著者
秋山隆 久保沙織 豊田秀樹 楠見孝 向後千春
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第58回総会
巻号頁・発行日
2016-09-22

統計的方法を学ぶことは,これまで,すなわち有意性検定を学ぶことでした。長期に渡りこの大前提はゆるぎなく盤石で,無条件に当たり前で,無意識的ですらありました。しかし,ときは移り,有意性検定やp値の時代的使命は終わりました。アメリカ統計学会ASAは,2016年3月7日に,p値の誤解や誤用に対処する6つの原則に関する声明をだしました (Wasserstein & Lazar, 2016)。この声明は「『ポストp < 0.05 時代』へ向けて研究方法の舵を切らせることを意図している」(R. Wasserstein (ASA News Releases, 2016)) ものだと言明されています。2016年現在,統計学における著名な学術雑誌バイオメトリカ (Biometrika) の過半数の論文が,ベイズ統計学を利用しています。多くの著名な学術雑誌も同様の傾向です。スパムメールをゴミ箱に捨て,日々,私たちの勉強・仕事を助けてくれるのは,ベイズ統計学を利用したメールフィルタです。ベイズ的画像処理によってデジタルリマスターされ,劇的に美しくよみがえった名作映画を私たちは日常的に楽しんでいます。ベイズ理論が様々な分野で爆発的に活用されています。ベイズ的アプローチなしには,もう統計学は語れません。 有意性検定にはどこに問題があったのでしょう。3点あげます。 Ⅰ.p値とは「帰無仮説が正しいと仮定したときに,手元のデータから計算した検定統計量が,今以上に甚だしい値をとる確率」です。この確率が小さい場合に「帰無仮説が正しくかつ確率的に起きにくいことが起きたと考えるのではなく,帰無仮説は間違っていた」と判定します。これが帰無仮説の棄却です。しかし帰無仮説は,偽であることが初めから明白です。それを無理に真と仮定することによって,検定の論理は複雑で抽象的になります。例えば2群の平均値の差の検定における帰無仮説は「2群の母平均が等しい (μ1=μ2)」というものです。しかし異なる2つの群の母平均が,小数点以下を正確に評価して,それでもなお等しいということは科学的にありえません。帰無仮説は偽であることが出発点から明らかであり,これから検討しようとすることが既に明らかであるような論理構成は自然な思考にはなじみません。p値は土台ありえないことを前提として導いた確率なので,確率なのに抽象的で実感が持てません。このことがp値の一番の弊害です。以上の諸事情を引きずり,「有意にならないからといって,差がないとは積極的にいえない」とか「有意になっても,nが大きい場合には意味のある差とは限らない」とか,いろいろな言い訳をしながら有意性検定をこれまで使用してきたのです。しかし,これらの問題点はベイズ的アプローチによって完全に解消されます。ベイズ的アプローチでは研究仮説が正しい確率を直接計算するからです。 Ⅱ.nを増加させるとp値は平均的にいくらでも0に近づきます。これはたいへん奇妙な性質です。nの増加にともなって,いずれは「棄却」という結果になることが,データを取る前に分かっているからです。有意性検定とは「帰無仮説が偽であるという結論の下で,棄却だったらnが大きかった,採択だったらnが小さかったということを判定する方法」と言い換えることすらできます。ナンセンスなのです。これでは何のために分析しているのか分かりません。nを増加させると,p値は平均的にいくらでも0に近づくのですから,BIGデータに対しては,あらゆる意味で有意性検定は無力です。どのデータを分析しても「高度に有意」という無情報な判定を返すのみです。そこで有意性検定ではnの制限をします。これを検定力分析の事前の分析といいます。事前の分析では有意になる確率と学術的な対象の性質から逆算してnを決めます。しかし検定力分析によるサンプルサイズnの制限・設計は纏足 と同じです。統計手法は,本来,データを分析するための手段ですから,たくさんのデータを歓迎すべきです。有意性検定の制度を守るために,それに合わせてnを制限・設計することは本末転倒です。ベイズ推論ではnが大きすぎるなどという事態は決して生じません。 Ⅲ.伝統的な統計学における平均値の差・分散の比・クロス表の適合などの初等的な統計量の標本分布を導くためには,理系学部の2年生程度の解析学の知識が必要になります。すこし複雑な統計量の標本分布を導くためには,統計学のために発達させた分布論という特別な数学が必要になります。それでも,どの統計量の標本分布でも求められるという訳ではなく,導出はとても複雑です。検定統計量の標本分布を導けないと,(教わる側にとっては)統計学が暗記科目になってしまいます。この検定統計量の確率分布は何々で,あちらの検定統計量の確率分布は何々で,のように,まるで歴史の年号のように,いろいろと覚えておかないと使えません。暗記科目なので,自分で工夫するという姿勢が育つはずもなく,紋切り型の形式的な使用に堕す傾向が生じます。でもベイズ統計学は違います。マルコフ連鎖モンテカルロ (MCMC) 法の本質は,数学Ⅱまでの微積分の知識で完全に理解することが可能です。標本分布の理論が必要とする数学と比較すると,それは極めて初等的です。生成量を定義すれば,直ちに事後分布が求まり,統計的推測が可能になります。文科系の心理学者にとっても,統計学は暗記科目ではなくなります。 学問の進歩を木の成長にたとえるならば,平行に成長した幾つかの枝は1本を残して冷酷に枯れ落ちる運命にあります。枯れ果て地面に落ちた定理・理論・知識は肥やしとなり,時代的使命を終えます。選ばれた1本の枝が幹になり,その学問は再構築されます。教授法が研究され,若い世代は労せず易々と古い世代を超えていく。そうでなくてはいけません。 統計学におけるベイズ的アプローチは,当初,高度なモデリング領域において急成長しました。