著者
豊田 哲也
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2010年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.37, 2010 (Released:2011-02-01)

平成15年住宅・土地統計調査のデータを用いて世帯あたり年間収入の分布を都道府県別に推定し、地域格差の要因を検討する。
著者
森 正人 Mori Masato
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.1-22[含 英語文要旨], 2009

This article traces some trajectories of social and cultural geography since the end of the 1980s to the early 2000s and attempts to explain how the geography of materiality has become a matter in current Anglophone geography, especially in the United Kingdom. Although the new cultural geography of Japan redefines social and cultural geography and focuses on discursive practices and representations, in Japan there is low awareness of discussions on post-humanism, which is a topic in Anglophone geography. Anglophone geography consists of topics such as materiality, performativity, complexity theory, and actor-network theory. There is no paper in the Japanese or English literature in Japan that discusses such topics. Hence, this article attempts to establish a framework to facilitate the discussion of topics such as those mentioned above. To begin with, the process of development of the new cultural geography is detailed in order to review the questions raised towards the end of the 1980s on both sides of the Atlantic. The new social and cultural geography has progressed beyond the conventional understanding of culture, which is sustained by traditional cultural geography, stressing the complex relation between culture, economy and politics, and has also served to underline the crisis in geographical representations associated with anthropological discussions. In this consideration, moral geography, which forms webs of ideologies through space, place, and landscape, is examined. There have been criticisms of the new cultural geography, of which a problem of reification of the idea of culture is noted here. However, the controversy around this criticism seemingly still retains a problem of metaphysics, and rigidly assumes the existence of 'subject' and 'object'. Phil Crang's paper that intends to combine the cultural aspect with economic geography implies the idea of culture and economy as something performed. It states that there is no linearity or predetermined harmony among cultural, economic and political practices. This point of view was amplified in some lines of discussions in the late 1990s. Second, theoretical frameworks for performativity, hybridity, ethics, non-representational theory, complexity theory, and actor-network theory are outlined in this essay. The power of things, women, nature, etc. that have been objectified is included as these discussions revolve around the issue of western metaphysics which continually attempts to establish a rigid division between the subject and the object. The distinction has been always/already mediated by the corporeal. The traces left by the corporeal or things reveals the impossibility of the execution of the project of western metaphysics. Ethics are centered, instead of moral geography, to grasp the entanglement of humans and non-humans. Third, criticism of the material turn that occurred at the end of the 1990s is studied. The discussion on materiality became a critical vehicle to overcome the weakness of verbal analysis. Mike Crang's papers on heritage show that materiality emerges in various practices and affects people's memories. Materiality is not only an issue of matter. Subsequently, there is reference to a controversy between Daniel Miller, who influenced the material turn in geography, and Michel Callon, who proposed the actor-network theory. It demonstrates how Miller is captured by the classic Hegelian/Marxist concept: Miller assumes the linearity of ideology in a market and the predominance of the subject over the object. It is, therefore understandable that some geographers were accused of continuing to retain Hegelian beliefs, i.e., the belief that there is a binary relation between subject/object, spirit/thing, and human/nature. Finally, the concept of post-humanism that summarizes the bundle of discussions mentioned before, and an ontological understanding of existence (e.g., in geography, space, place, landscape, etc.) are explained. An understanding these topics leads to a grasp of current topics such as affect, complexity, a 'more-than-human world', liquidity, and care.
著者
近藤 暁夫
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2012年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.132-133, 2012 (Released:2013-12-17)

民間掲出の誘導看板(屋外広告)に掲載されている目標地点までの距離は、実際の距離とどの程度一致しているのか、検討した。京都府丹後地域の主要道路沿いに掲出されている誘導看板300件余りを調べた結果、掲載されている距離と実際の道路距離が1㎞以上離れるものは全体の1割程度だった。誘導看板上の距離と実際の距離は、必ずしも一致していないものの、それでも許容できない水準まで離れているものもまた少ないといえよう。
著者
横地 留奈子
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2011年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.16, 2011 (Released:2012-03-23)

