著者
畠 瞳美 奈良間 千之 福井 幸太郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100288, 2016 (Released:2016-04-08)

北アルプス北東部に位置する白馬大雪渓は日本三大雪渓の一つで,夏季には毎年1万人以上の登山者が通過する日本屈指の登山ルートである.白馬大雪渓上では岩壁の落石や崩落で生産される岩屑により毎年のように登山事故が起こっている.本研究では,落石・崩落の実態や大雪渓周辺の地形変化を明らかにすることを目的として,2014~2015年に現地調査を実施した.2014年の7月~8月に設置したインターバルカメラの撮像結果より,この時期に岩壁から生産された礫の雪渓への侵入はわずかであり,雪渓上に無数に点在する礫の多くは雪渓内部から融出したものであった.UAVの空撮画像を用いて作成した50 cm解像度DEMから得られた表面傾斜角をみると,大雪渓本流では緩傾斜地と急傾斜地が交互に存在し,インターバル撮像から急傾斜地で礫の再転動・再滑動が多く確認された.また,大雪渓上には6種類の礫を確認し,その分布は本調査地域の地質を反映していた.2011~2014年にかけて,大雪渓上流(白馬岳,杓子岳),2号雪渓,3号雪渓及び大雪渓下流右岸側において岩壁が部分的に後退していた.アイスレーダー探査の結果によると,雪渓の厚さは薄いところで約3 m,厚いところで約20 mであり,場所による雪渓の厚さの違いが確認された. 白馬山荘において観測された気温・地温データから,気温が0度付近となる時期は4月末~5月末であり,凍結融解作用で岩壁から礫が生産される時期は非常に短く,7~8月は降水や再転動などの要因で落石事故が生じていると考えられる.さらに,融雪に伴い岩盤が露出することで,凍結融解作用によって生産された岩屑が落石へと発展することがわかった.雪が著しく融けて昨年の雪渓表面が出現する場合,少なくとも雪渓上には2年分の礫が存在するため,礫の再転動・再滑動による災害のリスクが高まると考えられる.本流において急傾斜地で再転動・再滑動が多く起こるという結果から,より急傾斜な2号雪渓と3号雪渓ではそのリスクは非常に高くなることがわかった.本調査地域の地質,大雪渓上の礫の関係及び岩盤の経年変化から,落石はほぼ全ての方向の岩壁斜面から発生しているが,特に杓子岳周辺では落石による激しい岩盤侵食と崖錐の形成が起こっていると考えられる.
著者
山田 晴通
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.9, pp.545-559, 2005-08-01
参考文献数
10

コミュニティ放送は,既存放送制度に対抗する,「コミュニティ」のための放送として,各国で制度化されてきた.コミュニティ放送局が対象とする「コミュニティ」概念の実態的な有効性を,オーストラリアの地方都市アーミデールの事例で検討した.アーミデールでは,大学に基盤を持つ「ラジオ」局としてRUNEが1970年から存在し,その後の制度変更によってHPON(大出力ナローキャスティング)のTUNE! FMとなり,現在に至っている.1970年代半ばに「公共放送」(コミュニティ放送の前身)が注目されると, RUNEを母体に,新たに2ARMが組織され,放送が始まった.やがて, RUNEから独立した2ARMは,安定的に運営された時期を経て,近年では補助金の削減などから経営困難に直面している. 2ARMは,本来,地域社会と同義の「地理的コミュニティ」に根ざすラジオ局として想定されながら, RUNE~TUNE! FMとの競合関係の中で,十分な地域的存立基盤を確保できなかった.一方, RUNE~TUNE! FMは,通常は商業的に利用されるHPONを,非営利目的に活用している.アーミデールの小規模ラジオ局は,地域事情を反映し,役割の棲み分けを行っており,その実態は,「コミュニティ」をめぐるオーストラリアの放送制度の想定に忠実に沿ったかたちとはなっていない.
著者
池田 善昭
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.38, no.5, pp.287-307, 1965

