著者
福田 八寿絵
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.145-153, 2014-09-26 (Released:2017-04-27)
被引用文献数
2

本稿は、高齢患者の医療行為の選択における判断基準、同意能力評価法を検討し、その利用可能性と課題を明らかにすることを目的とする。加齢とともに慢性疾患や障害によって認知機能や意思を表現する能力が低下し、治療などの医療行為に対する意思決定を行うことが困難となる場合も少なくない。そのためさまざまな同意能力の評価法が開発されてきているが、基準は一定ではない。既存の同意能力評価方法は有効性についての検討症例が比較的少なく、評価の閾値をどのように設定すべきか、評価の客観性や適用対象などについてもさらなる検討が必要となる。評価結果の適用を医療専門職の裁量に委ねる場合についても十分な説明責任を果たすことが求められる。医療専門職や家族が高齢者の価値観や選好を理解し、総合的な同意能力評価を行うことで、高齢者のエンパワーメントを促し、意思決定プロセスの透明性を高め、患者の意思をより的確に医療行為に反映させることが可能となる。
著者
宮脇 美保子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.41-45, 2005-09-19 (Released:2017-04-27)
参考文献数
13
被引用文献数
1

ケアリングとしての看護は古いが、専門職としての看護は他の職業と比較して歴史が浅い。では、看護が主張する専門性とは何であろうか。看護の本質は人をケアすることである。このケアは、看護手順以上のことを意味している。看護師は、常に個人の尊厳や価値、権利を大切にしながら患者をケアしているのである。しかしながら、医療技術が発達するにつれて、看護師も、周囲の人も機器を扱う技術で看護師の価値を測るようになってきた。その結果、看護師自身が行うことにあった看護独自の貢献は、あまり重視されなくなった。このような認識は、社会の人々がもつ看護師は医師の助手であるというイメージと関係があると思われる。しかし、一方で専門職としての発展に伴い、患者に対する自らの臨床判断と看護行為について直接責任を負う看護師も増えてきている。看護の責務とは、ある看護場面において自分が選択した行動の結果に責任を負うとともに、行動をおこさなかったことに対する結果を受け入れることであり、患者が反倫理的や違法行為によって脅かされているときは患者を擁護する行動をとることである。
著者
一杉 正仁 木戸 雅人 川戸 仁 横山 朋子 黒須 明 長井 敏明 徳留 省悟
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.135-138, 2004-09-17 (Released:2017-04-27)
参考文献数
7

異状死体からの眼球摘出例をもとに、法的および倫理的問題を検討した。角膜移植実施のためには、眼球提供者の死体血を採取して、適応基準検査を実施することが必要となる。異状死体では、法医解剖終了後の採血が困難であるため、事前の血液採取が必要である。そのためには、死因究明の目的で採取した血液を使用するか、あるいは解剖時に採血をする必要がある。異状死体からの眼球摘出および諸検査をすみやかに行うために、本問題について幅広い理解が必要であり、かつ、司法当局、一般臨床医、異状死体の検案や解剖に携わる医師が密接に連絡を取り合うことが重要である。
著者
堂囿 俊彦
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.55-63, 2017 (Released:2018-08-01)
参考文献数
14

「福祉」 (welfare) の概念は、生命をめぐる問いに対して一定の方向を指し示す、生命倫理学の基礎概念で ある。しかし福祉概念に関しては、①誰の福祉を保障するべきなのか、②どのようにすれば保障したことになるのか、いずれの問いについても充分に論じられてきたとは言えない。そこで本論文では、これら二つの問いを、福祉の根底にある「人間の尊厳」との関わりにもとづき検討した。具体的にとりあげたのは、マーサ・ヌスバウムと、その批判者であるエヴァ・フェダー・キテイの尊厳論である。考察の結果われわれは、二人の尊厳論を相補的にとらえる必要があるという結論に至った。尊厳を内在的価値と見なす点において、ヌスバウムの立場は支持される。しかし尊厳に関しては、ケイパビリティだけで捉えられるのではなく、ケアという関わりを通じて、個別的に判断される必要がある。その意味で、ケアと尊厳のつながりを重視するキテイの立場も、重要な洞察を含んでいる。
著者
于 麗玲 塩見 佳也 加藤 穣 宍戸 圭介 池澤 淳子 粟屋 剛
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.125-133, 2013-09-26 (Released:2017-04-27)

