著者
森脇 広 松島 義章 町田 洋 岩井 雅夫 新井 房夫 藤原 治
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.253-268, 2002-08-01
被引用文献数
2 7

姶良カルデラ北西縁の平野を対象に,完新世の地形発達および相対的海水準変動,地殻変動を,地形と堆積物の観察,<sup>14</sup>C年代測定,テフラ分析,考古遺跡,貝化石と珪藻化石の分析結果にもとづいて検討した.3面に区分される完新世海成段丘は,それぞれ7,300cal BP(6,500yrs BP)~3,500yrs BP,3,000~2,000BP,古墳時代(1,500cal BP)以降に形成された.姶良カルデラ周縁では,カルデラ中心部へ向かって傾き上がる傾動隆起が生じ,その隆起量は7,300cal BP(6,500yrs BP)以降,最大10m以上に達する.この地域の海面高度は8,700cal BP(8,000yrs BP)頃には現海面高度にあり,現海面上4~5m(8,500~8,400cal BP:7,700yrs BP頃),現海面上6m(8,100cal BP:7,300yrs BP頃)を経て,7,300cal BP(6,500yrs BP)頃に現在の海抜12mの高さに達した.その後,海面は次第に低下し,現海面上5~7m(3,000~2,000yrs BP),現海面上2~3m(1,500cal BP)を経て現在に至った.この特異な相対的海水準変動は,姶良カルデラの火山活動に伴う地殻変動が影響しているとみられる.8,100~8,000cal BP(7,200~7,300yrs BP)には,海進は内陸深く及び,溺れ谷が形成された.この時期,米丸マールを形成したベースサージは,別府川流域の内湾を大きく埋積した.その後,汀線は段階的に前進し,縄文時代後期(3,500yrs BP頃)には現在の海岸に近い位置にまで達した.約8,000~7,000cal BP(約7,300~6,000yrs BP)の時期に,池田カルデラ,桜島,鬼界カルデラでも大規模な噴火が起こり,縄文海進最盛期に形成された南九州のリアス式海岸は急激に変化した.
著者
小池 克明 西山 孝 石田 志朗 藤田 和夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.29, no.5, pp.395-404, 1990
被引用文献数
4 1

Facies analysis of sediments based on the boring database systems of the Osaka, Kyoto, and Kameoka basins situated in the central part of the Kinki district, Japan, have been carried out to correlate their subsurface sediments. The analytical method is the one which calculates the appearance percentage of clay, sand, and gravel at the same elevations and at 0.5m intervals in each of the basins, and then smooths these data using the moving average method for 21 terms. As a result, it has been revealed that the fluctuations in the appearance percentage of clay in the Osaka basin occur with a frequency very similar to the fluctuations of oxygen-isotope ratio in the upper part of core V28-239 raised from the Solomon Rise at lat 3°15′N, long 159°11′E from a depth of 3, 490m. Furthermore, the fluctuation patterns of the appearance percentage of gravel in each of the basins are similar to one another, which suggests a common sedimentation related to the global paleoclimate in the basins of the same drainage system.<br>Spectral analysis using the Maximum Entropy Method (MEM) reveals that the appearance percentage of clay and sand in the Osaka basin each have a preeminent period of about 30m, while gravels in the northern part of the Kyoto basin and the Kameoka basin have a 12-13m period in common.
著者
大村 明雄 伊勢 明広 佐々木 圭一 新坂 孝志 長谷部 由美子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.195-207, 1995-08-31
被引用文献数
5 6

最近のウランおよびトリウム同位体分析への質量分析計技術の導入は,<sup>230</sup>Th/<sup>234</sup>U年代測定法の精密化とともに,必要試料の大幅減量や適用範囲の<sup>14</sup>C法による測定年代域への拡張も可能にした.一方,従来のαスペクトル法でも,測定機器類の計数効率や安定性の向上と,試料の放射化学的処理法の改良によって,測定誤差がTIMS法の4~5倍にまで改善された.今では,最終間氷期最盛期相当の測定値(約125ka)の誤差が,95.5%の確率を意味する2σの統計誤差で表示しても,TIMS<sup>230</sup>Th/<sup>234</sup>U法では約1ka(1%),αスペクトル法でもおおよそ5ka(4%)と,以前に比べ格段に小さくなった.しかし,そのような年代値を,みかけ上誤差が小さいからというだけで,そのまま信用することはできない.本論では,真に信頼できる年代値を得るには,最良の試料を用いることが不可欠であるという立場から,試料が<sup>230</sup>Th/<sup>234</sup>U法固有の前提条件と必要条件を満たすことを検証するための方法を提示し,さらに<sup>230</sup>Th/<sup>234</sup>U法の信頼性を高めるための方策を論じた.
著者
閻 順 穆 桂金 Xiu Yingqing ZHAO Zhenghong 遠藤 邦彦
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.36, no.4, pp.235-248, 1997-10-31
被引用文献数
2 4

