著者
清末 愛砂
出版者
島根大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究を進めるために必要となるデータや資料を収集するために、2008年度にイギリスでフィールドワークを2回実施した。本フィールドワークにおいては、大英図書館やLSE(London School of Economics)の図書館における文献調査のほか、市民的自由の問題に取り組んできた人権団体や複数のムスリム団体等を訪問し、イギリス社会におけるムスリム住民(難民、移民を含む)に対する人権侵害、およびイギリス政府の立法情報に関するインタビュー調査を行った。この結果、イギリスの対テロ法によって引き起こされた様々な人権侵害がムスリム住民に集中していること、また、統計的にムスリム住人が白人に比べると警察による職務質問を受ける割合がはるかに高いこと、9.11、および7.7のロンドンにおける同時爆破事件以降のイギリス社会でイスラーム・フォビアが著しく台頭していること、イスラーム・フォビアにおけるジェンダー差別の問題等が明らかとなった。2009年度は、これらのフィールドワークによって得られたデータ、および日本国内での文献調査等から得られたデータをもとに研究課題に関する分析を行った。その分析結果を日本平和学会2009年度春季研究大会(2009年6月13日から14日)の自由論題部門で「9.11以降のイギリスの対テロ法とイスラーム・フォビアの台頭-宗教差別・レイシズム・市民的自由の観点から-」と題して報告することができた。また、討論者や参加者から受けた欧州人権条約に関する示唆深いコメントやその他の質問をその後の論文化の作業にいかすことができた。2009年度末には、同学会の大会における報告をもとにしてまとめた論文「9.11&7.7以降の英国の対テロ法の変容とイスラーム・フォビア-宗教差別とレイシズムの相乗効果(上)」(『国際公共政策研究』(大阪大学大学院国際公共政策研究科、第14巻第2号、2010年3月、17-28頁)を発行することができた。
著者
平野 俊英 西山 成信 秋重 幸邦
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 教育科学 (ISSN:0287251X)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.21-29, 2001-12

平成10年に教育職員免許法が改正され,教員養成の方針転換が行われた。この背景には,平成9年の教育職員養成審議会第1次答申に示されたとおり,教員に対する社会的要請と教職課程の教育内容との乖離,免許制度の画一性・硬直性,不十分な教育内容・方法の3点が指摘される。変化の時代を生きる社会人に必要な資質能力や得意分野を持った個性豊かな教員を育成すること,大学教育の過密化回避と自主的カリキュラム編成などを背景として選択履修方式を導入すること,中学校における教科指導・生徒指導等に関わる教職科目の比重を高めることが,その具体的な改善策として提言された。 表1は改正された免許法に示された中学校教諭1種免許状取得に関わる単位数改正状況である。教科専門科目の必要単位数が半減した一方で,教職専門科目の必要単位数の増加と,教科・教職専門科目の選択履修方式の導入が行われたことがわかる。この改正を受けて,国立の教員養成系大学・学部のカリキュラム構造は大幅な変更が加えられた。全国的に見ると,各科目区分における必要単位数の変化は,教科に関する科目が平均15.6単位の減少(最大で34単位減少),教職に関する科目が平均11.4単位の増加(最大で31単位増加),教科又は教職に関する科目が新規に平均4.4単位設定(最大で20単位設定)となっている(1)。 本学教育学部では平成11年度以降の入学生から新カリキュラムによる教員養成を行っている。中学校教諭1種免許状取得をめざす理科教育専攻学生に対して,表2に示す単位数を卒業要件として必修又は選択必修として設けている。教科専門科目は実験を半減させることで,24単位から20単位へ必修単位が削減された。一方で,理科教育法科目は以前の4単位(中等理科教育法概説,中等理科教育法実験Ⅰ・Ⅱ)に加えて新たに6単位(中等理科教育臨床や中等理科教育法特講Ⅰ・Ⅱ等)を課すことで,10単位へ拡大された。その他に選択必修に6単位が設定されており,トータルでは30単位から36単位へと理科教育関連科目の単位数は拡大している。しかしながら,これら卒業要件上で必修・選択必修とされた単位数とは別に,免許法を根拠にして教科専門科目を40単位以上修得することを指導していた旧カリキュラムと比べると,新カリキュラムでは教科専門科目の大幅な削減,理科教育法科目の若干の充実という構図が明確に浮かび上がっている。 上述の教育職員免許法の改正内容や教員養成カリキュラムの改訂内容が,実際に履修学生の実態や教育現場・地域社会の要請に見合った妥当なものとなっているのかを,教員養成系大学・学部は継続的に評価するとともに,内容修正が必要かどうか適宜検討する必要がある。このような見地に立ち,本学が立地する島根県内の現職教員を対象に,免許法改正や教員養成カリキュラム改訂の認知度や,自身が履修したカリキュラムとの比較評価に関する調査を実施して彼らの認識を明らかにすることは,今後,教育現場に向けて本学がカリキュラム改訂の意義や成果をアピールする上で,さらには改訂に伴う実践的指導力の育成への効果を測る上で有効な情報を提供するものと考える。 よって,本研究はこの点を鑑み,実証的アプローチを用いて得られた中学校理科教員の認識の実態に基づいて,教員養成系学部における中学校理科教員養成プログラムの現状と課題について明らかにしようとするものである。
著者
野村 泰弘
出版者
島根大学
雑誌
島大法学 (ISSN:05830362)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.1-75, 2009-06
著者
前田 しほ 高山 陽子 喜多 恵美子
出版者
島根大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2017-04-01