中国「優生優育」政策は、「中華人民共和国母嬰保健法」(以下、母嬰法と称する)及びその下位法令(「母嬰保健法実施方法」、「出生前診断技術管理方法」、「新生児疾病検査管理方法」ほか)から看取される。「優生」に関して、母嬰法及びその下位法令は、婚姻予定のカップルや一定の医師に、以下のような義務を課している。すなわち、同法等は、まず婚姻予定のカップルに対して、(1)婚姻前の一定の時期に「婚前医学検査」を受ける義務、及び(2)婚姻登記機関へ「婚前医学検査証明」を提出する義務を課している。次に、一定の医師に対して、一定の場合に、(3)カップルに婚姻の時期を暫く延期するように勧告する義務、(4)カップルに「婚前医学検査証明」を発行しない義務、(5)カップルに長期間の避妊もしくは避妊手術を行うよう勧告する義務、(6)妊婦に出生前診断を実施する義務、(7)妊婦に人工妊娠中絶をするよう勧告する義務を課している。母嬰法及びその下位法令は「優生」に関する義務を課すのみではない。「妊産期医療サービス」(母嬰法第14条1項と2項、「母嬰実施方法」第26条)、「新生児保健」(母嬰法第14条4項、「母嬰実施方法」第26条)等をも規定している。これは、「優生優育」政策における「優育」の側面を表すものである。
著者
大柴 弘子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.181-189, 2003
参考文献数
36

現在、ARTにより出現する多様な「母」たちは「サロゲート・マザー」「ホスト・マザー」「借り腹・貸し腹」「ドナー」などの語で呼ばれ、あるいは呼称がないなど、その存在が瞹昧視あるいは無視されている。このことは、「母」のみならず「母・子」関係そのものが存在しないかのごとく、否定される危険性がある。この新たな「母」たちは、従来の母概念では説明できない存在者である。そこで本論では、まず、新たな概念設定によりARTによる新たな「母」の存在を明らかにする。次に、それに基づきこの多様な「母」たちおよび「親・子」の実態と問題を示す。そして、多様な「母」たちの存在を社会がいかに公認できるかという問題ではなく、問題の根源は「不妊治療」そのものにあることを示す。
著者
高木 美也子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.19, no.1, pp.44-51, 2009
参考文献数
12
被引用文献数
2

ヒトの脳内神経回路網の一部を植込み電極と体内埋設型刺激デバイスで刺激する脳深部刺激療法(DBS)により、不随意運動など多くの脳機能障害が劇的に改善されることから、日本でもこの治療を受ける患者が年々増加している。近年、うつ病や強迫性障害などの精神疾患に対してもDBSの効果が報告され、ドイツ、フランス、ベルギー、USA、カナダ等で治療として医学的な実験(治験)が開始されている。しかしながらDBSは脳内の神経回路網に組み込まれた刺激デバイスが脳機能を改変する危険性を孕んでおり、特に精神疾患ではその影響が大きいと考えられる。欧米では、治験をどのような安全基準で行なっているのか。ここでは、2008年1月にドイツ、フランスで行なった調査を踏まえ、精神疾患に対するDBS治療の安全性や適用範囲、患者の選択基準、人格に与える影響や社会的な懸念、さらには過去に精神疾患治療に使われたロボトミー手術などから倫理面を考察した。
著者
横瀬 利枝子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.113-122, 2015

