著者
小嶌 典明 Kojima Noriaki コジマ ノリアキ
出版者
大阪大学法学会
雑誌
阪大法学 (ISSN:04384997)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.591-620, 2008-11

村上武則教授退官記念号

1 0 0 0 OA 条々聞書 4巻

著者
伊勢貞頼
出版者
巻号頁・発行日
vol.[4],
著者
星野 文子
出版者
和洋女子大学
雑誌
和洋女子大学紀要 = The journal of Wayo Women's University (ISSN:24326925)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.15-25, 2017-03-31

This paper aims to introduce articles written by Yone Noguchi in the Japan Weekly Mail between January 1913 and June 1914. These articles, which were recently identified by researchers, will be used to analyze his sense of himself as a poet, or his poet-self. Yone Noguchi was the first Japanese poet who published English poetry books in United States of America at the end of the19th century, and in England at the beginning of the 20th century. After spending nearly 11 years abroad, he came back to Japan in 1904 as a well-known poet, and continued writing actively for various magazines and newspapers, as well as publishing books in both English and Japanese languages. At the time, he was one of the only Japanese capable of doing so. It recently came to light that the Japan Weekly Mail carried many of Noguchi’s articles before, during, and after his second visit to England, on the invitation of the Poet Laureate Robert Bridges. The topics Noguchi covers in these articles range from English and American literature, to Ukiyoe, Kabuki, Noh-play, Japanese art, his poetry, and his impressions and experiences in England. Drawing on these articles, this paper will shed light on how his visit to England reassured his poet-self.
著者
足立 恭一郎
出版者
農林水産省農林水産政策研究所
雑誌
農林水産政策研究 (ISSN:1346700X)
巻号頁・発行日
no.2, pp.27-46, 2002-03
被引用文献数
2

1993年2月を画期とする軍人政権から文民政権への移行に伴い、韓国農政はそれまでの単線的な規模拡大・生産コスト削減路線から親環境農業路線へと徐々に方向を転換しはじめた。親環境とは、環境への優しさを強調する韓国独自の表現であり、日本でいう有機栽培と特別栽培の双方が含まれる。 この農政パラダイムの転換を唱導したのは許信行氏、崔洋夫氏、金成勲氏という韓国を代表する3人の農業経済学者であった。許信行氏は金泳三大統領の下で韓国農政史上初の学者長官(在任期間:1993.2.26.~93.12.21.)に就任し、崔洋夫氏は学者秘書官として大統領府の初代農水産主席(1993.12.23.~98.2.24.)を金泳三政権の全期間に亘って務めた。そして、金成勲氏は金大中大統領の下で韓国農政史上2人目の学者長官(1998.3.3.~2000.8.7.)に就任し、持続農業(許氏)・環境農業(崔氏)・親環境農業(金氏)をそれぞれ「韓国農業の4つの進路」(許氏及び崔氏)或いは「韓国農業の生き残る道」(金氏)に位置づけて積極的に推進した。 1993年2月から2000年8月まで7年半、3人の農業経済学者が理論的裏付けを有するそれぞれの農政理念に基づいて主導した農政改革は奏功し、韓国の農政は今、その軸足を親環境農業路線に置くようになった。環境農業育成法の制定、親環境農業直接支払制度および水田農業直接支払制度の導入、親環境農産物認証制度の導入と同流通システムの整備などはその端的な事例である。大統領制をとる韓国では政権交代により農政自体も大きく変わるため、金泳三、金大中政権と続いた農政変革路線がいつまで続くか予断を許さないが、韓国農政の今後の展開に注目したい。

1 0 0 0 OA [京暦]

出版者
院御經師菊澤藤藏
巻号頁・発行日
vol.寛政9, 1796

1 0 0 0 OA 赦帳

出版者
巻号頁・発行日
vol.第109冊分冊ノ1 七廉御赦帳,
著者
菅野 長右ヱ門 大武 由之
出版者
公益社団法人 日本畜産学会
雑誌
日本畜産学会報 (ISSN:1346907X)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.282-296, 1981-04-25 (Released:2008-03-10)
参考文献数
17

牛乳脂肪球皮膜から得た可溶性蛋白質(SGP)の抗体と反応する蛋白質がホエーに存在することが見出され,これをanti-SGP reacting protein(A蛋白質)と名付けた.A蛋白質の大部分は耐熱性のプロテオースペプトンの成分-3に含まれているが,成分-5と-8にも存在する.ここでは,3成分間のA蛋白質の性質の差異およびA蛋白質とSGPの構造的•免疫学的関連を明らかにするために,各成分をBio Gel A-0.5mによるゲル〓過およびDEAE-celluloseクロマトグラフィーで分画した画分を用いて研究した.得られた各成分の画分を一元平板免疫拡散,二重免疫拡散,免疫電気泳動,およびDisc電気泳動で分析した結果は互に一致していたことから,A蛋白質には移動度の小さいバンド(SMB)とバンド3の2つの蛋白質が関連していることが示唆された.また各画分の沈降線は各成分の画分間においてさえ融合していたから,A蛋白質は同一の抗原決定群をもっていることが判明した.成分-3をDEAE-celluloseクロマトグラフィーで分画した画分の免疫電気泳動パターンにおける沈降線の移動度は溶出された画分の順に増大していた.このことから,多様な形のA蛋白質が存在することが判明した.さらに,A蛋白質とSGPの構造的関連をSDSPAGEで調べた結果,少なくとも2種の糖ペプチド(band AおよびB)が両者に共通していた.したがって,A蛋白質が同一の抗原決定群をもつにもかかわらず,多様な形をとることは,A蛋白質が主要な2種の糖ペプチドとその他のポリペプチドの分子間会合によって形成されていることに起因するものと考えられた.またA蛋白質は血清に由来する蛋白質ではなかった.

