著者
WANG Banban YANG Guangxing QI Shaozhou
出版者
日本情報経営学会
雑誌
日本情報経営学会誌 (ISSN:18822614)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.210-220, 2012

In order to study how the industrial transfer from eastern China to the central and western regions impact on the regional energy intensity, this paper selects the top 10 high energy consumption industries (HECIs), and uses the industry dynamic cluster index (IDCI) to measure their status of transfer-in or out in each provinces. Panel data models are applied then to analyze their influence on energy intensity in eastern, central and western regions respectively. Empirical findings show that in recent years, the domestic industrial transfer of HECIs in China has indeed occurred, while its impact on energy intensity varied among industries and regions. Therefore, the central and western regions need to cautiously undertake the transferred HECIs from the eastern region.
著者
権藤 恒夫
出版者
公明機関紙局
雑誌
公明 (ISSN:04542436)
巻号頁・発行日
no.70, pp.78-84, 1968-08
出版者
岩波書店
雑誌
世界 (ISSN:05824532)
巻号頁・発行日
no.385, pp.p178-181, 1977-12
著者
渡瀬 典子 WATASE Noriko
出版者
日本家庭科教育学会東北地区会
雑誌
東北家庭科教育研究 (ISSN:1347331X)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.1-6, 2006-10-01

2004(平成16)年度の「学校基本調査」(文部科学省)では,公立の小・中・高等学校,盲・聾・養護学校に在籍する外国人児童生徒数は約7万人で,バブル期を境にその全体数は減少傾向にある。その一方で,日本語を第一言語とせず,出身国の文化を背景に持つ子どもの数は増加傾向にあり,彼らの文化を尊重しつつ,日本の生活・日本語理解に関する指導が課題となっている。日本国内で生活し,他国の文化を持つ児童生徒を対象とする研究は,教育社会学によるアプローチが主流であり,教科教育研究はあまり見られない。この背景には,日本以外の国で長く暮らした帰国子女あるいはニューカマー(1980年代以降に来日し,定住した外国人)の児童生徒が大都市圏や一部の地域に眼定されており,全国共通のカリキュラム課題という認識をもちにくいことが挙げられる。一方,諸外国に目を転じると,多民族国家である北米・ヨーロッパ諸国では,大量の難民・移民の流入によって国民の民族構成に大きな変動が起こっている。例えば,多文化主義(国家を形成する各民族の文化を尊重し,民族の違いで自由,平等,正義,公正,人間の尊厳を妨げない考え方)をとり,移民の受け入れにも比較的寛容だったカナダでは1990年代以降トロント,バンクーバー等の大都市を中心にアジア系移民が急増した。2003年のカナダ市民権・移民省(Citizenship and Immigration Canada) の統計によると,今世紀に入り毎年20~25万人の移民者を受け入れており,2001年の国勢調査値ではバンクーバー(全人口約200万人)に居住する移民者74万人のうち約6割がアジア系移民である。これらの都市には,各民族が持つ生活文化を維持できるようなコミュニティ,生活資源の供給システムが構築されてきた。ここで多文化主義国家における多文化教育について若干の説明を加えたい。「多文化」を構成する軸には「民族・人種,国籍」のほかに,ジェンダー,障害の有無,地域,年齢等の要素がある。そしてそれぞれの軸が,ある社会の中で複合的に関わりあい,存在している。恒吉はこのような状況の中で,多文化教育を「多文化の共存する社会(世界)において,文化的多様性を肯定し,教育のプロセス,かくれたカリキュラム,学校の権力構造,既存のカリキュラム,教材,教育理念や教育の実践や方法などを見直し,少数者を含む全ての学習者の学習を保障し,より公正な多文化社会の実現に向けた資質を育成,改革するプロセス,全ての学習者を射程に入れた教育」と捉えている。多文化教育は多様な文化背景を持つ人々で構成される多文化(主義)国家で危急の教育課題といえるが,2002年にイタリアのベラジオで開催されたベラジオ会議では多文化的市民教育への(基本)原則と概念が提示されるに至っている。日本では,急激な少子高齢化に伴い,将来的な労働力の確保という観点で移民の受け入れを積極的に進めようという意見もある。そのほか,グローバリゼーションの進展に伴い,私たちは日本国内に居ながらにして様々な文化に触れる機会が増えている。家庭科教育は児童・生徒の生活に関わるモノ・ヒト・コトを学習対象とし,その学習内容は多岐にわたる。また,学習内容の選定において国・地域社会さらには児童生徒の文北・制度的背景も大きく影響を与えるため,多文化主義下での家庭科教育実践を見ることは,将来の日本の教育を考える上でも示唆に富むと考えられる。
著者
上藤 文湖
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.369-384, 2006-09-30

