著者
南 隆男 稲葉 昭英 浦 光博
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.85, pp.151-184, 1987
被引用文献数
3

われわれ1人びとりの日常生活は,ロビンソン・クルーソー的に自足的に展開されているのではない.それは,なん人もの他者との関係性のうちに進展しているのである.そして,このこと自体は誰にとっても異論のない自明のことである.しかし,ひととひととの関係性をどう把えどう記述しそこにいかなる意味付与をしていくかについては多くの視角と立場とが存在している.コミュニティ心理学や社会心理学,ひろくは行動科学の領域において,近年にわかに注目を集めだした「ソーシャル・サポート」の論議も,人間の社会関係についてのひとつの"新しい"立場であり,それは「日常の社会関係に包含されている相互援助機能」に焦点をあてている.すなわち,他者から得られる具体的および精神的援助が個人の心身の健康維持と増進に深く関与している可能性に注目するのである.この可能性をめぐって理論的そして経験的な検討がある種の熱気をおびながら遂行されている.アメリカにおいてそれはとくに著しい.わが国においては,実質的な研究がようやくティク・オフしようとしているところである,といえよう.本稿では,そのティク・オフの流れに沿った,ひとつの予備的な探索的試みの結果が「資料」として報告・提示された.(1)ソーシャル・サポートが,(1)所属的サポート,(2)実体的サポート,(3)評価的サポート,および(4)尊重的サポート,の4側面にわたって問題とされた.それぞれのサポートが「実際に得られているのか」ということより.それぞれのサポートを「提供してくれると思われる他者の拡がり」が尋ねられた.いわゆる「ソーシャル・サポート・ネットワーク・サイズ」に焦点があてられたのである.(2)大学生(2年生男女)を対象として質問紙による調査が試みられた.その結果,上記のごとく,ソーシャル・サポート・ネットワーク・サイズを機能別に4つに分けて検討することが現実には難しいことが判明した.すなわち,問題としたサポート・ネットワーク・サイズの4側面には経験的弁別性がほとんど認められなかったのである.測定法をかえてさらに検討してみる必要性があろう.(3)以上から,サポート・ネットワーク・サイズの全体(包括的ソーシャル・サポート・ネットワーク・サイズ)を指標として,まずは人口学的変数との関連が追究された.(1)性,(2)兄弟数,(3)入学経路,(4)居住形態,(5)1ヶ月あたりの"自由に使えるお金",および(6)"恋人"の有無,の6特性との関連が吟味されたが,いずれとも意味のある関連は見い出し得なかった.(4)ついで,(1)大学生活に対する満足の度合い,および,(2)抑うつの程度の2種を基準変数として,それぞれに対して包括的ソーシャル・サポート・ネットワーク・サイズ変数が持つ規定力が問われた.階層的重回帰分析の結果によれば,いずれの基準変数に対しても,そのヴァリエーションを説明していくうえで,有意味な独自の力を保持することが確認された.われわれの今回の試みにおいては,この確認が1番のポイントといえよう.(5)基準変数の「抑うつ傾向」に対しては,包括的ソーシャル・サポート・ネットワーク・サイズ変数が「マキャベリズム志向」変数と相乗効果を発揮している事実が見い出された.マキャベリズム志向が高いひとにあっては,ソーシャル・サポート・ネットワーク・サイズの拡がりは抑うつを低下させる方向で関与しているように思われる.以上が,われわれの今回の試みにおける主要な結果である.それぞれの解釈にあたっては慎重な配慮が要求されよう.ひとつの事実にはちがいないが,どこまで"動かぬ事実"かについては,今回の試みだけではほとんどなにも言えぬからである.その意味において「資料」なのであり,ソーシャル・サポート研究の向後にむけて参考に供するものである.
著者
野村 実
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.415-442, 1987-02

論文はじめに東条への大命降下の衝撃後任海相の推挙東条の豊田忌避及川の留任拒否と嶋田海相の実現嶋田の開戦決意おわりに
著者
中村 公則
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.64, no.3, pp.327-337, 1995-04

一 はじめに二 カーブースの書三 七王妃物語四 ルーミー語録五 薔薇園六 ハーフェズ詩集七 地の呪い八 ハージー・アーガー九 赦しを求めて十 アラヴィーイェ・ハーノム
著者
鈴木 秀一
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.77, pp.83-112, 1983

