著者
高槻成紀著
出版者
東京大学出版会
巻号頁・発行日
2006
著者
曲亭馬琴 作
出版者
僊鶴堂
巻号頁・発行日
1803

享和3年(1803)刊、曲亭馬琴による、ある2つの姿や形相互の輪郭における相似に滑稽さを見出そうとした黄表紙。数例を除けば多くが人と物を対応させているが、意外性や意表をついた着眼点といった、こうした趣向特有の面白さには乏しい。題は「訓蒙図彙」をかすめている。本書冒頭に成立事情の一端が記されており、それによれば、作者・馬琴の前年の上方方面への旅行中に三州岡崎辺で見た、ふし穴からの光を紙に当てると、像がさかさまに鮮やかに映し出されるという事象が着想の一つになっているようである(この事象については、旅行記『羇旅漫録(きりょまんろく)』に「五綵(ごしき)の山水」として記される)。(木越俊介)(2018.11)
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.58, pp.55-83, 2021-06

日本では、古来、様々な自然災害―大雨、洪水、土石流、地滑り、地震、津波、火山噴火、雪害、雹、暴風雨、高波、高潮、旱害、冷害、蝗害等、そして、人為的災害―疫病流行、戦乱、盗賊・海賊、略奪行為の発生等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、彼らは忍耐を伴ないながらも、その都度、復旧、復興しながら、現在へと至る国家や、その基盤となって来た地域社会を形成、維持、発展させて来た。世界史的に見ても、日本はあらゆる災害の多発地であったし、その様相は現在でも変わりは無いのである。ここに住む限りに於いては、そうした災異は誰にでも降り懸かって来ていたのである。それ故の、独特で、固有の感性=対災異観を、ここに住み続けて来た人々は伝統的に醸成して来たと言うことができる。本稿では、今回、同時に発表している別稿(本誌掲載「「土左日記」に見る災異観 ~祈りのかたち~」)と共に、日本に於ける対災異観や、災害対処の様相、及び、思想を、意図して作られ、又、読者の存在が想定された「文学作品」を素材としながら、「災害対処の文化論」として窺おうとしたものである。作品としての文学に、どの様な災異観の反映が見られるのか、否かに関して、追究を試みた。今回、具体的な素材としては、紀貫之の筆に依るものと見られる「土佐日記」を取り上げ、そこに見られる「年中行事と習俗」を元にしながら、対災異観を明らかにしたものである。
著者
小林 健彦
出版者
新潟産業大学経済学部
雑誌
新潟産業大学経済学部紀要 = Bulletin of Niigata Sangyo University Faculty of Economics (ISSN:13411551)
巻号頁・発行日
no.58, pp.27-54, 2021-06

日本では、古来、様々な自然災害―大雨、泥雨、洪水、浸水、土石流、地滑り(陸上・水底)、地震、津波、火山噴火、大雪、雪崩、雹、台風(大風)、暴風雨、竜巻(辻風)、落雷、高波、高潮、旱害、低温、高温、蝗害、黄砂、飛砂、塩害、山火事等、そして、人為的災害―疫病流行、戦乱、火災(失火)、盗賊・海賊、略奪行為の発生等々、数え切れない程の災害が人々を襲い、彼らは忍耐を伴ないながらも、その都度、復旧、復興しながら、現在へと至る国家や、その基盤となって来た地域社会を形成、維持、発展させて来た。文字認知、識字率が必ずしも高くはなかった近世以前の段階に在って、人々は口承、地名、石造物等の方法論を以って、そうした災害情報を後世へ伝達するべく、多大なる努力を払っていたものと見られる。カナ文字(ひらがな)が一般化する様になると、記録としての個人の日記や、読者の存在を想定した物語、説話集、日記、紀行等、文学作品の中でも、各種の災害情報が直接、間接的に記述される様になって行った。しかしながら、文学作品中に描写された災害事象が全て事実であったとは言い難い。ただ、最初から嘘八百を並べたものでは読者からの支持を得られる筈も無く、その作成に際しては、素材となる何らかの事象(実際に発生していた災害事象)を元にして描かれていたことは十分に考慮されるのである。従って、文学作品中には却って、真実としての、当時の人々に依る対災異観や、思想が包含されて反映され、又は、埋没していることも想定されるのである。本稿では、こうした点に鑑み、日本に於ける対災異観や、災害対処の様相、及び、思想を、意図して作られ、又、読者の存在が想定された「文学作品」を素材としながら、「災害対処の文化論」として窺おうとしたものである。作品としての文学に、どの様な災異観の反映が見られるのか、否かに関して、追究を試みた。今回、具体的な素材としては、紀貫之の筆に依るものと見られる「土佐日記」を取り上げ、そこに見られる「祈りのかたち」を明らかにしたものである。
著者
小田 格
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.99, pp.135-164, 2021-09-30

