育的関係において現れる<他者>の特性を見落としてしまいやすい。教育的関係において学習者の他者性がいかに現れ、消滅するのかを明らかにするために、第二節では、ヘーゲルとウィトゲンシュタインの他者論を比較する。ヘーゲルの他者概念ではなく、ウィトゲンシュタインの他者概念によって教育的関係における<他者>の特性が説明されることが示される。ヘーゲルおよびその継承者は主人と奴隷の関係が逆転する主奴の弁証法に関心があり、自己意識は初めから承認を求めて闘争する者として描かれている。一方、ウィトゲンシュタインは、<他者>を戦士としても、被抑圧者としても描かない。彼は教育的関係における<他者>の文法的特性に明らかにする。学習者の他者性はその技術と知識の欠如ゆえに言語ゲームの進行を妨げる者として現れ、実践ないし生活形式における一致のうちに解消されるけれども、また顕在するかもしれないものなのである。教育的関係において<他者>を承認する可能性を探るために、学習者の他者性を問うことの意味が、最後に明らかにされる。ウィトゲンシュタインの議論は教育の概念を制限づける。教育は学習者の心性を制御することでも彼らを放置することでもありえない。それは実践における一致として終了する。教育はユートピアを実現するための手段ではなく、われわれは学習者の潜在的な他者性を引き受けるねばならないのである。
著者
中村 香
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.78, no.2, pp.138-149, 2011

本論では、日本社会教育学会における成人学習論の展開に、経営学に基づく学習する組織論から接近し、両論に通底する省察的実践を志向する学習観や研究観について考察する。技術的合理性の追求を問い直し、省察的実践を志向し、協働的・持続的に知を生成する学習観・研究観を培うことによって、労働の分業化によって分断された知を紡ぐイノベーションを図ることができる。そのための学習を組織化することが、教育学の役割になる。
著者
久保田 貢
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.84, no.2, pp.130-142, 2017-06-30 (Released:2018-04-27)
参考文献数
64

主権者とは国民主権の原理を採用する憲法によって定義づけられる。しかし教育現場は憲法と「断絶」し、主権者教育の歴史も忘れられている。永井憲一は主権者教育権論を提起した。主権者教育論は、他にも1950年代後半から日教組周辺の議論の中でみられ、歴教協などで深められる。いま国家が主権者教育の推進を図るが、これは新たな排除をもたらす。文化的自治のルートの回復と、教育現場の当事者たちによる、より直接的な協議の場の構築が課題となる。
著者
志水 宏吉
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.85, no.4, pp.420-432, 2018 (Released:2019-10-12)
参考文献数
19

本稿では、日本の教育実践のなかで、最も差別・貧困の問題に敢然と立ち向かい、多くの成果を収めてきたと考えられる同和教育について、その歴史をたどり、今日的意義を考察する。同和教育は、解放教育そして人権教育と展開するなかで、その理論的・実践的な骨格を整えてきた。「集団づくり」「人権総合学習」「解放の学力」といった言葉で語られるそのエッセンスは、ペアレントクラシーという用語で表現されうる現代日本においてこそ、十全たる教育的意義を有している。
著者
矢野 裕俊
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.80, no.2, pp.197-209, 2013-06-30 (Released:2018-04-04)
被引用文献数
1

2012年、大阪市の教育行政は新たな局面を迎えた。教育行政には積極的に関与しないとする、それまでの市長の方針から一変して、教育行政に対する首長の役割を前面に掲げる市長が登場したことにより、首長の主導による教育改革が始まった。それにより、教育行政の相対的な独立性を支える教育委員会と首長の関係はどうあるべきなのかが、現実のさまざまな問題で問われることとなった。本稿は教育関連条例の制定、教育振興基本計画の見直し、学校選択制の導入という、市長の主導で展開された大阪市の3つの教育改革施策に注目して、2012年の大阪市における教育行政の展開を事例として検証し、教育行政をめぐる先行研究に依りつつ、教育委員会と首長との関係を、連携と協働へと至る過程における教育委員会の経験として概括する。
著者
舘 かおる
出版者
一般社団法人 日本教育学会
雑誌
教育学研究 (ISSN:03873161)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.406-416, 1999-12-30 (Released:2007-12-27)

本論では、日本の大学における教養教育の分野でなし得ている、女性学・ジェンダー研究の貢献について検討する。 従来の定義に従えば、教養教育の役割は、人文学と自然科学の幅広く基礎的な「知」の習得を通じて、学生たちを良く均整のとれた人間に成長させるように促すことであるが、第二次女性解放運動後、その「知」は、ジェンダー化(性別に関わる偏向がある状態)されていると認識されるようになった。ジェンダーは、我々の社会組織や自分自身の経験の最も基本的な構成物の一つである。また、ジェンダー関係を理解することは、地域的にも世界的にも、社会変化の過程と現代の社会生活を理解するための中心と言える。それ故、大学の教養教育にジェンダーの視点を組み入れることは、重要なことである。他の国々と比較すると、日本ではそんなに多くの大学ではないが、女性学・ジェンダー研究を提供している。国立婦人教育会館が行った調査によれば、1996年で351の大学が、女性学・ジェンダー論の講座を開設しているが、学部レベルで女性学・ジェンダー研究の学位を取得できる大学は皆無であり、大学院レベルでは城西国際大学とお茶の水女子大学で修士と博士の学位を習得できるのみである。 本論では、一章で、日本の大学において見られるジェンダー・バイアスの様々な局面について、大学の女性教員数が少ないことを含め、論じている。二章では、日本の大学における女性学・ジェンダー論講座の概況について述べている。三章では、女性学・ジェンダー論講座を登録する学生が増えているいくつかの理由について考察している。その理由の一つには、この講座を教える者たちが用いる革新的な教育方法にある。四章では、女性学・ジェンダー研究が提供する「新しい知」に直面した学生の反応をいくつか記述している。 日本の教育システムは、一般に学生たちの経験から分離した様々な知を暗記して吸収するよう教えられることが普通である。しかし、本論で示すように、学生たちは、女性学・ジェンダー論を履修して、知がどのように構築されているかを知るようになり、同時に、既存のシステムを疑い、挑戦し、新しい知を構築する力を得ることを実感する。さらに、ジェンダー・アイデンティティが社会的文化的に構築されるという気付きは、社会的な慣習や規範に縛られることなく、自分のアイデンティティを構築し、新たな未来を発見する可能性を開くようになる。また、女性学・ジェンダー論は、公的領域でのジェンダー化された権力関係を見ることも可能にする。例えば学生たちは、少年のグループによって,女子高校生が連れ去られ、強姦され、殺された時の、メディアの報道における隠されたジェンダー・バイアスを見つける。日本の法システムにおいて、強姦犯に課する罰の軽さと同様に、強姦の被害者に対する警察の扱いが軽いことに、男子学生、女子学生に限らず、学生たちは警告を発するようになることにも触れている。 一端、社会システムも知もジェンダー化されていることを認識すると、例えば、フランス革命における人権宣言や共和制の理念が、女性を排除したことの意味を、学生たちはたやすく理解する。さらに、近代科学が女性と人種に対し差別化したことも知り得る。このような気付きは、ジェンダー・バイアスのない新しい知を創ることが重要と考えるように彼らを力づける。 多くの国で、様々な分野におけるジャンダー分析が、有益であり重要であると認識されている。それ故、21世紀においては、すべての大学の教養教育に、女性学・ジェンダー研究の視点が含まれるべきであると思われる。