著者
光延 忠彦 ミツノブ タダヒコ MITSUNOBU Tadahiko
出版者
千葉大学大学院人文社会科学研究科
雑誌
千葉大学人文社会科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.14, pp.1-16, 2007-03

1990 年代の都知事選挙においては、95 年に青島候補が、また99 年には石原候補が勝利して東京都政を担ったが、両者はともに政党から距離を置く候補の点では共通しながらも、青島都政は一期で退場したのに対し、石原都政は二期目を続行中である。興味深いことに、こうした差異の説明では、ジャーナリズムに見られる政治家のリーダーシップ論が典型的である。しかしながら、ここでの議論では政治家個人の資質に関わるものが中心で、分析を通じて何らかの理論的課題が提出されるという点では必ずしも十分ではない。そこで本稿は、青島都政では挫折した政治的リーダーシップが、なぜ石原都政では達成し得たのか、この点に一定の解答を付すべく知事と議会の関係から接近し、政治的リーダーシップを制度的要因から考える。
著者
伊東 潤
出版者
Kadokawa
雑誌
歴史読本
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.164-173, 2015-07
著者
内田 豊士
出版者
岡山大学大学院文化科学研究科
雑誌
岡山大学大学院文化科学研究科紀要
巻号頁・発行日
vol.13, no.1, pp.237-255, 2002-03

方向があきらかにしようとするのは明治初期岡山県南部地域における農民層の分解状況であるが、最終的には農村工業の発生過程の解明を目指している。そのため本稿では、明治10年以降に麦稈真田紐や花筵といった製造業の展開をみせる地域の階層分化をあきらかにしようとしている。農村工業の分児島群藤析の前に農民層の分解を解明しようというのは次のような理由からである。農民層分解という語は本来的には「農業における商品生産の進行につれてあらわれる独立自営農民の両極文化-資本家と賃労働者への-を意味している」のであって、こうした経緯を経て農村工業が登場してくるのである。こうした農村工業は本来「封建制解体から、産業革命にいたる時期の中で、その機軸をなすもの」なのである。しかし、周知のように日本における資本の原始的蓄積過程は政府主導によるものであり、「独立自営農民の形成なしに封建小農民がいきなり他律的に商品経済に巻き込まれてゆき、共同体が解体せしめられぬままに、国家権力とそれに結びつく商人・地主層主導の下に資本=賃労働関係が創出される類型」なのである。こうした状況の下に誕生した麦稈真田紐や花筵といった製造業であるが、山田盛太郎氏の言葉をかりれば「特殊的な『惨苦の茅屋』たる零細農生計補充的副業」と評価されている。つまり農業経営を保管する農家副業とされているわけである。このためこうした製造業は日本資本主義発達史研究の対象とされることはなく、産地などの地誌等で取扱われる程度にとどまるとともに、その意義を積極的に問われることはなかったのである。したがって、生産開始当初からこうした製造業が「零細農生計補充的副業」であったのかどうか、或いは本来の農村工業としての発展の可能性を持っていたのではないかという点については、十分な検討が行われてきたとはいいがたい状況にある。そのため本稿では、先に述べた製造業がどのような農民層の分解状況の下で発生するのか、その分解の始点となる明治初期の状況をまずあきらかにしておきたい。その後稿を改めて松方デフレとその後の各製造業の発生状況を解明する予定である。本稿では、まず始めに岡山県浅口群乙島村の近世紀から明治初期にいたる農民層の分解を解明する。この地域は明治20年代に麦稈真田紐生産が展開する地域である。岡山県南部地域には他にも花筵や畳表といった製造業があり、それぞれの産地である児島郡藤戸村、都宇群下庄村および麦稈真田紐産地としてもう1箇所下道群陶村を取り上げてその分解状況を確認しておくことにする。
著者
山本 剛史
出版者
慶應義塾大学倫理学研究会
雑誌
エティカ (ISSN:18830528)
巻号頁・発行日
no.1, pp.103-128, 2008