関東地方南部、利根川下流域である東京都、埼玉県、茨城県、千葉県をまたぐ範囲には、特異な形の盆の風習がある。 一般に、盆は、祖霊祭であるとされている。 かつては旧暦の7月中旬に行われることが多かった。新暦が導入された明治6(1873)年以後の日程は、さらに多様化している。7月や月遅れである8月の13日から15日、または13日から14日、そして8月の初旬に行われている地域もある。祖霊を家に迎えることが主と捉えられているが、同時に無縁仏が家にやってくるともいわれる。祖霊とは、イエの先祖の霊である。一方の無縁仏には二種類あり、一つはかつてイエの構成員だったが先祖とならなかった霊、もう一つはイエとは無関係と考えられる霊(行き倒れなど)である。 盆の期間には迎えと送りが行われる。迎えとはイエの墓地や辻、川や海などからイエまで祖霊を迎えることである。祖霊に対しては一定期間イエで供物を捧げ、その後再び祖霊を送る。 その祀り方も、地方毎の特色がある。盆棚と呼ばれる祖霊を迎える台を庭や屋内に設けたり、祖霊と共に家に来た無縁仏に対して屋内や屋外で供物を出したりする。 関東地方南部の利根川下流域では、8月、もしくは7月の13日から15日に行われる。都市部では7月、農村部では8月に行われるとされる。盆は、おおよそ以下のように営まれる。 13日の夕暮れに「お迎え」を行う。集落の墓地に、灯りのない提灯を持って住民が訪れてくる。家の墓へと向かい、水をかけ、線香を手向け、お供えの食物を供える。墓石の前で提灯に火を灯すもすと、また家へと帰って行く。東京都北西部では、墓地が遠い場合は家の前の道路で祖霊を迎えることもあるという。素焼きの皿の中でオガラを焚いて音を鳴らせる地域もある。 家ではあらかじめ仏壇の前に盆棚を用意し、位牌を並べて置く。墓地からイエに着いた祖霊は、本の機関にそこに留まるという。盆棚には朝昼晩と3度の食事を出す。そうして祖霊が留まる中、千葉県北西部や茨城県南東部では、14日の昼には祖霊が「タカノノセガキ」へ出かけると説明する地域もあった。 15日は「送り」である。送る祖霊にお弁当を持たせたる地域もある。祖霊の乗り物としてナスの牛やキュウリの馬を作ったりする。そうして夕方、盆棚から提灯を灯して祖霊を迎えた場所まで行き、提灯の火を消すと完了である。 以上のように、祖霊を墓などから迎え、送る一連の動きが、墓とイエとで行われている。 ところが、祖霊をイエに迎え、誰もいないはずの墓地へ、14日早朝に行く地域もある。千葉県北西部と茨城県南東部である。民俗学でも「十四日の墓参」と呼ばれ、全国に分布してよく知られた風習である。が、その時に使用する台が、今回のテーマである。 材料は、30cm長の竹棒2本と一晩干したマコモである。竹棒2本を十文字にし、マコモで四角く編んでいく。15_cm_四方まで編むと、残った15cmほどの竹棒を折り、脚がわりとして地面に立てる。14日の墓参の際には、マコモで編んだ屋根上の部分に「アラヨネ」「ミズノコ」と呼ばれる、イモの茎やキュウリ、ナスなどを刻み生米を混ぜたものを乗せる。墓参の対象は、行為者に聞いても不明であった。 一方、全く同じ台を使いながら、その対象を祖霊とし、13日の迎えで使用する地域もある。 作成に手間のかかる同一の台を広い地域で行われているにもかかわらず、その使用方法や意味付けが異なるのはなぜか。分布の広がりから考察することが本研究の目的である。
著者
神谷 浩夫
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.67, 2009

発表分野外研究、文化地理学概要北米には、和太鼓チームが300ほどあると言われている。戦後の経済成長に伴って日本国内で伝統音楽に対する再評価の機運が高まり、日系企業の対米進出が活発化するにつれて、北米の日系人コミュニティでも日本の伝統文化への再評価が進み、和太鼓演奏が日系人コミュニティの間に広く普及するようになっていった。本報告では、2008年8~9月に調査した実施した北米ベイエリアにおける和太鼓チームへの聞き取り調査に基づきながら、北米ベイエリアの日系人コミュニティにおいて和太鼓演奏が普及していったプロセスを明らかにし、その要因について検討を加える。
著者
水野 勲
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2009年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.41, 2009 (Released:2009-12-16)

