著者
小野 映介 矢田 俊文 海津 颯 河角 龍典
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100029, 2015 (Released:2015-04-13)

1596年慶長伏見地震の際に,現在の徳島県鳴門市の撫養(むや)地区が隆起し,入浜塩田を営むことが可能になったとする史料が存在する.本研究では,史料に書かれた内容の信ぴょう性について,地形・地質学的な側面から検討を行った.入浜塩田では潮の満ち引きを利用して製塩を行う.したがって,その立地は地形条件によって制限される.撫養地区の塩田が鳴門南断層の上盤に広がっている点,塩田の開発域の南限が鳴門南断層とほぼ一致している点,16世紀に鳴門南断層が活動し,0.5~1.0 mの上下変位を生じたと考えられることなどを勘案すると,地震性隆起が塩田開発の契機となったとする文書の内容は事実である可能性が極めて高いと判断できる.
著者
伊藤 修一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100103, 2014 (Released:2014-03-31)

Ⅰ.はじめに 破産は債務者の財産状態が悪化して,債権者への債務完済が不可能となることを指し,日本では破産法に基づく裁判手続きによって認められる(斎藤 1998).法制度の違いはあるが,アメリカ,イギリス,カナダ,オーストラリアなどの先進国では近年個人の破産が増えており,日本も破産事件の8割以上が個人(自然人)によるものであって例外ではない. 破産事件総数の推移は,法務省『司法統計調査年報』に基づいて,山本(2012)などが定量的に説明している.1980年までは3,000未満だった件数は,1983年の貸金業規制法施行と出資法改正の直前の駆け込み的な取立行為が多かったことや,非事業者の破産に破産宣告(破産手続開始決定)と同時に手続を終了させる同時廃止型破産を積極的に適用されはじめたことによって,同年には2.64万件と,それまでの8倍も増加した(第1のピーク).その後バブル景気に伴って1万件台まで減少したが,バブル経済の崩壊のほか,消費者信用の与信枠が拡大されて,「カード破産」が増加したことで1993年には4.62万件まで急増した(第2のピーク).さらに長引く平成不況は1990年代後半から件数の増勢を促して,2003年には過去最悪の25.2万件に達した(第3のピーク).しかし,翌年の貸金業規制法改正や2006年の貸金業法施行で過払金請求が増加したことなどで減少傾向となり,2012年は第3のピーク時の36.8%にあたる9.26万件に至る. このような破産傾向に地域差があることは,晝間(2003)が指摘している.これによると,各県を1985~1998年の破産率の順位の平均と変動の大きさの組み合わせから9分類した結果,変動が最小のグループのうち,高位は九州・中国地方,中位は四国・近畿地方,低位は中部・関東地方の諸県が占める.一方,変動が最大のグループでは高位に九州地方,中低位には東京圏や中京圏の諸県が含まれている.これは,基本的な分布パターンがいわゆる「西高東低」であって,大都市はパターンの変化に重要な役割を果たしていることを示唆している. この分布は第1と第2のピークの間にみられる特徴であり,全国推移の傾向からは1985~1998年の前後で分布が異なることは容易に推察される.そこで,破産率の全国推移が前述のピークに従って,統計的にも4期に区分されるかどうかを確認したうえで,各年の破産率の分布パターンを空間的自己相関統計量を用いて検討する.Ⅱ.分析データ 本研究で用いる破産事件数は『司法統計調査年報』における破産の新受事件数である.この件数は,原則として債務者の住所地を管轄する地方裁判所ごとに集計される.地方裁判所は50か所に立地するが,分析の都合上,県ごとに件数を再集計して用いる.これを住民基本台帳に基づく人口1万で除した値を破産率とする.対象とする期間は全県の統計がそろう1972~2012年とする.Ⅲ.破産率の全国推移 推移の特徴から4期に区分されることを仮定して,クラスター分析によって,傾向をとらえた(図1).第1期は1972~1991年で,破産率が平均0.72‱と全期間中で最低である.続く1992~1997年が第2期で,平均4.25件で第1期の6倍程度増加した期間である.第3期は1998~2001年と2008~2012年に分かれているが,2002~2007年は平均16.1‱と,第3期の10.3‱よりも高く,特異な期間と判別された.Ⅳ.破産率分布パターンの変化 第1期は,モランI統計量が平均0.3程度で推移し,弱い集中傾向がみられる(図1).1972年から第1のピーク直前の1981年までは中京圏と大阪圏の府県で,ローカルモランI統計量により有意な高率の空間クラスターが認められた.ただし,九州地方や東北地方で破産率が急上昇したこともあって,このクラスターは1983年には完全に解消した.同時廃止型破産の積極導入は,分布パターンを激変させた一因であることがうかがえる. 一方で,1980年代前半から第4期の2000年代半ばまでのおよそ20年間にわたって,九州地方では高率の空間クラスターが,北関東や甲信越地方に低率の空間クラスターがそれぞれ形成された.この間のモランI統計量は増加傾向で,1996年からの8年間で7年も0.4を超えており(図1),前述の「西高東低」パターンが強まったといえる. しかし,2003年以降はモランI統計量は急低下して,第3期後半の2009・2010年には有意な負の値を示すように,「西高東低」パターンを形成するクラスターは解消している.特に2007年以降の東京都は全国一破産率が高く,2004年からは平均20.7‱と近隣県よりも有意に高率であり,貸金業への規制が強まる第4期以降に,他県とは異なる例外的な特徴を示している.
著者
河野 忠
出版者
The Association of Japanese Geographers
巻号頁・発行日
pp.169-169, 2004 (Released:2004-11-01)

