著者
田中 久夫 長谷川 正 木村 澄枝 岡本 郁栄 坂井 陽一
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.207-218, 1996-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
11
被引用文献数
7 10

新潟砂丘は10列の砂丘列からなり,その形成年代を遺跡をもとに,新砂丘I・新砂丘II・新砂丘IIIに区分できることを新潟古砂丘グループ(1974)は報告した.その後,砂丘地域の開発にともなって,多くの遺跡発掘調査が行われ,それに関連した調査・分析も行われてきた.また,砂丘およびその周辺で発見された遺物・遺跡については,新たな遺跡が発見されるごとに作成される新潟県教育委員会の市町村別遺跡カードおよび遺跡分布図をもとに,遺跡分布図を作成した.それらの結果,大略次の点を明らかにできた.1.新砂丘I-1より縄文時代前期初頭の遺物が,新砂丘IIより縄文時代後期の遺物が出土した.その結果,これらの砂丘形成は,新潟古砂丘グループ(1974)が述べたよりも古い時代であることが明らかになった.2.緒立,六地山の各遺跡の発掘で,沖積面下に埋没していた砂丘が確認された.それらの砂丘は,新砂丘IIに対比されるもので,これによって砂丘列のつながりが確かめられた.3.新砂丘I-4と新砂丘IIの砂丘砂には,自形をした角閃石,シソ輝石が多く含まれており,このことから砂丘砂の供給と沼沢火山の活動との関係が推定できた.
著者
横山 祐典
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.265-286, 2019-06-01 (Released:2019-06-28)
参考文献数
130

過去の気候変化を含めた環境変動のメカニズムを解明するには,正確な年代決定が重要となる.本小論では年代測定,特に放射性炭素を高精度で多数測定することで明らかになってきた新しい第四紀学的な知見についてレビューする.サンプリング手法の改良や分析装置の発展に伴い,わずかな試料でもこれまでよりも短時間で高精度の分析が行えるようになってきたことから,過去の氷床変動を含む気候変動やジオハザードに関する知見の深化が進んできた.特に筆者らの研究グループで取り組んできているプロジェクトについていくつか紹介しながら,その重要性にスポットをあてたい.
著者
田島 靖久 林 信太郎 安田 敦 伊藤 英之
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.151-171, 2013-08-01 (Released:2013-09-28)
参考文献数
48
被引用文献数
7

霧島火山の新燃岳では2011年に軽石を伴う噴火を起こした.新燃岳は,最近1万年間内に3回の軽石噴火をしているが,2011年噴火はこれらより短い間隔をもって噴火した.また,新燃岳の火口壁には複数の溶岩の露出が知られていたが,その噴出年代は解明されていない.そこで,新燃岳の長期的活動史を理解するために野外調査・年代測定・全岩化学分析を行い,テフラと溶岩の関係を考察した.その結果,既知のテフラ以外に4.5,2.7,2.3 cal ka BPにテフラ噴出があったことが新たに判明した.また,溶岩はテフラとの関係より牛のすね火山灰以前,新燃岳-新湯テフラ以前,新燃岳-享保テフラ以前,およびそれ以降に分けられる.新燃岳は,少なくとも 5.6~4.5 ka, 2.7~2.3 ka, 18世紀以降の3回の活発にマグマを噴出する活動的な期間と静穏な期間を繰り返しており,現在は活動的な期間に位置づけられる.
著者
外山 秀一
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.33, no.5, pp.317-329, 1994-12-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
41

