著者
時 渝軒
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.135-149, 2016-01-15

大江健三郎の『取り替え子』に対して、これまでの先行研究は主にテクストの中核を据える「アレ」に解釈を加え、分析してきた。だが、事実との関連性であれ、超国家主義の暴力であれ、いずれの解釈も作中で言及された過去の作品と本作とのつながり、つまりセクシュアリティの問題を見逃している。共同了解を前提とする「アレ」はテクストにおいて、「嘘」の仕掛けにほかならない。焦点人物である古義人は「友情」というイデオロギーで自分の吾良に対する同性愛指向を隠蔽している。その隠蔽を暴くために、もう一人の焦点人物千樫の視点が導入されたわけである。一方、ホモソーシャルな機構である錬成道場のホモフォビアによって、古義人と吾良の摸擬同性愛関係が暴力の形で排除された。テクストで不分明である「アレ」は要するに、吾良のセクシュアリティと古義人のホモセクシュアリティを起点とし、ホモソーシャルな社会の暴力をクライマックスとする出来事の全体である。このように、過去の自作における身体的な同性愛表象から脱皮し、身体への欲望を媒介とする想像上の同性愛表象こそは、『取り替え子』というテクストの達成と言えよう。この過程において、同性愛表象 を扱った過去の作品が招喚されたり、改訂されたりすることで、読者が先行作品を通じて積み重ねた「アレ」=「大江文学における同性愛表象」が書き直されたのである。
著者
Marianna Cespa
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.169-187, 2012-12-26

本稿は現代日本語とイタリア語の時制の相違点や共通点に関して論じるも のである。言うまでもなく,言語が異なると文法も異なるため,用語法が厳 密な部分とそうではない部分があるように見えるが,どの言語もあらゆる言 語に翻訳することが可能であり,それらの言語間の異なる時制形式を説明す ることも可能であるということが本稿の前提である。本稿ではかなり相違が あると思われているイタリア語と日本語の時制形式とその関係について述べ ながら,2つの言語をどのような視点からどう一般化して捉え,どのような 諸手段で表現しているか,またこのような言語的時間の本質がどのように有 機的に発話行為に繫がっているかに関しても考えていく。 本稿で取りあげるのはイタリア語と日本語の現在時制と過去時制の本質と その用法であり,特に複文における用法である。日本語に時制はないという 立場と日本語の時制は曖昧であるという立場をとる学者がいるが,本稿では 日本語にも時制があると考える。従来の様々な外国語教育研究の結果による と日本語を母国語とする学生にとってはイタリア語の時制が複雑であるのに 対し,イタリア語を母国語とする学生にとっては日本語の時制が曖昧のよう である。おそらく,イタリア語には日本語にない時制の一致のルールがある からだと考えられる。このルールによるとイタリア語は主節の動詞が過去形 のとき,従属節の動詞はその影響を受ける。一方,日本語ではこのような時 制の一致の制限はないが,動詞が動作動詞か状態動詞かによって,その文の 時制(またはアスペクト)を決める上での力関係が違ってくる。 次に,イタリア語の過去時制に属する近過去と遠過去の相関関係について 述べる。その際には,例文を挙げながら,それらの時制の「代用」の一般的 な傾向が適切かどうかに関しても考えていく。
著者
高橋 希衣
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.181-204, 2013-12-20