1.はじめに井戸枠はその材質(木材,石)に基づく技術的制約から四角形,もしくは丸形にするのが一般的である.しかし日本各地には六角形,八角形の井戸が40ヶ所程存在する.なぜ六角にするのかという疑問から,まず数字の意味に注目してみた.日本では八は縁起の良い意味で使われるが,六は神聖な数として知られている一方で,墓や地獄などといった事象に通じる数として認識されている.数の意味で六角井戸をとらえた場合,そこには「六」本来の意味とは別の,特別な意味があるに違いないと考えた.そこで,本研究は日本各地の六角井戸の分布や現地調査から,六角井戸が造られた人文,自然地理学的背景を明らかにすることを目的とする.2.六角井戸の分布と故事来歴六角井戸は秋田から沖縄まで,全国各地に見られるが,その分布は京都・奈良,淡路島周辺,長崎・沖縄に集中する傾向が見られた.またその半分近くが海岸付近に存在し,弘法伝説のある井戸が6ヶ所あった.中部地方以北の六角井戸は,元々あった丸い井戸側にあとから六角形の枠をつけたものが多く,正確には六角井戸とは言い難いものであった.京都・奈良は歴史上の人物や史実に基づく井戸が多く,史蹟となっている場合が多かった.淡路島周辺の井戸は記紀や風土記などに登場する古井戸が多く,海岸付近に存在する.長崎の井戸はやはり海岸付近にあるが,中国人が築造して南蛮貿易船などへ水を供給した史実がみられる.3.多角形にする特別な理由沖縄はもともと丸形の井戸側であるが,そこに井戸枠を造る材料として石灰岩のブロックを使用した.このブロックを組み合わせて井戸枠を作るには,小型の井戸は六角形,大型は八角形にすると効率がよい.石の文化圏に属する沖縄ならではの井戸といえよう.一方で神奈川県鎌倉市小坪海岸にある六角井戸は,六角の二辺を逗子側,四辺を鎌倉側が使用する水利権を表すために築造された.これは,六角井戸が朝夕に井戸の利用が集中する際の合理的な対策として築造された典型的な理由であろうと考えることができる.
著者
後藤 拓也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.7, pp.457-478, 2002-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
34
被引用文献数
3 2

