著者
中西 恵理 林 有学 須藤 聖子 小林 智子
出版者
畿央大学
雑誌
畿央大学紀要 = Bulletin of Kio University (ISSN:13495534)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.51-58, 2019-12-31

基礎看護学領域において、学生がより主体的に自己学修にとりくむことや、臨地実習に対する自己効力感を高めることを目的として実施している「基礎看護技術自己学修会」への参加が、学生の臨地実習自己効力感にどのような影響を与えているのか検証した。結果から、基礎看護技術自己学修会に参加した学生の臨地実習自己効力感は、参加していない学生の臨地実習自己効力感より高い傾向にあることが示唆された。基礎看護技術自己学修会に参加することで、既修の基礎看護技術の習得状況に対する学生の自己評価を促し、技術練習することによって、臨地実習で基礎看護技術を実践することに対する学生の自信につながる可能性がある。
著者
Fumiya Shigemitsu Mitsugu Suzuki
雑誌
研究報告システムソフトウェアとオペレーティング・システム(OS) (ISSN:21888795)
巻号頁・発行日
vol.2019-OS-145, no.6, pp.1-9, 2019-02-21

Emerging Non-Volatile Main Memories (NVMMs) are expected to be next-generation storage. These memories promise to enable persistent memory, which can store data persistently at the main memory level with low latency. Therefore, the traditional primary storage hierarchy is extended to the non-volatile part by them. Integrating NVMM into computer systems includes some interesting challenges though they are expected to realize a fast and reliable computer system when using them. We explore NVMMs feature and how to handle them efficiently as main storage through developing a new file system in the Linux kernel which exploits memory hierarchy including NVMMs.
著者
中村 恵 小柳 和喜雄 古川 惠美
出版者
畿央大学
雑誌
畿央大学紀要 = Bulletin of Kio University (ISSN:13495534)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.19-34, 2019-12-31

本研究の目的は、日本の接続期教育における就学前教育についての在り方を検討することである。そこで、Growth as a human being and member of society をwell-beingとして育むフィンランドの幼児教育システムと、その特徴でもあるesikoulu(エシコウル:プレスクール)における調査により、就学前教育における「個」への尊重が、その内にある「well-being」への意識に教師が敏感であることにつながり、子どもの学習者としての「agency」が発揮されやすく、学習環境として成熟した「co-agency」が生成されやすいことが明らかになった。
著者
ISHII Satoshi
出版者
International Research Center for Japanese Studies
雑誌
Nichibunken Japan review : Journal of the International Research Center for Japanese Studies (ISSN:09150986)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.145-170, 2001-01-01

The recent rapid expansion of worldwide communication and transportration networks has made it both possible and inevitable for the Japanese to encounter strangers from different racial, ethnis, and sociocultural backgrounds not only overseas but also in Japan.Simply encountering them without approptiate preparation, however, does not guatantee expected intercultural understanding; it oftes causes mutual fear, misuunderstanding, and suspicion within people placed in such intercultural communication situations. The study of intercultural communication, which describes and explains such dailt occurrences and possibly solves problems related to them, has been, through most of its academic history, a prepominantly U.S.-senterd rnterprise in Japan.These daysm therfore, Japanese scholars in the field are growingly expected to contribute non-Western thoughts and frames of reference from their Japanese sociocultural background.In this scholarly context, the present study attempts to analyze the conventional sociofolkloric marebito/ijin/gaijin ambivalent predispositions and attitudes toward strangers from different racial, ethnic, and sociocultural backgroudx.It will contribute from non-Euro-American prespestives to the revision or improvement of Western intercultural communication theories and research methods by analyzing the long-standing Japanese welcome-nonwelcome and inclusion-exclusion amnbivalence frequently manifested in their encounters with strange people whose racial, ethnic, and sociocultural backgrounds are different from the average Japanese.
著者
ISHII Satoshi
出版者
International Research Center for Japanese Studies
雑誌
Nichibunken Japan review : bulletin of the International Research Center for Japanese Studies (ISSN:09150986)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.109-122, 1998-01-01