序I. 古典派のヴェーバー像 : 「正統派」とマルクス主義II. フライシュマンの「ヴェーバーとニーチェ」論III. モムゼンの「ヴェーバーとニーチェ」論IV. 批判的考察 1. 問題の所在 2. ヴェーバーの方法論と自然法 3. 「支配の社会学」とニーチェ : カリスマ的支配をめぐって 4. 真性カリスマと民主的カリスマ : 「カリスマ的支配の日常化」の問題結Nach der sogenannten "Max Weber Renaissance" in den 1960er Jahren ist Webers politisches Denken vornehmlich Gegenstand heftiger Kontroversen gewesen. In der vorliegenden Arbeit wenden wir uns der Geschichte der Kritik an Webers politischer Theorie zu, wobei wir der Problematisierung des Verhannisses von Weber zu Nietzsche besondere Aufrnerksamkeit widmen. Dabei teilen wir die Geschichte, der Interpretation 'von Webers politischer Theorie in zwei Zeitabschnitte ein die Zeit vor und die Zeit each der "Weber Renaissance", urn die allegem.eine Teridenz in der neuen Weberinterpretation hervorzuheben. Der entscheidende Unterschied zwischen den zwei Weberinterpretationen liegt in der Thematisierung des Verhaltnisses Webers zu Nietzsche. Erst nach der "Weber Renaissance", wird der groBe EinfluB, den Nietzsche auf die politische Theorie Max Webers ausgeiibt hat, erortert. Vor der "Weber Renaissance" hatten sowohl die "Orthodoxen" wie Marianne Weber, Karl Jaspers und auch die Marxisten wie Lukacs, Max Horkheimer gewiB nicht die Absicht, Webers Begriff des "Charisma" als eine. Analogie zu Nietzsches "Ubermenschen" anzusehen (Kap. I). Aber heutzutage steht die Beziehung Webers zu Nietzsche genau in diesem Sinner zur DiskuSsion. Hierbei spielen E. Fleischmann und W. J. Mommsen die fuhrende Rolle (Kap. II und Kap. III). Die Zielsetzung dieser Arbeit ist die folgende : Es geht um die Kritik an der Problematisierung des Verhaltnisses von Weber zu Nietzsche durch Fleischmann und Mommsen. Die beiden Kritiker schatzen den wichtigen Unterschied zwischen dem "genuinen" and dem "demokratischen" Charisma in Webers Herrschaitssoziologie gering ein oder ubersehen ihn ganz. Und wir mochten auch hervorheben, daB Webers demokratischer charismatischer "Fuhrer" eine "Verantwortungsethik" hat, die Nietzsches "Ubermensch" uberhaupt nicht kannte (Kap. IV).
著者
土井 大介
出版者
慶應義塾大学
雑誌
三田國文 (ISSN:02879204)
巻号頁・発行日
vol.34, pp.14-31, 2001-09-30

一、「義盛百首」の成立と受容二、「義盛百首」の意義三、『万川集海』解題四、『万川集海』の「義盛百首」利用の方法論五、「義盛軍歌」「佃軍歌」の兵法性と文芸性六、兵法道歌の成立基盤
著者
白石 孝
出版者
慶應義塾大学
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.16, no.3, pp.53-62, 1973-08-30

これまで本誌2号にわたり,(1)米国産銅会社の地位とBig 3,(2)アナコンダの発展と経営戦略,(3)アナコンダ社のチリー事業活動(以上第16巻第1号),(4)ケネコット社の発展と経営戦略,(5)ケネコット社のチリーの事業活動(以上第16巻第2号)を述べてきたが,本号では引続いて,フェルプスダッジ社の発展と経営戦略を明らかにしておきたいと思う。(なお,本号の見出し,図表の番号は1号より引継がれているので承知されたい。)
著者
大津 由紀雄
出版者
慶應義塾大学
雑誌
挑戦的萌芽研究
巻号頁・発行日
2008

ことばへの気づき(メタ言語意識)を仲介として母語教育と外国語教育を言語教育として統合させる試みの暫定的とりまとめを行った。これまで、このような試みが体系的に成されてこなかった理由が、統合のための基盤となるべき、「ことば」という観点が決定的に欠けていることにあることがわかったことに基づき、どのような形で「ことば」という観点を学校教育に導入するべきであるかを検討した。さらに、教材の開発と授業実践を続けることによって、本研究の成果が学校教育の現場に直接役立つよう努力した。この作業のために、以前から交流のある小中高の先生との会合を重ね、その成果を「毎日小学生新聞」に「ヤバい!ことばの力」と題する連載として公表した。さらに、教員育成のためのカリキュラムの開発のため、夏と冬に教員のためのことばワークショップを主宰した。また、前年度に引き続き、現実の社会問題としての小学校英語の問題、および、高等学校英語の問題についても、上述の言語教育の視点から分析し、その成果を論文、単行本、講演会などの形で、広く知ってもらえるよう努力した。こうした研究成果のまとめの一環として、2010年に慶應義塾大学三田キャンパスにおいて、言語教育シンポジウム「」を企画し、理論と実践の両面から言語教育のあるべき姿を追求した。
著者
松岡 和美 内堀 朝子
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