本稿はカゴメ株式会社を事例に,食品企業が農産物流動の国際化にどのように関与しているのかを明らかにした。日本のトマト加工品輸入量は1972年以降急増し,早くから国際的な農産物流動を経験してきた.その輸入地域は,1980年代までは台湾に依存していたが,1990年代以降は著しく分散化し,空間的変化が顕著である.輸入地域の1980年代以降の変化は,基本的には原料のコスト要因に規定される傾向にある.しかし,輸入量の約50%を占めるカゴメの海外調達戦略が,輸入地域の空間的変化に大きな影響を与えていた.そこでカゴメを事例に,企業単位で海外調達のメカニズムを検討した.その結果,カゴメが1980年代以降に海外調達提携先の多元化を進め,調達地域を著しく分散化させてきたことが確認された.カゴメによる海外調達先の分散化は,調達用途の多様化,調達のリスク分散,調達の周年化を進める上で重要であり,低コスト調達のみを追求した結果ではない.事実,カゴメの調達組織では,海外産地に対し多面的な評価を行っている.一方,カゴメによる海外調達の進展は,国内調達にも大きな影響を与えた.カゴメは,自らの国内産地を輸入原料で代替困難なジュース専用産地に位置付ける必要があり,国産原料をジュース専用品種へ全面的に転換したのである.これは,カゴメが海外調達で進めてきた用途別調達,分散調達,周年調達が,国内調達と連動していることを端的に示している.
著者
西部 均 平野 昌繁
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.7, pp.479-491, 2002-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
39

兵庫県南部地震による市街地被害の数量的評価のため,神戸市兵庫区・中央区の応急修正版住宅地図に基づいて震災被害率を計算した.家屋の被害には1950年の建築基準法施行が最も大きく影響していると考え,米軍空中写真を利用して市街地の戦災状況を判別し,震災被害と戦災状況を比較した.その結果,震災被害率は戦災の程度が大きいほど小さくなる関係にあることが確認された.その関係性を踏まえた上で,さらに1万分の1地形図を利用して震災被害率の空間分布の方位特性を分析した.その結果,戦災を免れた地区ばかりでなく,活断層に沿う部分でも被害が大きいことも判明した.このように空間的に市街地被害を評価することで,被害分布図のみでは判定しがたい家屋特性と活断層という被害要因の相乗効果を明確化することが可能となった.
著者
戸所 隆
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.12, pp.831-846, 1975-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
15
被引用文献数
6 2

本稿は,都心部の形成過程を通じ,最近の日本の都市で急速に進んでいる立体化について,とくに中高層建造物を中心に考察したものである.その結果,都市の機能分化は,従来の平面的機能分化以外に,その内部において立体的な機能分化を内包していることが判明した.すなわち,都心部では,物品販売・社交娯楽機能は地下1階~地上2階を中心に立地し,地下街とも有機的に結合している.地下2階以下は,主に駐車場や倉庫にあてられ,高層部分は業務・居住厚生機能の利用が多い.また,地下鉄など交通機関の立体化は,高層建造物の増加と関連が深く,さらに地下街も地下鉄や高層建造物の地下階の建設にともなって誕生した場合が多い.都心部の立体化は,これらのコンプレックスとして把握されねぽならないと考えるが,ここではとくに重点を中高層建造物において考察し,都心研究における立体的視点の重要性を示した.
著者
吉川 虎雄 貝塚 爽平 太田 陽子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.37, no.12, pp.627-648, 1964-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
18
被引用文献数
23 22