Aus der Sicht der Beschreibung und Erklarung von Universalit at und Sprachspezifit at werden zur Zeit sehr aktiv Forschungen betrieben,sprachtypologisch nicht verwandte Sprachen kontrastiv zu untersuchen. Jedoch muss man feststellen, dass sich die Forschungen in der deutsch-japanischen kontrastiven Phonetik und Phonologie nicht entsprechend dynamisch entwickeln wie der allgemeine Trend; dies betrifft besonders die noch immer uneinheitlichen phonetisch-phonologischen Kana-Aussprachebezeichnungen in deutschjapanischen Worterbuchern, die anstatt unter Verwendung des IPA (Internationales Phonetisches Alphabet) haufig mit alteren und unnaturlichen phonetischen Notationen dargestellt werden. Im vorliegenden Beitrag wird ein neues System fur die phonetischphonologische Beschreibung von Kana-Aussprachebezeichnungen fur deutsche Laute vorgeschlagen. Als grundlegendes Prinzip wird bei der Systematisierung der Kana-Aussprachebezeichnungen die Treue zu den originalen Lauten des Deutschen verfolgt. Dar uber hinaus soll diachronisch berucksichtigt werden, dass als ein Teil der deutschen Sprache auch die praktizierten und akzeptierten Formen der Standardaussprache einem standigen Wandel unterliegen.
著者
趙 恵真
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.195-211, 2016-01-15

本稿では,前期現代語における日韓漢語動詞の形態的特徴を明らかにした上で,現代の日韓漢語動詞とはどのような相違点がみられるかについて対照考察を行う。日韓両言語には,漢語の後部にスルとhadaがそれぞれ結合して使われる場合が多く,この場合,「漢語+スル」と「漢語+hada」には比較的整然とした対応関係が見られる。このような「漢語+スル」と「漢語+hada」の形態を本稿では「漢語動詞」と呼び,日韓両言語それぞれをスル形,hada形と称する。しかし,語彙によってはスル形とhada形が対応しない場合がある。例えば,日本語ではスル形でしか現れないものが,韓国語においてはhada形の他に「doeda(なる)」,「sikida(させる)」,「chida(打つ)」,「danghada(負う)」,「gada(行く)」などの動詞が漢語と結合して現れる場合がある。このような事実をふまえつつ,前期現代語における日韓両言語の漢語動詞の形態的特徴について考察を行った結果,現代語とは異なる形態的特徴及び対応関係がみられることが明らかになった。また,対応関係からA,B,C,D,Eの5パターンに分類できた。Aパターンは現代語と前期現代語においてスル形とhada形が対応する場合である。日韓両言語においてもっとも生産的な形態であるといえる。Bパターンは日本語の現代語と前期現代語ではスル形で現れるが,韓国語の現代語ではhada形以外の形態を取る場合である。Bパターンは韓国語の前期現代語においてhada形以外にどのような形態を取るかにより,さらに4つに下位分類できる。Cパターンは前期現代語では日韓両言語とも漢語動詞として現れない場合である。Dパターンは日韓両言語とも前期現代語では漢語動詞で現れたものが,現代語では漢語動詞として現れない場合であり,Eパターンは韓国語の前期現代語でのみ漢語動詞で現れる場合である。
著者
安川 慶治
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.207-225, 2008-09

エズラ・パウンドは、1910年代のイギリスに自由詩の革新を謳うイマジズム運動を展開し、また後には独特のスタイルで長大な叙事詩『詩篇』The Cantos を綴ったことで知られるアメリカの詩人である。彼はまた、1933年にムッソリーニと面会し、イタリア・ファシズムを新しい時代の可能性ととらえ、その協力者とみなされる立場を取ったことでも知られる。第2次世界大戦後、パウンドはアメリカで13年間にわたって精神病院に拘禁されるが、その拘禁中に彼は、日本の能の形式での上演を夢見て、ソポクレスの悲劇『トラキスの女たち』を翻案・翻訳した作品を残した。自作への懐疑にとらわれ、ついに沈黙へといたる戦後のパウンドは『トラキスの女たち』に何を託したのか。本稿はパウンド版『トラキスの女たち』に、パウンドが自分自身の「悲劇」とどう向き合おうとしたのか、それを知る手掛かりを求める試みである。
著者
西本 優樹
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.17-33, 2019-12-20

