著者
RUGGERI Anna
出版者
京都外国語大学
雑誌
若手研究(スタートアップ)
巻号頁・発行日
2006

平成19年度において日本臨済宗中興の祖とされる白隠慧鶴の研究を深めることができた。特に研究計画の(3)(白隠禅の公案と言語の問題における研究)、(4)(白隠の書物をイタリア語に翻訳)と(5)(白隠禅と現代の教育問題をめぐる研究)という点に力を入れた。まず白隠の思想と教育問題の関連を示す禅における「大死」の概念を分析した。様々な禅の資料を通して中国禅と日本禅、特に白隠慧鶴の「大死」観とその実践を検討することによって、これらは現代の教育問題にヒントになれることが分かった。自の破棄および本来の自己の自覚に導く禅の「大死」とその実現への実践は、人間の成型に非常に役に立てるということを紹介できた。また、このような白隠禅による「大死」と実存哲学の代表者であるM.ハイデッガー(Martin Heidegger、1889-1976)の概念的な「無」と「死」の理解が大きく異なることが分かった。上記の研究は「禅の教育と体験の重要性(2)-「大死」を通して-」(京都外国語大学『研究論叢』第69号、平成19年7月31日)にまとめた。白隠の研究を深めた結果として、「菩提心」という概念の重要性が明らかになった。白隠の最も根本的な教義である「菩提心(bodhi・citta)」の二つの側而を表わす。それは、自己が救われると共に、他人や衆生もまた救われることを願う心を生じることである。心の自覚は個人的なものであるにもかかわらず、個人的な修行が終れば、今度は衆生済度という普遍的な修行の段階に入る必要がある。この側面を白隠は「菩提心」と説明している。この概念は現代の世界とその平和にとって必要な概念だと思われる。上記の研究は「白隠と菩提心思想」(花園大学国際禅学研究所『論叢』第3号、平成20年3月31日)にまとめた。最後に、白隠の思想の一部を引きついたモダンな禅思想家である久松真一(1889-1981)とその新たな禅の紹介(「久松真一の禅-新たなパラダイムの可能性-」、京都外国語大学『研究論叢』第70号、平成20年1日31日)と共に、白隠の作品『遠羅天釜』のイタリア語の翻訳を進めることができた。平成20年と21年の間に、完成し、イタリアで出版する予定です。
著者
住田 育法 田所 清克 山崎 圭一 萩原 八郎
出版者
京都外国語大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

平成15年6月の日本ラテンアメリカ学会定期大会で、同年1月の労働者党(PT)ルーラ大統領誕生という政治変動を基底に住田がコーディネーターとなって「現代ブラジルにおける政治と都市問題」について研究会を立ちあげ、翌平成16年度より2年間に亘って約15名の研究報告者が、通算10回の研究会を実施した。この成果は報告書として論集に纏めて出版した。具体的に、現代の問題を中心に歴史研究をもおこない、研究代表者住田は、ブラジルの都市空間発達の典型にリオを選び、当初ポルトガルのリスボンを都市計画のモデルとして、20世紀にはフランスの影響が強まり、その結果ファヴェーラを産んだと指摘した。研究協力者のカヴァルカンティ氏は、ブラジルの中核都市形成の歴史を都市工学の立場から解説した。現代ブラジルにおける最大の都市問題は、ファヴェーラの存在であろう。この点について、複数の研究協力者からの情報提供があった。まず奥田が、フィールドワークに基づいてブラジリアの衛星都市の貧困住民を扱い、谷口が、現地調査を踏まえて、リオとブラジリアの特に住宅政策について分析した。近田氏は貧富の格差に対する都市行政について独自のモデルをサンパウロに応用して解説した。また、農村地域における農民らのいわゆる土地無し農民運動(MST)について、近藤エジソン氏が現地調査の成果を紹介、根川氏はサンパウロの東洋街でのエスニック行事を扱い、カイゾー・ベルトラン氏とスガハラ氏はリオの電気・上下水道・ごみ収集などの生活インフラ整備問題を取りあげた。研究分担者の田所は、リオの貧民街住人の日常を観察し、飢餓という究極の都市問題を論じ、同じく山崎が、都市行政に一般住民が関わる「参加型予算」にアプローチした。さらに萩原は、リオやブラジリアとライバル関係にある大都市サンパウロの問題を、州と市という2つの行政単位から論じた。
著者
ペルノ ジャック
出版者
京都外国語大学
雑誌
研究論叢 (ISSN:03899152)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.77-95, 2006

