著者
橋詰 知輝
出版者
デジタルアーカイブ学会
雑誌
デジタルアーカイブ学会誌 (ISSN:24329762)
巻号頁・発行日
vol.5, no.s2, pp.s153-s156, 2021 (Released:2021-12-10)
参考文献数
4

祭りや信仰、日々の衣食住など、生活の中で繰り広げられる森羅万象について、ある地域ごとにまとめて写真で記録し、保存しておくことは、そこでの人々の生活についての可視化されたデータの集積(アーカイブ)となる。こうした写真を人知れず撮影し続けている人は少なくないが、日の目を見ることが少ないのが現状である。また、彼ら/彼女らの写真は、一般的な行政等の記録写真や、それ一点で作品となるようなアート寄りの写真、そしてハレの日の集合写真などに対して、写真の一枚一枚がより素朴に撮影され、かつ人々の生活に近づいていることから、肖像権といった形での問題が立ち現れることが多く、他とは切り分けて考えるべきだと考える。そこで、本論ではそれらを「生活写真」と名付け、その利用の現状や保存手法などを特定地域(県)に限定して調査したうえで、こうした問題に対応した、新たなアーカイブ実践を試みたものである。
著者
藤井 博志
出版者
神戸学院大学
雑誌
神戸学院総合リハビリテーション研究 (ISSN:1880781X)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.65-77, 2007-03

本稿は、近年におけるわが国の新たなコミュニティケアサービスの動向を概観し、その特徴を明らかにする。また、それらの多くは制度的なケアサービスではなく、民間による自発的なサービスである場合が多い。その点に注目して、それらのケアサービスが自治体において、開発され、計画化される方法を提案する。その場合、自治体はもとより、それを推進する社会福祉機関として、社会福祉協議会が期待される。したがって、ここでは、これらの新たなコミュニティケアサービスを開発する社会福祉協議会の組織・機能にも言及している。また、これらのケアサービスを自治体において普及するためには、社会福祉計画による合意形成が必要である。とくに、わが国においてコミュニティケアを進める計画として地域福祉計画が注目される。最終的には、この地域福祉計画に新たなコミュニティケアサービスが位置づけられ、地域福祉資源整備の課題として、住民と行政の協働によるサービス開発を展望している。
著者
久崎 孝浩
雑誌
心理・教育・福祉研究 : 紀要論文集 = Japanese journal of psychology, education and welfare
巻号頁・発行日
no.19, pp.19-37, 2020-03-31

本論では,心の理論の中核にある心的状態の自他弁別がいかに発達するのかについて理論的検討を試みた。心の自他弁別の発達における共同注意,一人称的視点,内受容感覚の覚知の働きについて先行研究や有用な理論をもとに議論し,次のことが示唆された。(1)自己の心的状態を主観的かつ意識的に経験できるようになると共同注意場面で視点の自他相違を探知して心の自他弁別を発達させる。(2)心的状態を主観的かつ意識的に経験するためには一人称的視点が必要で,その一人称的視点を生み出すのは内受容感覚の覚知である。(3)洗練された内受容感覚の覚知が発達することで,様々な心的状態を主観的かつ意識的に経験できる。(4)洗練された内受容感覚の覚知の発達とは,子どもの成長とともに親子のやりとりが複雑化して内受容感覚の覚知が外受容感覚,認知,固有感覚等と複雑に統合していく過程である。(5)内受容感覚の覚知の発達によって,他者の内受容感覚状態の円滑かつ多様なシミュレートが可能になり,他者の心的状態の推測の効率と精度が高くなる。
著者
[宗祇] [講]
巻号頁・発行日
vol.[1], 1609
著者
井上 ウィマラ
出版者
パーリ学仏教文化学会
雑誌
パーリ学仏教文化学 (ISSN:09148604)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.1-19, 2013-12-22 (Released:2018-09-01)

