著者
亘理 陽一
出版者
北海道大学大学院教育学研究院
雑誌
北海道大学大学院教育学研究院紀要 (ISSN:18821669)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.99-114, 2009-07-15

中学・高校の英語で扱う「文法事項」の中でそれほど明確な位置づけを与えられていないものの一つに,量化表現がある。量化表現は事物の数量や行為の頻度などを表す表現の総称であるが,名詞(句)と結び付いて事物の数量を表す「数量詞」にさしあたりその範囲を限定すると,英語ではsomeやall,Manyなどがこれに属し,「数」の屈折と並んで,事物の量を表す主要な手段を構成している。体系的な扱いを阻む原因の一つには,それぞれの語句の持つ意味の多様性や統語的振舞いの複雑さがあるが,その一方で,教科書等での「肯定文にはsome,否定文にはanyを用いる」といった,過度の単純化による誤解を招く説明が長年問題とされてきた。本稿では,Huddleston & Pullum (eds.) (2002)やRadden and Dirven (2007)に基づいて量化表現の体系を整理し,それに対して語用論的原理に基づく教育内容構成を行うことで,従来の指導上の問題の解決を試みた。
著者
林田 重幸
出版者
公益社団法人 日本畜産学会
雑誌
日本畜産学会報 (ISSN:1346907X)
巻号頁・発行日
vol.28, no.5, pp.301-306, 1957-12-30 (Released:2011-01-25)
参考文献数
16

鎌倉市材木座遺跡の中世日本馬の骨を観察, 計測した結果, 次の所見を得た。1. この骨は1333年 (元弘3年), 新田義貞鎌倉攻めの際の新田勢および幕府方の軍馬のものを主体とし, その前後の鎌倉・室町時代の馬の骨を含むと考えられる。これらの馬は関東産馬を主体とし, 甲斐, 信濃等の産馬をも含むと考えられる。2. 四肢骨から馬の体高を推定すると, 109~140cm, 平均129.477±1.098cmとなり, 主体は先史時代の中形馬であるが. また先史時代の小形馬も存し, なお両者の交雑による馬も含まれていると考える。これらの馬は軍馬が主体であるから, 当時の比較的大格馬が選択されているものであろうが, 同じ時代により多くの小格馬も存したと考えられる。これら鎌倉時代の馬も, 漸次文化の進展にともない, また軍馬としての必要上, 小形馬は淘汰せられ, 日本内地においては, わずかに在来馬として現在の木曽馬のように体高124~143cm平均133cmを有するものが残されたのであろう。3. 中手骨・中足骨の長幅指数, 尺骨, 第2・第4中手足骨の退化度において, 今回観察した鎌倉馬は, 日本先史時代馬, 現存日本在来馬に類似し, 蒙古馬とは異なる点が多々ある。漢代すでに中央アジアから, 西域馬としてアラブ系統馬が中国に入り, 蒙古馬との交雑も行なわれているから, 大陸からの導入と見なければならぬ日本在来馬の祖源をなした系統は, アラブ系統馬の影響を多分に受けたものであると考えざるを得ない。
著者
齊藤 昇
出版者
一般社団法人 日本老年医学会
雑誌
日本老年医学会雑誌 (ISSN:03009173)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.263-270, 2011 (Released:2011-07-15)
参考文献数
27
被引用文献数
12 8