この研究は島根県内の諸都市について,買廻購買および通勤流動の地域的な中心地としての機能を統計的に調査したものに,それらの都市圏の2, 3の例について,地域開発の点から眺めた経済構造の現地聴取調査を加え,現状の概況を整理したものである.<br> 島根県は,山陽に比べて経済開発のきわめて立ち遅れた山陰の一つとして,いわゆるベルト地帯にみられるコンビナート形成や農業近代化などの,経済の高度成長からとり残された地方である.したがって,都市の成長も都市圏の拡大と並行せず,しかも,各都市の核心地域としての機能も松江市・出雲市などを除いてきわめて弱い。また,核心都市も山陰本線沿線に飛石状に分布し,都市連合は全くみられない.しかも,東部から中部の山間は広島県の経済圏に全く依存し,さらには都市域においても松江市以外は年々多くの人口を県外に流出している.このことは,地域開発計画においてもきわめて深刻な課題となっており,流通革命の進行する中で,経済圏の質的拡大への要求を生んでいる。<br> 松江市周辺では,中海干拓工事が既に着工し,さらに宍道湖岸の旅館団地造成,島根半島のスカイライン計画が既に実施段階に入り,県内への観光客の増大が国立公園への島根半島・隠岐・三瓶山の編入後みられるようになり,県下東部沿岸地域にはようやく開発の効果が姿をあらわそうとしている.また,江川開発構想が三江線完成計画の発表と並列的に話題にのぼりはじめた.これらの問題を,松江市・出雲市・江津市を中心に整理した。
著者
斎藤 功 菅野 峰明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.48-59, 1990
被引用文献数
4

武蔵蔵野台地の既存の集落の辺境に開かれた新田集落は,平地林の落ち葉等を活用し,耕種農業,ついで近郊農業を行ってきた。このような地域に新しい主要道路が開通することによって,農家は都市化への急速な対応を迫られるようになった。本稿では小平・田無・東久留米市の境界地帯を事例として,新青梅街道の開通により農民が都市化へいかなる対応をしたかを解明した。<br> 農民の都市化への対応は,一般に通勤兼業が先行する。しかし,農地に執着する農民が,農地を道路や不動産業者に販売した場合,その代金は自宅の新築改築および広い敷地にアパートや貸家を建てて家作経営を行うものが多かった。ついで道路に沿う農地に対しては,道路関連産業の要請により,農地を販売するのではなく賃貸する者も現れた。賃貸の農地は,新車・中古自動車展示場やレストラン,資材置場や倉庫および流通センター等に活用された。<br> 農地を活用した自営的な兼業としては,ゴルフ練習場などのスポージ施設経営が群を抜き,この狭い地域に6つのゴルフ練習場が設立され,わが国最大のゴルフ練習場集中地区となった。ゴルフ練習場ではバッティングセンターやテニスコートぽかりでなく,顧客のためにレストランやゴルフショップを併設する場合が多い。専門度の高いスポーツ施設経営者は,農業経営から離れ産業資本家に脱皮したといえる。<br> 地価の高騰は,一般のサラリーマンに一戸建の家の購入を困難にさせているが,農家が賃貸マンションを建てたりしているので,人口密度は高くなる。しかも,自家用車の所有率が高いため,駐車場需要が高いので駐車場を経営している農家も多い。このように農家では,アパート・マンション・貸家等の家作経営や農地の賃貸など,何らかの農外収入を得ている。しかし,残存した農地では,スーパーマーケットと契約して野菜類を栽培したり,直売している。
著者
斉藤 享治
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.55, no.5, pp.334-349, 1982-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
26
被引用文献数
1 1

集水域面積100km2, 500km2前後の集水域と,土石流が発生しやすい地質(深成岩,凝灰岩,集塊岩)からなる集水域では,扇状地の形成される集水域の占める割合が大きいことを明らかにした.これらの扇状地が形成されやすい集水域の地形・地質条件を解釈することによって,扇状地堆積物の供給・運搬様式を考察した. 集水域面積200km2以下の集水域では,土石流等によって河床に堆積していた砂礫が,洪水時に一気に谷口まで運搬され,堆積して扇状地を形成する。特に,100km2前後の集水域では,洪水発生頻度が高いので扇状地ができやすい.200km2以上の集水域では,河床堆積物が何回もの洪水によって谷口まで運搬され,掃流砂礫が低地に満遍なく堆積して扇状地を形成する.この場合,集水域が大きすぎても,河床勾配が緩くなり,粗粒の岩屑が運搬されにくい.その結果, 500km2前後の集水域では,扇状地が形成されやすくなったと考えられる. 200km2前後の集水域では,荷重量の相対的に小さい洪水流が発生したときに,谷口に堆積していた岩屑が,侵食・運搬されることもあるので,扇状地ができにくくなったものと思われる.
著者
井上 公夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100047, 2015 (Released:2015-04-13)