For decades Japanese scholars have been willing to import and apply Euro-America-centered research paradigrms not only in the natural sciences but also in the social sciences and the humanities. They have been doing so without trying to devejop their own-Western frames of research. Today Japanese reseachers are expected to develop new research paradigms and perspectives based on their own Japanese cultural background and to contribute these to the international academic arena. This paper provides scholars of Japanese culture with a distincly Asian paradigm for future research, theory construstion, and methodological development.To achieve these goals, first, Western views of interpersonal relationships are discussed. Then the Buddhist en-based world view and its influence on Japanese human relationships are described. Next, general systems theory is introduced, suggesting its possible application to Japanese human relationships psychology. Finally, a hypothetical cosmic systems framework based on the Buddhist en-belief is proposed to conceptualize Japanese human relationships and help promote research in the area.
著者
村瀬 公胤
出版者
和光大学現代人間学部
雑誌
和光大学現代人間学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Human Studies (ISSN:18827292)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.129-139, 2013-03-19

本稿は、1960年代に誕生した科学教育研究運動である仮説実験授業において、討論と読み物という学習活動が導入された過程を、史料に基づき整理する研究ノートである。仮説実験授業の特徴である討論が仮説実験授業に導入された背景として、本稿は、当時の首都圏の私立学校教員たちの理科教育改革の機運を仮定した。また、従来の研究では触れられてこなかった、仮説実験授業における読み物の意義についても、討論の導入を補完するものとして着目した。整理の作業として、まず、仮説実験授業の前史として当時の私立小学校の教育研究の事例を取り上げる。つぎに、仮説実験授業の初めての授業中に討論が発生した過程を史料から再構成し、教育心理学的な意義について検討する。さいごに、その後の私立小学校の科学教育運動と仮説実験授業の相互作用について概観する。これらの作業によって、科学的概念の協同構成という現代の学習科学の視点から、仮説実験授業における討論の導入の意義を検討する資料を提供する。
著者
松浦 亮太 有光 琢磨 柚木 孝敬 矢野 徳郎
雑誌
九州共立大学スポーツ学部研究紀要 = Bulletin of Kyushu Kyoritsu University. Faculty of sports science (ISSN:1881848X)
巻号頁・発行日
no.4, pp.7-14, 2010-03-31

The purpose of the present study was to investigate performance during repeated cycling sprints (RCS) by surface electromyogram (SEMG) activity and sense of fatigue. Seven healthy subjects (mean ± SD,22.7 ± 3.5 years, 170.4 ± 5.7 cm, 65.4 ± 5.5 kg) performed RCS (ten I 0-sec cycling sprints)interspersedwith both 30 sec and 360 sec recovery periods. Recovery periods of 360 sec were set before the 5th and 9th sprints. Peak power output divided by body mass (PPO・BM1. ) was correlated with SEMG indices in only 2 out of 7 subjects and ratings of perceived exertion (RPE) immediately before each cycling sprint in 6 out of 7 subjects. RPE immediately before each cycling sprint was correlated with blood lactate concentration (r = 0.72: P < 0.01) and oxygen uptake (r = 0.61: P < 0.01), minute ventilation (r = 0.71: P< 0.01), and heart rate (r = 0.57: P < 0.01) immediately before each cycling sprint. These results indicate that performance during RCS was determined by not only efferent motor command from the central nervous system (CNS) to peripheral muscles but also metabolic stress in peripheral muscles. It is thought that the CNS set performance based on afferent information from peripheral muscles and organs in the subsequent exercise during RCS.
著者
柏野 健次 カシノ ケンジ Kenji KASHINO
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集
巻号頁・発行日
vol.47, pp.19-30, 2010-01-29

