著者
松島 義章
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.6, pp.503-514, 1999-12-01
被引用文献数
2

相模トラフの北東側に位置する大磯丘陵や三浦半島は,完新世においても地殻変動の活発な隆起地域で,3~4段の完新世海成段丘が発達する.その中で,三浦半島南部に分布する段丘は,海食洞窟や考古学資料などから約6,000yrs BP,約4,000yrs BP,約3,000yrs BPの汀線や離水が明らかとなった.三浦海岸に対応する3回の間欠的な地殻変動のあったことが分かった.<br>相模湾北東沿岸は顕著な隆起を示し,その背後に「秦野-横浜線」の沈降帯が存在しているが,完新世ではその軸方向が南にやや下がり,秦野-大船-金沢八景を結んだ線で把えられる.<br>国府津-松田断層を挾んで大磯丘陵南西部一帯は,約6,500yrs BPに離水したことが貝類群集,<sup>14</sup>C年代や鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)によって確認された.この離水を起こした変動では,国府津-松田断層に変位が認められず,約6,500yrs BP以降における本断層の活動で大磯丘陵の著しい隆起,森戸川低地の緩やかな沈降となっている.足柄平野南西端の小田原は約4,500yrs BPには離水しており,海成層が+5mを超えて明瞭な隆起を示す.その上限高度は,東の国府津-松田断層が位置する森戸川低地に向かって序々に沈降する.<br>相模トラフの南西側に位置する伊豆半島では,約6,000yrs BPの旧汀線を示す証拠を陸上で見出だすことができず,縄文海進は半島北部で約4,000yrs BP,南部では約3,000~2,000yrs BPまで存続していて,その後に隆起に変わっている.<br>相模湾沿岸の溺れ谷低地の海成層中には,多くの津波堆積層の介在が確認され,その形成年代から沿岸に分布する海成段丘の離水時期を解明する手掛かりが得られた.今後は,この研究手法によって相模湾沿岸の詳しい地殻変動史を明らかにすることができよう.
著者
大嶋 和雄
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.29, no.3, pp.193-208, 1990-08-20 (Released:2009-08-21)
参考文献数
36
被引用文献数
104 147

The problem of the maximum depth to which the sea level dropped during the last glaciation is even more difficult and obscure than that of high sea levels. Some evaluations have been proposed, based on the estimations of the depth of the Holocene sediment base in the coastal plain or on the consideration of submerged sediments or geomorphological features now found on continental shelf. Many Japanese geologists estimate -100 to -140m for the last glacial low stand sea level, but some doubt is cast on their data and opinions. Our estimate of -80±5m was a conservative interpretation based on dates for shells and peat obtained from the shelf and coastal plains of the Japanese Islands.1. Charts show that wherever sizable inland seas are separated from the ocean by narrow straits, current erosion holes (sea caldrons) exist either in the narrow straits or directly adjacent to them. The Tsushima strait is a part of the shelf, although there is a relatively deep hole (to -160m) along the east side of Tsushima Island. The depth of this deep hole attains 50m below the surrounding relict wave-cut terrace (-110m to -115m). In this case, the depth of the relict wave-cut terrace may reflect the sea level (about -100m) at the time of the Tsushima strait formation.2. As a result of continuous seismic profiling surveys in Ishikari Bay, the buried valleys on the continental shelf are known to be deeper than 90m. The buried valleys were formed at the stage of the lowest sea level, during the last Glacial Age. However, we observed that Ishikari river may be 10m to 15m deep near its mouth. The available data indicate a relative rise of sea level since the valley was cut, amounting to about 80m.3. The breadth to depth ratio of the straits around the Japanese Islands seems to reflect each still standing sea-level stage, such as -100±10m, -80±5m and -45±5m, after the formation of these straits.4. For most of the Pleistocene, the Japanese Islands were connected with the Korean Peninsula, and the present major islands themselves were tied to each other. It is sure that large mammals such as elephants migrated into the Japanese Islands through land bridges. In the early Shimosueyoshi transgression (about 100, 000y.B.P.), when the sea level was about -100m, the Japan Sea was connected with the Pacific through narrow passages located in the Korean and Tsugaru straits. At the time of the last Glacial Age, when the sea level fell to about -80m, land bridges between Honshu and other lands were never formed. We now believe that it might have been 12, 000 years ago when the sea level rose to about -45m. This was the final stage of the land bridge in the Soya strait between Sakhalin and Hokkaido.
著者
永田 武 秋本 俊一 上田 誠也 清水 吉雄 小島 稔 小林 和男
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.7-10, 1957-05-30 (Released:2009-08-21)

