著者
田力 正好 水本 匡起 松田 時彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.232, 2013 (Released:2013-09-04)

活断層(縦ずれ)の断層崖は,その成長と共に比高を増大させ,重力的に不安定となる.その結果,断層崖では地すべり・崩壊などのマスムーブメントが発生しやすくなると考えられる.縦ずれ断層が多く,新第三紀以降の固結度の弱い岩石が多く分布する東日本(糸魚川-静岡構造線(糸静線)以東)においては,特に高頻度で発生していることが予想される.本発表では,東日本のいくつかの活断層帯において,断層崖に生じたマスムーブメントの実例を示し,その形態や変形の特徴,断層崖の形態に及ぼすマスムーブメントの影響,活断層のマッピング・変位量の測定等の際に注意すべき点などについて述べる.断層崖沿いに重力的な変形(マスムーブメント)が認められることは珍しくない.断層崖に地すべり等のマスムーブメントが生じている場合,重力的な変形の影響を受けてテクトニックな要因のみの変形の場合に比べて低断層崖の位置がずれたり,変位量が大きくなったりする可能性がある.このため,活断層のマッピングや変位量の測定の際には,重力的な変形の影響の有無を検討することが必要である.特に大規模な地すべりや,地すべり地形が不明瞭な場合には,断層近傍の地形のみに着目すると地すべり地形を見落とす可能性があるため注意が必要である.
著者
村中 亮夫 埴淵 知哉 竹森 雅泰
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.1-11, 2014
被引用文献数
1

近年,社会調査における個人情報の保護に対する関心が高まっている.本稿では,日本における近年の社会調査環境の変化によってもたらされた個人情報保護の課題と新たなデータ収集法について解説することを目的とする.具体的には,①社会調査データを収集・管理するにあたって考慮すべき住民基本台帳法や公職選挙法のような法制度の変化や調査倫理,①個人情報そのものを取り扱うことなく調査データを収集できるインターネット調査データや公開データの仕組みのようなデータ収集法の活用可能性に着目した.
著者
鈴木 隆介 高橋 健一 砂村 継夫 寺田 稔
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.43, no.4, pp.211-222, 1970-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
8
被引用文献数
8 5

調査地域の洗濯板状起伏は,その尾根部が凝灰岩層,谷部が泥岩層からなる.泥岩には微小な節理が著しく多いが,凝灰岩には存在しない.本地域の泥岩は凝灰岩にくらべて圧縮強度,弾性波速度,衝撃・摩耗硬度が大きい.また,吸水膨脹歪と膨脹圧は泥岩の方が著しく大きい.以上のことから,洗濯板状起伏は,岩石の圧縮強度や衝撃・摩耗硬度といったいわゆる“かたさ”あるいは“つよさ”の差異に起因するのではなくて,基本的には,含水状態の変化に伴う膨脹・収縮歪の差異が節理の発達状態の差異に関連し,節理で分離した泥岩の小岩片が波で持ち去られるといった機構で生じたものと解した.
著者
野元 世紀
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.6, pp.424-437, 1975-06-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
25
被引用文献数
5 3

In Central Japan, orographically and thermally induced anticyclones, cyclones and fronts appear very frequently in winter. Takayama High is one of such local anticyclones, which is formed either thermally on clear nights by long wave radiation or mechanically by upper winds. In the latter cases, it usually accompanies Matsumoto Low simultaneously. In the thermal cases, cold air cooled by radiation in the mountaineous region flows down along large valleys and produces local discontinuity lines on the Hokuriku coasts of the Sea of Japan and on the southern coast of Boso Peninsular. On this account, the Takayama High has been studied mainly in relation to the Hokuriku Front, which brings heavy snowfalls in the Hokuriku region. A local cyclone, Suruga-wan Low, is frequently formed when the winter monsoon becomes weaker. The previous studies made it clear that a winter maximum and a summer minimum of its appearance are caused by the thermal effects of water and air temperatures of the Suruga Bay and its vicinity. It has already been stated that the origins of the local front, Boso Front, are closely related to (1) the local high in thermal cases and (2) the convergence of two or more currents branched off topographically from the same Pc air mass with a local cyclone on the Sagami Bay or the Suruga Bay. The purpose of this paper is to clarify their synoptic climatological features. The results are as follows; i) On the meso-scale charts, the occurrence of the Takayama High is 12.3 days per month on an average from December to February, the Suruga-wan Low 9.8 days and the Boso Front 21.3 days. The frequencies of occurrence of the Takayama. High are found most frequently in December, but those of the Suruga-wan Low are in Febuary and the Boso Front in January. This is accounted for by the fact that each of them corresponds with different synoptic pressure patterns. ii) Most frequently the Takayama High persists for 18—20 hours, forming at 17—19h and disappearing at 10—12h on the next day. The shape of the Takayama High is influenced by the direction of upper winds (Fig. 1 (a) (b)) and the differences of the pressure gradient from the center have a close relation to the differences of the direction. In general, it is very difficult to define the size of a local anticyclone, but if the Takayama High is defined by the outermost closed isobar, the areas of the Takayama High of the W—SW type are about 3 times as large as the one of the NW type (Fig. 2 and 4). The maximum of the area of W—SW type Takayama High is 39.1×103km2, and the one of NW type is 9.1×103km2. iii) In the case of the Takayama High of the W—SW type, a local cyclone is formed from time to time in the Matsumoto district by orographical effects. When a Matsumoto Low is formed, strong southerly wind blows and air temperature becomes higher in the district. An indicator of the relative intensity of the Matsumoto Low, ΔP (the difference of sea level pressure at Takayama minus Matsumoto) is obviously related to the W—SW upper wind (mainly 850—700mb); The stronger the wind of these levels is, the greater ΔP occurs simultaneously (Fig. 5). Furthermore, ΔP is related clearly to the temperture of these levels, when 700mb temperature is above -13°C. It seems that warm strong wind, whichh is observed in association with the Matsumoto Low, is caused by a föhn effect. This is verified by facts that ΔT (the difference of air temperature at Matsumoto minus its vicinity) has a relation to the temperature of the height of the mountain-tops (about 700mb) (Fig. 9) and to the wind direction of the levels, and also by the distributions of air temperature, wind (Fig. 8) and relative humidity at the surface level.
著者
吉川 虎雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.44, no.8, pp.552-564, 1971-08-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
58
被引用文献数
2 3