遺跡の発掘調査や地形分析, プラント・オパール分析その他の成果に基づき, 縄文時代晩期~弥生時代の稲作農耕に関する諸問題を検討するとともに, 弥生時代~15・16世紀の土地条件の変化を明らかにした.稲作農耕文化を構成する要素のうち, イネ (Oryza sativa L. あるいは Oryza) に関する資料, すなわち籾殻圧痕土器や炭化米, プラント・オパールや花粉化石, そして水田址の検出状況を整理し, これらの波及の状況を検討した. その結果, それらの波及には時間的なズレが生じており, 初期の水稲作を大きく2段階に分けて考える必要がある. すなわち, 稲作農耕文化を構成する要素が徐々に波及する第I段階と, これらの要素が集まり稲作農耕文化として完成し, 本格的な水田造営がおこなわれる第II段階である. また, 水田址の増加の時期や分布の状況に地域的な差違がみられた. その原因の一つとしてイネの品種の違いが考えられ, 自然交配によって出現した早生種が, 弥生時代の比較的短期間のうちに東日本に拡大したとみられる.さらに, 弥生時代以降の土地条件の不安定な時期とその状況が明らかになった. 不安定な時期は, 弥生時代前期末~中期初頭, 弥生時代後期~古墳時代前期, 古代末, そして中世の15・16世紀のそれぞれ一時期である. こうした不安定な状況は河川流域の段丘の形成, あるいは洪水などによる地形の変化に対応している. また, 土地条件の変化は土地利用をはじめとする土地の開発の問題と密接に関わっている.
著者
中田 正夫 奥野 淳一 横山 祐典 長岡 信治 高野 晋司 前田 保夫
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.4, pp.315-323, 1998-10-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
31
被引用文献数
9 16

西九州には,縄文前期から縄文中期の水中遺跡が存在する.最終氷期の大陸氷床の融解に伴うハイドロアイソスタティックな地殻傾動は,これらの遺跡の沈水を定量的に説明することができる.これらの水中遺跡の分布は,地球の約250kmまでの深さの粘性構造に敏感に対応した事実を示している.この地域の海面変化の観測値と理論値を比較検討した結果,観測値を説明しうる粘性構造は,リソスフェアの厚さが30~50km,リソスフェア下200kmのアセノスフェアの平均的な粘性率が(8~20)×1019Pa sであることが判明した.つまり,アセノスフェアとその下の上部マントルとの粘性率のコントラストは有意ではなく,日本列島のような島弧域においても,発達した低い粘性率のアセノスフェアは存在しないことが示唆される.さらに,ハイドロアイソスタティックな地殻傾動に規定された後氷期の海水準変動は,空間・時間的に変化し,先史時代の居住地や生活様式を規定した可能性がある.
著者
吾妻 崇
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.29-42, 1997-02-28 (Released:2009-08-21)
参考文献数
21
被引用文献数
2 2

淡路島北部の活断層について,空中写真(縮尺約1/10,000)の判読に基づき,変位地形の記載および活動度の再評価を行った.写真判読の結果,釜口断層と蟇浦断層を新たに認め,各断層において低断層崖や水系の屈曲がみられることを明らかにした.また,当地域の活断層を3つの断層系(淡路島東縁断層系・西縁断層系・横断断層系)に分類した.楠本断層と野田尾断層では,山麓線より平野側に低断層崖が存在する.1995年以前には野島断層に沿ってそのような低断層崖はみられず,1995年以前の活動(約2,000年前)により形成された低断層崖は侵食され消失したと考えられる.断層の活動度は,断層を横切る水系の屈曲量(D,単位m)と断層よりも上流の長さ(L,単位m)を楠本・東浦・野田尾・釜口・野島断層について調べ,関係式D=aL(松田,1975)のaの値から評価した.その結果,東縁断層系では楠本断層よりも東浦断層の方が活動度が大きいこと,西縁の野島断層の活動度は東浦断層に匹敵することが明らかになった.今回新たに認められた釜口断層bは逆向き低断層崖と考えられ,東側の海底には逆断層の存在が推定される.淡路島横断断層系では,横ずれ変位地形は認められず,西縁断層系の隆起側花崗岩類ブロックの移動に関係した逆断層的な変形が段丘面にみられる.
著者
羽生 淳子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.54, no.5, pp.299-310, 2015-10-01 (Released:2015-12-19)
参考文献数
81
被引用文献数
4 5