土佐湾北東岸に発達する海鍛丘は,上位より羽根岬面,室戸岬面および沖鷲地に分け皇れ,いずれも南東より北西に低くなる.室戸岬面の高さは南海地震の際の隆起量と正の相関を不し,地震削の沈降量とは負の相関を示す.約120年を周期としておこった大地震の際の室戸岬付近の隆起は,その間の沈降よりも大きく,段丘面の高度分布はこのような隆起沈降を差引した結果である南東より北西への傾動陸起にキって決定されたと考えられる.このような隆起地域であるにもかかわらず,各段丘面の形成過程に沈水期が挾まれているのは,氷期後の海面上昇速度が地盤の隆起速度を上回ったからに他ならない. 室戸岬面は,その地形発達の過程より判断して,約9万年前にはじまる. Riss- Würm問氷期に形成されたと考えられる.室戸岬付近の大地震1周期の問における地盤隆起の平均速度は約2mm/年と算定され,もしRiss-Würm問氷期以後かかる性質の地殼変動が一様に継続したとすれば,室戸岬面は室戸岬付近において約180mの高さにあるはずであるが,これは事実と一致する.また水準測量の結果によると,安田の水準点を基準とした吉良川の水準点の高度は,大地震1周期の問に平均1.2mm/年の割含で増大しているが,もしRiss.Würm間氷期以後このような地殼変動がつづV・てきたのであれば,室戸岬面は吉良川において安田よりも細10m高いはずであるが,これも事実とほぼ一致する.したがって, Riss-Würm間糊以後,室戸岬付近は現在と同じく平均2mm/年の速さで北西へ傾動しつつ隆起してきたと考えられる. このような地殼変動と第四紀における海面変化とを複合した結果は,この海岸の地形発達の過程とよく一致するので,この地域の海岸段丘の分化を生じたのは,地殻変動の緩急ではなく・海面変化の結果であり,その間地殼変動はほぼ一様に推移したと考えられる.
著者
池口 明子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.75, no.14, pp.858-886, 2002-12-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
36
被引用文献数
1 3

本研究は,ベトナム・ハノイを対象として鮮魚流通における仲買人・露天商の商業活動を明らかにした.特に,近郊生産地における生産者-仲買人-露天商の取引ネットワークの形態を,仲買人の取引台帳を用いて養殖生産との関係から分析し,その形成条件を考察した.ハノイの鮮魚露天商は,ドイモイ(刷新)後に参入した近郊農村居住者およびハノイ居住者が多くを占める.ハノイ居住者は市内に立地する単一の卸売市場から仕入れ,主として海産魚を販売する.これに対し,近郊農村居住者は主として農村で採捕・生産される淡水魚介類の流通を担っている.仕入れには,ハノイへの経路上に位置する農村市場や,市内の卸売市場での仕入れのほか,産地仲買人を中心に形成される取引ネットワークを利用している.近郊農村における淡水魚養殖は,複数の魚種を組み合わせた複合的生産が常態である.その取引ネットワークは地縁をきっかけに,多様な生産形態と,都市および近郊の市場の発達に対応して形成されてきた.ハノイの鮮魚露天商の活動基盤は,販売地である都市の露天市場のみではなく,集魚圏内の都市近郊生産地の市場も含めて理解する必要がある.
著者
横山 智
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.80, no.11, pp.591-613, 2007-10-01 (Released:2010-03-12)
参考文献数
52
被引用文献数
3 2

社会主義国のラオスでは1990年代以降の経済自由化に伴い, 国をあげて観光を促進した. その結果, バックパッカーを主体とする旅行者到着数は急増し, 北部にはバックパッカー向けの観光関連施設が集中する農村が現れた. その代表ともいえる農村のヴァンヴィエンでは, 中心部の既存商業地区にバックパッカー向けの観光関連施設が集中して立地するバックパッカー・エンクレーブが形成された. そこでは, 多くの他地域出身者が観光関連施設を経営している. これまで, バックパッカーのような周辺部を訪れる旅行者は, 途上国の地域経済に貢献する旅行者とされていたが, 事例としたヴァンヴィエンでは, 観光による利益享受は稲作を営む農民には及んでいなかった. 加えて, 薬物や売春などの新たな社会問題も持ち込まれた. 結果として, 途上国農村におけるバックパッカー・エンクレーブの形成は, 目に見えるような景観的変化のみならず, バックパッカーの流入と異なる出自を持つ住民の混在によって, 新たな社会・人間関係が築かれ, また経済的な格差を生み出すような社会経済的空間を創り出した.
著者
原沢 文弥
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.31, no.5, pp.277-291, 1958-05-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
57