大地震の際におこった地殻変動の調査から生れた山崎直方先生の変動地形観は,その後の研究に大きな影響を与え,変動地形の研究はわが国の地形研究における一つの大きな柱として発展した.先生の変動地形観は,その後の研究によって改められるべき点も生じてきたが,基本的には正しいことが明らかになってきた.わが国における変動地形の研究は,現在ようやく山崎先生の意図しておられた段階に到達し,最近いちじるしい進展のみられる固体地球科学との連契を一層深めて,新しい段階に入るべき時期を迎えている. 本稿では,変動地形について山崎先生が抱いておられた見解の中で,とくに現在の地殻変動と地形発達に関与した過去の地殻変動との関係についてのその後の研究の進展をのべ,地形構造の研究において今後とるべき一つの方向を論じた.
著者
後藤 寛
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100176, 2012 (Released:2013-03-08)

喫茶店も他の多くの飲食店業と同様に,時代の変化に対応しつつ変化し生き残りを図っている.近年ではフランチャイズチェーンの台頭によりどこの街でも同じ看板の店である割合が高まっており,またファーストフード等の隣接他業態との垣根が低くなっている感があるが,人々の日々の休息に役立っている存在と考えられる.このような喫茶店がどこにどのように立地しているのか,本報告では大都市圏とその都心部分として,首都圏全域,東京23区内,山手線内エリアの3スケールで比較しながら,喫茶店・カフェ業態の立地分布と密度,そしてとくにチェーン店間の競合の現状についての分析を行う.
著者
金 延景
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100032, 2013 (Released:2014-03-14)

新宿区大久保には,韓国人ニューカマーの集中居住地区であると同時に,商業業務中心地区としての性格を強く帯びたコリアタウンが形成されており,エスニック景観が顕著にあらわれている.本研究では,大久保コリアタウンの形成過程とその変容を明らかにすることを目的としている. 韓国系施設は1990年代から2000年代初頭にかけて主に職安通りを中心に分布し,段階的に裏通りから表通りへ,2階以上から1階へ拡散しながら,ハングルの看板や広告を中心としたエスニック景観を形成し始めた.当時のコリアタウンでは,韓国食料品店,韓国料理店,ビデオレンタル店,不動産,美容室,教会や寺など韓国人ニューカマーに向けた韓国現地の商品や情報,そして日本の生活に必要なサービスやコミュニティを提供する場として機能していた. そして,2003年ドラマを中心とした第1次韓流ブームにより,日本人観光客が急増したことで,コリアタウンは大久保通りへ拡散し,2005年頃にはコリアタウンのメイン通りとされた職安通りよりも大久保通りの方に多くの韓国料理店や韓流グッズ店が出店されるようになった.2009年のK-POPを中心とした第2次韓流ブームにより,大久保コリアタウンは一層拡大し,裏通りや2階以上へ再び拡散する一方,「イケメン通り」への出店が顕著にみられた.エスニック景観は,ハングルから日本語に変わり,韓流スターのサインやポスターを飾り,スクリーンやスピーカーを設置して映像や音楽を流すなど韓流スターを媒介としたエスニック景観へ変化した. こうしたコリアタウンの変化には,第2次韓流ブームの他,2008年のリーマンショック以降,円安・ウォン高により日本人の間でブームとなった韓国旅行が影響している.2008年から2009年にかけては,一時期,大久保では比較的売り上げや客数減っていたことから,韓国の観光名所である明洞で日本人顧客が求めていた商品やメニューが積極的に投入されたとみられる.
著者
伊藤 隆吉
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.17, no.6, pp.442-463, 1941-06-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
19
被引用文献数
1
著者
上野 由希子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100263, 2016 (Released:2016-04-08)