本稿では、英語の(準)助動詞を題材にモダリティ論を展開していく。まず、第1節ではモダリティ研究の基本問題として「助動詞は単義か多義か」という問題を検討する。筆者の立場は、「理論的には単義説のほうがネイティブ・スピーカーの直観を反映しているが、英語教育の観点からは多義説の持つ意義も見逃すことはできない」というものである。次に第2節では、have to とmight as well を例にとり、擬似法助動詞と認識的モダリティの発達について論を進める。have to が認識モダリティを表すということは周知のことであるが、その日本における認知の歴史を振り返る。一方、might as well がWhen we went to the seasideon our summer holidays, it was so cold it might as well have been winter. にみられるように、認識モダリティを表し、as if に近い意味で用いられるという事実はあまり知られていないように思われる。第3節では、if 節に現れるwillを取り上げ、認識的モダリティの客観化の問題に挑む。ここでは、Leech (2004)の考えを手がかりに、「誰(話し手か聞き手か)のいつの時点での予測判断か」をベースに据え、If you'll be alone at the New Year, just let us know about it. の文もIf I will be late, I will call you. の文も統一的に説明できる意味論的な論拠を提出する。
著者
赤羽 仁志
出版者
近畿大学全学共通教育機構教養・外国語教育センター
雑誌
近畿大学教養・外国語教育センター紀要. 外国語編 = Kindai university center for liberal arts and foreign language education journal. Foreign Language edition (ISSN:2432454X)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.37-57, 2017-11-30

[抄録]英語の形容詞と対比される日本語の形容詞(および形容動詞)の統語意味的特徴についてChomsky(2013, 2015)の標示の理論により説明を試みる。Nishiyama(1999)における日本語形容詞・形容動詞の形態統語的分析に対して批判を加え、標示の理論に基づく代案を提出する。フェイズ主要部となる範疇決定要素と語根の対併合によって前者が不可視になるというChomsky の主張を再定式化し、日本語の形容詞に適用する。これにより、主要部a が不可視となる日本語の形容詞が英語のそれと異なった振る舞いをするようになることを述べる。また、形容詞が語尾を欠く断片文から日本語の形容詞句がフェイズになることを裏付ける。
著者
吉濱 佐知子
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.61, no.2, pp.142-143, 2020-01-15

サトシ・ナカモトを名乗る人物がビットコインの論文を発表して10年が経過した.現在世の中に流通している仮想通貨(暗号資産)は数百種類以上もあり,新技術の発表や取引所への攻撃など,さまざまな観点で連日ニュースを賑わせている一方,企業間コンソーシアムなどのクローズドな環境でブロックチェーンを使う試みも多く,実証実験を超えた本格運用への移行もはじまっている.本特集は,変化の早いブロックチェーン関連技術の最新動向について解説を行い,今後の技術開発を促進するための基礎となるような情報を提供することを目的として企画した.
著者
長井 圓
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.23-50, 2016-12-30

2016年1月30日に多摩キャンパスにおいて開催された日本比較法研究所と韓国・漢陽大学校法学研究所共催のシンポジウム「日本及び韓国における現在の法状況」における報告
著者
宇野 功一
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.145, pp.275-315, 2008-11-30

都市祭礼を中核とする経済構造を以下のように定義する。①祭礼の運営主体が祭礼に必要な資金を調達し、②ついでその資金を諸物品・技術・労働力・芸能の確保に支出して祭礼を準備、実施し、③祭礼が始まると、これを見物するために都市外部から来る観光客が手持ちの金銭を諸物品や宿泊場所の確保に支出する。以上の三つの段階ないし種類によってその都市を中心に多額の金銭が流通する。この構造を祭礼観光経済と呼ぶことにする。また、②に関係する商工業を祭礼産業、③に関係する商工業を観光産業と呼ぶことにする。本稿では近世と近代の博多祇園山笠を例にこの構造の具体像と歴史的変遷を分析した。近世においては、この祭礼の運営主体である個々の町が祭礼運営に必要な費用のほとんどを町内各家から集めた。そしてその費用のほとんどを博多内の祭礼産業に支出した。祭礼が始まると、博多外部から来る観光客が観光産業に金銭を支出した。博多は中世以来、各種の手工業が盛んな都市だった。このことが祭礼産業と観光産業の基盤となっていた。祭礼産業は祭礼収益を祭礼後の自家の日常の経営活動に利用したと考えられる。観光産業も観光収益を同様に扱ったと考えられる。一方、祭礼後の盂蘭盆会のさいには周辺農村の農民が博多の住民に大掛かりに物を売っていた。このような形で、博多の内部で、そして博多の内部と外部の間で、一年間に利潤が循環していた。近代の博多では商工業の近代化と大規模化が進まず、小規模な商工業者が引き続き多数を占めていた。そのため資本・生産・利潤の拡大を骨子とする近代資本主義にもとづく経済構造は脆弱だった。明治末期以来の慢性的な不況や都市空間の変容などさまざまな要因により、町々が祭礼費用を調達することは困難になっていった。しかし小規模な商工業者たちにとって祭礼収益や観光収益が年間の自家の収益全体に占める割合は高かった。この理由で、祭礼費用の調達に苦しみつつも、博多祇園山笠はかろうじて近代にも継続された。
著者
保下 拓也 吉松 彰宏 鈴木 秀和 松本 幸正
雑誌
第80回全国大会講演論文集
巻号頁・発行日
vol.2018, no.1, pp.421-422, 2018-03-13

