著者
赤峯 倫介
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.33, no.3, pp.162-166, 1960
被引用文献数
1

台風22号による狩野川流域の豪雨およびそれにともなう洪水は,上流山地に非常に多くの崩壊地を発生せしめ,河岸を掃流し,中下流部の堤防を破壊し,流域に非常に大きな被害をもたらした.この水害の発生機構を明らかにするためには,狩野川の自然的性格の変化の過程と,その変化を促進した流域の社会的,経済発展のプロセスから明らかにしなければならない.狩野川では古来いく度となく大きな水害が繰り返えされ,一部常習的水害地域には堤防が構築されていたが,明治20年頃まではこの川は自然河川としての性格が強かつた.その後流域の治水対策はしだいに進展しとくに明治末期-大正期にかけて行われた高水方式による河川改修は,狩野川の自然的性格を著しく変化せしめた.他方この川の流域では日本資本主義の発展の中で社会的経済的の発展をみたが,その発展は無統制無秩序に進められた.この治水諸施説と流域社会経済の発展との不均衡が今次の大水害の要因をなした.
著者
埴淵 知哉
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100014, 2011 (Released:2011-11-22)

本研究では、不動産広告に表現される情報を材料として、軍港都市・横須賀の場所イメージの構造とその変遷を「住」の側面から明らかにする。広告内に表現される場所イメージは、特定の目的に沿って生産された選択性の高い情報と考えられるため、そこに含まれる「偏り」の中に、価値や評価の構造を読み取ることができる。そこで本研究では、場所イメージの生産者が、消費者に対してどのような情報を提示してきたのかを分析し、その中で軍港都市の諸要素がいかにかかわっていたのか、あるいはいなかったのかを検討する。不動産広告を収集する資料としては、『朝日新聞縮刷版』の朝刊を用い、1940~2009年の70年間を対象期間とした。季節性と曜日を考慮しながら、一定の基準に従ってサンプリング(抽出率約10%)をおこなったうえで、抽出した新聞記事の中から、横須賀市内に立地する物件の不動産広告を収集した。作業の結果、合計で150件の広告が資料として得られた。分析においては、まず、不動産広告における文字情報に着目し、場所イメージが言語的表現を通じてどのように書かれているのかを探った。具体的には、キーワードの出現頻度を集計し、場所イメージに関する内容分析をおこなった。その結果、横須賀市内に立地する住宅地の不動産広告からは、基本的に「軍港都市」と関連する場所イメージは、少なくとも直接的には抽出されなかった。出現頻度の高かった「海」「高台」「丘陵」といったキーワードは、横須賀が港湾都市として発展してきた地形条件を表現しているともいえるが、それはむしろ「景観・風景」「眺望・見晴らし」といった一般的に好ましいイメージに結び付けられており、抽象的な自然物として表現されていると考えられた。次に、広告内の視覚的表現として地図・図像データを取り上げ、軍港都市の各種施設や地物がどのように描かれるのか/描かれないのかに注目しながら、場所イメージの描かれ方を分析した。その結果、文字情報と同様に、地図・図像においても軍港都市の要素は基本的に描かれていなかった。例えば、イラストとして表現された海や港も、軍港としてではなく、レジャーを連想させるものとして描かれていた。このように、不動産広告において表現される横須賀の場所イメージには、軍港都市の要素はほとんどみられず、それは住宅地のイメージを商品化するうえで意図的に除外されていたものと推察される。
著者
三澤 勝衛
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.2, no.10, pp.813-834_1, 1926-10-01 (Released:2008-12-24)
被引用文献数
2 1
著者
三澤 勝衞
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.2, no.11, pp.925-951, 1926-11-01 (Released:2008-12-24)
被引用文献数
1
著者
佐竹 泰和 荒井 良雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.24, 2014 (Released:2014-10-01)