聖ニコラへの崇敬はもともと11世紀に始まり,13世紀まで続いた。宗教改革が聖者崇拝に致命的な打撃を与えたのである。その結果,聖ニコラはサンタクロースに近い民間伝承の人物となった。だが,彼の祝祭は祭りとしての影響力を大いに保っている。真の崇拝は,信仰と無信仰が混じりあう楽しい伝統行事,冬至の娯楽に取って代わった。そして彼の祝祭は今日,冬の謝肉祭同様,過度で消費中心の宴を引き起こしている。それは食べ物に満ち溢れ,立派に飾られた家庭的な宴であるが,無駄で,消費を招く宴でもある。これが本論の主旨である。
著者
堀川 徹 井谷 鋼造 稲葉 穣 川本 久男 小松 久男 帯谷 知可 磯貝 健一
出版者
京都外国語大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2002

本研究では過去千年間という長期にわたる期間を、コミュニティーの成立期(9-13世紀)、発展期(14-19世紀)、変容期(19世紀以降)に区分して、各時期をそれぞれa〜cの研究班が担当して具体的な研究を遂行してきた。基本的に各班は独立して研究活動を遂行したが、成立期から発展期、発展期から変容期への移行期に注目することと、中央アジア以外の地域との「比較」を念頭に置くことを申し合わせた。また研究を進める前提として、ムスリム・コミュニティーを「内側から」明らかにするために、現地史料の発掘と利用が必須であるという共通の認識をもった。本研究の第一の成果は、年代記等の一般的な叙述史料のみならず、聖者伝や系譜集などのスーフィズム関連の文献、種々の古文書や碑文・墓誌銘、各種刊行物・新聞、調査資料等にわたり、従来利用されなかった史料を新たに開拓したことである。とくに、ウズベキスタン共和国のイチャン・カラ博物館、サマルカンド国立歴史・建築・美術博物館、フェルガナ州郷土博物館との共同研究によって、膨大な数が現地の各種機関に未整理のまま所蔵されている、イスラーム法廷文書のデジタル化・整理分類・解題作成の作業を軌道に乗せることができた。第二の成果は、上述した種々の史料を利用した各自の研究によって、それぞれの時代におけるコミュニティーの姿が具体的に明らかになったことである。中でも、イスラーム法廷文書を利用した歴史研究は、本研究プロジェクトにおいて、ようやく本格的に開始されたといっても過言ではなく、4回にわたって毎年3月に京都外国語大学で開催された「中央アジア古文書研究セミナー」によって、本研究を通して得られたわれわれの知識や技能が日本人研究者間で共有されることになった。
著者
三木 一郎
出版者
京都外国語大学
雑誌
研究論叢 (ISSN:03899152)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.67-75, 2006

中南米諸国と本国のスペイン語との違いは,用法,語彙,発音などをめぐって,さまざまな議論が展開されているが,本稿ではカリブ海諸国のスペイン語を例に考察を試みる。特に主語の省略と明示の関係,主語の位置,前置詞の欠落,関係詞の特殊用法,および,名詞句においては「数」の一致,「性」の意味的変化,動詞句においては時制と迂言法にスポットをあて,筆者が在外研修中に収集した資料をもとに近隣諸国と比較しながら検証することを主要関心とする。
著者
野村 雅一 樫永 真佐夫 川島 昭夫 藤本 憲一 甲斐 健人 玉置 育子 川島 昭夫 藤本 憲一 甲斐 健人 玉置 育子 小森 宏美
出版者
京都外国語大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2006