1 0 0 0 OA 大赦調書

出版者
巻号頁・発行日
vol.[205] 五分冊ノ一 「文恭院様御新葬御法会」 御赦帳,
出版者
日経BP社
雑誌
日経アーキテクチュア (ISSN:03850870)
巻号頁・発行日
no.879, pp.14-25, 2008-07-28

東京都の西部、奥多摩地域の玄関口に位置する福生市は、面積の約3分の1を在日米軍横田基地が占める基地の街だ。 1963年に竣工した旧庁舎の老朽化に伴い、同市では議会や市民を交えて、新庁舎の建設を検討してきた。プロポーザルにより設計者として選ばれたのは山本理顕設計工場。旧庁舎と同じ敷地での設計という与条件に対して、工期をずらした2棟のタワーの建設を提案した。

1 0 0 0 OA 聚楽物語 3巻

出版者
杉田勘兵衛
巻号頁・発行日
vol.[3], 1640
著者
高橋 文枝 田村 善蔵 矢沢 幸平
出版者
一般社団法人 日本医療薬学会
雑誌
病院薬学 (ISSN:03899098)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.50-54, 1980 (Released:2011-08-11)
参考文献数
6
被引用文献数
1 1

The factors which cause death of the living cells in a bifidobacterial preparation (Lac B) were studied. When the relative humidity exceeded 50%, or when the moisture absorption in the preparation exceeded 5%, the number of the living cells rapidly reduced at 27°. In such humidity, however, death of the cells was not observed during 10 days, when the temperature was maintainedat 4°. When the cells, dried over P2os, were compounded with the same quantity of a dried drug and stored under dry condition, the number of living cells did not reduced for 1 week even at 37°.
著者
二木謙三 著
出版者
大日本養正会
巻号頁・発行日
1943
著者
二木謙三 著
出版者
[ ]
巻号頁・発行日
1932
著者
対馬 路人
出版者
関西学院大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1995

特に中国(台湾)系の民衆宗教の代表的教団、紅卍字会道院系及び一貫道系の団体に絞って、資料収集をおこなうともに、それらの日本での活動について聴取調査、参与観察をおこなった。いまのところ、日本国内では前者の系統に関しては日本道院、多摩道院の二団体、後者に関しては天道総天壇、天道日本総天壇、先天大道日本総天壇、孔孟聖道院、道徳会館、中国嵩山少林寺(活動休止)の六団体の存在が確認された。これらの分立状況は母国におけるこれらの教団の分立を背景としている。調査を通して、これらの団体の日本への浸透の経緯や日本での活動の実態については、全ての団体に関してというわけではないが、ある程度明らかになった。歴史的にはまず紅卍字会道院が、日本の大本数と提携するという特異なしかたで戦前に日本に入った。一貫道系が日本に入るのは戦後になってからであり、しかも活発になったのは比較的最近のことである。一貫道系の団体の多くは台湾から入っているが(一団体は韓国経由)、台湾におけるこれらの団体の活発な布教活動を背景としていると思われる。しかし両系統の団体とも日本人メンバーが中心となって活動しているというという点では共通している。こうした中国系の宗教結社は外地では華人のエスニックな相互扶助団体になる傾向があることを考慮すると、この点は日本での展開の特徴の一つといえる。特に菜食の実践、瞑想などの修行の面では日本の若者の姿が目立つ。日本の若者の間での精神世界への関心の高まりがこれらを受け入れる日本側の土壌となっている面がみられる。これらの中国系民衆宗教は、シャーマンの託宣による教団指導、諸教融合的傾向など日本のそれと共通の体質を少なからずもっているが、日本のそれらと比べると、全体として禁欲主義、現世超越、秘密主義の傾向がやや強いように思われる。これらの団体が日本に受容される際に、それらがどのように作用するかを更に検討していきたい。

1 0 0 0 OA [師守記] 64巻

著者
中原師守 [著]
巻号頁・発行日
vol.巻63 紙背, 1339
著者
遠藤 織枝
出版者
文教大学
雑誌
文学部紀要 = Bulletin of The Faculty of Language and Literature (ISSN:09145977)
巻号頁・発行日
vol.20, no.1, pp.12-23, 2006-10-01

戦時中の雑誌の用語研究の一環として、天皇関連の敬語使用の実態を報告する。戦時中の皇室に関する敬語には特殊なものが多くあり、また、その使用については厳しい強制があった。戦後まもなくの敬語の見直しで、それらの特殊性が浮き彫りにされた。しかし、その使用された当時の実態に関する報告は少ない。今回の戦時中15年間の雑誌のグラビアの文章を通して明らかになったのは、尊敬にも謙譲にも二重三重の敬語が使われ、過剰・誇張と思われるほどの敬語使用が日常であったという事実である。