はじめに 本研究の目的は、鯨と地域との関わり方の変容を文化地理学的な視点により明らかにする事である。本発表では、産業的には衰退しているが、文化的には現在も利用が続いている鯨を取り上げ、山口県の長門市と下関市の鯨に関する文化の利用の違いを比較考察する。長門市通地区の事例 鯨に関する文化を観光に利用している事例が山口県長門市の通(かよい)地区である。ここは江戸時代古式捕鯨を行っていた島の漁村である。捕獲した鯨に戒名を与え、解体の際に母鯨から出てきた胎児には墓を設けて供養した事が通地区の特徴としてあげられる。さらに鯨を供養するための法要が現在も続けられている。鯨墓建立300年を記念して1992年から通くじら祭りが行われるようになった。この祭りでは海で鯨の模型を捕獲する古式捕鯨の再現が行われている。翌年には、水産庁の沿岸漁業改善事業の一環でくじら資料館という博物館が設置され、旧鯨組主の早川家に伝わる捕鯨具などを収蔵展示している。通地区の小学生は古式捕鯨時代から伝わる鯨唄を習う時間がある。このように通地区では鯨に関する文化を地域文化資源として利用しているが、捕鯨自体すでに廃絶しているためその文化を継承することが目的となっている。下関市の事例 下関は交通要衝の都市に位置し、大洋漁業(現マルハニチロ)の捕鯨部門とともに発展してきた町である。下関市は現在調査捕鯨のキャッチャーボートの母港となっているが、今後規模を拡大することを目指し、それに向けて行政主導で鯨を利用した地域づくりが進められている。鯨に関する研究機関として水族館の海響館、下関市立大学には鯨資料室があり、鯨に関する情報を収集している。そして食を通した住民への普及活動を実施している。大きなイベントでは鯨を食べられる場を設け、「鯨を食べる習慣がある地域」であることを舌で覚えてもらう。特に鯨料理教室や、学校給食に鯨を使ったメニューを復活させるなど日常的に鯨を食べる機会を増やし、下関の人々に対して、鯨に愛着を持ってもらう事を期待していると考察した。これらの鯨に対して親しみを持つよう働きかける活動は、調査捕鯨船団を受け入れやすい地域を形成することを目的としていると考えた。調査捕鯨母船の新船建造誘致を目指し、捕鯨がもたらす経済効果を狙って下関市は行政主導で鯨に関する文化を地域づくりに利用している。考察 両地域の共通点は3点ある。時代が異なるが捕鯨基地として栄えたこと、鯨を食べる習慣があること、鯨に関する博物館施設が設置されていることである。しかし両地域には地域資源としての鯨の利用の仕方に違いがある。通地区では鯨墓や鯨唄などの鯨に関する文化の伝承を目的としている。一方下関では調査捕鯨船団を受け入れやすい地域を形成するため、行政主導で鯨に関する文化を地域づくりに利用しているという違いがある。つまり、通地区の鯨に関する文化の基盤は生業的な古式捕鯨で、捕鯨が廃絶した島嶼の村落に立地している。それに対し、下関の鯨に関する文化の基盤は企業的な近代捕鯨で、現在も調査捕鯨の基地である交通要衝の都市に立地している。これが両地域の違いが表れる原因であると考える。
著者
KISS Eva TAKEUCHI Atsuhiko
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.12, pp.669-685, 2002

Abstract: By the beginning of the twentieth century, Budapest had become a modern city with large and significant industrial areas. After 1989, when radical political change opened the way for economic and social reforms, these old industrial districts have become the most important scenes of changes. Based on the surveys and interviews carried out in Budapest and Tokyo, the main purposes of this study are to describe the most important structural and functional changes in the industrial areas of Budapest during the last decade and to compare them with the changes in the industrial areas of inner Tokyo. The emphasis is primarily on how industrial restructuring affected the spatial structure of industry, the urban space and the land use. In spite of the significant differences between the two cities there are also similarities in the development and prospects of industrial areas of Budapest and Tokyo. Not only do the urban structure and functional division of the cities transform but also the local society and urban landscape.
著者
宮木 貞夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.9, pp.507-520, 1964-09-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
3
被引用文献数
6

軍事経済を支柱として発展した日本の資本主義体制では,土地利用の面でも軍事優先の原則は貫ぬかれ,工場用地に適した土地が軍用地として民間から隔離されていた. 第2次大戦が終り,広大な軍事施設が解放され,これらは工場などに利用されつつある.日本では旧軍用地は国有財産として,大戦後の経済発展に寄与するように転換が行なわれた.関東地方における旧軍用地は約1,100口座, 430km2で,現在農地に44%, 公共施設に30%, 米軍に14%, 防衛庁に8%, 工場には4%が利用されている. 首都防衛のため東京を中心に20~60kmの範囲内に軍用飛行場は38個所あり,これに演習場を加え,広範囲にわたり平担な地は大規模な工場の用地として最適で, 1950年以降転用が著しい.農地に転用された旧軍用地も工場化の傾向にあり,現在農地の33%が工場適地に指定されている.
著者
清水 克志
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100069, 2015 (Released:2015-10-05)