考古学は,数百年以上にわたる長期的な文化変化の原因・条件・結果を検討するのに適した学問分野である.本稿では,歴史生態学とレジリエンス理論の視点から,生態システムと生業・集落システムの変化をモデル化する.出発点は,生業の専業化と食の多様性の喪失が,システムのレジリエンスの低下につながるという仮説である.この仮説に基づき,東日本における縄文前期〜中期文化の盛衰について,青森県三内丸山遺跡の事例を,食と生業の多様性と生業・集落システムのレジリエンスの観点から検討する.石器組成の多様性が食と生業の多様性を反映していると仮定した場合,得られた分析結果は,食と生業の多様性の喪失がシステムのレジリエンスの低下につながるとする仮説と矛盾しない.このようなアプローチは,多様性維持と環境負荷軽減の問題を重視し,人間と環境の新しい相互関係性の構築を考えるための学際的研究への糸口となり得る.
著者
那須 浩郎
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.57, no.4, pp.109-126, 2018-08-01 (Released:2018-08-25)
参考文献数
137
被引用文献数
1 7

本論文では遺跡から出土したダイズ,アズキ,ヒエ属の種子サイズデータを集成し,縄文時代における形態上のドメスティケーション(種子の大型化)の過程を検討した.ダイズとアズキは6,000年前頃から4,000年前頃にかけて中部高地と関東地方西部地域(諸磯・勝坂式土器文化圏)において出土数が増加し,現在の野生種よりも大型の種子が出現していた.この種子の出土数の増加と大型化は,当時の人口増加と連動していた可能性があり,この時期に形態上のドメスティケーション(種子の大型化)が始まったと考えられる.しかしながら,この時期には小型の種子も依然として見られ,大型の種子をつける品種がまだ定着していなかったか,野生種の採集も継続していた可能性がある.4,000年前以降になると中部高地からは大型種子が見られなくなり,その代わりに九州地方や西日本で見られるようになる.この時期には大型種子の品種が定着し,栽培されていた可能性が高い.ヒエ属についても,東北地方北部で6,000年前頃,北海道渡島半島で4,500年前頃に,時期は異なるものの,同じ円筒式土器文化圏で大型種子が一時的に見られる.この大型化はそれぞれの時期の人口増加と連動しており,この時期に一時的な形態上のドメスティケーションが起きていた可能性があるが,その後は10世紀まで大型種子が見られない.10世紀以降には小型の種子も少なくなることから,この頃にヒエ属の大型種子が定着したと考えられる.
著者
井関 睦美
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.215-221, 2012-08-01 (Released:2013-06-14)
参考文献数
27

アステカ王国は1428年から1521年まで,メキシコ盆地を中心に繁栄を極めた.その歴史の中でも,モテクソマ1世の治世(1440~1469年)は最も大きな社会変動期であった.1440年代には自然災害頻発し,1450年からの5年間,異常気象による大飢饉が続いた.食糧の備蓄は底をつき,疫病が蔓延し,多くの民衆がメキシコ盆地を去り,王国は存亡の危機に瀕した.これを機に,王国は旱魃被害の少ないメキシコ湾岸地方を攻略した.主都近郊では耕作地の開拓と水道橋建設を進め,災害対策を拡充した.また繰り返し起こる旱魃を理由に,伝統儀礼を再編し,メキシコ盆地における宗教的・政治的支配力を誇示する機会に利用した.その結果,アステカ王国は急速にその勢力を拡大していった.本稿では,異常気象の記録史料を近年の年輪気候学研究の成果と照合し,自然災害の社会的影響と王国の対応策を分析し,アステカ社会における環境認識の変容を考察する.
著者
富田 国良 苅谷 愛彦 佐藤 剛
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.11-22, 2010-12-01 (Released:2012-03-27)
参考文献数
38
被引用文献数
5 7