ドイツでは移民法成立に向け, 数年にわたり外国人の社会への統合が論じられるなか, たびたび〈多文化社会〉が論争となってきた.多文化社会を現実として肯定し外国人の統合を推進するのか, これを幻想として否定するのか.論争はこうした二重性をもっている.1980年以降ベルリンでは, 国家レベルに先行して文化的多様化が進行し, 外国人の包摂への取り組みとドイツ社会の変革を志向する政策が進んでいった.そして1989年以前には, 〈多文化社会〉はその現実が争われ, 東西ドイツの分断という政治的状況が, 現実としての〈多文化社会〉に対する肯定と否定双方を生んでいった.しかし東西ドイツが統合し大量の難民を受け入れた1990年以降, 現実として多文化が受容されはじめる.そして1998年の〈多文化社会〉論争では, 〈指導文化〉とされるドイツ文化と多文化の関係が論じられたが, 文化的多様性に対する一定の承認のもと, 文化的多様性の認知としての〈多文化社会〉から, どのような成員がどのような共通の基盤のもとで社会を形成するのかを問う〈多文化社会〉へと, その議論が変化したのである.ベルリンにおける〈多文化社会〉をめぐる議論は, 外国人によって社会が問われ変化していくことを示している.都市における〈多文化社会〉をめぐる葛藤は, 都市という空間の中で外国人と社会との関係が構築されていくプロセスの中に位置づけられる.
著者
山田 満
出版者
和歌山大学
雑誌
和歌山大学教育学部教育実践研究指導センター紀要 (ISSN:09182683)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.113-120, 1998

子どもたちがマスメディアを通して垣間見る国際社会は,サミットの議題となる先進諸国間の経済摩擦やそれをめぐる政治交渉であったりする。そして,発展途上国の貧困や飢餓の問題であったり,あるいは民族紛争や地域紛争を起因とする大量の難民流失や彼らの悲惨な光景であったり,さらには経済的目的のために移民する外国人労働者であったりする。そこで,錯綜化する現代国際社会の諸問題を本質的に理解する能力と解決への糸口を考察する能力を培う揚が求められている。現在の教育現場で推進されている国際理解教育はその意味で重要な役割を負っていると言えよう。しかしながら,日本の「国際理解教育」が予期する理念・目的だけでは現代的諸問題を理解するには不十分であると言わざるを得ない。本稿では国際関係論的視野から「国際理解」や「国際協力」を含めたグローバル教育の必要性を提起してみたい。
著者
渡辺 和之
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2013, 2013

