著者
塩谷 賢
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05252997)
巻号頁・発行日
vol.77, no.2, pp.388-390, 2001-11-20

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著者
白井駿著
出版者
白順社
巻号頁・発行日
1995
著者
稲岡 大志
出版者
The Philosophy of Science Society, Japan
雑誌
科学哲学 (ISSN:02893428)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.67-82, 2014

In this paper, we would present an overview of the recent studies on the role of diagram in mathematics. Traditionally, mathematicians and philosophers had thought that diagram should not be used in mathematical proofs, because relying on diagram would cause to various types of fallacies. But recently, some logicians and philosophers try to show that diagram has a legitimate place in proving mathematical theorems. We would review such trends of studies and provide some perspective from viewpoint of philosophy of mathematics.

1 0 0 0 OA 神秘哲学

著者
高橋五郎 著
出版者
昌文堂
巻号頁・発行日
1903
著者
古荘 真敬 野矢 茂樹 信原 幸弘 高橋 哲哉 梶谷 真司 石原 孝二 原 和之 山本 芳久
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

「感情」現象をあらためて哲学的に吟味することを通して、倫理的価値の発生する根源的な場所を明らかにし、ひいては新たな価値倫理学の基礎づけを試みること、それが本研究の目標であった。われわれは、現象学、中世哲学、心の哲学、分析哲学、現象学的精神病理学、精神分析という、各研究分担者の専門的視座から持ち寄られたたさまざまな「感情」研究の成果を相互に批判的に比較検討することを通じて、人間存在にとっての感情現象の根本的意義(謎にみちたこの世界において行為し受苦するわれわれにとっての感情現象の根本的意義)を明らかにする多様な成果を上げることができた。これにより上記目標の核心部分は達成されたと言いうるだろう。
著者
森 哲彦
雑誌
人間文化研究 (ISSN:13480308)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-11, 2008-06-25

カントは、1760年代前半の独断的、論理的形而上学期において、伝統的なドイツ形而上学に依存しつつも、真に自立した形而上学者の立場を表明する。統いて1760年代半ば以降の経験的、懐疑的形而上学期では、ドイツの伝統的哲学と関わりながらも、研究に社交的文明精神を導入することにより、人間学的観察と道徳的原則の探究を行うものとなる。このようなカントの新しい思想的「変化」は「カントにおける一つの革命」と評される。本論で取り上げる著作『美と崇高の感情の観察』1764年においてカントは、当時ドイツで紹介されていたイギリス道徳哲学、とりわけハチスンの道徳感情論を取り上げ、伝統的な哲学者としてよりも観察者の眼をもって「美と崇高の感情」に現れる様々な諸相を、美学的、人間学的に分析する。だが文明化した社会の「多様性のただ中の統一性」を観察するイギリス道徳感情論にカントは満足せず、文明化した人間社会を批判するルソーの思想に出会い、新たな転向を迎えるものとなる。カントがルソーの思想を取り上げる著作は『美と崇高の感情の覚書』1765年である。この著作は、前著作『観察』の余白にカント自身によって書き込まれた種々の断片的な文章により構成されている。そこにおいてカントは、ルソーがいうように堕落した文明を批判し、単純で自足した自然にもどることを、提唱するのではなく、文明化した社会を人間、自然、自由、および意志の完全性により啓蒙し、新しい道徳的原則を、志向しようとするものである。
著者
佐久間 崇
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.2000, no.51, pp.200-209, 2000-05-01 (Released:2009-07-23)