老後と呼び慣わされる人生の段階に至っても、青年・壮年期に形成された個々人のアイデンティティの連続性は保持される。それが若い世代のライフスタイルを受容する文化伝達の逆流現象が生じるゆえんである。認知症の患者には、錯誤により、女性は若い「娘」時代に、男性は職業的経歴の頂点だった壮年期の現実に回帰して生きることがよくある。人生の行程は直線ではなく、ループ状であることを病者が典型的に示唆している。
著者
佐々木 伸一 渡邊 欣雄 池上 良正 黄 強 志賀 市子 河合 洋尚 曹 建南
出版者
京都外国語大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究は、1990年代以降中国各地において顕著に見られる宗教復興の諸状況について人類学的なフィールド調査を行い、そこで得られた民族誌的資料をもとに、宗教を「象徴資本」として活用する国家や地方エリートの政策的側面と、それに対する宗教、とりわけ民俗宗教の職能者や信者たちとの複雑多岐にわたる相互作用によって構築される側面に焦点をあてつつ分析を行った。その結果、中国における宗教実践構築の諸相、及び宗教の象徴資本化の歴史性や政治性を明らかにした。
著者
中山 智子
出版者
京都外国語大学
雑誌
研究論叢 (ISSN:03899152)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.209-219, 2007

十七,十八世紀のフランスでは,古代ギリシャ以来のアマゾネスの神話が再び脚光を浴び,しばしば文学作品やスペクタクルのテーマとなった。「女性の衣服の下に男性の魂を持った」と称される「戦う女」の原型であるアマゾネスの例に倣えば,女性による異性装(男装)は「男性の衣服の下に女性の魂を持つ」と喩えることができるだろう。1727年にコメディ=フランセーズで初演されたMarc-Antoine Legrand(1673-1728)の喜劇Les Amazones Modernes(『現代のアマゾネスたち』)は,この二つのテーマを一つの作品に取り入れた演劇史的にも稀有な戯曲である。Legrandは何を狙い,作品の中に異性装を取り入れたのか。本論では,Legrandの劇作の手法を通して,作者の演劇的戦略を分析していく。当時のコメディ=フランセーズは,ライバルであるイタリア人劇団と縁日芝居の劇団との競争にさらされ,観客の人気を集める作品を必要としていた。Legrandは,すでにイタリア人劇団の作風に倣った作品で成功を収めていた。Les Amazones Modernesには,もう一方の競争相手である縁日芝居のオペラ・コミックであるLesage及びD`Orneval作のL'Ile des Amazones(『アマゾネスの島』)の影響が強く見られる。Legrandはアマゾネスと架空の島という舞台設定を真似たのみならず,L'Ile des Amazonesには取り入れられなかったが他の縁日芝居で多く用いられた異性装を使い,芝居の喜劇性をより強化している。一方で,Les Amazones Modernesに色濃く見られる女性の権利主張は,イタリア人劇団のレパートリーの伝統でもあった。Legrandはオペラ・コミックの手法であるヴォードヴィルの歌詞にフェミニスト的主張を盛り込み,娯楽性とテーマ性の両立を可能にしている。
著者
新田 増
出版者
京都外国語大学
雑誌
研究論叢 (ISSN:03899152)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.139-154, 2007

旧ナバラ王国〈スペイン北部〉の中東部一地域の要求に応じ,国王が一連の特権の授与を認める1465年10月5日付けのナバラ王国国王勅令文書が,現在,ナバラ王立総合古文書館に保管されている。本稿は羊皮紙手書きの同勅令の古文書版を作成し,その使用言語であるナバラ固有のロマンス語と同方言のカステーリャ語化の進行状況を考察する。全4部から構成されている:第1部は古文書版の作成と書記法の解明,第2,第3部は言語研究,音声・音韻論及び形態・統語論,第4部は語彙研究である。今回発行される第3部は,形態・統語論にあたるが,その1として名詞・形容詞について究明する。
著者
新田 増
出版者
京都外国語大学
雑誌
研究論叢 (ISSN:03899152)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.37-65, 2006

