著者
小出 裕章
出版者
名古屋工業大学技術倫理研究会
雑誌
技術倫理研究 (ISSN:13494805)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.1-44, 2014

「原子力発電所は決して大事故を起こさない」と宣伝されてきた.しかし,残念ながら福島第一原子力発電所で破局的な事故が起きた.どこにどのような責任があり,一人ひとりの人間,特に技術者が原子力に対してどのように向き合うべきか論じる.
著者
渡部 誠一 杉原 素子
出版者
一般社団法人 日本作業療法士協会
雑誌
作業療法 (ISSN:02894920)
巻号頁・発行日
vol.38, no.3, pp.314-324, 2019-06-15 (Released:2019-06-15)
参考文献数
29

我が国の調査では,長期入院統合失調症患者のうち20〜50%は退院意向を示さないとされ,厚生労働省は,「退院に向けた意欲の喚起」を強調している.本研究では,長期入院統合失調症患者の退院意向に関連する個人因子を明らかにする目的で,精神科病院に1年以上入院している統合失調症患者50名を対象に,退院意向質問紙,将来への否定的自己評価であるDefeatist Beliefsおよび陰性症状を横断的に評価した.その結果,Defeatist Beliefsは退院を示さない群において有意に重度で(p=0.001),交絡因子を含めても有意な関連が認められた(p=0.01).本結果により,退院意向を示さない統合失調症患者の退院への意欲喚起には,心理社会的介入の重要性が示唆された.
著者
水田 博之 芝崎 靖雄 延谷 宏治 金丸 文一
出版者
公益社団法人 日本セラミックス協会
雑誌
窯業協會誌 (ISSN:00090255)
巻号頁・発行日
vol.90, no.1043, pp.355-362, 1982-07-01 (Released:2010-04-30)
参考文献数
5

0.12K2O・0.48PbO・0.40ZnO・0.15Al2O3・1.70SiO2(mol) の基本組成を持つ基礎釉及び基本組成にTiO2(5wt%) とNH4VO3(3wt%) を単独または同時に加えた組成の釉について結晶化及び虹彩現象の研究を行った.1150°-1250℃の温度範囲で溶融後徐冷すると基礎釉及びV添加釉ではZn2SiO4の結晶が析出するが, Ti添加釉ではZn2SiO4とZn2TiO4の結晶が析出した. TiとVを同時添加した釉ではルチル型 (TiO2) が主として析出し鮮やかな虹彩を示した. この虹彩現象は葉片状に集合した薄板状ルチル型 (TiO2) の析出によって引き起こされるが, Zn2TiO4やZn2SiO4の析出は逆に虹彩現象を弱めた. 析出結晶相の同定には, 実体顕微鏡, 走査型電子顕微鏡, 分析電子顕微鏡やX線回折装置を用い, 析出結晶と虹彩現象との関連性を詳しく議論した.
著者
音喜多 信博
出版者
岩手大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

平成29年度においては、本研究課題全体への導入として、哲学的人間学に見られる階層理論のアリストテレス主義的な特徴を総体的に整理する研究をおこなった。本年度は、とくにシェーラーとメルロ=ポンティについて考察をおこなった。アリストテレスの『魂について』においては、魂の三つの能力が論理的な階層性を成すものとして区分されているが、それに比することができるようなかたちで、シェーラーとメルロ=ポンティにおいては生物の心的機能についての一種の階層理論が見られる。シェーラーは『宇宙における人間の地位』(1928)において、「感受衝迫」から「実践的知能」まで、生物の心的機能を四段階の階層性において捉えていた。そのうえで、人間の「精神」は、このような他の生物と共有する心的機能を前提としながらも、環世界の拘束を越える「世界開放的」な自由を獲得すると述べている。メルロ=ポンティは『行動の構造』(1942)において、シェーラーの「世界開放性」概念に大きな影響を受けながらも、その宇宙論的な含意は切り捨て、生物の行動形態を「癒合的形態、可換的形態、シンボル的形態」という三つの階層に区分して、それらを現象学的に分析している。本研究の結果、以下のようなことが明らかとなった。上記の思想家たちの階層理論においては、階層の上位のものは下位のものの存在を不可欠の前提としているとともに、下位のものは上位のものにその部分として取り込まれ、その自律性を失っているというように、諸々の層は「統合」的関係にあるものと構想されている。そして、その統合の向かう方向性は、人間の行動や認識の自由の拡大という規範的なものであることが窺われる。このような考え方は、人間の精神の機能をもっぱら理性に見出すデカルト的心身二元論に対するアンチテーゼであるとともに、人間のあり方を純粋に生物学的に説明しようとする生物学主義とも一線を画すものである。