<p> 本研究では、若年性認知症者の配偶者の俳回による行方不明を経験した8名の介護者に、聞き取り調査をおこない、俳回を伴う介護の壮絶な状況、予期せぬ行方不明当時の状況、支援について、本人および介護者の苦闘と倫理的課題を検討するとともに、家族の会などがおこなっている市民主体の共助の取り組みについても検討した。その結果、対象者の誰もが苛酷な24時間介護を続ける中、一瞬の気の緩みによって、配偶者の行方不明を経験していた。警察への捜索願を繰り返しながら、眠れぬ日々の中で、経済的困窮が迫りくる。対象者の誰もが、今生の別れの予感を経験していた。家族が次第に忘れられる事例も多く、患者、家族双方にとって苦闘の日々が続く。しかし、若年性認知症への理解が進まず支援体制が整わない中で、対象者の多くが疲弊し、介護の限界を超えていたにもかかわらず、誰もが自らの介護への内省を語った。市民共助の取り組みも始まっている。</p>
著者
柘植 あづみ
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.16, no.1, pp.35-41, 2006-09-25 (Released:2017-04-27)
参考文献数
15

生殖技術は生命倫理の中心的課題のひとつとして議論されてきた。生殖技術の開発・応用はめまぐるしく進むため、生命倫理の議論は常に技術刷新の後を追う形であった。しかし、これまでの生殖技術に関する生命倫理の議論は、生殖への人為的介入への危惧、家族関係の複雑化に対する懸念、情報開示やインフォームド・コンセントの必要性、生殖細胞や組織の商品化への批判など、対象となる技術は異なっても類似した内容が繰り返されている。そこで、本稿では、生殖技術の進展の経過を概観し、既存の議論を確認した上で、これまで十分に議論されてこなかった課題を指摘し、今後の議論の発展を促したい。
著者
金森 修
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.68-75, 2014-09-26 (Released:2017-04-27)

本稿は現代の生命倫理学でも重要な位置を占める<人間の尊厳>という概念が、ヨーロッパの歴史の中でどのような文脈の中で生まれ使われてきたのか、その主要な流れを最低限確認することから始めた。その際、インノケンティウス三世の<人間の悲惨>論に重きを置いた記述をした。また、ピコ・デラ・ミランドラの高名な一節が含意する、一種の知性鼓舞論が、純粋に世俗的な位相のみにおいて<人間の尊厳>概念を理解することを困難にしているという事実に注意を喚起した。それらの検討を通してわれわれは、この概念が十全に機能するためには、神のような超越的存在との関係における人間の定位を必要とするということを示した。では現代の世俗的社会の中で、この概念の使命は既に終わったと考えるべきだろうか。いや、そうは考えない。この神的背景を備えた概念は、世俗的微調整の中でその神的含意を解除されながらプラグマティックに使用され続けるという趨勢の中でも、依然として人間存在の超越性を示唆し続けることをやめないだろう。それこそが、この概念の独自な価値なのである。
著者
甲斐 克則
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.59-64, 1992
被引用文献数
3

安楽死や尊厳死を論じる場合、その言葉だけが先行して、結論が一人歩きしないよう注意する必要がある。そのためには、それらの概念内容を整理し、両者の共通点と相違点を明確にしたうえで、それぞれの許容性と問題性について考える必要がある。本稿では、患者の自己決定権と患者の意思を考慮しない他者決定との中間領域の中に、妥当な解決策を見出すべく考察を進める。まず、安楽死については、(1)純粋型安楽死、(2)間接的安楽死、(3)積極的安楽死、(4)消極的安楽死、に分類して考察する。とくに(3)では、日本の判例を素材として取り上げる。次に、尊厳死については、(1)患者の治療拒絶意思が明確な場合、(2)それが十分明確でない場合、(3)それが完全に不明確な場合、に分類して、アメリカの判例を参照しながら考察する。このような考察方法を通じて、さまざまな専門分野の人々が議論できる共通の基盤が作られることを期待したい。
著者
中野 東禅
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.156-164, 1991-04-20 (Released:2017-04-27)