目的:高齢入院患者は慢性便秘症を伴い勝ちで,緩下剤として酸化マグネシウム(MgO)が処方される機会も多く,また腎機能障害例も少なくない.MgO服用により血清マグネシウム(Mg)は増加傾向で,この時腎機能低下があれば血清Mgはさらに増加する.平成20年にMgO服用による副作用が問題となった.そこで高齢入院患者でMgO 1日0.5~3 gの使用が血清Mgにどう影響するかを腎機能と関連させて調べた.方法:高齢入院患者延べ1,282例(男505,女777),平均79.6歳が対象であった.早朝空腹時に採血し,血清Mgをキシリジルブルー法により測定した.推算糸球体ろ過量(estimated glomerular filtration rate,eGFR)が計算された.このeGFR(ml /min/1.73 m2)により症例を5群に分け,eGFR 30未満(第1群),30以上,60未満(第2群),60以上,90未満(第3群),90以上,130未満(第4群),130以上(第5群)とした.4群で分ける場合には第1~3群は上記と同じで,90以上をまとめて第4群とした.1 入院患者をMgO無しの552例(男212,女340),平均79.5歳とMgO服用の272例(男115,女157),78歳に分け,それぞれeGFRにより5群にさらに分類した.これら各群につき血清Mgの分布を調べた.2 MgO無しとMgO服用とを比較した.男性ではMgO無しの22例,平均79.4歳とMgO服用の18例,79.2歳であり,女性ではそれぞれ39例,84.2歳と30例,82.4歳であった.3 4症例(男1,女3),平均86.8歳の経過を4~14カ月観察した.4 MgO無しの88例(男31,女57),平均81歳と,MgO 1日0.5~1.5 g服用の116例(男42,女74),80.3歳と,MgO 1日2~3 g服用の118例(男55,女63),78.5歳との3集団を比較した.5 血清Mg3.8 mg/dl 以上(基準値1.7~2.6 mg/dl)の症例でMgO無し7例(男2,女5),平均84.2歳とMgO服用16例(男7,女9),85.7歳とを比較した.結果:1 eGFRによる5群ではMgO服用例でMgO無しの例に比較し,第1群は第3~5群に比較し血清Mgはより高い値の分布をχ2で有意に示した.2 MgO無しの男性平均6.9カ月,女性6.4カ月の経過でeGFRは有意に低下し,血清Mgは有意に増加した.MgO服用の男性6.1カ月,女性10カ月ではeGFRは有意な変化でなかったが,血清Mgは有意に増加した.3 4症例ではeGFRが低下すれば血清Mgが高くなり,その逆もあった.4 eGFRによる4群すべてでMgO無しに比較しMgO服用で血清Mgは有意に高かった.MgO無しでは第1群で第3,4群に比較し血清Mgは有意に高かった.MgO服用量による比較では第1群のみで1日2~3 gは0.5~1.5 gよりも血清Mgは有意に高くなった.5 血清Mg3.8 mg/dl 以上の症例をMgO無しとMgO服用に分けると,血清Mgは両者でほぼ同じで,eGFRはMgO無しで有意に低かった.血清Mgの最高値はMgO無しで5.2 mg/dl,MgO服用で5.9 mg/dl であった.結論:入院患者についてMgO服用で血清Mgは増加し,またeGFRの低下は血清Mgを増加させた.特にeGFRが30 ml /min/1.73 m2未満(第1群)では血清Mgは高かった.
著者
浜西 千秋
出版者
日本腰痛学会
雑誌
日本腰痛学会雑誌 (ISSN:13459074)
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.52-57, 2007 (Released:2008-01-22)
参考文献数
4
被引用文献数
2 1

腰部・下肢症状を有する外来患者49例で,用手的筋力測定装置により座位において躯幹の引き起こし筋力を測定したところ,無症状対照群の平均値,男性116N,女性78Nに対し,男性17例で86N,女性32例で64Nと著明に低下していた.外来で座位で躯幹を後傾させる,あるいは後傾させて両足をあげるなどの極めて簡便な「コルセット筋」訓練を指導し,経過を追って測定したところ,女性15例で51Nから78Nへ,男性9例では平均69Nから95Nへとそれぞれ筋力は増加し,これら24例のうち17例で腰痛や神経症状の改善が認められ,また病態や治療に対する不安感が大きく減少していた.内外腹斜筋,腹横筋,多裂筋など腹腔周囲「コルセット筋」の持続運動や筋力強化は慢性腰痛の予防と治療のみならず,腰椎由来の神経症状の治療や “ぎっくり腰” の予防にも有用であり,また筋力の即時数値評価は患者の訓練に対するコンプライアンスを高めるのに効果的であった.
著者
井出 浩希 工藤 浩 杉森 一仁 松原 美由紀
出版者
一般社団法人 日本静脈経腸栄養学会
雑誌
日本静脈経腸栄養学会雑誌 (ISSN:21890161)
巻号頁・発行日
vol.30, no.6, pp.1267-1271, 2015 (Released:2015-12-20)
参考文献数
15
被引用文献数
1