【かな由来の手話表現の音韻的制約】指文字が取り込まれて語彙化する「かな由来」の手話単語では手話の音韻パラメータの1つである「位置」と、利き手の身体部位との接触の有無に関連性があることを明らかにした。その理由に接触や追加の動きが手話単語のsaliency(顕著性)を高めることが考えられることを指摘した(論文採択済み)。【愛媛県大島の地域共有手話の研究】数と時の表現について追加のデータを収集し、ろう者と聴者が手話を共有する地域の歴史的・社会的背景の聞き取り調査を行った。他の共有手話や聴者のジェスチャーも考察に入れた論考をまとめた(論文採択済)。海外の研究で用いられた動画を参照しながら、より文化的に適切な動画を作成し、一致動詞の空間使用を調査した。【日本手話の否定とモダリティ】日本手話の否定表現とモダリティ表現の共起関係の制限を手がかりに、否定は3つ、モダリティは2つの異なる位置に生じていることを明らかにした。その構造的位置は、語彙の形態・意味的な性質と深く結びついている仮説を提案した。【数量詞の適用範囲と空間位置】日本・アメリカ・ニカラグアの聴者のジェスチャー動画を収集し、数量詞を含む文を用いる際に'more is up'の空間的メタファーの使用に関して数量的分析を行った(論文投稿中)。【話題化の非手指標識について】文頭の話題化要素に伴って生じる「眉上げ・うなずき」に加えて、文頭に生じる要素には話題化とは別の非手指動作が伴っている例も観察した。例えば「目細め(ないし視線変化)」であるが,これは従来Referential Shiftの非手指標識とされている。今後の研究でも,これらを含め,非手指標識全般について,複数の標識を厳密に見分けた上で互いの分布(特に共起関係)を記述する必要があることが確かめられた。
著者
寺田 一薫
出版者
慶應義塾大学
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.171-186, 2000-08-25

交通市場において,弱い調整政策は規制緩和と両立するのであろうか。本稿は,そのようなケースでの弱い最小限の交通調整政策の実行案を提示しようとするものである。英国では,先進国で最初に,1985年交通法によって域内バスの規制緩和が行なわれた。しかし,現労働党政権は,白書(『ニューディール』)と協議文書(『サラブレッド』)から2000年交通法案までのプロセスにおいて,部分的な再規制を立法化しようとしている。この立法化の重要な部分に,地方政府とバス事業者の間での協力があり,それらは「品質協定」ないし「品質契約」と称するものの下で行なわれることになっている。本稿では,その品質協定/契約が英国の域内バス市場においてもつ意味,ならびにその下で政府が果たすべき役割について分析を行なう。比較的中央集権的な国家である英国においても,域内バスに関しては分権的な対応をとらざるをえなくなっており,自治体ごとの対応を通じて,比較制度的な検討ができる。以下,Iにおいて,当該規制緩和の概要と政策修正論議について概観したあと,IIで15年間にわたって行なわれてきた自治体の規制緩和への公式な対応を論じる。IIIにおいては,自治体の行動の前提となる市場の構造と行動について紹介する。IVにおいては,弱い交通調整の一例として,英国で自然発生した自治体とバス事業者間での品質協定について検討する。Vでは,これらの趨勢をふまえての現労働党政権の政策動向について紹介する。さらにVIにおいて,これらの政策論の総括を行なうことにする。
著者
石原 賢一
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.74, no.3, pp.319-349, 2006-01

論文はじめに一 ザカフカースの社会主義組織とイラン二 バクーからの観察 : レスールザーデの立憲制認識 (1) 第一次立憲制成立以前 (2) 第一次立憲期三 ラシュトでの観察 (1) レスールザーデのイラン到着の時期と意味 (2) ロシアの脅威 (3) ギーラーンとザカフカースの連関関係 (4) サッタール委員会とモジャーヘディーン四 イラン・アゼルバイジャンでの観察 (1) サッタール・ハーンとの会見 (2) 経済的視点からみた英露の政策むすびにかえて
著者
三浦 雅弘
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.27-58, 1988