1.はじめに 近代日本における馬鈴薯(ジャガイモ)の生産地域としては,開拓と西洋農法・作物の推進が図られた北海道が圧倒的な地位にあることは周知の事実である.実際,馬鈴薯の全国生産量における北海道のシェアは,明治30年代(1897~)に過半数を超えて以来,高率を維持し,近年では約80%を占めている. ところが,明治20(1887)年における北海道の同割合は23%に過ぎず,中央高地や東北各県の地位が相対的に高かった.例えば山梨県(旧甲斐国)では,天明の飢饉(1782~88年)を契機に救荒作物として導入され,生産が拡大していった伝承が残っている.また,高野長英が天保7(1836)年に著した『救荒二物考』には,「甲斐国に於て明和年間,代官中井清太夫の奨励によりて早く該地に藩殖し,今に至るまで清太夫薯の名あり,是より信州,飛騨,上野,武蔵等にも伝わりしにや,信州にては甲州薯と呼び,飛騨にては信州薯と唱う」という記述があり,甲斐を起点として周辺地域に伝播していったことが知られている. 本報告では,明治初期に編纂された官庁統計類のうち,郡ごとに集計されている「全国農産表」(明治9~12年)や「共武政表」(明治12年)の分析を中心に,近代初頭時点における馬鈴薯の普及の実態を把握した上で,普及の地域差とその要因について検討する.2.馬鈴薯の郡別収穫量-「全国農産表」の分析- 明治9(1876)年から明治15(1882)年にかけて編纂された「全国農産表」(明治11年以降は「農産表」)には,馬鈴薯が米麦をはじめとする穀類や甘藷(サツマイモ)などとともに,「普通農産」14品目に含まれている.このうち明治9~12年の4年分が郡別に集計されている. 図1は,4年次分の馬鈴薯の収穫量について,明らかに誤記とみられる数値を適宜補正した上で平均値を割り出し,さらに「共武政表」(明治12年)の郡別の人口で除した値を,階級区分したものである.このうち,第1ランク(20斤=12kg以上)に該当する郡は7(図中A~G)であり,阿波郡の160斤が最大である.第2ランク以上の郡の多くが,北関東甲信越から東北地方にかけて集中していることや,東北日本・西南日本ともに,山間部が卓越する地域に属していることが読み取れる. その一方で,約700郡の3分の1にあたる231郡では,4年次ともに馬鈴薯の項目が記載されていないことから,明治前期の時点では,馬鈴薯が導入すらされていない地域が,広範に存在していたことも確認できる.このほか,4年間で収穫量が急増している郡も相当に確認できるが,これらの郡では,この時期が馬鈴薯の本格的な導入期に該当していたとみられる.3.馬鈴薯の大字別生産状況-「共武政表」の分析- 同時期の「共武政表」には,将来の徴用が見込める主要な産物が,郡別はもとより,「人口百人以上の輻輳地」については,大字(旧村)別に記録されている.この記載をもとに,馬鈴薯の生産地の分布をみると,東北日本を中心に山間部の村落に多い特徴が読み取れる.これは,甘藷の生産地が西南日本の沿岸部や島嶼に多く分布していることとは対照的であり,両者は相補分布の関係にあるといえる. 当日の発表では,近世から馬鈴薯の生産が盛んであった地域に焦点をあて,そこでの作物複合や伝統的加工法,在来品種の残存状況などについても報告する.
著者
池口 明子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.23, 2005 (Released:2005-11-30)

1.背景 自然と社会の関係を扱う地理学において、近年課題とされてきたのは、「自然」をいかにして分析枠組みに取り戻すか、ということであった。「自然」の社会構築論や、資本主義的農業による自然の搾取を描く政治生態学は、いずれも自然を受身で均一な存在として描いている。これに働きかける主体としての社会も、アプリオリに設定された社会集団の名の下に均一なものとして表象される。このような人間-自然の二元論が繰り返される限り、現実に存在する関係性をとらえることは難しい。では、自然あるいは社会に働きかける力:エージェンシーをどのように概念化すればよいのか。このような模索のなかに歓迎されたのがActor-network theory(アクター・ネットワーク理論:ANT)である。 ANTは、Michel Serresの思想に影響をうけつつ、Bruno Latour、Michel Callon、John Lawら人類学者・社会学者が科学技術研究(STS)を通して提示した一連の概念の集合である。それらの概念は、自然と社会のみならず、主体と客体、ローカルとグローバルなどの二元論をも超える可能性をもつとの期待から、地理学者を含む多くの論者により吟味されているが、食の地理学において具体的事例を扱ったものは未だ少ない。2.概念とその意義 ANTでは自然-社会関係とその変化をとらえるにあたって、人間だけではなく、人間以外の機械や動物、数式といった人間以外のものnonhumanも同様にアクターととらえる。これらのアクターが何であるのかは、アクター間の関係性によってのみ定義され、それは常に変化する可能性がある。アクター間の相互定義の過程を分析するときは、社会が自然を定義する、というように一方を主体とした非対称性を避け、互いが互いに定義するという対称性symmetryを原則とする。この人間と自然が入り混じった異種混合体Hybrid collectifが、社会関係を変えていくエージェントであり、その関係性は脱中心化され、偶発的なものである。人間以外のアクターは、時間・空間を超えて移動するものimmutable mobileでもあり、この循環・流通に着目することで、固定され均一化された空間と社会の相互の表象を揺るがせる。3.「食」の地理におけるアクター・ネットワーク 「食」とは動物あるいは植物であり、商品であり、人の身体の一部であり、これを取り巻く様々なアクターとの関係性の異種混合体である。このような観点からは、すべての食をめぐる関係性がANTによる分析の対象となりうるが、これまで比較的多くみられる分析対象は、科学者や科学の組織がアクターとなるような食の地理である。例えば、Fitzsimmons and Goodman(1998)は小麦の大量栽培種の開発、狂牛病、拒食症をアクター・ネットワークの部分として素描し、Whatmore(2002)も遺伝子組み換え食品が作られる過程を科学者や企業・NPOらを含むアクター・ネットワークとして描いている。 これらの分析はモノと人との関係としての食の地理が変化するプロセスを繊細に追うことを可能にしているが、モノとモノの関係や生態を組み込んだ詳細な分析は少ない。この点は、地理学の課題として考える必要があるだろう。主要文献Callon, M. 1986. Some elements of sociology of translation: Domestication of the scallops and the fishermen. In Power, Action, and Belief, ed. J. Law, 196-229. London: Routledge.Fitzsimmons, M. and Goodman, D. 1998. Incorporating nature: environmental narratives and the reproduction of food. In Remaking reality: Nature at the Millenium, eds. B. Brawn and N. Castree, 194-220. London: Routledge.Law, J. and Hassard, J. eds. 1999. Actor Network theory and after. Oxford: Blackwell. Latour, B. 1993. We have never been modern. Cambridge: Harvard University Press. Murdoch, J. 1997. Inhuman/nonhuman/human: actor-network theory and the prospects for a nondualistic and symmetrical perspective on nature and society. Environment and Planning D 15: 731-756.Whatmore, S. 2002. Hybrid Geographies. London: Sage Publications.
著者
嵩 大樹
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.59, 2013 (Released:2013-09-04)

