著者
長 志珠桧
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.114, pp.171-186, 2019

特集 : 人種主義と反人種主義の越境と転換歴史研究としての「国際結婚」は, 近代国家への帰属問題として考えられ, 19世紀日本における身分制の解体と近代化, 概念と現実の乖離を論じてきた。では「人種化」という構築主義的枠組みと「国際結婚」の関係を検討することで, どのような議論が可能だろうか。文化研究では近年, 「人種」概念と「民族」概念との交差を「混血児」をめぐる言説分析に見出し, 「国民化」の歴史性を描く。しかし戦後・占領期に集中するため帝国日本が抜け落ちる。本稿では試みとしてタイムスパンを長く取り, 方法としての「国際結婚」という立場をとることで「人種」論が「国際結婚」をめぐる言説に役割を果たす歴史性に注目した。この観点はまず, 近代国家の国民化にとって重要な戦略としての「性差」という問題系を浮上させる。19世紀半ばの「国際結婚」論は, あいまいながらも人種論の用語によって, 異性愛主義による近代家族の導入という規範を強い, 日本の社会的慣習でもある「養子」を批判した。同様に, 近代法は「血の論理」を導入することで, ヘテロセクシズムによる家族像を規範としたジェンダー化された論理を持ち, 誰が「国民(「臣民」)の範囲(「分限」)」になるのか, 定義を伴った。次に帝国内部でのインターマリッジとして位置付けられることの多い「婚姻」は, 植民者と被植民者間の境界設定の政治であり, 本国と植民地, あるいは本国と占領地や満洲移民集団も含め, それぞれの社会秩序の柱としての家父長制間での独身の女の交換としての要素を持っていた。第三に, 1930年代以降, 「人種主義」は重要な政治性を帯びた。言説としての「人種」論の本格的な展開は「異民族」支配の過程で新たに必要とされ, 同時に, 従来の東アジアの植民地支配においても再発見され, 組み替えられた。「帝国」の範囲が変化することで, 言説の政治としての「人種論」の緻密さや方法論は変容するが, 「婚姻」という枠組みはそれが「国際結婚」とみなされるのか否かも含め, 歴史性を伴うとともに家父長制下の個々の人々の, 特に制度的には女性の生にその矛盾が集約される構造を伴った。This paper examines the formation and change of discourse on race and racialization theory, focusing on that of "international marriage, " in the Japanese empire. By setting the time period from the middle of the 19th century to the downfall of the empire in the middle of the 20th century, I will depict various contradictions especially concentrated on womenʼs body located both in empire and colonies. The racialization theory during the middle of the 19th century criticized the "adoption" of children, which had been a long-term social custom in Japanese society, in order to establish the norms of the heterogeneous modern family. In a similar manner, modern law introduced "blood logic" based on the heterosexual and ideally gendered family. Such racialization theory had transformed when Japan extended its imperial territory in East Asia. So called "intermarriage" had been practiced between colonizer and colonized. The politics of boundary, such as between empire and colony, home and migrant community or occupied territory, emerged and was contested by the increasing number of intermarriages. In particular, intermarriage under the Japanese empire was regarded as an exchange of single women in East Asia where a patriarchal system had been dominant in the region. During the 1930s when Japan attempted to attain hegemony in Asia, racial theory had become a crucial political issue. The theory had been eagerly studied in order to meet the demand for ruling the different ethnic groups (iminzoku) in East Asia. In other words, Japanese discourse on race and its racialization theory changed when it expanded its imperial territory. However, the discursive framework of marriage, including intermarriage, remained to play the same role for controlling womenʼs bodies under the patriarchal system in the region.
著者
游 舒婷
出版者
神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター
雑誌
非文字資料研究 = The study of nonwritten cultural materials (ISSN:24325481)
巻号頁・発行日
no.17, pp.125-149, 2019-03-20

