4 0 0 0 OA 横浜女髪結

著者
東海教育新報社 [編]
出版者
東海教育新報社
巻号頁・発行日
1911
著者
寺尾 純二 長尾 昭彦
出版者
Japan Oil Chemists' Society
雑誌
日本油化学会誌 (ISSN:13418327)
巻号頁・発行日
vol.48, no.10, pp.1075-1085,1199, 1999-10-20 (Released:2009-11-10)
参考文献数
74
被引用文献数
2 1

食事中に含まれるカロテノイドは消化管から吸収され, 体内の各組織に蓄積することが知られている。しかし, その生理機能については, プロビタミンA活性以外は明らかではない。フリーラジカル捕捉や一重項酸素消去などカロテノイドの抗酸化作用はよく研究されている。しかし, この抗酸化活性が生体内に存在する抗酸化防御系にどの程度寄与するかは明確ではない。一方, 動物実験におけるカロテノイドの抗腫瘍効果は, 細胞増殖抑制や細胞分化誘導作用で説明される。また, 細胞間ギャップ結合を強めることもその抗腫瘍効果に関与する可能性がある。食事由来のカロテノイドの生理機能を評価するためには, その吸収と代謝を理解することが重要である。ビタミンA活性発現に必要な15, 15'-ジオキシゲナーゼは生体組織に広く分布し, 消化管からのカロテノイドの吸収は食事に含まれる共存物により大きく影響される。さらに, その代謝経路は, 酸化反応プロセスが示唆されているものの, まだ明らかにされていない。

3 0 0 0 OA 玄耳小品

著者
渋川玄耳 著
出版者
隆文館
巻号頁・発行日
1910
著者
樋口 孝之 宮崎 清
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.54, no.5, pp.45-54, 2008-01-31 (Released:2017-07-11)
参考文献数
49
被引用文献数
1

デザインを保護する制度の整備について,明治初期に,物品の「新形」の「発明」・「創製」を保護する,あるいは「形状模様」の「新按」を保護するものとして検討がなされていた。明治中期にデザインを保護する制度を日本へ導入する際,英国法におけるdesignは日本語の「意匠」へ訳出された。1888(明治21)年に発布された意匠条例は,高橋是清が尽力して制定したものである。高橋は,1年間にわたって欧米諸国のdesign保護制度の調査を行なった。帰国後,デザインを保護する必要を訴求する意見書において,日本の人民の技能の長所は専ら「意匠」にあると述べている。そして,「形状模様もしくは色彩」に関わる「意匠」を保護するものとして制度を制定した。意匠条例を制定する審議の際に,保護対象となるdesign概念を「人ノ意匠上ヨリ成レルモノ」ととらえて,designを「意匠」と訳出したと記録されている。1888年に発布された意匠条例において「意匠」の語は,主体(人)が客体(物品)をどのようなものとするか案出する思考行為,またはその思考行為から得られた成果を示す意味内容で用いられていた。
著者
鬼塚 史朗
出版者
日本物理教育学会
雑誌
物理教育 (ISSN:03856992)
巻号頁・発行日
vol.35, no.1, pp.1-4, 1987-03-10 (Released:2017-02-10)
被引用文献数
2

長さ4m,内径1.7cmの水道用塩ビパイプの一端にイヤホンをとりつけ,パルス状の音を出す.このイヤホンから4cmはなれたところにマイクロホンをつけ,イヤホンから直接くる音とパイプ内を往復して返ってくる音をキャッチする.この直接音と反射音をオッシロスコープの画面に現し,この時間間隔を読みとって,音速値を計算する.パイプのなかには二酸化炭素などの気体を入れて,そのなかでの音速を求めることもできるし,パイプの他端を金属板などで閉じたり開いたりして,固定端や自由端での音の反射の位相変化を観察することもできる.この実験は簡単に実施できるし,結果も良好である.本稿ではその結果を中心にして報告し,高校物理における教卓実験としての教材化について述べる.
著者
岡本 弘道
出版者
関西大学文化交渉学教育研究拠点(ICIS)
雑誌
周縁の文化交渉学シリーズ6 『周縁と中心の概念で読み解く東アジアの「越・韓・琉」―歴史学・考古学研究からの視座―』
巻号頁・発行日
pp.89-98, 2012-03-01

