著者
翁 康健
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.293-311, 2019-12-20

在日華僑は,日本の「お盆」と似た「普度勝会」という中国民間信仰の宗教儀礼を行っている。普度勝会とは旧暦の7月15 日に行われる,祖先と無縁仏を祭る儀礼である。神戸普度勝会が最初に行われたのは1934 年のことである。それは,かつて神戸の老華僑が日本へと持ち込んだ民間信仰の文化であり,戦争などで中断を余儀なくされたこともあったが,様々な困難を乗り越えながら今日においても守り続けられている。1997 年には神戸市地域無形民族文化財に認定され,現在は福建省出身の老華僑─ 福建同郷会がその運営を担っている。他の地域の出身者たちは,当日の一般参加者として参加するという形で関わっている。 しかし,老華僑たちが年老いてきたこともあり,20 世紀の末から継承者不足の問題が浮き彫りとなり,普度勝会は存続の危機に直面している。その危機を解決したのは1970 年代以降に来日した同じく福建省出身の新華僑による普度勝会への参加と協力である。 それでは,今日の神戸普度勝会はどのように行われているのか。神戸普度勝会の開催内容については,1980,90 年代の調査に基づいた詳しい記録がある(曽,1987;2013)。しかし,すでに約30,40 年が経過していることを踏まえれば,改めて調査を行う価値があるだろう。また,曽の調査は主に普度勝会の儀礼内容そのものについてのものであったが,本稿では今日の儀礼内容を確認したうえで,主に人々がどのように普度勝会に参加し,その活動を行っているのかを確認していく。以上を踏まえたうえで,福建省出身の新華僑はいかに老華僑と接触し,神戸普度勝会の継承に協力しているのかを明らかにしたい。
著者
熊 征
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.157-187, 2019-12-20

本稿は,1972 年4月に山東省臨沂県銀雀山の漢墓から発掘された竹簡『孫子兵法』を取り上げ,その「攻」と「守」に対する考え方と,テキストの変遷に示される後世における解釈の変化について考察する。全体は3つの部分に分けられる。 第1部では,『孫子兵法』全体の攻守観についてまとめる。まず,『孫子兵法』を総括的に見て,その戦争に対する消極的な態度を分析し,戦争論より平和論を説いていることを明らかにする。そして,『孫子兵法』の「攻」と「守」を始めとする軍事の各方面,各段階における万全を追求する万全主義を論じる。最後に,『孫子兵法』全体は防御を重視する思想を説いていることを論じる。 第2部では,『孫子兵法』の攻守観が集中的に表れている形篇を中心に,十一家注本と竹簡本との相違点を比較し,両版本の重大な相違点に基づく攻守観の差異について考察する。主に,竹簡本の「善者」,「非善者」が,十一家注本では,それぞれ「善戦者」,「非善之善者」に作る点を取り上げ,竹簡本と比べて,十一家注本のほうが,「戦」のことをより積極的に説いていることを論述する。また,「攻」と「守」をめぐる改変として,竹簡本の「守則有余攻則不足」が,十一家注本では「守則不足攻則有余」に作る点,竹簡本の「不可勝守可勝攻也」が,十一家注本では「不可勝者守也可勝者攻也」に作る点,また,竹簡本の「昔善守者蔵九地之下勭(動)九天之上」が,十一家注本では「善守者蔵於九地之下善攻者動於九天之上」に作る点についての分析を通して,竹簡本では肯定される守備が,十一家注本では逆に否定的に扱われていることを論じる。これらの相違点の分析を通して,第1部でまとめた『孫子兵法』の攻守観と合わせて,竹簡本のほうが孫武の本意にふさわしいことを論じる。 第3部では,同時に出土した竹簡兵書である『孫臏兵法』と『孫子兵法』の間の継承関係から,『孫臏兵法』の攻守観について考察する。重点的にその威王問篇にある「必攻不守」に対する理解の仕方について分析する。戦争を消極的に見ている点,守備を重視し,万全を求める点において,孫臏が孫武と共通していることを明らかにする。それに基づいて考えれば,『孫臏兵法』威王問篇における「必攻不守」は,『孫子兵法』の「攻而必取(〔者〕),攻其所不守也」を継承している可能性が大きく,「必ず守らざるを攻む」と読むのが適切であることを論じる。
著者
沈 嘉琳
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.53-72, 2023-01-31