筆者らは,LPWA(Low Power Wide Area)を利用した低運用コストで実現可能なIoTバスロケーションシステムの実現を目指している.LPWAネットワークを構築するための一通信規格であるLoRaWANでは,通信距離を最大にする場合,一度に送信できるデータサイズが11byteに限定されてしまう.この制約下においてバスの走行位置を伝送するために,本稿では位置情報圧縮手法を提案する.GPSから取得した絶対位置情報を特定地点からの相対位置情報に変換し,かつサーバ側で補完可能な情報を削除することにより, データを圧縮する.LPWAネットワークにおいて提案手法を実装した車載器の動作検証を行った結果,LPWAの制約下においても,バスの位置情報を正常に収集できることを確認した.
著者
高梨 郁子 斎藤謙一 加瀬 隆明 田中 敦
雑誌
情報処理学会研究報告高度交通システム(ITS)
巻号頁・発行日
vol.2007, no.116(2007-ITS-031), pp.17-23, 2007-11-21

観光振興が国の重要な施策の一つとなっており,観光客への情報提供の高度化による移動支援を図ることが求められている.地理に不案内な観光客を観光施設,店舗等の屋内を含む様々な場所へ案内するためには,特殊なデバイスに依存しない案内手段が必要である.そこで我々は現在屋内で利用されている代表的な案内方式について分析を行い,課題を解決するための手法について検討を行った.今回検討した方式では歩行者が進行方向を変える可能性のある交差点等に案内端末を設置するとともに,その設置場所と向きの情報を特定することで,観光地,商店街,地下街,駅,空港などにおける歩行者の案内を可能にする.
著者
田原 範子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.169, pp.167-207, 2011-11-30

本稿では,死という現象を起点としてアルル人の生活世界の記述を試みた。アルバート湖岸のアルル人たちは,生涯もしくは数世代に渡る移動のなかで,複数の生活拠点をもちつつ生きている。死に際して可能であれば,遺体は故郷の家(ホーム)まで搬送され,埋葬される。遺体の搬送が不可能な場合,死者の遺品をホームに埋葬する。埋葬地をめぐる決断の背景には,以下のような祖霊観がある。身体(dano)が没した後,ティポ(tipo)は身体を離れて新しい世界へ移動する。ティポは,人間界とティポの世界を往来しつつ,時には嫉妬などの感情を抱き,現実に生きている人びとの生活を脅かす。病気や生活の困難はティポからのメッセージである。そのような場合,ティポは空腹で黒い山羊を欲している。その求めに速やかに応じるために,埋葬地は祖先たちの住む場所つまりホームが望ましい。アルル人のホームランドでは,ティポはアビラ(abila)とジョク(s.jok,pl.jogi)とともに祀られている。ティポは現世の人間に危害を及ぼすだけの存在ではない。ティポの住まうアビラやジョクに対して,人びとは,語りかけ,家を建て,食物を用意し,山羊を供儀する。父や祖父のティポを通して,祖先の死者たちは生者と交流する。その交流は,生者に幸運や未来の予言をもたらすこともある。死者と生者が共にある空間で,死者のティポは安住することができる。移動に住まう人びともまた,死者をホームに搬送すること,死者の代わりに死者の遺品を埋葬することを通して,ティポの世界と交流している。