1609年の琉球侵略から1879年の琉球処分に至るまでの「近世琉球」期は、明清両朝への朝貢・冊封関係、そして島津氏およびその上位の徳川幕府に対する従属関係が琉球王国を規定した時期である。そのため、明清両朝の華夷秩序と近世日本の日本型華夷観念との衝突やその中で生じる矛盾を琉球は抱え込まなければならなかった。17世紀末頃までにその枠組みを確立した琉球の外交は、島津氏と幕府に対する対日外交、そして朝貢使節の派遣と冊封使節の迎接に代表される対清外交に大別される。両者は琉球の「二重朝貢」として並列されることもあるが、その位相は全く異なるものであり、琉球の外交に制約を課すとともにその国内体制とも密接に絡み合い、逆に琉球の存在意義を保障する役割を果たしていた。 近世琉球期の外交については、既に重厚な研究蓄積が存在するが、本報告ではそれらの成果に依拠しつつ、その国際的位置づけと外交の枠組みに関するいくつかの問題について検討を加え、その中に見いだせる「主体性」もしくは「自律性」について考えてみたい。
著者
志賀 隆 浜島 繁隆
出版者
大阪市立自然史博物館
雑誌
自然史研究 = SHIZENSHI-KENKYU, Occasional papers from the Osaka Museum of Natural History (ISSN:00786683)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.1-16, 2017-12-26

2010年12月に著者の一人である浜島繁隆は、大阪市立自然史博物館にこれまで採集してきた東海地方を主とする水生植物コレクションを寄贈した。寄贈した標本の点数は、水生植物28科129分類群1028点であり、1967年から2010年までの44年間かけて採集したものである。これらの標本は、国内26道県、特に愛知県(542点、52.7%)、岐阜県(203点、19.7%)、三重県(124点、12.1%)の3県において重点的に採集されたのもである(869点、84.5%)。このコレクションは東海地方の水辺環境を知る上で重要な資料であり、本稿では、大阪市立自然史博物館に寄贈された水草標本と、これに関連する浜島繁隆の文献をリストした。
著者
岡田 一男
出版者
日本武道学会
雑誌
武道学研究 (ISSN:02879700)
巻号頁・発行日
vol.10, no.3, pp.14-20, 1978-03-05 (Released:2012-11-27)
参考文献数
11

Mune-yoshi Yagiyu got acquainted with Hide-tsuna Kami-izumi in 1563 (A. D.). At that time, Mune-yoshi was thirty-five years old and he was commonly acknowledged that he was one of the greatest swordsmen ever known. But, realizing that Hide-tsuna's talents was supreme far ever, he hoped to become a pupil of Hide-tsuna, and he studied under Hide-tsuna.Later, Mune-yoshi was qualified for the teacher of Kage-Style by Hide-tsuna.I have some questions as follows, what style he had learned before.I suppose as follows.Yagiyu-shin-kage-ryu-engi which was transmitted to the Yagiyu family in 0-wari district was suggested him to belong Shin-to Style, and the annals of the Yagiyu family in Edo district was suggested him to belong Toda Style.Shin- kage Style is said that was added to new idea to Kage Style that was created by Iko-sai Aisu. I think that it had not a simple progress, but especially Yagiyushin-kage Style was performed a merit of Shin-to Style, Toda Style and various styles. Then I would like to know and study more about those relation by the comparison the literature on this subject.
著者
毛呂 裕子 島谷 まき子 Yuko MORO Makiko SHIMATANI 昭和女子大学生活心理研究所 昭和女子大学大学院生活機構研究科
出版者
昭和女子大学生活心理研究所
雑誌
昭和女子大学生活心理研究所紀要 = Annual bulletin of Institute of Psychological Studies, Showa Women's University (ISSN:18800548)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.87-97, 2010-03-31

The purposes of this study were to examine:(1) how knowledge and experience about mental disorderprescribe social attitude to person with mental disorder by quantitative analysis; (2) what factors are besides that knowledge and experience which prescribe that social attitude, and whether there is a possibility how that social attitude changes by qualitative analysis. 313 subjects(107 males,206 females, average age 22.7 years) completed a questionnaire. Analyses showed that so rich in knowledge and experience about mental disorder, social distance was close to person with mental disorder, the image was positive.After semi-structured interviews to 5 people(three men,two women,average age 24.0 years) was performed, it was revealed that it is different in social attitudes depending on the difference in the positions to personwith mental disorder. In other words, when the occasion concerned as the social member was near the socialdistance,and the degree concerned with its family was high, the social distance became far. The image had both negative and positive.