Heute werden künftige und sogar gegenwärtige Generationen der ungewissen Wirkung unserer technologischen Handlungen ausgesetzt. Deshalb ist es angezeigt, diemoralische Verantwortung zu untersuchen, und zwar im Rahmen der Ethik des Vorsorgeprinzips, die der Zukunftethik Hans Jonas' entspricht. K. O. Apel kritisiert bekanntlich deren Nicht-Reziprozität und stellt ihr seine diskursive und reziproke Verantwortungsethik gegennüber. Von daher stellt sich die Frage, ob die Ethik desVorsorgeprinzips die reziproke oder nicht-reziproke Verantwortung umfassen soll.Um den Gegensatz aufzulösen, betrachten wir die theologische Ethik Dietrich Bonhoeffers. Die Theologie Bonhoeffers ist bekannt für die "nichtreligiöse Interpretation des theologischen Begriffs". Wenn auch die Meinungen darüber auseinandergehen, ist doch sicher für die Theologie die Handlung als "Nachfolge Christi" am wichtigsten. Deshalb wird in seiner Ethik die Theorie hinter die Handlungen gestellt.Bonhoeffers Ethik betont das menschliche leibliche Leben selbst, weil das Leben, als das Vorletzte, durch das Letzte aufgewertet wird, das das Versöhnungsereigniszwischen Gott und der Welt ist. Demgemäß muß man auf andere antworten. Dieses Leben als Antwort auf das Leben anderer nennt er „Verantwortung auf Stellvertretung". Der Mensch vereinigt in sich das Ich mehrerer Menschen; jeder vertritt und wird vertreten. Aber das impliziert keineswegs die Verneinung der Autonomie jedes Menschen. Deshalb verliert obige Frage ihre Bedeutung. Bonhoeffer entwickelt die Ethik der Verantwortung für das natürliche Leben. DieÜbertragung seiner Ethik in eine rationale verlangt, also die Bildung des Vorsorgeprinzips.
著者
新井 元
出版者
国際基督教大学
雑誌
国際基督教大学学報. I-A 教育研究 = Educational Studies (ISSN:04523318)
巻号頁・発行日
vol.54, pp.77-89, 2012-03-31

2006 年,岐阜市議会において,市長が市立岐阜商業高等学校を学校法人立命館に移管する計画を公表した。この突然とも言える提案は政党各派の分裂を生み,同市議会の内外で数年にわたる混乱をもたらした。2007 年,市教育委員会が正式に市岐阜商高廃止の方針を打ち出したが,翌2008 年に議会は立命館誘致を否決。その直後,市長は民意を問うとして辞職し,2009 年の出直し選挙で再選されたものの,市議会は22 対21 で再び立命館誘致を否決した。教育改革として語られるべきテーマが政争の具と化したなか,市教委の同校廃止方針は市長の意向を受けたものとする批判がなされる。1956 年以降,日本の教育委員は自治体の首長によって任命されており,教委の独立性の実現は難しい。こうした1956 年体制下で,体制側に対峙する教委を見る事は難しいだろう。1970 年代以来,高校全入時代を迎えた日本では,ほとんどの人々が高校に進学するようになったが,その一方で,少子化や産業構造の変化に伴い,高校の意味するものも変わって来た。岐阜市のケースは,決して一地方の問題なのではなく,日本全体が今抱えている教育改革の構造的な難しさを意味している。In 2006, the mayor of Gifu city in the Chubu region of Japan introduced a plan in the City Assembly to transfer the jurisdiction of Municipal Gifu Commercial High School to a private school corporation: Ritsumeikan. This rather abrupt proposal caused consternation within and beyond the city assembly lasting years. There ensued internal strife among political groups in the municipal assembly. In 2007, the city Board of Education decided on the policy of closing the municipal high school. However, a plan to attract Ritsumeikan was voted down by the municipal assembly, in 2008. The mayor resigned to consult the electorate and the will of residents. Though the mayor was returned the next year, the Ritsumeikan plan was rejected again, 22 to 21 by the municipal assembly. The issue of local educational reform was embroiled in political strife and the Board of Education's school closure policy was thought to be merely an endorsement of the mayor's policy. Since 1956, as members of the Board of Education in Japan are appointed by the heads of local government the independence of the boards has been always been in imminent crisis and it is difficult to see a board of education defying a city hall under the 1956 system. Since the 1970s, almost all children in Japan enter upper secondary school. However, due to the dwindling birth rate and change of industrial structure etc., the meaning of high school has changed. The Gifu city case is a local but also urgent matter with wider implications in Japan relating to the structural difficulty of educational reform.
著者
大野 紀和
出版者
Japanese Association for Oral Biology
雑誌
歯科基礎医学会雑誌 (ISSN:03850137)
巻号頁・発行日
vol.28, no.4, pp.389-399, 1986
被引用文献数
1