タリム盆地の東端に位置するロプヌール低地において,K1ボーリング・コアを採取し,主として花粉分析に基づいて当地域の第四紀環境変化を明らかにした.約100mのコアは,前期更新世以来のおもに泥質堆積物からなり,深度66.2mに前期および中期更新世を分ける不整合が存在する.前期更新世のこの地域は森林-草原の環境下にあったが,中期更新世以後,砂漠-草原と砂漠環境が繰り返す環境に置き代わった.湖沼の発達はおそらく更新世初期の頃まで遡るものと考えられる.トウヒ属花粉および総樹木花粉数が前期更新世に高い出現率を示すことは,当時ロプヌール地域は比較的湿潤で,近くに森林が存在していたことを示唆する.乾燥環境は中期更新世のはじめ頃に始まり,完新世にはきわめて乾燥した条件が支配的となった.
著者
奥野 充 小林 哲夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.33, no.2, pp.113-117, 1994
被引用文献数
1 4 8

種子島には阿多 (Ata), 鬼界葛原 (K-Tz), 姶良Tn(AT)などの後期更新世テフラが分布する. 長岡 (1988) は, K-TzとATの間に種I火山灰, 種II軽石, 種III火山灰を記載している. 筆者らは, 種IIの上位に2枚の火山灰層を認めたので, これらを下位から種III火山灰, 種IV火山灰と呼ぶ. 種Iは橙色の細粒降下火山灰, 種IIは淡黄褐色の降下軽石であり, 両者とも種子島北部に分布する. 種III火山灰と種IV火山灰は, 黄褐色~橙色の細粒降下火山灰で, どちらも種子島全域に分布する. 噴出年代は, K-TzとATとの層位関係から, 種Iと種IIが65ka, 種IIIが45ka, 種IVが35kaと推定される. 斑晶鉱物の組合せ, 斜方輝石(γ)の屈折率および層位から, 種IIは阿多カルデラ周辺に分布する唐山スコリア (Nagaoka, 1988) に対比される.
著者
棚田 俊收
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.6, pp.461-467, 1999-12-01

神奈川県温泉地学研究所によって決定された1990年から1998年の9年間の震源データを用いて,「神奈川県西部地震」の想定震源域である相模湾北西部における地震活動と地質構造との関係について考察した.<br>地震活動の高い地域は,神奈川・山梨県境や箱根火山のカルデラ内に分布し,それぞれ丹沢山地の隆起運動や箱根火山の火山活動に関連していると見られている.箱根古期外輪山の山麓東部では,地震が深さ10~20kmに発生しており,震源の深さは箱根火山中央火口丘から山麓東部へと行くに従って徐々に深くなっている.この特徴は,火山体近くの熱的構造を反映し,地震発生層の厚み変化を表していると考えられる.<br>一方,伊豆地塊の衝突によって形成された足柄山地や,断層で囲まれた大磯丘陵,湯河原や多賀火山等の第四紀火山地帯では,地震活動は相対的に低い.また,神縄断層や国府津-松田断層などの活断層付近では,浅い地震は観測されていない.
著者
辻 誠一郎 南木 睦彦 大沢 進
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.22, no.4, pp.279-296, 1984
被引用文献数
5 13