1.背景と目的2000年代以降,全国的に整備が進むブロードバンドは,高速・大容量通信を可能とした情報通信基盤である.音声や文字だけでなく静止画や動画の流通が一般的となった現在では,ブロードバンドはインターネット接続に必要な基盤として広く普及している.インターネットの特徴の一つは,距離的なコストを削減できることから,地理的に隔絶性の高い地域ほど利用価値が高いことにあり,こうした地域に対するブロードバンド整備の影響が着目される. 離島は,地理的隔絶性の高い地域の典型的な例であるが,それ故に本土との格差が生じ,その対策として港湾・道路などのインフラ整備に多額の公費が投入されてきた.しかし,高度経済成長期以降強まった若年層の流出は続き,多くの離島で過疎化・高齢化が進行するなど,離島のかかえる問題は現在もなお解消されていない. それでは,離島におけるインターネットの基盤整備は,どのような地域問題に貢献しうるのだろうか.本研究では,離島におけるインターネットの利用実態を把握し,その利用者と利用形態の特徴を明らかにすることを通じて,インターネットが離島に与える影響を検討することを目的とする.なお,本発表では住民のインターネット利用について報告する. 2.対象地域と調査方法 東京都小笠原村および島根県海士町を研究事例地域としてとり上げる.本研究では,島民のインターネット利用実態を把握するために,両町村の全世帯に対して世帯内でのインターネット利用状況についてアンケート調査を実施した.小笠原村に対しては,2013年5月に父島および母島全域にアンケート票を送付した.回収数は403,国勢調査の世帯数ベースでの回収率は29.9%である.また海士町に対しては,2013年12月に町内全域にアンケート票を郵送し,394の回答を得た.2010年国勢調査によると,海士町における世帯数は 1,052(人口2,374)であるため,国勢調査ベースで回収率は37.5%である. 3.結果の概要 総務省が毎年実施している通信利用動向調査によれば,2012年の世帯内インターネット利用率の全国平均は86.2%だが,小笠原村は,82.1%と全国平均に近い一方で,海士町は54.2%と低い.海士町を例に回答者年齢別のインターネット利用状況を分析した結果,離島も全国的な傾向と同様に年齢の影響を強く受けることが明らかになった.一方,コンテンツの利用状況をみると,小笠原村と海士町共にインターネット通販の利用率が最も高く,次いで電子メールとなっており,電子メールの利用率が最も高い全国平均と異なる結果を示した.このように,インターネットの利用有無は回答者属性に依存するものの,利用内容については離島という地域性が現れたと考えられる.たとえば小笠原村では,観光業が盛んなことから自営業の仕入れにインターネット通販を使う例もみられた. 次に,居住者属性として移住の有無に着目し,海士町においてIターン者のインターネット利用状況を分析した.海士町のIターン者は若年層が多いため,インターネット利用率は約66%と隠岐出身者よりも高い値を示した.また,品目別にインターネット通販の利用状況をみても,Iターン者のほうが多品目を購入していることが明らかになった. 以上から,年齢の影響は無視できないものの,離島生活におけるネット通販の必要性,特に Iターン者に対する影響は大きく,ブロードバンド整備は移住者の受け入れに必要な事業であるといえよう.しかし,この結論は限定的であり,より対象を広げて議論する必要がある. 付記 本発表は,平成24-26年度科学研究費補助金基盤研究(B)「離島地域におけるブロードバンド整備の地域的影響に関する総合的研究」(研究代表者:荒井良雄,課題番号24320166)による成果の一部である.
著者
田村 百代
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.45-53, 1980-01-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
33

Von der letzten Hälite des 19. bis zum Anfang des 20. Jh. war Geomorphologie das entwickelteste Gebiet der Geographie. O. Schlüter hat in Analogie zur Geomorphologie die Geographie des Menschen aufgefasst. Es hat sich noch fortgesetzt, die. Parallele zwischen Geomorphologie und Geographie des Menschen zu machen. G. Hard schreibt in seinem Werk (1973) folgendermassen: “ (S. 163) Die Landschaftsgeographie ist infolgedessen-ähnlich der genetischen Geomorphologie-durch ihren Grundsatz geneigt, die Landschaft als eine Art Palimpsest zu lesen, …… d. h.…… die landschaftlichen Zeugen (“Relikte”, “Survivals”) der verschiedenen Epochen aufzusuchen, … …” Leider führt er keine Beispiele an. In Deutschland unterschied H. Lautensach (1886_??_1971) bereits in 1933 die geographischen. Formen der heutigen Kulturlandschaft zwischen lebende und tote (fossile) Formen nach S. Passarge, der die Oberflächenformen des festen Landes in Vorzeit- und Jetztzeitformen unterschieden hatte. Daher kommt Lautensach's Unterscheidung aus der klimatischen Geomorphologie von Passarge, der im Gegensatz zum geographischen Zyklus von W. M. Davis seine Unterscheidungstheorie in seinem Aufsatz “Physiologische Morphologie” (1912) begrtindet hat. In Japan hat K. Tanaka (1885 _??_1975) in seinem Vortrag “Die Geographie als selbständige Wissenschaft” (1923) behauptet, die geographischen Formen der heutigen Kulturlandschaft nach Davisscher Lehre zu unterscheiden, und er hat wirklich in seinem Werk “Das Wesen und das Prinzip der Geographie” (1949) folgende drei Formen der Kulturlandschaft vorges-
著者
曽根 敏雄
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100298, 2016 (Released:2016-04-08)

