著者
木田 盈四郎
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.75-79, 1992-11-30 (Released:2017-04-27)

最近の遺伝、遺伝相談の現状を紹介し、生命倫理との関係を論じた。生命倫理の立場では「生存権を持つヒトを人格と呼び、生存権の否定・蹂躙は成り立たない」と考えている。この人格概念には、先天異常疾患の患者を除外する規定はない。一方、最近の生命科学の研究結果をまとめると「異常は正常の変貌であり」「ヒト集団は、先天異常患者を一定の頻度で含んでいる」ことが分かった。わが国では胎児の生命は妊娠22週以後は優生保護法によって守られている。患者の生存権を認める立場から見れば、妊娠21週までの胎児の決定権は「人格」を持つ親にある。したがって親は、羊水検査を含めた胎児情報を知る権利がある。そこで、その権利を守るために社会は、検査設備を整え、親に知らせる義務があると考えた。
著者
中澤 慧
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.95-102, 2019-09-26 (Released:2020-08-01)
参考文献数
25

心肺蘇生時に患者の家族の立ち会いを許可する試みは、家族の要望に応じるかたちで1982年にアメリカで初めて実施された。立ち会いを経験した家族や医療者への意識調査をもとにして議論がかわされ、欧米では心肺蘇生時の立ち会いに関して家族に選択の機会を与えることがガイドラインで支持されるようになったが、家族の立ち会いを正当化する倫理的な根拠については十分に検討されてこなかった。本稿では、心肺蘇生を受けている患者が事前指示を残していない場合、家族の立ち会いをめぐって、代理意思決定の基準に依拠して議論することの是非について検討する。結論として、代理意思決定の基準ではなく、情報開示の基準に則って家族の立ち会いが議論されるのが妥当であることを論じる。立ち会いで家族が目の当たりにする患者の様子は、患者の病状に関する情報の一部であり、家族の求めがあれば、情報開示の一環として立ち会いは許可されるべきである。
著者
鶴若 麻理 岡安 大仁
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.91-96, 2001-09-17 (Released:2017-04-27)
参考文献数
45
被引用文献数
1

近年、特にターミナルケアの分野で、スピリチュアルケアに関心が集まっている。「スピリチュアル」という概念が、わが国の文化や伝統の中で、どのように展開されていくのか、また患者の「スピリチュアリティ」を把握するために、日本での客観的な尺度を作成する必要があるなどの議論がなされている。しかしながら、それらの議論をより充実させるためには、まず、欧米のホスピスケア理念において、「スピリチュアル」という概念が、いかに展開されてきたのか、またどのようなスピリチュアルケアに関する研究がなされているのかを、改めて検討する必要があると考えられる。そこで本稿では、実際欧米では、ターミナルケアの領域を中心にして、どのようなスピリチュアルケアに関する研究が行われているのかを、文献を通して報告し、今後のわが国のスピリチュアルケア研究の一助とすることを目的とした。
著者
蒲生 忍 マッコーミック トーマス
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.149-157, 2010-09-23 (Released:2017-04-27)
参考文献数
23
被引用文献数
1

米国の終末期の医療選択としては1998年にオレゴン州で発効した尊厳死法Death with Dignity Act(以下DWDA)が最も先鋭的な枠組みとして取り上げられる。これは医師による自殺幇助Physician-Assisted Suicideとも呼ばれ、その施行状況が米国内のみならず日本を含めた諸外国の注目を集めている。オレゴン州はDWDAのみならず、緩和医療が最も活発に行われる州としてもよく知られている。オレゴン州に隣接するワシントン州でも、2008年にDWDA案が住民発案された。その可否を問う住民投票が大統領選挙と同時(2008年11月4日)に行われ、58%の支持を受け可決され2009年3月5日に発効した。筆者らは投票日に先立ちワシントン州で、DWDA案の立案にかかわった元ワシントン州知事Gardner氏はじめワシントン大学の医療提供者と面談し意見を聞く機会を得た。面談した様々な医療提供者の多くは、法案が自己決定に固執する一部の層のためであること、オレゴン州DWDA施行後の緩和医療を含め医療技術に大きな進歩があり、尊厳死を含め終末期の医療選択への要求が変化していることなどを指摘した。投票前の諸氏との議論を踏まえ、ワシントン州DWDA発効後の実施状況も報告したい。
著者
松井 健志 井上 悠輔 楊河 宏章 高野 忠夫
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.29, no.1, pp.85-94, 2019-09-26 (Released:2020-08-01)
参考文献数
25