A palaeomagnetic study has been conducted of the volcanic rocks in the North Izu-Hakone volcanic region, Japan, where the complete succession of lavas has been determined by H. Kuno. By sampling 4∼7 oriented rock-specimens at each of the localities, the period from the very beginning of the Pleistocene to the Holocene has been covered, where the maximum time interval between consecutive samples may probably be not more than several tens of thousands years except that between two samples of middle to younger Pleistocene when the volcanic activity did not occur within the region concerned. Care was taken not to use the rock samples of which natural remanent magnetization may have suffered from any significant disturbances, geologically, chemically, magnetically or otherwise. Selection of proper samples was performed according to the criteria for the stability of remanent magnetization proposed by us previously (Journ. Geomag. Geoelec., VI, No.4). The major findings in this study are: 1) During the whole Quaternary age, the axis of the geomagnetic centred dipole was fluctuating around an axis of which north pole changed from φ=72°N, λ=86°E to φ=81°N, λ=32°W. 2) The direction of polarization of the centred dipole was reversed at a time in the earliest Quat rnary, namely, during the middle period of the formation of the Usami volcano.
著者
澤 祥 太田 陽子 渡辺 満久 鈴木 康弘
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.233-240, 2000-06-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
20
被引用文献数
3 1

庄内平野東縁南部松山町の活断層は,活断層研究会(1991)により確実度IIIとされていたが,更新世後期から完新世に活動を続けた長さ約7kmの活断層であることが明らかになった.これを松山断層とよぶ.松山断層は,撓曲変形と断層背後での逆傾斜を変位地形の特徴とし,東上がりの逆断層と考えられる.松山断層の鉛直平均変位速度は0.2~0.7m/kyrsである.松山断層は酒田衝上断層群の位置とほぼ一致し,酒田衝上断層群の第四紀後期の活動の現れと解釈される.
著者
三田村 宗樹 中川 康一 升本 眞二 塩野 清治 吉川 周作 古山 勝彦 佐野 正人 橋本 定樹 領木 邦浩 北田 奈緒子 井上 直人 内山 高 小西 省吾 宮川 ちひろ 中村 正和 野口 和晃 Shrestha Suresh 谷 保孝 山口 貴行 山本 裕雄
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.35, no.3, pp.179-188, 1996-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
19
被引用文献数
1

1995年兵庫県南部地震は,阪神地域に甚大な被害を生じさせた.阪神地域は都市化の進んだ場所で,人工的な地形改変が多くの場所で行われている.しかし,現在の地形図上では,その箇所が不明確であるため,過去の地形図との比較から人工改変地形の抽出を行ったうえで被害分布との関連を西宮・大阪地域について検討した.大阪地域では,基盤断層の落下側に被害が集中する傾向があり,基盤構造との関連性が存在することを指摘した.これについては,既存地下地質資料をもとにした地震波線トレースのシミュレーションの結果から,地震波のフォーカシング現象がかかわっているとみている.結論として,日本の大都市の立地する地盤環境は類似し,地震災害に関して堆積盆地内の厚い第四紀層での地震動増幅,伏在断層付近でのフォーカシング,盆地内の表面波の重複反射よる長時間震動継続,表層の人工地盤や緩い未固結層の液状化など共通した特性を有していることを指摘した.
著者
斎藤 文紀
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.3, pp.235-242, 1998-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
55
被引用文献数
36 50

東シナ海における最終氷期の海水準を明らかにするため,今までに報告されている350を超える放射性炭素年代値と最近の音波探査などの報告を検討した.この結果,50,000~25,000yrs BPについては,黄海や東シナ海において三角州の発達が認められ,当時の海水準は黄海で-80±10m,東シナ海で-90±10mと推定された.また最終氷期最盛期については,海成層と陸成層の分布深度や海底地形などから,最低位海水準は-120±10mと推定された.これらの値は従来報告されている値よりも浅い.
著者
小田 静夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.409-420, 1992-12-30 (Released:2009-08-21)
参考文献数
27
被引用文献数
3