大雪山の永久凍土分布の下限高度付近の風衝砂礫において、2013年秋から地表面温度および気温を1年間以上測定し永久凍土の存在の可能性を推定した。その結果1755m地点以上の標高の風衝砂礫地では永久凍土が分布する可能性があることが判った。1655m地点と1710m地点では地表面温度の年平均値が0℃を越えており、永久凍土が存在する可能性は低い。
著者
渡辺 満久
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.41, 2006 (Released:2006-05-18)

関東南部では,4つのプレートが衝突しているため,これまでにも多数の大きな被害地震が発生してきた.江戸時代以降,関東南部から発生したやや大振り(M8クラス)な海溝型地震は,1703年元禄地震・1923年関東地震である.これらの巨大地震の発生前には,ほとんど地震が発生しない静穏期と東京湾周辺における小振り(M7クラス)な直下地震の多発時期があった.その繰り返しをもとに,政府中央防災会議は,埼玉県を含む首都直下地震発生の危険性と被害想定結果を公表した.1923年以後の静穏期が終了し,活動期に入ったと判断したのである.これによって,地震防災全般への関心は高まった.しかし,そこでの議論をみると,地震は「どこでも起きる」ことがあまりに強調されすぎており,我々には理解し得ない内容もあることに危惧を抱く.「関東ローム層が厚い地域では活断層は発見されにくい」,「地震は既知の活断層だけで発生するわけではなく,2004年中越地震はその典型である」といった記述は,いずれも事実と異なり,防災対策を講ずる上で大きな障害となる.未知の活断層が伏在している可能性が高いのは,ローム層の分布域(古い土地)ではなく,ローム層のない「新しい土地」である.中越地震は既知であった活断層が引き起こした直下地震であり,一定規模以上の地震は,起こるべき場所(活断層分布域)に起きているのである.文科省地震調査研究推進本部は,今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布図を公表した.中越地震がこの図の発生確率が小さい地域で発生していることも,「どこでも起こる」ことを強調する根拠となっている.しかしながら,この図には,確率計算に必要な資料が不足地域であっても,何らかの数値が示されていることに注意が必要である.中越地震の震源域では,「発生確率」に関わる基礎的な資料はほとんど何もない.「発生確率が低い」ことが明らかであったわけではない.地震被害は,揺れによる被害と,土地の食違いによる被害に分けて考えるべきである.震源域では揺れが激しいので,それによる被害も大きくなる.しかし,やや遠くで発生した地震であっても,地盤が悪い地域では揺れが大きくなるので,居住地以外で発生する地震にも注意を払わなければならない.まさに,地震は「どこでも起こる」と考えておく必要がある.後者の被害は,活断層のずれによって,周辺の建造物が倒壊するものである.1999年台湾の集集地震においては,この被害が際立っていた.土地の食違いによる被害は,震源域以外では発生しない.地震防災に対する意識を高める上においては,「どこでも起こる」という指摘にはある一定の意味がある.しかし,阪神淡路大震災や中越地震時の被害のような大きな地震被害は,大きな揺れと土地の食い違いによって,震源域に発生するのである.巨大な地震被害に備えるためには,地域を特定した対策が必要となる.そのためには,どこに,どのような活断層が存在するのか,活断層を特定した政策レベルでの防災対策が必要となる.そこに目を向けず,「どこでも起こる」という理解だけに立脚していては,間違いなく,巨大な惨劇が繰り返される.政府中央防災会議や文部科学省地震調査研究推進本部の研究成果のうち,埼玉県に関わる部分は,基本的には「どこでも起こる」地震を想定したものである.唯一,埼玉県北西部の「深谷断層」の活動性を考慮した内容があるものの,この活断層の活動履歴等はほとんど不明である.また,埼玉県南東部の「綾瀬川断層」は深谷断層の南東方向延長部にあり,一連の活断層帯となっている可能性が高いものの,綾瀬川断層の活動性は全く考慮されてない.このため,「被害予測」も「確率分布図」も,リアリティを欠くものとなっていると言わざるを得ない.深谷断層は,群馬県高崎付近から連続してくる大活断層(関東平野北西縁断層帯)である.また,その南東への延長部,東京都江戸川区・千葉県浦安市周辺にも,深谷断層と同様のずれが確認されている.綾瀬川断層はこれらの活断層をつなぐ位置にあり,ずれ方も同じである.調査未了地域があるものの,高崎から東京まで,長さ約120kmの長大な活断層が首都圏直下に存在する可能性が提示されている.これが見落とされているとすれば,大変大きな問題である.政府中央防災会議は「東京湾北部」を震源域とする地震も想定し,被害を予測している.上記の長大な活断層は,この想定震源域に達するものであるが,その地震像は想定を大きく上回る可能性がある.「どこでも起こる」地震に備えることも重要ではあるが,それだけでは活断層周辺における巨大な地震被害を軽減することはできない.綾瀬川断層の活動性(活動様式,最新活動時期,平均的活動間隔など)を明らかにすることが非常に重要である.
著者
中田 高 徳山 英一 隈元 崇 室井 翔太 渡辺 満久 鈴木 康弘 後藤 秀昭 西澤 あずさ 松浦 律子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.240, 2013 (Released:2013-09-04)