飛彈山脈南部の蝶ヶ岳(標高2,664 m)の東面には,圏谷状の急斜面と堆石堤状の低丘からなる一連の地形が存在する.これらの地形の成因について,氷河説と崩壊説の2つの対立意見があったが,決着はついていなかった.筆者らは野外地質記載と地形分析に基づき,一連の地形の最終成因を再検討した.堆石堤状の低丘の周辺には,厚さ100 mを超える角礫主体の堆積物が分布する.砂岩・泥岩からなる角礫は著しく破砕・変形しており,堆積物全体が砂~シルト・サイズの基質に支持される.一方,堆積物に流水運搬・堆積を示す構造は認められず,ティルやアウトウオッシュとも異なり,亜角礫や亜円礫はほとんど含まれない.また,一連の地形をとり囲む稜線の上やその下方の谷壁には,岩盤クリープやトップリングの発生を示唆する線状凹地やバルジが発達する.こうした状況から,一連の地形は大規模崩壊で形成されたとみるのが合理的である.残存する崩壊堆積物の総量は約3.2×107 m3に達する.蝶ヶ岳の近傍に存在する活断層・活火山や,当山域に卓越する多雨多雪気候は,崩壊の発生に好適な条件を提供してきたと考えられる.崩壊の誘因と発生時期は未詳である.
著者
林 成多
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.35, no.4, pp.305-312, 1996-10-31
参考文献数
19
被引用文献数
3 5

前橋台地に広く分布する前橋泥炭層(約14,000~13,000年前)からは,おもにネクイハムシ類やゲンゴロウ類などの湿地性の甲虫類の化石が産出する.産出した昆虫化石について検討した結果,北方系のゲンゴロウ類であるクロヒメゲンゴロウ属<i>Ilybius</i>の一種が得られた.本標本は,クロヒメゲンゴロウ属では1種のみ本州に分布するキベリクロヒメゲンゴロウ<i>I.apicalis</i>とは形態が異なるため,北海道を中心に分布するクロヒメゲンゴロウ属(3種)と,形態が類似しているマメゲンゴロウ属の大型種(1種)との比較を行った結果,ヨツボシクロヒメゲンゴロウ<i>I.weymarni</i>であることが明らかになった.さらに,ヨツボシクロヒメゲンゴロウは,最終氷期の寒冷気候を示す気候推定の指標性昆虫であることを示し,生息していた古環境について考察した.
著者
豊島 吉則
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.14, no.4, pp.221-230, 1975-12-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
16
被引用文献数
5 5

Most of the San' in sand dunes are those of‘dune ridge’(dune on the beach ridge) type which was proposed in the essay of D.W. JOHNSON (1919). So called‘old dunes’are not the simple dunes but old dunes on the old beach ridge and beach berm which formed at +25m former sea level. These old sand deposits were covered with brown soil and dissected and excavated by the wind and stream. The old sand dunes were formed on these marine deposits and brown soil and then covered with red soil, grey clay and Daisen middle volcanic ashes. New sand dunes which formed in Holocene are well developed everywhere along sandy coast. In Kyuhin penninsula three curved beach ridge groups are clearly recognised on which three new sand dunes were developed. These new dune ridges are widespread and their zonal or linear pattern are useful for analyzing dune formation history. New dune Ia and Ib are discovered under the black sand a and b respectively along inland part of the dune pattern. The New dune IIa, IIb and IIc are found near the present shoreline. These new dunes seem to have been formed after Jomon, Heian and very recent transgressions, respectively.
著者
島田 和高
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.54, no.5, pp.219-234, 2015-10-01 (Released:2015-12-19)
参考文献数
68
被引用文献数
2 3

