2 0 0 0 風俗画報

出版者
東陽堂
巻号頁・発行日
1889
著者
尾形 良彦
出版者
公益社団法人 日本地震学会
雑誌
地震 第2輯 (ISSN:00371114)
巻号頁・発行日
vol.50, no.appendix, pp.115-127, 1998-03-31 (Released:2010-11-17)
参考文献数
64

The anomaly in focus is relative quiescence which is defined as a significant decrease of earthquake activity compared with the predicted occurrence rate by the estimated statistical model for the standard seismicity of the region: we use a point-process model called Epidemic Type Aftershock-Sequences (ETAS) model. Regardless of the seismicity level, the relative quiescence can take place. Size of such quiescence is seen in cumulative and M-T diagrams of transformed occurrence times by using the estimated ETAS model. By this method, we recognized significant, relatively quiet stages in shallow seismicity over M 5 class in a very wide area preceding all studied great earthquakes of M 8 class in and around Japan and also those of M 9 class in the world. However, we saw no relative quiescence for about 20 years up to 1990 in the wide areas which include the Tokai and Boso gaps [OGATA (1992)]. On the other hand, a few authors recently showed a very significant quiescence for the last 20 years since early or mid 1970's in the seismicity of certain areas in or around Tokai region. However, it turns out that these quiescence are seeming ones owing to magnitude shifts which took place during 1975?76. The magnitudes below MJ5.0 are substantially underestimated after the period. This shift is found and estimated by a statistical comparison of magnitudes between the JMA and USGS catalogs. Nevertheless, the recent seismicity with level of MJ≥5.5 in a very wide region including central and western Japan shows a significant relative quiescence since 1992, which may be related to the 1995 Kobe Earthquake of MJ7.2 but seems to be further extended to late 1996 when many M 6 class events successively occurred about the boundaries of the quiet region within a half year span.
著者
濱田 香澄 岡崎 慎治 瀬戸口 裕二 Kasumi HAMADA Shinji OKAZAKI Yuji SETOGUCHI
出版者
名寄市立大学
雑誌
紀要 (ISSN:18817440)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.61-68, 2015-03-31

自閉症スペクトラム障害 (ASD) 児は不安やストレスへの対処能力の低さ (White et al. 2009)が指摘されている。本研究では不安の強い ASD 児に対して,対象児の興味関心のある鉄道路線図を不安の程度の尺度として用い,不安,緊張場面の想起,不安,緊張の数値化,対処法ついて指導者とやり取りを行った。指導前後の不安,緊張の高い場面だけではなく,期待に関する場面の想起があり,鉄道路線図が不安以外の感情のスケールとしても用いることができると考えられた。対象児の中には不安,緊張の高い場面であっても,事前に知らされている場合や有効な対処法を利用させることで,不安が軽減する場合もあった。不安を可視化することにより,自己の不安状態や対処法を客観視することにつながり,ASD 児自身が不安な出来事に対する事前の構えを持つこと,さらに,周囲の大人が ASD 児と共通のスケールを持つことによって,ASD 児の不安状態を把握することが可能である。
著者
平野 幹雄 鈴木 徹 野口 和人
出版者
宮城教育大学特別支援教育総合研究センター
雑誌
宮城教育大学特別支援教育総合研究センター研究紀要
巻号頁・発行日
no.5, pp.22-30, 2010-06

本稿においては、筆者らが高機能自閉症およびアスペルガー症候群の子どもを対象におこなっている社会性発達の支援のための放課後実践について、その概要と開始から1年半の間の子どもの様子について紹介することを目的とした。対象児は、11歳から17歳までの高機能自閉症およびアスペルガー症候群の子ども5名で、あった。筆者らの放課後活支援においては、対象児が鉄道やコンピュータに興味を持っていたことから、両者を組み合わせて子どもがしたいと思う活動として組織した。具体的には、双方向型のブログの運営と定例会の開催、一日旅行を通じて支援をおこなった。学校行事と日程が重なる日以外の対象児の参加状況はほぼ皆勤であった。定例会を重ねることで、対象児から積極的に挨拶をする様子、自らの発言に対する他者の関心の有無に注意を払う等の変化が見られた。これらの変化は、長期的な支援をおこなったこと、筆者らの実践が対象児において主体的に参加できる場として機能したことによると考えられた。また、鉄道という共通の土俵ができあがったこと、リアリティをもって長期間かかわりを続けたことによって、対象児にとって筆者らが親しくもリスペクトされる存在となったことが重要であると考えられた。
著者
朝長 啓造
出版者
日本ウイルス学会
雑誌
ウイルス (ISSN:00426857)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.209-218, 2012-12-25 (Released:2013-10-22)
参考文献数
77
被引用文献数
1

