著者
今井 功 佐藤 文明 勝山 光太郎 水野 忠則
雑誌
情報処理学会研究報告マルチメディア通信と分散処理(DPS)
巻号頁・発行日
vol.1991, no.83(1991-DPS-052), pp.147-152, 1991-09-24

我々は,並行オブジェクト指向言語superC^2の開発を行なった.これは,複数の計算機がネットワークによって接続されている分散環境上で,作動するアプリケーション・ソフトウェアの開発を行なうために言語レベルで提供したものである.superC^2では従来,通信ソフトウェア用に開発したオブジェクト指向言語superCの性質を完全に受け継ぎ,更に並行処理動作を可能としている.本論文では,superC^2の設計構想とシステムの実現方式について報告するとともに,分散システムに発生する問題を解決するアルゴリズムの設計をもとに実用的な面からの評価について論じている.
著者
吉田 周平 星野 厚 浜中 雅俊
雑誌
研究報告音楽情報科学(MUS)
巻号頁・発行日
vol.2010-MUS-86, no.19, pp.1-6, 2010-07-21

本論文ではTwitterへの単旋律データの投稿と,これらを素材として再利用することで作曲を行うことのできるシステムについて述べる.素材の再利用によって作られた曲データは再びTwitterに投稿でき,また改編可能にすることで未完成状態での投稿や,作曲の過程を共有することができる.多くの作曲システムは一人で作曲することが前提のシステムとなっており,素材データの作成,共有という概念はなく,プロの作った素材を購入して使用するのが一般的となっていた.そこで我々はTwitterのつぶやきのような気軽さで旋律を投稿でき,ユーザー同士のつながりを生かした多人数参加型の作曲システムを設計することを考えた.具体的にはデータ形式としてMML(Music Macro Language)を採用することで,テキストで音楽を表現することを可能とした.そして素材の作成からTwitterへの投稿,投稿された素材を利用した作曲とその曲のTwitterへの投稿,さらに投稿された曲の改変までを統合的に行えるシステムを実装した.
著者
中島康之
雑誌
デジタルプラクティス (ISSN:21884390)
巻号頁・発行日
vol.5, no.4, pp.271-279, 2014-10-15

携帯電話を取りまくネットワーク環境や携帯電話の処理性能,蓄積容量はこの10年で目覚ましい進化を遂げている.また,携帯電話自体も比較的限られたサービスや操作を提供していたフィーチャーフォンから,より直感的な操作と,パソコンと同じようにオープンなサービス・アプリケーション環境のスマートフォンへと大きく変貌してきている.音楽サービスについては,携帯電話の登場初期は着信メロディなど比較的シンプルなサービスでスタートしたが,このような環境変化の中でどのような変化や進化があったか,また今後どのようなことが予想できるのかについて,音楽サービスとして提供している,「LISMO」の例を用いて述べる.
著者
樋渡仁 吉川美奈子 岩村相哲
雑誌
デジタルプラクティス (ISSN:21884390)
巻号頁・発行日
vol.5, no.4, pp.325-332, 2014-10-15

遠隔拠点にあるクラウドコンピューティング環境(以下,単にクラウド環境)を構築・運用していく上で,装置の故障・障害にどのように対処するかは,運用コストの最小化において重要である.特に,遠隔拠点に作業員が常駐せず定期的に現地を訪問し保守作業する前提では,構築時に系全体に冗長性を持たせ,装置の故障・障害が発生した場合には,遠隔から現用系より待機系に切り替えることで,当該装置の修理・復旧は現地での定期保守時に行う運用が典型的である.このような遠隔クラウド環境の設計では,構築時に系全体が保持する信頼度に対し,定期保守回数を最小化する必要があり,本論文は,クラウド環境の信頼性モデルにより,運用コストが最小化された設計を実現できることを示す.特に,クラウド環境の立ち上げ時には,サーバの故障率が,故障率曲線における初期故障期から偶発故障期へ至る過程で大きく変動するため,本手法の適用においては,定期保守の間隔を初期故障期と偶発故障期で使い分けることが有用であることを示す.
著者
武田 清子 タケダ チョウ キヨコ Kiyoko Takeda Cho
雑誌
国際基督教大学学報. I-A, 教育研究 = Educational Studies
巻号頁・発行日
vol.11, pp.47-103, 1965-03