The consolidation of the post towns on the five main highways, and on the other roads designated. by the Tokugawa government, was originally for the supply of men and horses for official needs, chiefly for the going up to and coming down from Edo for the alternate-year residence of daimyos. In using the regularly stationed men and horses at these post towns, official needs were first met on priority basis and the transportation of common travellers and merchants' goods and luggage was always deferred. The chief duty of post towns was to offer men and horses for official traffic, which was indeed a heavy burden to these towns. Although taxation on the lands they lived on was exempted in compensation for the expense and service, it was not sufficient to make up for the loss. Therefore, these towns were permitted to cover it by gaining profit offering service for common travellers and carrying merchandise in their leisure hours, or by obtaining the license of keeping inns and shops in the towns. The profit thus gained by transporting goods and luggage of common travellers was very importan_??_ to maintain the functions of post towns. But private travellers and goods were not only deferred in transport but were transshipped at every post town. And this transsipment had such shortcomings as damage in the goods, delay in the time of transport, and more cost in carriage and commission. It was only too natural, therefore, that merchandise in general tried to avoid being forwarded in this relay system; they would have avoided if they had been able to. But the system was protected and carried out by the authority of the government; the five main highways and the other roads designated by the government were privileged traffic routes located with the strong governmental protection at their back. The inconveniences of these routes were not keenly felt in the earlier stages of the Edo government, when traffic was not so dense and transport of merchandise was small. Besides, the authority of the government made it impossible for people to resist. But as more merchandise came to be transferred and more people began to travel, the inconveniences and conflict of interests became more and more apparent. By and by there appeared gradually an indication that people would try to avoid the privileged routes. In addition, the gradual loosening of the government in the enforcement of laws and regulations accelerated the tendency. Consequently, there arose a new means of transport contrived by private transport agencies to forward merchandise through by carriers using horses or oxen. These carriers and horses (or oxen) sometimes avoided certain post towns on the way; mostly they tried to utilize only the byways if available. Thus the new means of transport was born by the need of cheap and puick way of forwarding goods, while the old privileged routes had the protection of the government or feudal lords in their background. As the traffic on the byways prosperd, more goods came to be sent by them and the main highways wera more neglected, which was a vital problem to post towns since their functions must be paralyzed in the end. The two were destined to conflict and the power of the government was another factor to complicate the matter. This made a characteristic feature of the traffic system in the Edo period, especially in its middle and later stages. Whether one liked it or not, the situation turned favorable on the byways and the traffic on them became more and more heavy while it became impossible in the end to maintain the post-town system. The Present study has chosen a certain area with the Usui Pass in its center where byways developed most remarkably and using litigious document and maps of villages preserved in places which used to be post towns, has considered the relation between the post towns and the byway traffic.
著者
吉田 圭一郎 岩下 広和 飯島 慈裕 岡 秀一
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.79, no.10, pp.516-526, 2006-09-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
35
被引用文献数
1 3 4

本研究では父島気象観測所で観測された78年分(戦前: 1907~1943年,占領期間: 1951~1959年,返還後: 1969~2000年)の月別気温および降水量データを用いて小笠原諸島における水文気候環境の長期的な変化を解析した.占領期間および返還後の年平均気温は戦前と比較して0.4~0.6°C 高く,年平均気温の上昇率は0.75°C/100yrであった.また,返還後の年降水量は戦前に比べて約20%減少した.修正したソーンスウェイト法により算出した月別の可能蒸発量と水収支から,年平均の水不足量(WD)が戦前に比べ返還後には増加したことがわかった.また,返還後は夏季において水不足となる月が継続する期間が長くなった.これらのことから小笠原諸島における20世紀中の水文気候環境は乾燥化の傾向にあり,特に夏季に乾燥の度合いが強まり,また長期化することにより夏季乾燥期が顕在化した.
著者
松本 正美
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.50, no.11, pp.617-634, 1977

地図は地理学の生命であり,地図作成は地理学者が最も精魂を傾ける側面の1つである.地図は「地理学の言語」である.地理学者は1枚の白紙を地図という言語(記号系)に転化し,それを媒体として自己の主張を表現し伝達する.この転化過程は,次の2つの要件を満足しているはずである.第1に,その過程は無矛盾な記号系への転化過程でなければならない.さもなくば,地図は最も基本的な機能ですら果たすことができない.第2に,その過程は同時に地図が研究手段としての有効性を獲得していく過程でなければならない.さもなくば,地図は単なる表現・伝達の道具に終始する.しかし,この転化過程の真相,すなわち「地図を描く」ことの本質は,具体的作業の裏に隠蔽されている.もしその本質が解明できるならば,研究手段としての地図の能力は高まるであろう.本稿はその転化過程の掘り起こしを試みたものである.このような議論は,「カルトグラフィ」を超えた「メタカルトグラフィ」とみなされよう.
著者
竹内 常行
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.48, no.7, pp.445-458, 1975-07-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
13
被引用文献数
1