【目的】大腿骨近位部骨折術後患者において、入院期間中の摂食嚥下機能の低下に影響を及ぼす因子を検討することを目的とした。【対象及び方法】当院にて大腿骨近位部骨折に対し手術を施行した26例を対象とした。摂食嚥下機能は入院期間中の食形態を指標とし、食形態が変化しなかった群 (A群) と、食形態の調整または水分にトロミが必要となった群 (B群) について検討した。【結果】A群に比べ B群は入院時 CRP値 (p=0.04) 、施設からの入院割合 (p=0.03) が有意に高かった。入院時血清アルブミン (Alb) 値、入院時 Body Mass Index (BMI) には統計学的有意差を認めなかったが (いずれも p=0.08) 、B群で低い傾向がみられた。【結論】施設からの入院例、炎症を認める症例、入院時 Alb、BMIが低値で低栄養が疑われる症例は、入院期間中に摂食嚥下機能が低下しやすく注意が必要であると考える。
著者
中本 謙
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.1-14, 2011-10-01

琉球方言のハ行子音p音は,日本語の文献時代以前に遡る古い音であるとの見方がほぽ一般化されている。このp音についてΦ>pによって新たに生じた可能性があるということを現代琉球方言の資料を用いて明らかにする。基本的に五母音の三母音化という母音の体系的推移に伴って,摩擦音Φが北琉球方言ではp,p^?へと変化し,南琉球方言では,p,fへと変化して現在の姿が形成されたと考える。従来の研究に従い,五母音時代を起点にするのであれば,ハ行子音においても起点としてΦを設定しても問題はないと考える。そして,この体系的変化と連動してワ行子音においてもw>b,の変化が起こったとみる。また,ハ行転呼音化現象や語の移入時期という側面からもp音の新しさについて考察する。内的変化としてΦ>pが起こり得る傍証としてkw>Φ>pの変化傾向がみられる語も示した。
著者
林 容子 Yoko HAYASHI 尚美学園大学芸術情報学部情報表現学科
出版者
尚美学園大学芸術情報学部
雑誌
尚美学園大学芸術情報学部紀要 = Bulletin of the Faculty of Informatics for Arts, Shobi University (ISSN:13471023)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.57-79, 2004-12-24

