著者
田中 洋平 Yohei Tanaka
出版者
淑徳大学人文学部紀要委員会
雑誌
研究論集 (ISSN:21895791)
巻号頁・発行日
no.4, pp.97-108, 2019

本論では中等教育段階における歴史教育と歴史学研究の結節を企図し、高等学校で使用されている日本史教科書の記述について、歴史学的知見からこれに検討を加えた。具体的には、近世宗教史分野の研究成果を整理するとともに、これに新たな研究知見を付与したうえで教科書の記述を再検討している。ここでは、これまでの研究史及び『肥後藩人畜改帳』の分析から、寺檀制度の成立に照応させつつ、それを担う寺院が建立されたことを確認し、にもかかわらず、そうした寺院がどの段階で造営されていったかという点について、教科書中には記述がないことを指摘した。併せて近世宗教史研究のうえで長らく議論されてきた「近世仏教堕落論」についても、これを教科書に記載したうえで、歴史事象に関する生徒間の討論を深化させるための素材とすることができる可能性について言及した。
著者
侯 乃禎
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.1-10, 2018-12-26

『善の研究』と『場所的論理と宗教的世界観』は,西田幾多郎の最初期と最後期の論文である。この二つの論文の刊行時期は三十年以上離れているが,「宗教を説明する」という一貫した主題を持っている。本稿はこのことを手がかりにして,その二つの論文を比較し,それらの内在的な関係を明らかにしたい。まず,『善の研究』の第四編において,「純粋経験」という原理にしたがって宗教を説明する方法には,哲学と宗教を混同する危険があることを示す。次に,『善の研究』を『場所的論理と宗教的世界観』と比較し,この二つの論文の異同を明らかにする。最後に,『場所的論理と宗教的世界観』において西田は,宗教の独自性を保ちながらそれを説明するために,「逆対応」という概念を用いて,宗教自身の論理に主眼をおいていることを示す。
著者
モルナール レヴェンテ
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.209-228, 2017-11-29

今村昌平は「テーマ監督」である。すなわち今村の作品群はその時期々々において特定のトピックや主題を軸に構成されていることを示す。主題におけるそういった反復は,監督自身によって「ねばり」と呼ばれた。その表現を借りれば,最初の「重喜劇」とみなされる『果しなき欲望』(1958年)以降, 今村は売春・強姦・近親相姦という3つのテーマにねばっていた。作品ごとに重点の置き方は異なるが,1968年までの全ての娯楽映画(『にあんちゃん』を除き)において,いずれもその主題は3つのテーマのなかから少なくとも2つ以上は選び取られているといえる。 1964年制作の『赤い殺意』は藤原審爾の東京を舞台に可愛い印象の女性が強姦されるという小説を原作にテーマのみを借りた,今村昌平ならではの映画作品である。強姦を主題に近親相姦的な要素も加えて物語の舞台を監督の憧れた地方,東北へもっていった。主人公の貞子は,仙台の郊外において農地を所有する高橋家の若妻である。強盗に犯されてしまったあと強くなってゆき,彼女をまるで女中のように扱いしていた姑との上下関係を逆転させ家の権力者に上昇する。 本論文では社会学と作家の志向から離れて,いくつかの新しい観点を導入する上で作品そのものに絞って分析を行なう。変化する立場において彼女自身が如何に変貌し,どのような行動をとるかという二点をめぐって『赤い殺意』を考察する上で今村昌平が「重喜劇」と呼んだ60年代の作品群と関連付けて結論を述べる。
著者
趙 熠瑋
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.339-358, 2013-12-20