近年、臨床研究計画や研究内容に関連した倫理的問題への対応等について助言や推奨を与える研究倫理コンサルテーション・サービスの活動が広がりつつある。しかし、その活動が扱う臨床研究の内容やそれを取り巻く法・規制環境が高度化・複雑化する中で、それを担当する「研究倫理コンサルタント」には高度な専門的知識等が必要となってきているが、研究倫理コンサルタントに果たしてどのようなコンピテンシーが必要であるか、ということの検討はこれまでほとんどなされていない。診療上の倫理問題について当事者に助言を行う臨床倫理コンサルテーションでは、これに先行してその担い手である臨床倫理コンサルタントに必要なコンピテンシーについて検討されてきた。そこで本研究では、臨床倫理コンサルタントでのコア・コンピテンシー・モデルを参考に、研究倫理コンサルタントに必要なコア・コンピテンシーについて検討を行い、モデルの作成を試みたので報告する。
著者
大嶋 一泰
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.16-21, 1993-07-20 (Released:2017-04-27)

医療の領域で、医師は救助義務、診療義務、説明義務、秘密保持義務、屈出義務などさまざまな法的・倫理的義務を負っているので、しばしばその具体的な特別の状況上いずれか一つの義務に違反することなしには、他の義務を履行しえないという義務の衝突に直面する。義務の衝突の場合には、義務を比較考量して、より高い価値の義務を履行すべきであるが、同価値の義務の衝突では、場合を分けて考察しなければならない。同価値の作為義務と作為義務の衝突および同価値の不作為義務と不作為義務の衝突の場合には、どちらか一つの作為義務あるいは不作為義務を履行すれば足りる。しかし、同価値の作為義務と不作為義務の衝突の場合には、不作為義務を履行しなければならない。例えば、救命の作為義務と殺害禁止の不作為義務とが、同時に同一人に課せられ衝突するときは、殺害禁止に従い、不作為に留まらねばならない。他人の生命を犠牲にして救命をなすべき義務はないと言わねばならない。義務衝突の下でなされた行為の評価には、義務の比較考量だけでなく、さらに義務の履行方法の評価をも必要とする。治療目的を達成するための医的侵襲が正当化されるためには、まず第一に医的侵襲につき説明し、患者の承諾を得ることが必要であり、第二に侵襲が治療目的を達成するための必要性・相当性・補充性を備えることが必要である。
著者
堂囿 俊彦
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.30-38, 2008-09-21 (Released:2017-04-27)
参考文献数
30

平成19年3月23日に出された最高裁判決において、代理懐胎契約によってもうけた子と依頼女性の嫡出関係は認められなかった。しかしそこでは同時に、今後立法に向けた取組が必要であることも述べられていた。従来からわが国では、「人間の尊厳」にもとづき代理懐胎を禁止する立場が示されてきたものの、人間の尊厳の一部をなす公序良俗を検討することによって、こうした立場が説得力をもたず、恣意的な人権の制約につながりうることが明らかになった。今後、生産的な議論を積み重ねていくためには、「人間の尊厳」という言葉を用いることなく、代理懐胎を依頼するカップルや引き受ける女性の基本権を比較衡量すること、そうした基本権を解釈すること、権利の枠組みでは語ることが困難な生命や身体の価値を基本権によるスクリーニングにかけることが必要である。そして、「人間の尊厳」という言葉を今後適切な形で用いるためには、以上のような考察の「結果」にその使用場面を限定していくべきである。
著者
仙波 由加里 清水 清美 久慈 直昭
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.105-112, 2017 (Released:2018-08-01)
参考文献数
33

