著者
久野 久
出版者
日本地質学会
雑誌
地質學雜誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.68, no.796, 1962-01-25
被引用文献数
1
著者
久野 久
出版者
日本地質学会
雑誌
地質學雜誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.40, no.477, pp.379-380, 1933-06
被引用文献数
1
著者
坪井 誠太郎 久野 久
出版者
日本地質学会
雑誌
地質學雜誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.40, no.477, pp.380-381, 1933-06
著者
木村 昌三 岡野 健之助
出版者
日本地質学会
雑誌
地質学論集 (ISSN:03858545)
巻号頁・発行日
no.40, pp.187-195, 1992-12-15
被引用文献数
6

四国の中央構造線周辺地域に発生する地震の震源を再検討した上で, その震央ならびに深さ分布を求め, 構造線との関係について考察している。深さが5 kmより浅い地震の多くは構造線の南側にのみ観測されている。震源の深さ分布のずれからも, これは構造線を境にして南側(三波川変成帯)の上昇を示唆する。深さ8〜18 kmの地震では燧灘における活動が目立ち地形との関連が印象的である。下部地殻には地震が観測されないので, 23 kmより深い地震はすべて最上部マントル内のものであるが, この北傾斜で分布する地震は, 四国西部では構造線の制約を受けず構造線を越えて中国地方へ連続した分布を示す。しかし中東部では構造線の制約を受けて北側での活動は極めて低く, しかもその分布は中国地方に想定されるモホ面直下に水平に分布する。これらの地震を発生させる主圧力の方向は, 地殻内地震ではほぼ東西, マントル地震では南北である。
著者
諏訪 兼位 宮川 邦彦 水谷 総助 林田 守生 大岩 義治
出版者
日本地質学会
雑誌
地質學雜誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.103, no.11, pp.XXXV-XXXVI, 1997-11-15
被引用文献数
2

中央構造線の大露頭:月出露頭は, 紀伊半島中央部の高見山東方約9km地点(三重県飯南郡飯高町月出ワサビ谷)において, まず確認され, さらに崖錐除去工事によって出現した. 月出露頭の位置は, 東経136°11'33", 北緯34°26'5"である.<BR>露頭の高さは約80m, 幅は約50mに及ぶ. 露頭の勾配は38. 5°である. 露頭では, 西南日本外帯の黒色片岩と西南日本内帯の圧砕岩類(マイロナイト)とが接している. 月出露頭の中央構造線は, 東西走向で, 北へ60°傾斜している. 黒色片岩の片理は東西走向で北へ67°傾斜している. マイロナイトの面構造はN86°E走向で, 北へ56°傾斜している. マイロナイトは, 中央構造線沿いの幅3~5mの範囲では, 赤褐色を呈してガウジ化している.<BR>1959年9月の伊勢湾台風による崖崩れによって, 月出露頭の一部(右上隅)が出現したが, 大部分は崖錐におおわれていた. 筆者らは, 1995年1月に月出露頭が中央構造線の露頭であることを確認した. そして, 崖錐除去工事によって, 大露頭が出現することを, 関係当局に説いた. 幸い, 1995年度から崖錐除去工事が, 三重県治山事業として3か年計画で着々と進められている. 月出露頭の約1/3の高さには, 土止めの擁壁が設けられた. 露頭の右端には, 露頭最下端部のワサビ谷から擁壁まで, 階段が設けられた. 月出露頭の観察場所はワサビ谷に沿って整備され, 露頭に直接手を触れることができる. 観察場所へのアクセスも着々と整備されつつある.<BR>月出露頭周辺では, 中央構造線はN80°E走向で連続する. 月出露頭の東方約10kmには荒滝露頭があり, そこでも, 黒色片岩とマイロナイトが接している. 月出露頭周辺の中央構造線については, Suwa(1956), 杉山(1973), 高木(1985)などの研究がある.<BR>月出露頭では, 中央構造線は北へ60°傾斜しているが, 最近の伊藤ほか(1996)の四国中央構造線の研究によれば, 地下深部では中央構造線は, 30°~40°程度のゆるい北傾斜を示すらしい.<BR>このロ絵の発表にあたり, 飯高町長石橋 修, 前飯高町長村岡力, 松阪農林事務所前林政部長望月三佐男の三氏をはじめ, その他の関係各位に厚く御礼申しあげる.<BR>崖錐をのぞけば見事あらわるる大断層が月出ずるごと
著者
千田 昇
出版者
日本地質学会
雑誌
地質学論集 (ISSN:03858545)
巻号頁・発行日
no.40, pp.39-51, 1992-12-15
被引用文献数
3