ジョン・サールは,『社会的世界の制作』において,一枚の紙片が一万円札であることのような制度的事実は「宣言」と呼ばれる言語行為の一類型により創出され,それは我々を当該の事実の内容に従った仕方で行為させる義務論的力を持つと主張している。本稿では,サールの議論に提起されてきた,行為者が制度に従う際の行為の動機づけを十分に説明できていないという批判に対して,サールの議論を言語行為の規範性に基づきそうした動機づけを説明する,言語論的な合理主義として特徴づけることを通じて応答する。その上で,そのように言語論的な合理主義として理解されるサールの議論が,彼の本来の目的である制度的世界と自然科学的な世界を整合的に説明するという試みと緊張関係にあることを,同じく言語論的な合理主義として理解される推論主義の視点から指摘する。
著者
稲吉 真子
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.147-159, 2016-01-15

「も」の基本的な用法である「累加」とは,「同じカテゴリーに属するとい う判断(同一範疇判断)を示すこと」である。しかしながら,その用例を見 てみると,同一範疇の判断がつきにくい,もしくは同一範疇のものが文脈上 に存在しない場合も多くある。「も」の同一範疇を判断する基準としては,統 語的同一範疇判断と語用的同一範疇判断があり,その内どちらかが必要とな るが,語用的同一範疇判断についてはある種の推論を必要とすることが多い ため,統語的同一範疇判断と比較し,同一範疇判断がつきにくいと言える。 同一範疇判断がつきにくいか否かについては,類命題の有無が大きく関与し ており,それぞれの用例を類命題との関わりから考察する必要がある。 なお,類命題がないものに関しては,類命題以外にどのような同一性に基 づき「も」を使用しているのかについて,新たなる観点を導入して検討する 必要があるが,それについては,「世界知識」という観点を導入し,話し手の もつ「世界知識」に基づき発話がなされているタイプとして分類することが できる。 また,数量をとりたてる「も」についても,類命題がないタイプとして位 置づけることができるが,これについては,「まで」,「しか(ない)」,「は」, などの,他のとりたて詞との対応関係から,「も」の特徴を明らかにしていく。 以上のように,本稿では,「も」の基本的な用法とそれ以外の用法について, 統語論的観点から整理した上で,新たなる観点を取り入れつつ,語用論的観 点からの考察を試みる。
著者
丹下 和彦
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.87-99, 2012-03

小論はエウリピデスの悲劇『フェニキアの女たち』の作品論である。本篇の上演年代は不明であるが、作者晩年のものと見なされている。古代から人気作品として知られているが、それが作品の完成度と必ずしも一致しない。劇は冒頭から最後に至るまでテバイ攻防戦を巡る各場面が連続してパノラマ的に展開するが、それらを繋ぐ統一的なテーマが見つからない。同時上演の他の作品との関連から、息子たちに対するオイディプスの呪いをそのテーマに擬する説もあるが、小論はそれを採らない。また劇の初めと終わりに登場するアンティゴネ像に人間的成長を認めて、それを本篇の意義と捉える説も採らない。論者は、本篇は互いに内的関係に乏しい、そして統一的テーマに欠ける各場面のパノラマ的展開の劇であり、その展開の妙こそが人気の源であったとする。
著者
伊藤 孝一 Koichi Ito
出版者
淑徳大学人文学部紀要委員会
雑誌
研究論集 (ISSN:21895791)
巻号頁・発行日
no.4, pp.109-118, 2019

日本のテレビ放送が始まって65年。テレビはメディア・コミュニケーションの中心的な役割を担い、人々に大きな影響を与えてきた。テレビ番組の中で、報道やスポーツとならぶ大きな存在であり、大衆文化を先導してきたのがドラマである。「生ドラマ」と呼ばれる生放送から始まり、VTR機器類の進化、山田太一・向田邦子・倉本聰という「シナリオライター御三家」やこの後の有能なシナリオライターの登場により、テレビドラマはエンタテインメントを担うコンテンツとして大きく進展してきた。しかし、この数年、「俳優が出演を拒否する」「視聴率が取れない」「バラエティ番組枠に変更する」などという声が聞かれ、テレビドラマは不振と言われている。ドラマは「時代を映す鏡」といわれて久しいが、いま醸し出されている人々の意識、あるいは時代の空気感とドラマの創造性="クリエイティビティ"との関係に視点をおいて、現在のテレビドラマにおけるクリエイティビティについて論じる。
著者
小林 知恵
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.35-49, 2019-12-20