今日の大都市圏における居住地移動は錯綜している。戦後からの東京大都市圏は、東京駅を中心とし、西部地域から時計回りに広がりを見せてきた。そして、バブル期には東京大都市圏は拡大し、千葉県の大都市圏外縁部までを飲み込んだ。しかし、バブル期が終わると、地価の下落に伴い、大都市圏内の住宅取得価格が大幅に下落した。加えて、マンションでの生活がこれまで以上に浸透し、都心部でのマンション開発が行われたことから、郊外住宅地の衰退が見られるようになった。特に、大都市圏外縁部では、郊外住宅地としての性格を弱めた。現在では、居住地移動は都心回帰および郊外住宅地の二分し、主に戸建住宅取得希望者には郊外住宅地への外向移動がはたらいているものの、それは限定的な地域であるとされる。人口減少時代を迎えた今日、郊外住宅地の研究としてはむしろ、衰退を懸念する研究が多い。東京大都市圏の郊外への需要においては、30㎞圏~40㎞圏が中心となると予測されている。 しかし、東京大都市圏周縁部である木更津市ではそのような居住地移動の中で、人口増加が起こっている。その動きは、これまで述べられてきた東京大都市圏の居住地移動の流れとは異なる。本稿は、その居住地移動を検討すべく、木更津市内の新興住宅地である請西南地区、ほたる野地区、羽鳥野地区の3地区を事例として取り上げ、居住者特性や通勤行動を通して人口増加が起こっている要因を明らかにしようとしたものである。本稿では研究対象地域を詳細に絞り、アンケート調査を用いることであえてミクロな研究として、統計上では知り得なかった細部にわたる居住者特性や通勤行動を知ることが可能となった。 木更津市はバブル期の終わりと土地神話の終焉から地価が暴落した。その影響で、現在では横浜市の約7分の1、東京都区部の約20分の1という地価となっているため、他の地域よりも広い戸建住宅が安価に取得できる。アンケート調査によれば、35歳~39歳で子どもが2人いる4人家族の核家族世帯が最も多かった。前住地は主に、木更津市内や隣接市など地域間移動が卓越していたが、対岸の東京都や神奈川県からの転入者や千葉市からの転入者も見られた。現住居居住理由は、「土地・住宅が安価」や「戸建住宅の希望」が2大要因であった。前住の住居が賃貸住宅の世帯が多かったことが要因であろう。3番目の理由として、木更津市内や隣接市の居住者は「生活環境の良さ」を選択したが、前住地が対岸地域の居住者は「通勤が便利」や「自然が多い」を選んでいた。また、この地域からは60歳以上の居住者が見られたことから、老後の最終ライフステージとして研究対象地域が選ばれている。通勤行動として、木更津市内や隣接市への通勤者が最も多かった。このことから、「郊外就業―郊外居住」の職住近接が中心であるといえる。このことから、これまで大都市圏郊外の衰退が地理学において多く議論されてきたが、それはあくまでも東京に通勤する人が多い郊外、即ちベットタウンにおける話であり、木更津市のような東京大都市圏周縁部では、その地域とは性格が異なり、元々郊外の就業を目的とした人が多いことから、一義的な郊外衰退の議論の中に位置づけることは難しいと考えられる。木更津市では職住近接が卓越していることから、大都市圏周縁部には雇用が多いことがわかり、その就業を目的とする居住者が多く存在している限り、大都市圏周縁部は郊外とは相対的な動きを見せると考えられる。他方で、東京都や神奈川県への通勤行動が全体の18.2%も見られた。それらの世帯は、通勤が便利という理由で木更津市へ転居した世帯が多く、アクアライン経由の高速バスを利用している。その高速バスや自動車において、1時間前後で東京都内や神奈川県内の通勤が可能なことで、アクアラインが公共交通として一般化されてきたといえるだろう。そのことが木更津市と東京都や神奈川県との近接性を高めたと考えられる。今や木更津市は千葉市、東京23区、川崎市、横浜市といった大都市圏中心市との近接性の高まりが見られ、そのことが人口増加につながった要因であるだろう。 近年、木更津市内における新たな区画整理と地価の減少に加え、アクアラインの社会実験や高速バスの増便が引き金となり、人口増加が見られるようになった。そして、その区画整理が行われた新興住宅地において、東京都や神奈川県への通勤者が増加している。従って木更津市は今や、東京のベットタウンとしての性格を持ち始めてきたといえる。言い換えれば、木更津市は東京大都市圏周縁部であったが、東京大都市圏内に含まれるようになったと考えられる。
著者
南宮 智娜
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100264, 2015 (Released:2015-04-13)