モノネガウイルス目に属するボルナウイルス科ボルナウイルス属には,哺乳類に感染するボルナ病ウイルスと鳥類に感染する鳥ボルナウイルスが同定されている.ボルナウイルスは神経系組織に好んで感染することが知られており,自然感染した動物ではさまざまな神経疾患を発症することが明らかとなっている.ボルナ病ウイルスはウマやヒツジの伝染性脳脊髄炎(ボルナ病)の原因であり,中枢神経系への持続感染が特徴である.一方,鳥ボルナウイルスは腺胃拡張症と呼ばれる難治性の消耗性疾患を引き起こす.これまで,ボルナウイルスは遺伝的に良く保存されていると考えられていたが,鳥ボルナウイルスには少なくとも9つの遺伝子型が存在することが報告され,ボルナウイルス属の多様性が明らかになってきている.ボルナウイルスは,細胞核での持続感染や宿主ゲノムへの内在化など,他のRNAウイルスではみられない多くの特徴を有している.本稿では,ボルナウイルスによる疾患に加えて,これまでの研究で明らかとなったユニークなウイルス学的性状について紹介する.
著者
上田 京子 塚谷 忠之 村山 加奈子 倉田 有希江 竹田 絵理 大塚 崇文 高井 美佳 宮崎 義之 立花 宏文 山田 耕路
出版者
公益社団法人 日本食品科学工学会
雑誌
日本食品科学工学会誌 (ISSN:1341027X)
巻号頁・発行日
vol.62, no.5, pp.242-249, 2015-05-15 (Released:2015-06-30)
参考文献数
22
被引用文献数
2 2

本研究ではブロッコリー全草を6つの部位に分け,各部位の栄養成分および細胞機能への影響を明らかにすることを目的として,ビタミンC,S-メチルメチオニン,総ポリフェノール,乳がん細胞増殖抑制および免疫調節機能について,ブロッコリーの各部位の比較検討を行った.花蕾 : ビタミンC並びにS-メチルメチオニンを多く含有し,ヒスタミン放出抑制能が高かった.茎,主軸下部 : 可食部以外である茎,主軸下部は,ビタミンC,S-メチルメチオニン,ポリフェノールはほぼ同等量含まれていた.また,花蕾と比較すると抗体産生増強能を有していた.葉軸 : 茎,主軸下部と同等のビタミンC,S-メチルメチオニン,ポリフェノールを含んでいた.ヒスタミン放出抑制,IgA産生の増強,IgE産生低下の傾向を示した.葉 : ビタミンCは花蕾の18%,S-メチルメチオニンは花蕾の29%であったが,ポリフェノール量は花蕾の3.1倍含んでおり,ヒスタミン放出抑制,ロイコトリエン放出抑制,IgE産生抑制の傾向が見られ,花蕾と比較すると抗アレルギー素材としての特徴を有していた.根 : ビタミンCは花蕾の12%,S-メチルメチオニンは花蕾の25%,ポリフェノールは花蕾の83%含まれており,特にMCF-7のがん細胞増殖抑制能を有していた.以上のように,ブロッコリーの部位別に栄養,機能が分布していることを明らかにした.その他の部位は可食部である花蕾と栄養·機能の特徴が異なっており,これまでに利用されてきた部位には存在しない生理活性物質が未利用部位に存在する可能性がある.

2 0 0 0 OA 埼玉県報

出版者
埼玉県
巻号頁・発行日
no.(2293), 2011-06-07
著者
鈴木 貞美
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.377-391, 2009-11

福沢諭吉ら明治啓蒙思想家たちは、明治維新を「四民平等」を実現した革命のように論じたが、黒船ショックが引き起こした倒幕運動は、開国か、尊皇攘夷かが争われ、紆余曲折を経て、尊皇開国に落ち着いたもので、その過程で政治の自由や四民平等がスローガンにあがったことはない。すでに、江戸時代のうちに、いのちの自由・平等思想がひろがり、身分制度も金の力でグズグズになっていたため、デモクラシーは至極当然のことのように受けとめられたのだった。明治新政府は、一八三七年一月に徴兵令の告諭を発し、国民の自由・平等を認め、それと引きかえに「国家の災害を防ぐ」ために、西洋でいう「血税」として、二十歳に達した男子に三年の兵役義務を課した。「国民皆兵」制度は、国民各自が自分の権力の一部を国家に提供し、秩序を維持し、各人の安全の保証を得るという自然権思想に立つものだが、明治啓蒙家たちの思想においては、自由、平等が未分化で、自然権思想や社会契約説の定着が見られないことが、すでに指摘されている。しかし、その理由については、これまで恣意的な分析しか行われてこなかった。 その理由は、ヨーロッパやアメリカにおけり各種の「自由・平等」思想をひとくくりにして、天賦人権論として受けとめたこと、それらのリセプターとして、江戸時代に公認されていた朱子学の「天理」や、ひろく流布していた天道思想が働いたことに求められる。そして、江戸時代の通念では、いのちの自由と平等とがセットになっていたため、天賦人権論者たちは、あらためて自由と平等の関係について、それぞれを社会や国家と関係づけながら考えようとしなかったのである。それゆえ、個々人の諸権利についても、いのちにおける、社会における、国家におけるそれが切り分けられないまま、個人、社会、 国家の相互の関係についての考え方が、時どきの状況により、また論者の立場によって、たえず変化することになった。ここでは、まず「自由」「平等」が、どのように受け止められたのかについて検討し、そのうえで個々人の社会論、国家論を考えてみたい。外来の概念とその「リセプター」となった伝統概念とをあわせて考察すること、また、「自由と平等」のように、複数の概念を組み合わせて、個々人の概念形成を解明することは、社会的に流通する概念組織(conceptural system or network)の形成を解明するために有効かつ不可欠な方法である。
著者
高橋 敏
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.147-164, 2002-03

