著者
福元 健太郎 村井 良太 Kentaro Fukumoto Ryota Murai
出版者
学習院大学法学会
雑誌
学習院大学法学会雑誌 = Gakushuin review of law and politics (ISSN:13417444)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.75-99, 2011-09-30

本稿は,戦前日本の内閣は存続にあたって誰の支持を必要としていたかとの問いに,1885年から1947年までの全45内閣の月次データに離散時間の生存分析を適用することによって取り組む.その結果,一方で,議会が多くの内閣提出法案を通すほど,陸相が過去に入閣した経験が長いほど,国務大臣の数が少ないほど,首相選定者の数が多いほど,内閣は長続きすることが明らかになった.他方で,軍部大臣(現役)武官制や政党内閣が内閣の寿命を縮めた,あるいは与党が衆議院に多くの議席を占めるほど内閣が長期間支えられたなどの,証拠は見いだされなかった.以上から,戦前日本は超然内閣というよりも,立法の多寡に内閣の生存が依存するという意味で事実上の議院内閣制であったことが示唆される.
著者
木村 巌 横山 俊一
出版者
木村巌,横山俊一
巻号頁・発行日
pp.1-226, 2018-03-01

1. コンピュータの上での数学・数論2. 体上の楕円曲線の一般論3. 有限体上の楕円曲線に関連した計算問題4. 楕円曲線のMordell-Weil群 : descent 理論5. 楕円曲線の計算法入門 : 実践編6. 楕円モジュラー形式の導入7. モジュラー形式の係数とGalois表現8. 特別な楕円モジュラー形式の高速計算理論について9. モジュラー形式に付随する2次元法l-Galois表現の計算10. 高さとArakelov理論,それらのGalois表現の計算への応用11. Hilbertモジュラー形式の計算12. 重さ1の楕円尖点形式に伴うArtin 表現13. PARI/GPによる重さ1のモジュラー形式の計算
著者
間枝 遼太郎
出版者
北海道大学大学院文学院
雑誌
研究論集 (ISSN:24352799)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.17-37, 2021-03-31

本稿では、叡山文庫天海蔵に蔵される『諏訪大明神画詞』の写本を紹介し、そのうちの縁起絵第五までの翻刻を行う。『諏訪大明神画詞』の写本はこれまで諸本系統が整理される中で十数本が確認されているが、当該写本はそれら先行研究にて言及されたことのない新出本である。 「天海蔵」は南光坊天海が蒐集した典籍の総称で、それらは天海の死後、承応三年(一六五四)に毘沙門堂公海により日光山・比叡山・東叡山の三山に分置された。現在の叡山文庫天海蔵の典籍の多くは、その際に比叡山に配されたものである。そこから当該写本についても天海旧蔵本であったことが予想されるが、そのことは、同じく新出本である正教蔵文庫本『諏訪大明神画詞』の奥書に、万治二年(一六五九)に慈眼大師(天海)の本より書写した、とあることから裏付けられる。この正教蔵文庫本の底本となった「慈眼大師御本」こそ、現存する叡山文庫天海蔵本のことであると判断でき、その書写年代は少なくとも天海の死去する寛永二十年(一六四三)以前と考えられるのである。 なお、『諏訪大明神画詞』の諸本の書写年代は、最も古いものが文明四年(一四七二)写の権祝本(神長官守矢史料館所蔵)、次に古いものが慶長六年(一六〇一)写の梵舜本(東京国立博物館所蔵)とされるため、この叡山文庫天海蔵本は現在確認できる中でおおよそ三番目に古い写本ということになる。ただし、最古写本とされてきた権祝本に関しては、権祝綱政(明暦三年(一六五七)死去)の書写本を写した系統の本であり江戸中期以降の成立ではないか、とする説もあり、その書写年代については更なる検討が必要な状況にある。権祝綱政書写本と同時期かそれよりやや早くに成立したと考えられる叡山文庫天海蔵本の存在とその本文は、そうした諸本の問題を考える際にも重要な手掛かりを与えてくれるだろう。
著者
小鹿 健一郎
出版者
[出版者不明]
巻号頁・発行日
2009-07

制度:新 ; 報告番号:甲2908号 ; 学位の種類:博士(工学) ; 授与年月日:2009/9/15 ; 早大学位記番号:新5135
著者
永野 正宏
出版者
北海道大学大学院文学研究科北方研究教育センター
雑誌
北方人文研究 (ISSN:1882773X)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-23, 2011-03-31

The Hakodate magistrate (bugyo) vaccinated the Ainu people for smallpox during the period from 1857 to 1859. Previous studies state that the Ainu people fled to the mountains for fear of the smallpox vaccination. This paper aims to clarify the actual situation that led to the Ainu people fleeing to the mountains and the factors that caused it. In section I, I studied all resources concerning the above-mentioned situation in previous studies. My research shows that the fleeing of the Ainu people to the mountains was recorded only in four places (yamukusinai, mororan, yuuhutu, and horobetu in east Ezo). In section II,I examined other resources concerning the smallpox vaccination and verified that the Ainu people reacted differently toward the smallpox vaccinations. In section III, I verified that one of the factors that caused the Ainu people to flee to the mountains was the attitude of the local administrative officers who forced them for the vaccination. Future research should clarify the reason for the emphasis on the Ainu people fleeing to the mountains in the historical study of the smallpox vaccination for the Ainu people.
著者
越野 剛
出版者
北海道大学スラブ研究センター
雑誌
スラブ・ユーラシア研究報告集
巻号頁・発行日
vol.1, pp.21-34, 2008-12

共産圏の日常世界. 望月哲男編