ナバラ王国(スペイン北部)の中東部一地域の要求に応じ,国王が一連の特権の授与を認める1465年10月5日付けのナバラ王国国王勅令文書がナバラ王立総合古文書館に保管されている。本稿は同羊皮紙手書きの同勅令の古文書版を作成し,その使用言語であるナバラ固有のロマンス語と同方言のカスティーリャ語化の進行状態を考察する。全4部から構成されている。第1部は古文書版の作成と書記法の解明,第2,第3部は言語研究,音声・音韻論及び形態・統語論,第4部は語彙研究である。
著者
Neuberger Bernhard 乙政 潤
出版者
京都外国語大学
雑誌
研究論叢 (ISSN:03899152)
巻号頁・発行日
vol.70, pp.379-401, 2007

本稿は三つの先行する紹介, Ein kleiner Fuhrer durch die japanische Literatur der Neuzeit (1)-(2) (Brucke 1 [1998年3月刊] -Brucke 2 [1999年3月刊]), Kommentierter Uberblick zu den Werken der japanischen Literatur der Neuzeit (1)-(7)(『研究論叢』 55[2000年9月刊]-『研究論叢』61 [2003年9月刊]),およびErganzungen zum kommentierter Uberblick zu den Werken der japanischen Literatur der Neuzeit (1)-(6) (『研究論叢』62 [2004年3月刊]-『研究論叢』67 [2006年7月刊],にさらに補足を加えようとするものである。筆者たちは,本来,上記3篇の連載を通じて,原則として,明治から昭和の敗戦までのあいだの各時期の現代日本文学を代表すると見なし得る作家の主たる作品を輝介することを目指した。戦後に発表された作品のなかにもすでに古典的名声を博している作品があるにもかかわらず,それらはほとんど採り上げなかった。それらは,戦後60年の日本文学作品が専門家によって総括され整理されたときはじめて「現代日本文学紹介」の対象となりうると考えたからである。そして,続編の(6)でもって所期の目的をひとまず達したと考えたのであったが,擱筆後ふりかえり通読してみて,上記の紹介になおも洩れている作品があるのを見い出した。本稿はこれらの作品の紹介を目指して,今号を含めて前後3回にわたって筆を進めるつもりである。今号では,まずKommentierter Uberblick (1)ですでに紹介した国木田独歩に『運命論者』,『酒中日記』,『竹の木戸』,『窮死』の4篇を,田山花袋に『田舎教師』を,島崎藤村に自伝的作品である『桜の実の熟する頃』,『春』,『家』,『新生』の4篇と短編の『旧主人』,『ある女の生涯』,『三人』を,劇作家である岡本綺堂に戯曲の『修善寺物語』と『小来楢の長兵衛』の2篇を加えた。またKommentierter Uberblick (2)で取り上げた有島武郎には長編『ある女』および童話『一房の葡萄』杏,志賀直哉に短編の『小僧の神様』,『赤西蠣太』,『清兵衛と瓢箪』,『城の崎にて』を加えた。これまでの紹介では原題や作者名を漢字で記していたが,すべてローマ字表記に改めた。また,作品の題もドイツ語訳で示し,原題はあとの( )内に記した。さらにそのあとにジャンルと発表年次を記した。原題がドイツ語訳からは想像しにくいと思われる場合に限って,原題のあとの[ ]内にドイツ語の直訳を記した。なお,作品単位で紹介する形式に統一することとし,紹介順は作品の発表された年次の順(同年の場合は月順)によることにした。そのため,同一の作者の作品が必ずしも連続して紹介されない。作品の梗概紹介のあとに,作品についての短いコメントを紹介した。コメントの出典は末尾に注としてまとめた。スペースをとることを恐れ,当該作品のドイツ語訳が存在するかどうかを紹介する記事は割愛した。ドイツ語訳が存在するか否かは, 1994年までに刊行された翻訳についてはStalph, Jurgen / Giesela Ogasa / Drote Puls: Moderne japanische Literatur in deutscher Ubersetzung. Eine Bibliographic der Jahre 1868-19941によって調べるのが便利である。