本研究課題は、北東アジア地域において、近代化モデルとしての社会主義が文化としていかに発達したのかという観点から、DPRKに注目し、①公的プロパガンダの観察・資料収集・文化コード解読、②ソ連・中国からの近代化モデルの輸入と現地化の調査・分析・検討、③日本から朝鮮半島への社会主義イデオロギー・芸術流入のプロセスの調査・分析・検討、④他の社会主義国家との比較・分析の4点を主要課題とする。初年度である平成29年度は、研究基盤の整備と構築と位置づけた。研究分担者のほか、研究協力者を複数加え、旧ソ連・中国・朝鮮半島と研究対象国や専門分野が異なる研究者がチームを組むため、共同研究としての体制を整える必要があり、複数回の研究打ち合わせと全メンバー参加の研究会を二回行った。6月の第一回研究会(会場:大谷大学)では、各自の研究紹介を行い、問題意識の共有を図り、今後の研究方針を検討した。本研究課題においては、海外調査が重要であるため、初年度は調査機材をそろえることに重点をおき、予備調査として、ロシア、ウクライナ、ドイツ、中国、韓国、ベトナムにメンバーを派遣した。別途、メンバー三名が私費あるいは他費でDPRKに渡航し、調査を行った。またDPRKに関する資料を豊富に所蔵する朝鮮大学校においても、資料収集と調査を行った。これら各調査では現地の研究状況の把握に努め、現地協力者・協力研究機関確保の可能性を探った。2月の第二回研究会は、朝鮮大学校朝鮮問題研究センター・朝鮮文化研究室との共催で研究発表・調査報告を行うものとなった。朝鮮大学校からは会場提供のほか、発表者・司会者・討論者がでての共同研究会となり、聴衆として参加した教員・学生を交えて、活発な議論が行われた。また予備調査の報告を受けて、二年目以降の本格的な調査の方向性・方針を固めた。総じて、初年度としては良好なスタートを切ったと考えている。
著者
大年 真理子 佐々木 直樹
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育臨床総合研究 (ISSN:13475088)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.91-104, 2013-08-20

本研究は, 中学校の合唱における発声指導について, 中学生の発声傾向の分析および発声器官の働きに関する研究をもとに, 女声低声部(アルトパート) の発声に重点をおいた効果的な指導法を考案するものである。中学生の発声に関する調査をもとに, 大学院「学校教育実践研究」として行った, 合唱のアルトパートを対象とした指導実践を報告し, 分析と考察により,女声低声部の効果的な発声指導の一案を提示した。
著者
高木 いずみ 藤井 浩基
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育臨床総合研究 (ISSN:13475088)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.119-133, 2012-07-10