有意性検定では,まったく太刀打ちできない領域だったからです。議論の余地なくベイズ的アプローチは勢力を拡大し,今やその地位はゆるぎない太い枝となりました。 しかし統計学の初歩の領域では少々事情が異なっています。有意性検定による手続き化が完成しており,いろいろと問題はあるけれども,ツールとして使えないわけではありません。なにより,現在,社会で活躍している人材は,教える側も含めて例外なく有意性検定と頻度論で統計教育を受けています。この世代のスイッチングコストは無視できないほどに大きいのです。このままでは有意性検定と頻度論から入門し,ベイズモデリングを中級から学ぶというねじれた統計教育が標準となりかねません。それでは若い世代が無駄な学習努力を強いられることとなります。教科教育学とか教授学習法と呼ばれるメタ学問の使命は,不必要な枝が自然に枯れ落ちるのを待つのではなく,枝ぶりを整え,適切な枝打ちをすることにあります。ではどうしたらいいのでしょう。どのみち枝打ちをするのなら,R.A.フィッシャー卿の手による偉大な「研究者のための統計的方法」にまで戻るべきです。「研究者のための統計的方法」の範囲とは,「データの記述」「正規分布の推測」「独立した2群の差の推測」「対応ある2群の差の推測」「実験計画法」「比率・クロス表の推測」です。これが統計学の入門的教材の初等的定番です。文 献Wasserstein, R. L. & Lazar, N. A. (2016). The ASA's statement on p-values: context, process, and purpose, The American Statistician, DOI:10.1080/00031305.2016.1154108ASA News Releases (2016). American Statistical Association releases statement on statistical significance and p-Values. (http://www.amstat.org/newsroom/pressreleases/P-ValueStatement.pdf)R.A.フィッシャー(著) 遠藤健児・鍋谷清治(訳) (1970). 研究者のための統計的方法 森北出版 (Fisher, R. A. (1925). Statistical Methods for Research Workers, Oliver and Boyd: Edinburgh.)1 纏足(てんそく)とは,幼児期から足に布を巻き,足が大きくならないようにして小さい靴を履けるようにした,かつて女性に対して行われていた非人道的風習です。靴は,本来,足を保護するための手段ですから,大きくなった足のサイズに靴を合わせるべきです。靴に合わせて足のサイズを制限・整形することは本末転倒であり,愚かな行為です。他の靴を履けばよいのです。
著者
櫻庭 隆浩 松井 豊 福富 護 成田 健一 上瀬 由美子 宇井 美代子 菊島 充子
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.49, no.2, pp.167-174, 2001-06

本研究は, 『援助交際』を現代女子青年の性的逸脱行動として捉え, その背景要因を明らかにするものである。『援助交際』は, 「金品と引き換えに, 一連の性的行動を行うこと」と定義された。首都圏の女子高校生600人を無作為抽出し, 質問紙調査を行った。『援助交際』への態度(経験・抵抗感)に基づいて, 回答者を3群(経験群・弱抵抗群・強抵抗群)に分類した。各群の特徴の比較し, 『援助交際』に対する態度を規定している要因について検討したところ, 次のような結果が得られた。1)友人の『援助交際』経験を聞いたことのある回答者は, 『援助交際』に対して, 寛容的な態度を取っていた。2)『援助交際』と非行には強い関連があった。3)『援助交際』経験者は, 他者からほめられたり, 他者より目立ちたいと思う傾向が強かった。本研究の結果より, 『援助交際』を経験する者や, 『援助交際』に対する抵抗感が弱い者の背景に, 従来, 性非行や性行動経験の早い者の背景として指摘されていた要因が, 共通して存在することが明らかとなった。さらに, 現代青年に特徴的とされる心性が, 『援助交際』の態度に大きく関与し, 影響を与えていることが明らかとなった。
著者
内海 しょか
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.58, no.1, pp.12-22, 2010-03-30
被引用文献数
1 9

本研究では,青年期の子どもにおけるネットいじめの特徴を調べ,親の統制に対する子どもの認知とネット行動との関連を示すモデルを検討した。中学生487名を対象にした質問紙調査を行い,パソコンと携帯電話によるネット使用時間,インターネットを通して攻撃を行った経験・受けた経験,関係性攻撃,表出性攻撃,親のネット統制(実践,把握,接続自由)認知を測定した。その結果,ネットいじめ非経験者の割合は67%,いじめの経験のみ8%,いじめられの経験のみ7%,両方経験は18%であった。両方の経験を持つ者は,どちらも経験していない者に比べ関係性攻撃や表出性攻撃が有意に高く,携帯電話によるインターネット使用時間が有意に長かった。いずれの統制認知もネットいじめ・いじめられ経験を直接予測しなかったが,実践認知は間接的に,把握認知と接続自由の認知は直接的に子どものネット使用時間を予測した。ネット使用時間および,関係性攻撃はネットいじめ・いじめられ経験の両方に直接関連することが明らかとなった。
著者
篠田麻佳 大西彩子
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第59回総会