S. ブラックバーンの準実在論は,態度の投影という考えを経由することによって,道徳的性質や道徳的事実の存在を前提とすることなく,私たちの道徳的実践を説明することを目指すプログラムである。彼は道徳的言語実践の説明に際して,道徳的言明の意味論的機能は態度の表出であるとする表出主義を採用する。しかし,表出主義の妥当性は長らく現代メタ倫理学上の一大トピックとして盛んに論じられ続けており,近年では表出主義の難点を解消する代替案として様々なタイプのハイブリッド表出主義が提唱されている。本稿では,ブラックバーンの純粋な表出主義とM. リッジが提唱したハイブリッド表出主義の相違点を明らかにし,ブラックバーン流の表出主義がハイブリッド表出主義に取って代わられるべきではない理由を,彼の理論内部の整合性という観点と,ハイブリッド表出主義自体が抱える難点に基づいて提示する。
著者
宮澤 優樹
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.73-84, 2016-12-15

ホラー作家として知られるStephen King(1947-)のThe Body(1982)は,作家がホラー小説を書くことについて自己言及的に表現している。この作品は小説家を語り手として,行方不明の同級生の死体を発見しようとした幼い頃の経験を描いている。その冒頭で,これから始まる物語は「言葉では言い尽くせない大切な経験」だと語り手は宣言する。対象を言語化するのが困難であることを認めることは,そのこと自体が自身の作家としての存在意義に疑義を提示するように見える。だが語り手は,言葉にしづらいことがらを,誰もが見聞きしたことのあるホラー小説のクリシェを用いて表現することによって,その対象が恐怖の形をとって体験可能なものに置き換えている。こうして,言葉に言い尽くせぬものは体験される。このことを小説家志望の幼い語り手を通して表現した上で,King はさらに,小説家として大成したのちの語り手の目線で物語を回想させることにより,物語にメタ的な視点を導入している。冒頭で「言葉では語り尽くせないものだ」と述べられた体験は,事実プロット上で幼い語り手たちにとって決して口にしてはならない秘密となった。だが作家は,成長した語り手がそうするように,その秘密を語らなければ小説を執筆することができない。ホラー小説のクリシェの形にして語り尽くせぬ対象を暴露することが,King にとっての創作なのである。Stephen King 作品における倫理性や文学史との連続性はすでに研究されつつあることだが,ジャンル作家としての位置づけからか,やはりいまだKing 作品が積極的に評価されているとは言いがたい。本論は,作品論の視点から,これまで言及されることのなかったKing の作家としての自己意識を指摘する。
著者
日隈 健壬
出版者
広島経済大学経済学会
雑誌
研究論集 (ISSN:03871401)
巻号頁・発行日
no.5, pp.43-56, 1972-01

Ⅰ.はじめに Ⅱ.相対的分け前の理論の史的展開とモデル化 (1) 古典派分配理論 (2) 新古典派分配理論 (3) ケインズ派分配理論 (4) 総合理論…(以上,福岡大学既刊)Ⅲ.相対的分け前の決定因としての集計的需要と独占(1) 集計的需要と総合理論 (2) 独占度理論と総合理論…(以上,福岡大学既刊)Ⅳ.相対的分け前に関する統計的実証 (1) 労働分配率の決定メカニズム-賃金率と経済成長-…(以上,本稿)(2) 利潤分配率の決定メカニズム-投資と利潤率- Ⅴ.相対的分け前に関する計量分析Ⅵ.結び
著者
野村 浩子 Hiroko Nomura
出版者
淑徳大学人文学部紀要委員会
雑誌
研究論集 (ISSN:21895791)
巻号頁・発行日
no.3, pp.15-27, 2018

