著者
岩田 修二
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.275-296, 2014-12-01 (Released:2015-07-23)
参考文献数
108
被引用文献数
3

日本アルプスの氷河地形研究における転向点1(1940年)は,発見時代の多様な氷河地形を今村学郎がアルプス型氷河地形だけに限定した時点である.転向点2(1963年)は,空中写真判読による日本アルプス全域の氷河地形分布図を五百沢智也が発表した時点である.その後,日本アルプスの氷河地形研究は大きく進展したが,転向点3(2013年)は,「地すべり研究グループ」によって複数の氷河地形がランドスライド地形と認定された時点である.転向点3以後における日本アルプスの氷河地形研究の課題は:1.露頭での詳細調査による氷河堆積物とランドスライド堆積物との識別,2.白馬岳北方山域での氷河地形とランドスライド地形との峻別,3.白馬岳北方山域での山頂氷帽の証拠発見,4.剱岳の雪渓氷河や後立山連峰のトルキスタン型氷河がつくる氷河地形の解明である.つまり,急峻な山地での氷河による侵食・堆積作用とその結果できる地形を見直す必要がある.
著者
寒川 旭
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.52, no.5, pp.191-202, 2013-10-01 (Released:2014-08-10)
参考文献数
52
被引用文献数
5 6

考古学の遺跡で地震を研究する分野である地震考古学は,1988年に誕生した.遺跡に刻まれた地震痕跡は,遺構・遺物との関係から年代を絞り込むことが可能で,平面および断層形態を詳しく観察することもできる.例えば,南海トラフの巨大地震については,文字記録から発生の歴史がかなり把握されているが,地震痕跡の発見によって史料の空白を埋めることが可能である.また,活断層から発生した地震については,周辺の遺跡で地震痕跡を観察することによって,地震動による地盤災害の様子がわかり,被害の文字記録と合わせて地震の全体像を把握できる.液状化現象・地滑りなどの地変については,遺跡で詳しい観察が可能なので,これまで知り得なかった新たな知識を得ることが多い.一方,歴史学や考古学の立場からは,地震という概念を導入することによって,これまで謎とされていた現象が合理的に説明できるようになり,地域の歴史をより正確に把握することができる.
著者
久保 純子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
pp.62.2112, (Released:2022-12-27)
参考文献数
88

利根川と荒川は江戸時代初期には関東平野中央部で合流し,東京湾へ流入していた.現在の利根川は加須低地から鬼怒川下流低地へ本流を移し,また現在の荒川は荒川低地から東京低地に流下している.著者は東京低地の歴史時代・先史時代の地形変遷を皮切りに,利根川・荒川の近世以前の流路や年代を,低地の微地形を手がかりとして考察した.加須低地や中川低地では,かつての利根川河道は自然堤防や河畔砂丘などの発達が手がかりとなるが,渡良瀬川との合流や断片的に残る旧河道などについての解明が望まれる.荒川低地から東京低地にかけては大規模な蛇行流路跡が認められるが,歴史時代にそこに幹川があった記録は認められない.これは堆積物の組成や考古学的データから,利根川の幹川と考えることができ,その年代と河道変遷,流域の火山活動との関係などの解明が必要である.
著者
谷川 晃一朗
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.255-270, 2009-08-01 (Released:2012-03-27)
参考文献数
73
被引用文献数
4 8