巻号頁・発行日
2017-09-27

問題と目的 現代社会では自殺やいじめ,ひきこもりなど様々な問題が発生している。特に子どもや若者の自殺やいじめ,ひきこもりの問題は深刻で大きな社会問題になっている。それらの問題に関連する要因は様々であるが,その一つに自己肯定感の低下が挙げられる。自己肯定感の形成には,人生最初の適応環境である家庭文化の影響が非常に大きく関わっている(榎本,2010)。家庭文化の1つとして親の養育態度があげられる。子ども時代の両親の養育態度と自己肯定感と類似の概念である自尊感情には関連があり(山下,2010),親の受容的な姿勢は子どもの自己肯定感を高めると言われている(龍・小川内,2013)。また,自分の内面を開示し,深い友人関係をもつ人は,そういった関係を避ける人よりも自尊感情は高い(岡田,2011)。このように,自己肯定感と子ども時代の親の養育態度および友人関係の関連については先行研究により示されてきた。しかし,自己肯定感は過去からの積み重ねという要素もあるため,過去や現在を部分的に分けてみるのではなく,子ども時代の出来事が現在にどのように関係しているのかを明らかにする必要がある。篠田・大西(2017)では,親の養育態度および友人関係と自己肯定感との関連が示された。しかし,因果関係については示されていない。そこで本研究では,過去の親の養育態度および現在の友人関係が大学生の自己肯定感へ与える影響について検討することを目的とする。方 法調査対象者 私立大学文系学部に通う学生130名 (男性26名,女性104名,平均年齢20.14歳,SD =.90) を対象に,無記名方式による質問紙調査を行った。調査内容 過去の親の養育態度を測定する尺度としてParental Bonding Instrument(PBI)の日本語版尺度(小川,1991),友人との関わりを測定する尺度として改訂版友人関係機能尺度(丹野,2008),自己肯定感を測定する尺度として大学生版自己肯定感尺度(吉森,2015)を使用した。結 果 Parental Bonding Instrument(PBI)の日本語版尺度,改訂版友人関係機能尺度,大学生版自己肯定感尺度それぞれに主因子法プロマックス回転による因子分析を行った。Parental Bonding Instrument(PBI)の日本語版尺度からは「養護」(α=.90),「過保護・過干渉」(α=.81)の2因子が抽出され,改訂版友人関係機能尺度からは「肯定・受容」(α=.91),「関係継続展望」(α=.88)の2因子が抽出された。また,大学生版自己肯定感尺度からは「安定した自己」(α=.79),「無条件の自己肯定」(α=.80)の2因子が抽出された。過去の親の養育態度が現在の友人関係を媒介して自己肯定感に与える影響を検討するために,共分散構造分析を行った(Figure1)。その結果,適合度指標はχ2=5.14,df=4,p=.273,GFI=.987,AGFI=.932,RMSEA=.047,AIC=39.14であった。「愛情・受容」は「無条件の自己肯定」,「過保護・過干渉」は「安定した自己」に直接的な影響を与えていた。「過保護・過干渉」は「肯定・受容」「関係継続展望」に影響を与えていた。一方,友人関係の「肯定・受容」は「無条件の自己肯定」に影響を与えていた。「過保護・過干渉」は「関係継続展望」を媒介し「安定した自己」に影響を与えていた。考 察 親からの受容的な愛情と,現在の友人に受容されていることは現在の自分を受け入れることに影響していた。先行研究でも,過去の親の愛情・受容が高い群や現在の肯定・受容的な友人関係が高い群は他の群より,現在の自分を受け入れることができると示されており,篠田・大西(2017)の結果に続くものとなった。安定した自己に過保護・過干渉的な関わりが悪影響を与えることが分かったが,愛情・受容的な関わりからの影響は見られなかった。どのような関わりが良い影響を与えるかを検討していく必要がある。また,今後は調査対象者の男女間の偏りを解消することで性別ごとに影響を与える要因についても検討したい。
著者
大塚雄作 内田良# 尾見康博 金子雅臣#
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

企画趣旨 日本教育心理学会でハラスメント防止委員会が発足し,総会時に同委員会の企画する講演会やシンポジウムが開催されるようになって,今年度で9回目を迎える。これまでの企画では,主にハラスメントに対する会員への啓発的な内容が取り上げられてきた。昨年11月の同委員会で本年度の企画について話し合われ,われわれ教育心理学の教育,研究に携わる者として小学校~高校の教育現場でのハラスメントの実際をもっと知る必要があるのではないかという提案があった。たしかに,教育現場でのハラスメントがマスコミで伝えられることが少なくないにも拘わらず,その実態を深く知る機会は少ない。そこで,今回は教育現場でのハラスメントのうち,部活動に焦点を当てて,教育社会学と教育心理学の立場からこの問題を研究されている,それぞれ内田良氏と尾見康博氏の2人の研究者にご登壇いただき,教育現場のハラスメントについて深く知る機会としたい。 なお,指定討論者を本防止委員会専門委員の金子雅臣氏,司会を本企画立案の中心となった大塚雄作前委員長が務める。大塚氏は京都大学アメリカンフットボール部長の経験ももつ。制度設計なき部活動のリスクと未来を考える内田 良 本報告では,「制度設計の不備」の視点から,学校の部活動に付随するリスク(ハラスメントや事故)を検討する。学習指導要領において部活動は,教育課程外ではあるものの「学校教育の一環」として「生徒の自主的,自発的な参加により行われる」というかたちで,学校の教育活動のなかに位置づけられている。この中途半端な位置づけによって,生徒はさまざまなハラスメントや事故のリスクに晒される。