◆はじめに  本州中央部には,フォッサマグナ(大地溝帯)に沿って日本アルプスが南北に走り,地質構造が非常に複雑なため,大規模土砂移動(地すべり・大規模崩壊・土石流)が地震や豪雨、噴火を誘因として数多く発生している。演者は歴史時代に発生した土砂災害事例を収集整理している。特に,日本各地で山地河川が河道閉塞され,天然ダムが形成・決壊した61災害168事例1),2)を収集・整理した。発生密度の高い日本アルプス周辺の事例を紹介する。◆五畿七道地震(887)による事例  仁和三年七月三十日(887.8.22)に五畿七道地震(南海トラフ沿いの巨大地震)が発生し,多くの地区で津波災害や土砂災害が発生した。この地震によって,山梨県の釜無川上流小武川のドンドコ沢で大規模岩屑なだれ(推定土砂量1700万m3)が発生した3),4)。また,北八ヶ岳の火山体が強く揺すられ,大規模な山体崩壊(移動土砂量3.5億m3)が発生し5),6),大月川岩屑なだれとなって流下し,千曲川を河道閉塞し,日本で最大規模(湛水高130m,湛水量5.8億m3)の天然ダムを形成した7)。303日後に決壊し,仁和洪水砂が千曲川を95kmも流下し,条里制遺構を埋没させた8)。◆越後南西部地震(1502?)による事例 姫川右岸の真那板山が大規模崩壊(堆積土砂量5000万m3)9),10)し,姫川は河道閉塞(現在も葛葉峠として残る)され,大規模な天然ダム(湛水高140m,湛水量1.2億m3)が形成され,数年後に数回に分かれて決壊した11),1)。湛水域の下寺地区には常誓寺があったが,現在は糸魚川の市街地に移転した。松本砂防事務所では,姫川の侵食防止のため,対策工事が行われ,現在は元の崩壊堆積物の状況は見えなくなった12)。1)田畑ほか(2002)天然ダムと災害。2)水山ほか(2011)日本の天然ダムと対応策。3)苅谷(2012)地形など。4)苅谷ほか(2014)合同学会。5)河内(1983)地学雑誌など。6)石橋(1999)地学雑誌など。7)井上ほか(2010)地理など。8)川崎(2010)佐久など。9)古谷(1997)地すべり学会シンポ。10)小疇・石井(1998)地理学会予稿集。11)井上(1998)北陸の建設技術。12)松本砂防事務所(2003)土砂災害冊子。13)井上ほか(2014)歴史地震。14)市川大門町教育委員会(2000)市川大門一宮浅間帳。15)都司(1993)地震学会予稿集。16)鈴木ほか(2009)地すべり学会。17)松本市安曇野資料館(2006)。18) 森ほか(2007)砂防学会誌。19)白馬村(1959)白馬村誌。20) 横山(1912)地学雑誌。21)町田(1964)地理学評論など。22)稗田山崩れ100年事業実行委員会(2011)シンポジウム冊子。◆宝永地震(1707)による事例 宝永四年十月四日(1707.10.28)に発生した宝永・南海地震(M8.4が2回)は,津波被害だけでなく,多くの土砂災害(現時点で17か所)が発生した2),13)。日本アルプス南部でも,安倍川上流の大谷崩れ,富士川流域の八潮崩れ,白鳥山等の大規模崩壊・天然ダムが知られている1),2)。富士川左支・下部川上流の湯之奥では,天然ダム(湛水高70m,湛水量370万m3)が形成され,下流の下部温泉などの住民が決壊を恐れて避難した14),2)。川筋の人夫2800人が出て開削工事をし始めたが,崩壊岩塊が固く湛水を排除できなかった(徐々に湛水域に土砂が溜まり,海河原と呼ばれる)。湯之奥上流部は武田の金山として採掘が行われていたが,宝永地震時には衰退しており,詳しい史料は残っていない。航空写真やLP図で崩壊地形は良く分り,2011年の台風15号の襲来で,林道付近にかなり大きな変状が現れた。◆信州小谷地震(1714)による事例 正徳四年三月十五日(1714.4.28)の地震で小谷村から白馬村で大きな被害がでた15)。鈴木ほか16),2)は史料分析により,姫川右岸の岩戸山で大規模地すべりが発生し,姫川本川を河道閉塞し,湛水高80m,湛水量3800万m3の天然ダムが形成されたことを明らかにした。3日後の18日夜に天然ダムは決壊し,下流域に大きな被害をもたらした。岩戸山周辺にはさらに大規模な地すべり地形が存在し,この地すべり全体が大きく変動すれば,白馬村の北城盆地全体を水没させる可能性がある。昨年の12月の神城断層地震によって,岩戸山周辺でも小規模な崩壊が発生した。雪解け後に大規模地すべり地形に地形変化がないか,確認調査をすべきである。
著者
長谷川 均
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.75-84, 1982-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
21
被引用文献数
1 1