上部旧石器時代における中部高地産黒曜石利用に関する研究は,関東平野部など居住地での消費過程に焦点を当てることが多く,中部高地原産地における人類活動の実態と歴史的変遷については十分に議論されていない.本論は,中部高地原産地における上部旧石器集団による土地利用の歴史的変遷を復元する.そのために,以下の三種類の編年を構築ないし援用する.1)中部高地石器群の上部旧石器編年からみた石器群分布の変化,2)黒曜石産地分析のデータベースに基づく中部・関東地方全域における産地別黒曜石利用の変動,3)中部高地の古気候・古植生編年.これらの相関を比較検討した結果,36,000calBP以降の最終氷期における中部高地原産地土地利用の歴史的変遷には,気候要因により隠匿された見かけの遺跡分布や土地利用への規制が生じていることに加え,文化的・社会的な適応による土地利用の変化が認められた.
著者
成尾 英仁 中摩 浩太郎 渡部 徹也 鎌田 洋昭 西牟田 瑛子 松崎 大嗣
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.58, no.2, pp.211-228, 2019

<p>薩摩半島南東端に位置する開聞岳(924m)では,平安時代の貞観十六年(AD 874)と仁和元年(AD 885)に噴火が発生した.開聞岳東方の指宿市街地に位置する敷領遺跡・橋牟礼川遺跡では,貞観十六年テフラに対比されるKm12a3~4(紫コラ)下位から,噴火で被災した遺構・遺物が発見されており,噴火災害の様相と当時の人々の対応が明らかになってきた.本論では,遺跡内外でのKm12a3~4の堆積状況と「日本三代実録」の記録とを対比し,居住地域や耕作地が埋没するなどの災害が生じたこと,噴火途中で降雨によるラハールが発生したことなど,記録と発掘結果が整合することを示した.Km12a3~4が厚く堆積した地域では,噴火後に復旧作業を実施しなかったか,途中で断念し集落を完全に放棄した.一方,分布主軸からはずれた地域では復旧がなされ,噴火後の政治・経済の中心となったと推定される.</p>
著者
青木 かおり 入野 智久 大場 忠道
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.391-407, 2008-12-01 (Released:2012-03-26)
参考文献数
45
被引用文献数
22 49

本研究は,鹿島沖から採取された長さ約46 mのMD01-2421コアに介在する23枚のテフラについて,岩石学的記載と火山ガラスの主元素組成分析を行い,既知のテフラとの対比を試みたものである.その結果,九州起源のATとAso-4,御岳山を給源とし中部~東北地方に広く分布するOn-Pm1,北関東に分布するAg-KP,南関東に分布するHk-TP,立山カルデラ起源のTt-D,福島県南部と茨城県北部で対比されているNm-Tgが同定された.また,本コアで得られている高分解能の底生有孔虫の酸素同位体層序を使用して,各テフラの噴出年代を算出し,SPECMAP年代に伴う誤差も合わせて示した.対比された7枚のテフラの噴出年代を,報告されている放射年代や花粉分析や海水準変動史から予想されていた噴出年代と比較して議論した.これらはMIS 6.3以降の中部から東北地方南部の標準となるテフラ層序を提供するものである.
著者
関根 達人
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.193-203, 2014
被引用文献数
5

現在,北海道・北東北の縄文遺跡群の世界遺産登録を目指した活動が進行している.三内丸山遺跡の調査以降,青森県は縄文の遺跡の宝庫として広く認知されるようになったが,三内丸山遺跡や是川遺跡といった著名な遺跡が注目される一方,他県と比べ縄文遺跡が多いのか少ないのか,時期毎の増減はどうなっているのかといった基本情報は必ずしも明確にされないまま,集落論が語られてきた.個々の遺跡の発掘調査データに立脚したミクロな分析の積み上げは確かに重要だが,同時に文化財保護行政資料として作成された遺跡地名表・遺跡地図データを学問の俎上に載せ,マクロな視点からそれぞれの地域の縄文遺跡の特徴を大掴みで把握することも必要であろう.本稿では,青森県遺跡地図情報から時期毎・地域毎の遺跡数を集計し,それと青森県内で検出された竪穴住居跡数の集計情報を重ね合わせた上で,宮城県の遺跡数との比較を行うことにより,縄文時代の遺跡数や人口規模の変遷を検討した.
著者
貞方 昇
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.24, no.3, pp.167-176, 1985-10-15 (Released:2009-08-21)
参考文献数
32
被引用文献数
6 9