近世史研究にあって身分制度については、長く硬直的な理解がつづいた。士農工商の身分制度が厳しく守られ、特に武士と百姓・町人間の身分移動はあり得ないというのが通説であった。しかし、村落史、都市史研究の進展の中から家や家族史研究の深化によって、身分間移動を示す史料の事実が明らかにされつつある。本稿が取り上げる北関東上州の在郷町桐生新町の織屋吉田家に江戸の武家株売買、譲渡に関する数点の文書を見出した。吉田家では武家株を買収して武家身分に上昇することはなかったが、これらは巨大政治都市江戸に生まれていた武家株売買の状況を示す実に貴重な情報史料である。売り物として登場する武家株は、「矢の根とぎ御用達」(蔵前取五九俵)代金六五〇両、打物御用達(三〇人扶持)一二五〇両の二株である。また、何百、何千両の大金が動く売買譲渡の手続きについては詳細な取り決めを定めており、紛争を回避する手段が講じられている。多くは買い手が売り手の家の養子となって継嗣するため、売り手側の借金の有無、扶養家族の有無によって金額、支払い手続きに様々な工夫がなされている。苟も御家人株とはいえ、幕臣の一翼を担い、それなりの由緒を誇りに世襲を原則とする武家が、金銭によって売買、取り引きされていることにまず驚かされる。このような事実をどのように理解すべきなのか、幕藩体制の内実を揺るがす事態ではないのか。先祖伝来の武家身分を株として売っても生計を立てねばならない窮迫せる武士と、経済的な実力を背景に金にものをいわせて由緒ある武家身分を手にいれようとする町人・百姓身分が存在したことは事実である。近世の身分の内実はどうであったのか、幕藩制の総体の理解にかかわって武家株売買の実態は究明されねばならない。In the study of near modern history, the understanding of the class system has long been inflexible. A common view was that there was rigid demarcation among the classes of warriors, farmers, artisans and tradesmen. They considered it impossible to change in social standing, particularly between warriors and farmers/townsmen could occur.However, deeper studies of family history as a result of advanced studies of village history and urban history have gradually clarified the fact from the historical materials that indicate the mobility between different social standings.At the Yoshida family, a weaver in a zaigo-cho Kiryu-shinmachi in Joshu (North Kanto) that the paper considers, the writer found several pieces of documents regarding the stock trades and transfer by samurai families in Edo.Although the Yoshida family did not rise to the status of warriors by acquiring samurai family stocks, these historical materials give us very important information about the real situation of exchanges of samurai family stocks that were already on the market in the political megalopolis Edo.The two following stocks appeared on the market : "Yanonetogi goyo-tashi" (Kuramaedori 59 bags of rice) for the price of 650 ryo and "Orimono goyo-tashi" (a ration for 30 persons) for the price of 1250 ryo. There were detailed arrangements for the procedures of trades and transfer in which a great deal of money was dealt with, and measures to avoid conflicts were devised. In many cases, as buyers would succeed the family of the seller as an adopted son, various means were contrived for the amount and payment procedures, depending whether sellers had debts or not, or whether they had a family to support or not.Furthermore, it is surprising that the title of the samurai family, which played the role of a vassal of the Shogun and continued to exist based upon heredity with a pride of its own lineage, was traded with money. How should we understand the situation like this? Wasn't it the case that shook the foundation of the Tokugawa Shogunate system?The real situation was that two classes existed : the warriors, who suffered from financial difficulties and had to sell their status as samurai inherited for generations in the form of stocks for a living, and townspeople and farmers, who tried to acquire the traditional status of samurai by resorting to their financial power, namely, money.To know about the real conditions of social classes in the early modern times, the real face of the samurai family stock trade should be clarified in relation to the understanding of the Tokugawa Shogunate system as a whole.
著者
河原 秀夫 斉藤 靖弘
出版者
公益社団法人 応用物理学会
雑誌
応用物理 (ISSN:03698009)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.343-351, 1993-04-10 (Released:2009-02-05)
参考文献数
32

昨今の地球環境問題から,エネルギー効率との関連で光を制御する窓ガラスが重要視されはじめた.中でも,次世代ガラスとも称される“調光ガラス”へは多くの分野から熱い期待が寄せられ,研究も一段と活発になってきた.現状では,実用性を考えエレクトロクロミズム,分散型液晶の応用を中心に研究が進み,異方性微粒子の分極配向を利用した複合ガラスなど新しい試みも現れはじめた.ここでは調光技術の中でも,特に人為的に光制御が可能な技術を取り上げ,調光の原理,特徴および実現までの技術的課題などについて述べる.
出版者
国立国会図書館
巻号頁・発行日
vol.2012年, no.(613), 2012-04-20