本稿は、作品の構造と物語内容の展開の角度から『騎士団長殺し』における歴史的な要素を検討するものである。村上春樹『騎士団長殺し』において、アンシュルス(独墺併合)と南京大虐殺の二つの歴史的事件は、雨田具彦が制作した絵「騎士団長殺し」の隠れた背景として描かれる。作品の歴史的な要素に関する従来の議論の多くは、作品内容の特定の部分を取り上げている。それに対し、本稿はアダプテーションの観点から『騎士団長殺し』を捉え、作品全体の構造と物語内容の展開に着目し、作品の歴史的な要素の意味を明らかにするのを目的とする。絵「騎士団長殺し」の導きによって、主人公「私」は四つの絵画(「免色の肖像画」、「白いスバル・フォレスターの男」、「秋川まりえの肖像画」、「雑木林の中の穴」)を創作した。筆者は作品のクライマックスである「私」の騎士団長殺しの行為を、絵「騎士団長殺し」を三次元へと翻案する行為として解読した。そのような「私」の翻案行為の内実として、この作品には重層的な翻案が認められる。「私」による絵「騎士団長殺し」の翻案は、ドン・ファンの伝説を元にしたモーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の創作と共通する部分がある。また、「私」の翻案行為は、『ドン・ジョバンニ』から絵「騎士団長殺し」を創作する過程に介在した画家の歴史経験からも影響を受ける。重層的な翻案から影響を受ける一方、主人公「私」の個人的な要素も翻案行為に導入される。そのような重層的な翻案は作品内部で完結するのではなく、作品の外部まで延長され、本作品『騎士団長殺し』を受容する読者もまた重層的な翻案の一翼を担うのである。さらに、作品で重要な位置を占める上田秋成の短編小説「二世の縁」と本作品『騎士団長殺し』から、倫理制度に囚われず、実生活に着目するという同一の主題を捉えることができる。この点は村上春樹が主張する自分なりの物語を作る能力とも響き合う。作品『騎士団長殺し』からは構造と内容の両面において、個人とシステム、正当性が付与される行為、倫理制度の制限などに関する問題を看取でき、読者への「物語作り」のメッセージも作品から発信されているのである。
著者
吉村 佳樹
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.15-32, 2021-03-31

T・M・スキャンロンの契約主義は,非功利主義的な体系的理論として大きな影響力を持ち続けている。彼の理論は,元々,道徳の本性を説明することを目的としたある種のメタ倫理学的理論として提示された。彼は,そのような理論としての自身の理論の主要な目的を①道徳の主題と②道徳的動機づけに適切な説明を与えることとしていた。特に後者に関しては,前者の説明をする際の基礎となっていたり,スキャンロン自身が契約主義を受け入れる大きな理由となっているなど,大きな重要性を持つものである。しかし,この道徳的動機づけの契約主義的説明に対しては幾つかの批判が投げかけられている。また,その批判の中にはスキャンロンの主張が私たちの日常的な感覚に反すること含意しているという批判もある。スキャンロンは自身の理論の妥当性の一つを私たちの感覚との整合性のようなものに求めているため,仮にこうした批判が妥当なものであれば,契約主義にとって重大な問題となりうる。本稿では,そうした道徳的動機づけの契約主義的な説明に投げかけられている批判に応答していく。まず,スキャンロンが道徳的動機づけと呼ぶものとその契約主義的説明を明確にすることで,投げかけられている批判がスキャンロンの議論のどのような部分に対してのものなのかを明確にする。その後,道徳的動機づけの議論一般に投げかけられている批判と派生的な議論に投げかけられている批判とを検討していく。その検討においては,批判の多くはスキャンロンの議論に対する誤解に基づくものであることを示すとともに先に述べた私たちの感覚に反した含意を持つとされる部分はそもそも契約主義にとって中核的な要素ではないため,仮に本稿での応答が失敗していたとしても契約主義にとって批判者達が考えている程重要な問題ではないことを示す。
著者
上村 正之
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.33-52, 2016-12-15