兵庫県円山川下流域(豊岡盆地)における沖積層層序,海水準変動および海岸線の変化を復元するために,ボーリングコア試料の地質層序データの解析と,コア堆積物試料のイオウ含有量,火山灰,珪藻化石および貝化石の分析,14C年代測定を行った.円山川下流域の沖積層は,下位から下部砂礫層(LG),下部砂泥層(LS),中部泥層(MM),上部砂層(US),最上部泥層(UM)に区分することができ,海成層と考えられる中部泥層が豊岡盆地全域にわたり分布している.鬱陵隠岐火山灰(U-Oki)が降下した約10,700 cal BPには,相対的海水準は標高約-30 mにあった.そして,縄文海進最盛期を示すと考えられる約6,800 cal BPには,細長い内湾が豊岡盆地の南端部に達した.しかし,日本列島で数多く報告されている完新世中期の高海面は確認されず,豊岡盆地は完新世の中頃には沈降傾向にあった可能性がある.これら本研究で得られた海面変化データに基づいて,10.7 ka, 7.9 ka, 6.8 kaにおける海岸線の位置を示した.
著者
小野 映介 片岡 香子 海津 正倫 里口 保文
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.51, no.6, pp.317-330, 2012-12-01 (Released:2013-06-14)
参考文献数
33
被引用文献数
6 7

津軽平野中部における浅層堆積物の層相および鉱物組成,火山ガラスの形状・屈折率,14C年代を検討した.当地域は奈良時代から平安時代初頭に有機質シルト層や未分解有機物層が堆積する湿地であったが,後の火山灰質砂層の堆積により堆積環境が激変した.火山灰質砂層は様々な堆積構造を呈し,十和田a(To-a)テフラ由来の火山ガラスを多く含むため,十和田火山AD 915噴火後のラハール堆積物と判断できる.ラハール堆積物の上位にはAD 930~940頃の白頭山-苫小牧(B-Tm)火山灰が認められ,To-aテフラの噴出後B-Tm火山灰の降灰時期までの二十数年以内でラハールが終息したと推定される.ラハール堆積物上位の土壌化層には,平安時代中期の遺物が包含される.津軽平野中部では,平安時代の遺跡が多く存在することからも,ラハールの流入で広大な砂地が形成され,人々の居住可能な場が整い,居住の増加に影響を与えたことが考えられる.
著者
木越 邦彦
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.6, no.4, pp.151-157, 1967-12-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
14

The errors in radiocarbon age determination on the wood samples are estimated from the possible variations in the concentration of radiocarbon in the atmosphere. Recent results of measurements on the secular variation of the atmospheric 14C are presented and compared in order to find a general variation. Based on this general variation a correction curve for conventional radiocarbon ages to calender years is computed.
著者
田島 靖久 宮地 直道 井上 公夫
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.45, no.4, pp.287-301, 2006 (Released:2007-07-27)
参考文献数
31
被引用文献数
2 3

日本最大の活火山である富士火山には, 山麓部に複数の扇状地が分布する. 本論では, 富士火山の西側に位置する上井出扇状地について, その形成過程を解明した. 上井出扇状地は堆積物の構成物質や地形より, その形成時期をYFM-K1~K3期の3時期に区分できる. このうち, YFM-K1期 (cal BC 3,400~2,100) は中期溶岩の噴出時期にあたり, cal BC 2,500頃には到達距離の長い岩樋火砕流が発生した. YFM-K2期 (cal BC 1,500~1,000) は, 比較的規模の大きな降下テフラや火砕流が噴出するとともに, 御殿場岩屑なだれと近接した時期に107m3オーダーの規模の大きな猪の窪ラハール-Aが発生した. YFM-K3期 (cal BC 800~AD 300) は, 湯船第2スコリア (Yu-2) をはじめとする山頂火口に由来する降下テフラの噴出時期に対応し, これらに伴うラハールが発生した.マグマ噴出率の変化と, cal BC 3,400以降の上井出扇状地における土砂堆積量の変化傾向は, おおむね一致していることが判明した. 上井出扇状地のYFM-K1期の場合, 大規模な降下テフラの発生が少なく, このため山体近傍に堆積する溶岩の供給量の変化は, 扇状地での堆積量の変化に大きく影響を与えていると考えられる. YFM-K2期については, 107m3オーダーのラハールが短時間に流出する現象が扇状地の形成に関与していた.
著者
松田 時彦
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.151-154, 1984-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
19
被引用文献数
4 6

