著者
内田武志著
出版者
日本常民文化研究所
巻号頁・発行日
1949
著者
野崎 富作
出版者
新潟大学人文学部
雑誌
新潟大学法経論集 (ISSN:04682572)
巻号頁・発行日
vol.4, no.3, pp.223-246, 1955-03
著者
平尾 賢三郎
出版者
日本私法学会
雑誌
私法 (ISSN:03873315)
巻号頁・発行日
vol.1963, no.25, pp.167-174, 1963
著者
濱沖 敢太郎
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.111-130, 2017

<p> 本稿の目的は,定通モデル校事業を事例として,1960年代の定通教育振興の論理を明らかにすることである。1960年代は定時制が量的に縮小する中で,都市部の労働力需要を背景とする定通教育改革が進められたと理解されてきたが,実際に展開された改革をめぐる諸機関の方針の異同を先行研究は精査してこなかった。<br> 本稿が明らかにした知見は以下のとおりである。<br> 第一に,文部省は都市部の勤労青少年を定通モデル校事業の主な対象と考えており,その教育機会拡充の具体的方策として定通併修などの導入を進めようとした。<br> 第二に,特に都市部の自治体では,定通併修の導入が勤労青少年の教育機会を危うくするものとして懸念されており,定通モデル校事業としての実績はあげられなかった。<br> 第三に,定通併修は都市部と異なる生活環境にある勤労青少年に関しても,就学可能性を高める具体策としては受け入れられず,むしろ農業・看護などに関わる教育施設との技能連携が,通信制の教育課程の再編成を伴う形で展開されていった。<br> 以上に示した定通教育の変容過程は,勤労青少年の進路形成に関する問題の射程を広げ,また,現代の定通教育の形態が作り出される一局面を明らかにしたという点において重要であろう。</p>
著者
小林武 佐藤豊著
出版者
研文出版
巻号頁・発行日
2011
著者
一ノ瀬正樹著
出版者
筑摩書房
巻号頁・発行日
2016
著者
長島 弘三
出版者
公益社団法人 日本分析化学会
雑誌
分析化学 (ISSN:05251931)
巻号頁・発行日
vol.4, no.6, pp.395-400, 1955

化学分析では,重量分析にはもちろん,熔融,灼熱,濾過等にるつぼを用いることが多く,種類も通常の灼熱秤量,熔融用の他に,種々の濾過るつぼや酸素や窒素気流中で加熱するための特殊な形のものもある.しかしそれらの特殊のるつぼは分析法も進歩せず,分析化学者の主要な目標が原子量の測定にあって,特殊な沈殿形,秤量形を選ばざるを得なかった先人の苦闘の跡と称すべきものが多く,沈殿形,秤量形も楽なものが選べるようになった現在では特殊なるつぼは殆んど用いられなくなった.殊に有機試薬等の進歩により沈澱は焼灼せずに秤量可能のものが多いので,多くはガラス製濾過るつぼで事足り他の濾過るつぼの必要性も少くなった.使用の稀なものも含めて代表的なるつぼを挙げる.<BR>1.濾過るつぼ:グーチるつぼマンローるつぼ(以上は濾層を自分で作る)ガラス製,石英製,磁製の濾過るつぼ(濾層ができている)<BR>2.灼熱および熔融用のるつぼ:白金(純Pt,Pt-Cu,Pt-Ir,Pt-Rh合金製等)金(純Au,Au-Cu,Au-Pd合金等がありアルカリ熔融用)銀(アルカリ熔融用)ニッケル,鉄,石英,磁製,タンタル(Taは殆んど白金と同様に使える,王水に耐える)ジルコニウム(アルカリ熔融に最適といわれる)アルミナ,トリヤ,ジルコニヤ,ベリリヤ(以上4種は冶金或いはその研究用に)黒鉛(分析用ではないが炭酸ナトリウムの熔融に耐える.多量の試料の分解に用いて便.高温の実験のさやるつぼ.熔融塩電解に際して電極兼用のるつぼにも使われる).<BR>3.酸素,窒素等の気流中で灼熱するために作られたものとしては,磁製,白金製のるつぼの蓋に側管が接属して,外から気体を送るように考案されたものがある.<BR>1および2の各種のるつぼのうち,現在定量分析に多く用いられているものにつきその性質,使用法を述べる.
著者
福田 安典
出版者
大阪大学国文学研究室
雑誌
語文 (ISSN:03874494)
巻号頁・発行日
no.57, pp.p15-26, 1991-10
著者
静 春樹
出版者
密教研究会
雑誌
密教文化 (ISSN:02869837)
巻号頁・発行日
vol.2006, no.216, pp.L5-L35,166, 2006

本稿は、金剛乗がインド密教史にパラダイムシフトをもたらした問題を論じる。インド密教全体と金剛乗の関係は重層的に交錯している。筆者はこれまでに築かれた先学の研究に準拠してインド密教史を寸写し、インド仏教において金剛乗の範疇を別立する理由を論じる。次に、金剛乗を信解する阿闍梨たちが行った教判に触れ、インド密教史における時代区分に関する分析概念を提起する。この論述の過程で、我々にとって、厳密な定義は困難であるとしてもそのイメージは共有されていると考えてよい「密教」に相当する用語をインドの文献に探る。最後に、金剛乗と仏教タントリズムの概念上での同異を明らかにする。