初のAID(提供精子を用いた人工授精) が実施されて70年近く経つ現在、日本でも遺伝子検査が普及し、民間人が手ごろな価格でDNA鑑定を受けられるようになってきた。したがって、親がAIDの事実を隠していても、子どもが親との遺伝的な関係を疑えば検査会社を通して親子の血縁関係の事実を確認でき、ドナーを探すことも可能となった。すなわちドナーの匿名性を保障できない時代を迎えている。そこで本稿では、このままドナーの匿名性を継続する場合に予想される問題をドナーのプライバシーの侵害と親子関係に焦点を当て検討した。日本では、ドナーの減少等を懸念して、今なお出生者の「出自を知る権利」を保留にし、ドナーは匿名とされている。しかし遺伝子検査の時代に入った現在、それは将来起りうる問題を軽視しているに他ならず、正義原則の観点からも問題である。また今後も、匿名性が完全に保障されないことを説明しないままドナーに精子提供してもらった場合、ドナーに自分の精子での出生者が将来接触をもとめてくるのではないかと不安を抱かせることにもなる。すなわちこれはドナーに対する危害とも言える。従って、まず提供配偶子を使う生殖補助医療で形成される親子関係について法で規定する必要があり、その上でAID出生者の「出自を知る権利」を認め、ドナーの匿名性を廃止する必要がある。
著者
柳原 良江
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.170-177, 2008
参考文献数
25

従来は一人の母親が有していた妊娠・出産の経験を、代理懐胎の形で他者に代行させることが社会に許容される行為であるかどうかについて、現在も議論が分かれている。本稿では、母親の経験から妊娠・出産経験が分断され、我々の母親概念の認識に影響を生じさせている状況を説明した上で、妊娠・出産の代行にともなう倫理的問題を検討する。母性からの妊娠・出産経験の分断は、代理懐胎の議論において、その経験を不在化させ、男親をモデルとした親子推定を女親に用いることを可能としている。また分断した経験には新たな意味が付与されて、女性の身体利用を容易なものとさせている。こうして元来の妊娠・出産経験は、もはや必須の経験ではないとみなされて、他者に代行可能な行為と考えられている。しかし従来、妊娠・出産経験は、その経験を参照されることで、人々の生命に重みを抱かせる作用を有してきた。そのため妊娠・出産の意味の変更は、我々の生命観を変容させる可能性を持つ。以上より、妊娠・出産の代行には、生命観の変容も視野に入れた、より慎重な議論が必要であると結論づける。
著者
佐々木 能章
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.12-18, 1998-09-07 (Released:2017-04-27)
参考文献数
14
被引用文献数
1

自律の概念は生命倫理において中心的な役割をもっている。この概念は本来、自分で法を設定しそれに自分で従うということを意味していたが、カント以降、個人の意志の自律という形で理解され、それが現代の生命倫理の議論にも受け継がれている。自律にとっては、その本質的規定とともに、自律が尊重されるという原則が実効的であることが必要となる。この原則を保証するためには、単なる相互承認だけでは不十分で、共通の価値が根本で共有されていなければならない。自己決定は決して無制限に認められるわけではなく、その範囲を画定するためにも共通の価値が必要となる。この価値は、人間の有限性を自覚するところから試行的に導かれるもので、その限りの普遍性を確認していくようなものである。こうして、自律は個人で完結するものではなく、共同的なものであるという性格を有していることになる。
著者
会田 薫子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.11-21, 2008-09-21 (Released:2017-04-27)
参考文献数
33
被引用文献数
1

脳死臓器移植に関わらない脳死患者において人工呼吸器の中止が臨床上の選択肢とされているか否か、及び、その意思決定に関連する要因を明らかにするため、国内の救急医35名を対象とする探索的なインタビュー調査を行った。データ収集と分析にはgrounded theory approachの手法を採用した。その結果、人工呼吸器の中止を選択肢としていない医師がほとんどであり、その選択肢を考慮させない要因群として、1)脳死の二重基準などによる脳死ドナー以外における脳死の法的・臨床的意味の曖昧さ、2)医師側の心理的障壁、3)治療継続の目的は家族ケアという医師の認識、4)間近に心停止が予測されているため人工呼吸器の中止は不要という医師の認識、があることが示された。一方、人工呼吸器の中止を通常の選択肢としている医師は3名おり、彼らは共通して、脳死の理解が一様でない我が国において、脳死の二重基準は家族の受容を援助するために有用であると、自らの実践を通して認識していた。脳死の二重基準は非論理的ではあるが、我が国おいては臨床上の有用性を有することが示された。
著者
遠矢 和希
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.69-75, 2011-09-25 (Released:2017-04-27)