1. 「抽象」と「一般化」2. ロックにおける「抽象観念」3. バークリの批判4. バークリの提案とその解釈 (1) 言語と観念 : 「記号的表示」の理論 (2) バークリの語用論的アスペクト (3) バークリ批判の検討5. バークリにおける「抽象」 (1) 「抽象」能力の容認 (2) 容認の帰結 (3) 「抽象」の実相6. バークリの「普遍論争」へのコミットメント7. 回顧と展望Generally we regard both Locke and Berkeley as "nominalists". But correctly speaking, they should be called "nominalistic realists", because they restrict what exists to what is particular, and yet admit that predications extending beyond some original paradigm specimens may be valid. But Berkeley blames Locke bitterly for "abstract or general ideas", which are, according to Locke, the bonds between particular things that exist and the names they are to be ranked under. His attack on Locke results from two theoretical bases, one of which is his ontology and the other is his theory of "signification". On the latter we should pay attention to his pragmatic point of view. Though Berkeley rejects "abstract ideas" in the Lockean sense, he doesn't necessarily deny our ability to abstract. I suppose the abstraction level he rejects is not "abstraction" but "generalization" to be exact. And, with Berkeley, the epistemological condition that precedes the ability to abstract within the limits of his permission and "general ideas" in the Berkeleian sense, is our ability to perceive "likeness" between particulars, in my opinion.
著者
高山 慶子
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.247-277, 2008-12

論文はじめに一 来歴と身分二 土地の所持三 貸金の特徴四 豪商との関係おわりに
著者
松崎 欣一
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.1-43, 1978-07

論文一 「鷧斎日録」の発見二 「鷧斎日録」の記事三 臨床医としての晩年の杉田玄白 (1) 藩邸勤務 (2) 病用外出 (3) 病論会・その他
著者
八代 修次
出版者
慶應義塾大学
雑誌
哲學 (ISSN:05632099)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.105-131, 1989

I. 草土社と慶應義塾幼稚舎II. 岸田劉生と草土社III. 草土社の図画教育観結びFow over two and a half decades since 1922, the art education at Keio Gijuku Yochisha elementary school was undertaken by painters belonging to the Sodosha group. This group was sponsored by Ryusei Kishida and consisted of Michisei Kono, Hitoshi Seimiya, Shohachi Kimura, Sadao Tsubaki and others. By this group, art education at Yochisha became a landmark in the history of art education in Japan, because at that time Jiyuga-Kyoiku, which was proposed by Kanae Yamamoto, spread all over Japan. Yamamoto emphasised that elementary school children should no longer copy Sintei-Gacho as instructed by the government, but create and draw after nature itself. On the other hand, Kishida stressed the appreciation of famous art works and the copying of them. This method of art education, Kishida called Jiyuringa-Ho. He also believed that this method would be of more benefit later on in life. In this article, I pay particular attention to Kishida's basic ideas on art education during his Sodosha era (1915-22), which were stated in his essay. One of my points is that his Jiyuringa-Ho is valid in his own work.
著者
槇 智雄
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.3, no.4, pp.471-501, 1924-11

一 緒言二 社會契約論三 契約論の起原四 封建契約五 契約的社會形成の原因六 契約的社會と制限君主制七 結論
著者
李 維安
出版者
慶應義塾大学
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.39, no.2, pp.125-141, 1996-06-25

近年,コーポレート・ガバナンスに関する研究は,ますます国際的な課題になってきている。なかでも注目されるのは,一国のガバナンス機構についての研究を超えた比較研究である。ところが,それらの比較研究はいずれも,発達した市場経済制度を有する国について分析を行なったものであり,発展途上国や市場経済への移行を模索している国を視野に入れたものではない。コーポレート・ガバナンスに関する研究は,これらの国をも視野に入れて推し進められる必要がある。なぜなら,これらの国においては,既存の統治制度とは異なった,新たな統治制度の構築が緊要とされているからである。市場経済への移行を目指している中国では,先進市場経済国の企業統治制度を参考にしつつ,新しい企業統治制度をも導入しなければならないという課題がある。こうした課題は,中国等の個々の国の企業統治制度自体の研究にとってのみならず,市場経済先進国との比較企業統治制度の研究にとってもまた興味深い課題である。先進国における企業統治(コーポレート・ガバナンス)がいわば制度の調整の問題であるのに対して,中国のコーポレート・ガバナンスは制度の交替の問題であり,いわば計画経済の企業統治制度から市場経済の企業統治制度への「転形」の問題である。この転形は,計画経済の導入と異なり,政治的決断ではなく,旧計画経済の企業統治制度の「下部構造」の長年にわたる進化のプロセスに「上部構造」が漸く追い付いた結果であると考えられる。従って,こうした制度的進化の視点からみれば,市場経済への移行における企業統治制度の転形を解明するためには,まず計画経済の企業統治制度の進化プロセスを把握しておく必要がある。そこで,本稿では,これまでの研究成果を吸収した上で,比較企業統治制度論の視点から,中国における計画経済の企業統治制度を中心として分析を行ない,その「行政化」等の問題点を明らかにすると共に,今後の改革方向について若干の展望を試みていくこととしたい。
著者
大森 雄太郎
出版者
慶應義塾大学
雑誌
史学 (ISSN:03869334)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.171-194, 2001

論文第四章 レキシントンから独立宣言へ,一七七五年-一七七六年