本稿は,石狩平野海岸部において,砂質堆積物の堆積環境や,同じタイプの地形でも,場所の違いが堆積物の粒度組成にどのように反映しているかなどを明らかにすることを目的とした. 66試料について,粒度組成の統計値による分析と, Qモード因子分析を行なった.その結果,当地域においては, energy総体を反映すると考えた因子により,比較的大きなenergyの影響下にあった北東部と,それより小さなenergyの影響下にあったと考えられる南西部とに区分できた.そして,偏形樹や気候資料をもとにした強風域の分布,強風の出現頻度などから,北東部は南西部に比べ,北西方向の強い風が吹くことがわかり,因子分析で推定した地域区分と一致した. 当地域の堆積物の粒度組成は,西方向の強い風や,それによる波浪の影響を受けて構成されると考えられ,西方向の強風をさえぎる石狩平野西方の積丹半島や高島岬の存在が,石狩平野の堆積環境に重要な意味を持つと考えられる.
著者
久富 悠生 中山 大地 松山 洋
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100223, 2014 (Released:2014-03-31)

本研究の目的は,武蔵野台地における長期的な地下水流動を,数値モデルを利用して再現すること,及び長期的な地下水流動の変化と土地利用の関係を定量的に明らかにすることである.モデルはUSGS(アメリカ地質調査所)が開発したMODFLOWを利用した.MODFLOWは有限差分法を用いた3次元地下水流動解析モデルである.解析期間は土地利用データのある1977年~2012年を対象とし,MODFLOWを用いて1日ごとの地下水位を算出した.また,統計的に推定した気象データを用いて2013年~2050年における地下水流動の予測シミュレーションも行った. その結果,MODFLOWによって降水による地下水の反応や,季節変化を再現することができた.また,計算された地下水位のデータを用いて,1977年~2012年の地下水位の低下量と観測点における涵養域の減少量を算出した.地下水の変動傾向の有無の検出にはMann-Kendall検定を利用した.その結果,涵養域の減少量と地下水位の低下量に相関関係があることが明らかになった.この要因として,1977年~2012年に,水田や農地,森林などの透水面の面積が減少し,建物用地などの不透水面の面積が増加していることが示された.また,局地的な涵養域の減少の他に,武蔵野台地全体における広域的な涵養域の減少も地下水位の低下に影響を与えていることが示唆された.2013年~2050年の地下水流動の将来予測では,降水量の増加に対する地下水位の上昇はみられなかった.したがって,降水量の長期的な変化が地下水位の変動に与える影響は比較的少ないことが明らかになった. 今回のモデルでは長期的な地下水の流動を再現することができたが,再現性に欠ける部分もあった.そのため,今後の課題として更なるモデルの改良が必要であることが明らかになった.
著者
北島 晴美 太田 節子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.138, 2005 (Released:2005-07-27)