荻生徂徠は江戸幕府最盛期に伊藤仁齋と竝される古學派の儒學者である。荻生徂徠については、これまで多くの研究が積み重ねられてきた。特に、丸山眞男の『日本政治思想史研究』は後の徂徠研究に多大な影響を與えた。丸山氏は徂徠の近代性を強調し、「朱子學的思惟式とその解體」、「徂徠學の政治性」、「徂徠學における公私の分裂」などを論點として捉えた。ほかに、平石直昭、子安宣邦、吉川幸次郎の各氏も々な角度から徂徠の反朱子學という點を論じた。しかし、吉川幸次郎氏が「徂徠學案」に示したように、徂徠の學術も人生も一定不變ではなく、幾つかの段階を踏んで所謂徂徠學が形成された。1714年、徂徠49歳の頃、『園隨筆』が刊行され、1717年、『辨名』、『辨道』、『學則』が刊行された。1718年、53歳の頃、徂徠の「四書」注釋の集大成作『論語徴』が完成した。これまでの研究によれば、徂徠は基本的に朱子學を批判する立場で自らの儒學論を展開した。果たして徂徠の學術人生は終始變わらなかったのであろうか。それとも、時期によって徂徠の考えにも變化があるのであろうか。本稿では、執筆時期を異にする徂徠の著作の吟味を通じて、徂徠學の中心的概念と思われる「道」について、時間經過を辿って證した。その結果、徂徠の反朱子學的な學説に變化の過程があったことが判明した。
著者
余 迅
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.159-171, 2016-12-15

『王先生』は、1928年から1937年にかけての10年間に、著名漫画家の葉浅予(1907-1995)が創作した連環漫画作品である。中国漫画史においては、連載期間が最も長い連環漫画と考えられてきた。『上海漫画』の第一号にはじめて姿を現し、徐々に漫画界の注目を浴び、広範な大衆の間で熱狂的な人気を博した。先行研究ではしばしば、『王先生』が「官僚の世界の腐敗を暴露し、下層社会の人民に対する同情を表現した」と指摘されたが、本来の主旨、及び表現論のアプローチからの分析などはまだ十分とは言えない。本論は、二つの部分から構成されている。論文の前半では、まず、『王先生』がジョージ・マクマナスの漫画『親爺教育』からどのような影響を受けたかについて考察した。当時の上海において、英字新聞『大陸報』(China Press)に掲載された『親爺教育』(Bringing up Father)は非常に人気があった。葉浅予は読者を引きつけるため、この漫画を模倣し、中国初の長編漫画を創作した。しかし、この『王先生』は単純な模倣作品ではなく、新たな「上海漫画」として生成されたことを本稿では明らかにした。また葉浅予が『親爺教育』における「妻の尻に敷かれる夫」の話から出発し、テクストの空間を広げ、私的空間から公共空間への流動性を示していたことも発見できた。後半では、王先生を例として取り上げ、表現論のアプローチにより、草創期の中国連環漫画と映画の相関について考察した。また、「逃走-復帰」の主題をめぐり、『王先生』から感じられる人物の「動き」についても検討した。 その結果、草創期の中国連環漫画では、映画からの影響が顕著に見られる。「映画の撮影」や「映画の鑑賞」に関する取材が行われただけではなく、映像文法がコマの間に投入されるため、そこに緊密な繫がりが感じられる。また、漫画家たちは、多くの視点から、ある事件が発生した過程を表すため、連続のコマを読むとき、読者に「運動」の意味を感じさせる。
著者
石川 まりあ
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.69-80, 2016-01-15

カレン・ラッセルの短篇〝Reeling for the Empire"(2013)は,歴史的事実 とファンタジーの混じりあう,一種怪奇的な作品である。舞台は,殖産興業 によって近代化を推し進める明治日本。官制の製糸工場に集められた貧しい 少女たちは,帝国の斡旋人に騙されて奇妙なお茶を飲まされ,みずからの腹 で絹糸を生産する蚕と人間の「あいのこ」に変身させられてしまう。設定の 奇想性をおけば,その筋立て上は,工場に拘束され搾取されるヒロインが抵 抗の道をみいだし,自由の獲得をめざすという,古典的な主題が目を惹くか もしれない。ただし,伝統的なフェミニズムの枠組みを援用しつつも,ラッ セルは,「過去の選択」をめぐるより普遍的な問題を描きだしているのではな いだろうか。自らの悲惨な境遇を決定づけてしまった労働契約の瞬間を悔み, 自責に苦しむ主人公キツネの姿からは,取り返しのつかない過去といかに向 きあって生きていくか,という根本的な主題が浮かび上がる。それを考える 手がかりとなるのは,物語の中核をなす「糸繰り」(reeling)のモチーフに織 りこまれた,過去-現在-未来の関係性である。女工たちが日々を費やす糸 繰り作業の一方方向の回転運動は,時間の不可逆性とリンクし,二度と過去 には戻れないという絶望を生む。しかし,この力学を通常の糸繰り作業なら ば故障とみなされる「逆回転」へと反転させたとき,「間違った方向」である はずのその現象こそが,過去との関係においては有効な生存戦略となる。キ ツネと仲間の女工たちは,糸繰りをつうじて,三つの過去との向きあいかた を試行する―
著者
朱 依拉
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.323-338, 2012-12-26