九州の中央構造線は松山-伊万里線, 大分-熊本線, 臼杵-八代線という主要な構造線との関係で論じられてきた。活断層からみるとこれらの構造線はいずれも第四紀に活動しているが, とくに大分-熊本線の活動が顕著である。大分-熊本線を南限として, その北方はに7つの地溝が存在し, 中部九州地溝帯を形成している。これらの地溝のうち最東端の別府湾地溝と最西端の雲仙地溝では地溝形成活動が活発に行われている。大分-熊本線の西部は布田川-日奈久断層系の活動により代表され, 右ずれの活動で特徴づけられる。中部九州地溝帯は大分-熊本線の右ずれにともなう引張割れ目として形成されたもので, 北東-南西方向に延びる大分-熊本線の右ずれを引き起こすための東西の圧縮応力は0.7 Ma以降の局部的な圧縮応力場の形成で説明しうる。これはまた, アムールプレート南東部において, それが東進することで生じたshear zoneとの考え方で説明可能である。
著者
多田 尭
出版者
日本地質学会
雑誌
地質学論集 (ISSN:03858545)
巻号頁・発行日
no.41, pp.1-12, 1993-06-25
被引用文献数
6

測地測量の繰り返しから, 九州中部地域に於て南北方向の張力場が卓越すること, これが別府-島原地溝の南北方向への1.4 cm/年の拡大, 2.5 mm/年の沈降によることが明らかになった。九州に起きる大部分の浅い地震は別府-島原地溝で発生しており, それらの発震機構は南北張力軸の正断層型または四象限型で, 地殻変動と一致する。重力異常から推定される別府-島原地溝の地殻構造は地殻の陥没, モホ面の上昇を示している。これらのことから別府-島原地溝は大陸地殻に出来た活動的なリフトバレー, コンチネンタルリフトバレであり, 沖縄トラフの北東延長部である可能性がある, と結論される。
著者
清水 洋 馬越 孝道 松尾 ★道
出版者
日本地質学会
雑誌
地質学論集 (ISSN:03858545)
巻号頁・発行日
no.41, pp.13-18, 1993-06-25
被引用文献数
5

九州中・西部の地殻内地震活動およびそれらの発震機構から推定される地殻応力場の特徴を調べた。その結果, 地震活動については, 別府-島原地溝帯や日奈久断層系など当該地域の顕著な地質構造に対応した帯状または線状の分布が明かになった。また, 天草灘では, 地溝の両側の縁に沿って2重の地震活動帯が明瞭に認められた。発震機構については横ずれ型が卓越している。張力軸はおおよそ南北であり, 地殻変動から推定される広域地殻応力場と矛盾しないが, 起震応力としては東西圧縮力が無視できない。さらに, 深発地震を用いて最上部マントルのS波偏光異方性を調べた結果, 先行S波の偏光は, 別府-島原地溝帯を境にその北側と南側でそれぞれ北西-南東方向と北東-南西方向に卓越する可能性が示された。
著者
小川 光明 岡村 真 島崎 邦彦 中田 高 千田 昇 中村 俊夫 宮武 隆 前杢 英明 堤 浩之
出版者
日本地質学会
雑誌
地質学論集 (ISSN:03858545)
巻号頁・発行日
no.40, pp.75-97, 1992-12-15
被引用文献数
5

愛媛県伊予郡双海町沖において, 高分解能ソノプローブを用いた詳細な音波探査を実施し, 中央構造線活断層系の正確な分布と形態を記載した。さらに, 断層を挟んだ地点からピストンコア試料を採取し, それらを対比することにより, 断層活動の時期を解読した。この海域に分布する中央構造線は, 左雁行に配列する計4本の断層から構成されており, そのうちの1本には完新世における明瞭な右ずれ運動が認められる。また, この断層は近接する他の断層と同時に活動することにより, 細長い地溝を形成する。その活動時期は, 石灰質化石の^<14>C年代測定から, 約6200年前と約4000年前であると推定された。4000年前以降にも活動があったと思われるが, 残念ながら堆積速度の急減のため, 断層活動が保存されていなかった。本地域での活動性に, 陸上のトレンチ調査から解読された活動性を加味すると, 四国における中央構造線は, 少なくとも3つ以上の領域に分かれ, それぞれが約2000年の間隔で活動を繰り返していると考えられる。
著者
平林 武
出版者
日本地質学会
雑誌
地質學雜誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.5, no.52, pp.142-154, 1898-01-20
著者
角田 史雄
出版者
日本地質学会
雑誌
日本地質学会学術大会講演要旨
巻号頁・発行日
vol.100, 1993-03-25