危険な場所での活動 部活動の練習はしばしば,廊下や階段を含むさまざまな空きスペースでおこなわれる。教育課程内の授業であれば,学習指導要領に定められた事項が適切に教育されるよう,施設(校舎外のグラウンドを含む)が用意されている。だが部活動においては,「学校教育の一環」であること以上の具体的な設計がなく,リソースも配分されていない。それゆえ一斉に部活動が開始されると,練習場所が不足し,不適当な空きスペースで練習がおこなわれ,事故のリスクが高まる。問われる外部指導者の質 部活動では,人的資源(専門的指導者)も不足している。教員は,部活動指導の専門家ではない。その解決策として,外部指導者の導入が進められている。ところが外部指導者も不足しているため,その質が問われないままに,生徒の指導が任されていく。指導者が外部の者である場合,学校や教育委員会の管理が届きにくく,また暴言・暴行事案を起こしても,介入が難しい。過熱が止まらない 教科というのは年間の標準的な時間数や単位数が決まっており,各クラスで時間割も組まれている。教えるべき内容も定まっている。このように制度設計が整っていると,50分の時間のなかで,授業が楽しくなる方法を教師は考える。他方で部活動では,活動時間をどれくらいに設定するかは,学校現場の自由裁量である。全国大会を頂点とする競争原理のもとに部活動が置かれている限りは,その活動実態はおのずと肥大化し,生徒に過酷な練習を突きつけることになる。 以上の3つのリスクを踏まえるならば,部活動を「自主的な活動」だと美化するわけにはいかない。むしろ,教育行政がそこに積極的に管理・介入することが,部活動のリスクを低減し,その持続可能性を高めていく。『主体的な学び』はハラスメント構造に風穴を開けられるか尾見康博 『ハラスメント』概念の登場によって,それまで後景に退いていたものが可視化され,女性をはじめ社会的弱者の(隠されていた)人権が認められるようになったことはたしかであろう。他方,現役大臣が「セクハラ罪という罪はない」と,セクハラの疑いのある部下をかばう発言をするなど,ハラスメントが軽く扱われることも少なくない。 部活においても,あたかも対応する刑罰がないから問題ないといわんばかりの指導がなされることがある。体罰を行使する指導者は体罰を『指導の一環』だと強弁することが多いし,身体的接触を伴わない怒号や罵声も「厳しい」「熱い」指導としていまだに受け入れられている。さらに深刻なのは,体罰を受けたと自認する者が受けた体罰を積極的にかつ前向きに容認していることであり,「たしかに殴られたが自分は体罰とは思っていない。厳しい指導をして下さって感謝している」といった受け止め方が珍しくないことである。 こうしたことの背景に,部活の集団組織としての特徴があると考えられる。そしてこの特徴は同時にハラスメントの背景にもなっていると考えられる。理不尽なことであっても顧問や先輩が絶対,といった『長幼の序』の過度の運用が部活において慣習化されていることがその一つである。たとえば,中学校に入ったとたん,誕生日が一日違うだけで「さん」とか「先輩」をつけて呼ばなければいけなくなったり敬語の使用が求められたりする。部活の場合にはさらに,後輩は先輩より先に集合しなければならない,などといった独自のルールが作られていることもある。こうした規律が厳しくなればなるほど,後輩は顧問や先輩に言われたことに疑問を感じても,何も言わずに黙って従うことが無難であり「正解」であり,主体的に考えないようになっていく。 逆に言えば,主体的に考えるような子どもたちばかりになれば,部活特有の規律は成立しにくくなる。そうした意味で,昨今の学校教育界隈で推奨されている『主体的な学び』に向けた積極的な取り組みは,部活の文化を変えることになるかもしれないし,逆に,部活が変わらなければ子どもたちに主体的に学ばせる習慣を身につけさせられなかったということになり,教育政策の失敗ということになるかもしれない。参考文献内田 良 (2019). 学校ハラスメント:暴力・セクハラ・部活動―なぜ教育は「行き過ぎる」か 朝日新書内田 良ほか (2018). 調査報告 学校の部活動と働き方改革:教師の意識と実態から考える 岩波ブックレット内田 良 (2017). ブラック部活動―子どもと先生の苦しみに向き合う 東洋館出版社内田 良 (2015). 教育という病―子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 光文社新書尾見康博 (2019). 日本の部活(BUKATSU)―文化と心理・行動を読み解く ちとせプレス尾見康博 (2019). 日本の部活の特殊性 心と社会(日本精神衛生会),175,115-119.Omi, Y. (2019). Corporal punishment in extracurricular sports activities (bukatsu) represents an aspect of Japanese culture. In L. Tateo., (ed.) Educational dilemmas: A Cultural psychological perspective. Routledge, pp.139-145.Omi, Y. (2015). The potential of the globalization of education in Japan: The Japanese style of school sports activities (Bukatsu). In G. Marsico, V. Dazzani, M. Ristum, & A.C.S., Bastos (eds.) Educational contexts and borders through a cultural lens: Looking inside, viewing outside. Springer, pp.255-266.