The origin of the northward-convex structure in and around the South Fossa Magna, central Honshu is discussed in relation to the collision of the Izu Block on the Izu-Mariana arc with Honshu. The Izu Block has been pushing Honshu since the middle Quaternary when the collision occurred. The 15-30km contraction between the Izu Block and collided Honshu is presumed to have been consumed in the manner as follows: 1) internal deformation of the Izu Block, 2) thrusting, folding and uplift of the Neogene and Quaternary deposits in the South Fossa Magna, and 3) compressive uplift and strikeslip faulting dominant in central Japan outside the Fossa Magna.Geological evidences suggest that the convex structure of the Neogene of this region was formed, inheriting the pre-existing bend of the pre-Miocene terrains surrounding the South Fossa Magna and that the Quaternary collision of the Izu Block contributed to the compression of the region, though it did not strengthen the northward-convex structure significantly.
著者
久保 純子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.47-60, 2023-05-01 (Released:2023-05-16)
参考文献数
88

利根川と荒川は江戸時代初期には関東平野中央部で合流し,東京湾へ流入していた.現在の利根川は加須低地から鬼怒川下流低地へ本流を移し,また現在の荒川は荒川低地から東京低地に流下している.著者は東京低地の歴史時代・先史時代の地形変遷を皮切りに,利根川・荒川の近世以前の流路や年代を,低地の微地形を手がかりとして考察した.加須低地や中川低地では,かつての利根川河道は自然堤防や河畔砂丘などの発達が手がかりとなるが,渡良瀬川との合流や断片的に残る旧河道などについての解明が望まれる.荒川低地から東京低地にかけては大規模な蛇行流路跡が認められるが,歴史時代にそこに幹川があった記録は認められない.これは堆積物の組成や考古学的データから,利根川の幹川と考えることができ,その年代と河道変遷,流域の火山活動との関係などの解明が必要である.
著者
岡本 透 大丸 裕武 池田 重人 吉永 秀一郎
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.215-226, 2000-06-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
30
被引用文献数
6 8

下北半島北東部の太平洋岸には,砂丘砂や泥土に覆われたヒバの埋没林が各所に認められる.この埋没林の形成期は,約2,600~2,000年前,約1,000~850年前,約500年前,および現代である.調査地域に分布する砂丘砂中に認められる埋没腐植層の年代は,14C年代値と白頭山苫小牧火山灰の年代から,約5,300年前,約2,700年前,約1,000~900年前,約600~500年前,そして約200年前に区分された.埋没腐植層の年代により,調査地域に分布する砂丘の形成期は,約5,000年前以降,約2,500年前以降,約1,000年前以降,約600年前以降,約100年前以降と推定された.約2,500年前以降は,砂丘の形成期の年代とヒバ埋没林の形成期の年代とがほぼ一致するため,ヒバ埋没林の形成には砂丘砂の移動が大きく関与している.約2,600~2,000年前のヒバ埋没林は,その年代と分布から,約3,000~2,000年前の小海退にともなう砂丘砂の移動によって形成された.約1,000年前以降に形成された砂丘については,人為的影響によって形成された可能性がある.一方,調査地域周辺には,約700~500年前の製鉄遺跡が数多く分布し,江戸時代後期にも南部藩などによって製鉄が試みられている.砂鉄採取のための砂丘の掘り崩しや,製鉄用の木炭を得るための沿岸部における森林伐採といった人為的影響によって,約600年前以降と約100年前以降に砂丘砂の移動があった.それにともなって,約500年前,現代の年代を示すヒバ埋没林が形成された.
著者
柴 正敏
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.5, pp.249-257, 2014-10-01 (Released:2015-07-23)
参考文献数
28
被引用文献数
1 1