1.はじめに 筆者らは,これまで都道府県別平均寿命(0歳平均余命)と気候との関係を,『メッシュ気候値2000』(気象庁)を使用して分析し,_I_期(1923, 1928, 1933)には,男・女の平均寿命と降水量には有意な相関関係がみられることから,降雪量の違いが_I_期平均寿命の地域差に影響した可能性を確認した。_II_期(1955, 1960, 1965, 1970, 1975)には,男・女の平均寿命は,全年を通しての月平均気温(日最高,日最低,日平均気温)と正相関があり,最深積雪と負相関がある。_II_期に見られた平均寿命と気温,最深積雪との相関関係は,_II_期の前半までの全国の状況を反映したものと推察された。_III_期(1980, 1985, 1990, 1995, 2000)には,男女の平均寿命は気候要素とほぼ無相関であった(北島・太田,2004)。 _III_期には,平均寿命と気候には相関関係が見られないが,高齢者に限れば冬季の気候条件の違いが戸外での活動を制限し老化の進行に影響する可能性があり,高齢者の平均余命は,全ての年齢階級の死亡率を反映した平均寿命よりも気候の影響を受けやすいと考えられる。 本研究の目的は,高齢者の平均余命が_I_期,_II_期において平均寿命よりも気候条件と関連していたのか,_III_期において高齢者の平均余命は気候条件と関連があるのかを,長期間のデータから明らかにすることである。2.研究方法 北島・太田(2004)と同様の資料から,_I_期,_II_期,_III_期について,都道府県別高齢者平均余命分布図を作成し,平均寿命の分布とどのような違いが見られるのか調べた。 次に,各期間で都道府県別高齢者平均余命は気候要素とどのような相関関係を持つかを検討した。 さらに,各期間の特徴を詳細に検討するために,13年分の65_から_80歳の平均余命と気候要素との相関係数の変遷を調べ,特徴的な相関関係を示した気候要素について,高齢者の平均余命に及ぼす影響を考察した。3.高齢者の平均余命と気候要素との相関係数の変遷 日平均気温(年平均)と平均寿命および65歳平均余命との相関係数(図1)は,平均寿命,65歳平均余命とも_II_期に最も相関が強く,_III_期に最も弱い。_I_期には両者の中間的な値を示す。平均寿命よりも65歳平均余命の方が日平均気温と相関が強い。平均寿命は_III_期には日平均気温と有意な相関関係がないが,65歳平均余命は1985年まで日平均気温と有意な相関関係がみられる。 年最深積雪と平均寿命との相関係数(図2)は,_I_期に最も負の相関が強く,_II_期,_III_期には次第に相関が弱くなり1990年以降は相関係数が0前後となった。65歳平均余命では,_II_期に最も負の相関が強く,その後次第に相関係数が0に近づく。_II_期,_III_期において,平均寿命よりも65歳平均余命の方が年最深積雪と相関が強い。平均寿命と年最深積雪に有意な相関関係がみられるのは,1965年(男性)あるいは1970年(女性)までであるが,65歳平均余命は1980年まで有意な相関関係がある(図2)。75歳平均余命は1985年まで,80歳平均余命は1990年まで有意な相関関係がみられる。 以上のように,高齢者の平均余命は,_I_期の最深積雪を除いて平均寿命よりも気候との相関関係が強く,_III_期初めまで気温・最深積雪と有意な相関関係があった。また,高齢になるほど,有意な相関関係が最近まで持続する傾向があった。北島晴美,太田節子 2004:都道府県別平均寿命の分布の変遷と気候の影響.信州大学山地水環境教育研究センター研究報告,3,53‐75.
著者
松本 豊寿
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.11, pp.593-605, 1964

近世城下町の商圏は,二つの相反する属性をもっている.一つは封建的商圏としての性格であり,他は経済的商圏のそれである.封建的商圏は城下町本位の商圏で,その独占的優越を領主権力によって維持確立しようとする.「商物方限令」は,その法的表現である.しかし, 19 C. に入ると農民的商品経済の発達は,在郷町を基軸とした経済的商圏の要素を強化し.両商圏の対立ど競合がはげしくなる. 19 C. も中葉以降になるとこの傾向はますます激化していくかつての城下町オンリーの単独商圏は,在郷町の局地的商圏との協同,それとの複合商圏を構成することによってのみその発展が保障されるのである.旧方限令の改定や「出店中宿制」はよくこの間の事清を物語ってくれる.かくして城下町中心主義の方限とその商圏は,方限軽視の自由流通の波によって,大きな変質を余儀なくされるのである.それにしても封建体制のつづく限り領主的反動による封建的商圏の再生が執拗に繰り返されるが,その経済主義的立場より非合理性の故に,これは結局,斜陽的主張の哀歌にすぎない.<br> 版籍奉還と廃藩置県は古い方限制の撤廃を必然化し,純経済的地域分業にもとつく近代都市的商圏へとそれ自体を転化するのである.
著者
橋詰 直道 稲田 康明
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100047, 2016 (Released:2016-04-08)