吉田喜重映画の中では,演技する俳優が登場しない,街の風景や室内のセッ トだけが映る,いわゆるストーリーの展開に関係しないシーン,または画面 の中に俳優がいるにもかかわらず,周りにある何かの存在があまりにも目立 ちすぎたせいでストーリーの展開が邪魔されるシーンが,しばしば撮られて いる。観客はそれらのシーンを目の当たりにする時,よく画面の内部から一 種の不安定さ,頼りなさに気をとらわれる。筆者は画面全体に漂っているこ のような安定しない状態を「不穏な空気」と名づける。 「不穏な空気」の成因として,まず考えられるのは,映画または映画監督の 絶対的な優位性を崩壊させる有効な方法とされる「もの」=他者の導入であ る。吉田喜重映画に見る他者の導入は主に二種類に分けられている。一つは, 世界の無秩序さの露呈によるものである。もう一つは,映像内部からの告発 によるものである。 また,「不穏な空気」の二つ目の成因とされるのは,吉田喜重映画における 混在状態である。吉田喜重映画によく見る混在状態は,テーマ的な混在とい う形でよく現れてくるが,そればかりとは限らない。実際,監督の映画には, 同一事物の持つ二つの性質が同時にスクリーンの上で露呈される混在も,し ばしば見られている。 そして,見る者に不安を感じさせる特権的なものを「眼」として風景の中 に設置することによって,一見普通な風景ショットに緊張感または不安を吹 き込んだことも,「不穏な空気」の一つの成因である。 本稿は,吉田喜重映画における「不穏な空気」の成因を考察することを目 的とする。ただし,考察の対象となるのは,音声や照明などの要素を含まず, 「もの」のある風景のみである。
著者
馬 穎瑞
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.129-148, 2016-12-15

日常会話では,われわれは疑問文を用いて,聞き手に自分の知らない情報を求めたり,何らかの依頼を表したりしている。情報要求は疑問文発話によって生じる言語的要求で,依頼などによって生じる行動要求は非言語的要求である。そして,情報と依頼は,いずれも疑問文による発話の内容を指している。発話内容とは違うレベルから考えてみると,話し手が疑問文を用いて発話することは,一種の言語行動である。その言語行動自体によって生じる聞き手への言語的要求は,話者交替の要求である。話し手が疑問文を用いて聞き手に回答を求めるという言語行動は,従来の談話分析では発話権の委譲として捉えられ,聞き手が話し手から委譲される発話権を受けとることになる場合,話者交替が起こる。しかし,従来の先行研究では,発話文の形式を話者交替の形成に関連づけて詳細に論じるものがほとんど見当たらない。そこ で,本稿は,話者交替の形成に関わる理論知識と先行研究を踏まえながら,話者交替における聞き手の捉え方を提示する。そして,本稿の考察対象を限定し,話者交替の要求を有している疑問文発話の言語形式の分析を通じて,それらにおける話者交替の要求性の強弱を考察する。考察資料は,比較的に文脈がわかりやすく,かつ文末イントネーションの上昇・非上昇を聞き取れるテレビドラマのセリフを文字化して用いる。考察の結果,話者交替の要求の有無は聞き手の捉え方に関わるため,従来の先行研究と異なる本研究の聞き手の捉え方を規定する必要があることがわかった。そして,疑問文発話における話者交替の要求性の強弱は「疑問詞」「文末形式」「文末イントネーション」という疑問文の3つの言語形式要素によって決められることもわかった。
著者
劉 琳
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.109-124, 2016-01-15