青森県で採取された縄文土器の化学組成について電子プローブマイクロアナライザーを用いて検討した.これらの土器に含まれる火山ガラスは,その化学組成により,金木凝灰岩(後期中新世),尾開山凝灰岩(鮮新世),洞爺テフラ(Toya, 後期更新世)および十和田八戸テフラ(後期更新世)に帰属される.これらの土器に含まれるガラスは一つのテフラのガラスからなることが一般的であることから,特定のテフラ層に由来するものと考えられる.今回,下北半島の不備無遺跡から出土した縄文土器から尾開山凝灰岩起源の火山ガラスが見出されたが,尾開山凝灰岩は青森県最北部の下北地域には分布しないことから,当該の土器は津軽地方で製作され,下北地域に運搬されたと考えられる.すべての縄文土器の基質部は,カオリナイトまたはハロイサイトまたはカオリナイト/スメクタイト混合層鉱物からなる.その他の粘土鉱物としては,後背地の地質の違いにより,イライト,緑泥石,イライト/スメクタイト混合層鉱物,コレンサイトがカオリン鉱物と共存する.
著者
河村 善也
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.1-12, 1992-02-29 (Released:2009-08-21)
参考文献数
34
被引用文献数
2 5

帝釈峡遺跡群に属する観音堂, 堂面, 穴神, 馬渡の4遺跡から産出した哺乳動物化石の層序学的な分布を, 現在までに得られた資料をもとにまとめた. これらの遺跡から産出した哺乳類の約69%は現在もこの地域に生息する種類で, その大部分は後期更新世の後半から連続してこの地域に生息していたものと考えられる. 一方, 全体の約19%は現在この地域には分布しないが, 他の地域には生息している種類で, これらは後期更新世から完新世にかけてのいろいろな時期に, この地域から絶滅したと考えられる. 残りの12%は絶滅種で, それらはすべて後期更新世末までに絶滅したと考えられる. 現在この地域に分布しない種類や絶滅種のこの遺跡群における消滅層準の年代は, 32,000から21,000年BPの間 (ヒョウ), 21,000から16,000年BPの間 (ニホンモグラジネズミ, ヒグマ属, ゾウ科の動物), 16,000から12,000年BPの間 (ニホンムカシハタネズミ, ブランティオイデスハタネズミ), 10,000年BP頃 (ヤベオオツノシカ), 6,000から5,000年BP頃 (オオヤマネコ) で, これらの年代は各種類の本州におけるおおよその絶滅時期と対応する可能性が高い.
著者
伊藤 剛 阿部 朋弥 宮川 歩夢
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.105-116, 2020-10-01 (Released:2020-10-15)
参考文献数
68
被引用文献数
4

西三河平野南西部の油ヶ淵低地で採取したボーリング試料中の更新統下部の礫層に含まれるチャート礫及び珪質泥岩礫から放散虫化石を抽出した.チャートの中亜角礫からペルム紀放散虫を,中亜角礫~亜円礫から三畳紀放散虫を,中角礫からジュラ紀放散虫を得た.これらの礫の供給源は,調査地域南方の渥美半島に露出するジュラ紀付加体秩父テレーンである可能性が最も高い.そして,重力異常(ブーゲー異常)に基づくと渥美半島と西三河平野南西部の間に大きな基盤の隆起帯が無いと推定されることから,礫層の堆積時(約100~80万年前)には渥美半島から西三河平野南西部に礫を供給しうる水系が存在していたことが示唆される.
著者
宮地 直道 能城 修一 南木 睦彦
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.23, no.4, pp.245-262, 1985-01-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
14
被引用文献数
2