本研究は,東京大都市圏の超郊外地域に位置する静岡県田方郡函南町の別荘地南箱根ダイヤランドを事例に,定住化に伴う高齢化の実態と居住環境に関わる諸問題について,これまでの調査結果と比較しながら明らかにしようとしたものである。調査では,この別荘地の管理会社から,開発の経緯と現状を聞き取り調査し,ダイヤランド区民の会の協力を得て,2014年9月に戸建て定住世帯と別荘に対してアンケート調査を実施した。その結果は,以下のように要約できる。 アンケート回答定住世帯(202世帯)の世帯主は,8割近くがリタイアした「無職」の世帯で(平均年齢72歳),いわゆる退職移動に伴うリタイアメント・コミュニティを形成している。この別荘地を購入し,転入を決めた理由に「富士山の眺望」と「温泉付き」を魅力としてあげた世帯が多いことがこの別荘地の特徴である。この高齢定住者の多くは,主に首都圏から定年退職を機に,富士山の見える自然の中で,ガーデニングや家庭菜園,ゴルフなどの趣味を楽しみながら第二の人生を満喫することを目的に「アメニティ移動」をした富裕層を中心とする住民達である。彼らの多くは,趣味をとおして「リゾート型リタイアメント・コミュニティ」を構築しているが,別荘地であるが故の不満や将来の生活に対する不安も抱えている。例えば,住宅地内では雑草や樹木の管理,空き地管理などに,環境面では,バスの便や,食料品・日用品の購入などに対して不満を持ち,近い将来「車が運転できなくなった時への不安」が常に付きまとっている。それでも約6割の住民が,この別荘地に「永住する」と回答しているのは,彼らにとってこの場所が不満や不安を忘れさせてくれる豊かな自然と眺望,趣味が楽しめる「楽園」であるからであろう。しかし,既に定住者の高齢化率が53%を超えていることを考え合わせると,老人保健施設が未整備の別荘地では,加齢とともに生活の不安や不満が増すことになり,転居して第三の人生を送る場所を探し始める居住者も少なくない。このことは,千葉県や栃木県の事例(橋詰,2013;2014)と同様,超郊外地域の別荘地ならではの共通の課題を抱えていると言える。
著者
長谷川 直子 宮岡 邦任 元木 理寿 大八木 英夫 谷口 智雅 戸田 真夏 山下 琢巳 横山 俊一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100036, 2013 (Released:2014-03-14)

2013年春の日本地理学会において、地理学の社会的役割を考えるというシンポジウムが開催された。発表者の何人かは、一般の人に地理学的な視点(広い視野、総合的な視点、現象間の関係性を理解する)がないことが問題であると指摘していた。それでは一般の人にそのような視点を持ってもらうためにはどうしたら良いか。具体的に何か作成し、普及できないか。そのような視点に立ち、筆者らは2013年春から研究グループを立ち上げて活動を開始している。地誌学的な視点の一般への普及の手段として、地誌学の視点から地域を理解する教材を子供向け(義務教育における副読本や教員向け実践実例集等)と大人向け(旅行ガイドブック)に作成できないか考えた。現在市販されているガイドブックを地誌学の視点から眺めると、単なるスポット・事象の羅列になっており、スポット間の関係性や、スポット・事象がそこに存在する理由などの地誌学的説明が見られない。旅行ガイドブックにこれらの説明をうまく入れられれば、旅行者がガイドブックを読むことで地誌学的視点が身に付くようになるのではないかと考えられる。そして、観光ガイドブックにどのように項目を取り上げ、地誌学的な記載をするかについて、検討を行った。
著者
吉村 信吉
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.16, no.4, pp.249-264, 1940-04-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
14
被引用文献数
1

1.東京市杉並區の西,妙正寺川,善幅寺川上流間の臺地に淺井帶があり,地下水面が扁平ではあるが塚状に盛上つてゐて,地下水堆と考へられる。 2.地下水堆は長さ3.5km,幅1.1kmに達し,武藏野臺地に於ては最大である。地下水の動水傾斜は所々稍〓大きくなつてゐるが,地下水瀑布線附近の地下水面のそれに比し著しく小さい。 3.地下水堆は地形から云つて地下水の流出が少い上に厚くローム層下部に粘土層が存在するから生じたものである。 4.聚落發生との間には關係があるらしいが,現在の所證するに足る資料は得られてゐない。
著者
山本 晴彦 岩谷 潔 張 継権
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.210, 2005 (Released:2005-07-27)