2002年から2004年の夏にかけて、マンスフィールド財団、アジア財団、パシフィックフォーラムという3つの米国系財団の招聘で、日韓の諸問題を討議するリトリートに参加した。安全保障や外交の専門家に加え、NGO、文化、ジャーナリズムを専門とするそれぞれの国の代表が一同に招聘され、自由に討議した。それぞれの視点より、日韓関係を述べることになったとき、筆者のカウンタパートである韓国の美術史家より、「日本は、日帝期時代に多くの朝鮮墳墓を発掘し、朝鮮美術品を不当に日本に持ち帰り、返還していない。日本には、多くの逸品を含む30万点に上る朝鮮文化財があり、韓国の研究者は、自国の文化財なのに、わざわざ日本まで見に行かなければならないし、なかなか見ることができない。」と開口一番に指摘された。文化分野を代表していたものの、私の専門はアートマネージメントであり、朝鮮美術の専門家ではない。これまで、特に朝鮮美術はおろか、日韓関係についても特別の関心は持ってこなかった。彼女が指摘したのは、いわゆる略奪文化財の問題であるが、略奪文化財といえば、それまで私の脳裏に浮かぶのは、大英博物館保有の古代ギリシアの大理石彫刻(別名:エルギンマーブル)やナチスが略奪して、散逸した美術品の数々であり、「日本が朝鮮から美術品を略奪した」といわれても"晴天の霹靂"といわざるをえなかった。その場では、残念ながら日本代表として弁護することも、謝罪することもできず、とにかく自分なりに事実関係を確認し、次に報告すると約束するのが精一杯だった。これが本稿の切掛けとなった。帰国後、このことを日本の様々な知人に話すと様々な反応が帰ってきた。しかし、この件について無知だったのは、私だけでなく、朝鮮美術や東洋美術の専門家の友人を除いて、多くにとって、このことは初耳のようだった。事情を話すと、一般の人は「それなら返還したらいいじゃない。」と別に人事のような反応だった。一方、日本の東洋美術の専門家の友人たちに話すと、「この件は、すでに決着がついているのに、何故いまさらそんな過去のことを調査するのか。日韓の文化交流はとてもよくなっているのに、あなたがしようとしていることは、全くの時間の無駄であり、それよりも何故、もっと前向きなことにエネルギーを使わないのか。」と大変な勢いで抗議された。本問題に関して、両国の国民の間の意識レベルに大きなギャップが存在する。この問題に対する双方の一般国民の意識の低さおよび事実関係の認識の欠如が他の日韓の歴史問題同様に感情論の問題にしてしまい、根本的な問題解決を妨げていることも否めない。その一方で、日本と韓国の交流は、日韓ワールドカップの共催を経て両者の政府の方針もあり急速に高まっている。韓国側でも政府主導の友好的な外交政策がとられ、少なくとも日本では韓国に対する国民感情が少しずつながら好意的なものになっている。結果として85年以降日本人コレクターによる韓国への文化財の恣意的な寄贈も増えている。今、日本は、国交正常化以来の韓国文化ブームに沸いている。また、韓国でも、日本の朝鮮半島占領政策がもたらした経済効果を数字で分析する経済学者1が現れるなど、単なる感情論を越えて、日本の植民地政策を分析しようという動きが出てきている。調査を進めるうち、本問題は、日本の朝鮮植民地政策、日韓条約などの歴史問題に深く関わることはいうまでもないが、さらに、現在の国際法上での略奪美術品の扱いの問題や日本における美術品に関する税制や公開の制度の未整備など、国内外のアートマネージメント上の問題が大きく関わっていることがわかった。そこで本稿では、大きく第一に、在日朝鮮文化財の歴史的経緯、第二に、国際的および日本の国内事情の抱えるアートマネージメント関連の問題の考察、つまり、多くの在日朝鮮美術品の返還と公開に関わる問題を取り上げる。最後に、これらを踏まえた上でのこの問題に対する改善試案を提案する。Few in Japan's public know that approximately 29000 pieces of Korean artifacts are found housed in Japan's public museums. This accounts for only 10% of all Korean artifacts in Japan including those held in private hands. Many of them were supposed to be taken to Japan from Korea illegally during the colonial period. In Korea, the issue of illegally taken artifacts is a well-known to public. The gap in the awareness between Korea and Japan on the historical issue creates tensions between the two countries. The unsolved issue of restitution goes back to the flawed Korea Japan Treaty. While it is not feasible to solve this problem from legal perspective, voluntary donations of Korean artifacts by Japanese private collectors has gradually increased as the relationship between the two countries became improved since 1985. The research on current status of those Korean artifacts in Japan revealed another problem, which is many of them are still hidden and not even available for public view. The domestic problems surrounding art collection in Japan such as lack of tax incentive for public display and donation of artworks constitute the major factors behind Korean artifacts staying in hidden Japanese private collections. In order to promote the public access to the Korean artifacts in Japanese private collections, tax reform is needed. Also, public and private initiatives should be created to begin joint research and scholarly exchange dedicated to increasing public awareness on this subject, which will contribute to improve relations between Japan and Korea as well as to flowering of cultural sharing in the region.