著者
上田紋佳 猪原敬介 塩谷京子# 平山祐一郎 小山内秀和 足立幸子# 服部環
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第58回総会
巻号頁・発行日
2016-09-22

企画趣旨 「現在の世代は読書をしているか」。このことについては,教育関係者のみならず,社会全体から強い関心が寄せられてきた。例えば,2012年のPISA調査では,「趣味としての読書をどのくらいしますか。」の項目に対して,「趣味で読書をすることはない」と回答した割合が日本は約44%であり,17か国中の2番目に高いという結果が報告されている(国立教育政策研究所,2010)。一方で,全国学校図書館協議会による児童生徒の読書状況についての調査では,小学生・中学生の読書量は増加傾向,不読率も減少傾向が報告されている(毎日新聞社, 2016)。これら読書についての実態調査から,私たちは「今の若者は本を読まない」「いや,不読率は下がってきている」などと議論するが,その内容は実態調査の結果の解釈に終始してしまい,現場における「読書と教育」の在り方に影響を及ぼすことは少なかったように思われる。実態調査から一歩踏み込み,現場のニーズに答える心理学的研究が,ぜひとも必要である。 そこで本シンポジウムでは,日本における読書研究の増加と質的発展を促すための視点を模索したい。具体的には,読書量の測定方法やその精度の問題,また読書の効果に関するプロセス,読書や読書教育の環境などの観点から掘り下げていく。話題提供の先生方には,学校教育における子どもの読書に関する現状を,実態把握調査や個々の研究データをもとに明らかにし,克服すべき課題を示していただく。指定討論では,足立幸子氏からは国語科教育・読書指導の観点から,服部環氏から教育心理測定の観点からコメントをいただき,建設的な議論のきっかけとしたい。本シンポジウムを通じて,研究者および現場の教員・司書などの教育関係者の間の議論が活発となり,学校教育における読書の在り方について考察を深めたい。話題提供国語科に位置付けられた読書活動の現状-文部科学省の調査から-塩谷京子(関西大学) 現行の小中高等学校の学習指導要領において,国語科は,「A話すこと・聞くこと」,「B書くこと」,「C読むこと」及び〔伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項〕の3領域1事項から内容が構成されている。読書は,このうちの 「C読むこと」に位置付けられている。 「C読むこと」の指導では,読む能力を育成するとともに,読書の幅を広げ,読書の習慣を養うことへの配慮の記述がある。例えば平成21年に告示された高等学校学習指導要領の解説国語編では,国語科改訂の要点の一つに「読書活動の充実」があげられている。学校図書館や地域の図書館などと連携し,読書の幅を広げ,読書の習慣を養うなど生涯にわたって読書に親しむ態度を育成することや,情報を使いこなす能力を育成することを重視して改善が図られた。 このように,読書は学校教育において児童生徒に身につけさせる態度や能力の側面から,国語科という教科の中で系統的に扱われている指導事項の一つである。 しかしながら,我が国で50年以上続いている読書に関する調査では,1ヶ月に1冊も本を読んでいない不読者の割合が問題になってきた。小中学校においては,朝読書が取り入れられてきた時期から不読者は徐々に減少傾向にあるものの,高等学校においては,その割合がおよそ50%に及び,長い間大きな変化はない。 読書が学校教育に位置付けられているにも関わらず,不読者があるという現状について,多方面から調査・分析が行われたり,対策が提案されたりしている。 本発表では,毎年実施されている全国学力調査と読書の関係や2016年度に行われた高校生への読書に関する意識調査結果をもとに,学校現場の現状を紹介しながら,今後どのような研究が必要とされているのかを提案し,読書教育推進に貢献したいと考えている。話題提供「読書量」という指標をどう扱うか-大学生の読書状況調査から考えたこと-平山祐一郎(東京家政大学) 大学生が学習を行う上で,不可欠なスキルのひとつとして,「読書」を位置づけることができる。そこで,大学生がどれだけ読書をしているのかを把握しようと試みたところ,読書離れが大きく進行している事実が見出された。しかしながら,読書離れを裏付けるための「読書量」という指標そのものが,多くの検討の余地を残していることが判明した。多くの読書調査では,月当たり,週当たり,一日当たりと時間を区切って,読書時間や読書日数,読書冊数を尋ねている。しかし,あくまでも自己申告(内省報告)であるので,社会的望ましさの影響も含めて,誤差の大きい回答になっていると思われる。そのため,読書に関する行動や読書時間帯,読書動機などの変数と関連付けると,解釈がかなり困難になることが多い。 読者に読書記録をつけてもらい(日誌法),読書量を推定する方法は,読書内容も含めて検討できるため,読書量に関して精度の高い推定ができることが予想されるが,そのコストはかなり大きくなるだろう。「読書量」そのものを検討するならば,そのコストは甘受しなければならないが,多くの調査や研究は「読書量」を利用した研究となっているため,「読書量」把握だけに力を注ぐことはできない。 では,ある程度の誤差を含み込んだ「読書量指標」をどのように扱えばよいのだろうか。また,「ほんの一工夫」することにより,少しでも読書量把握の精度を上げることができるか否かを考えてみる。