中国東北地区(戦前の旧満州、以下「満州」と称す)に広がる畑作地帯はダイズ・トウモロコシなどの穀物の大生産地であり、わが国へも輸出されている。地球温暖化に伴う高緯度地帯の気候変動に基づく収量予測を行うには、長期間の気象観測資料の収集・分析が必要である。ここでは、戦前の満州における気象観測業務の変遷と気象資料の保存状況の調査、満州気象デジタルアーカイブの構築について紹介する。満州における気象業務は、わが国が日露戦争に際して軍事上の目的から、中央気象台(現在の気象庁)が1904年8月に大連(第6)・營口(第7)、1905年4月に奉天(第8)、5月に旅順(第6・出張所)に臨時観測所を設けたのが始まりである。その後、これらは関東都督府に引き継がれ、名所変更をはじめ、長春、四平街、周平子等に測候所や支所が開設された。1925年以降は、南満州鉄道株式会社(満鉄)に一部を委託し、満鉄委託観測所が開設されて気象業務の充実が図られた。満州国設立当時には、関東観測所(大連)、関東観測所支所(旅順・營口・奉天・四平街・新京)、満鉄委託観測所(鞍山・開原・撫順・鄭家屯・林西・洮南・齊々哈爾・哈爾濱・海倫・鳳凰城・海龍・敦化)が設けられていた。建国以降は、新京に中央観象台を設置し、黒河・海拉爾等に観測業務が開設されたが、1937年12月、治外法権の撤廃及び満鉄附属地行政権の委譲に伴って、旅順・奉天・四平街・新京の4支所は満州国に委譲された。1940年の満州気象月報によれば、観象台(所)は新京の中央観象台を含めて42ヶ所、簡易観測所が126ヶ所となっている。大連の関東観測所は、関東気象台官制(昭和13年勅令第705号)により、関東気象台として引き続き気象業務を施行している。わが国が満州における気象業務を開始する以前、ロシアは満州を横断する東清鉄道を敷設し、1898年に哈爾濱_-_大連間の南満鉄道の敷設権と関東州の租借権を獲得していた。ロシアは、この年に東支鉄道建設局において哈爾濱に気象観測所を設置し、さらに10数ヶ所の気象観測所を設けていた。東支鉄道は、満州国建国とともに北満鉄道と改称し、1935年3月調印の満ソ条約に基づき満州国に委譲された。筆者らは、三菱財団平成15年度人文科学研究助成を受けて、山口大学経済学部の東亜経済研究所、気象庁図書館、国立国会図書館、広島大学附属図書館気象文庫、北海道大学附属図書館旧外地関係資料(北方資料データベース)の膨大な満州関連の資料から、気象観測記録に関わる資料を収集(図2)・整理(表1)し、データベース化を行っている。中国では「旧満州 東北地方文献職合目録」が大連市・黒龍江省図書館が編者となり出版されているが、中国の図書館における旧満州の気象観測記録に関わる資料の蔵書数はきわめて少ない状況にある。また、中国国家気候資料センターの所蔵資料も1940年以降の気象資料は見当たらないのが現状である。1940年までの月データについては満州気象資料と東亜気象資料に掲載されている。デジタルカメラで資料を撮影し、OCRソフトを用いて画像のデジタルデータベース化を進めている。未掲載データを満州気象月報(図2)で補完し、2005年3月には完成する。1941年3月以前の気象観測の日データについては、主要都市においてデジタルアーカイブの構築を予定している。
著者
加藤 隆之 日下 博幸
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.8, 2013 (Released:2013-09-04)