インド人 (Hindus) 家族17組 (両親と子供2人) の口腔内石膏模型を用い, 複シャベル型切歯, シャベル型切歯, Carabellr's trait, 介在結節および舌側副咬頭の5形質8歯別について観察し, その形質の遺伝形式を分析した結果, 以下の結論を得た。<BR>1. 親子間および同胞間の歯冠形質出現一致率は第一大臼歯のCarabelli's traitおよび側切歯のシャベル型切歯において同胞間で一致率が高い。<BR>2. 各組み合せにおける点相関係数を算出すると, 複シャベル型切歯における父親と子供間, 第一大臼歯のCarabelli's traitにおける母親と子供間とで有意な正相関が認められた。それ以外には認められない。<BR>3. 歯冠形質の表現型を遺伝子型に対応分類し, 両親の遺伝子型別の交配より子供に出現する遺伝子型をみると, 中切歯のシャベル型切歯において劣性ホモ接合体どうしの交配では子供は全てが劣性ホモ接合体となり, 第一大臼歯のCarabelli's traitにおいて優性ホモ接合体どうしの交配では子供にはヘテロ接合体と劣性ホモ接合体は出現しない。ヘテロ接合体どうしの交配では, 第一大臼歯のCarabelli'straitは劣性ホモ接合体, 介在結節および舌側副咬頭では優性ホモ接合体は出現しない。<BR>以上の結果より, 歯冠諸形質の遺伝形式は遺伝的要因と非遺伝的要因の相互作用によると考えられる。
著者
奥山 宏和
出版者
一般社団法人電子情報通信学会
雑誌
電子情報通信学会技術研究報告. SSS, 安全性 (ISSN:09135685)
巻号頁・発行日
vol.106, no.519, pp.5-8, 2007-01-25
参考文献数
3
被引用文献数
3

大型トラック追突事故の事故件数と被害軽減を目的に、商用車の被害軽減ブレーキ「プリクラッシュセーフティ」を開発した。被害軽減ブレーキは、2003年に技術指針が策定され乗用車で商品化されてきた。大型車は車両の構造から積載状態により重量変化が大きく、正確な制動制御を行う事が技術課題であった。BBS(Electronic Brake System)に機能を追加する事で課題をクリアした。本システムの開発により、大型トラックの追突事故の被害軽減が期待される。
著者
福田 孝一
出版者
福岡医学会
雑誌
福岡医学雑誌 (ISSN:0016254X)
巻号頁・発行日
vol.97, no.6, pp.160-174, 2006-06-25