The eastern and southeastern slopes of Fuji Volcano which are covered with Fuji 1707 Tephra lack subalpine coniferous forests. At three sites on the southeastern slope, geological and paleobotanical studies were made on the fossil forests buried under this tephra. This pyroclastic fall deposit ejected from the Hoei Craters of December 16, 1707 A.D. consists of a lower pumice bed (Ho-Ia) and upper scoria beds (Ho-Ib) in this area. The wood fossils and other plant macrofossils are buried in or beneath the Ho-Ia, which consists of many bombs and coarse pumice fragments, with a maximum thickness of 70cm. The occurrence of wood fossils and other plant macrofossils indicate that leaves, branches and stems were buried in that order in the lower pumice bed very rapidly. Most of the wood fossils were carbonized by the heat of the pumice fragments.The forests which existed until December 16, 1707 A.D. were reconstructed. At site MK-4 (1745-1785m in alt.), there were stands composed of subalpine conifers such as Abies veitchii, Tsuga diversifolia and Picea jezoensis, one stand of Larix and one small stand of deciduous broad-leaved trees, that were distributed in patches. At site MK-2 (1680m in alt.), there was a forest of Abies, Tsuga diversifolia, and Picea jezoensis with a few broadleaved trees. At site MK-5 (1630m in alt.), there was a forest of Abies, Picea jezoensis, and Picea cf. maximowiczii with a few montane-zone elements such as Pterocarya or Pourthiaea.These facts indicate that, prior to the eruption, subalpine coniferous forests and montane ones existed on the southeastern slope of Fuji Volcano, and that the boundary between the subalpine zone and the montane zone was at about 1650m in alt. around the three sites. The elevation of this boundary is lower than that of the present one on the southern slope of Fuji Volcano. Since then, the forests have been replaced by a Larix forest or a Quercus and Betula forest at sites MK-2 and MK-5 where the surfaces have become relatively stable; whereas, a volcanic desert still exists around site MK-4 situated in the course of an avalanche chute.
著者
西田 史朗 高橋 豊 竹村 恵二 石田 志朗 前田 保夫
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.32, no.3, pp.129-138, 1993-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
33
被引用文献数
3

琵琶湖周辺に位置する彦根市曽根沼, 比良山地の小女郎ヶ池湿原, 福井県鳥浜貝塚の湿原堆積層中で, 鬼界アカホヤ火山灰層の上位に存在する火山灰層について, 火山ガラスの主要元素組成と屈折率を測定したところ, それらが互いに対比できることが分かった. 一方, これらの測定値は, 伊豆半島カワゴ平火山を給源とするカワゴ平降下火山灰層の火山ガラスの主要元素組成と屈折率の測定結果ともよい一致をみる. すでに, カワゴ平降下火山灰層が東から西に飛んだ火山灰であると報告されていることから, 今回測定した火山灰層がカワゴ平降下火山灰層であると考えるに至った. カワゴ平降下火山灰層は3,000年BP前後の噴出と考えられるので, 伊豆半島から近畿地方にかけての地域で, 縄文時代後・晩期の有効なマーカーテフラの発見となる. 日本列島をおおう第四紀の広域火山灰層のほとんどは, その給源火山を分布域の西端近くにもつか, 西方に予想されてきたが, 上記の火山灰層については当てはまらない. カワゴ平降下火山灰層を西方に吹送するような日本列島に広く東風の吹く気圧位置として, 梅雨期と秋雨期, さらに本州沖を巨大台風がゆっくりと東進する場合が考えられる. 今回の気象条件は特定できないが, これらのいずれかとカワゴ平火山の噴火時期が一致して西方へ運ばれたと考えられる.
著者
近藤 洋一 間島 信男 野尻湖哺乳類グループ
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.89-104, 2023-08-01 (Released:2023-08-17)
参考文献数
73

野尻湖からナウマンゾウをはじめ多くの脊椎動物化石が発見されている.1962年の第1次野尻湖発掘から2018年の第22次発掘までに15,989点の資料が野尻湖発掘調査団によって得られた.本論では第1次発掘から第22次発掘の資料をもとに,タクサ別層準別化石数の特徴を明らかにした.臼歯化石については,野尻湖層立が鼻砂部層T4~T6ユニット(43.8~42.6 ka)が単位時間単位体積当たりの化石数が最も多いことが分かった.また,臼歯化石からナウマンゾウの層準別の最小個体数をもとめ,その変遷を明らかにした.その結果,年齢構成の特徴から,野尻湖におけるナウマンゾウが選択的な死による集団である可能性があることが判明した.
著者
平野 信一 中田 高 今泉 俊文
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.17-30, 1979-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
38
被引用文献数
3 8
著者
兵頭 政幸
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.1-20, 2014-02-01 (Released:2014-10-24)
参考文献数
101
被引用文献数
1 1