1.はじめに斜面温暖帯の研究は古くから行われ、近年ではKobayasi et al (1994)は夜間の斜面上複数地点の鉛直気温分布を明らかにする実測的研究を行った。また、斜面冷気流、斜面温暖帯、冷気湖が動的相互作用を示すために斜面温暖帯を単独では考えられないことについても明らかにされている(Mori and Kobayasi 1996)。しかしながら、斜面温暖帯の詳細な時系列変化について、上空の風の場を含む観測や高解像度化した数値シミュレーションによる検証は現在まで行われていない。本研究は筑波山を例として、斜面温暖帯と斜面下降流の詳細な構造の時系列変化を観測と数値モデルにより明らかにすることを目的とする。2.斜面温暖帯の観測筑波山での斜面流・温暖帯の実態を明らかにするため2012年12月9日よりウェザーステーション、サーモカメラ、パイバル、係留気球を用いた観測を行っている。本観測は、斜面流・斜面温暖帯の時間変化を気温・風の鉛直分布という双方の視点から捉えることが可能である。12月13日夜~14日の早朝の事例では、筑波山斜面南および北西斜面において顕著な斜面温暖帯が観測された。12月13日21時の筑波山西側斜面のサーモカメラによる表面温度分布(図1左)によれば、標高200~300m付近に上下よりも3℃程温度が高い斜面温暖帯が存在している。一方、14日5時(図1右)のサーモカメラによる観測では、標高400~500mに帯状に高温帯が出現している。この時の斜面温暖帯は、前日21時のものよりも温度差としては小さく、その強度は1.5℃程度である。3.斜面温暖帯の数値実験数値モデルには階段地形を導入した二次元非静力学ブジネスク近似の方程式系を採用した。このような数値モデルは筑波山のような斜面の角度が複数段階となっている地形の斜面温暖帯の時間変化について議論が可能である。計算対象領域を水平20km、上空2500mとし、基本場の温数位勾配を0.004K/m、上空の地衡風を0m/sに設定した数値シミュレーションを行った。実験の結果から、十分に時間が経った山麓(計算開始5時間後)では地上に冷気湖が形成され、基本場の気温逓減率によって冷気湖面上部の斜面上に相対的に気温が高くなる斜面温暖帯が再現された(図2)。この結果は斜面温暖帯が冷気湖面の高度に対応しているという従来の研究結果と合致する。風速分布のシミュレーション結果からは冷気流の流入が活発になる高度と斜面温暖帯が同一であることや、冷気湖の発達により冷気湖面より下部に位置する地点では湖面上部と比較して風速が弱くなる様子が再現された。また、斜面下降流に対する補償流は、主に山地上部の水平方向から供給されており、斜面温暖帯形成要因として鉛直方向からの上空の高温位空気の流入(断熱圧縮による気温上昇)はないものと考えられる。
著者
河村 武
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.33, no.3, pp.105-112, 1960
被引用文献数
1

昭和33年9月26日東日本を襲つた台風22号(狩野川台風)による伊豆半島付近の詳細な降水量分布を検討した.本報の目的は,従来ほとんど取扱われなかつたマイクロないしはメソスケールの降水量分布を現象面で捉えることにある.とくにこの程度の規模の現象は,地形の影響を大きくうけるので,現存の観測網では容易に実態を把握できないが,共軸相関図の作成その他の若干の作業を行うことにより,できる限り資料的制約を克服するように努めた.内容的には次の点に大別される.<br> (1) 総降水量分布図の作成(分布図第3図). (2) 1時間降水量の時間的変化(第4図). (3) 面積雨量の時間的変化(第5図).<br> なお狭い地域内の量の分布に対する地形の影響,風上斜面と風下斜面との雨量差および高さによる雨量差などが如何に大きいかが第2図から知られる.
著者
高木 彰彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.56, no.6, pp.420-439, 1983

本稿では,参議院選挙をとりあげ,愛知県を事例どして選挙結果の空間的分布とその変化を示すとともに,社会・経済的地域特性との関連を定量的に謝した. (1) まず,選挙繰では,投票率ま,第7回(1965年)・第10回(1974年)選挙とも,農山村部で高く,都市部で低かった.政党別得票率をみると,第7回選挙では保守と革新の得票分布の違いが明瞭で,自民党は農山村部で高い得票率を示し,他政党は都市部で高かった.第10回選挙になると,自民・社会両党の得票が都市部で減少し,共産党・公明党が都市部で増加,民社党が労働組合の支持変更のため急増した. (2) 次いで, 1965・75年における社会・経済的地域特性を因子分析により要約した. (3) 投票率,政党別得票率を従属変数, (2) で得られた因子得点を独立変数として重回帰分析を行なった結果,両者には密接かつ有意な関係のあることが判明した.