Chez Leibniz <<vinculum substantiale>> est une notion très importante. Ce terme ne prèsente que dans son oeuvre particulière et tradive. Et lorsqu'on sépare le discours sur la substance en deux selon Leibniz et des remarques des recherches, c'est que d'une part sur substace simple, et que, d'autre part, sur substace complex, I'on considère que ce notion cencerne celle-ci. Mais nous cosidérons que ce notion traverse toute la theorie de la substance de leibniz, et que le lien substantial concerne ces deux discours. Car ce lien qui d'une mulutipliplicité de substances se léve une nouvelle, fonctionne comme la relation de la position parmi des plusieurs substances, sans aucune distinction de la substance.
著者
山崎 英則
出版者
神戸親和女子大学教育専攻科
雑誌
教育専攻科紀要 (ISSN:13432850)
巻号頁・発行日
no.12, pp.23-39, 2008-03
被引用文献数
1

ディルタイは『精神科学序説』(1883)の中で生の哲学を前提とした精神科学の体系的な基礎づけを行っている。彼は知覚,思惟,論理学,意識,省察,思慮について明らかにしていく。彼の場合,生こそが哲学の出発点であった。彼の弟子のシュプランガーは生のプロセスを有意味的な連関として,精神科学的心理学に基づく精神科学的教育学を構築した。この論文では,生の哲学者の代表的存在である2人に焦点を合わせて,人間学とそれによる教育論を紹介し,その応用可能性について探っていきたい。
著者
細田 典明 藤井 教公 吉水 清孝
出版者
北海道大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2004

インド哲学・仏教思想においてヨーガ・禅定の修習は重要な修行法であるが、その起源は必ずしも明確になっているとはいえない。本研究では最も成立の古い『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』第1・2章を解読し、その内容が、古ウパニシャッドにおける内観によるアートマンの認識を瞑想の問題として捉え得るものであり、他のウパニシャッドにも影響していることを明らかにし、研究発表を行った。仏教において四禅・四無色定と八解脱・八勝処、四念処をはじめとする三十七菩提分法、止観など様々な修行法が知られるが、それらはどのようにして体系化されたのかという問題について、阿含・ニカーヤの中で『雑阿含』「道品」を中心に考察し、三十七菩提分法による修行の体系化とともに、三学(戒・定・慧)の構成は禅定の意義が、修道の要であることを、律蔵文献や仏伝などを広く参照して解明し、研究発表を行った。本研究によって、従来不明であった『雑阿含』の禅定に関する漢訳語彙のサンスクリット原語やチベット訳語の多くが判明し、原始仏教研究の資料論に貢献した。以上、本研究は、古代インドにおける瞑想・禅定の問題点の解明に寄与したが、研究成果報告書の論文篇として、「『雑阿含』道品と『根本説一切有部毘奈耶薬事』」と、研究期間以前に公刊されたが、『雑阿含』「道品」の持つ様々な問題点を整理した「『雑阿含経』道品の考察 -失われた『雑阿含経』第25巻所収「正断相応」を中心に-」を参考として掲載する。さらに、資料篇として、『雑阿含』「道品」について、『瑜伽論』「摂事分」のチベット訳を入力し、玄奘訳と対照したものを提示し、今後の阿含研究の資料に供するとともに、データベースとして公開する準備を進めている。
著者
中村 秀
出版者
夙川学院短期大学
雑誌
夙川学院短期大学研究紀要 (ISSN:02853744)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.1-17, 1987-12-25