Kanji Kato (1884-) was a unique educator of farmers who aspired to regenerate agricultural communities as the spiritual and material foundation of the nation. He was once converted to Christianity under the influence of an American missionary, but later he became an enthusiastic follower of Dr. Katsuhiko Kakei, a Shinto theorist and professor of law at Tokyo University. Kakei, having adopted Hegelian philosophy, developed a new interpretation of Shintoistic Nationalism. Thus it became Kato's mission to educate the farmers to Shintoistic Nationalism. From another approach, Tadaatsu Ishiguro, a pioneering leader in the Ministry of Agriculture and Forestry, was seeking ways to solve the serious problem of farmers' poverty, which was aggravated by a continuous agricultural crisis in the 1930's. Ishiguro attempted to implement two policies. One was a kind of reform of the landlord system (which, however, only became realized by command of the U.S. Occupation Forces after World War II), and the other was a plan to develop an educational program for training leaders in rural communities. Ishiguro was planning to establish a Japan Higher Folk School, adopting the pattern of that developed in Denmark under the leadership of Nikolai F. S. Grundtvig, an outstanding Christian leader who worked to solve that country's ruraIproblems. Kato was invited to serve as the first principal of this school, which, first in Tomobe and later in Uchihara, in Ibaraki prefecture, became the center of education of farmers in Japan. Same or similar kinds of folk schools with Kato's educational thought and method, spread all over the country. This educational movement in its early stage was expected to be like that in Denmark. It might have given the impression of sharing some of the humanistic and democratic sentiments of other new educational movements of the Taisho period, which were typically critical of the formalistic public school system (under direction of the Ministry of Education) and emphasized informal educational methods, pragmatic combining of "labor" and "education", and practical concern for social problems, etc. But in reality Kato's movement contributed to preparing, spreading and supporting the idea of Shintoistic Nationalism and fascistic ultra-nationalism in the thought pattern of the rural Japanese. Kato, when he realized that the second and third sons of poor peasants had no land to cultivate, was convinced simply that land had to be found for them somewhere in the world, and Manchuria offered the best opportunity. He persuaded military authorities, as well as the government itself, to adopt an agricultural emigration policy under which 5,000,000 poor peasants were to be sent to Manchuria. After the Manchurian War in 1931, this program became national policy, and Kato's school became the center for training the emigrants to Manchuria. Later Kato proposed sending out young boys between the ages of 16 and 19, besides the adult emigrants. At the government's request, many schools all over Japan were forced to select the best ten in ability and health among their graduating students and to send them to the school in Uchihara. They were trained there, and later at branches in Manchuria, in both agricultural and military practices. Then they were sent out to the northern frontiers as kind of colonial troops… a total of more than 300,000. Many of these capable and healthy boys, living under inhuman conditions in a severe climate, with poor food and heavy labor, suffered illness or died. Later, at the end of World War II, more than 80,000 boys, women and children were left behind by the Japanese troops and became tragic victims to the attacking Russians and Chinese. This paper is an analytical study of Kato's Shintoistic Nationalism and the nature and role of his educational movement in the historical process of modern Japan. The content is as follows: I . Preface…the purpose of this paper. II. The Folk School Movement for "regeneration" of rural communities in the period of agricultural crisis. III. Kanji Kato's Shintoistic Nationalism and his educational thought and method practiced and demonstrated through the Japan Higher Folk School Movement. IV. Emigration of farmers and youth troops to Manchuria as the result and continuation of Kato's educational activities. V. The significant nature and problems of Kato's nationalistic educational thought and movement in the history of educational thought in modern Japan.
著者
杉谷 弥月 松村 耕平 角 康之
雑誌
研究報告ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)
巻号頁・発行日
vol.2012-HCI-150, no.7, pp.1-6, 2012-10-25