rights: 日本地質学会rights: 本文データは学協会の許諾に基づきCiNiiから複製したものであるrelation: IsVersionOf: http://ci.nii.ac.jp/naid/110003035197/
著者
角田 史雄 堀口 万吉
出版者
日本地質学会
雑誌
地質学論集 (ISSN:03858545)
巻号頁・発行日
no.20, pp.21-45, 1981-03-30
被引用文献数
2

The writers and their collaborators have made study on the distribution of seismic intensity in Kanto district. They inquire of a few thousand persons the intensity who live in the wooden houses with second story. The data on the intensity are collected so on after an earthquake occurs. In this paper, following earthquakes are refferred, i.e. local earthquakes of western Tokyo (1979) and east-off Chiba Prefecture (1979); destructive ones of Kanto (1923) and Nishi-Saitama (1931). Approximate location and magnitude of those earthquakes are as follows; [Table] The distribution of seismic intensity of those earthquakes hows that straight, long and narrow zones are severe or sensitive to the earthquakes which are named the abnormalous seismic vibrated zones (F. Tsunoda, 1980). For instance, violent motion was felt along the margins of diluvial uplandand fault zones in the Kanto mountainland in case of the western Tokyo earthquake. Similar distribution was shown in the destructive Nishi-Saitama earthquake. Severe vibrated zone was found along the northeast coast of Tokyo Bay in case of the east-off Chiba Prefecture. Similar irregular distribution of intensity is found in the Kanto earthquake. Most of those anormalous seismic vibrated zones runs in northwest-southeast direction which is the general trend of the basement complex of Kanto Plain, and under some of them, faults of the basement complex are found, for instance, the Ayasegawa fault. So it must be intimately related with the faults developed in the basement. While some zones such as the Iwatsuki-Kasukabe abnormalous seismic vibrated zone run in northeast-southwest direction. The geological meaning of these zones is left to be solved in future. As already pointed out, the shock is also severe in the area where thick peat is deposited.
著者
角田 史雄
出版者
日本地質学会
雑誌
日本地質学会学術大会講演要旨
巻号頁・発行日
vol.83, 1976-03-25

rights: 日本地質学会rights: 本文データは学協会の許諾に基づきCiNiiから複製したものであるrelation: IsVersionOf: http://ci.nii.ac.jp/naid/110003033676/
著者
溝上 恵
出版者
日本地質学会
雑誌
地質学論集 (ISSN:03858545)
巻号頁・発行日
no.35, pp.1-10, 1990-12-01

The East Off Chiba Prefecture Earth quake (M6.7) on December 17, 1987 was located at 35°22'N, 140゜30'E, about 10 km off the east coast of Chiba Prefecture with focal depth of 58 km. The intensity of ground motions V on JMA scale was recorded at Chiba, Chosi and Katsuura, Chiba Prefecture, Central Japan. The earthquake, indentified as an interplate earthquake of the Philippine Sea plate, was accompanied by the after shock activity which propagated at from the depth of 55 km near the lower surface of the plate to the depth of 25 km near the upper surface of the plate. The right-lateral strike slip fault of the earthquake cut across the northeastern edge of the Philippine Sea plate in the NNW-SSE direction. The Eastern Part of Tokyo Earthquake on March 18, 1988 (M6.5) occurred on the plate boundary between the Philippine Sea plate and the Pacific plate. The coincidental occurrence of the two major earthquakes in the southern part of the Kanto district was interpreted as caused by a mechanical coupling between the two plates beneath the district. The 1987 East Off Chiba Prefecture Earth quake was preceded by the long continued earthquakes warms off the coast of Kujyukuri, Chiba Prefecture since 1971 as a possible precursory activity accosiated with a stress concentration at the fault area of the earthquake.