2008年の学習指導要領改訂で, 中学校音楽科では, 「和楽器の指導については, 3学年間を通じて1種類以上の楽器の表現活動を通して, 生徒が我が国や郷土の伝統音楽のよさを味わうことができるよう工夫すること」と示された。本研究は, 中学校音楽科における和楽器の学習の一環として, 尺八の鑑賞と表現の活動を郷土の伝統音楽の学習につなげていく試みである。松江市宍道町にも縁のある尺八古典本曲「鹿の遠音」に着目し, 同曲の教材研究と大学院「学校教育実践研究」における授業実践をまとめ, 尺八の教材開発と指導法の一案を提示した。
著者
足立 悦男
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 教育科学 (ISSN:0287251X)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.1-14, 1990-12-25

詩教材の価直は、国語科教材の他のジャンルと比較することで、その特質が明らかになる。そのためには、題材を一定にしたテキストが必要である。この論文では、「木」という題材を選んでみた。本研究での、「草」「石」につづく三つめの単元構想であるが、詩以外のジャンルを取り上げることで、「アンソロジーの詩教育」に厚みを加えてみたいという意図もある。そこで、木に関する多様なジャンルの作品を組み合わせながら、「アンソロジー・木」という単元を構想してみる。国語科教材論の分野で、木についての物語を記述していく試みである。(引用作品の出典は、あとに一覧を付しておく)
著者
飯野 公央
出版者
島根大学
雑誌
経済科学論集 (ISSN:03877310)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.51-63, 2002-03-31

デフレの深刻化とともに、職を失う人が急速に増えている。総務省によれば、2001年7月に完全失業率(季節調整値)が5%を超え、10月には5,4%と過去最悪の水準を更新した。さらに、グローバル化による産業の空洞化、不良債権処理の本格化と過剰債務を抱えた企業の破綻、情報技術(IT)不況など、変化の荒波が雇用の基盤を突き崩し、人員整理の波は幅広い業種に及んでいる。本格的な高失業時代の到来を前に、日本中が雇用不安に怯えている。13;政府は雇用情勢の悪化に対応するため、(1)規制改革を柱とする雇用創出(受け皿整備)、(2)求人と求職者の条件のずれから生じる雇用のミスマッチの解消、(3)セーフティーネット(安全網)の整備等からなる「総合雇用対策」決めた。しかし、内容的に即効性はあまり期待できず、企業や労働団体の一部からは、ワークシェアリング(仕事の分かち合い)で当面をしのぐことが具体的に議論されはじめている。13;ところで、雇用状況の悪化は、地方部ではさらに深刻な状況となっている。山陰地方でも建設関連や縫製業を中心に大型倒産が相次ぎ、しかも、受け皿として期待されていたIT産業もアメリカのIT不況の影響からその機能を果たし得なくなっている。2001年10月の島根県の有効求人倍率はO,68と過去最低を記録し、今後、小泉政権の構造改革が進めば、地方の「痛み」はさらに拡大し、地域経済の底割れや地域社会の崩壊すら現実のものとなりかねない。13;そこで本稿では、このような状況の下で急速に悪化を続けている島根県の雇用状況を概観するとともに、小泉構造改革の推進が、今後の島根の雇用状況にいかなる影響を与えようとしているのかについて検討する。
著者
西田 忠男
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 教育科学・人文・社会科学・自然科学 (ISSN:18808581)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.7-15, 2013-12-25

本稿では、第三の教育改革とも呼ばれる、昭和50年代以降から今日に至るまでの学校や教師を取り巻く教育環境の変化を、おもに制度上の変化(改革)を手がかりとして考察した。一連の変化(改革)の基本的な方針は中曽根内閣(当時)において設置された臨時教育審議会で示された新自由主義の考え方に基づくものであった。具体的な改革の内容とそこから表面化してきた新たな課題として、①教員資格の規制緩和(多様化)や学校運営の合理化・効率化が教職の専門性や同僚性を低下させているという問題、②教職のサービス産業化と教員の多忙化が教育の質の低下を招いているという問題③教育の受益者負担という流れとそれが経済格差に繋がってきているという問題、④学校教育や教師への信頼回復ための「資質向上」策と、それに対し教職の現実と専門職としての教師の「資質」の中身を捉え直す必要性という問題、があることが明らかとなった。
著者
伊藤 光雄
出版者
島根大学
雑誌
経済科学論集 (ISSN:03877310)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.39-61, 1997-03-31