本稿の目的は,M.ザゴスキン『ユーリー・ミロスラフスキー,あるいは1612年のロシア人』(1829)におけるコサック・イメージを考察し,先行研究の中に位置付けることである。文学上のコサック表象を論じた先行研究では「神話」という概念を用いて,ゴーゴリの『タラス・ブーリバ』が持った影響力の強さを論じている。『タラス・ブーリバ』と違い,ウォルター・スコット風の歴史小説である『ユーリー・ミロスラフスキー』の場合,ロマンチックなコサック像と,歴史的知識に基づいたコサック像の2種類が現れる。前者がザポロージェ・コサックのキルシャであり,受動的な主人公ユーリーに対して,アグレッシブな行動力により彼を積極的に助ける。ユーリーとキルシャが合わさることで,一種の理想的なロシア人像が描かれるが,キルシャはコサックの中では例外的な存在であると説明されており,コサックそのものは讃美されるべき対象として描かれていない。一方でキルシャ以外の歴史記述に基づいたコサックは,利己主義を特徴としており,ロマンチックなコサックを相対化している。こうした要因により,この作品ではゴーゴリ的なコサックの「神話」性は力を持ちにくくなる。
著者
三浦 光彦
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.179-195, 2022-01-31

ロベール・ブレッソンは,自身の映画に素人俳優のみを起用し,一切の感情移入を廃した独特な演技指導を行ったことで知られている。ブレッソンは自身の演技への理念を『シネマトグラフ覚書』と題される書物に纏めている。本稿では,ブレッソンの演技論を,ジャンセニスムとシュルレアリスムという宗教的,美学的なコンテクストから考究することによって,ブレッソンの演技論において作動しているメカニズムを解明することを目標とする。まず,第一節では,ブレッソンとジャンセニスム,及び,シュルレアリスムの関係を論じた先行研究を概観していく。第二節では,映画研究者レイモン・ベルールが『映画の身体:催眠,情動,動物性』と題された書物の中で論じた,催眠と映画の歴史的な関わり合いに関する議論を参照しつつ,ジャンセニスムとシュルレアリスムにおける「痙攣」という概念を追っていく。続く,第三節では,ベルールが引用する神経学者ダニエル・スターンによる「生気情動」という概念と,それを軸にジャン・ルノワールの映画における演技を論じた角井誠の研究を参照しつつ,この「痙攣」というものがどのように生み出されるのかを考究していく。そして,第四節では,「痙攣」に纏わる膨大な歴史がどのようにブレッソンの演技論へと集約されていき,それがブレッソンの映画においてどのようなメカニズムで作動しているのかを確認する。第五節では,第四節まで論じてきたものを土台としながら,男性のモデルと女性のモデルとでは,演技表現に差異が見られることを確認したうえで,幾つかの作品に即して,そのような差異が何故生じるのかを探っていく。ブレッソンは長らく作家主義的な映画監督,つまり,作品に対して強いコントロールを有する作家だと考えられてきたが,本稿では,モデルの身体へと焦点を当てることによって,そこに刻印された作家性の揺らぎを読み取っていく。
著者
李 娜
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.21-34, 2022-01-31

従来では,可能の否定文について禁止や不許可など用法があることは指摘されてきた。本稿は,このような現象に着目し,さらに動作主を聞き手のみならず,話し手や第三者を含め,可能本来の意味を踏まえ,可能の否定文を多角的に議論したものである。言語行為論では,可能形式が表す許可などは間接発話行為として扱われることがある。本稿では,間接発話行為に関わる適切性条件という側面ではなく,共通基盤という概念を援用し,動的な観点から会話参加者が否定の可能文を使用することでどのような共通基盤化のプロセスを経て,どんな共同行為を達成できるかを論じてきた。共通基盤が形成された際に状況文脈,形式文脈,知識文脈という3種類の文脈の役割を考慮しながら考察を行った。考察した結果,従来で指摘された禁止や不許可以外に,大きく相手の提案に対する却下,依頼または発話者の情緒表出という多義な解釈があることがわかった。
著者
増井 真琴
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.15-30, 2017-11-29