本稿は,中華人民共和国湖南省の漢語方言を使用したラジオ・テレビ番組(方言番組)をめぐる政策を考察するものである。そこで,同省における関連政策の枠組みを確認し,従前の方言番組の放送状況を振り返り,これらを通じて得られた情報を総合的に検討することとした。その結果,導出した結論は,次の通りである。すなわち,同省では,1990年代中盤に規制通知が発出されたにもかかわらず,その後テレビで方言番組が放送されるようになった。この背景には,テレビ市場における競争環境の形成という事情があり,当局はテレビ局の新たな試みを理解・支持した。さらに,同省では,方言番組の放送が続けられたが,それが急激に増加・拡大することはなく,再び独自規制が課されるような状況にはならなかった。他方において,全国的な規制通知の運用状況を確認する限り,同省の方言番組開設に係る行政許可の審査や事後的な監督・検査は至って緩やかなものと推察される。
著者
深町 英夫
出版者
中央大学人文科学研究所
雑誌
人文研紀要 (ISSN:02873877)
巻号頁・発行日
no.98, pp.1-26, 2021-09-30

1970年代初頭のサンフランシスコ湾区において,日系人と華人という両コミュニティの間で相互交流が始まり,太平洋戦争中の敵対関係は徐々に克服されようとしていた。そして,白人が主流を占めるアメリカ社会において,自己主張を強めていた黒人とも異なる,「アジア系アメリカ人」という新たな帰属意識が,次第に形成・共有されつつあり,この傾向は特に3 世の若者の間で顕著だった。その一方で留学生を中心とする新1 世は,まだ居住国よりも出身国への帰属意識が強く,日米両国政府が沖縄返還を決定したのを機に,台湾・香港出身者が中国民族主義に根差した「保釣」運動を展開し,その中で沖縄の帰属にすら疑義が呈された。しかし,彼等の「保釣」運動は日本や中国よりもアメリカに帰属意識を抱く現地出身者,すなわち日系人は言うまでもなく華人からも,あまり支持を得ることはできなかった。
著者
柴田 仁夫
出版者
埼玉大学経済学会
雑誌
社会科学論集 (ISSN:05597056)
巻号頁・発行日
no.164, pp.111-135, 2021-06

Places like Chichibu, where light anime fans1 make pilgrimages to sacred places, have already established five place brands: destination brands, geographic brands, the thematic brands, community brands, and economic development brands, based on the history of the contents and places, such as nature, shrines and temples, festivals, parks, food, and traditional crafts. Large amounts of time and money have been spent, and as a result of the dissemination of these brands, light anime fans are able to recognize the place brands and contents. In order to encourage light anime fans to make a pilgrimage to a sacred place, there are five place branding factors: "casualness," "climate," "presence of multiple contents," "something exciting," and "coexistence". These five place branding factors are necessary to attract light anime fans.1 Light anime fans are fans who watch anime but do not buy goods or attend anime events.
著者
松本 正生
出版者
埼玉大学経済学会
雑誌
社会科学論集 (ISSN:05597056)
巻号頁・発行日
no.164, pp.5-32, 2021-06

小泉政権当時の2005 年に、無党派層に代わる、新たな概念として筆者が措定した「そのつど支持」は、その後、日本人の政治意識として広く定着した。「そのつど支持」とは、「特定の支持政党を持たず、(選挙のたびに)そのつど政党を選択する」態度を意味する。2009 年の民主党への政権交代以降は、とりわけ、中高年層の「そのつど支持」化が顕著であった。いわゆる無党派層や浮動票とは、若年層の政治意識や投票行動を表象する概念として用いられてきた。こうした意識や態度は、むしろ、中高年層の特性へと転化している。 有権者の「そのつど支持」化は、また、「選挙ばなれ」と表裏の関係にあった。2012 年に自民党が再び政権に復帰してからは、地方選挙で先行してみられた「選挙ばなれ」が国政選挙にも波及してきた。投票率の低落には、政治不信や政党不信と通称される一票のリアリティの消失に加え、社会の無縁化に起因する地域社会の変容も介在している。 本小論の論述スタイルは、仮説-検証の演繹的手法は採用せず、各種の調査結果や統計データの単純比較を通じた経験的解釈に終始する。諸兄のご批判を請いたい。 The term "sonotsudo-shiji" (new independent voter) that I defined at the time of the snap general election in 2005, now seems to have become widely generalized as the political mindset of the general Japanese population. The "sonotsudo-shiji" tendency is significant, especially among middle-aged and elderly voters. The term "independent voter" or "swing voter" has been used to describe the political attitude and voting behavior of young people. However, it is now better used to describe the middle-aged and elderly voter. Their tendency of being "sonotsudo-shiji" is inextricably associated with apathy toward elections. The general election in 2012 showed us that disinterest in local political elections has now spread into the national elections. The decrease in voting turnout in the 2012 general election was caused by a lack of involvement with the local society, and the feeling that a single vote did not count. This is reflected in a distrust of politics and political parties, born out of indifference toward other people. In this report, I present data in support of this hypothesis. I would like to thank you in advance for your comments on this report.はじめに1.政党支持の流動:無党派層の多数派化2.55 年体制の政党支持3.政党支持の融解:「そのつど支持」の登場4.政党支持から内閣支持へ5.「選挙ばなれ」の位相まとめにかえて