話題提供データに基づいた知見の必要性-読書が言語力に及ぼす影響についての研究から-猪原敬介(電気通信大学・日本学術振興会) 「読書は児童の言語力を伸ばす」ことは,我が国における多くの教育実践者によって直観的,体験的に信じられている。心理学における科学的方法論に基づいた研究もこのことを概ね支持していることから,結果として,上記の主張と科学的エビデンスとは矛盾していない。しかし,矛盾がなければそれで良いだろうか。 本話題提供では,科学的エビデンスに基づかない「読書は児童の言語力を伸ばす」という主張の限界について議論し,データに基づく読書研究の必要性について考えてみたい。 具体的には,直観的・体験的な信念は,現象の過度な単純化を産み出し,効果的な読書教育につながらないのではないかと問題提起する。例えば,「読書は児童の言語力を伸ばす」というだけの単純なモデル(ある人の頭の中にある読書についての捉え方)では,児童の個人差(言語力や好み)や,その個人差が生み出す読書活動の変化 (読む本の難易度やジャンル)を考慮しないため,「どの児童にどの本を読ませても効果は同じだから,児童がどんな本を読んでいるかには注意を払わない」というような読書教育上の単純化を生み出し,読書教育の効果を小さくしてしまう。 一方で,過度なモデルの複雑化は,そのモデルの利用価値を下げてしまうことも事実である。本話題提供では,研究の背後に「適度な複雑さで,有用なモデル」を仮定する海外の研究について紹介し,まだまだ研究そのものが少ない我が国での研究の指針として提案したい。また,国内の研究事例として,話題提供者らが行った研究についても紹介し,我が国における優れた読書研究の推進に寄与したい。話題提供読書は社会性の向上に寄与するか?-物語読書量とマインドリーディングとの関連の検討-小山内秀和(浜松学院大学) 子どもの読書が推奨される根拠として,言語能力の向上とともに取り上げられることの多いのが,「読書は思いやりといった社会性の発達を促す効果を持つ」という主張である。巷間,そして教育現場などで,こうした指摘を聞くことは多い。しかしながら,読書と社会性との関連について実証データに基づいた議論がされることはあまり多くなく,実践現場の実感として語られることが多いという印象がある。 従来,読書と社会性との関連については,子どもや成人を対象に読書の活動調査を行うなかで,思いやりや積極性などとの関連を見るというかたちで検討されてきた。しかしながら近年,1) 読書のなかでも物語の読書に焦点を当て,2) 社会性のなかでも「他者の心的状態の理解」への効果に注目した研究が行われ,より実証的なデータが報告されるようになっている。こうした研究が可能となったのは,読書活動と社会性のそれぞれを客観的に測定する手法が少しずつ洗練されてきていることが大きい。読書活動についていえばさまざまな読書量推定指標が,社会性については他者の心的状態を推測する能力の個人間差を測定できる課題が,大きく貢献しているといってよいだろう。 本発表では,物語の読書と他者の心的状態を理解する能力である「マインドリーディング」との関連を扱った研究について,海外の研究成果を紹介しつつ,発表者が大学生と小学生を対象に行った研究についても報告する。それによって,読書の効果という教育上きわめて重要なテーマに対して,基礎研究がどのように貢献できるのかを考える一助としたい。引用文献国立教育政策研究所(2010).生きるための知識と技能4−OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2009年調査国際結果報告書 明石書店毎日新聞社(2016).読書世論調査 毎日新聞社
著者
岡田有司 大久保智生 半澤礼之 中井大介 水野君平 林田美咲 齊藤誠一
出版者
日本教育心理学会
雑誌
日本教育心理学会第60回総会
巻号頁・発行日
2018-08-31

企画趣旨 学校適応に関する研究は近年ますます活発になり,小学校・中学校・高校・大学と各学校段階における学校適応研究が蓄積されてきている。学校段階によって学校環境や児童・青年の発達の様相は異なるといえ,学校適応研究においても学校段階を意識することが重要だといえる。こうした問題意識から,企画者らは2017年度は小学校段階に焦点をあてて学校適応について検討を行った(大久保・半澤・岡田,2017)。本シンポジウムでは,中学校段階に注目し,主に友人関係の観点から学校適応にアプローチする。 先行研究では中学生の学校適応に影響を与える様々な要因について検討されてきたが,その中でも友人やクラスメイトとの関係は学校への適応に大きなインパクトがあることが示されてきた(岡田,2008;大久保,2005など)。 中学校段階は心理的離乳を背景に友人関係の重要度が増すとともに,同性で比較的少人数の親密な友人関係である,チャムグループを形成する時期であるとされる(保坂・岡村,1986)。そして,この時期の友人関係では,内面的な類似性が重視され,排他性や同調圧力が強くなるといった特徴のあることが指摘されている。このような友人関係を形成することは発達的に重要な意味がある一方で,中学校段階において顕在化しやすい学校適応上の諸問題と密接に関連していると考えられる。 以上の問題意識から,本シンポジウムでは友人という観点を含めながら中学生の学校適応について研究をされてきた登壇者の話題提供をもとに,この問題について理解を深めてゆきたい。中学生の「親密な友人関係」から捉える青年期の学校適応中井大介 近年,青年期の友人関係に関する研究では青年が親密な関係を求めつつも表面的で希薄な関係をとることや状況に応じた切替を行うといった複雑な様相が指摘されている(藤井,2001;大谷,2007)。