相模地域の後期更新世の大型植物化石・花粉化石群集を記載し, 植物群と植生, および古環境を論じた.<br>植物分類・地理学上注目すべきイワヒバ・カラマツ・トウヒ各属の大型植物化石の形態を記載した. このうちトウヒ属は, トウヒ, ヒメバラモミの2種とトウヒ属A・B・Cの3型に分けられた.<br>主に, スギおよびヒメバラモミからなる冷温帯針葉樹林が約9万-6万年前に優勢であった. これは上部冷温帯の年降水量の多い湿潤な気候を示す. 約6万-5.5万年前の三崎海進を通じての植生は, 冷温帯のナラ類林の拡大によって区別される. これは年降水量の少ない比較的温暖な気候を示す. 約5.5万-5万年前の主にヒメバラモミとカラマツ属からなる亜寒帯ないし冷温帯針葉樹林は, 関東地方で従来知るかぎり後期更新世における最初の寒冷気候を示す. この時代は立山で確認された室堂氷期にあたる. 亜寒帯針葉樹林と冷温帯落葉広葉樹林の間の移行的な混交林が約1.6万-1.3万年前に優勢であった. このような森林は更新世末期の南関東に分布拡大していたと思われる. この時代の富士山東麓における亜寒帯針葉樹林の下降は1,000m以上であった.<br>(地名)<br>Eda 荏田<br>Ekoda, Egota 江古田<br>Iseyamabe 伊勢山辺<br>Kyuden 給田<br>Nippa 新羽<br>Rengeji 蓮花寺<br>Shijuhasse River 四十八瀬川<br>(地層名)<br>Kissawa L. 吉沢ローム層<br>Younger L. 新期ローム層<br>Anjin Pumice 安針軽石
著者
北村 晃寿 坂口 佳孝
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 = The Quaternary research (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.63-68, 2004-02-01
被引用文献数
2

函館湾で採取した堆積物コア試料から,小球状ガラス物質(直径0.5~2.0mm)と石炭粒子を含む級化層理の発達した細礫~砂層を見つけた.函館湾周辺には石炭層が露出していないことと,形態的特徴から小球状ガラス物質は熔融した物質が急冷固結したものと推定されることから,我々は小球状ガラス物質と石炭粒子を1945年の函館空襲による大型船舶の被弾・大破炎上時に放出されたものと考えた.そして級化層は,それらが1954年の洞爺丸台風時の暴浪によって再移動と淘汰を受け,類似した水理特性を持つほかの砂粒子とともに再堆積したものと解釈した.このストーム堆積物は,函館湾の堆積物から過去数百年間の気候・環境変動を解読するために重要な年代マーカーとなりうる.
著者
成瀬 敏郎 酒井 均 井上 克弘
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.295-300, 1986
被引用文献数
12 13

我が国に分布する土壌のうち, 火山灰土 (クロボク土), 古砂丘下に埋没する古土壌, 玄武岩台地や海成段丘上にのる土壌, 南西諸島の赤黄色土など, 北海道から与那国島にかけての地域で20試料を採取した.<br>試料土壌中に含まれる微細石英 (1~10μm) は, 10~30%と多く, この微細石英の起源を明らかにするために石英の酸素同位体比 (<sup>18</sup>O/<sup>16</sup>O) を求めた.<br>その結果, 完新世に生成された火山灰土や黄色土中に含まれる微細石英の<sup>18</sup>Oは15.4~15.9‰であり, これまで行われた研究の結果とほぼ一致した. 最終氷期に生成された土壌についても, ほぼ同様の値が得られ(δ<sup>18</sup>O=14.1~15.5‰), これも, 従来の研究の結果とほぼ一致した.<br>以上のことから, 我が国には最終氷期, 後氷期を通じて頻繁に風成塵が飛来し, また雨水や雪にともなって降下堆積し, 土壌の母材になったことが明らかとなった.
著者
北場 育子 百原 新 松下 まり子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.181-194, 2011
被引用文献数
1

奈良盆地西部の生駒市高山町稲葉に分布する大阪層群海成粘土層Ma2層から産出した花粉化石と大型植物化石に基づき,Ma2層が堆積した前期更新世MIS 25の古植生と古気候を推定した.当時の植生は,ブナ属やコナラ亜属を主体とする落葉広葉樹林が卓越していた.植物化石群のうち,最も温暖な地域に生育するハスノハカズラと,最も冷涼な地域に生育するサワラの分布域の気候から,当時の奈良盆地西部の気温条件を年平均気温約10~13℃と推定した.Ma2層に含まれるブナ属殻斗化石は,小型で基部が隆起する殻斗鱗片から,シキシマブナと同定した.微分干渉顕微鏡による観察から,シキシマブナ由来である可能性が高い同層準のブナ属花粉は,小さな粒径と粗い表面模様を持つ点で,現生のブナ属と異なることがわかった.また,奈良盆地と大阪湾周辺のMa2層のメタセコイア化石産出状況を比較・再検討した結果,大型植物化石の産出の有無や花粉の産出率に地域差があることが明らかになった.
著者
白石 建雄 新井 房夫 藤本 幸雄
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.21-27, 1992
被引用文献数
4 10