8 0 0 0 OA 信濃奇勝録

著者
井出道貞 等著
出版者
井出通
巻号頁・発行日
vol.巻之3, 1887
著者
LEE Hyong Cheol 李 炯喆
出版者
長崎県立大学
雑誌
研究紀要 (ISSN:2432616X)
巻号頁・発行日
no.1, pp.7-19, 2016-12-28

朝鮮が日本の植民地になってから日本語が国語となり、朝鮮語は民族語となったが、35年間に及ぶ全植民地期間中に朝鮮語使用が禁止されたわけではなかった。1920年代の文化政治期には教育熱が上がったため普通学校の新設が急増し、なお朝鮮人による朝鮮語(ハングル)の啓蒙運動と研究が展開され、制限的ながら言論、文化活動も許された。しかし、1930年代後半になり、内鮮一体を目指す皇民化政策の下で、学校と官公署で朝鮮語の使用が禁止され、国語常用が強要されたが、朝鮮人の日本語解読率が20%くらいしかなかったため、終戦の日まで朝鮮語による新聞の発行と放送を行った。総督府は朝鮮語使用の禁止・国語常用運動を展開しながらも、一方では植民地統治のため、自ら朝鮮語の新聞と放送を活用する方針を採ったが、それでいて朝鮮語使用禁止と民族性の抑圧を否定するのは無理である。
著者
西田厚聰
出版者
日経BP社
雑誌
日経ビジネス (ISSN:00290491)
巻号頁・発行日
no.1410, pp.58-66, 2007-10-01
被引用文献数
1

9月4日午後6時過ぎ。都市対抗野球大会の決勝戦が開かれていた東京ドームは熱狂の渦に包まれていた。1回表無死満塁。東芝4番、西郷泰之が放ったホームランに、レフトスタンドを埋め尽くした「紅い軍団」が歓喜した。 その中に、東芝社長の西田厚聰の姿があった。白いワイシャツの上に赤いユニホームを羽織り、立ち上がって赤いうちわをたたいて声援を送っている。

8 0 0 0 OA 官報

著者
大蔵省印刷局 [編]
出版者
日本マイクロ写真
巻号頁・発行日
vol.1912年01月12日, 1912-01-12
著者
岩間 陽子
出版者
GRIPS Policy Research Center
雑誌
GRIPS Discussion Papers
巻号頁・発行日
vol.16-19, 2016-10

西ドイツ初代首相であり、1949年から1963年まで在任したコンラート・アデナウアーは、西ドイツの核保有を志向していたと言われるが、その実態はそれほど単純ではなかった。アデナウアーは、1954年のパリ協定署名時に、ABC(核・生物・化学)兵器の自国領内での製造を行わない宣言をしており、政権中にこの枠組みからはみ出すことはなかった。しかし、その範囲内で、西ドイツを核抑止の時代に適応させていった。まず、在独米軍の核兵器持ち込みを、事前協議制度なしで認めた。また、NATOの核備蓄制度を利用して、西ドイツ連邦軍の核搭載可能兵器を装備し、戦時には、それまで米軍管理下にある核兵器(弾頭)の配備を受ける制度を始めた。NATOの枠内での多角的核戦力(MLF)にも前向きな姿勢を見せながら、アデナウアーは何らかの形の「ヨーロッパ・オプション」に最後までこだわり続けた。それは、彼が米ソに大国のみが核を持つ世界では、ヨーロッパが見合うからの運命を決定する能力を失い、場合によっては超大国の取引対象となることを恐れたからであった。しかし、仏独エリゼー条約に対するアメリカの反応は、そのような道が非常に困難であることを示していた。Konrad Adenauer, the first West German Chancellor who was in office from 1949 to 1963, is said to have sought nuclear weapons for his country. But the truth is not that simple. Adenauer had renounced production of ABC weapons at the time of the signing of the Paris Treaties in 1954, and he never stepped out of this pledge. Instead, he adjusted his country to the nuclear age within that limit. First he allowed the American troops in West Germany to bring in nuclear weapons almost without any system of prior consultation. Next he put his country into the NATO nuclear stockpile system, by equipping the West German Bundeswehr with nuclear capable weapons. The nuclear weapons(warheads) to these weapons were usually under the control of American troops, and were passed onto the Bundeswehr at wartime. He also responded positively to the NATO multilateral force (MLF) plans, but also never ceased to look for an ‘European option.’ The reason for this was that he thought in a world in which only the US and USSR possessed nuclear weapons, Europe will no longer possess the ability to decide its own fate, and may become an object of deals between the two superpowers. But the American reaction to the Franco-German Elysée Treaty showed how difficult such an option was.
著者
本間 善夫
出版者
日本コンピュータ化学会
雑誌
Journal of Computer Chemistry, Japan (ISSN:13471767)
巻号頁・発行日
vol.20, no.2, pp.A16-A18, 2021 (Released:2021-09-15)
参考文献数
15