2016年、アメリカ大統領選をきっかけにフェイクニュースの拡散が社会問題となっている。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の普及により、瞬時に偽情報が拡散されるようになったことが背景にある。メディア環境が大きく変わるなか、改めて大学においてメディアリテラシー教育を行う必要性が高まっている。SNSにより偽情報が広まる仕組みを知ること、また無意識のうちに自分にとって心地よい情報ばかりに囲まれている怖れがあることに気付きを促すことが大切である。そこでSNS時代のメディア理論を身につけたのちに、新聞を用いてニュースを読み解くリテラシーを高める教育を実践した。他メディアに比べ真偽チェックが厳しく行われる新聞を用いての学習が、ネット時代においても今なお有効であることがわかった。
著者
田中 則広 Norihiro Tanaka
出版者
淑徳大学人文学部紀要委員会
雑誌
研究論集 (ISSN:21895791)
巻号頁・発行日
no.5, pp.27-39, 2020

植民地統治期の朝鮮における最大の民族運動である「3・1独立運動」から100年目を迎えた2019年、日本と韓国、および、日本と朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)は、歴史認識をめぐって対立し、解消の兆しの見えない状況が続く。こうした中、本稿では歴史認識をめぐる捉え方の差異を検証する一環として、日本、韓国、北朝鮮の各国で放送されたテレビニュースを中心に、内容の比較・分析を試みた。その結果、3・1独立運動に対する報道姿勢について、それぞれの国において顕著な特徴のあることが明らかになった。
著者
山森 靖人
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.121-138, 2015-03

1960年代、ウィチョール族(huichol)のシャーマンが描くサイケデリックな「抽象画」の芸術性が認知され、それと同調し、ウィチョール族民芸品の製作販売が始まる。現在、民芸品の製作販売は、彼らの重要な現金収入源となった印象を受ける。 しかし、Torres Contreras は、ウィチョール族の生産活動についての研究は少ないと指摘する(33)。彼らの民芸品についても、その概説やそこに表出された彼らの世界観を紹介・解説する著作は散見されるが、製作販売の現状に関する調査研究はほとんど行われていない。NahmadSittón による1970年代の状況に関する論考が見られるだけである(150-157)。 本稿では、現地調査により収集した情報に基づき、ウィチョール族の民芸品販売の現状を報告する。さらに、ウィチョール族にとって、現在の民芸品販売の「流行」がどのような意味をもつものであるのかを考察する。
著者
呂 晶
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.161-171, 2014-12-20

広告表現の解釈プロセスを考察する際,それを形式と意味という二つのレベルに分けて考えなければならないと思われる。本稿では,前者を「形式処理」,後者を「意味解釈」とそれぞれ呼ぶことにする。広告表現の形式処理は,その下位分類として,表意復元と逸脱修正が挙げられる。表意復元は,形式的不完全な広告表現を詳細化によって完全な文形式に復元する作業である。逸脱修正は,統語規則に違反するもの(逸脱)を正しい表現に修正することである。なお,広告の意味解釈に際して,受信者は,まず,広告表現の文意味を理解する。そして,文脈から得られたいろいろな情報を用い,発話レベルで意味解釈を行う。広告の解釈では,既存の文脈情報が極めて少ないので,文脈創成というプロセスが行われている。文脈創成によって架空の文脈を作り出し,それを既存の文脈と合わせて,広告解釈に充足な文脈を揃える。その後,文脈情報を用いて,幾つかの段階を経て得られた推論は推意である。この推意は,結局,受信者の知識記憶に収蔵されると考えられ,必要な時に知識文脈として働き,受信者の行動に影響を与えると考える。