秋田県男鹿半島の上部更新統潟西層から阿蘇4火砕流 (Aso-4pfl) および三瓶木次軽石 (SK) 由来の漂流軽石と阿蘇4火山灰 (Aso-4) が発見された. SK漂流軽石は模式地の潟西層最上部付近に含まれ, Aso-4pfl由来の漂流軽石はAso-4直上に存在する. このことにより, 潟西層は関東地方の下末吉層より新しく, ほぼ小原台期に対比されること, ならびにSKおよびAso-4が堆積した7~9万年前には日本海を北上する海流があったことが明らかになった. また, 男鹿半島で下末吉層相当層と下末吉段丘に対比される段丘を確定することがこれからの課題となった.
著者
石橋 克彦
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2, pp.105-110, 1984
被引用文献数
2 17

The coseismic vertical crustal movements in the Suruga Bay region, the Philippine Sea coast of central Japan, during three historical large earthquakes are briefly reviewed with special reference to the late Quaternary seismic crustal movement in the region. According to abundant historical documents, at the time of the 1854 Ansei-Tokai earthquake of magnitude around 8.4, many places on the west coast of Suruga Bay were remarkably uplifted, whereas the east coast was scarcely displaced or slightly subsided. The general pattern of that crustal deformation strongly suggests that the earthquake was basically due to a large-scale thrust faulting along a plane dipping westerly from the Suruga trough running north-south in the middle of the bay so far as the eastern part of its rupture zone is concerned. The pattern of the 1854 coseismic crustal deformation is generally in good harmony with the distribution of late Quaternary tectonic landforms, submarine topography and active faults in the Suruga Bay region, which implies that the 1854-type faulting has recurred many times during the late Quaternary due to the northwestward underthrusting of the Philippine Sea plate at the Suruga trough. There is no positive record of uplift nor subsidence concerning the coseismic crustal deformation in the Suruga Bay region at the time of the 1707 Hoei earthquake of magnitude around 8.4, which is considered on the basis of macroseismic and tsunami data, to have been basically an 1854-type faulting so far as the Suruga Bay region is concerned. At the time of the 1498 Meio earthquake of magnitude around 8.6, which is also considered on the basis of macroseismic and tsunami data, to have been basically an 1854-type faulting so far as the Suruga Bay region is concerned. a point on the west coast of Suruga Bay considerably subsided. This subsidence is interpreted as deformation of the hanging-wall side of the 1854-type reverse faulting. The difference among the coseismic vertical crustal movements on the west coast of Suruga Bay in 1854, 1707, and 1498 suggests that secondary reverse or normal faults on the hanging-wall side of the main thrust contribute much to the surface deformations and that these subsidiary faultings do not always accompany the plate boundary main ruptures. These features of coseismic crustal deformations in the Suruga Bay region should be taken into account in the morphotectonic investigation of the region.
著者
白石 建雄 竹内 貞子 林 信太郎 林 聖子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.27, no.3, pp.187-190, 1988
被引用文献数
1 4

A thin volcanic ash intercalation was found in a 0.2 to 1.4m thick peat layer in the basal part of the sedimentary layer, provisionally named the Hakoi Formation, unconformably overlying the Katanishi Formation; this formation yielded warm, near-shore marine and brackish water fauna and flora and has been correlated with the Last Interglaciation in the glaciated regions. The refractive index of glass shards of the ash (1.499-1.501) coincides with the Aira-Tn ash (AT), and the glass has almost the same major element composition as the AT detected in Dekizima, western Aomori Prefecture. The carbon-14 age of fossil wood from a horizon slightly above the ash is 15, 470±620y.B.P. (I-14, 646). These characteristics indicate that the ash is Aira-Tn ash, ejected from the Aira Caldera, southern Kyushu, the most prominent marker tephra of the Late Pleistocene in Japan. The pollen assemblage of the peat indicates a cold climate during the time of deposition of the ash.
著者
長岡 信治
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.25, no.3, pp.139-163, 1986
被引用文献数
7 13