新古典派経済学と経済地理学が最も接近したP.クルーグマンとA.プレッドの研究を取り上げ、この2人のモデリングの方法の差異を論じることで、経済地理学のモデリングの可能性を考察する。
著者
青山 宏夫
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2013年人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.12-15, 2013 (Released:2014-02-24)

近世日本における世界図は、仏教系世界図、南蛮系世界図、マテオ=リッチ系世界図、蘭学系世界図などに系統分類され、とくに南蛮系世界図をのぞく三者は近世を通じて併存していたといわれている。また、これらに加えて、17世紀半ばから18世紀前半に流布した万国総図やその影響下にある世界図を、別の系統に分類する見解もある。本報告では、この点を再確認したうえで、これらの異なる系統の世界図はいかにして併存しえたかという課題設定のもと、とりわけ近世を通じて影響力を維持したマテオ=リッチ作製の世界図に基づく世界図を中心に、当時の思潮にも注意しつつ、近世日本における世界図史を検討する。また、この過程で、坤與万国全図の諸版とその写本・増補、その影響下にある刊行図などを検討することにより、坤與万国全図をはじめとするマテオ=リッチ世界図が、その東西両半球図を含めて、近世日本にいかにして受容されたかについても考察したい。
著者
伏見 能成 伏見 裕子
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2009年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.58, 2009 (Released:2009-12-16)

出産研究は、前近代の出産に関するもの、近代化に関するもの、病院出産に関するものに大別できる。文化人類学者の松岡悦子は、「子どもが自宅ではなく病院で生まれるようになる、ということ」が、出産の近代化の特徴だという。 離島には近代化を直接経験した世代が今も健在で、聞き取りによって内実を明らかにすることができる。離島の出産についての研究はこれまでにもあったが、いまだ議論の余地は大きい。 燧灘の島々において聞き取り調査を行った結果、一定の傾向を見出した。明治中頃までは、殆どの島で伝統的な出産が行われた。出産をケガレと捉えることが多く、近代的観点からいうと決して衛生的ではない非日常空間での出産が余儀なくされた。出産の姿勢、介助者という視点からも現代とは大きく異なっていた。出産場所については、島ごとに差異があり、共有のウブヤを使用するケース、農地や屋敷地内にある私有の小屋を貸し借りするケース、各戸が屋敷地内に持つナヤ等を利用するケースなどがあった。こうした習俗が近代化といえる変貌を見せるのは、近代的思想によってケガレ観が緩和されたり、衛生意識が高まったことや、全国的に助産者が資格化されたことが契機になった。大抵の場合、出産場所が屋敷地内のハナレ、更に母屋内のナンドへと変化し、1950年代までには有資格の産婆・助産婦が介助するようになる。1970年代には病院出産が一般化し、現在は各島もれなく妊産婦自体が存在しない。 伊吹島には326世帯793人(2005)が住む。漁業が盛んで、イリコの島として知られる。嘗ては国外にも出漁し、朝鮮半島に加工場をもつ島民もあった。こうした経済的背景もあって、ピークの1950年代には人口4,300人にも達した。現在でも集落内は著しく密集している。 伊吹島には、約400年前から集落共同で使用するウブヤが存在し、デービヤと呼ばれた。産婦は、自宅のナンドでの出産後、約30日間デービヤに篭った。デービヤは、明治初年に4.5畳が3部屋ある建物2棟に改築されたが、土間に筵敷きであった。その後、1930年にも改築されて6畳6間の畳敷きとなり、デービヤの建物自体は近代化を遂げた。名称も「伊吹産院」とされた。この名称は、当時首都圏を中心に増加しつつあった近代的出産施設「産院」を意識していたことが窺える。1930年の改築は、恩賜財団慶福会が「妊産婦保護」のために下賜した建築費が契機となっている。その際の設計図にも「産婦静養室(デベヤ)改築設計図」と明記されている。デービヤは、「ケガレの忌避」という目的を果たしつつ、「産婦静養」というもう一つの目的を前面に出すことで下賜金を得ている。しかし、聞き取りでは「出産直前まで忙しく働いた。デービヤにいる間は天国だった」という感想が得られ、こうした目的が完全に建前であったわけでもない。 出産方法の近代化をもたらしたのは、終戦直後に島へ来た助産婦であった。自宅で出産した直後にデービヤまで歩いて移動するという慣習は医学的に好ましくないとして、デービヤで出産し、そのままそこで静養するよう勧めた。このように、彼女はデービヤという伝統をうまく利用して出産の近代化を進めたのだ。その後、1956年にはデービヤに分娩室が設けられるに至った。しかし、彼女が個人的な理由で大阪に移住すると、島の女性は必然的に地方(ぢかた)である観音寺の病院で出産するようになり、1970年にデービヤは閉鎖され、1983年に解体された。 地理的、経済的条件が類似している広島県走島では、ウブヤ習俗自体がみられない。一方、志摩半島の越賀は、離島でもなく、海女が家計を担うという地域だが、ウブヤが「産婦保養所」に発展したという、伊吹島に酷似した例がみられる。越賀の近隣集落でも、ウブヤ習俗は多く見られたが、近代化の過程でウブヤが存続された例は他にない。 産院や産婦保養所に変化しながらもウブヤが存続した伊吹島と越賀において、その存続と発展の背景には、当時の女性の厳しい労働条件があるものと考えられている。しかし、伊吹島・越賀の労働環境は、周辺の地域に比して、特別ではなかった。近代化を推進する契機について考えた時、僻地では国や県の決定よりも、助産婦等の個人的な意思決定や行動が優先して機能し、地域ごとに個性豊かな偶発的契機によって近代化の方向性を左右し、時には決定づけてきたのだろう。
著者
藤村 健一
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2006年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.16, 2006 (Released:2007-03-01)