国際会議 CHI2012 で発表された 400 件前後の論文を,多くの参加者が分担して一論文あたり 30 秒で発表するというフラッシュトーク型勉強会が,近い時期に 2 件開催された.両勉強会では参加者間の議論やメモ共有のプラットフォームとして Twitter が活用された.そこで本稿では,ツイートの時間・発言者の分布,スライド連動のツイート bot の効果などのタイムライン分析を行い,実会議とオンライン議論の相互強化について考察する.
著者
小野原 彩香
雑誌
研究報告人文科学とコンピュータ(CH)
巻号頁・発行日
vol.2012-CH-94, no.4, pp.1-6, 2012-05-19

本研究では,揖斐川上流域における基礎語彙の調査結果を元に系統推定を行い,徳山村の村落が他の集落と系統上で隔絶されることが確認できた.また,ランダムフォレストを用いて,集落ごとの特徴語彙を抽出した.
著者
上阪 彩香 村上 征勝
雑誌
研究報告人文科学とコンピュータ(CH)
巻号頁・発行日
vol.2012-CH-94, no.3, pp.1-5, 2012-05-19

『好色一代男』 などで知られる江戸時代前期の作家井原西鶴 (1642?~1693) の遺稿集とされる5作品に関しては,門下の北条団水らによって加筆・修正されたのではないかという疑問が出されている.本研究では,遺稿集の 『万の文反古』 に関し,文章の計量分析という観点から,この問題の検討をするため,『万の文反古』 の文章と西鶴作であることが確実な 『好色一代男』 の文章との比較を試みた.また,遺稿集のなかの『西鶴織留』の文章との比較も試みた.
著者
岡崎 桃子 中垣 拳 筧 康明
雑誌
エンタテインメントコンピューティングシンポジウム2014論文集
巻号頁・発行日
vol.2014, pp.1-6, 2014-09-12

一般的な編み物では毛糸の色を変える際,新しい別の色の毛糸を結び足す必要があるが,これは手間がかかり,その切り替えの箇所が作品の形に影響を与えてしまうなどの問題がある.本研究ではメタモインキの65℃以上で色が消える特徴を利用する.メタモインキを染み込ませた毛糸を,先端が発熱する編み棒を用いることで,任意の箇所で変色を制御可能な編み物を可能にする.さらに,本稿では,感情や周囲の環境の変化などを編み物の色に反映させるなど新たな編み物手法を提案する.
著者
KevinFan 杉浦裕太 神山洋一 南澤孝太 稲見昌彦
雑誌
エンタテインメントコンピューティングシンポジウム2014論文集
巻号頁・発行日
vol.2014, pp.266-269, 2014-09-12

We present "Dokodemo Door", a system which brings the users to alternate realities by a simple interaction of opening the door. In our system, a door, which is usually a bridge between physical mediums, acts as an interface for seamless transitioning between alternate realities. Alternate realities could be from a remote venue, which brings about the experience of
著者
迎山 和司 川又 康平 小林 真幸 川嶋 稔夫
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.55, no.8, pp.1787-1794, 2014-08-15

プロジェクションマッピング(PJM)とは立体構造物の形に沿って,コンピュータで処理された映像をプロジェクタで投影する表現手法である.近年フェスティバルなどでPJMはさかんに行われており,対象を直接改変しないので歴史的文化財などに有用である.本論文では,函館市内の歴史建造物に対して実施されたPJMを事例としてあげて,これから実施する人が参考にできる事項をまとめた.加えて,集客効果の高いイベントを実施して得られた公立大学の地域貢献についての知見を述べる.
著者
犬飼 己紀子
出版者
上田女子短期大学
雑誌
紀要 (ISSN:09114238)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.89-98, 1997-03-31
著者
加藤 利康 石川 孝
雑誌
情報処理学会論文誌 (ISSN:18827764)
巻号頁・発行日
vol.55, no.8, pp.1918-1930, 2014-08-15