九十九里平野では,いく列かの砂堤(あるいは浜堤,砂堆)と砂堤間の低湿地が,海岸線にほぼ平行しているという地形的特色に対応して,砂堤は集落・畑・山林などの場所,低湿地は水田になっているというのが,従来の通念であった.しかし,砂堤の大部分は島畑区域となっているので,水田は砂堤の区域にも広く分布しているという事実によって,従来の通念を修正し,ついで九十九里平野に島畑のできた理由について.従来発表された意見の誤りを指摘し,地形に由来する水利上の不利を克服しながら,砂堤区域に水田を拡張して行なった結果,島畑景観が生れたものであることを明らかにした. ついで本稿の大部分を椿海干拓地の島畑地域の記述にあてて,まずその島畑の分布図を作成し,特色ある島畑景観地域について,いかなる地形,いかなる水利条件の地域に,島畑景観が生れたかを明らかにする.
著者
村田 陽平
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.77, no.7, pp.463-482, 2004-06-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
32
被引用文献数
1 1

今日の空間論においてジェンダーという視点は注目されつつある一方,男性という主体がその意味を的確に認識しているかは疑問の余地がある.そこで本稿では,男性によってジェンダーの視点を導入して設計されたといわれる岐阜県営住宅「ハイタウン北方・南ブロック」を事例に,この問題を検討した.具体的には,総合プロデューサーの男性建築家,南ブロックの居住者,男性建築家に選定された7名の女性設計者,施工主の岐阜県,という四つのアクターから,この居住空間の実態を分析した.その結果,この居住空間は,ジェンダーの視点を踏まえたものというより,むしろその視点が問題にしてきた男性中心的な発想で生産されたものであることが判明した.このことは,空間論においてジェンダー概念に伴うポジショナリティの意味が,男性という主体に十分に把握されていない表れであると考えられる.
著者
Hiroaki MARUYAMA Takaaki NIHEI Yasuyuki NISHIWAKI
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.78, no.5, pp.289-310, 2005-04-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
32
被引用文献数
1 2

The Brazilian Pantanal, the world's largest wetland holding abundant wildlife, has recently drawn profound concern about the development of the tourist industry. To provide significant proposals for ecotourism in the wetland, we believe that detailed data acquired by fieldwork is requisite, This study examines the regional bases that carry regional ecotourism, and attempts to present some proposals for ecotourism from the case of the north Pantanal. The results are shown as follows in order of regional scale. (1) In the water source of the Pantanal, Cerrado region, it is necessary to make efficient plans to control recent agricultural development, especially in soybean and cotton production. (2) On the wetland level, legally protected areas such as national parks and RPPN (Reserva Particular do Patrimônio Natural) should be extended. (3) On the municipal level, environmental subsidies are needed for disused goldmines, and for the maintenance of tourist infrastructures such as Transpantaneira and MT 370. (4) Modern hotels and eco-lodges need to provide ecotourism organized by local people, and to equip the facilities with adequate sewage facilities and garbage recycle plants to preserve the natural environment.
著者
柚洞 一央
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.79, no.13, pp.809-832, 2006-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33
被引用文献数
2 1 3