京都をはじめとした国内の多くの観光地では,著名な仏教寺院が重要な観光資源となっている。こうした「観光寺院」は,現代の日本人にとって馴染み深いものであるにもかかわらず,人文地理学や観光学,宗教学では等閑視されてきた。そこで本発表では,観光寺院に付与された意味について予察的に考察する。第一に,現在の観光寺院に付与された意味が,主として「観光地」・「宗教空間」・「文化遺産」の3概念に集約できると仮定する。そして, 3概念の関係を既往研究に基づいて整理することにより,観光寺院の意味の構図を仮説的に提示する。第二に,この構図に基づき,観光寺院の意味をめぐる主体間の対立を,京都の文化観光施設税(文観税)・古都保存協力税(古都税)の紛争を事例として分析する。 上述の3概念のうち,観光とは一種の娯楽の販売・消費であり,観光地はそのための場所であるのに対して,宗教の目的は一般に利潤追求と相容れないとされており,宗教空間としての寺院は,観光地であることと潜在的に矛盾する。また,文化遺産ことに文化財に関しては行政が保護を担当するが,行政による宗教空間の保護は,潜在的には政教分離原則に抵触する恐れがある。このように,「宗教空間」-「観光地」,「宗教空間」-「文化遺産」の関係は対立の可能性を孕む。一方,「観光地」-「文化遺産」の間には相対的に親和性が認められる。確かに,観光客による文化財の毀損は跡を絶たないが,文化財は極力一般に公開されるべきものとされており,所有者である仏教教団でも拝観を制限することは稀である。また,寺院への観光は主に文化観光の一環として行われているため,観光寺院には文化遺産であることが求められる。 文観税・古都税紛争では,寺院に「文化観光財」・「文化財」という意味を付与し,その「観賞」行為への課税を試みる京都市側に対して,教団側は寺院や「拝観」行為の仏教的意味を強調し,課税を政教分離原則の違反と見なした。これは,「宗教空間」-「観光地」,「宗教空間」-「文化遺産」の対立の顕在化として理解できる。
著者
梶川 勇作
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.21, no.2, pp.89-102, 1969-04-01

金沢大学大学院人間社会研究域人間科学系
著者
川西 孝男
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨
巻号頁・発行日
vol.2013, pp.24-25, 2013

同研究は、これまでのKantorowiczなどによる皇帝フリードリヒ2世像を,聖杯騎士伝説の視点から"世界の驚異"と称される彼の目指した世界観を人文地理学アプローチを用いて新たに論じたものである。