黒潮の流れは, 海産生物や陸上植物の拡散に協力したばかりでなく,「海上の道」となり先史時代以来, 多くの南方的な要素を日本文化にもたらした. 九州の南海上に連なる南西諸島では, 珊瑚礁内の豊かな魚貝類を基盤に,「珊瑚礁文化」を形成させた. 高度に発達した貝製品は, 九州の弥生人を魅了し, 南海産大型巻貝の交易活動を促進させ, 黒潮の流れを利用した「貝の道」が成立した. 伊豆諸島も黒潮本流の終点近くに位置し, 縄文前期末頃から積極的な渡島活動が開始され, 黒潮本流を越えた八丈島にまで進出した.一方, こうした本土と島嶼地域の往来とは別に, 黒潮圏に遠く南方地域から北上した先史文化が認められる. 南西諸島の宮古・八重山列島には, シャコガイのちょうつがい部分を利用した貝斧が盛行している. この貝斧はフィリピン諸島に類似例が存在し, この地域との関係が推察される. 八丈島や小笠原諸島でも発見されている玄武岩製の円筒片刃磨製石斧は, マリアナ諸島で発達した円筒石斧と呼ばれる石製工具と同種のものである. 最近確認された小笠原・北硫黄島の石野遺跡には, マリアナ地域や南西諸島の先史文化に類似点を多くもつ土器, 石器類が検出されている. このように, 黒潮の流れに沿った地域の先史文化には, 周辺地域からの複雑な人類拡散の動態が看取され, 北西太平洋を囲んだ島嶼群の大きな「黒潮文化圏」として把握できそうである.
著者
中里 裕臣 佐藤 弘幸
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.3, pp.251-257, 2001-06-01
参考文献数
51
被引用文献数
9 29

下総層群は,年代値の得られているテフラの対比および酸素同位体比曲線との対比から約45万年前~8万年前の年代を占める.各累層境界は陸成層や不整合の存在から海面低下期に対応する.千葉県の木更津-姉崎地域で確立された下総層群の標準層序は,テフラの追跡・対比により木更津市以北の千葉県北部全域に適用できる.<br>成田市-東金市以東の千葉県北東部において,従来上総層群に対比されていた塊状シルト層の上部は,テフラの対比によって地蔵堂層に対比され,その堆積深度はより南西側の地蔵堂層に比べ深い.したがって,地蔵堂層堆積期までには,この地域における"鹿島"隆起帯の顕著な活動は認められない.さらに,下総層群の各累層基底面等高線図から,これらの面の傾動速度の経時変化を求めると,地域によって違いが認められる.その境界は千葉-八潮断層の延長線,成田-多古を結ぶライン,利根川沿いにあると考えられ,鹿島-房総隆起帯の運動にブロック化が認められる.特に千葉県北東部は藪層堆積期に急激な傾動を受けた."鹿島"隆起帯が顕在化する時期は藪層堆積期であり,その影響によりこの地域ではバリヤー島システムが形成された.
著者
坂井 正人
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 = The Quaternary research (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.231-237, 2012-08-01
参考文献数
24
被引用文献数
1

ナスカの地上絵が,何のために制作されたのかという疑問に対して,説得力のある答えは得られていない.しかし,豊作を祈願するために制作されたという説が最も有力である.本研究では,地上絵の考古学的研究に対する将来の布石として,ペルー南部海岸ナスカ台地付近の農民たちが,気象現象に関する独自の認識や知識を持っていることを明らかにする.今回の調査によって,以下の4つの認識・知識を持っていることが明らかになった.(1)ナスカ台地周辺で農耕に利用している水は,ペルー南部高地に降る雨に由来する.(2)ペルー南部高地に雨が降るのは,「海の霧」が海岸から山に移動して,「山の霧」とぶつかった結果である.(3)雨期にもかかわらずペルー南部高地に雨が降らないのは,「海の霧」が山に移動しなかったからである.(4)海水を壷に入れて,海岸から山地まで持っていけば,山に雨を降らせることができる.
著者
上杉 陽 新川 和範 木越 邦彦
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.33, no.3, pp.165-187, 1994-07-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
52
被引用文献数
4 5

伊豆諸島北部 (大島~三宅島) の諸火山の噴火, 相模トラフ系大地震, 伊豆半島の北伊豆断層系~平山断層の変位, 箱根火山の噴火, 駿河トラフ系大地震, 富士山の噴火との間の歴史時代の同期・連動関係についてのデータが増えつつある. さらに遡って更新世後期あたりまでのデータを得るためには, まず第1に, 伊豆大島~相模湾岸~房総半島地域のテフラの主体をなす大島火山系テフラの模式地を設定し, 誰もが容易に観察・試料採集できる状態にせねばならない. そこで, 伊豆大島千波崎の地層切断面露頭群を模式地として, 20分の1のテフラ標準柱状図と200分の1露頭スケッチを作成した. まず前者の図を公表し, 若干の説明を付す.
著者
中村 俊夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.34, no.3, pp.171-183, 1995-08-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
60
被引用文献数
6 4