はじめに13; アメリカの銀行業は、金融自由化の過程で1980年代を通じて大きな構造変化を遂げるとともに、銀行経営においては商用不動産融資をはじめとするハイリスク・ハイリターン部面への融資に傾倒し、1989年、1990年の「金融不況」において多大な不良債権を発生させ著しい苦境に陥った1)。しかし、1991年以降のァメリカ経済の復調とそれに続く好景気を背景に、米銀は不良資産の整理といわゆる「リストラクチャリング」を断行して復活を遂げ、以後新たな段階の本稿は、この米銀の復活過程を、米銀の収益動向ならびに資産負債構成の変化を分析することで、その内実を明らかにすることを課題としている。
著者
川路 澄人 齋藤 英明 瀬島 加代子
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 教育科学 (ISSN:0287251X)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.17-26, 2002-12-01

教員養成系大学及び教育学部と附属学校との連携についてはそれぞれの在り方を含めて,近年の文部科学省からの情報をもとに日本教育大学協会やその他の学会,研究会等で様々な議論が行われている。その一例として平成12年6月に出された日本教育大学協会独立法人化特別委員会の「21世紀の教育系大学・学部の在り方」の中に「附属学校園の在り方」として(1)教員養成機能と実験学校機能,(2)教員の資質向上への附属学校園教官の組織的関与,(3)大学・学部との連携の在り方の三つの項目が挙げられている。ここでは「附属学校は,実験学校,教育実習協力校として明確に位置づけられ,他方,大学附属という利点を活かし,大学・学部と連携して教育実践研究を進め,研究開発で新しい教育の方向を探るパイロット的役割を担ってきた」と説明されている。しかしながら,その位置づけや連携が必ずしも的確に,そして円滑に運営されていたかについての記述はなく,「一層の専門的な検討が必要」という言葉で締めくくられている。13;振り返って現在の島根大学教育学部とその附属学校との連携,共同研究はどのように行われているのであろうか。附属学校の重要性を唱える際に,教育実習担当校としての役割のみでなく,大学の実践研究を補助する立場としての附属学校の在り方がなかなか顕在化してこないことに問題があるのではないかと筆者は考える。13;本稿は,大学教官が附属学校で授業を行うという最も一般的な手法を取りながらも,そこに顕れる様々な教育的効果について実践報告を含めて提案するものである。
著者
相良 英輔
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.1-10, 1999-12-01

本稿は1997~'98年に国際学術研究として「環日本海における過疎問題の比較調査−韓国・中国・日本を中心に−」のテーマに基づいた科学研究費による研究報告の一部である。本研究は北川泉島根大学名誉教授を研究代表者とする研究グループの2回にわたる調査によって得られた成果を基に,筆者の担当部分を報告するものである。13; 本稿の分析対象とした地域は,韓国南東部の慶尚北道と慶尚南道の中山間地域である。過疎・中山間地域問題は,日本のみならず韓国,中国にも共通してある。本調査研究の目的は,(1)韓国,中国,日本の三国に共通する過疎・山村問題の克服と環境維持機能や資源利用を満足に実現しうる均衡ある各国国土の発展方策を明らかにすること,(2)その成果を日本のあるべき政策に反映させることによって,我が国の過疎・山村問題解決に貢献すること,である。これに対し,筆者は,1960年代以降の韓国農村の変化を歴史的に分析することによって,問題点に接近していき,目的の一端を果たしたいと思う。
著者
吉名 重美
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.89-95, 1976-12-25