日本少国民文化協会(以下、少文協)は、日米開戦直後の昭和一六年一二月二三日(皇太子の誕生日)に発足した、児童文化分野の国策協力団体である。そして児童文学作家の小川未明は、この団体の設立・運営に深い関わりを持っていた。 しかるに、未明と少文協との接点をつまびらかにした先行研究は、現状存在しない。というのも、昭和期の未明の行状自体、これまであまり注目されてこなかったからである。なかんずく、満州事変以降、一五年戦争下のそれは、研究の空白地帯とさえ言ってよいだろう。 そこで本稿は、研究の更地に一石を投じるべく、次の三節からなるアプローチを採用し、両者の関係の究明を試みた。 まず、一節「「児童読物改善ニ関スル指示要綱」から日本少国民文化協会設立まで」では、少文協発足の起点である「児童読物改善ニ関スル指示要綱」(昭和一三年一〇月)から、「児童文化新体制懇談会」(昭和一五年九月)を経て、少文協設立(昭和一六年一二年)へ至るまでの未明の行状を、一次資料を探査して、徹底的に洗った。 次に、二節「日本少国民文化協会での発言・行動」では、少文協設立後、団体の機関誌類(「少国民文化」「少国民文学」「日本少国民文化協会報」『少国民文化論』)へ発表された、未明の評論・随想類をすべて分析するとともに、協会内部での彼の行動を追った。 最後に、三節「童話「頸輪」─アジアを統べる母」では、未明が「少国民文化」創刊号へ著した童話「頸輪」(昭和一七年六月)を分析した。童話作中の小犬と母犬には、欧米に屈従を強いられるアジアと、その解放者たる日本の姿─すなわち、「大東亜共栄圏」のイデオロギー─が存分に仮託されているというのが、筆者の見立てである。 本稿によって、従来黙殺されてきた、未明の国策協力者としての相貌が、幾分なりとも明らかになったものと結論付けたい。
著者
小坂 みゆき
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.51-69, 2011-12-26

中国朝鮮族の社会は,本来は農村社会であり,その社会固有の儀礼・習俗を持っていた。しかし,漢族が大多数である中国社会の中での少数民族という立場から,中国社会の枠組みの中で起こる社会現象や,漢族の影響を受けることは避けられない。また,経済自由化政策による中国社会全体に広がっ た市場主義的経済観の影響をうけ,朝鮮族社会の生活環境,生活習慣は大きく変化するにいたった。 特に,中国朝鮮族の現在の特徴的な現象として,韓国等の外国への出稼ぎがあり,家族の中に出稼ぎ者のいない家庭はないと言っても過言ではない。このことは,日常生活のみならず,年中行事や婚姻儀礼などの人生儀礼の実施においても大きな影響を及ぼしている。また,出稼ぎ者の収入により,家 庭は経済的には少しずつ裕福となり,農家をやめ農村を出て都市部で暮らすようになった家庭も多数現れている。農村社会であったこれまでの中国朝鮮族社会は急激に解体の方向に向かっている。一方,日常的に出稼ぎ者不在の状況のもとで都会生活を営むようになった人々により,新たな中国朝鮮族の文化,生活と呼べるものが生み出されている。 民族固有の文化といわれたものであっても,時の経過とその時々の周りをとりまく環境によって変遷を遂げていくものであり,ゆるぎなく確立されたものではない。変化はその時々における民族を構成する人々が自らの生活のなかで選択した結果なのであって,それもまた一つの文化の姿である。 本稿では,中国朝鮮族における婚姻儀礼を動態として取り上げ,その変化を分析するものである。分析方法は,現地における経験的参与観察から得たデータを基本とし,朝鮮半島から中国に移住した後,中国での急激な社会変化を経て,中国と韓国との往来という移動を頻繁に実施している今日までの 間を比較分析した。 朝鮮族の人々の婚姻儀礼も,社会・生活環境の変化に伴い変遷を遂げているものの,婚姻儀礼を完全に放棄しているわけではない。婚姻当事者にとっては新たな家庭を築くうえで大切なものであり,民族に伝わる儀礼を行いたいという欲求は失われることはなく,変遷を遂げながらも残されていく儀礼 の1つといえる。 朝鮮族の人々が,婚姻儀礼のうち,何を大切な部分であると理解し,そのまま残そうとし,あるものは簡略化し,あるいは省略するなどしたのかという点は,近代化,社会環境の変化,生活様式のグローバル化が進むことによる要因が大きい。これは近代化の波にさらされる他の民族においても同様であり他民族における婚姻儀礼の変遷にも共通する。 本稿においては,この研究を通じて得られた資料・知見等をもとに,中国朝鮮族にとどまらず,他民族においても示唆的であると考えられる婚姻儀礼の変化要因となるものについて分析,考察しそれを指摘した。
著者
モルナール レヴェンテ
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.33-50, 2021-03-31