1950年頃にLibby(1955)によって開発された14C年代測定法は,現在,地質学,地球科学,環境科学,考古学,文化財科学などさまざまな分野で利用されている.この45年の歴史をもつ放射能測定(14Cの放射壊変で放出されるβ線を検出し,14C濃度を知る方法)による14C年代測定法に対し,加速器技術を取り入れた新しい14C年代測定法(加速器質量分析法)が約15年前に開発され,現在全世界で活躍している.ここでは,名古屋大学タンデトロン加速器質量分析計を用いた14C年代測定の現状を概観し,測定される14C年代値の信頼度をさらに向上するための検討課題について,すなわち,試料の採取,試料調製,加速器質量分析法による14C濃度測定などの14C測定上の問題,および14C濃度から14C年代値の算出,その暦年代への較正に至るデータ処理上の問題点について議論する.さらに,14C年代測定法と他の年代測定法との比較について紹介し,タンデトロン分析計の利用の実情と将来計画について概説する.
著者
菅 香世子
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.37, no.2, pp.59-75, 1998-05-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48
被引用文献数
3 4

伊豆・小笠原弧北部の火山フロントに位置する八丈島火山群は,活動年代が異なる複数の小型成層火山の複合体である.入丈島火山群を構成する各火山の原形と生成順序は,それらの地質と火山地形から推定することができる.八丈島火山群の火山は,安山岩を主体とする火山と,玄武岩を主体とする火山とに分けられ,後者でも活動の後期には安山岩あるいはデイサイトマグマが活動することがある.このため,八丈島火山群では安山岩の産出頻度が高い.また,最近の10数万年間だけでも7~8個の小型成層火山が生成されてきた八丈島火山群は,マグマの上昇径路となる開口割れ目が比較的生じやすい条件下にあるといえる.八丈島火山群は,伊豆・小笠原弧北端部と本州弧との衝突に起因するNW-SE方向の圧縮の影響を多少は受けているものの,基本的には伊豆・小笠原弧で卓越する伸張のテクトニクストの下に置かれていると考えられる.
著者
Yudzuru Inoue Tadakatsu Yoneyama Shinji Sugiyama Hideki Okada Yoshitaka Nagatomo
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
The Quaternary Research (Daiyonki-Kenkyu) (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.4, pp.307-318, 2001-08-01 (Released:2009-08-21)
参考文献数
48
被引用文献数
9 13

ca.24.5ka以降に,南九州都城盆地の成層シラス台地上に発達した累積性黒ボク土断面の連続試料について,炭素・窒素安定同位体自然存在比(δ13C値,δ15N値)を測定し,その時系列変化を既報の植物珪酸体分析の結果などをもとに考察した.その結果,土壌のδ13C値から算出したC3およびC4植物起源炭素の比率と,植物珪酸体分析の結果から算出したC3およびC4植物の比率は,一部の試料を除いてC3植物>C4植物の傾向を示し,おおむね類似した.C3植物起源炭素の比率が優勢なアカホヤ(ca.6.5ka)上位のクロニガ(埋没腐植層:4A)および御池テフラ(ca.4.2ka)上位のクロニガ(埋没腐植層:2A)を含む第5~4層および第3~2層は,それぞれメダケ属(メダケ節・ネザサ節)と相関が高い(R2=0.917,0.806).そして,クロニガ(埋没腐植層)における土壌有機物の給源植物種は,C3植物のメダケ属が主体であると推定された.δ15N値は,一部を除いて既往研究により,乾燥した環境と推定される層準で高く(最高値10.0‰),湿潤な環境で低く(最低値2.9‰)なる傾向を示した.それは,激しい気候の変動(乾湿変動)や土壌条件によって変化する可能性を示唆する.
著者
Toshiro NARUSE Hitoshi SAKAI Katsuhiro INOUE
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
The Quaternary Research (Daiyonki-Kenkyu) (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.295-300, 1986-01-31 (Released:2009-08-21)
参考文献数
21
被引用文献数
11 13