研究目的 本研究の目的は,日本,中国,韓国相互間のパッケージツアーを中心に,東アジアにおける三ヶ国の国際観光の特徴を明らかにすることである.   研究方法 研究方法は,まず,日本,中国,韓国の旅行会社(日本は,JTB,近畿日本ツーリスト,日本旅行,韓国はHana tour,Mode tour,Lotte tour,中国は,中国国旅,中青旅,中国旅行会社)のインターネットに掲載された三カ国相互間のパッケージツアーを抽出し,ツアーの情報(旅行会社,ルート,出発日,ツアーの名,食事の回数,料理の内容に関する記載の有無,料理の内容及び店名に関する記載の有無,ホテルの名前)をすべてデータベース化し,現在の日本,中国,韓国相互間のパッケージツアーの特徴を検討した.次に,1984年(初刊),1985年5月,1990年5月,1995年5月,2000年5月,2005年5月,2006年(最終刊)のエイビーロードに掲載されたJTB,近畿日本ツーリスト,日本旅行の韓国,中国向けのツアーを全て抽出し,催行されたツアーの年代,旅行会社,タイトル,価格,出発日,食事,添乗員,最少催行人員,出発地,利用予定航空会社,利用予定ホテル,詳細な日程,内容の詳細など)をすべてデータベース化し日本のツアーの時系列的変化を明らかにした.そして,現在の中国・韓国のツアーの特徴と過去の日本のツアーの特徴と比較した.なお,文化的違いによるツアーの特徴も考察に含めた. 現在日本,中国,韓国のパッケージツアーの特徴 日本発のパッケージツアーは,訪問先が特定の都市に偏っている.また,一都市のみに滞在する傾向がある.なお,一日に訪れる観光スポットは少なく,韓国から中国向けのパッケージツアーにはない観光内容もみられた.さらに,食事内容については,こだわりがある.一方,韓国発のパッケージツアーは,一日に多くの観光スポットを訪れる傾向がある.また,温泉と韓国料理にこだわりがある.行先については,韓国と歴史的に関係がある地域へのこだわりがある.中国発のパッケージツアーは,ツアー日数が長く,幅広く都市をまわる傾向がある.また,ショピングを重視する傾向が強い.逆に,食事の内容に関しては取扱いが弱く,食事有無だけ重視する.さらに,ホテルについては,ホテルの名前や利用可能な施設より,グレードにこだわりがある. 日本のパッケージツアーの時系列的変化 日本のツアーの場合は,1980年代は,食事の有無とホテルのグレードのみに注目した.1990年代からは,食事の内容の記載やホテルの名前の記載が見られるようになった.しかも,食事内容は日本料理ではなく,目的地の料理(韓国料理と中華料理)であることから,食事内容においても,現地の日常に対する関心が高まった.さらに,2005年からのツアーは,ホテルに対してのこだわりがあり,さらに多様な選択が可能となった.食事についてのこだわりはさらに強まり,食事内容にとどまらず,店名まで記載されるようになった.なお,観光内容についても,さらに目的地の日常生活に近づいた(たとえば,中国の「太極拳モーニングデビュー」,韓国の「韓国式エステ体験(汗蒸幕,よもぎ蒸し)」など).このように,日本のツアーは,時間の重ねるにつれて,食事とホテルについてのこだわりが生じ,観光内容と食事内容は目的地の日常に近づいていると考えられる.ツアーの日数,訪問地の多少,観光内容,食事とホテルについてのこだわりに注目すると,現在の中国発のツアーは日本の80年代のツアーの特徴に類似する.現在の韓国発ツアーは,日数,主な回り型,食事とホテルに関するこだわりを見ると,日本の90年代のツアーと類似する.しかし,観光内容と食事内容を見ると,韓国と歴史的に関わりがある観光地(たとえば,白頭山),韓国料理にこだわりがある(韓国の中国向けツアーのでは,食事内容と店名まで明記される場合が少ない中で.韓国料理の店名が最も多く記載されている).現在の韓国発のツアーの日数,訪問地の多少,食事とホテルについてのこだわりは,日本の90年代のツアーと類似するが,観光内容と食事内容は,日本の90年代のツアーと異なる傾向にある.
著者
長谷川 直子 横山 俊一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100040, 2015 (Released:2015-04-13)