2011年東北地方太平洋沖地震以降,中央防災会議によって,南海トラフ沿いの巨大地震と津波の想定がなされているが,トラフ外れた海底活断層については詳しい検討は行われていない.縁者らは,詳細な数値標高モデルから作成した立体視可能な画像を判読し,南海トラフ東部の南方に位置する銭洲断層系活断層の位置・形状を明らかしたうえで.その特徴および歴史地震との関連を検討する.
著者
野上 道男
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100012, 2015 (Released:2015-04-13)

対馬海峡の流速は0.5m/sec程度であり(九州大応用力学研WEB公開データ)、速さがその4倍以下の人力船は大きく流される.海図も羅針盤もなく航路距離は測定不可能な値である.そこで倭人伝に記述されている里数は測量による直線距離であると判断される.つまり天文測量である1寸千里法(周髀算経)で得られた短里による数値である. 帯方郡(沙里院)から狗邪韓国(巨済島)まで七千余里、女王国(邪馬台国)まで万二千余里、倭地(狗邪韓国と邪馬台国の間)は(周旋)五千里と記述されている.これらの3点はほぼN143E線上にある.この方位線は子午線と、辺長比3:4:5のピタゴラス三角形を作る(周髀算経と九章算術で頻繁に使われている) .帯方郡での内角は36.78度であり(N143.22E)、東南(N135E)あるいは夏至の日出方向を東とする方位系での南(N150E)の近似である可能性が高い. 1.2万里は斜め距離であり、南北成分距離は、1.2万里x4/5=9600里である.1寸千里によると日影長の差は9.6寸となる.帯方郡は中国の行政内であるので、日影長による定位が行われていたはずである.現在の知識では郡(沙里院)の緯度は38.5Nであり、日影長は21.53寸と計算できる.それより9.6寸短い11.93寸という値が得られる緯度は31.92Nである.方位N143E線と合わせると郡から1.2万里の点は宮崎平野南部となる. 測定誤差に配慮すれば、倭人伝では邪馬台国は九州南部にあったと認識されていたといえる.それより詳しい比定は考古学の問題である.漢文法に時制はなく、「邪馬台国女王之所都」は文意を補って、邪馬台国はかって(倭)女王(卑弥呼)が都して(治めて)いたところである、と読むべきであろう.邪馬台国が倭国の首都であるとするのは明らかに誤読である.