我が国に分布する土壌のうち, 火山灰土 (クロボク土), 古砂丘下に埋没する古土壌, 玄武岩台地や海成段丘上にのる土壌, 南西諸島の赤黄色土など, 北海道から与那国島にかけての地域で20試料を採取した.試料土壌中に含まれる微細石英 (1~10μm) は, 10~30%と多く, この微細石英の起源を明らかにするために石英の酸素同位体比 (18O/16O) を求めた.その結果, 完新世に生成された火山灰土や黄色土中に含まれる微細石英の18Oは15.4~15.9‰であり, これまで行われた研究の結果とほぼ一致した. 最終氷期に生成された土壌についても, ほぼ同様の値が得られ(δ18O=14.1~15.5‰), これも, 従来の研究の結果とほぼ一致した.以上のことから, 我が国には最終氷期, 後氷期を通じて頻繁に風成塵が飛来し, また雨水や雪にともなって降下堆積し, 土壌の母材になったことが明らかとなった.
著者
町田 洋 新井 房夫 杉原 重夫
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.19, no.3, pp.233-261, 1980-11-15 (Released:2009-08-21)
参考文献数
63
被引用文献数
34 41

The middle Pleistocene time range is defined here the period before the last interglacial in the Brunhes epoch. In Japan, the Shimosa-Kazusa Groups around the Tokyo Bay in Kanto and the upper part of the Osaka Group in Kinki both represent the standard middle Pleistocene sequences and have been studied in detail. These groups are characterized by the cyclic sedimentation caused by transgression and regression corresponding to climatic changes.The purpose of this paper is to attempt the correlation of the Kazusa Group and the Osaka Group by identification of widespread marker-tephras. Accurate determinations of the refractive indices of volcanic glass, orthopyroxene and hornblende, together with other determinations, have enabled successful characterization for correlation to be made for several tephra layers in southern Kanto and Kinki. The following marker-tephras are found over two districts, resulting in the establishment of several important datum planes in the middle Pleistocene sequences.The vitric tephra called Ks 11, which is sandwiched in the Kasamori Formation and its correlatives in southern Kanto, can be identified as a marker tephra of the Osaka Group called Sakura ash, in the vicinity of Osaka and Kyoto. The estimated age of this tephra, about 450, 000 years, is based on its stratigraphic relationship with the underlying dated tephra, Kinukawa ash (460, 000-470, 000 years). Stratigraphically, it is included in the deposits immediately below the transgressive horizon (Tama-f and Ma 7) and also occurrs in the biozone of Stegodon orientalis in both districts. The vitric tephra called Ku 1, sandwiched in the Kokumoto Formation, is identified and correlated with a tephra called Imakuma I ash. It is included in the deposits immediately above the Brunhes-Matuyama boundary. The very important dated tephra, Azuki ash (870, 000 years), in the Osaka Group, can be correlated with Ku 6C tephra in the lower part of the Kokumoto Formation by their peculiar petrographic properties. Both are sandwiched in the deposits below the Brunhes-Matuyama boundary.From the relationship between the identified tephras and marine sequences, it is concluded that during the period from 700, 000 years to 450, 000 years at least three interglacial-glacial cycles are recorded, and that after 450, 000 years the following major interglacial episodes are indicated; 450, 000YBP, 370, 000YBP, 300, 000YBP, 230, 000YBP, and 130, 000YBP.
著者
春成 秀爾
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.40, no.6, pp.517-526, 2001-12-01
参考文献数
38
被引用文献数
1 2

自然環境の変化,大形獣の絶滅と人類の狩猟活動との関連,縄文時代の始まりの問題を論じるには,加速器質量分析(AMS)法の導入により精度が高くなった<sup>14</sup>C年代測定値を較正して,自然環境の変化と考古学的資料とを共通の年代枠でつきあわせて議論すべきである.後期更新世の動物を代表する大型動物のうち,ナウマンゾウやヤベオオツノジカの狩猟と関連すると推定される考古資料は,一時的に大勢の人たちが集合した跡とみられる大型環状ブロック(集落)と,大型動物解体用の磨製石斧である.これらは,姶良Tn火山灰(AT)が降下する頃までは顕著にその痕跡をのこしているが,その後は途切れてしまう.AT後は大型動物の狩りは減少し,それらは15,000~13,000年前に最終的に絶滅したとみられる.その一方,ニホンジカ・イノシシは縄文時代になって狩猟するようになったとする意見が多いが,ニホンジカの祖先にあたるカトウキヨマサジカが中期更新世以来日本列島に棲んでいたし,イノシシ捕獲用とみられる落とし穴が後期更新世にすでに普及しているので,後期更新世末にはニホンジカおよびイノシシの祖先種をすでに狩っていた可能性は高い.<br>縄文草創期の始まりは,東日本では約16,000年前までさかのぼることになり,確実に後期更新世末までくいこんでおり,最古ドリアス期よりも早く土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧に代表される神子柴文化が存在する.同じような状況は,アムール川流域でも認められている.また,南九州でも,ほぼ同じ時期に土器,石鏃,丸ノミ形磨製石斧(栫ノ原型)に加えて石臼・磨石の普及がみられ,竪穴住居の存在とあわせ定住生活の萌芽と評価されている.豊富な植物質食料に依存して,縄文時代型の生活がいち早く始まったのであろう.しかし,東も西も草創期・早期を経て約7,000年前に,本格的な環状集落と墓地をもつ定住生活にいる.更新世末に用意された新しい道具は,完新世の安定した温暖な環境下で日本型の新石器文化を開花させたのである.
著者
宍倉 正展
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.38, no.1, pp.17-28, 1999-02-01
参考文献数
29
被引用文献数
4 6