The Miyazaki Plain has the best-developed late Quaternary terraces and deposits in Kyushu. But the landform evolution of this plain has not been investigated in detail in previous works. This study tephrochronologically describes the landform evolution in late Pleistocene.<br>Thick weathered tephra layers overlying the terrace surfaces are subdivided into an older and a younger groups. The younger tephra group, which has been deposited in the last ca. 100, 000 years, contains many marker tephra layers, in ascending order, Ata, K-Tz, FkP and Aso4 of 90, 000-70, 000y.B.P., ; AyP, IwtP, IwP, AwS, HnS II and OtP of 60, 000-30, 000y.B.P.; OsP, ItoPfl, AT and KbP of 22, 000-15, 000y.B.P.; and Ah of 6, 000y.B.P.<br>The older tephra group covers the higher terrace group of middle Pleistocene. The younger group covers the following lower terrace surfaces, in descending order: the Sanzaibaru surface, the Karasebaru surface, the Nyutabaru I, II, III surfaces, the Saitobaru I, II surfaces, the Toyobaru I, II surfaces, the Oyodo surface, the Kunitomi I, II surfaces, the Mikazukibaru I, II surfaces, and the Holocene terrace surface group.<br>Of many terrace surfaces in the Miyazaki Plain, the Sanzaibaru surface is the most extensive one. It is mostly of marine origin, composed of thick transgressive deposits called the Sanzaibaru Formation and lithologically subdivided into three members. The lower member is fluvial gravelous deposit in the regressive stage. The middle member consists of alternating beds of sand and silt with fossils of mollusccs that lived in the embayment of a warm sea in the transgressive stage. The upper member is sandy deposit of deltaic and beach conditions in the maximum stage of the transgression. On the Sanzaibaru surface, the upper member forms sand ridges which are inferred to have been bars, barriers and dunes.<br>The oldest marker tephra layer on the Sanzaibaru surface is the Ata ash which erupted from the Ata caldera ca. 90, 000-80, 000y.B.P.. The Sanzaibaru surface underlying the Ata ash is thought to have emerged ca. 100, 000y.B.P., in the Last Interglacial Stage. It is estimated by subtracting the height of the base of the Sanzaibaru Formation from the height of the shoreline of the surface that sea level rose more than 100m in the Sanzaibaru stage.<br>The Nyutabaru I, II, III surfaces are characterized by gentle gradients and wide distribution. They are of fluvial origin, although the Nyutabaru II and probably III surfaces are partly of marine origin in the northern part of the plain. The Nyutabaru III surface is an accumulation terrace formed during the little transgression. These surfaces are thought to have emerged ca. 90, 000-60, 000y.B.P., when a relatively high sea level was maintained because regression was slow and debris supply from the Kyushu Mountains increased or discharge in rivers decreased.<br>The Saitobaru I and II, Oyodo, and Kunitomi I and II surfaces, which are characterized by steeper and more linear longitudinal profiles, are erosional terraces and are mostly of fluvial origin. Their surfaces came out ca. 50, 000-10, 000y.B.P., in the Last Glacial Stage, when rapid regression occurred and sea level stayed relatively lower. The discharge of the rivers tended to increase gradually.<br>The Karasebaru, Toyobaru I and II and Mikazukibaru I and II surfaces in the northern part of the plain are fluvial fans. They were formed in three regressional stages: the late Last Interglacial Stage, the early Last Glacial Stage and the late last glacial stage. These fans were formed under conditions in which the river bed gradient was steeper than that of the continental shelf when the sea level went down.
著者
蔡 保全 高橋 啓一
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 = The Quaternary research (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.42, no.6, pp.427-439, 2003-12-01
被引用文献数
2