1. はじめに サイエンス・コミュニケーションとは一般的に、一般市民にわかりやすく科学の知識を伝えることとして認識されている。日本においては特に理科離れが叫ばれるようになって以降、理科教育の分野でサイエンス・コミュニケーターの重要性が叫ばれ,育成が活発化して来ている(例えばJSTによる科学コミュニケーションの推進など)。 ところで、最近日本史の必修化の検討の動きがあったり、社会の中で地理学の面白さや重要性が充分に認識されていないようにも思える。一方で一般市民に地理的な素養や視点が充分に備わっていないという問題が度々指摘される。それに対して、具体的な市民への啓蒙アプローチは充分に検討し尽くされているとは言いがたい。特に学校教育のみならず、社会人を含む一般人にも地理学者がアウトリーチ活動を積極的に行っていかないと、社会の地理に対する認識は変わっていかないと考える。 2. サブカルチャーの地理への地理学者のコミット 一般社会の中でヒットしている地理的視点を含んだコンテンツは多くある。テレビ番組で言えばブラタモリ、秘密のケンミンSHOW、世界の果てまでイッテQ、路線バスの旅等の旅番組など、挙げればきりがない。また、書籍においても坂道をテーマにした本は1万部、青春出版社の「世界で一番○○な地図帳」シリーズは1シリーズで15万部や40万部売り上げている*1。これら以外にもご当地もののブームも地理に関係する。これらは少なくとも何らかの地理的エッセンスを含んでいるが、地理以外の人たちが仕掛けている。専門家から見ると物足りないと感じる部分があるかもしれないが、これだけ多くのものが世で展開されているということは,一般の人がそれらの中にある「地域に関する発見」に面白さを感じているという証といえる。 一方で地理に限ったことではないが、アカデミックな分野においては、活動が専門的な研究中心となり、アウトリーチも学会誌への公表や専門的な書籍の執筆等が多く、一般への直接的な活動が余り行われない。コンビニペーパーバックを出している出版社の編集者の話では、歴史では専門家がこの手の普及本を書くことはあるが地理では聞いたことがないそうである。そのような活動を地理でも積極的に行う余地がありそうだ。 以上のことから,サブカルチャーの中で、「地理」との認識なく「地理っぽいもの」を盛り上げている地理でない人たちと、地理をある程度わかっている地理学者とがうまくコラボして行くことで、ご当地グルメの迷走*2を改善したり、一般への地理の普及を効果的に行えるのではないかと考える。演者らはこのような活動を行う地理学者を、サイエンス・コミュニケーターをもじってジオグラフィー・コミュニケーターと呼ぶ。サブカルチャーの中で一般人にウケている地理ネタのデータ集積と、地理を学ぶ大学生のジオコミュ育成を併せてジオコミュセンターを設立してはどうだろうか。 3. 様々なレベルに応じたアウトリーチの形 ジオパークや博物館、カルチャースクールに来る人、勉強する気のある人たちにアウトリーチするだけではパイが限られる。勉強する気はなく、娯楽として前出のようなサブカルチャーと接している人たちに対し、これら娯楽の中で少しでも地理の素養を身につけてもらう点が裾野を広げるには重要かつ未開であり、検討の余地がある。 ブラタモリの演出家林さんによると、ブラタモリの番組構成の際には「歴史」や「地理」といった単語は出さない。勉強的にしない。下世話な話から入る。色々説明したくなっちゃうけどぐっとこらえて、「説明は3分以内で」というルールを決めてそれを守った。とのことである(Gexpo2014日本地図学会シンポ「都市冒険と地図的好奇心」での講演より抜粋)。専門家がコミットすると専門色が強くなりお勉強的になってしまい娯楽志向の一般人から避けられる。一般ウケする娯楽感性は学者には乏しいので学者外とのコラボが重要となる。 演者らは“一般の人への地理的な素養の普及”を研究グループの第一目的として活動を行っている。本話題のコンセプトに近いものとしてはご当地グルメを用いた地域理解促進を考えている。ご当地グルメのご当地度を星付けした娯楽本(おもしろおかしくちょっとだけ地理:地理度10%)、前出地図帳シリーズのように小学校の先生がネタ本として使えるようなご当地グルメ本(地理度30%)、自ら学ぶ気のある人向けには雑学的な文庫(地理度70%)を出す等、様々な読者層に対応した普及手段を検討中である。これを図に示すと右のようになる。
著者
太田 勇
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.58, no.5, pp.318-339, 1985
被引用文献数
2

この論文は・マレーシアとシンガポールにおける国民統合の過程を,華語社会に焦点を当てて明らかにし,言語政策が特定の社会集団に与える影響を論述している.植民地時代に同___.の政治状況下にあった両国の華人は・今日・異なる政府の下で異なる社会的対応をせまられている.華人が絶対多数派のシンガポールでは,英語系華人が共通語に英語を指定し・華語系華人の不満をおさえて,「第三中国」でない国づくりを断行した.マレーシアにおいては,マレー人文化優位の政策に対し,華人は少数派文化の尊重を主張し,華語の存続に努力している・両者は一見すると相反する方向を目ざすようであるが,いずれの場合も,華人が現住国の国民になり切ろうとして,かつての「華僑」の性格を弱めたために生じた現象である.そして,新しい言語政策の発動の結果・華語系華人の多くが社会変革の過渡期にみられる孤立・疎外感を味わい,現在の自分の立場に不安を感じるところも両国に共通である.
著者
齋藤 仁 松山 洋
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100075, 2015 (Released:2015-10-05)