『日本書紀』は日本最古の編年体史書,六国史の第一として古くから尊重さ れてきた。日本の正史にふさわしいものとするために,『日本書紀』全書三十 巻は歌謡部分を除き,当時日本周辺の朝鮮半島諸国や中国で共通して使用さ れた正式な漢文によって記述された。『日本書紀』に関する解釈・研究には, 長い伝統がある。この書が完成された翌年(721年)から早く当時の宮廷にお いて「日本書紀講筵」と呼ばれる『日本書紀』の本文を読み解く講義が行わ れた。そして,『日本書紀』に関する研究の蓄積として,『日本書紀』の諸古 写本に存する訓点・日本書紀私記類・日本書紀の注釈書など,長く伝えられ ている。このように,『日本書紀』の本文を読み下す長い伝統から生まれてき たもの,即ち『日本書紀』の諸古写本に存する訓点のことを日本書紀古訓と 言う。日本書紀古訓は『日本書紀』の本文を解釈する重要な典拠である。そ して,古い日本語の実態を知る上で重要な手懸かりの一つであるため,従来 重要視されてきた。 『日本書紀』の現存する諸伝本の中,巻二二と巻二四を有する伝本は比較的 多い。本稿では日本書紀古訓形容詞の実態,特に各伝本における異同を考察 するために,巻二二と巻二四を有する平安時代,室町時代及び江戸時代の代 表的な『日本書紀』の古写本,版本を用いる。考察内容は,各伝本から収集 した古訓形容詞のデータに基づいて付訓状況・語数・使用語彙などを統計し, 各伝本における同一漢文に当てられた古訓を比較し,その共通面と相違面を 検討することである。考察を通して日本書紀古訓の形容詞は,どのような性 格を有するものか,明らかにしたいと思う。また,日本書紀古訓形容詞の様 相,異なる伝本において古訓形容詞語彙使用の実態及びその相違などを解明 することも本稿の目的である。
著者
西川 和孝 Kazutaka Nishikawa
出版者
淑徳大学人文学部紀要委員会
雑誌
研究論集 (ISSN:21895791)
巻号頁・発行日
no.2, pp.43-54, 2017

本稿では、従来、等閑視されてきた中国のアヘン輸出の歴史的意義の解明を目指し、その基礎的作業として中国のアヘン生産と輸出の拠点として重要な役割を果たした雲南に焦点を当て、清朝末期における東南アジアに繋がるアヘン交易の実態に迫る。そこで、雲南におけるアヘンの輸出ルートである、東南アジアに直結する①紅河沿いルート②思茅ルート③騰越ルートと、外省を経由する④広西省龍州ルート⑤広東省北海ルートについて各々の経路と輸出量の検討分析を行い、以下の点を指摘する。即ち、まず、仏領インドシナとのアヘン取引の解禁に伴い、輸出ルートは、外省経由から紅河沿いルートに収斂されていったこと。次に人口が密集するトンキン・アンナンを中心に、低価格を武器にインド産アヘンとの市場競争を有利に進め、急速に普及したこと。そして、最後に、こうしたアヘンの輸出量増加は、雲南の輸入をも下支えすることとなり、結果的に世界経済との結びつきを深化させていった点である。
著者
リツ テイ
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.1-14, 2016-12-15

哲学史には多くの善と美の緊密な観点がある。それらは異なる前提をおい ているにもかかわらず,どの観点においても善と美は緊密な関係があるとい う結論が得られる。 当時の理論の核を構成した概念の対象は,現代ではいささか単純に見える けれども説得力がある理由の影響を受ける。われわれは理念と神の存在を信 じず,また理性自身の強さがすべての道徳と審美に干渉できるということを 信じない。現代では,形而上学的な概念が含まれた理論は「独断論」として 否定される。以前の重要な概念の連結作用の欠如がある場合に,善と美の関 係をどう処理すればよいかは熟考に値する問題である。善と美が密接に繫 がっているという観点は認識方面の錯覚や他の形で説明できるのか。あるい は,善と美は別の二つの概念であるのか,それともその中身に密接な関係が 含まれているのか。「独断」的に作られた統括的な概念が失敗に終わっている のなら,われわれはこの問題に新たな視野と研究方法を求めなければならな い。そこで,以下では主に認識論(主にピアジェの認識論の主張について) と言語哲学の視点から,善と美との間に不可分の関係があるという立場を論 証する。
著者
相原 里美
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.21-39, 2011-03