ハンガリー出身のタル・ベーラは世界的に知られている映画作家ではあるが,1989年前の作品群,とりわけ1977年の長編デビュー作『ファミリー・ネスト』とそれに続く『ザ・アウトサイダー』(1980年)と『プリファブ・ピープル』(1982年)は十分に研究されているとは言い難い。その原因の一つは,当時の映像を入手し確認することは非常に困難という現実的なことだが,理論上の問題もある。それらの作品は形式上で当時のドキュメンタリー映画運動に属しているため,分析するにあたって,その映画運動も精査する必要がある。1970年代において,バラージュ・ベーラ撮影所(本稿はBBSと略記する)所属の若手映画監督らは,社会主義国家ハンガリーの「人生の現実」を洗い出そうとしていた。そのために,社会科学の調査方法を最大限に活かした独特な映画形式を創り上げた。監督上昇を目ざしたタル・ベーラ自身もその表現形式を採用した。以上により,本稿の目的は二つある。まずは,BBSのドキュメンタリー映画形式〈社会(科学)主義映画〉の特質に触れる上で,初期タルのナラティヴ,演出,カメラワーク,編集等々を分析する。さらには,デビュー作『ファミリー・ネスト』にみられる映画空間の問題をめぐって,タルの独特な映画的世界を構築する方法がすでに本作品においてすら ─その胚型であるが─ 姿をみせていることを明らかにする。
著者
丹下 和彦
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.135-150, 2008-03

ギリシア悲劇の競演の最終審査は、予選通過者3人がそれぞれ一日に4篇の劇を上演して競われるが、その4番目に上演される劇はサテュロス劇であるのが通例である。サテュロス劇とは、山野の精サテュロスが合唱隊に扮して幾分品の悪い下ネタで笑いを取る短い笑劇である。ここに取り上げる『アルケスティス』は、サテュロスは登場しないものの4番目に上演された劇であるゆえに、古来サテュロス劇の代替作品と見なされてきた。 本稿は、そのサテュロス劇的要素を劇中に探りながら、同時に作者エウリピデスが唯一残存するサテュロス劇『キュクロプス』で見せた笑劇の背後の真摯な人間観、また鋭い時代意識が本編にも見られるかどうか、主要人物アルケスティス、アドメトスの死生観をもとに考察する。
著者
松下 隆志
出版者
北海道大学大学院文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.71-91, 2011-12-26