本稿では,わが国においては今まで殆ど述べられていなかったゲシタルト心理学の創唱者Max Wertheimerの生涯につき,詳しく述べた。1)彼は1880年のプラーグのユダヤ系の家庭に生れた。母方の祖父が大きな影響を与え,10才のときこと祖父はすでにSpinozaの書物を与えている。幼時から彼はピアノに優れた才能を示し,母もバイオリンに巧みであった。父は独学で実学的な研究を積み,商業学校を経営して大いに成功をおさめ,その蓄えた財力が後に彼が永年にわたる各地への遊学を支えたと思われる。2)彼は学業にすぐれ,ギナジゥムでも,はじめ4年間はすばらしい成績を示したが,その後複雑な社会情勢の影響もあって学業が急に悪化し,家庭でも宗教的なしきたりに反撥して両親を怒らせ悲しませたこともある。この間,急進的なグループとも交ったらしい。3)大学はプラーグ大学,ベルリン大学,そしてヴュルツブルグ大学へと転々とした。この間,心理学,哲学,論理学,認識論のほか,広く音楽,数学などの研鑽を積んでおり,その範囲の広いことは驚くばかりである。その中でも彼にとってベルリンでの生活は最良のものであった。4)彼は父の要望もあって,早くPh.D.を取ろうとしてヴュルツブルグ大学に移り,直ちに1904年最優等の成績でPh.D.を得たが,その論文は,言語連想法を含んだ「事実診断学について」であり,その後もこの方面の研究を続行したがついに公刊を見なかった。彼はPh.D.取得後,就職するまでの間,各地の大学,研究所で生理学,精神病学の分野も含めて広く研究していたことは,何れもその結果が在来の理論への不満や批判となり,やがて新しいゲシタルト理論を醸成するのに与って力あったと思われる。5)早くから彼は音楽に関心があって,ベルリンの原始民族の音楽集録に関心をもっていた。またEhrenfelsやMarty教授の言及するところに影響をうけて,インドの哲学,論理学にも関心を抱いていたらしい。セイロンのVedda族の音楽や原始民族の数概念についての研究は早くからまとめていたらしいが,それらにはゲシタルトの考想が十分に認められる。しかし彼はこれをHabilitationのために用いなかった。大学教授資格認定の論文には適当でないと考えたからである。6)それよりも彼は科学的手法を用いて,誰もが納得せざるを得ない決定的な現象として運動視の実験的研究を行い,ゲシタルト説の根本理念を確立した。これによって彼はゲシタルト心理学の創唱者と呼ばれるに至った。7)彼はその初期の画期的研究があるにも拘らず,ベルリン大学の正教授には,彼より年少のKohlerが就任し,自分はその年1922年,員外教授に昇進しただけである。これは彼の寡作の故にということのほかに,反セミ主義その他が影響したといわれる。彼はフランクフルト大学で,おそらく1929年,教授となった。8)彼は1933年,ナチスの圧迫を逃れてアメリカに渡り,ニューヨークの新社会調査学校に迎えられ,1943年死去するまでそこで教え,生産的,鼓吹的な講義を行った。
著者
徳永 哲
出版者
日本赤十字九州国際看護大学
雑誌
日本赤十字九州国際看護大学紀要 = Bulletin of the Japanese Red Cross Kyushu International College of Nursing (ISSN:21868042)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.61-72, 2011-12-28

ナイチンゲールの思想は、1842 にプロシアの特使ブンゼン男爵と知り合いになった時点から急速に進歩、深化した。ブンゼン男爵の豊富な知識は、神学者でありながら異端者として火刑に処されたブルーノやエックハルト、さらにネオ・プラトニズムにまで及んでいた。また、ドイツのカイザースヴェルト学園の情報誌などを届けてくれたのはブンゼン夫妻であり、彼を通して知った宗教思想や哲学はナイチンゲールの看護への意志を支え、励まし続けた。1840 年代後半になると、ロンドンにはプロテスタントとカトリック双方の女子修道会が発足し、貧困者の救済に修道女が活躍するようになった。ナイチンゲールは特に看護修道女の活動を知るようになった。クリミア戦争ではナイチンゲールを支えて献身的に働いた看護修道女のフライやマザー・ムーアから、彼女等の看護への意識の高さを思い知らされた。その一方で、キングス・カレッジのボーマン医師の外科手術に立ち会ったことから医療技術の進歩に直面し、病院看護の新しい方向性を見出す切掛けとなった。また、彼女が自発的に習得した公衆衛生学や統計学の知識は近代看護の確立基盤となった。宗教と科学、この矛盾したものがナイチンゲールの思想の中には一体となって存在し、近代看護は生み出されたのである。