Mindfulness meditation is expounded most comprehensively and systematically in the Satipatthana sutta in the Majjhima Nikaya. After explaning how to establish mindfulness with 13 concrete objects (categorized into 4 areas of body, feelings, mind and dhammas), the sutta repeatedly mentions the formula regarding the insight that is to be attained by the practitioner. In this refrain, it introduces the triad of ajjhatta (internally), bahiddha (externally) and ajjhatta-bahiddha (internally and externally) necessary for the purpose of carrying out continuous observation. It is this triad that constitutes the main theme of this paper. Analayo's Satipatthana: The Direct Path to Realization (2003) is a thorough research work on this sutta, which includes traditional interpretation, works of modern scholarship, and teachings of present-day meditation teachers. I will, in this paper, summarize his treatment of this theme, "internal and external contemplation." It is Analayo's conclusion that the commentarial and Abhidhammic position to identify the "internal and external" with the "self and others" is the most appropriate and practical interpretation. Building on his philological work, I wish to introduce some information from the Mahavagga in the Vinaya about the reciprocal practice of taking care of each other: the duties of teachers and disciples, the five conditions of a patient who is difficult to take care of and the five conditions of the practitioner who is able to take care of a patient. These situations inevitably lead the practitioner to observe not only others but also oneself. In the Ambalatthikarahulovada sutta from the Majjhima Nikaya, Buddha admonishes Rahula to reflect on his actions as to whether they give pain to oneself, to others or to both. This perspective of "self, others and both" constitutes a counterpart to the triad of "internally, externally, and both internally and externally." The Buddha, further, taught Rahula to confess and reveal unwholesome bodily and oral actions that produce painful results for one's teachers and fellow practitioners of the holy path, while repelling and feeling ashamed of one's unwholesome mental actions. This suggests that bodily and oral actions are shared within interpersonal relationships while mental actions stay confined to oneself. Abhidhamma explains hiri to be the feeling of being ashamed of oneself, while otappa is the feeling of being ashamed toward someone on the outside. This suggests that there exists someone internalized deep in our psyche. In this regard, the Khandha Samyutta discusses the existence of various layers of consciousness, with or without the concept of "I," "me" and "mine." Taking all these into account, the framework of ajjhatta, bahiddha and ajjhattabahiddha functions as the observational perspective, in which a practitioner witnesses the process by which the concepts of "self' and "others" are formed.

3 0 0 0 OA 通俗日本全史

著者
早稲田大学編輯部 編
出版者
早稲田大学出版部
巻号頁・発行日
vol.第5巻 太平記 上, 1913

3 0 0 0 OA 三体古事記

著者
渋川玄耳 著
出版者
誠文堂新光社
巻号頁・発行日
1940
著者
阿波名勝会 編纂
出版者
阿波名勝会
巻号頁・発行日
1936
著者
高津梓 佐藤知洋# 田上幸太# 柘植雅義 米田宏樹#
雑誌
日本教育心理学会第61回総会
巻号頁・発行日
2019-08-29

目 的 特別支援学校では,児童生徒一人一人に対して個別の教育支援計画および個別の指導計画が作成されている(文部科学省, 2009)。しかしながら,個別の指導計画の書式は自治体や学校によって異なっており,目標や手立ての設定も各教員にゆだねられている部分が大きい。実態から目標,手立てへの記述やつながりが適切ではないことが指摘されたり,評価の視点が定まりにくく次年度の担任へ継続されにくかったり,また,家庭との共有の困難さなどの課題も生じている。 本研究では,知的障害特別支援学校小学部において,児童の育ちについて段階的に目標を設定し,PDCAサイクルを繰り返すことのできる個別の指導計画の書式作りに取り組んだ。方 法対象: A知的障害特別支援学校小学部(1~6学年)の個別の指導計画方法: (1)目標の縦断的な分析および見直し 小学部6年児童の事例について,これまでの個別の指導計画計画の目標とその変化を縦断的に分析し整理した。従来の書式では,個別の指導計画で「目標」と「手だて」の欄,通知表で「目標」と「評価」の欄を設け,それぞれ並列して記述していた。その際,目標欄に長期的な目標を設け,手だて欄に細分化した目標と段階的な方略を挙げており,目標欄における目標の達成や変化が短期間では見え辛いという課題が挙げられた。また,包括的な目標に対しエピソードを交えた文章表記の評価を行っており,評価の視点が定まりにくく,教師と家庭で認識を共有することに困難が生じる場合もあった。このことから,個別教育計画の目標と手だての設定および記載方法を再検討した。(2)目標設定の方法及び評価の在り方の再検討 上記課題を踏まえ,目標設定および評価の方法や基準を検討した。個別の指導計画の書式については,「目標」「手だて」「授業」「評価(4期)」「備考」の欄を設け,目標から評価までが一枚で見えるようにした。通知表の書式は別途作成し,授業内容と活動の様子を記述するようにした。また,記述方法等の改善を行った(Table 1)。(3)新書式運用後の目標の変化の検討 新書式運用後の評価として,児童の目標量の変化について検討した。対象: X-1年度(前書式)およびX年度(新書式)の1~6学年在籍児童,各23名の個別の指導計画。方法: 各児童の前期評価時の目標欄から,「達成した目標」「新しく設定された目標」「修正した目標」の数を算出し,合算した。達成した目標については,「達成した」「できるようになった」という評価が記述されているものを対象とした。(4)保護者アンケートに基づく妥当性の検討改善した個別の指導計画について,X年度末に保護者アンケートを実施し妥当性を検討した。結 果 児童の目標の変化を,Figure 1に示した。達成したと明確に示された目標が20件から175件と大幅に増加し,新規に設定された目標についても増加した。さらに,修正された目標が31件あった。 保護者アンケートでは,新書式について96%が「満足」,目標の授業内容への反映について89%が「あてはまる」と回答があった。さらに,自由記述や連絡帳,面談において,「新しい書式は今できることや課題がわかりやすい。家庭でもがんばりたい」などのポジティブなコメントが寄せられた。考 察 個別の指導計画において,段階的な目標と手だて,短期間での評価機会を設定することで,児童一人一人の目標の達成と新規目標の設定が活性化された。また,児童に関する評価だけでなく目標や手だてに対する評価を行うことにより,実態に合わなかった目標や手だてについての振り返りが行われ,より実態に合った教育活動を提供できるようになった。達成した目標に加えて,修正した目標や手だては,児童の学びの過程の詳細な記録となると考えられる。付 記 本研究は筑波大学附属大塚特別支援学校小学部研究の成果であり,初村多津子氏,田中翔大氏,北村洋次郎氏,杉田葉子氏,菅野佳江氏,當眞正太氏,飯島徹氏,小家千津子氏,仲野みこ氏,新城理奈氏,との共同研究である。また,JSPS科研費18H1037による研究の一部である。