iPS細胞による生殖細胞の作成と利用は、配偶子不全等による不妊患者が血縁のある子を得る可能性につながる。生殖細胞に分化しうる人工細胞は数種あるが、直接的にART利用可能性があるのはiPS細胞である。生殖細胞の作成は議論が必要とする見解がある一方、日本では不妊患者の要求があるという意見がある。文部科学省は2010年5月にiPS細胞から生殖細胞の作成を認める指針を出したが、ヒト胚の作成は禁止した。多くの先進国も同様で、規制には様々な段階がありうる。iPS細胞由来の生殖細胞の研究においては、機能の検証等で受精卵の作成と滅失が避けられず、iPS細胞由来のヒト受精卵は提供受精卵と異なるかという倫理的問題等がある。臨床利用段階では、iPS細胞由来生殖細胞を使った生殖技術利用の拡大などが指摘されている。倫理的問題は決して少なくなく、次世代や社会への影響も鑑み、議論を続けるべきである。
著者
末永 恵子
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.163-170, 2014-09-26 (Released:2017-04-27)

医学は人間の生命と尊厳を守ることを最終目的としているので、医学研究はヒューマニズムに基づく行為と見なされがちである。しかし、一般論では医学研究は肯定されても、それが実施される時期や地域や社会環境によっては、社会との調和のとれない状況を呈することがある。その研究の意義や有益性は認められても、社会状況にそぐわないとして批判され、再検討を求められている場合もある。本稿が取り上げる「東北メディカル・メガバンク計画」の問題は、まさにその代表例といえる。「なぜ今被災地で、ゲノム研究をするのか」という疑問の声は、計画のはじめから現在まで絶えない。そこで、この事業の推進論と反対論の主張を取り上げ、両者の議論の対立点を洗い出した上で、被災地における医学研究および医療政策はどのようにあるべきなのか、方向性やその意思決定の手続きについて考察することとしたい。
著者
岩佐 光広
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.22-29, 2008
参考文献数
28

1980年代以降、生命倫理学は以前にも増して多様なアプローチが混在する状況にある。その代表的なアプローチの一つとして、記述を重視するアプローチを挙げることができる。だが、規範主義的アプローチが主流を占める現状において、生命倫理学における記述の役割は十分に検討されてはこなかった。本稿では、既存の生命倫理学における記述の問題点を、文化人類学の基本的営為である民族誌の認識論、理論、方法論との比較から明らかにしたい。加えて、民族誌における記述と理論の弁証法的な構築過程を考察することで、今後の生命倫理学の議論において民族誌的アプローチが担う重要性を提示したい。
著者
難波 紘二
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.75-80, 2003-09-18 (Released:2017-04-27)
参考文献数
21
被引用文献数
1

本論文タイトルの疑問に答えるために、科学におけるクローンとは何かを簡単に検討した。クローンとは受精卵以後に一個の体細胞に由来して形成された、組織された細胞集塊をいい、このため遺伝的構造が同ーとなる。クローンには多種多様な存在が知られている。「人間の尊厳」という言葉の歴史を検討し、それが時代を超えて普遍の意味をもつというのは事実でないことを明らかにした。しばしばこの言葉は議論において根拠を提示することなく、異論を封じ込めるのに用いられている。ヒトのクローン技術は現時点においても生殖医学において許容できる範囲の安全率をもっていると考えられる。従って、この技術を利用する以外に自分の子供を絶対にもつことができない個人が出現した場合に、この技術の人間への応用が、他の個人や社会に危害を与えることが明らかに証明されるのでない限り、それを禁止するのは自由に対する行き過ぎた抑圧と見なされるべきである。
著者
新山 喜嗣
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.24, no.1, pp.186-196, 2014