The landform of the Chugoku mountains was transformed considerably in some places by the unique mining method called Kannanagashi between about 1600 and 1923. Kannanagashi is the method by which workers cut out a large quantity of weathered rock and wash out with running water the small amount of iron sands contained therein.This paper aims at discussing the landform transformation caused by Kannanagashi and the associated formation of the alluvial plains in the four river basins of the Sanin district.It is fairly easy to distinguish a Kannanagashi site (stope) from other kinds of landforms because it is characterized by unnatural cliffs, ditches and artificially cut hills. Numerous stopes are seen in the middle and upper river basins. Many of them are, in particular, concentrated into several parallel belts extending in an ENE-WSW direction (Fig. 2). Such densely distributed areas correspond with the places having the following three natural conditions: where granitic rock with iron sands such as granodiorite or diorite is distributed; where a deep weathered crust on an erosion surface has developed; and where plenty of water for Kannanagashi is available.The total area of the scopes is estimated to be 7.8×107m2. It occupies nearly 4 percent of the area of the middle and upper river basins. The approximate volume of the waste earth discarded as a result of Kannanagashi is estimated at between 3.8×108m3 and 5.4×108m3.The outflow of a large volume of waste earth into the rivers has caused the expansion of the delta fronts in the Hii and Iinashi Rivers and the widening of the sand-bar in the Hino River. Six borings drilled in the fan-like delta of the Iinashi River reveal a sand-and-gravel bed nearly 4 meters thick covering a deep silt-and-clay bed containing organic matter and fossil shells throughout. The upper bed is mainly composed of angular granitic particles and a number of iron slags which were thrown away by the iron works and the blacksmiths. This facies shows that the fan-like delta of the Iinashi River has been formed mainly by sediments from waste earth discarded as a result of Kannanagashi.
著者
春成 秀爾
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.6, pp.517-526, 2001-12-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
36
被引用文献数
1 2

自然環境の変化,大形獣の絶滅と人類の狩猟活動との関連,縄文時代の始まりの問題を論じるには,加速器質量分析(AMS)法の導入により精度が高くなった14C年代測定値を較正して,自然環境の変化と考古学的資料とを共通の年代枠でつきあわせて議論すべきである.後期更新世の動物を代表する大型動物のうち,ナウマンゾウやヤベオオツノジカの狩猟と関連すると推定される考古資料は,一時的に大勢の人たちが集合した跡とみられる大型環状ブロック(集落)と,大型動物解体用の磨製石斧である.これらは,姶良Tn火山灰(AT)が降下する頃までは顕著にその痕跡をのこしているが,その後は途切れてしまう.AT後は大型動物の狩りは減少し,それらは15,000~13,000年前に最終的に絶滅したとみられる.その一方,ニホンジカ・イノシシは縄文時代になって狩猟するようになったとする意見が多いが,ニホンジカの祖先にあたるカトウキヨマサジカが中期更新世以来日本列島に棲んでいたし,イノシシ捕獲用とみられる落とし穴が後期更新世にすでに普及しているので,後期更新世末にはニホンジカおよびイノシシの祖先種をすでに狩っていた可能性は高い.縄文草創期の始まりは,東日本では約16,000年前までさかのぼることになり,確実に後期更新世末までくいこんでおり,最古ドリアス期よりも早く土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧に代表される神子柴文化が存在する.同じような状況は,アムール川流域でも認められている.また,南九州でも,ほぼ同じ時期に土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧(栫ノ原型)に加えて石臼・磨石の普及がみられ,竪穴住居の存在とあわせ定住生活の萌芽と評価されている.豊富な植物質食料に依存して,縄文時代型の生活がいち早く始まったのであろう.しかし,東も西も草創期・早期を経て約7,000年前に,本格的な環状集落と墓地をもつ定住生活にいる.更新世末に用意された新しい道具は,完新世の安定した温暖な環境下で日本型の新石器文化を開花させたのである.