家畜であるミッバチの生態を利用した養蜂業は,植生や気候などの自然環境の変化に大きく左右される産業である.花を求めて全国を移動するという日本の養蜂業の形態は,明治期において確立されたが,戦後の蜜源環:境の劣化に伴い,近年ではその経営形態も大きく変化してきた.本稿は,日本の養蜂業が,今日どのような経営を行っているのか,各種の統計資料と全国131の養蜂業者に対する聞取り調査をもとに,その地域的特色と近年の変化を明らかにし,それらの変化が持っ意味にっいて考察する.今日の養蜂業者は,経営者の高齢化や中部地方以西における著しい蜜源植物の減少に伴って,廃業や移動空間の「狭域化」を余儀なくされている.その一方で,ハチミツ生産のみでなく,ローヤルゼリー生産や,花粉交配用にミツバチを貸し出すポリネーションなどの新しい生産形態を取り入れて,経営の多様化・安定化を模索してきた.こうした点にっいて,養蜂業の持っ特質,つまり「移動性」と「間接性」という観点から,近年の養蜂業の経営動向にっいて考察を行った.その結果,蜜源分布の変化に合わせた移動空間の変更や,ミッバチを媒体とした資源利用の方法という点では,柔軟な対応を行ってきたと評価できる一方,蜜源環境の維持や,業界内部における資源配分という点においては,さまざまな問題を残しているという現状が明らかになった.
著者
横田 忠夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.25, no.12, pp.470-477, 1952-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
2

The author investigated some village at the upper streams of the River Oi and Abe, Shizuoka Prefecture. Consequently I understood that tie internal social relation of the village at the upper stream of the river was extremely different from that of the village at its lower stream. I also noticed that the difference in the possession of forests was greatly related to the difference in the social relation as a result of an investigation in regard to the possession of forests in each village. Having researched how the difference in their possession occured in those villages, I observed that ultimately it had been caused by the geographical conditions of facility or difficulty of trafic (communication), the difference in agricultural productivity etc. I could understand that at the lower stream of the river, the forests were mnonopolized by a few men who lived in the village, while in the upper stream: of the river, they had been trausfered to timber merchants or other ones who were outside those villages. It was also known that the difference in the powers of the forest-owners had caused the difference in the social relation in each village.

3 0 0 0 OA 空間認知とGIS

著者
若林 芳樹
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.10, pp.703-724, 2003-09-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
140
被引用文献数
1 1

1990年代以降,GISの研究が「システム」から「科学」へと力点を移していく過程で,空間認知研究との間に新たな接点が生まれてきた.ここで,GISと空間認知との関わり方には,(1)空間認知研究のツ-ルとしてのGIS,(2)空間認知モデルとしてのGIS,(3)空間的知識の情報源としてのGIS,(4)空間認知研究の成果を応用したGISの改善,という四つの側面が考えられる.本稿は,これらに関する既往の研究の成果と課題を整理し,今後の展望を提示した.
著者
根田 克彦
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.79, no.13, pp.786-808, 2006-11-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
64

本研究では,イギリスのノッティンガム市を事例として,小売開発政策と現実の小売商業地の実態とを比較することにより,イギリスの小売開発政策の特質と課題を考察した.イギリスの小売開発政策の特質は,サスティナブルな開発と買物機会の公平性を実現するために,徒歩と公共交通機関によるアクセスが容易なセンターに開発を集中させ,それ以外の場所での小売開発を厳しく規制することにある.保護される対象は中心市街地のみではなく,センターの階層構造そのものである.課題としては,以下のことが挙げられる.1)下位自治体の小売開発政策と上位レベルのそれらの間で,階層構造の設定に一部不一致がある.2)活性化の成功例といわれる中心市街地でも,その縁辺部では空き店舗がある.3)センター外の大型小売開発が,下位階層センターを脅かす存在となっている.4)小売開発政策が伝統的小売階層をあまりに強調していることである.
著者
有留 順子 石川 義孝
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.76, no.1, pp.44-55, 2003-01-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
55

本稿では,東京大都市圏の事例企業を対象に,テレワークの代表的な形態である分散型オフィスでの業務内容とオフィス立地の特色を明らかにした.データは,主に企業のテレワーク推進者への聞取り調査から得た.情報・通信技術の進展により,分散型オフィスでは,文書作成など個人単位の業務がより効率化されただけでなく,従来は対面接触が不可欠であった会議などのグループ単位での業務形態も変わりつつある.分散型オフィスは,東京大都市圏の南西部,都心から約30kmの圏内に多く立地している.調査事例では,分散型オフィスへ勤務地を変更した就業者は,全般的に通勤時間を大幅に短縮していた.