ネパール国内には、チベット難民のためのキャンプが数カ所ある。その多くは、1959年、中国がチベットに侵攻し、大量の難民が押し寄せた際に作られたものである。ソルクンブー郡にも、1960年代にチャルサに難民キャンプが作られた。ここにはネパール政府の国営絨毯工場ができ、難民たちが絨毯を織っていた。1990年代に発表者がこの地域で調査していた際、定期市でチベット絨毯が売られていた。<BR> 本発表では、このチャルサのチベット絨毯の原料となる羊毛がどのような経路で運ばれ、製品となった絨毯がどのような経路で流通していったのか、2011年夏に調査した結果を報告する。結果的にチャルサの絨毯工場は1990年後半代に閉鎖されており、このキャンプでおこなわれていた絨毯産業の盛衰と当時の流通事情がわかった。<BR> チャルサの絨毯工場は、郡庁所在地のあるサレリから1時間半ほど山道を上った場所にある。難民キャンプのあるチャルサには現在では40-50人程度の人しか住んでいないが、最盛時には1000人以上のチベット人が住んでいたという。絨毯工場は難民保護の目的で設立されたものである。国営ではあるが、ネパール政府は土地を提供しただけで、実質的な経営は赤十字がおこなっていた。難民キャンプを設立する予算も、絨毯の原料となる羊毛や染料の調達、および製品である絨毯の販売もすべてスイスの赤十字が経営していた。羊毛はチベット産のものを用いていたが、これはコダリを経由し、自動車で運ばれてきたものをジリから運んできたという。染料もスイス製の化学染料を用いており、コンクリート製の近代的な染色小屋で染めていた。染色した糸を乾燥させる際も、はじめは薪を燃料に用いていたが、この地域の森林破壊につながることを危惧し、電気の乾燥機をスイス政府が用意した。できあがった製品はカトマンズに輸送し、よいものはドイツやスイスに輸出されていた。<BR> 一方で、難民キャンプで働く人々は羊毛を買ってきて自分の家で絨毯を織ることもあった。発表者が1990年代にナヤバザールの定期市でチャルサの絨毯といって売られているのを見たのは、この自家製の絨毯であった。工場で作る最高級品と比べると質は落ち、値段も工場で織った絨毯が1枚15000Rs(1990年代なかばには約3万円)したのに対し、家で織るものは1枚3000ルピー(約6千円)程度で買えた。この自家製の絨毯を織る機はthijaという。足踏み式の機であり、経糸の数は67本×2本であった。<BR> 現在では家で自家製の絨毯を織っている人はほとんどいなくなってしまい、数世帯残るのみだという。ナヤバザールの定期市で売っている絨毯のほとんどがカトマンズから持ってきたものである。サレリの役場に赴任した役人が実家に帰省する時にみやげとして「チャルサのチベット絨毯」を買ってゆくそうで、「向こう(カトマンズ)で作ったものを向こう(カトマンズ)に持ってゆくのだから、手間のかかることだ」と、地元ではいわれている。<BR> チャルサの工場が閉鎖されたのは1996年前後である。ネパール政府に払う税金(年30万ルピー)が払えなくなって工場を閉鎖したという。ちょうど1990年代は児童労働が問題になり、チベット絨毯の国際的な不買運動により、全国的に絨毯産業は衰退した頃と重なっていた。チャルサに住むチベット難民の多くはその後カトマンズに移住したという。<BR>
著者
小林 信彦 Nobuhiko Kobayashi 桃山学院大学文学部
出版者
桃山学院大学総合研究所
雑誌
国際文化論集 = INTERCULTURAL STUDIES (ISSN:09170219)
巻号頁・発行日
no.32, pp.41-65, 2005-06-15

The Chinese, who favored the idea of physical rebirth, were disappointedwhen they found references to transmigration in Indian texts. They simply didnot wish their bodies to perish, and were indifferent about the continuity oftheir minds.In an Indian text entitled Bhaisajyagurusutra, it is said that someone's mindreturns [to the world] after staying in Hell for a while. Hsuan-chuang (玄奘)translated it as meaning someone's mind returing to his dead body. He convertedthe passage into a story of rebirth, and his translation was eagerly accepted by Chinese readers.
著者
佐野 歩 岩本 浩二 冨田 和秀 萩谷 英俊 滝澤 恵美 水上 昌文 門間 正彦 大賀 優 居村 茂幸
出版者
JAPANESE PHYSICAL THERAPY ASSOCIATION
雑誌
日本理学療法学術大会
巻号頁・発行日
vol.2009, pp.A4P3046-A4P3046, 2010