1.仏教における生命の見方は四大縁起と五蘊縁起,命根等にみることができる。2.生の始まりについては,胎内五位に,生命の終りについては寿・煖・識の消滅としてとらえられている。3.死に対する態度は,生命と死に対する智恵と,事実の受容と,迷いと恐怖を輪廻しない解脱が求められる。したがって脳死を死と認められるのも,臓器提供も智と解脱においてなりたつといえる。4.こだわりか,解脱かは,恐怖心や関わり方によって異ってくる。民俗仏教はこだわりを再生するが,仏教的視点を成り立たせる諸条件がそろえば,解脱としての脳死の受容,臓器提供はなりたちうるといえる。
著者
渋山 昌雄
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.144-150, 2005-09-19 (Released:2017-04-27)
参考文献数
18

「人間中心主義から生命中心主義へ」というスローガンが、動物解放論をはじめ、生命平等論、生態系中心主義などの環境思想・環境倫理の領野からの提言として言われてきた。しかし、「人間を中心におく」という人間の主体的表現を現代の私たちは本当に放棄しなければならないのだろうか。人間であることは本当に重要ではないのだろうか。本稿は本来の「人間中心主義」を復権すべく「人間であることの重要性」を確認しようとしている。まず最初に哲学的人間学の試みを検証する。彼らは、伝統的人間観を変質させようとした当時の自然科学的知見に対して、危機感をもちながらも人間の位置付けを新たに試みざるを得なかった。彼らの置かれていた状況は、科学技術がもたらした環境問題の深刻さによって再び人間の位置付けが間われている現代の状況とあまりにも類似している。次に人間中心主義の復権の可能性の手がかりとしてR.ノージックの議論を確認する。彼の議論は「帰属性」と「卓越性」という極めて共有しやすい事実を起点にしている。それだけにいっそう説得力に富む提案となっている。
著者
三重野 雄太郎
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.96-104, 2017 (Released:2018-08-01)
参考文献数
23

ドイツ、オーストリア、スイスにおいては、従来、着床前診断は法律上実質的に禁止されているものと解釈されてきた。しかしながら、近時、この3ヶ国が立て続けに法改正を行い、着床前診断を一定の要件の下で許容することとした。本稿では、日本での立法化に向けた示唆を得るべく、3ヶ国の新法の内容を概観し、それらを比較して共通点と相違点を明確化させた。 3ヶ国とも一定の要件を満たす場合にのみ着床前診断の実施を認め、違反者を処罰すること、遺伝性疾患と関係のない単なる性選別や救世主兄弟を目的とした着床前診断を認めていないことなどの共通点があるが、他方で、ドイツでは公的倫理委員会による審査で認められている場合に着床前診断の実施が認められるが、オーストリアとスイスは公的倫理委員会の承認を着床前診断の要件としていないことなど相違点も見られる。
著者
森下 直貴
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.19-28, 1998-09-07 (Released:2017-04-27)
参考文献数
25
被引用文献数
1

Why does it seem to us that many diciplines or domains involved in Bioethics, e.g. medical ethics, health care ethics, research ethics, public health ethics, or environmental ethics, etc., do not have close connections with each others. My answer is that a clear and whole conceptual framework of 'health'has been lacking in Bioethics. In this paper, through critically analysing and assessing of such influential definitions or theories as WHO's and L. Nordenfelt's concerning 'health', G. Canguilhem's on "biological normativeness"and A. Sen's on "capabilities", I try to put forward a whole framework of wellness and health. In my theory, we have the 'wellness' of personal 'life' within mutual relationships among three life levels, namely, biological life level, human living level and life as a whole level. Under these relationships, 'health' is defined as 'norm' of wellness/illness on the biologically individual life level. Although 'health' essentially is the norm, it also usually means a well-state according the norm. Furthermore, the biological level is so related with the other two levels, that the wellness or illness on itself generally supports the possibility of wellness or not on the human living level and, on the contrary, is restrictively valued by the latter. This is, I think, the reason why the idea of health has been seen complex or ambiguous.
著者
阪本 恭子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.78-86, 2015-09-26 (Released:2016-11-01)
参考文献数
36