1 0 0 0 OA 場所論再々考

著者
熊谷 圭知
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100235, 2015 (Released:2015-04-13)

報告者は、「場所論と場所の生成」と題した報告を2012年春の地理学会で行い、「場所論再考――グローバル化時代の他者化を越えた地誌のための覚書」(お茶の水地理52、2013年)を著した。本報告の目的は、その後に翻訳が刊行された場所論をめぐる重要な著作、ハーヴェィ『コスモポリタニズム』(大屋定晴訳、2013年)と、マッシー『空間のために』(森正人訳、2014年)を加えて、場所論を再度検討することである。
著者
濱田 浩美 真砂 佳菜子 小林 静江
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.000017, 2003 (Released:2003-04-29)

1.調査地域の概要 日光国立公園内にある日光白根山五色沼は、北緯36度48分5秒、東経139度23分5秒に位置する湖沼である。栃木県日光市と群馬県片品村の県境付近にあり、日光火山群の最高峰といわれる日光白根山の東北東1kmに位置し、白根山の火成作用によって形成された日光火山群唯一の火口湖で、湖水面標高は2170mである。五色沼は西南西に位置する白根山の火成作用によって形成された日光火山群唯一の火口湖である。冬季は完全結氷し、2001年11月下旬の調査において氷の厚さは13cm、2002年11月末では18cmであった。2.研究目的 同湖沼に関する調査は、日光地域の一湖沼として観測された研究が数編報告されている。宮地・星野(1935)は氷殻下における水温・pH・溶存酸素量・溶存酸素飽和度を測定し、1979年7月に小林純ら(1985)が、湖心部における水温・電気伝導度・pHの測定および19項目の水質分析を行った。水質は無機化学成分の濃度が非常に希薄で、清澄な水であったと報告している。しかし、今までに日光白根山五色沼に関する継続的な調査は行われておらず、水温・水質の鉛直分布の測定、湖盆図さえ報告されていない。 五色沼は閉塞湖であり、水位を安定に保とうとする自己調節機能をもっているが、水温・水質の季節変化と同様に明らかにされていない。そこで本研究では、日光白根山五色沼において、水位変動および水温変化を連続観測し、湖水の主要イオン濃度の分析を行うとともに、光波測量を行い、正確な湖盆図を作成した。これらの観測結果から、閉塞湖における水温・水質の季節変化および水収支を明らかにした。3.研究方法a.現地調査 現地調査は2001年11月21日,2002年5月19日,6月8日,8月28日,10月5日,11月27日の計6回行った。観測は全て湖心部において行い、採水は1mまたは0.5mおきに行った。水温および水位の連続観測は、2002年5月19日よりデータロガーを設置し、記録を開始した。湖の北側湖岸の1地点に(株)コーナーシステム製の水圧式自記水位計(KADEC-MIZU)を設置した。b.室内分析 採水して持ち帰った湖水は、後日実験室にて、主要イオン(Na+,K+,Mg2+,Ca2+,Cl-,NO3-,SO42-)濃度の分析とpH4.8アルカリ度の測定を行った。4.結果および考察a.水温・水質の季節変化 五色沼が水深5m弱と浅く、光が湖底に達している。夏季の成層は極めて小さいことがわかったが、透明度は最大水深より大きく、水体および湖底全体が受熱していると考えられる。冬季は逆列成層が形成されていた。b.主要イオン濃度分析 年間を通して、湖水の主要イオン濃度は極めて希薄であり、雨水に近い値を示した。白根山は休火山であるにもかかわらず、硫酸イオンや塩化物イオンは低濃度を示しており、火山性の影響が認められなかった。c.日平均気温と水温変化 水温変化は、日平均気温の低下が続くと、少し遅れて低下傾向を示すことから、気温が影響しているといえる。常に水温が日平均気温よりも高いのは、日光白根山五色沼は透明度が高く、日射により水体および湖底の全体が受熱しているために、高い水温を示すと考えられる。d.水収支 日光白根山五色沼は閉塞湖である。調査期間における13ヶ月の降水量は約1560mmであり、流入河川および流出河川を持たないために、相当量の漏水がなければ水位は維持されない。漏水深は、水位が上昇するにしたがって、大きくなる傾向が認められた。7月10日に131mmの日降水量があり、水位は4日間で約50cm上昇するが、漏水深も大きくなるために、無降水時および2~3mm/day程度の降雨時には水位降下の傾向がみられた。
著者
村田 昌彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.179-194, 1987
被引用文献数
5