【目的】<BR>近年、筋圧や筋力評価、筋肉や腱の損傷回復の効果判定など多くの分野に超音波診断装置が用いられてきており、有用といわれている。超音波診断装置による画像診断は、X線では評価しづらい軟骨・筋肉・腱・靱帯・神経を抽出することができ、MRIでは評価しづらい滑膜や関節液の貯留、筋肉や関節の動きを評価することが可能である。また、無侵襲で容易に操作が可能な検査技術である。肩関節や側腹部診断など多くの研究が行われている半面、測定結果への信頼性に対して懐疑的な意見も散見できる。超音波診断装置を用いた測定結果への信頼性研究は少なく、確立されているとは言いがたい現状である。本研究では、肩関節周囲筋のなかでも計測指標が簡単で、筋腹が皮下にて計測できる棘下筋を対象に、本研究では超音波診断装置を用いた筋厚測定の信頼性について検討したので報告する。<BR>【方法】<BR>計測にはHONDA ELECTRONICS社製CONVEX SCANNER HS-1500を用いた。プローブは、周波数7.5MHzのリニアプローブを使用し、全て同一の検査者が実施した。被験者は肩関節に痛みを有しない健常成人男性5名、左右10肩とした。被験者の平均年齢は26.4±4.2歳、平均身長は171.0±5.6cm、平均体重は65.4±5.6kg、平均BMIは22.4±2.4であった。棘下筋の計測部位は、棘下筋のみを計測できる部位として、棘下筋を皮下に直接計測可能な肩甲棘内側1/4、30mm尾側の筋腹にて計測した。計測肢位は椅子坐位で、体幹部は床に対し垂直となる中間位、上腕は体側につけ上腕長軸は床面と垂直に下垂し、肘関節90度屈曲位、肩関節内旋外旋中間位ならびに前腕回内回外中間位とする肢位で、前腕部の高さを調整したテーブルに乗せ、余計な筋収縮が入らずに安楽に配置できるように配慮した坐位姿勢を基本測定姿勢とした。測定は、肩関節中間位、肩関節最大外旋位、肩関節最大内旋位の3肢位である。肩甲骨へのプローブの接触角度は、肩甲骨の傾斜角に垂直とし、傾斜角度を左右ともに測定した。肩関節自動運動での内旋・外旋以外の代償運動が行われないように、第3者が肘関節部を固定して実施した。再現性の確認のために、測定は3日間に渡り実施し、代謝の影響を考慮して同一時間帯にて棘下筋厚を測定した。左右3肢位での棘下筋厚で得られたデータは、各肢位にて3回ずつ測定した際の平均計測値を級内相関係数ICC(1,3)を用いて検者内の信頼性について検討した。統計解析はSPSSを用い,一元配置分散分析により級内相関係数ICCを算出し検討した。<BR>【説明と同意】<BR>すべての被験者に対し、ヘルシンキ条約に基づき、書面にて研究内容を十分に説明し、同意を得た。<BR>【結果】<BR>画像測定での平均値は右中間位10.7±3.04mm、右内旋位9.3±2.32mm、右外旋位18.5±2.88mm、左中間位7.9±2.58mm、左内旋位7.2±1.82mm、左外旋位16.6±4.12mmであった。<BR>級内相関係数では、右中間位ICC=0.964、右内旋位ICC=0.845、右外旋位ICC=0.961、左中間位ICC=0.920、左内旋位ICC=0.958、左外旋位ICC=0.923となり、それぞれ高い信頼性を示した。<BR>【考察】<BR>今回の測定方法により、棘下筋厚の測定値において高い検者内信頼性が示された。測定肢位や検査方法に条件設定を細かく行ったことにより、再現性を高めることができた。今回高い再現性が示された理由として、棘下筋はランドマークがとりやすく、皮下より棘下筋のみの計測が可能なため、機器測定条件の設定が簡便であることがあげられる。<BR>【理学療法学研究としての意義】<BR>今後は得られた信頼性を基に適応を拡大し、肩関節疾患を有する患者に対し、理学療法の効果を超音波診断装置を用いて検討して行きたい。<BR>