本論文は,オンライン環境のある教室でのプログラミング演習のためのWebベースの授業支援システムにおいて,机間巡回では把握が困難なクラス全体と問題のある学生の学習状況を教員が随時に把握できるようにする学習状況把握機能の実現を目的とする.この実現の方法は,演習課題の配布,解答プログラムの作成,コンパイル,実行,および解答の提出を行える授業支援システムを基礎として,プログラミング演習における学習状況把握に対する要求分析と先行研究の調査に基づいて,機能の設計と評価を行う.クラス全体に対する機能は,教員があらかじめ用意した模範解答プログラムに基づく正解判定による解答開始から解答提出までの作業進度集計と,模範解答プログラムを基準としたコンパイルエラー行の同定によるエラー分類集計である.これらの機能は,コンソール出力を行うJavaプログラミングの課題に対して,十分な精度で適用が可能である.問題のある学生に対する機能は,作業進度の外れ値分析による作業が遅れている学生の検出と,該当学生の作業履歴の提示である.検出機能は,外れ値の基準値を教員が適切に設定することによって,対処可能な程度に問題のある学生を絞り込むことが可能である.これら2種類の学習状況把握機能を付加した授業支援システムは,実際の演習授業において,システムが提示する情報に基づく学習指導が全指導件数の約半数観察されたことから,プログラミング演習における学習状況把握に有効である.本論文で実現した学習状況把握機能は,教員が模範解答プログラムを用意することで,クラス全体の作業進度とエラー分類を提示し,また,作業が遅れている学生を検出してその作業履歴を提示することによって,机間巡回では把握が困難な学習状況を教員が随時に把握することを可能にする.
著者
川瀬 佑司 峯松 信明 齋藤 大輔 広瀬 啓吉 沈 涵平
雑誌
研究報告音楽情報科学(MUS)
巻号頁・発行日
vol.2014-MUS-103, no.27, pp.1-6, 2014-05-17

国際共通語である英語は、それぞれの国や地域の母語干渉により、多様な発音、所謂訛りが存在することが知られている。筆者らの先行研究では、様々な英語発音に対して話者を単位とした自動分類を検討している。ボトムアップ的な分類を行う場合、一般的には対象とする要素群に対して要素間距離行列が必要となる。先行研究では任意二話者間の発音距離の自動推定を行っている。この距離行列を可視化する場合には、多次元尺度法 (Multi-Dimensional Scaling, MDS) や樹形図を用いることが多い。本研究ではこれらに代わる、発音距離行列に対する新しい可視化手法を提案する。従来の可視化は、距離行列全体を表現することが狙いである。しかし可視化結果を呈示される特定の学習者にとってみれば、知りたい主情報は自分とそれ以外の話者の関係性である。そこで本研究では、特定話者とそれ以外の話者の発音距離に着目し、さらには年齢や性別といった情報も含め、英語発音の自己視点からの可視化を提案する。提案手法では従来手法と異なり、可視化結果に歪みが全く生じないことが保証されている。
著者
石井 一夫
雑誌
情報処理
巻号頁・発行日
vol.55, no.9, pp.964-969, 2014-08-15

次世代シーケンサーの実用化により,ゲノム配列情報の大量産生が日常的となっており,臨床情報とゲノム情報を結びつけた医療ビッグデータの利活用の促進が期待される.これにより,ヘルスケア分野において革命的イノベーションが起こり,先端医療技術,先端医療情報の社会一般への還元が進むことが期待される.本稿では,これら医療分野に置ける特に,ビッグデータ利活用の現状を医療と技術の両面から概説し,特に,原因が不明でエビデンスに基づく有効な診断法の存在しない精神神経系疾患への展開について紹介する.