房総半島南部の保田低地には,高位から保田I面,II面,III面,IV面の4面の完新世海岸段丘が発達する.詳細な地形・地質調査の結果,従来,元禄地震時(1703年)の地震隆起に伴い形成されたと考えられていた最低位の保田IV面は,段丘面上の泥炭の年代,歴史的遺物の証拠から元禄地震以前に離水していたことが明らかになった.さらに,地形的証拠と古文書・古絵図の記載から判断すると,保田低地は元禄地震時に沈降したと考えられる.また,保田I面,保田II面は4,350yrs BPより前,保田III面は2,200yrs BPより前に離水しており,いわゆる元禄型地震によって離水した沼面群とは対比できない可能性がある.これは,元禄型地震のたびに保田低地が沈降していることを示唆する.保田面群の成因を大正型地震によるものと考えれば,保田I面の旧汀線高度から,大正型地震の平均再来周期は670年以内であると推測される.
著者
ブルーム アーサー 朴 龍安
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.24, no.2, pp.77-84, 1985
被引用文献数
37

韓国の黄海沿岸に位置するたくさんの小さい入江 (三角江) は, 20世紀初期以来, 干拓が行なわれてきた. これらの入江では, 薄い水田土壌及び河成の堆積物の下に, 有機質に富む河口成堆積物が風化した基盤の砕屑物を覆っている. 河口成堆積物の基部約15cmは, とくにたくさんの流木の破片を含み, これは完新世海面上昇期の高潮位に形成された泥炭質泥層と混ざっている. これらの基底付近の河口成泥層のうち, 8試料の<sup>14</sup>C年代が得られた. その年代と深度に基づいて韓半島黄海沿岸における完新世海水準変化曲線が復元された.<br>8,600y.B.P.から4,800y.B.P.の間, 韓国の黄海海岸は約1.6mm/年の平均速度で沈水した. その後, 沈水速度は約0.4mm/年に減少した. 韓国南東部の浦項-梁山地塊は, その東岸を一連の海成段丘で縁取られている. これらの海成段丘の年代はまだわからないが, おそらく少くとも最終間氷期 (約125,000年前) にさかのぼると考えられる. 後期更新世のこの地塊の隆起速度は約0.1m/1,000年と推定される.
著者
岩田 修二
出版者
Japan Association for Quaternary Research
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.275-296, 2014
被引用文献数
3

日本アルプスの氷河地形研究における転向点1(1940年)は,発見時代の多様な氷河地形を今村学郎がアルプス型氷河地形だけに限定した時点である.転向点2(1963年)は,空中写真判読による日本アルプス全域の氷河地形分布図を五百沢智也が発表した時点である.その後,日本アルプスの氷河地形研究は大きく進展したが,転向点3(2013年)は,「地すべり研究グループ」によって複数の氷河地形がランドスライド地形と認定された時点である.転向点3以後における日本アルプスの氷河地形研究の課題は:1.露頭での詳細調査による氷河堆積物とランドスライド堆積物との識別,2.白馬岳北方山域での氷河地形とランドスライド地形との峻別,3.白馬岳北方山域での山頂氷帽の証拠発見,4.剱岳の雪渓氷河や後立山連峰のトルキスタン型氷河がつくる氷河地形の解明である.つまり,急峻な山地での氷河による侵食・堆積作用とその結果できる地形を見直す必要がある.