台湾,チベットを除く中国南部(99°~122°E,21°~32°)の後期旧石器時代(40,000~9,000年前)における文化と環境の関係について,従来の研究をまとめた.<br>石器などの文化遺物に基づいて,この時代の中国南部は5つの文化地域に分けることができる.それらは,雲南-貴州高原地域(Yunnan-Guizhou Plateau Region),西四川高原地域(West Sichuan Plateau Region),四川盆地-長江南部丘陵地域(Sichuan Basin-the Hilly Regions south of the Yangtze River),長江の中・下流平野部(The Plain of the Middle and Lower Reaches of the Yangtze River),五嶺南部地域(the Area south of Wuling)である.一方,この地域の中~後期更新世の地層からは,ステゴドン-パンダ動物群が発見されているが,それらもまた地域ごとに動物種の組み合わせが異なっている.動物群集の違いは,おもに温度や湿度,緯度や高度とも関係して起こっている.<br>この論文では,5つの文化地域で見られる道具の特色の違いが,動物相の違いとよく一致していることを紹介した.<br>例えば,西四川高原地域は高度が高く,中国南部の中ではやや高い緯度に位置する.ここでは,ステゴドン-パンダ動物群は見られず,中国北部の動物相と北部と南部の遷移的な動物相が見られる.発見された動物種は,比較的冷涼で乾燥した草原性のものが多く見られる.この地域で見られた2万年前ごろの富林文化(Fulin Culture)では,狩猟生活を中心としており,その道具には小さなスクレイパー,尖頭器,彫刻刀などを使い,チョッピングツールを欠いていた.<br>緯度的にも低く,高度も低い五嶺南部地域には,典型的なステゴドン-パンダ動物群が生息していた.亜熱帯南部の気候で,高い温度と湿度があった.35,000~26,000年以上前と18,000~9,000年前の2つの時代に分けられているが,人びとの生活は狩猟よりも採集生活が中心であったため,大形のチョッパーが重要であった.<br>先にあげた2つの地域の間にある雲南-貴州高原地域では,ステゴドン-パンダ動物群の要素が45%ほど見られたが,それはこの
著者
高橋 啓一 添田 雄二 出穂 雅実 青木 かおり 山田 悟郎 赤松 守雄
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.169-180, 2004-06-01
被引用文献数
1 8

1998年8月に北海道網走支庁湧別町の林道脇の沢から発見されたナウマンゾウ右上顎第2大臼歯化石の記載と,気候変化に伴ってマンモスゾウとナウマンゾウの棲み分けが北海道で入れ替わった可能性を報告した.臼歯化石の年代測定結果は30,480±220yrs BP(未補正<sup>14</sup>C年代値)であった.臼歯が発見された沢には,臼歯化石の年代とほぼ同じ時代に噴出した大雪御鉢平テフラ(Ds-Oh)を含む地層が分布していることから,この臼歯はこの沢に堆積する地層から洗いだされた可能性が高いと推定した.<br>今回の標本も含め,これまで北海道で発見されているナウマンゾウとマンモスゾウの産出年代およびその当時の植生を考えると,地球規模の気候変動とそれに伴う植生の変化に合わせて,2種類の長鼻類が時期を変えて棲み分けていたことが推定された.同時に,約3万年前のナウマンゾウ化石の発見は,MIS3の頃の北海道にナウマンゾウが津軽海峡を渡って来ることができたか,どうかという議論の一材料を提供することとなった.
著者
田中 真弓
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.39, no.5, pp.411-426, 2000-10-01
被引用文献数
12 3 7

信濃川活褶曲地帯最南部に位置する十日町盆地を対象に,空中写真判読と詳細な地形・地質調査から,活褶曲と活断層の関係と褶曲運動の運動様式について考察した.当盆地に広がる約50万年前以降に形成された河成段丘群には,基盤である鮮新世から更新世にかけて堆積した魚沼層群の東翼より西翼が急傾斜という,非対称な向斜構造と対応した累積的な変形が認められる.またこの河成段丘群は,既知の活断層である十日町断層・珠川断層・津南断層と新たに認定した小根岸断層・霜条断層・宮栗断層による変位を受けている.当盆地内の活断層の活動度,変位地形から推定した断層面と地質構造の関係から,各断層をタイプ分けした.さらに,十日町盆地の活構造の活動を総合的に検討することを試みた.その結果,当盆地の褶曲運動は,少なくとも約50万年前から現在まで継続しており,盆地南部より北部において活発であることが明らかになった.また,当盆地の水平圧縮速度は1.4~2.7mm/yrより大きいと予想される.