1.はじめに 解析雨量(レーダー・アメダス解析雨量、気象庁)は、日本列島における詳細な降水分布や豪雨による災害防止を目的に、1988年4月より運用されてきた。これまでに蓄積された解析雨量を用いることで、確率降水量の算出も可能となると言えるが、詳細な検討は少ない。本研究では、豪雨災害への応用を想定し、解析雨量を用いて、高解像度(5kmグリッド)の再現期間50年の1時間降水量と土壌雨量指数を算出した。 2.手法 1988年4月~2013年12月(26年間)の解析雨量(毎正時1時間降水量)を用いた。対象としたのは、23年以上のデータが得られる地域である(図1)。解析雨量の空間解像度は5kmから2.5km(2001年4月)、2.5kmから1km(2006年1月)と変化しているため、2005年までのデータを5kmへと再編集した(Urita et al., 2011, HRL)。次に、得られたデータに対して、均質性を検定した(Wijngaard et al., 2003, IJC)。そして、1時間降水量と土壌雨量指数の年最大値からL-moments(Hosking, 2015, R Package)を求め、再現期間50年の確率値を算出した。その際には、一般的なGumbel分布と一般化極値(GEV)分布を用い、Jackknife法により算出した。 3.結果と考察 日本列島における再現期間50年の1時間降水量は、17.0–158.0 (平均68.2)mm/h (Gumble分布、図1a)、16.8–186.4 (平均69.6)mm/h(GEV分布、図略)である。また再現期間50年の土壌雨量指数は、82.1–638.6(平均226.9、Gumbel分布、図1b)、68.6–705.0(平均221.8、GEV分布、図略)であった。これまでAMeDASデータを用いた確率降水量が産出されてきたが、解析雨量を用いることで、高解像度(5km)の確率降水量と土壌雨量指数の分布を検討可能と言える。特に、大雨の頻度が高い西南日本の太平洋岸において、その詳細な空間分布が明らかとなり、災害対策への応用が考えられる。本研究は予察的なものであり、今後より詳細な解析雨量データの検証と、結果の検証が必要である。
著者
福本 拓
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.197, 2014 (Released:2014-10-01)

Ⅰ はじめに 一般的に,特定の地域におけるエスニック・コンフリクトの表出は,文化的に異なる集団の増加に伴って既存集団との間で生じる社会生活上の軋轢と理解されよう。しかし,そうした軋轢や対立は,必ずしも集団間という位相でのみ捉えられるわけではない。住民の社会属性のほか,エスニック集団内部の差異にも目を向けなければ,コンフリクトの持つ重層性を看過することになろう。また,分析・考察に際しては,それらと密接に関連する地域的要因への着目も求められる。 日本における「ニューカマー」の増加とともに,地域スケールでの既存住民(主に日本人)との軋轢が話題になってきたが,韓国系「ニューカマー」に関しては,「オールドカマー」である在日朝鮮人との関係形成にも注意する必要がある。実際,東京都新宿区の新大久保や大阪市生野区のコリアタウンでは,日本人よりもむしろコリアン内部での対立が表面化しつつあるといわれる。 本発表では,同様の研究では蓄積の乏しい大阪市生野区新今里地区を事例に,コンフリクトの背景にある地域の変化に焦点を当て,その過程で「オールドカマー」が果たした役割を特に土地取得の観点から明らかにする。その上で,エスニック資源が果たした機能についても検討したい。Ⅱ 対象地域の概要 新今里地区は,在日朝鮮人の多い大阪市生野区にあって「ニューカマー」の比率が高いことで知られる。なかでも,かつて「花街」として隆盛を誇った今里新地には,韓国クラブ等の飲食店が集中してエスニックな景観が見られる。 しかし,少なくとも1980年代前半までの新今里地区は,生野区において外国人数の僅少な「空白地帯」であり,『在日韓国人企業名鑑』(1974)から確認しても在日朝鮮人の事業所はあまり見当たらない。従って,コンフリクトの背景にある「ニューカマー」の増加を理解するためには,同地区が「花街」からエスニック空間へと変容した過程を検討する必要がある。 既に加藤(2008)が明らかにしているように,今里新地は1958年の売春防止法を契機に待合営業への転換を余儀なくされ,次第に斜陽化していった。その後,バブル期に待合の廃業と売却が相次ぎ,スナック・クラブの入居するビルや中層マンションが建設されたという。こうした経緯をふまえると,分析上,バブル期に相当する1990年前後に注目することが適当と考える。Ⅲ 用いるデータ 本研究では,1980年~現代に相当する時期に焦点を当て,新今里地区の変容を特に土地・建物所有に着目して分析する。住宅地図のほか,土地・建物登記データを用いてビル・マンションの増加過程と所有者のエスニシティを明らかにする。 登記データは,抵当に関する情報も含まれており,そこから民族金融機関の役割を看取することもできる。なお,その有用性については,拙稿(2013)を参照されたい。 これらのデータに加え,在日朝鮮人の事業所に関する名鑑や,地元関係者への聞き取り調査結果なども適宜用いる。Ⅳ エスニック空間への変容 待合営業に供された低層の住宅は,バブル期以前から減少傾向にあったものの,商業ビルが急速に増加したのは1990年以降である。その背景には「オールドカマー」による旺盛な土地取得があった点が指摘できるが,それ以外にも,かつて「花街」であったために都市計画法の用途地域規制に該当せず,風営法に基づくクラブ営業が可能だったことも影響している。また,韓国クラブの増加に伴い,訪れる客層がそれまでの「花街」のそれとは異なっており,このことが商業ビルやマンションへの転換がさらに進む一因にもなったと考えられる。もちろん,「ニューカマー」韓国人の急増は,韓国の海外渡航自由化に起因している点も見逃せない。 さらに,新今里地区では,ワンルームマンションの増加が果たした役割にも目を向ける必要がある。「ニューカマー」の住宅ニーズを満たしたほか,この地区で顕著な単身高齢者の増加とも関連している。このような住民構成の変化は,既存住民がコンフリクトと感じている状況を考察する上でも重要である。