西来庵事件という植民地期台湾で最も大規模な武装蜂起が1915年に起きたことを背景に、 宗教的な問題が表面化し、1919年に『台湾宗教調査報告書』が刊行された。蜂起に巻き込まれた 農民は「迷信」にとらわれる「愚か」な民衆と捉える傾向があった。だが、信仰に基づいた民衆世界はまさに俗民社会の一つの特質を表すものであると考える。僧侶・道士・巫覡・術士といった宗 教的職業者が、民衆にとってはどのような存在であったのか、彼らの社会的地位はどうであったの か。本稿は民間療法、識字問題、職業の階級的な分類などの側面から、その一端を考察するもので ある。 僧侶・道士・巫覡・術士というのは職能による便宜上の分類で、実際に複数の職能を有する人が 少なくない。植民地初期における彼らは社会地位の低い存在であった。僧侶や道士の大半は寺廟に属するものではなく、市井において生計を維持し、寺廟や信徒に対して権威を持たないものである。 巫覡は清領期では娼女や俳優と同じく「下九流」という賤民階級に属していた。日本統治下、こうした身分制度は廃止されたが、この職業に向けられる差別意識が民衆の中に根付いていったようである。ところが、植民地初期における識字者は極めて少なかったという状況の中、それらの宗教者(特に術士)はある程度の漢学的能力、即ち文化資本を持っている存在でもあった。また、病気による死亡率が高かったという状況の中、彼らは「病気平癒」を行ったりすることで、民衆に頼りにされる存在であった。彼らは病気の原因について現報因果説を説いたり、社会秩序の維持にも貢献したりした。1918年における僧侶・道士・巫覡・術士の人口割合について、澎湖島は台湾島(特に西部)のそれより遥かに高い数字を示した。このことが両地域の社会的差異を語っているのであろうか。
著者
仏書刊行会 編
出版者
仏書刊行会
巻号頁・発行日
vol.147, 1922
著者
樋口 雄一
出版者
中央大学政策文化総合研究所
雑誌
中央大学政策文化総合研究所年報 (ISSN:13442902)
巻号頁・発行日
no.22, pp.71-86, 2019-09-10

Studies on the forced mobilization of Koreans to Japan mainly consist of the themes of ethnic discrimination, wage discrimination, and the details of forced labors.Supplementing this trend, this paper makes clear the compensations to the Korean victims and their bereaved who were mobilized to Japan. In particular, the paper focuses on the issues in Kangwondo, the central part of Korea, as a case study. There is almost no document on forced labors left in Korea. Thus, the author used documents in Japan as well as recent studies in Korea. While the studies on the forced mobilization of Koreans are being conducted in both Japan and Korea, this paper reviews a part of those in Korea.
著者
李 炯喆 LEE Hyongcheol
出版者
長崎県立大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:2432616X)
巻号頁・発行日
no.4, pp.33-41, 2019-12-22

植民地期の近代化について様々な認識と論点があり、日韓両国間だけでなく韓国内でも対立している。その史実究明のため、 19 世紀末から発展した仁川を対象にして検証する。植民地朝鮮の一地域に過ぎない仁川を対象にするだけで正確な分析にならないことは周知のことであり、さらに、仁川-朝鮮-日本と日本帝国経済圏 満州国・中国 という全体的な脈 絡から見るべきであるが、仁川だけでも植民地期近代 化 の実態を把握できる 小さな手がかりになる。
著者
秋月 望
出版者
明治学院大学国際学部
雑誌
国際学研究 (ISSN:0918984X)
巻号頁・発行日
no.56, pp.1-14, 2020-03

【研究ノート/Research Note】

1 0 0 0 国史大系

著者
黒板勝美 編
出版者
国史大系刊行会
巻号頁・発行日
vol.第29巻下, 1941

1 0 0 0 国史大系

著者
黒板勝美 編
出版者
国史大系刊行会
巻号頁・発行日
vol.第11巻, 1931

1 0 0 0 国史大系

著者
黒板勝美 編
出版者
国史大系刊行会
巻号頁・発行日
vol.第12巻, 1932

1 0 0 0 国史大系

著者
黒板勝美 編
出版者
国史大系刊行会
巻号頁・発行日
vol.第29巻上, 1938
著者
柴田環著
出版者
共益商社書店
巻号頁・発行日
1912