3 0 0 0 OA 郵便要覧

著者
国乗会 編
出版者
国乗会
巻号頁・発行日
1898
著者
亀井 淳三
出版者
公益社団法人 日本薬学会
雑誌
ファルマシア (ISSN:00148601)
巻号頁・発行日
vol.52, no.9, pp.845-849, 2016 (Released:2016-09-02)
参考文献数
17

糖尿病マウスの扇桃体において内因性カンナビノイドである2-AGの産生が増加し、これがCB1受容体を刺激して不快情動反応が亢進する可能性が示されている。また、気道炎症など一酸化窒素(NO)の産生が増加した状態では、NOによるアナンダミド(AEA)のC線維終末部への取り込みが亢進し、AEAがTRPV1を活性化し、C線維終末よりタキキニン放出を増大させ咳感受性を亢進させていることも明らかになっている。さらなる研究の進展により、内因性カンナビノイドの機能を明らかにし、多くの疾患治療薬の開発につながることを期待したい。
著者
大藤 修
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.141, pp.173-223, 2008-03-31

本稿は、秋田藩佐竹家子女の近世前半期における誕生・成育・成人儀礼と名前について検討し、併せて徳川将軍家との比較を試みるもので、次の二点を課題とする。第一は、幕藩制のシステムに組み込まれ、国家公権を将軍から委任されて領域の統治に当たる「公儀」の家として位置づけられた近世大名家の男子は、どのような通過儀礼を経て社会化され政治的存在となったか、そこにどのような特徴が見出せるか、この点を嫡子=嗣子と庶子の別を踏まえ、名前の問題と関連づけて考察すること。その際、徳川将軍家男子の儀礼・名前と比較検討する。第二は、女子の人生儀礼と名前についても検討し、男子のそれとの比較を通じて近世のジェンダー性に迫ること。従来、人生儀礼を構成する諸儀礼が個別に分析されてきたが、本稿では一連のものとして系統的に分析して、個々の儀礼の位置づけ、相互連関と意味を考察し、併せて名前も検討することによって、次の点を明らかにした。①幕藩制国家の「公儀」の家として国家公権を担う将軍家と大名家の男子の成育・成人儀礼は、政治的な日程から執行時期が決められるケースがあったが、女子にはそうした事例はみられないこと。②男子の「成人」は、政治的・社会的な成人範疇と肉体的な成人範疇に分化し、とりわけ嫡子は政治的・社会的な「成人」化が急がれたものの、肉体的にも精神的にも大人になってから江戸藩邸において「奥」から「表」へと生活空間を移し、そのうえで初入部していたこと。幼少の藩主も同様であったこと。これは君主の身体性と関わる。③女子の成人儀礼は身体的儀礼のみで、改名儀礼や政治的な儀礼はしていないこと。④男子の名前は帰属する家・一族のメンバー・シップや系譜関係、ライフサイクルと家・社会・国家における位置づけ=身分を表示しているのに対し、女子の名前にはそうした機能はないこと。

3 0 0 0 OA 心学道話全集

著者
加藤咄堂 監修
出版者
忠誠堂
巻号頁・発行日
vol.第四卷, 1928