音楽史上(西洋),特にバロック時代の器楽における最大の表現形式としては,フーガと組曲をあげることができる。そのうちの組曲は,古典派時代においてソナタ形式の発達と共に衰退したかのようにみえたが,近代になりまた新しい衣をきて発展してきた。13; このめまぐるしい変遷を遂げてきた組曲を,今回の演秦会にとりあげることにした。曲目には,古典組曲であるバッハ Bach,J.S.(1685−1750)の「フランス組曲 Franzosische Suiten」と,近代組曲であるムソルグスキー Mussorgsky, M.R.(1839−1881)の「展覧会の絵 Bilder einer Ausstellung」とを選んだ。いうまでもなく両者は,古典,近代の組曲において共に代表的な作品であり,両時代の各々の特徴をよくとらえている作品であると認められているという根拠にもとづく。13; 技術的要素と精神的要素(内面的要素)との双方が結合して,1つの演秦が出来上っていく。その内面的要素を知るうえにおいて必要なことは,すなわち組曲の源流,変遷を探ることではないかと思う(もちろん,Bach,J.S. や Mussorgsky,M.P. らの作品のスタイルを知ったうえで)。13; 組曲の源流を探り,変遷を辿ることにより,なぜ近代において一時期の衰退から組曲が復活してきたのかを究明し,そのことによって,自己の演奏や音楽教育にどのような効果をもたらすかを,研究してみたいと思う。
著者
濱田 年騏
出版者
島根大学
雑誌
島根大学農学部研究報告 (ISSN:0370940X)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.160-172, 1976-12-15

高度経済成長過程を通じ日本農業は多くの矛盾を露呈してきた.その構造的矛盾として,兼業の著しい進行による農業基幹的従事者の減少,経営組織の単純化からくる土地利用・地力の低下,あるいは農家経済の硬直化などがあげられる.13; 農業白書はこうした矛盾に対し,「複合経営は,単に所得・生産性の問題だけでなく,農業経営内部における就業及び所得の確保や経営内部の循環を利用した経営のバランス,土地利用の向上,地力の維持培養等のうえで重要な意味をもっている」と述べ,従来の専門化,大型化という農業近代化路線に対する反省的な発言をしている.13; 農業に生態系的な自然循環をとりもどし,バランスのとれた農業発展をはかろうとする近代化路線批判=複合経営論については,今日形態的にみると大きく二つの考え方が出されている.一つは,各農家がそれぞれ専門化をはかりつつも,地域内で生態系的バランスをとる地域複合化の方向であり,他の一つは,自己経営内で多様な作目を組合せることによりバランスをとる複合経営である.13; 有機物の土地還元による地力維持・培養については,この両者は同一的機能を果しうる可能性を秘めている.13;しかし,資本主義経済に対応する経営形態として大きな相異がみられる.前者は資本主義経済において,農業といえども商品生産を必然にし,生産力を高めるためには単一化・規模拡大は避けることができないとするのに対し,後者は日本の農業が家族小農によって担われている以上,その経営は自家労働力の再生産として営まれる.13;そのため,生産は自給的性格が強く,経営は複合化を志向する.それは地力維持・土地利用の高度化,家族労働力の完全燃焼といった点からも合理的であり,自己完結的にならざるをえないとするものである.13; 本稿における調査地岩手県紫波郡紫波町志和地区は,稲作地帯の農業展開の一事例として今日注目されている.そこにみられる「志和型複合経営」の経営形態は,稲作と畜産部門を基軸にキュウリ・椎茸・タバコ・ニンニクなどの商品作部門を組合せた,家族労働カによる自己完結的な後者にみられる複合経営である.13; 志和地区において,複合経営の展開が論理づけられた背景は,資本主義経済の発展による地区のもつ経済構造の変質・矛盾が具体化してくる過程から生じたものであった.従って「志和型複合経営」は,これら変質・矛盾を克服するなかに,小農の残りうる道として求めたものである.13; 本稿では,経営の複合化が土地利用・地力の低下あるいは農家経済の硬直化といった矛盾をいかに克服しうるものであるか,さらに経営構造を規定している諸条件のもとで,経営の複合化がもつ農業生産力発展のメカニズムを志和地区の実態をみつつ明らかにしようとするものである.従って,IIでは経営複合化の論理と実態を概観し,III・IVにおいて集落・農家の事例から「志和型複合経営」の具体的形態を明らかにするとともに,現在抱えている問題をみる.そしてVにおいて上記の点について答えようとするものである.
著者
永井 康宏 小玉 耕平
出版者
島根大学
雑誌
島根大学論集 教育学関係 (ISSN:04886526)
巻号頁・発行日
no.16, pp.91-113, 1966-12