新型コロナウイルスの影響で全国の科学イベントが制限されたりオンライン開催になるなどしている.日本コンピュータ化学会の公開イベント等も影響を受けていることを紹介し,計算科学の役割を知ってもらう上でも,オンラインコンテンツの公開やソーシャルメディア活用による連携の必要性を述べる.
著者
東 剛志 田中 宏明
出版者
安全工学会
雑誌
安全工学 (ISSN:05704480)
巻号頁・発行日
vol.51, no.5, pp.282-289, 2012-10-15 (Released:2016-08-31)
参考文献数
57

近年,タミフル等に代表される抗インフルエンザ薬成分の河川環境中への流出が新たな社会的問題を提起している.タミフルは,新型インフルエンザパンデミックの被害軽減の切り札として位置付けられており,日本の依存度は季節性インフルエンザにおいても使用されており世界の中でも特に高い.そのため,水環境中に流出する抗インフルエンザ薬成分の問題は,生態系への毒性影響に加え,水環境中からの薬剤耐性ウイルス発生の危惧を生み,日本ばかりではなく世界的に新型インフルエンザ対策を検討するきっかけとなっている.そこで,本稿では近年明らかになりつつある最新の知見を踏まえ,河川環境中における抗インフルエンザ薬成分の汚染実態・環境動態や,下水処理場での除去効率,そして環境毒性及び薬剤耐性ウイルスの発生危険性について概説し,今後の環境リスク評価・リスク管理の展望についてまとめる.
著者
田中 ゆかり 上倉 牧子 秋山 智美 須藤 央
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.5-17, 2007-09-30
被引用文献数
1

日本でもっとも多言語化が進行している東京圏のデパート37店舗を対象に,言語景観調査を2005年に実施した.ランドスケープの観点から店内案内のパンフレットと店内の全館案内掲示,サウンドスケープの観点から閉店時の店内放送の多言語化の実態について報告する.その上で,東京圏のデパートにおける多言語化の進行過程と,デパートという商業形態における言語の経済価値について述べる.実態調査結果からは次の点が明らかとなった.(1)「23区内多言語使用」対「東京近郊単言語使用」という地域差が観察された(2)23区内には次のような地域特徴が観察された.「新宿地域の東アジア系言語重視」「銀座・有楽町・日本橋・東京の西欧言語の取り入れ」(3)東京近郊における「大宮・立川・吉祥寺の多言語化の萌芽」(4)旗艦店に多言語化が著しい(5)パンフレットの多言語化がもっとも進んでいる.ついで店内放送が多言語化している.店内掲示はほとんど多言語化していなかった.(6)多言語化の進行過程として次のパターンが指摘できる.「日本語単言語⇒日本語・英語(2言語)⇒日本語・英語・中国語・韓国/朝鮮語(4言語)⇒日本語・英語・中国語・韓国/朝鮮語+α(5言語以上)」上記結果の背景としては,東京23区における日本語以外の言語を使用する居住者ならびに観光などによる一時滞在者数の多さと,東アジア系ニューカマーの新宿地区における増加が指摘できる.顧客が使用する言語に対応した実質言語としての英語・中国語・韓国/朝鮮語の採用と,デパートのイメージ戦略に対応したアクセサリー的言語(イメージ言語)としての西欧言語(フランス語・イタリア語)の取り入れの両側面が指摘できる.