丁玲は、1941年に短編小説『夜』を発表した。この物語の舞台は、共産党の根拠地であった延安解放区の川口(チュアンコウ)という農村で、主人公は共産党の指導員になったばかりの何華明という農民の男である。その他、地主の娘清子チンズ、十二歳年上の妻、共産党女性幹部の侯桂英の三人の女性が登場する。物語は、二章構成で、何華明が牛の出産のために自宅に戻った一夜の出来事について描かれている。当時は抗日戦争の只中であり、共産党員である丁玲としては、創作活動を通して、抗日を声高に謳わなければならなかった。しかし、女性解放を目指す文学者としての丁玲は、人々の意識下に潜む旧態依然とした封建的意識を看過することはできなかった。本稿では、「覚醒」したばかりの何華明や三人の女性を通して描かれる、共産党員丁玲の女性解放や文学者としての思想的苦悶に迫りたい。
著者
張 馨方
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.83-94, 2017-11-29

『類聚名義抄』は日本平安時代に成立した部首分類の漢和字書であり,原撰本系と改編本系が存する。原撰本系には,図書寮本が唯一の伝本であり,引用の典拠を明記した漢和字書である。改編本系には,現在,高山寺本・観智院本・蓮成院本・西念寺本・宝菩提院本などが知られる。観智院本は唯一の完本であり,そのほか,高山寺本・蓮成院本・西念寺本・宝菩提院本はいずれも零本である。 原撰本系に比べて,改編本系の諸本には漢字字体の増補という特徴が認められる。ただし,これまでの改編本系諸本についての研究では,漢字字体を主眼とした調査は成されていなかったといえる。 『類聚名義抄』では漢字字体を「掲出されるもの」と「注文に含まれるもの」に分けることができる。本稿では,注文中の漢字字体の記載に注目し,原撰本系図書寮本と改編本系観智院本・蓮成院本とで対照可能な「法」帖の「水」「冫」「言」の三部を調査対象とし,改編本系の改編方針の解明を目指して,原撰本系図書寮本と改編本系観智院本・蓮成院本との記載を比較分析する。その検討の手順を具体的に述べると,まず,図書寮本・観智院本・蓮成院本の三本それぞれにおいて注文中の漢字字体の記載状況を調査し,次に,原撰本系図書寮本と改編本系観智院本・蓮成院本とを比較対照して注文中の漢字字体の記載について考察・分析する。
著者
丹下 和彦
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.111-123, 2013-03

本篇は、古来作者以外の人間の手になる改竄の痕が著しいと見なされ、現代に至るまで多様なテクスト校訂の対象となっている。しかしディグル校訂のOCT版を底本とする本稿は底本の示すところを対象とする作品解釈を専らとし、テクスト校訂の問題には立ち入らない。 本篇には一貫した人物像を結べない登場人物が多い。とつぜん変心するメネラオス、曖昧な言動に終始するアキレウス、さらには直前まで死を厭う姿を見せながらとつぜん変心して犠牲死を受け入れるイピゲネイアがそれである。これは作者の人物造形力の弛緩と、その結果としての人物像の破綻であるとしか言いようがない。ただイピゲネイアの「決心」は、そうした人物像や劇の問題点を一挙に解消する力を持っており、またそれと同時に劇にエンターテインメント性を付与する役割を果たしている。
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.1-15, 1942-05-30

本稿は『國家總力戦理論の基礎』と題する長篇(國防經濟學大系第一巻収載)の一節をなすものであるが、一應切りはなしても意味をもつと考へ、編輯者の勸めにしたがつて、誌上に發表する。今日、世界史の問題を、經濟的觀點からのみ解明できると信じてゐるやうな者は少いけれども、しかし一部の經濟學者は、依然として世界過程の經濟的分析から、なんらかの歸結を求めようとする習性を、脱却してゐない。しかるに大東亜共榮圏の理念は、そのやうな過程分析からは決して生れては来ず、敢てこの理念を結びつけようとすれば、その論策は『作文』のごときものと化するのである。わたくしは新らしい勉強の手はじめとして、同時代の他の精神諸科學の領域に働く人々に着目しなければならなくなつてゐる。
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.13, no.2-3, pp.105-122, 1940-09-30
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.12, no.4, pp.617-665, 1940-02-25