その中で,依然として「親友」と呼ばれるような「親密な友人関係」が青年期の学校適応や精神的健康に影響することも指摘されている(岡田,2008;Wentzel, Barry, & Caldwell, 2004)。 一方で,このように重要とされている青年期の親密な友人関係であるが,そもそも青年にとって,このような親密な友人関係がどのようなものであるかを検討した研究は少ない(池田・葉山・高坂・佐藤,2013;水野,2004)。その中でこのような青年期の親密な友人関係をとらえる枠組みの一つとして,近年,青年期の友人に対する「信頼感」の重要性が指摘されている。 しかし,この青年期の友人に対する「信頼感」については,質的研究は行われているものの量的研究が少ないため未だ抽象的な概念である。この点を踏まえれば青年期の親密な友人関係について主体としての青年自身が信頼できる友人との関係をどのように捉えているのかを量的研究によって検討する必要があると考えられる。 加えて上記のように中学生にとって親密な友人関係が学校適応や精神的健康に影響を及ぼすことを踏まえれば,友人に対する信頼感と学校適応の関連を詳細に検討する必要性があると考えられる。しかし,これまで友人に対する信頼感が学校適応とどのような関連を示すかその詳細は検討されていない。そのため生徒の学年差や性差などによる相違についても検討する必要がある。 そこで本発表では中井(2016)の結果をもとに,第一に,「生徒の友人に対する信頼感尺度」の因子構造と学年別,性別の特徴を検討し,第二に,友人に対する信頼感と学校適応との関連を学年別,性別に検討する。これにより中学生の学校適応にとって「親密な友人関係」がどのような意味を持つかについて今後の研究課題も含め検討したい。スクールカーストと学校適応感の心理的メカニズムと学級間差水野君平 思春期の友人関係では,「グループ」と呼ばれるような同性で,凝集性の高いインフォーマルな小集団が形成されるだけでなく(e.g., 石田・小島, 2009),グループ間にはしばしば「スクールカースト」という階層関係が形成されることが指摘されている(鈴木, 2012)。スクールカーストは,生徒の学校適応やいじめに関係することが指摘されている(森口, 2007;鈴木, 2012)。中学生を対象にした水野・太田(2017)では学級内での自身の所属グループの地位が高いと質問紙で回答した生徒ほど,集団支配志向性という集団間の格差関係を肯定する価値観(Ho et al., 2012;杉浦他, 2015)を通して学校適応感に関連することを明らかにした。このように,スクールカーストに関する心理学的・実証的な知見は未だに少ないことが指摘されているが(高坂, 2017),スクールカーストと学校適応の心理的プロセスが少しずつ示されてきている。 また,個人内の心理的プロセスだけでなく,学級レベルの視点を取り入れた研究も必要であると考えられる。なぜなら,学校適応とは「個人と環境のマッチング」(近藤, 1994;大久保・加藤, 2005)と言われるように,個人(児童や生徒)と環境(学級や学校)の相性や相互作用によって捉える議論も存在するからである。さらに,近年のマルチレベル分析を取り入れた研究から,学級レベルの要因が個人レベルの適応感を予測することや(利根川,2016),学級レベルの要因が学習方略に対する個人レベルの効果を調整すること(e.g., 大谷他,2012)のように,日本においても学級の役割が実証的に示されてきているからである。 本発表では中学生のスクールカーストと学校適応の関連について,スクールカーストと学校適応の関連にはどのような心理的メカニズムが働いているのか,またどのような学級ではスクールカーストと学校適応の関係が強まってしまう(反対に弱まってしまう)のかを質問紙調査に基づいた研究を紹介して議論をすすめたい。友人・教師関係および親子関係と学校適応感林田美咲 従来の学校適応感に関する多くの研究では,友人や教師との関係が良好であり,学業に積極的に取り組む生徒が最も学校に適応していると考えられてきた。しかし,学業が出来ていない生徒や教師との関係がうまくいっていない生徒が必ずしも不適応に陥っているとは限らない。そこで,今回は学校適応感を「学校環境の中でうまく生活しているという生徒の個人的かつ主観的な感覚(中井・庄司,2008)」として捉え,検討していく。 友人関係や教師との関係が学校適応感に及ぼす影響については,これまでも検討されてきている (例えば,大久保,2005;小林・仲田,1997)。さらに,家族関係も学校適応感と関連することが示されており,学校適応について検討する際には家族関係やクラス内にとどまらない友人関係も考慮するという視点が必要であると指摘されている (石本,2010)。人生の初期に形成される親子関係は,後の対人関係を形成する上での基盤となることが考えられる。そこで,親への愛着を家族関係の指標とし,友人関係,教師との関係と合わせて,学校適応感にどのような影響を及ぼすのかについて検討した(林田,2018)。 その結果,愛着と学校内の対人関係はそれぞれに学校適応感に影響を及ぼすだけでなく,組み合わせの効果があることが示唆された。親子関係が不安定なまま育ってきた生徒であっても,友人関係や教師との関係に満足していることが補償的に働き,学校適応感が高められることや,友人関係や教師との関係に満足できていない場合,親への愛着の良好さに関わらず,高い学校適応感が得られにくいことが示唆された。つまり,学校適応感を高めるためには,友人関係や教師との関係が満足できるものであることが特に重要であると考えられる。 本発表では,親への愛着や友人関係,教師との関係といった中学生を取り巻くさまざまな対人関係が学校適応感にどのような影響を及ぼしているのかについて,研究結果を紹介しながら考えていきたい。