1990年代のロシアでは,欧米諸国に遅れる形でポストモダニズムが流行した。ロシアのポストモダニズムは,元来アメリカの後期資本主義の発展を受けて形成されてきたものであるこの思想を,コミュニズムの文脈に置き換えて解釈する独自のものである。イデオロギーの集積から成るソ連社会を実質 を欠いた空虚な存在とみなすロシアのポストモダニズムは,実際にソ連崩壊を経験した新生ロシアにおいて大きな影響力を持った。文学の領域においても,ポストモダニズムはロシアの伝統的なリアリズムを超克する新しい潮流としてポストソ連文学のもっとも先鋭的な部分を代表するものとなったが,保守的な作家や批評家には大きな反発を引き起こした。このように1990年代には賛否両論喧しかったポストモダニズムだが,ソ連崩壊から時間が経つにつれセンセーショナルな性格は弱まっていった。結果として,2000年代以降のロシア文学はリアリズムの復興,若い世代の作家の台頭,政治性の高まりなど,より多様な展開を見せており,ポストモダニズムもそうした多様性のなかの一潮流として看做されるようになっている。 本論では,このように90年代のトレンドであったポストモダニズム文学が2000年代以降どのような展開を見せているかを,パーヴェル・ヴィクトロヴィチ・ペッペルシテインПавел Викторович Пепперштейн(1966-)の小説『スワスチカとペンタゴン』《Свастика и Пентагон》(2006)を取り上げて考察する。ペッペルシテインはロシアのポストモダニズムの先駆的存在であるアート集団「モスクワ・コンセプチュアリズム」に属するアーティスト・作家であり,『スワスチカとペンタゴン』は探偵小説のロジックとポストモダニズムの哲学をミックスさせたユニークな作品である。第一節では,作品分析の下準備として,ソ連崩壊後の90年代にロシアにおいてポストモダニズムと探偵小説が果たした役割を概観する。第二節では,2000年代以降の文学的 動向を視野に入れながら本作品の分析を行う。第三節では本作品に仕掛けられたトリックを解明し,ペッペルシテインの創作において「解釈」が持つ重要性を考える。
著者
倉頭 甫明
出版者
広島経済大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03871401)
巻号頁・発行日
no.4, pp.225-240, 1971-01

第1章 中立と中立の類型 Ⅰ節 中立とは Ⅱ節 中立の類型 (1) 永世中立 (2) 国際法上の中立 (3) 国際政治上の中立 第2章 現代の中立(日本の中立主義) Ⅰ節 1945年以後の国際情勢と中立化の現象 (1) 共産主義と中立 (2) ソ連の対日中立政策 Ⅱ節 日本の中立主義 (1) 日本中立国論の経過 (2) 中立に対する各政党及び文化人の主張 ① 社会党の中立 ② 共産党の中立 ③ 公明党の中立 ④ 民社党と中立 ⑤ 自民党と中立 ⑥ 日本文化人の中立 Ⅲ節 日本の中立の可能性について
著者
武 倩
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.51-60, 2016-01-15

『本草和名』は、九一八年頃に、深根輔仁によって著した薬物辞書である。本書は江戸幕府の医師多紀元簡によって紅葉山 文庫で発見されるまで、長く所在不明であった。元簡は古写本を校訂し、版行したことによって世に広めた。 現在最も多く利用されているテキストは、『日本古典全集』所収の複製本(全集本)である。その底本となるのは、森立之 父子が書き入れをした版本である。 武倩 (二〇一三)「『本草和名』の諸本に関する一考察 ―万延元年影写本と全集本との関係を中心に ―」(『訓点語と訓点 資料』一三一)では、台北故宮博物院と無窮会専門図書館神習文庫所蔵の写本(万延元年影写本)を紹介しており、全集本 との関係についても考察を行った。ただし、全集本底本の所在を突き止めることが出来なかった。 その後、森立之父子書入れ本が松本一男氏の所蔵に帰したことが分かり、『松本書屋貴書叢刊』にオールカラーで影 印出版 されていることも明らかになった。 本稿は、この『松本書屋貴書叢刊』所収のカラー版(松本書屋本)を用いて、これまでの書誌研究を見直したものである。 第二章では、蔵書印を手掛かりに、松本書屋本の所蔵経緯を整理する。第三章では、識語・書入れなどを分析し、小島本 との密接な関係を述べる。第四章では、森立之によって行われた校訂をめぐって、詳しく考察する。 これらによって、本研究が今後の研究の手掛かりとなることを期待している。
著者
平井 知香子
出版者
関西外国語大学
雑誌
研究論集 (ISSN:03881067)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.91-109, 2013-03