日本の經濟學の情況にたいする、遠慮のない、きはめて適切な、時宜をえた―つの批評があらはれ、われわれに反省をうながしてゐる。それは東京帝國大學助教授安井琢磨氏によつて、學術論文としてではなく、むしろ随想として近ごろ書かれたものであるが、そのなかには日本における洋書の飜譯の氾濫とその吸収力の間題が一つの疑問として述べられてゐる。『飜譯書が思想的移植の出發點である代りに却て終末點となってゐるやうな不幸な實例』の多いことが歎かれてゐるのである。『―つの名譯書にもられた思想が長い間かかつて十分吟味され、咀嚼され、さうして養分として取入れられるなどといふことは減多にない』といひ、そしてつゞけて安井教授は諧謔をもつて語つてゐる。-『多くは嗅ぎ廻り、誉め廻し、食ひ散らして、いつの間にか忘れられてしまふ貪婪な舌の前にはシュムペーターも、ゴットルもリストもそれぞれ同じ膳の一皿である。しかしシュムペーターの一片とゴットルの一片とリストの一片とはどうしてもうまく胃の中で調和しない。食手は腹痛を覺えて下痢をする。さうしてみんなはき出してしまふ』と。本論文はそのやうな情況のもとで、むしろ―つの邦譯書を研究の主題とするのみではない。ゴットルも、シュムペーターも、いはゆる『同じ膳の一皿』として、すべての外来物を敢て同時に咀囁すべきものとして、とりあげようとする一聯の努力の―つに属するものといふことができる。西洋學説の攝取に關する一般的態度の問題は、すでに『西洋經濟學における綜合』と題する一論で述べた。
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.267-300, 1939-09-30

ラスキンにしたがへば、價値、富、價格などといふ經濟學上の基礎概念とともに、重要なものは生産物の概念である。しかるにこれらはいづれも一般人が理解できるやうには述べられてをらぬ。-生産物とは何であるか、ジョン・スチュアート・ミルはこの根本問題に答へんとして、矛盾に陥つてゐる。ミルは言明して經濟學は哲學的または道徳的考察と關係がないといふ,しかるにかれの推理の中にに暗黙のうちにさういふものが導入されてゐるといふのが、ラスキンの所見である。果してラスキンの所見は正當であらうか?ラスキンのミル批判は四論文『債値に従ひて』Ad Valorcmの冒頭からはじまるものであるが、われわれはまづラスキンの批評の對象となったミルの學説について、ラスキンを離れて直接に考察する必要を感ずる。問題は四段にわかれる。第一、ミルは一體何を述べてゐるか?第二、ラスキンはそれをどう理解したか?第三、ラスキンのミル批判は正當であるか?第四、ラスキン自身の思想は何であるか?
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.85-98, 1939-06-20

すでにわれわれは第一論および第二論において、『正義』の問題がラスキンの所説の根幹であることを承知した。たとへば雇主と勞働者の利害對立の問題に關して、かれの説くところはすでに正義の間題であった。あらゆる人間の行動の規準は窮極において利害得失の計量にあるのではなくて、『正義の計量』にあるといふのがかれの主張だった。貧富關係の成立に關する根本間題も「抽象的正義』の問題に歸し、商取引の方法に關する問題もおなじく正義の問題に歸するといふことは、これもまた一應われわれの見たところであった。しかるに第三論『地の審判者よ』にいたつては、前二論において顱頂をあらはしてゐた正義の問題が全面的に取扱はれた觀がある。しかも冒頭に引きだされたものは舊約の箴言すたはちソロモンの言葉であり、そしてソロモンの富に關する格言の解釋が第三論の出發點をなしてゐるといふにいたつては、多少なりとも理論的な分析の態度を延長してこれを追究しようといふ希望も放棄せざるをえない。われわれぱしばらくラスキンの正義について説くところをその言葉のまゝ讀まなければならぬ。