著者
長谷川 真里
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.91-101, 2001
被引用文献数
1

児童と青年の「言論の自由」の概念を探るために, 研究1では, 小4生, 小6生, 中2生, 大学生を対象に, 抽象的理解とスピーチ大会場面における制限判断, および両者の関連について調べた。抽象的には小4生でも大部分の者が,「言論の自由」を大切であると考え, 特徴を理解していた。制限判断では, 従来検討されていなかった判断材料として, 自由と抵触する問題の領域と, 受け手 (聴衆の属性) を用意し, 先行研究において整理されていなかった2種類の判断 (「行為の制限」と「法による制限」) について検討した。その結果, 領域を考慮して制限判断がされ, スピーチ内容が道徳以外の領域に属するとき, 小学生から中学生にかけて自由を支持する程度に差が生じた。聴衆の属性は考慮されなかった。また, 小4生, 小6生, 中2生は, 2種類の制限判断を区別して判断しなかった。そして, 学年,「言論の自由」の意義づけの質, および自由を制限する法があっても話してよいかどうかについての判断の差が, 制限判断に関係した。研究2では, 小学生から中学生にかけて, 制限判断において学年差が生じることを確認した。これらの結果を基に,「言論の自由」の概念の発達を支える要因について議論した。
著者
村山 航
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.1-12, 2003-03
被引用文献数
1

本研究では,中学2年生を対象として,テスト形(空所補充型テストと記述式テスト)が学習方略やノート書き込み量などの行動指標に与える影響を,歴史の授業を用いて実験的に検討した。同時に,記述式テストにおける添削の動果もあわせて検討した。直交対比を用いた検定の結果,授業後に繰り返し空所補充型テストを課された群(空所補充群)では,浅い処理の学習方略使用が,記述式テストを課された群(記述群)では深い処理の学習方略使用がそれぞれ促進された。また,記述式テストで添削がなかった群(記述-非添削群)と添削があった群(記述-示削群)の間には,方略使用の差は見出されなかった。また,ノート書き込み量は記述群で促進されることが明らかになったが,テスト成績や授業に関する質問生成では明確な結果は得られなかった。達成目標や学習観を適正変数にとり,適正処遇交互作用(ATI)を検討した結果,これまでみられた群間差は,習得目標や方略志向が高い場合に消失する場合があることが示された。
著者
三島 浩路
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.121-129, 2003-06-30

本研究は,学級内における児童の呼ばれ方と,学級内における児童の相対的な強さやインフォーマル集団との関係について検討したものである。学級内における児童の相対的な強さと呼ばれ方との関係を分析した結果,男子児童の場合には,「くん付け」で呼ばれる児童の方が,他の呼び方で呼ばれる児童に比べて学級内における相対的な強さが一般的に強いという結果が得られた。また,女子児童の場合には,「ちゃん付け]や「あだ名」で呼ばれる児童に比べて,「さん付け」で呼ばれる児童の方が,学級内における相対的な強さが一般的に弱いという結果が得られた。次にインフォーマル集団内での児童の呼ばれ方と,集団外の児童からの呼ばれ方について分析した。その結果,男子児童に比べて女子児童の方が,集団内での呼ばれ方と集団外からの呼ばれ方が異なる児童が多いという結果が得られた。さらに,インフォーマル集団の内外で呼ばれ方が異なる児童について,呼ばれ方がどのように異なるのかを分析した。その結果,女子児童の場合には,集団外の児童からの呼ばれ方がより丁寧であるという結果が得られたが,男子児童の場合には,インフォーマル集団内外からの呼ばれ方にこうしたちがいはみられなかった。
著者
崎濱 秀行
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.62-73, 2005-03-31
被引用文献数
3 4

本研究では, 大学生・大学院生を対象として, 文章を書く際に産出字数を短く制限することにより, 書き手の文章は必要な情報がコンパクトにまとまったエッセンスの詰まったものになるのかどうかを検討した。45人の大学生・大学院生が, モーリタニア国の資料を基に, この国を知らない仲間に向けて国を紹介する文章を産出した(字数は200字, 400字, 字数無制限のいずれか。被験者間計画)。その結果, 200字群における重要な情報(核情報)の使用個数が400字群および字数無制限群に比べて少なくなったが, 使用情報総数に占める核情報の使用割合は200字群の方が字数無制限群よりも高くなった。また, 一情報あたりの使用字数は, 字数制限を行った方が字数無制限群よりも少なくなった。さらに, 文章に書く内容の構成について考える度合いは群によって異ならなかったが, 200字群において, 下書きをして情報量の調整をしていた人数が有意に多かった。これらの結果から, 字数を短く制限することにより, 産出された文章は, 必要な情報がコンパクトにまとまった, エッセンスの詰まったものになることが示された。