近年,地磁気逆転期の百年〜千年スケールの磁気・気候層序が明らかになってきた.大阪湾掘削コアの海水準プロキシは海洋酸素同位体ステージ(MIS)19の歳差周期シグナルをもつ.同コアでは,マツヤマ−ブリュンヌ(MB)逆転トランジションは海水準のハイスタンド19.3以前に小反転エピソードで始まり,ハイスタンド19.3とロースタンド19.2の間の海面低下期に終了する.終了直前には小反転が多発する.気候の最温暖化はMB逆転直後,最高海面の約4,000年後に起こる.同様のMB逆転磁場の特徴が中国レス,インドネシア・サンギランの更新統,歳差周期シグナルをもつ深海底堆積物の記録でも見られる.MB逆転直後の最温暖化はバイカル湖,ヨルダン峡谷,地中海沿岸でも起こっている.MIS31でも最高海面から4,000年遅れて地磁気逆転直後に最温暖化する.これら温暖化の遅れは,逆転期に増加した銀河宇宙線が誘起する寒冷化が最高海面付近で起こったことが原因の可能性が高い.
著者
北條 芳隆
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.97-110, 2017-06-01 (Released:2017-08-03)
参考文献数
44
被引用文献数
1

地理的情報処理技術の進展と天文考古学の導入によって,太陽の運行を見据えながら夏至の日の出に軸線を合わせた祭儀施設の存在や,火山の頂上に軸線を定める前方後円(方)墳の存在が指摘できる.これら新知見をふまえると,日本の古代社会は太陽信仰と火山信仰に依拠したことがわかる.このような遺跡と周辺景観の関係を重視する考古学の見方は,ジオパークの今後の展開にあたっても充分に活用可能である.
著者
亀井 節夫 ウルム氷期以降の生物地理総研グループ
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.20, no.3, pp.191-205, 1981-10-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
61
被引用文献数
18 23 27

This article deals with introducing some problems being debated by the members of the Research Group, relating to the fauna and flora of the Japanese Islands in the Last Glacial time. Though nowhere in Japan the precise chronostratigraphy of this age has been established yet, a tentative clasification based on litho- and biostratigraphy in central Japan by J. SAKAI and others is proposed with tephrochronology and radiometric dating. According to them, the Early stage began with the regression and advent of cold phase of ca. 65, 000yr.B.P., and further with the Middle stage chracterized by climatic ossilation, some peculiar warm phases were corporated. In the Late stage between 25, 000yr.B.P. and 10, 000yr.B.P. was intercalated the maximal cold phase of ca. 20, 000yr. B.P..Concerning the reconstruction of paleoenvironment, I. HIURA made biogeographical and ecological consideration by paying his attention to the species and subspecies distribution of non-dispersal plants and insects like as tribe ASAREAE and tribe CARABINI respectively. On the other hand, the vegetation of the Japanese Islands and its adjacent areas was investigated from the recent and Last Glacial plant geography by M. HOTTA and T. NASU respectively. They suggest significance of the distribution of plant communities to the seasonal structure of precipitation rather than to the temperature control. Summing up those results collectively, the environmental and vegetational studies on the Last Glacial seem to indicate the presence of more arid and extensive steppe-like environment which is absent in the present Japanese Islands.It is characteristic that some of the arctic mammals migrated into Honshu through northern land connection during the Last Glacial. Therefore, the mammalian fauna in that time was composed of arctic immigrants and temperate endemics, that is the mixed fauna. In this sence, that mixed fauna may resemble to the present of mammals in the Maritime Province (Siberia) and Manchuria of the continent. The immigration of those arctic mammals might be undertaken before the maximal phase of ca. 20, 000yr.B.P. In connection with this, the sea level change of those days was discussed. It may probable to say that the lowest sea level was -100m± as being discussed by M. HOSHINO and that the southern land connection did not happen at that time.