古日記中の天候記録を利用して,歴史時代(東京では1710年から1895年まで,大阪では1714年から1895年まで)の梅雨入りと梅雨明けを復元した.観測時代(1896年から1980年まで)の梅雨入りと梅雨明けと復元データを結合して,その長期変動傾向を検討した結果,以下のことが明らかになった.<br> (1)梅雨明けと梅雨の継続日数には強い正の相関,梅雨入りと梅雨明けには弱い負の相関がみられた.<br> (2)長期変動傾向として,1770年頃,1810年頃,1860年頃,1920年頃が梅雨明けが早く継続日数が短い期間,1740年頃,1780年頃,1830年頃,1870年頃,1950年頃が,梅雨明けが遅く継続日数が長い期間として挙げられる.また,周期性を調べた結果,梅雨明けと継続日数およそ60年の長周期の存在が確認された.<br> (3)梅雨入り,梅雨明け,梅雨の継続日数には,小氷期とその後の時代とで,大きな差がみられない.<br> (4)梅雨明けが遅い年に,東北地方で冷夏が発生しやすいことが,歴史時代から観測時代を通じて成り立っており,天明,天保,慶応・明治の各凶作の時代に,特に梅雨明けが遅かったことが分かった.
著者
中谷 友樹
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.71-92, 1995-02-01

空間単位の集計化が空間的相互作用モデルに対し及ぼす影響については,従来,集計単位の画定に関する定義問題が中心に論じられ,かっ,経験的データを用いた感度分析研究に限定されてきた.それに対し,本稿では,流動の距離逓減性を示す距離パラメターの集計バイアスを,空間単位間の距離の定義との関係において理論的に考察した.その結果,空間単位の集計化に伴う距離パラメターのバイアスは系統的な方向を示し,それは集計距離の定義(平均距離ないし平均移動距離)によって異なることが予想された.<br> この予想を検討するために,1988(昭和63)年度の東京PT調査のデータによって, Huffモデルの空間単位集計化の感度分析を行ない,次のような結果を得た.(1)距離パラメターの集計バイアスの方向は,集計距離の定義,および流動の距離逓減傾向の強さによって異なり,それは理論的に期待される方向と一致した.(2)平均移動距離の利用は,適合度,距離パラメターのバイアスの小ささ,距離パラメターの各スケールでの代表性の各点で,平均距離を利用する場合に比べ優れていた.(3)集計空間単位の形のコンパクトさを考慮することが距離パラメターのスケール変化を小さくし,それは理論的にも解釈されうるものであった.
著者
小元久 仁夫 大内 定
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.51, no.2, pp.158-175, 1978-02-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
43
被引用文献数
6 2

完新世の海水準変化を解明するため,筆者らは日本列島の臨海沖積平野の中でも比較的地盤運動の緩慢な地域と考えられる仙台平野を取りあげ,主に現地調査によって採取した試料の14C年代測定,花粉分析,珪藻分析の結果と,空中写真の判読およびボーリングデータの解析に基づいて研究を進めてきた.その結果,仙台平野においては,海水準は7,500年前の-8mから最大振幅2m以下,周期1,000~1,590年でリズミカルな振動を繰り返しつつ,今日の海水準に到達したと推定される.完新世における仙台平野の地盤運動量が筆者らの見積りのように小さければ,仙台平野では縄文時代を通じ現海面を上回る高海水準は存在しなかった.
著者
益田 理広
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100234, 2015 (Released:2015-04-13)