人生の終着点にある死の存在は、われわれにあらためて生の日々の大切さを強く実感させるが、このような死が生にもたらす意義が、われわれの心理的な側面を越えて、未来を指向する人生の価値といったより存在論的な側面にまで及ぶことを、分析哲学の時間論の座標上にわれわれの生を乗せつつ確認することを試みた。その過程で、「永遠に死ぬことがない」という妄想主題をもつコタール症候群に注目したが、本症候群における不死の主題が結びつくのは、生命の活力や未来の希望ではなく、むしろ一切の存在の価値を剥奪された人生に対する深い絶望であり、その理由を現代時間論の視点から検討した。すなわち、不死妄想においては死という視座が欠如するため、死の視座から付与されるはずの未来の輪郭が結像せず、その輪郭が生の価値へと生長することが永久に阻止されたままになると考えられた。このコタール症候群の臨床像は、未来から絶えず現在に収斂する存在論的な生の意義が、死が存在することによってこそもたらされることを、逆説的に示唆するものであると思われる。
著者
徳永 純
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.27, no.1, pp.47-54, 2017 (Released:2018-08-01)
参考文献数
29

患者が十分に理由を語らないまま沈黙し、生死に関わるような治療や処置に同意しない、という問題に直面することがある。周囲は自己決定を尊重しつつも当惑し、意図がくみ取れずどのように対応すべきか苦慮する。本稿ではこのような神経難病の自験例について、メルヴィルの『書記バートルビー』を手掛かりに考察する。仕事を拒否して何もしなくなった主人公バートルビーに対し、雇用主である弁護士は心情を斟酌し、寄り添おうと努力するが、バートルビーの沈黙の前になすすべがなく苦悩する。こうした作品のモチーフは自験例と共通するうえ、バートルビーの謎を巡り多様な解釈が提示されている。作品とその解釈を参照することによって、自験例の論点は、自己決定の尊重の是非から、潜在的な患者の抵抗やパターナリズムへと拡張される。これらの検討を通じこれまであまり試みられなかった文学作品と医療倫理ケースの比較検討の意義を明らかにする。
著者
塚本 泰司
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.47-51, 1998
参考文献数
12

1972年、Jennet & Plumは外的刺激に対する反応の欠如する状態の継続する脳障害の患者について、PVS(persistent vegetative state)と命名した。かれらはこの状態は継続するが、永続性(permanent)か、不可逆性(irreversibk)であるかは断言できないとして遷延性(persistent)という語を用いた。しかし今日、意識障害が12ヶ月続いた場合には不可逆的である(Multi-society task force on PVS, 1994,英国Bland事件判決etc.)とし、PVSに対し、permanentを用いる識者が散見される(Mason, 1996.Truog, 1997)。また「PVSにおいては大脳皮質の機能はpermanentに喪失している(institute of medical ethics 1991)」などの記述が見られ、それが植物状態からの栄養補給の停止の根拠とされることがある。しかし不可逆性はあくまで経験的なものであり、100%担保されたものではない。勿論、不可逆性が担保されないからといって、正確な知識に裏打ちされたliving willや、医療資源の問題からの医療中止の議論が成り立たないことはなかろう。しかしpermanentという語は、living willなどの作成時などに誤解を招き、不適当と考える。
著者
屋良 朝彦
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.93-100, 2005
参考文献数
22

未知のリスクにいかに対応するべきか。HIVによる血液汚染事件では医療関係者、行政担当者、患者とその家族、および市民全体がこの問いに直面した。このような問いに対して、近年、欧州を中心に「予防原則」が注目されている。「予防原則」とは、科学技術の発展によって生じる環境破壊や医療・公衆衛生等の様々な問題に対処するために、欧州を中心に採用されつつあるものである。その主要な要素を四点挙げてみる。(1)科学的確実性の要請の緩和、(2)立証責任の転換、(3)ゼロリスク・スタンダードの断念、(4)民主的な意思決定手続きである。しかし、予防原則はその適用において曖昧な部分が多く、ケースバイケースでその内実を「解釈」し、明確にしていく必要がある。本発表では、予防原則を薬害エイズ事件に適用することによって、当時どのようなリスク対策が可能であったかを検討しつつ、予防原則の有効性を検証する。
著者
菅野 盾樹
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.4-11, 1998-09-07 (Released:2017-04-27)
参考文献数
36