- 著者
-
植村 円香
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 日本地理学会発表要旨集
- 巻号頁・発行日
- pp.100104, 2015 (Released:2015-04-13)
I 研究の目的<BR> 高度経済成長期以降,東北地域では農家の兼業化が進展した.東北地域の兼業農家の特徴として,農業経営面積が大きいことが挙げられる.それは,東北地域の労働市場が安定的なものではなく,出稼ぎなど不安定なものとなることから,農業への依存度が高いからである.<BR> 不安定兼業に従事してきた農業者は,加齢に伴って兼業先を退職した後,専業的に農業に従事する傾向がある.その際,高齢農業者は,生きがいとしてではなく,生計維持の手段として農業に従事する可能性がある.それは,不安定兼業に従事してきた高齢農業者の年金受給額が恒常的勤務であった者のそれと比べて低いため,戦略的な農業経営を行うことで生計を補う必要性があると考えられるからである.<BR> そこで本発表では,不安定兼業に従事してきた農業者の多い地域として知られる秋田県羽後町において,高齢農業者の農外就業と農業経営を分析することで,彼らの生計戦略を明らかにすることを目的とする.こうした視点は,高齢農業者を農地管理や生きがい農業をする者として捉えてきた既存研究とは異なる.<BR> <BR>II 羽後町の概要<BR> 羽後町は秋田県南部内陸部に位置し,雄物川沿いの水田地帯と出羽山地に入り込んだ山間地帯からなる.また,県内屈指の豪雪地帯であり,山間地の積雪量は2mを超すこともある.高度経済成長期には,農家の次男,三男だけでなく,長男も出稼ぎに従事するようになった.その理由としては,地場産業の衰退,東京オリンピックを契機とする建設事業ブーム,米の生産調整が挙げられる.特に,米の水田単作地帯であった羽後町では,減反政策による米代収入の減少が,出稼ぎに拍車をかけた.<BR> 1970年代に入ると,出稼ぎ需要が低下するなかで,羽後町の出稼ぎ労働者は地元で求職せざるを得なくなった.しかし,地元の労働市場が狭小であるため,正規雇用として就業するのは簡単ではなかった.そのため,農業を主要な生計手段としながら,羽後町で開始された土地改良事業や地元の公共事業の作業員として,農閑期である冬に不安定兼業に従事したのである.<BR><BR>III 羽後町における農家の生計戦略<BR> 2014年12月から2015年1月にかけて,羽後町新成地区嶋田集落(農家世帯数50戸)の農家に聞取り調査を実施した.その結果,ほとんどの農家は農閑期である冬に不安定兼業に従事していた.不安定兼業の種類には世代差がみられ,70歳代以上の農家は出稼ぎや地元の公共事業に70歳代まで従事し,50歳代から70歳代の農家は除雪作業に従事していた.不安定兼業からの収入は,出稼ぎ,除雪作業とも100万円程度であった.<BR> 農業経営に関しては,1970年の生産調整以降,農協が米から大豆,スイカ,施設野菜への転換を唱えたことで,複合経営が展開されるようになっている.農家への聞き取りでは,栽培作物のうち米や大豆など価格の低い作物を集落営農組織等へ委託し,価格の高いスイカや施設野菜を集中的に栽培する傾向がみられた.特筆すべき点は,こうした負担の大きい戦略をとる傾向が,50歳代だけでなく70歳代においても多くの農家でみられたことである.このことから,東北地域の豪雪地帯の高齢農家が,農地管理や生きがい農業でなく生計維持の手段として農業に従事しているということが示唆された.<BR><BR> 本研究は,公益社団法人東京地学協会平成26年度研究・調査助成金(植村円香,東北地域における高齢離職就農者の農業経営とその役割)を使用した.