1.研究の背景と目的 地理学という分野に冠された「地理」なる語が,五経の第一である「易経」,詳しく言えば,古代に記された「周易」本文に対する孔子の注釈である「十翼」中の一篇「繋辭上傳」に由来することは,漢字文化圏において著されたいくつもの地理学史や事典にも明記された,周知の事実である.しかし,その「地理」はいかなる意味を持つのか,何故地理学の語源となり得たのか,といった概念上の問題については,余り深く注視されてはこなかった.確かに,「繋辭上傳」の本文には「仰以觀於天文,俯以察於地理」とあるのみで,そこからは「天文」と対置されていること,「俯」して「察」るという認識の対象となっていることが読み取られるばかりである.それ以上の分析は,「地」「理」の二字の意味を知るよりほかはないであろう.「土地ないしは台地のすじめであり,大地における様々な状態つまり「ありよう」を指したもの」(海野,2004:44)「地の理(地上の山川で生み出される大理石や瑪瑙の筋目のような形状)」(『人文地理学事典』,2013:66)といった定義はまさに字義に依っている.辻田(1971:52,55)も「易経でいう地理をただちに今日的意味で理解するのはやや早計」としながらも,「古典ギリシャ時代の造語であるゲオーグラフィアに相当する地理という文字」とする.また,海野は後世における「地理」の使用例から,客観的な地誌的記述と卜占的な風水的記述をあわせ持った,曖昧模糊たる概念とも述べている. それでは,この「地理」なる語は古代より明確に定義されぬままであったのであろうか.実際には,「地理」の語義は「周易」に施された無数の注釈において様々に論じられてきた.そしてその注釈によって「地理」を含む経典中の語が理解されていたのも明らかであり,漢字文化圏においてgeographyが「風土記」ではなく「地理学」と訳された要因もこうした注釈書に求められよう. 中国の研究においてはそれが強く意識されており,胡・江(1995)は「周易」の注釈者は三千を超えるとまで言い,「地理」についても孔頴達の「地有山川原隰,各有條理,故稱理也」という注に従いながら「大地とその上に存在する山河や動植物を支配する法則」を「地理」の語義としている.また,于(1990)や『中国古代地理学史』(1984)もやはり孔頴達に従っている.ただし,孔頴達の注は唐代に集成された古典的なものであり,「地理」に付された限定的な意味を示すものに過ぎない.仮にも現代の「地理学」の語源である「地理」概念を分析するのであれば,その学史的な淵源に遡る必要があろう.そしてその淵源は少なくとも合理的な朱子学的教養を備えた江戸時代の儒学者に求められる(辻田,1971).「地理学」なる語も,西洋地理書の翻訳も,皆このような文化的基礎の上でなされたものなのである.従って,現代に受け継がれた「地理学」の元来の概念範囲は,この朱子学を代表とする思弁的儒学である宋学における「地理」の語義を把握しない限りは分明たりえないであろう.以上より,本研究では,宋学における「地理」概念の闡明を目的として,宋代までに撰された「周易」注釈書の分析を行う. 2.研究方法 主として『景印 文淵閣四庫全書』(1983) 經部易類に収録されたテキストを対象とし,それらの典籍に見出される「地理」に関わる定義を分析する.また,上述のように「地理」は「天文」と対をなす語であるため,この「天文」の定義に関しても同様に分析する.なお,テキストは宋代のものを中心とし,その背景となる漢唐の注釈も対象とする. 3.研究結果 「天文」および「地理」なる語に対する古い注釈としては王充の論衡・自紀篇の「天有日月星辰謂之文,地有山川陵谷謂之理」および班固の漢書・郊祀志の「三光,天文也…山川,地理也」がある.周易注釈書としては上述の孔頴達の疏が最も古く,これは明らかに上記二者や韓康伯の系譜にあり,「天文地理」は天上地上の物体間の秩序を表すに過ぎない.ところが,宋に入ると,蘇軾は『東坡易傳』において,天文地理を「此與形象變化一也」と注し,陰陽が一氣であることであるという唯物論的な解釈を行い,朱熹は「天文則有晝夜上下,地理則有南北高深」と一種の時空間として定義するなど,概念の抽象化が進んでいく. 【文献】 于希賢 1990.『中国古代地理学史略』.河北科学技術出社.海野一隆 2003.『東洋地理学史研究・大陸編』 .清文堂. 胡欣・江小羣 1995.『中國地理學史』. 文津出版. 人文地理学会編 2013.『人文地理学事典』.丸善書店. 中国科学院自然科学史研究所地学史組 主編 1984.『中国古代地理学史』. 科学出版社. 辻田右左男 1971.『日本近世の地理学』.柳原書店.
著者
木村 昌司
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.121, 2013 (Released:2013-09-04)