体育とは身体運動やスポーツの実践によって成立する教育作用を意味し,一般には運動やスポーツによる人間生成あるいは人間形成といわれている。したがって,単なる運動やスポーツの実践が直ちに体育であるのではないけれども,運動やスポーツが行なわれないところに体育は成立しないから,運動やスポーツの実践は体育成立の基本条件と考えてよい。そこに体育成立の手がかりがあると考えられる。13; このような運動やスポーツ実践の機会は,学校,家庭,地域杜会などにあるが,学校においては全員必修の教科体育時,他に教科外の特別教育活動や学校行事活動の機会,さらには自由時などがあり,適切な指導とあいまって,そこにそれぞれ体育が成立することが期待されている。13; しかし,最近の受験体制と進学競争の激化に伴って,学校における運動やスボーツの実施がしだいに減少の傾向にあることが指摘されている。例えば,昼休み時間や放課後学校で運動する生徒が減少したとか,対外試合が華やかにジャーナリズムによって喧伝されているにもかかわらず,運動部(クラブ)員の数はしだいに減少しつつあるとかいわれているのがそれである。13; そのような状況が存在することは確かであるし,また,受験体制がそのような事態の最も根本的な原因になっていることも否定できないだろう。しかし,運動やスポーツの実施がどの程度に減少したか,また,それがどのような理由にょるかを具体的に検討することもしないで,すべて,原因や理由を受験体制だけに帰することは非科学的であろう。現状の把握やその原因や理由の追究は困難ではあるが,そうかといって,何もしないで,拱手傍観しているというのでは,あまりに無責任であり,また,ふがいないと.思われる。13; 本研究は、このような動機や観点から,二県の中学生高校生の最近の運動生活の実態や運動に対する感じ方,考え方を調査し,事態の真相を究明し,それから彼等の体育についての意識や,意識の形成に影響を及ほしている要因について考察し,今後の学校体育の経営や指導のための手がかりを求めようとしたものである。
著者
小林 定義
出版者
島根大学
雑誌
島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 (ISSN:02872501)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.45-55, 1972-12-20

ウォルター・ペイター(Walter Horatio Pater, 1839-94)がそれによって文名を得た「ルネッサンス研究」(The Studies in the History of the Renaissance, 1873)が世に出てから百年、彼が世を去ってから八十年に近い歳月がたつが、この間、さまざまの毀誉褒貶とともに、さまざまのペイター像がわれわれの前に提出されてきている。初期の哲学、ないし人生観を中心に描かれた「唯美主義者」という像は現在もなお生きており、その批評態度から「印象批評家」というレッテルもあたえられている。一生文体の問題に腐心し、独特の文体をつくったことから、「スタイリスト」の評も得ている。道徳的なヴィクトリア朝の思想的風土の中では「快楽主義者」という悪評も得た。また、著作の多岐にわたる内容から、ある時は「文芸評論家」、あるときは「美術評論家」またあるときは「創作家」として論じられもした。13; このようにさまざまの角度からのペイター像が存在すること自体は、彼の多才性を物語っているようで、その限りでは問題はないかに見える。だが、「スタイリスト」としてのペイターが「印象批評家」と無関係に論じられたり、「創作家」のペイターが他のペイター像と無縁にとり扱われているという事実は否めない。その結果われわれが知っているのは、相互に関連のない「唯美主義者ペイター」であったり、「美術評論家ペイター」であったりする。言いかえれば、右にあげたようなさまざまの像の背後にあって、それらを統一するペイターその人の像が欠けているわけである。13; ある時は印象批評家、あるときはスタイリスト、またある時は唯美主義者と、いろいろな衣裳をつけてわれわれの前に登場してみせるペイターの奥にある「ペイター原像」といったもの−社交界から戻って、また大学の講義を終えて、書斉に独りとなったときのペイターの胸のうち−を明らかにすることが、ペイター研究に残された重要な問題の一つではないだろうか。13; 「ペイター原像」の探究の一つの試みが、本稿のねらいである。