今からちょうど100年前の1906年11月11日, ストックホルムで行われたノーベル医学生理学賞の受賞講演は, きわめて異例のものとなった. その年の受賞者は, 脳のミクロの構造の解明に大きな業績をあげた二人の解剖学者, イタリアのカミロ・ゴルジとスペインのラモニ・カハールであった. ゴルジは神経細胞を突起の隅々まで染色する画期的な方法を発明し, それまで別々のものとしてしか染まらなかった細胞体と神経線維とを, 一続きの構造としてとらえることに初めて成功した. 一方カハールは, ゴルジの方法に依拠して脳のあらゆる場所から標本を作り, その詳細な顕微鏡観察を通して, 神経細胞が作るネットワークの正しい姿を次々に明らかにしていった. 同時代に成し遂げられた二人の形態学者の仕事によって, 人類の脳に対する理解は格段に深化したと言うことができる. ところがゴルジとカハールは, 神経細胞のネットワークの様式について全く異なる立場をとっていた. 受賞講演においても, 二人はお互い譲ることなく, 相いれない二つの説をそれぞれ披露して講演を終えたのである. 当日の講演の全文は, 現在ウェブサイト上で閲覧することができる. それによればゴルジは, 彼の講演のほとんどを, 既に時代遅れとなりつつあった網状説の頑強な擁護と, カハールらが唱えるニューロン説への攻撃に宛てた. ゴルジらの提唱する網状説においては, 神経細胞から伸びる軸索が互いに直接連絡し合いながら複雑な網目を形成し, 信号はそのネットワーク内を様々な方向に伝播すると考えられていた. それに対してカハールは, 細胞体・樹状突起・軸索からなる神経細胞が, 脳を形作る単位構造(ニューロン)として存在していること, 信号は樹状突起・細胞体から軸索へと一方向に流れて軸索終末に達すること, そして軸索終末と信号の受け手である細胞体・樹状突起との間にはすきまがあり, 信号は何らかの方法でそのすき間を越えて次のニューロンに伝達されるであろうことを唱えた. すなわちカハールは, 現在われわれが知っている神経細胞のあり方を, 驚くほどの正確さを持って見通していたわけである. 実は現在の最高水準の光学顕微鏡の解像力(約0.2ミクロン)をもってしても, そのすき間(約0.02ミクロン)を見ることは不可能である. しかし彼は脳のあらゆる場所から美しい標本を作製し, おびただしい数の神経細胞を観察し, また発生の過程で脳の中を伸びていく軸索の形態を詳細に検討した結果から, ニューロン説を確信する啓示を得たのであった. カハールの考えたニューロン説が正しかったことは, 約50年後の1950年代に, 電子顕微鏡がシナプスの微細構造を明瞭に描き出したことにより, ようやく最終的な決着をみた. 以後今日に至るまで, あらゆる神経科学は, 単位構造であるニューロンが, シナプスによる間接的な結合を仲立ちとしてネットワークを形成しているというセントラルドグマを基盤として発展してきたといっても過言ではない. このことは, たとえば神経生理学はシナプスにおける電気的応答を調べ, 神経薬理学はシナプスにある受容体を主な標的とし, また精神医学は, シナプス伝達の異常の是正を薬物治療の核心としてきたことからも, 容易に理解できるであろう. しかしいつも単純なコースをたどるわけではないというのが, われわれの科学のあゆみの, むしろ一般的な姿である. 電子顕微鏡によるシナプス構造の同定からさらに50年の時を経た今日, 現代の形態学と生理学は, ゴルジが完全に間違っていたわけではなく, 網状説が部分的には正しいかもしれないことを, しだいに明らかにしつつある. 大脳皮質にはもうひとつのネットワークがあり, それは驚くほどの密度と広がりをもって, 既知のニューロンネットワークと空間を共有している可能性を示しっっある. 本稿においては, われわれの最近の成果も含めながら, この新しいネットワーク構造についての概説を試みたい. (なお文中で大脳皮質という言葉を用いる際には, 新皮質と海馬を主な対象としている.)
著者
高野 竜
出版者
カモミール社
雑誌
テアトロ
巻号頁・発行日
no.831, pp.100-117, 2010-03