ジョルジュ・サンドはイタリアの修道院を舞台にした作品『スピリディオン』の後、再びヴェネツィアから物語が始まる『コンシュエロ』とその続編『ルードルシュタット伯爵夫人』を書いた。これらは、いずれも神秘主義的傾向があり、幻想文学の影響を強く受けた作品である。その上ヴェネツィア出身のピラネージの≪カルチェリ=幻想の牢獄≫のイメージが物語の重要な場面に用いられている。深夜、主人公は螺旋階段を下って、閉鎖的な広大な空間をさまよう。オロール版『コンシュエロ』にはピラネージの挿絵が2か所にわたって使用されている。『ルードルシュタット伯爵夫人』にも同様に梯子を下る場面がある。少女時代から魅せられていたピラネージ幻想を使って描かれた場面は、神とサタンの和解を物語り、それはサンドの「レリヤの悩み」(精神と肉体の葛藤)の解決へと導かれる。
著者
伊藤 孝一 Koichi Ito
出版者
淑徳大学人文学部紀要委員会
雑誌
研究論集 (ISSN:21895791)
巻号頁・発行日
no.3, pp.85-96, 2018

日本のテレビ放送が始まって64年が経ち、テレビはメディア・コミュニケーションの中心的な役割を担い、人々に大きな影響を与えてきた。テレビ番組のなかで、報道やスポーツとならぶ大きな存在であり、大衆文化を先導してきたのがドラマである。今日、インターネットやスマートフォンの普及によるデジタルネットワーク社会の進展やオーディエンスの視聴環境がドラマの企画や表現の創造性="クリエイティビティ"に大きな影響を及ぼしていると思われる。ドラマは「時代を映す鏡」といわれて久しいが、時代とドラマの創造性="クリエイティビティ"との関係に視点をおき、現在のテレビドラマにおけるクリエイティビティを考察する。
著者
齊田 春菜
出版者
北海道大学文学研究科
雑誌
研究論集 (ISSN:13470132)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.107-122, 2016-01-15

本稿は、円地文子の「少女小説」である「秋夕夢」の初出と初刊を比較・考察し、円地の「少女小説」の新たな一面を捉 えなおすものである。そして、その結果、円地の「少女小説」や戦後の「少女小説」について多少なりとも新たな知見を提 出することを試みるものでもある。 円地は、主に戦後直後から一九五〇年代前後に「少女小説」を数多く執筆していたという伝記的な事実がある。この「少 女小説」は、様々な理由からその中身を具体的に考察されたことはなく、論じる価値のないものとされてきた。そのため、 従来の研究では、円地の「少女小説」について、いまだに十分に論じられているとは言い難く、その全貌は、詳細に明らか にされてはいないのである。そこでまず、「円地文子少女小説目録ノート」を作成し、円地の「少女小説」作品を現段階にお いて詳細にまとめた。次に、『円地文子全集』に収録さ れていない「秋夕夢」の初出と初刊で削除された章の全貌とその直前 の両方の共通である章を引用し、内容を提示する。そこから、なぜ初出で描かれた物語が初刊において削除されたのかにつ いて考察を行った。削除された章は、その有無によって少女が成長すること/成長しないことという「秋夕夢」の解釈の多 様性を引き出す装置として浮かび上がることを明らかにした。つまり、「秋夕夢」の中で描かれる少女は、戦後の「少女小説」 研究で理解される少女のイメージとは、異なる少女像を持っている可能性があることを示唆したのである。 以上のように円地の「少女小説」は、一見既存の枠組みに回収されてしまうような側面を持ちながら、詳細に検討をして いくと多様な要素を多く含んでいる。このことは、他の円地の「少女小説」を検討していくことの可能性を秘めているので あり、円地のテクストのイメージの新たな解釈の補助線として期待することができるのである。