「こうのとりのゆりかご」が熊本に設立されて2015年で8年が経った。同設備は人工妊娠中絶や児童遺棄から新生児を救うために15年前からドイツで作られる赤ちゃんポストを手本にする。本稿は、日本のゆりかごの現状と課題を把握し、ドイツにおいて赤ちゃんポストの代替策となる最近の動きを紹介して展望を描くなかで、赤ちゃんポストの今後のあり方を見直す。 第1章で、2014年9月発行の「こうのとりのゆりかご検証報告書」から見える問題を分析して課題を見出し、その対策となる一案を示す。第2章では、2014年5月にドイツで施行された、妊婦に安全な出産を、子どもには出自を知る可能性を保証する内密出産法を概観して制度の今後を展望する。第3章では赤ちゃんポストについて、それを必要とした社会の一員として生き始めている赤ちゃんポストの子どもの幸せに目を向け、その是非ではなく意義を問う。
著者
仙波 由加里
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.190-197, 2003-09-18 (Released:2017-04-27)
参考文献数
36

近年、日本では少子高齢化が社会問題として注目され、これを打開するために政府は少子化対策をすすめている。この中で不妊に注目し、不妊治療に保険適用しようとする動きがある。しかし、少子化対策の本来の目的は出生回復させることであり、不妊当事者の利益を第1に考えているわけではない。Warwickは家族計画プログラムの検討の際に、(1)自由(2)正義(3)福祉(4)真実の告知(5)安全・生存という5つの倫理原則を設けた。少子化対策として不妊治療に保険適用する場合も、これらの原則に照らすと様々な問題を抱えていることがわかる。バイオエシックスの視座に立てば、不妊治療への保険適用は、少子化対策としてではなく、リプロダクティブライツの尊重や不妊当事者のQOL向上の視点から検討していくことが必要である。
著者
大北 全俊
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.94-101, 2010
参考文献数
13

本論考では、感染症対策、なかでも薬剤を使用しない非医療的な対策(nonpharmaceutical interventions:NPI)である隔離や検疫などの感染症対策をめぐる倫理的な問題とそのような対策を実施するにあたって必要と考えられる倫理的な配慮について明らかにすることを目的としている。主な倫理的な問題は、感染拡大の防止という社会的な利益を保全するために、個人の移動の自由やプライバシーの保護などの諸権利を制限せざるを得ないところに生じる。社会的利益と個人の権利・利益、両者をなるべく一致させる考えもあるが、個人の権利・利益の制限という事実は依然として残る以上、両者の均衡を図ることが不可避となる。しかし、両者の均衡を実現するということも根本的な困難をはらんでいる以上、当該施策が適切なものであるか否かということを公的に議論する過程や施策の対象となる個人への意見聴取など、両者の均衡を不断に模索する過程が倫理的な配慮として不可欠である。
著者
徳永 純
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.47-54, 2017

<p> 患者が十分に理由を語らないまま沈黙し、生死に関わるような治療や処置に同意しない、という問題に直面することがある。周囲は自己決定を尊重しつつも当惑し、意図がくみ取れずどのように対応すべきか苦慮する。本稿ではこのような神経難病の自験例について、メルヴィルの『書記バートルビー』を手掛かりに考察する。仕事を拒否して何もしなくなった主人公バートルビーに対し、雇用主である弁護士は心情を斟酌し、寄り添おうと努力するが、バートルビーの沈黙の前になすすべがなく苦悩する。こうした作品のモチーフは自験例と共通するうえ、バートルビーの謎を巡り多様な解釈が提示されている。作品とその解釈を参照することによって、自験例の論点は、自己決定の尊重の是非から、潜在的な患者の抵抗やパターナリズムへと拡張される。これらの検討を通じこれまであまり試みられなかった文学作品と医療倫理ケースの比較検討の意義を明らかにする。</p>