共同浴場は,交流の「場」として重要な意味をもっており,毎日人が集まることにより,地域の様々な情報があつまる「情報センター」としての機能を有している(印南 2003).しかしながら,現在,日本各地の共同浴場では利用者の減少,利用者の高齢化といった問題に直面しており,地域社会で共同浴場を維持管理する意味を問われている.本研究では,地域住民を主体とした自治共同的な取り組みによる温泉資源の維持・管理体制と地域住民の温泉利用,また共同浴場を支えている地域コミュニティに着目し,長野県諏訪市における温泉共同浴場の存続要因を明らかにする. 諏訪市では豊富な湯量を生かして,一般家庭や共同浴場において,地域住民が日常的に温泉を利用できる体制が整っている.温泉共同浴場は市内各地区の64か所に存在する.その大部分は,各地区の温泉組合や区によって維持管理されており,地域住民のみが利用できる形態となっている.諏訪市の温泉供給システムをみると,源泉の利用によって2つのタイプに二分することができる.Ⅰ型は,市が管理する源泉を利用するタイプ,Ⅱ型は,地区の温泉組合が管理する源泉を利用するタイプである.I型では,市内10か所の源泉が統合され,一般家庭(2160戸),市内の共同浴場(47か所)などに供給されている.この温泉統合は,1987年に完了したものである.しかしながら,その供給は近年減少を続けており,いかに温泉離れを食い止めるかが課題となっている.諏訪市では,2012年3月から温泉事業運営検討委員会を立ち上げ,市の温泉事業のあり方について議論している. Ⅱ型では,市の統合温泉を利用せず,各地区で保有している源泉を用いて,共同浴場を運営,また各家庭に温泉を給湯している地区もある.市から温泉を購入する必要はなく,経営的にも余裕がある. 本研究では,I型の諏訪市大和区,Ⅱ型の諏訪市神宮寺区を事例に,温泉共同浴場の存続基盤を探った.I型の大和区では,諏訪市の統合温泉を利用し,区の温泉委員会によって5か所の共同浴場が維持管理されている.大和区の世帯数は1,032,人口は2,441(2012年)であり,そのうち共同浴場を利用するのは119世帯(285人)である.統合温泉を用いて,自宅に温泉を引くことも可能であり,約450世帯が自宅に引湯している.大和区では,共同浴場利用者の高齢化が進んでおり,積極的に利用しようという機運は少ない.しかしながら,自宅に温泉を引く世帯から月に500円の協力金を徴収するなどして,共同浴場の維持管理に努めている. Ⅱ型の神宮寺区では,自家源泉を保有しており,神宮寺温泉管理組合によって3か所の共同浴場が維持管理されている.隣接する4地区へも売湯していることから,経営に余裕があり,2005年~2009年にかけて3か所の共同浴場の建て替えを行った.神宮寺区の世帯数は670,人口は1,809である(2012年).共同浴場の利用者は,286世帯(689人)と多くの利用がある. 大和区,神宮寺区のいずれも,御柱祭にみられるように地域の結束力が高く,その地域基盤から共同浴場も維持,管理されている.日常から行事や会合も多く,頻繁に顔を合わせる機会は多いが,共同浴場はその一翼を担っていると考えられる.しかしながら,大和区と神宮寺区では源泉の有無の違いから,経営基盤に差があり,それにより温泉共同浴場の存続基盤も異なっていることが分かった.利用者も少なく,経営的にも苦しい大和区で,住民が協力金を支払うなどしてまでも共同浴場が維持されているのは,諏訪の伝統を重んじる地域性が背景にあるといえよう.一方,神宮寺区では源泉を保有し,経営に余裕があることから,共同浴場の施設刷新を行っている.これにより住民の温泉利用が促進され,共同浴場は持続可能な維持管理体制を実現している.
著者
堀口 友一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.23, no.2-5, pp.42-49, 1950-05-31 (Released:2008-12-24)
参考文献数
6

Study of the medical geography is done by making clear the relation of the pathogenic complex of human beings, their natural environment and germs. In this case a human being is considered as a general idea which includes individual bodies and society. Distribution of the death and case of dysentery in Japan shows a high rate in the area from Kanto to the north Kyushu districts and a low rate in the various basins in the Central Japan, Hokuriku, Tohoku and Hokkaido districts, according to the average statistics of the years 1930_??_1935 and 1933_??_1944. Contrary to this distribution, in the years 1046_??_1947 shows a high rate-in the rural districts. These distributions are made by the pathogenic complex of the natural terms such as tempeatur-e, water system, flies and others, various other terms such as constitution, Bazillenträger, industry, the density of population and sanitary conditions, and the various terms of the dyscnt ery bacillus, which are all the cause of the disease. The condition of the complex is different in areas and. has a close relation with the chara cteristics of areas. The coefficient of correlation of the case and the po pulation rate of cities is +0.577. The cause that the rate is generally i high in cities is owing to the fact that their social terms have affected the complex very much. The reason that a high rate was shown in rural districts in the years 1946_??_1947 is considered to be on . account of the influence of the war.